東京高等裁判所 平成19年(医ほ)32号 決定 2007年12月21日
主文
本件抗告を棄却する。
理由
本件抗告の趣意は,付添人丁木三郎作成の抗告申立書記載のとおりであるから,これを引用する。
所論は,事実誤認の主張である。
第1 対象行為の不存在の主張について
所論は,要するに,対象者には,①窃盗の故意がなく,②逮捕を免れる目的がなく,③暴行行為に誤想防衛が成立するので,事後強盗が成立せず,対象行為が存在しないのに,対象行為である事後強盗の成立を認めた原決定には,重大な事実の誤認がある,というのである。
そこで,記録を調査して検討すると,原決定が「第1 対象行為」の「2 付添人の主張に対する判断」において認定,説示するところは,当裁判所も,その結論について,正当として是認することができる。所論に鑑み,以下に補足して説明する。
なお,検察官は,その審判の申立てにおいて,強盗致傷を対象行為としているのに対し,原決定は,なお書きにおいて,対象者が,その事後強盗の暴行行為により甲野太郎(以下「太郎」という。)及び甲野次郎(以下「次郎」という。)にそれぞれ傷害を負わせた事実を認定してはいるものの,対象行為としては飽くまでも事後強盗のみを認定している。確かに,心神喪失等の状態で重大な他害行為を行った者の医療及び観察等に関する法律(以下「医療観察法」という。)2条2項は,「この法律において『対象行為』とは,次の各号に掲げるいずれかの行為に当たるものをいう。」と定めた上,同項5号は,「刑法第236条,第238条又は第243条(第236条又は第238条に係るものに限る。)に規定する行為」と定め,強盗致傷罪の刑法240条を掲げていない。しかしながら,医療観察法2条2項5号に規定する行為を行ったことによるその結果的加重犯である強盗致傷も,同項の対象行為に該当すると解するのが相当である。なぜならば,対象行為は,同様の行為の再発の防止(医療観察法1条1項)という観点から,何が同様の行為であるかの判断等(同法33条,34条,37条,42条,49条,51条,54条,56条,57条,59条,61条,62条等)に当たって,その基準になるものであることなどに鑑みれば,強盗致傷が対象行為ではなく,それに含まれた強盗等のみが対象行為になると解するのは適当ではないからである(強盗致死や強盗殺人の場合には,その不合理が一層際立ったものになるであろう。)。もっとも,検察官が審判を申し立てた対象行為である強盗致傷の致傷の点が争われ,その点を認定するために多くの更なる事実調べが必要であり,事案の処理としてはそこまでの労を割く必要性もないなどの特段の事情が存する場合には,例外的に強盗のみを対象行為と認定することが合理的かつ適当なこともあるということができるが,本件においては,致傷の点は争われておらず,そのような特段の事情の存在も窺われない。したがって,原決定が,強盗致傷を対象行為とした検察官の審判の申立てに対し,致傷の事実も認定できるとしながら,強盗致傷は対象行為にならず,事後強盗のみが対象行為であると認定したのは,法令の解釈を誤ったものであるといわざるを得ないが,この点に関する原決定の誤りは,決定に影響を及ぼすものではないので,抗告審としての性質上,以下,原決定の認定した事後強盗のみを対象行為にするという前提で,所論に対する検討を進めることにする。
1 証拠によって認定できる事実
まず,関係各証拠によれば,原決定が「第1 対象行為」の「2 付添人の主張に対する判断」の「(2)当裁判所の認定する事実経過等」で認定した事実のほか,次のような事実が認められる。すなわち,
(1) 対象者は,平成19年9月9日午前5時ころ,東京都中央区内のAビル5階の太郎方居室(以下「本件居室」という。)内に無施錠の入口ドアから無断で立ち入り,同所にあった次郎所有のベルト1本及び太郎所有の靴下1足(時価合計約3200円相当。以下「本件各物品」という。)を手に取り,ベルトを肩に襷掛けのように掛けるなどして,それらを自己の占有下に置いた。
(2) 対象者は,本件居室において,茶箪笥の引き出しを開けようとした際,たまたま同室を訪れた甲野花子(当時67歳。以下「花子」という。)から,「何をしているんですか。」などと声を掛けられたので,花子の方に歩み寄りながら,花子に対し,「洋服をください。」などと言った。対象者は,花子から,「あなたは,泥棒じゃないですか。」などと尋ねられ,「はい,そうです。」などと答えた。
(3) 花子は,夫の太郎(当時64歳)に対し,「お父さん,早く来て。今,5階に泥棒がいるんです。」などと電話で連絡するとともに,対象者が逃げ出さないように,本件居室の入口ドアを閉めてそのノブを手で握り,室内にあった長さ約30センチメートルの木製の棒を手に取って構えた。
(4) 太郎は,二男の次郎(当時34歳)とともに本件居室に駆け付けたところ,花子が110番通報をしていた。太郎は,対象者に対し,「お前,何やってんだ。」などと大声で怒鳴り,花子が,「お父さん,捕まえて。」などと叫んだ。
(5) 花子は,気が動転して,110番通報も要領を得なかったので,太郎が,電話を代わり,「泥棒を捕まえたので,早く来てくれ。」などと警察に通報した。
(6) 次郎は,対象者が逃げないように,対象者が肩に掛けていたベルトを手で掴んだところ,対象者は,急に暴れ出し,次郎に対し,その顔面等を手拳で数回殴打するなどの暴行を加え,同人に全治約1週間を要する顔面打撲,胸部打撲及び右下腿擦過傷の傷害を負わせ,さらに,太郎に対し,その顔面を手拳で殴打し,その左手親指付け根付近を歯で噛みちぎるなどの暴行を加え,同人に全治約2週間を要する鼻骨骨折,左手皮膚欠損及び胸部打撲の傷害を負わせた。
(7) 次郎及び太郎は,次郎が対象者の肩に掛けていたベルトを手で掴み,太郎が対象者の横から羽交い締めにして,対象者を取り押さえ,強盗致傷の現行犯人として逮捕した上,駆け付けた警察官に対象者を引き渡した。
(8) 対象者は,定住者の在留資格で在留期間を1年ごとに更新しているフィリピン人であり,平成11年ころから東京都新宿区内の周辺でホームレスの生活を送っており,髪と髭をぼさぼさに長く伸ばし,爪も伸ばしたままの状態で,汚れた水色の縦縞ワイシャツ,濃紺のズボン及び茶色の革靴を着用していた。
(9) 対象者は,18歳のころに発症した妄想型統合失調症に罹患しており,幻聴,誇大妄想,被害妄想,意欲の低下,作業能力の低下,病識欠如等の症状を呈しており,その病状は重い。
(10) 対象者の前記(1)及び(6)の行為は,妄想型統合失調症の症状である幻聴,妄想等に基づいて行われたものであり,対象者は,その行為の当時,心神喪失の状態にあった。
2 事後強盗の成否
ところで,所論は,対象者の幻覚妄想状態の中での認識に基づき,①対象者が,本件各物品の所有者である亡くなった元警察官と霊界で会話をして,同警察官から,本件各物品を持ち出すことについて明確な承諾が得られたと認識していたのであるから,対象者には窃盗の故意がなく,②対象者が,花子に最初に発見された際には,容易に逃走できたにもかかわらず,逃走する素振りすら見せておらず,太郎及び次郎が対象者を殺そうとするやくざであると認識し,太郎及び次郎の行為が逮捕行為であるとは考えていなかったのであるから,対象者には,逮捕を免れる目的がなく,③対象者が,太郎及び次郎の行為を逮捕行為であるとは考えておらず,両名から自己に対する急迫不正な侵害があると誤認し,自己の身を守るために両名に暴行を加えたのであって,対象者の暴行行為が誤想防衛に該当するのであるから,対象者には,事後強盗が成立せず,対象行為が存在しない旨主張する。
確かに,対象者は,捜査段階及び原審の本人質問において,「私は,おばあさんとその息子の元警察官が二,三日前にその部屋で殺されたことを霊的な磁場や第六感的なもので知り,その部屋に入った。私は,ホームレスなので,着替えか何かがあればと思ったが,その部屋がやくざに荒らされていることが分かったので,犯罪者を追うために必要な護身用にベルトを貰い,それを肩に巻き付けて装備した。私は,『ベルトを貰いますよ。』と書いたメモを残そうと思ったが,それを行うこともできずに現在に至っている。私は,持ち主である死んだ元警察官に対し,魂と魂とで会話をしており,ベルトについては会話をしなかったが,『頂きました。ありがとうございました。』というメモを残せば,元警察官が駄目とは言わないと思う。二人の男が下からほぼ同時に上がってきたが,その二人は,やくざで,私に対し,殺す気で襲い掛かってきた。若い方は,私を掴んでもみくちゃにし,年を取った方は,私を殴ったり,蹴ったりした上,木の棒で私の左脇腹を突き,私の首を絞めようとした。そこで,私は,自分の身を守るために,その二人と揉み合ったのであり,噛み付いて,年を取った男の手を破壊していなければ,首を絞められて死んでいた。私は,『泥棒じゃないよ。』と言ったところ,揉み合いが,終わりになった。私を見付けて電話をしていたおばさんとその二人の男は,ぐるになって,おばあさんと元警察官を殺した犯人であり,その3人を含めた約11人のやくざがその部屋を荒らしている。私は,二人の男が襲い掛かったきたので,それに対処したまでであり,逮捕を免れようとして暴れたわけではない。」旨供述している。
しかしながら,対象者が,病状の重い妄想型統合失調症に罹患しており,心神喪失の状態に当たる妄想型統合失調症による幻覚妄想状態の中で幻聴,妄想等に基づいて行った行為について,対象行為に該当するかどうかを認定するに当たっては,対象者自身の幻覚妄想状態の中での認識に依拠して対象者の行為を評価するのではなく,対象者の行為を客観的・外形的に見た場合に,対象者が通常人であれば,どのような認識や意図でその行為を行ったものであると認定できるかという観点から,対象者の行為を評価すべきものであると解される(ちなみに,対象者が,捜査段階及び審判段階を通じて完全に黙秘している場合には,そのような認定方法を採らざるを得ないことになる。)。なぜならば,対象行為が成立するための客観的な要件が備わっており,通常人の観点から見た判断によれば,明らかに対象行為に該当すると認定できる対象者の行為について,対象者自身の幻覚妄想状態の中での認識に依拠した場合には,対象行為が成立するための主観的な要件を欠くことになり,対象行為に該当しないとの結論にならざるを得ないことも起こり得るからである。そして,そのようなことになったのでは,心神喪失の状態で重大な他害行為を行い,医療観察法による継続的かつ適切な医療を受けることを真に必要としている対象者が,そのような医療を受けられないことになり,同法1条1項の定める「心神喪失等の状態で重大な他害行為(他人に害を及ぼす行為をいう。以下同じ。)を行った者に対し,その適切な処遇を決定するための手続等を定めることにより,継続的かつ適切な医療並びにその確保のために必要な観察及び指導を行うことによって,その病状の改善及びこれに伴う同様の行為の再発の防止を図り,もってその社会復帰を促進する」という同法の目的に違背し,同法の立法趣旨に反することになるからである。
そこで,以上のような観点から,対象者の前記1の(1)及び(6)の行為を評価すると,その行為は,客観的・外形的に見た場合,対象者が通常人であれば,本件居室内において,ベルト1本及び靴下1足が他人の所有物であることを認識しながら,所有者の承諾なく,それらを窃取したところ,次郎及び太郎から逮捕されそうになったため,その逮捕を免れるために,次郎及び太郎に対し,その反抗を抑圧するに足る暴行を加えたものであり,誤想防衛も成立しないことが十分に認定することができるのである。したがって,対象者の上記行為が刑法238条に規定する事後強盗の行為に当たることは,明らかというべきである。
これに対し,所論は,対象者としては,本件各物品を貰うことにつき所有者から承諾を得ており,逮捕を免れる目的がなく,次郎及び太郎から急迫不正の侵害を受けたと認識していたので,窃盗の故意がなく,暴行行為に誤想防衛が成立し,事後強盗が成立しない旨主張しているが,その立論の前提となる対象者の認識は,いずれも対象者の幻覚妄想状態の中での認識である。そして,本件のような病状の重い妄想型統合失調症に罹患している対象者について,そのような心神喪失の状態に当たる幻覚妄想状態の中での認識に依拠して対象行為の存否を判断することが適当でないことは,前述のとおりであり,所論は,失当である(なお,原決定は,対象者の幻覚妄想状態の中での認識に依拠した上で,対象者には,窃盗の故意や逮捕を免れる目的が認定でき,誤想防衛も成立しないので,事後強盗が成立する旨説示しているところ(例えば,本件各物品が他人の所有物であるという対象者の認識も,その所有者が死亡した元警察官であるという幻覚妄想状態の中での認識であり,原決定は,そのような幻覚妄想状態の中での対象者の認識に基づいて,故意を始めとする窃盗に該当する事実の認識を認定した上,それに依拠して,逮捕を免れる目的を認定し,誤想防衛の成立を否定している。),そのような原決定の認定方法自体は,不適当といわざるを得ないが,本件においては,たまたま対象者の幻覚妄想状態の中での認識に依拠したとしても,原決定が説示するように,事後強盗の成立を認めることができるのであるから,仮に,原決定の認定方法に基づく認定を行ったとしても,所論は,採用することができない。)。
3 結論
したがって,対象者には事後強盗が成立すると認定した原決定は,その結論において正当であって,事実誤認をいう所論は,理由がない。
第2 処遇に関する事実誤認の主張について
所論は,要するに,対象者については,指定通院医療機関への通院と服薬の継続によっても十分に治療が可能であり,その方が,より効果的な治療となるのに,入院させて医療を受けさせる必要があると認めた原決定には,重大な事実の誤認がある,というのである。
そこで,記録を調査して検討すると,原決定が「第3 処遇の理由」において認定,説示するところは,当裁判所も正当として是認することができる。所論に鑑み,以下に補足して説明する。
1 入院医療の必要性
(1) 関係各証拠によれば,前記第1の1で認定した事実のほか,次のような事情が存在することが認められる。すなわち,
ア 対象者は,鑑定入院の当初には,「なぜ薬を飲ませるのか。俺を誰だと思っているんだ。皇族だぞ。お前ら,そんなことすると,エイリアンを出すぞ。」などと叫んで暴れ,身体を拘束されるなどした。
イ 対象者は,鑑定入院中の薬物療法により,当初に出現していた精神運動興奮状態や不穏さについては改善が見られる一方で,幻聴,誇大妄想,被害妄想等の症状については余り改善していないが,長く投薬を継続すれば,寛解が期待され,治療反応性の存在が認められる。
ウ 対象者は,これまで長くにわたってホームレスの生活を送っており,自分を支援してくれる知人等もおらず,病識が全くないので,自ら精神科に通院し,服薬を継続することは期待できない。
エ 対象者の実母は,永住者の在留資格を有するフィリピン人で,対象者の義父及び異父弟とともに,千葉県B市内に居住しており,対象者に対する支援の意思はあるものの,対象者を自宅に引き取ることには消極的で,先に病気を治してほしいとの希望を有している。
オ 対象者は,原審の本人質問において,「自分の信念があるので,犯罪者を追うのは,まだそのまま続ける。犯罪者を追っていく過程で,今回のようにやくざと思われる人が襲ってくれば,自分の身は自分で守るので,再び同じ状況になる。」などと供述しており,継続的かつ適切な医療を受けなければ,対象行為の事後強盗と同様の行為を行うことが懸念される。
(2) これらの事情に照らすと,病状の重い妄想型統合失調症に罹患している対象者について,対象行為を行った際の精神状態を改善し,これに伴って同様の行為を行うことなく社会に復帰することを促進するために,対象者を入院させて医療観察法による医療を受けさせる必要があることは,十分に認めることができる。
2 付添人の主張に対する判断
(1) これに対し,所論は,原決定の認定を基礎としても,対象者の妄想型統合失調症と密接な関連があるのは,住居への侵入行為のみであり,その後の暴行については,疾病との関連性がほとんど認められないのであって,原決定が,対象者について,他人のベルト等を手に確保したという窃盗に該当する事実の認識があり,逮捕を免れるために暴力を振るったという幻聴,誇大妄想等の影響を受けない了解可能な事実の流れを認定し,誤想防衛も成立しないと説示する一方で,幻聴,誇大妄想等の疾病が対象行為を惹起したと認定しているのは,矛盾している旨主張する。
しかしながら,対象者は,対象行為の事後強盗の際,護身用ということで,窃取したベルトを肩に襷掛けのように掛けたり,次郎及び太郎に対し,「お前みたいなガキがいるから,性犯罪が起きるんだ。俺は,霊感があるんだ。ばあちゃんがやくざに追われている。線香を上げに来た。」などと趣旨不明の発言をしているのであって,原審鑑定人の医師乙山一郎の精神鑑定や捜査段階における医師丙川二郎の精神衛生診断のとおり,対象者の事後強盗が妄想型統合失調症による幻覚妄想状態の中で幻聴,妄想等に基づいて行われたものであることは明らかであり,そのことと対象行為としての事後強盗の成立とは何ら矛盾するものではない。
(2) また,所論は,対象者が,「医者に任せているので,医者の指示に従う。」旨述べているのであるから,入院ではなく,通院により服薬を継続することが十分に可能である旨主張する。
しかしながら,対象者が妄想型統合失調症の病識を全く有していないことは,原審の本人質問等からも明らかであり,対象者の妄想型統合失調症の病状が重いことや,知人又は親族等による対象者の治療を支える態勢も備わっていないことなども併せ考えると,通院により服薬の継続を図ることは困難というほかないのであって,入院による医療が必要なことは,多言を要しないというべきである。
3 結論
したがって,対象者には医療観察法に基づく入院による医療が必要であると判断し,医療を受けさせるために対象者を入院させることにした原決定は,正当であって,事実誤認をいう所論は,理由がない。
よって,本件抗告は理由がないので,医療観察法68条1項後段により,主文のとおり決定する。
(裁判長裁判官 高橋省吾 裁判官 服部悟 裁判官 田村眞)