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東京高等裁判所 平成19年(ネ)969号 判決 2007年7月26日

控訴人・附帯被控訴人(以下「控訴人」という。)

財団法人 自警会

同代表者理事

森憲二

他1名

上記両名訴訟代理人弁護士

児玉康夫

松村太郎

被控訴人・附帯控訴人(以下「被控訴人」という。)

A野花子

主文

一  原判決を取り消す。

二  被控訴人の請求を棄却する。

三  本件附帯控訴を棄却する。

四  訴訟費用は、第一、二審を通じて被控訴人の負担とする。

事実及び理由

第一当事者の求めた裁判

一  控訴事件

(1)  控訴人

ア 原判決中控訴人ら敗訴部分を取り消す。

イ 上記部分にかかる被控訴人の請求を棄却する。

(2)  被控訴人

本件控訴を棄却する。

二  附帯控訴事件

(1)  被控訴人

原判決主文第一項を次のとおり変更する。

控訴人らは、被控訴人に対し、連帯して一八九万四四三五円及びこれに対する平成一七年七月三〇日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

(2)  控訴人

本件附帯控訴を棄却する。

第二事案の概要

一  事案の要旨

被控訴人は、控訴人財団法人自警会(以下「控訴人自警会」という。)が設置経営する東京警察病院(以下「控訴人病院」という。)形成外科を受診し、両側季肋部突出を訴えたところ、診察を担当した控訴人B山太郎医師(以下「控訴人B山医師」という。)により、Nuss法と呼ばれる胸部にプレートを入れて胸郭を挙上する等の内容の手術が実施された。

本件は、被控訴人において、上記手術によっても季肋部の突出が改善されていないとして、控訴人B山医師には、季肋部の突出解消法の選択に関する診療上の義務ないし説明義務違反があり、同義務が果たされていれば被控訴人は上記手術を受けなかったし、同医師には手術操作上の誤りがあるほか、上記手術後に季肋部の改善をする診療上の義務にも違反したなどと主張して、控訴人らに対し、診療契約上の債務不履行又は不法行為(控訴人自警会に対しては、使用者責任)による損害賠償請求権に基づき、連帯して損害賠償金四三五万四五〇九円及びこれに対する平成一七年七月三〇日(訴状送達日の翌日)から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求めた事案である。

原判決は、控訴人B山医師に説明義務違反があったとして、被控訴人の請求の一部を認容したため、控訴人らが控訴し、被控訴人が附帯控訴した。附帯控訴の趣旨は、原審で認容された一六五万四四三五円に、訴外聖路加国際病院(以下「聖路加国際病院」という。)の差額室料に相当する二四万円を加えた合計一八九万四四三五円の支払を求めるというものである。

二  前提となる事実

(1)  当事者

ア 被控訴人

被控訴人は、昭和三五年六月一八日生まれの女性である。

イ 控訴人ら

控訴人自警会は、《住所省略》所在の東京警察病院を設置経営している財団法人である。控訴人B山医師は、平成一〇年一月から平成一四年七月一五日まで控訴人病院形成外科の常勤医であり、翌日からは同科の非常勤になるとともに、平成一五年八月三一日までは訴外クリニックの院長を勤め、その後同年一一月には自ら「B山クリニック南青山」を開設、経営している。

(2)  診療経過の概略

ア 被控訴人は、平成一二年六月二八日、控訴人病院形成外科を外来受診した。当初はC川医師が被控訴人を診察したが、同医師は被控訴人の担当を控訴人B山医師に引き継いだ。同医師による診察の結果、被控訴人に対してプレートを入れて胸郭を挙上し、季肋部の肋軟骨の突出を軽減するために肋軟骨を一部削り取る内容の手術(以下「本件手術」という。)を行うとの方針が被控訴人に対して示され、被控訴人はこれに同意した(以下、本件手術等の診療を行う合意を「本件診療契約」という。)。

イ 平成一二年八月一一日、被控訴人は控訴人病院形成外科に入院し、同日、控訴人B山医師の執刀により、本件手術を受け、同月二三日に退院した。

三  争点

(1)  本件診療契約が季肋部の整容を主目的としていたか否か

(2)  季肋部の突出解消に対する療法選択についての診療上の義務違反及び説明義務違反の有無

(3)  Nuss法及び季肋部肋軟骨形成術における手技上の過失の有無

(4)  季肋部の修正義務(フォロー義務)の有無

(5)  手術による季肋部の改善の有無

(6)  損害額

四  争点についての当事者の主張

争点についての当事者の主張は、原判決別紙「主張要約書」(原判決二〇頁以下)に記載のとおりであるから、これを引用する。ただし、原判決二三頁二〇行目から二一行目にかけての「義務違反及び情報提供義務違反」を「診療上の義務違反及び説明義務違反」と改める。

第三当裁判所の判断

一  認定事実

証拠によれば、次の事実が認められる。

(1)  控訴人病院を受診し、控訴人B山医師の診察を受けるに至る経緯

ア 被控訴人は、二〇歳ころ(昭和五五年ころ)に風邪で訴外医院を受診した際、医師から被控訴人が漏斗胸である旨指摘されていたところ、三〇歳ころ(平成二年ころ)から肋骨の最下部が徐々に突出してきたことを自覚し、三五歳ころ(平成七年ころ)には、服を着ていても同部分が目立つようになり、その状態を不満に思うようになった。その後も特に健康上の支障は生じないものの、同部分の突出傾向が収まらなかったため、被控訴人は、手術によってその状態の改善ができるか否かを考え始め、控訴人病院の存在を調べた上で、平成一二年六月二八日、控訴人病院形成外科を受診した。

イ 控訴人病院形成外科において被控訴人の診察を担当したC川医師に対し、被控訴人は、二〇歳ころに医師から自分が漏斗胸であると指摘されたこと、中心部が凹んでいるというよりは、肋骨の最下部の両側、特に左側が突出していて、その突出が三〇歳ころから始まって悪化してきたこと、三五歳ころから服を着ていても目立つようになったことを述べ、手術による治療を希望した。これに対し、同医師は、漏斗胸の診察が控訴人B山医師の担当であることを指摘し、診察を控訴人B山医師に引き継いだ。

(2)  控訴人B山医師による診察及び説明

ア 被控訴人は、控訴人B山医師に対しても、C川医師に対して述べたことを繰り返すとともに、胸の左側のところが出っ張ってみえるので治したいと訴えた。これに対し、控訴人B山医師は、被控訴人を診察した上、被控訴人の胸部が凹んでいることから、被控訴人の胸部の状態が漏斗胸であり、その程度は、直ちに手術をしなければ健康上の支障が生ずるほどのものではないものの、手術適応にならないほど軽度ではなく標準的なものであると判断した。また、被控訴人が季肋部の突出を指摘している点については、季肋部が人の標準的状態に比べて突出しているのではなく、胸部が凹んでいるために季肋部が突出しているように見えているので、漏斗胸を改善し、併せて季肋部軟骨に操作を加えることで被控訴人の訴えに対応した治療をすることができると判断した。

イ そこで、控訴人B山医師は、被控訴人に対し、漏斗胸の治療法としてプレートを挿入して胸骨を挙上する手術(Nuss法)があり、プレートは二年程度で抜去する例が多いこと、手術によって胸の骨だけを持ち上げると一緒に季肋部も持ち上がること、手術後時間が経つと子供は季肋部が下がるが大人は下がらないので季肋部にも操作を加える必要があることを説明し、さらに、手術事例の写真が掲載されたアルバム(以下「本件アルバム」という。)を被控訴人に示した。

本件アルバムには、季肋部だけが出ている男性や、手術当時図書館に勤務していたとされる女性らの手術前後における写真が掲載されており、控訴人B山医師は、これらの写真を被控訴人に見せながら、手術の際の皮膚切開位置及び切開による傷の位置について説明をし、被控訴人の身体を手で押して術後に痛む場所を示し、痛みの程度が相当重いことをも説明した。

なお、控訴人B山医師は、Nuss法がそれ以前の漏斗胸の手術方法(ラヴィッチ(Ravitch)法及び胸骨翻転法)より、外科的な侵襲の程度が低く、副作用も少ない優れた術式であり、従前の術式は被控訴人の漏斗胸の治療には適応がないと判断したことから、従前の術式による手術を提案することはなかった。

以上の説明を聞いた被控訴人は、自分の胸部の凹みを上記手術によって矯正することにより、季肋部の突出も改善すると思い、手術を受けることを決めた。そして、平成一二年七月中に心電図検査等の検査を受け、同年八月八日に呼吸機能検査及び3D―CT検査を受け、同月一〇日に入院して翌一一日に手術を受けるとの予定についても確認した上、上記手術に同意した。

ウ 上記手術の具体的手技内容については、平成一二年八月八日に控訴人B山医師から被控訴人に対して説明がされ、被控訴人は、これに対して手術を受けることを最終的に同意した。

(3)  本件手術の施行

ア 被控訴人は、平成一二年八月一〇日、控訴人病院形成外科に入院した。

イ 被控訴人は、同月一一日八時一〇分に手術室に入室し、九時三五分から一四時二五分にかけて、控訴人B山医師の執刀により、Nuss法による胸骨挙上術及び肋骨修正術(前出の「本件手術」を指す。)を受けた。その際、被控訴人は、胸椎五番と六番の間に硬膜外麻酔を施行されており、術中の出血量は少量で、合計三〇〇〇mlの輸液(ヴィーンF、フィジオ70及び生理食塩水)が行われたが、輸血は行われなかった。上記肋骨修正術の内容は、右第七、八肋軟骨削り、左第七、八、九肋軟骨短縮等であった。

ウ 被控訴人に対しては、本件手術後、疼痛に対する治療等を受け、同月二三日、控訴人病院を退院した。

(4)  控訴人病院退院後の経緯

ア 退院後の外来受診

被控訴人は、控訴人病院を退院した後も、平成一二年九月九日から同年中は同日を含めて六回外来受診した。同年一〇月四日、被控訴人が本件手術後にしゃっくりが出るようになったと訴えたため、控訴人B山医師は、同月一八日に呼吸機能検査及びCT検査を施行し、それ以後の診察日においても、被控訴人の身体状態の経過を確認した。被控訴人は、しゃっくりの回数は同月二一日の診察日においては、一時間当たり七ないし一二回であると訴えていたが、同年一二月一六日には、六時三〇分から一一時三〇分の間に二〇回程度であると述べ、平成一三年六月一三日の診察日には、しゃっくりがでる日と出ない日とがあると述べた。

イ 訴外聖路加国際病院における再手術

被控訴人は、平成一六年五月一三日、聖路加国際病院を初めて外来受診し、漏斗胸術後のプレート抜去と軟骨の変形を修正することを希望した。診察の結果、被控訴人は、同年七月二七日の外来受診の際、同年八月五日に入院して翌六日に手術を受けることを決めた。

被控訴人は、同月五日、上記病院に入院した。被控訴人は、入院時に「肋骨下縁角の突出、特に左側のそれが気になる。反り返りと二つになっている凸変形が気になる。手術によるscarは気にしないので、術後合併症がなく良好な結果が得られるようにしてほしい。」旨の希望を述べた(なお、scarは「傷跡」の意。)。

被控訴人に対しては、同月六日に、先に挿入されたプレートの抜去と肋軟骨形成の手術が施行され、被控訴人は、同月一二日に退院した。

ウ 再手術後の被控訴人の状態等

平成一七年二月七日に実施された胸部3D―CT検査の結果、被控訴人の胸郭についてはほとんど漏斗の陥没はみられなくなっているとの所見が得られた。

平成一八年九月七日に聖路加国際病院のD原医師が作成した被控訴人についての診断書には、病名として「漏斗胸」、附記として「上記にて他院手術後に来院。漏斗胸にて挿入された金属板(Nuss法によるもの)、および両側胸郭突出、陥凹変形を認めた。二〇〇四年八月五日より入院にて金属板の抜去、胸郭変形部の修正を行った。術後経過良好にて同年八月一二日退院した。突出、陥凹変形した胸郭は修正された。その後約一年間経過観察し手術痕の安定を確認して二〇〇五年八月二三日終診となった。」と記載されている。

二  医学的知見

証拠によれば、次の医学的知見が認められる。

(1)  漏斗胸について

ア 漏斗胸とは、肋骨及び肋軟骨の成長が背中側に向かった結果、胸郭の骨が背中側に落ち込み、前胸壁が漏斗状に凹んだ状態をいう。

イ 漏斗胸の矯正は手術による。漏斗胸により心肺機能に異常がある場合は手術の絶対的適応になるが、無症状の場合には美容形成的理由から手術を行うことになる。

ウ 漏斗胸に対する手術の標準術式として、ナス(Nuss)法が登場するまではラヴィッチ(Ravitch)法及び胸骨翻転法があった。

(2)  Nuss法について

ア Nuss法は、平成一〇年にナス医師らにより報告された漏斗胸に対する手術法で、その方式は、金属プレートを胸骨下に挿入して胸骨を挙上するというものである。

イ 東京警察病院では、平成一一年五月から漏斗胸の手術法としてNuss法を導入した。Nuss法は、平成一七年一二月一一日当時において、東海大学、獨協大学及び大阪大学のウェブサイト上において紹介されているほか、順天堂大学のウェブページにおいて「現在当科で行っている標準的な術式はNuss法というものです」とされている。また、滋賀医科大学附属病院作成のパンフレット(二〇〇二年八月一日付け一九号)には漏斗胸について記載され、手術法については、過去には過大な侵襲のある手術があったがNuss法により短期間の入院及び少ない侵襲で確実な効果を得ることができるようになっていると指摘した上、Nuss法の具体的手技が紹介されている。

他方、成田赤十字病院のウェブサイト上には、漏斗胸に対する手術法としては胸肋挙上術(長すぎる肋軟骨を切除再縫合する術式)を採用していること、Nuss法は、六歳未満や成人には適応が限られていること、術後入院期間が胸肋挙上術と変わらないこと、異物除去のため再手術が必須なことなどが欠点であると考えていることが記載されている。

三  争点(1)(本件診療契約が季肋部の整容を主目的としていたか否か)について

前記一(1)アのとおり、被控訴人は、両側季肋部の突出を気にしていたものであるが、それは健康上の支障を問題としていたというよりは、もっぱら外見上好ましくないとの考えによるものであったことが認められる。そして、被控訴人は、控訴人病院の初診時において、中心部が凹んでいるというよりは季肋部、特に左側が突出して見えるので治したいと控訴人B山医師に対して述べていることが認められる。これに対し、控訴人B山医師は、上記被控訴人の主訴に対し、前記一(2)アのとおり、漏斗胸自体は直ちに手術をしなくても健康上の支障はないものの、被控訴人が問題とする季肋部の突出は胸部正中部の凹みによるものであり、その凹みを矯正すれば被控訴人の悩みは解消する旨判断し、これを前提として、漏斗胸の手術法である胸骨挙上術の施行を提案し、かつ、同術に加えて、季肋部軟骨を削ることも提案していることが認められる。

そうすると、被控訴人は、季肋部の突出という外見を問題とし、控訴人B山医師は被控訴人の上記主訴内容を理解した上で、それに対する治療方法としてNuss法による漏斗胸の改善及び季肋部軟骨の切除再縫合の術式を提示したものというべきであるから、本件手術は季肋部の突出の整容を主目的とし、その療法としてNuss法による胸郭矯正と季肋部軟骨の切除が行われたと認めるのが相当である。

これに対して、控訴人らは、本件診療契約の目的が漏斗胸の治療を目的とするものであると主張するが、上記主張が健康改善のために漏斗胸手術が行われたものであるとの趣旨とすれば、採用できない。

四  争点(3)(Nuss法及び季肋部肋軟骨形成術における手技上の過失の有無)について

被控訴人は、控訴人B山医師の本件手術が不十分であったため、①季肋部の突出具合が改善されていない、②プレート位置より上(首側)の凹みが解消していない、③プレートと季肋部の間(季肋部上部)の凹みが解消していないなど所期の目的が達成されず、また、本件手術のため、④季肋部肋軟骨に二つの突出が生じ、ゴツゴツした形になり、手術前と比べて奇異な外観となる、⑤乳房、特に右乳房がつぶれたような形になって脇側に広がる、⑥肋軟骨を切ったり削ったりした季肋部の直下(腹側)が凹む、⑦プレートが挿入された左右の皮切位置あたりに指先が入るような凹みが出現するなどの被害が生じたものであり、控訴人B山医師には手技上の過失がある旨主張する。

しかし、①の季肋部の突出具合について相応の改善が図られたことは後記六で説示するとおりである。また、甲A一、A八、乙A三の本件手術後の写真によれば、②の「プレート位置より上の凹み」や③の「プレートと季肋部の間(季肋部上部)の凹み」は認められず、本件手術後間もない時期において、他に上記部分に外観上目立った凹みがあることを認めるに足りる客観的な証拠はない。

次に、④の「季肋部肋軟骨の二つの突出」が生じていることはそのとおりであるが、それが手技上の過失によるものでないことは後記六に説示するとおりであり、甲A一の本件手術前の写真(①、②)と本件手術後の写真(⑧、⑨)を比較しても、本件手術前と比べて奇異な感じになったとは認められない。また、甲A一、乙A三の本件手術後の写真によれば、⑤の「乳房、特に右の乳房がつぶれたような形になって脇側に広がる」、⑥の「季肋部の直下(腹側)が凹む」などの状態も認められず、他に外観上目立った乳房のつぶれや季肋部直下の凹みを認めるに足りる客観的な証拠はない。さらに、《証拠省略》によれば、⑦のプレート挿入部位の凹みは、Nuss法による手術を行う場合には必然的に生じるものと認められ、これを手技上の過失によるものということはできない。

被控訴人の上記主張は採用できず、他に、控訴人B山医師の手技上の操作に過失があったとする事情を認めるに足りる証拠はない。なお、本件手術後、被控訴人にしゃっくりが発生した事実が認められ、その原因が本件手術にある可能性はあるが、さらに進んで本件手術操作に何らかの誤りがあったことを認めるに足りる証拠はないから、このことをもって手術操作上の誤りがあったと認めることもできない。

五  争点(4)(季肋部の修正義務(フォロー義務)の有無)について

この点に関する被控訴人の主張は、本件手術の結果が手技上の過失ないしはNuss法を施行したことによって不適切な結果が生じたことを前提とし、本件診療契約の目的である季肋部の突出の解消のため、医師が再手術の施行や、他の医師の紹介等の便宜を図る義務を負うというものである。

しかし、上記四で説示したとおり、控訴人B山医師が本件手術操作において何らかの誤りを犯した事実は認められないし、また、Nuss法を施行したことにより不適切な結果が生じたと認めることもできない。そうすると、この点に関する被控訴人の主張は前提を欠き、理由がない。

六  争点(5)(手術による季肋部の改善の有無)について

(1)  CT写真上の変化

平成一二年八月八日検査時と平成一五年六月一六日検査時のCT写真(切断面)を比較すれば、胸骨の劔状突起部は、前者においては腹側正中部にくぼんだ部分がみられるのに対し、後者においてはそれがみられなくなっている(乙A三、A五、A六の一・二)。

また、甲A五、A一一、A一二、乙A四、A五の本件手術前後のCT写真(右ないし左側部)を比較すれば、本件手術前は季肋部の突起が胸骨より前より出て季肋部の突出(反り返り)が明瞭に観察されるが、本件のNuss法にプレート挿入手術により胸骨が前に押し出され胸郭が拡大されたため、本件手術後は、季肋部の突起は胸骨の位置とほぼ同じ位置に観察されるのであって、季肋部の突出状態は相応に改善されたことが見て取れる。

(2)  外見上の変化

ア 本件で提出されている被控訴人の胸腹部写真は経時的にみると、次のとおりである。

A 甲A一の①②の写真

二〇〇〇年(平成一二年)八月(本件手術前)

乙A三の左側の写真も同じ

B 甲A一の③④の写真

二〇〇一年(平成一三年)六月(本件手術後)

C 甲A一の⑤ないし⑦の写真

二〇〇一年(平成一三年)八月(本件手術後)

乙A三の右側の写真も同じ

D 甲A一の⑧ないし⑪の写真

二〇〇四年(平成一六年)六月甲A一四の①ないし⑥の写真

二〇〇四年(平成一六年)六月~七月

E 甲A八の写真

二〇〇五年(平成一七年)一二月(聖路加病院での手術後)

F 甲A一四の⑦⑧の写真

二〇〇六年(平成一八年)三月(同)

イ これらによれば、被控訴人の胸部については、以下のとおり認められる。

(ア) 本件手術前のAの写真によれば、両乳房の間に挟まれた部分(正中部)が、同部分の上下に比べて凹んだ状態になっており、両乳房の直下において季肋部の突出がある。ただし、極端に目立つ状態ではない。

(イ) B及びCの時期の写真によれば、胸の凹みは改善され、季肋部の突起も幾分減少し、その結果、季肋部の突出が相対的に減じている、すなわち目立たなくなったことが見て取れる。

(ウ) Dの時期の写真によれば、被控訴人の両乳房直下にある季肋部の突出が確認できるほか、左側季肋部の突出部分の上下方向の中心部分に凹みが見られ、そのため、その上端と下端に二つの丘状突起が見える状態になっている。

(エ) E及びFの写真(聖路加病院手術後)によれば、季肋部の上記丘状突起は解消されており、両側季肋部の突出の程度が減少していることが見て取れる。

ウ 上記認定事実によれば、本件手術前のA写真と本件手術後のB及びCの写真との対比から明らかなとおり、本件手術前より、外観的にも季肋部の突出については相応の改善があったものと認められる。

もっとも、本件手術から約四年経過したDの時期の写真によれば、季肋部については局所的に本件手術前に見られない新たな形態の突起(二つの丘状突起)が現れてきたことが見て取れるが、《証拠省略》によれば、上記突起の現出は、肋軟骨のような硬組織は切除すれば減るが、可動性があり、また周囲の腹壁は軟組織であるため、再び季肋部の軟骨が時間の経過とともに前に出てきたものであり、また、上記二つの丘状突起は、第七ないし九助軟骨の削りないし切除等により生じたもので、軟骨が経年変化により前に出て来るのに伴い少し目立つようになったものと推定される。したがって、上記新たな形態の突起の現出は、本件手術が所期の目的を達しなかったことを意味しないというべきである。

(3)  以上検討したところによれば、本件手術は、一応所期の目的を達しているというべきであり、被控訴人が主張するように、季肋部の突出の改善が全く見られなかったということはできないというべきである。

なお、平成一八年九月七日に聖路加病院のD原医師が作成した被控訴人についての診断書には、病名として「漏斗胸」、附記として「上記にて他院手術後に来院。漏斗胸にて挿入された金属板(Nuss法によるもの)、および両側胸郭突出、陥凹変形を認めた。二〇〇四年八月五日より入院にて金属板の抜去、胸郭変形部の修正を行った。術後経過良好にて同年八月一二日退院した。突出、陥凹変形した胸郭は修正された。その後約一年間経過観察し手術痕の安定を確認して二〇〇五年八月二三日終診となった。」と記載されているが、この診断内容も、本件手術から約四年経過した後のものであり、被控訴人の季肋部が本件手術後に経年的に変化した状態に関するものと認められるのであって、上記判断を左右するものではない。

七  争点(2)(季肋部の突出解消に対する療法選択についての診療上の義務違反及び説明義務違反の有無)について

(1)  療法選択についての診療上の義務違反の有無

前記一(2)によれば、控訴人B山医師は、被控訴人を診察した上、被控訴人の胸部が凹んでいることから、被控訴人の胸部の状態が漏斗胸であり、その程度は、直ちに手術をしなければ健康上の支障が生ずるほどのものではないものの、手術適応にならないほど軽度ではなく標準的なものであると判断し、また、被控訴人が季肋部の突出を指摘している点については、季肋部が人の標準的状態に比べて突出しているのではなく、胸部が凹んでいるために季肋部が突出しているように見えているので、漏斗胸を改善し、併せて季肋部軟骨に操作を加えることで被控訴人の訴えに対応した治療をすることができると判断し、Nuss法を含む本件手術を施行したことが認められ、被控訴人の主訴及び前記二の医学的知見に照らしてみて、その診療上の判断に不合理な点は認められない。そして、実際にも、前記六で認定判断したとおり、被控訴人の漏斗胸は改善され、季肋部の突出も外見上相応の改善が見られたものである。

被控訴人は、被控訴人の季肋部の突出解消のためには漏斗胸手術を行わずに肋骨軟骨形成術のみを行えば足りたかのように主張するが、原審で控訴人B山医師は、被控訴人のような漏斗胸患者の場合、季肋部の突出解消を季肋部軟骨の切除だけで対処しようとすると、大量の切除は避けられず、逆に腹部が突出するなど予想がつかない害悪が生ずるおそれがあり、医学的に適切とはいえない旨述べており、これを不合理ということはできず、被控訴人の上記主張は採用できない。

また、被控訴人は、漏斗胸に対する手術について、Nuss法が平成一二年当時において試行的な術式であるに止まっていたとし、Nuss法による手術を選択したのは相当でないと主張するが、前記二のとおり、Nuss法が本件手術当時において試行的な術式にとどまるものであったとは認められず、その手術が不合理な選択であったといえないことは上記に説示したとおりである。被控訴人の上記主張は採用できない。

したがって、控訴人B山医師の療法選択が診療上の義務に違反したものということはできない。

(2)  療法選択についての説明義務違反の有無

患者は、医師から診察及び治療を受けるに当たり、治療を受けるか否かについて自らの意思で判断することが出来るものというべきところ、患者は自らの病態及び行うべき治療内容等、医療全般に対する正確な知識を欠くのが通常である。したがって、医師は、患者の判断に資するため、患者と診療契約を締結するに当たり、患者に対し、患者の病態、治療内容及び治療結果の見込み等について説明をする義務を負うというべきである。

ところで、前記一(2)ア及びイにおいて認定したところによれば、控訴人B山医師は、被控訴人の季肋部の突出は、胸部正中部の凹みが原因となっているから、治療法として漏斗胸の手術をするが、胸骨を持ち上げると季肋部も上がるので季肋部に操作を加える必要があると判断し、そのことを被控訴人に手術症例をまとめた本件アルバム(乙A九)等を示して説明していることが認められる。

そして、前記六のとおり、控訴人病院における手術後に被控訴人の漏斗胸による胸部の凹みが改善され、併せて行った肋骨軟骨の切除等の季肋部の操作により季肋部の突出も相応に改善されたと認められることからすると、控訴人B山医師の説明内容は適切なものであったというべきである。なお、控訴人B山医師がNuss法以外の従前の術式について提案しなかったこと及びその理由は、前記一(2)イのとおりであり、その判断を不合理ということはできない。したがって、同医師に説明義務違反があったと認めることはできない。

もっとも、控訴人B山医師は、本件手術施行後の数年経過後に、再び肋軟骨の可動性や軟組織である腹壁のふくらみ等から、被控訴人の季肋部の突出が再燃する可能性などについてまでは言及していないことが認められる。

しかし、診療は、各種の診察、検査を経て診断がなされ、これに対する治療手段の決定がなされ施行されるものであり、人体の組織機能の複雑さのゆえに、その反応の予測はしばしば困難であり、患者の希望する疾患の治癒を確実かつ永続的に約束するものではない。そして、特に身体の整容という目的で手術した場合、手術後に身体の経年的変化や加齢現象が生じ、外観にどのような変化が生ずるかを予測することは極めて困難な事柄であると考えられ、また、その変化の程度が外見上問題になる程度であるかどうかも患者の主観に左右されることが大きいことからすれば、医師がこれらについて逐一説明する義務を負うとすることは相当でないというべきである。

しかも、控訴人B山医師が説明に用いた乙A九の本件アルバムの中には、「73」、「78」、「89」のように、Nuss法の手術後であってもなお、季肋部の突出が観察される例がいくつか含まれていることが認められる。そうすると、控訴人B山医師としては、Nuss法による胸郭矯正と肋軟骨切除の術式によりほぼ被控訴人の季肋部の突出の改善は図れると予想したとしても、なお幾例かは手術後の経過によっては季肋部の突出が残ることがあり得るとの前提で被控訴人に術式及びその効果を説明したとみるのが相当であり、被控訴人としても診療行為の不確実性から、場合によっては術後季肋部の突出が残ることもあり得ることは当然予測できたというべきである。加えて、被控訴人が季肋部に、前記甲A一の写真⑧ないし⑪や甲A一四の①ないし⑥の写真のような被控訴人のいう二つの丘状の突出を意識するようになったのは、証拠上、本件手術から約四年経過した平成一六年夏頃以降と認められ、そうした状態が出現するかどうかは手術の時点では予測不可能のことであったと認められるから、控訴人B山医師において、手術から数年経過後の状態まで予測してこれを被控訴人に説明する義務があったということはできない。

したがって、控訴人B山医師に、本件手術施行のための被控訴人の同意を得るについて、必要かつ十分な説明を欠いたということはできないというべきである。

八  結論

以上の次第で、その余について判断するまでもなく、被控訴人の診療契約上の債務不履行に基づく請求及び不法行為に基づく請求は理由がなく、棄却を免れない。

よって、これと異なる原判決は不当であるから、これを取り消して、被控訴人の請求を棄却することとし、また、被控訴人の附帯控訴は理由がないから棄却することとし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 青栁馨 裁判官 豊田建夫 長久保守夫)

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