東京高等裁判所 平成2年(う)1216号 判決 1991年10月30日
本籍
東京都中野区江古田一丁目二六六番地
住居
同都杉並区荻窪五丁目三〇番一二-一一〇二号
会社員
片桐忠夫
昭和一七年八月二九日生
右の者に対する所得税法違反被告事件について、平成二年九月一四日東京地方裁判所が言い渡した判決に対し、被告人から控訴の申立てがあつたので、当裁判所は検察官平本喜祿出席の上審理し、次のとおり判決する。
主文
本件控訴を棄却する。
理由
本件控訴の趣意は弁護人西山彬、同萩原太郎連名の控訴趣意書に、これに対する答弁は検察官小野拓美名義の答弁書にそれぞれ記載のとおりであるから、これらを引用する。
控訴趣意第一点(事実誤認の主張)について
論旨は、要するに、原判決が、原判示第三の昭和六一年分の被告人の所得につき、雑所得に当たる「取得金・謝礼金」(以下「謝礼金等」という。)として認定した五億〇四七〇万円のうち、別紙一覧表記載の取引に関する謝礼金等合計一億六二六〇万円は、総てサンエーライフサービス株式会社(以下、会社名については、初出時を除き、「株式会社」の表示を省略する。)が業者から直接支払いを受け、同社の収益に帰したものであつて、被告人に帰属しないから、原判決には判決に影響を及ぼすことの明らかな事実誤認がある、というのである。
しかしながら、原判決挙示の関係証拠を総合すれば、原判示第三の事実は、所論取引に関する謝礼金等の帰属の点をも含め、優にこれを肯認することができ、原審記録及び証拠物を精査し、当審における事実取調べの結果をも併せて検討してみても、原判決に所論のような事実の誤認があるとは認められない。所論にかんがみ若干敷衍して説明する。
被告人の検察官に対する各供述調書、三上邦和の検察官に対する各供述調書、若松俊男の検察官に対する各供述調書謄本その他の関係証拠によれば、次の事実を認めることができる。
被告人は、マンションの建築、販売業等を営む株式会社初穂の事実上の最高責任者として同社の業務全般を統括し、昭和五八年九月には取締役に、同六〇年九月には常務取締役の地位に就いていた者であるが、同五七年ころから初穂の扱う不動産取引に絡んで取引を仲介した業者らから謝礼金を貰うようになり、同五八年後半以降は、自ら積極的に謝礼金等の名目で金員の取得を企てるようになつた。その方法は、初穂の従業員で、マンションやビル用地の購入及び売却を担当していた部下の田中稔及び若林政雄と各別に相謀つた上、同人らの扱う不動産取引において、架空あるいは水増しした仲介手数料や企画料を事情を承知した業者らに支払い、その業者らから被告人らの取得分を返還させ、それを右部下らと折半して取得したり、初穂の行う不動産取引の仲介を多く手掛けていた株式会社オーシャンファームの代表取締役社長若松俊男(以下「若松」という。)らから、その得た仲介手数料の一部を被告人に謝礼金等として支払わせるというものであつた。
被告人は、このようにして得た所得を隠蔽し、所得税を免れるため、被告人らに謝礼金等を支払つた業者らをして、架空の領収証により第三者への支払いを仮装する経理処理を行わせたり、昭和六〇年頃からは、友人の幸本守平に依頼して、同人の経営する順幸産業株式会社に手数料を支払い、同社に若松のオーシャンファームからの謝礼金等を受け取らせた上、これを被告人に返戻させるなどした。そして、このようにして得た謝礼金等収入で、知人から名義を借用してマンションを購入したり、無記名債券を購入するなどした。
更に、昭和六一年に入つてからは、不動産業を営む目的でサンエーライフサービスを設立した友人の三上邦和(以下「三上」という。)に対し、同社の経費負担に応ずるなどの経営支援を交換条件に、被告人が受領すべき謝礼金等を同社が代わつて受け取り、これにより被告人からの指示に従い不動産を購入するなどしてもらうことの承諾を取り付けた上、若松のオーシャンファーム等からの謝礼金等を受領の際、若松らに依頼してサンエーライフサービスに入金させ、三上に指示して、同社に蓄えられた資金で不動産を購入させるなどしていた。
右のような経過で昭和六一年中にサンエーライフサービスに入金になつた謝礼金等の総額は一億六二六〇万円であり、その原因となつた個々の取引の月日、物件名、受取月日及び受取謝礼金等の額は別紙一覧表記載の番号1ないし6の取引のとおりであり、各謝礼金等の取得経過は次のとおりである。
番号1(港区三田物件)の取引は、西北実業株式会社の白石瑞男とオーシャンファームの若松の仲介により成立した取引であるが、被告人は若松との間で払戻しを受ける謝礼金等の額を二九〇〇万円と合意し、被告人の希望により、二〇〇〇万円は被告人が直接現金で受け取り、残りの九〇〇万円をサンエーライフサービスへ支払わせた。
番号2(港区虎ノ門物件)の取引は、前記田中が担当した取引であるが、被告人と田中は、この取引を仲介した松村エンタープライズ株式会社の代表取締役社長加藤嘉夫(以下(加藤」という。)と交渉し、初穂が松竹エンタープライズに仲介手数料として一億円を支払い、同社はその半額を被告人らに払い戻すこととなつたが、被告人と田中との間では、同人が関与して得た謝礼金等については、被告人と折半の約束になつていたので、被告人は加藤に依頼して、自己の取得分である二五〇〇万円をサンエーライフサービスへ支払つてもらうこととした。
番号3(千代田区神田神保町物件)の取引は、これより先、オーシャンファームの若松が、同取引に係る物件の購入話を一旦初穂に持ち込んだが、その後他に回して成立させたものである。被告人は右経過を種に若松に金員を要求するとともに、その支払先としてサンエーライフサービスを指定し、オーシャンファームをしてサンエーライフサービスに一七三〇万円を支払わせた。
番号4(新宿区西新宿物件)の取引は、同取引に係る物件をオーシャンファームの若松が初穂に持ち込み、被告人は同社の本社ビル建設用地としてこれを購入したものの、通行権問題が絡んで土地の利用が制約される状況だつたので、他に転売した一連の取引中の転売の部分に当たるところ、被告人は若松と話し合い、オーシャンファームがこの取引の仲介者として初穂から受ける報酬から九六八〇万円を被告人に謝礼金等として払い戻させることとした上、若松に依頼して、そのうちの四四〇〇万円をサンエーライフサービスへ支払わせた。
番号5(品川区上大崎物件)の取引は、オーシャンファームの若松の仲介により株式会社グロリア初穂が松竹エンタープライズから同取引に係る土地を購入したというものであるが、被告人は若松と話し合い、オーシャンファームがこの取引の仲介者として右グロリア初穂から受ける報酬から五〇〇〇万円を被告人に謝礼金等として払い戻させることとした上、若松に依頼して、これをサンエーライフサービスへ支払わせた。
番号6(渋谷区神泉町物件)の取引は、オーシャンファームの若松の仲介により、初穂が他から同取引に係る物件を購入し、買戻条件付きで他に転売した後、これを買い戻した一連の取引中の買戻しの部分に当たるところ、被告人は若松と話し合い、オーシャンファームがこの取引の仲介者として初穂から受ける報酬から一七三〇万円を被告人に謝礼金等として払い戻させることとした上、若松に依頼して、これを前記白石の経営するタイヘイホーム株式会社からサンエーライフサービスへ支払う形にしてもらつた。
被告人は、右番号1、2の取引で得た謝礼金等を、当初被告人名義で購入を申し込み、手付金三七五万円を支払つていたマンション・ルネ御苑プラザ一四〇四号室の購入資金に充てることとし、買主をサンエーライフサービスに変更した上、三上に指示して右謝礼金等で購入代金を支払わせ、なお不足の購入代金の支払いについては、同人に五〇〇〇万円の債券を交付してこれを換金させ、そのうちの四〇〇〇万円をもつて支払わせるとともに、この四〇〇〇万円について架空の借入れを起こさせ、これを同社の公表経理に計上させた。
被告人は、右のとおりサンエーライフサービスに入金させ蓄えた資金により、右マンション・ルネ御苑プラザ一四〇四号室を購入したほか、同マンション及び後記マンション・ネオキャステール赤坂四〇一号室の内装工事費、高級乗用自動車の購入代金及びその買換え代金、マンション・日神シルバーパレス鷺宮四〇二号室購入の手付金、フィット・リゾートマンション・スポルシオン一〇〇四号室購入の手付金、ハワイの土地の購入代金の支払い等に充当した。
また、被告人は、サンエーライフサービスに蓄えた謝礼金等が一時的に不足したときには、三上に現金を渡したり、債券を渡して換金させたり、同人に指示して、前記マンションに抵当権を設定し、銀行から借入れをして資金を捻出させたりし、時には同社に一時の立換え支払いを求めたこともあつた。
その他、被告人は、昭和五八年にマンション・ネオキャステール赤坂四〇一号室を他人名義で購入していたが、昭和六一年七月、売買を仮装してその所有名義をサンエーライフサービスに移転した。
以上の事実を認めることができ、所論も大筋においては右事実関係を認めて争わないところである。
右事実関係に照らすと、若松のオーシャンファームや加藤の松竹エンタープライズから三上のサンエーライフサービスに入金された謝礼金等は、被告人が、初穂の事実上の最高責任者としての影響力を行使して若松や加藤と交渉した結果、いわゆるキックバックないしリベートとして取得することとなつたのであつて、その適法性の有無はともかく、これらを授受すべき原因関係は、オーシャンファーム又は松竹エンタープライズと被告人との間にのみ存在し、両社とサンエーライフサービスとの間には全く存在しない。右謝礼金等がサンエーライフサービスに入金されているのは、被告人において、自己の所得を秘匿する目的で、サンエーライフサービスを支払場所に指定し、同社をして代理受領させたためにほかならない。したがつて、オーシャンファーム等からの謝礼金等は、これらがサンエーライフサービスに入金されることによつて、被告人に対する支払いが履行されたこととなり、このときに被告人の所得に帰したものというべきである(弁護人らは、この関係をサンエーライフサービスを受益者とする第三者のためにする契約であると主張するかの如くであるが、前示認定の本件事実関係に照らし、採るを得ない。)。そして、被告人が、その後も代理受領した金員をサンエーライフサービスに保有させ、管理・運用を委任しているのは、同社と被告人の間の別個の原因関係に基づく被告人の所得の処分であるに過ぎない。所得の処分である以上、それが消費貸借、消費寄託、贈与、寄付、出資その他どのような形態を取ろうと、一旦被告人に生じた所得の成否に影響を及ぼすことはあり得ないのであつて、所論サンエーライフサービスの法人格、本件謝礼金等の管理・運用方法、その他の事情は、右の結論を左右するに由ないところといわなければならない。
そのほか、所論は、昭和六二年中における同様の入金事案二件(同年三月三日入金に係る二四二〇万円及び同年一〇月二七日入金に係る二二一七万円)について、サンエーライフサービスがこれを同社の収益として税務申告したところ、これが税務当局により受け入れられたとして、この事実を援用するけれども、関係証拠によれば、被告人は同年六月頃から、税務当局の査察が自己に及ぶことを恐れ、三上に指示して右入金を同社の収益として申告させることが窺われる上、右申告について税務当局がどの程度の調査検討を加えたかも証拠上不明であるので、右取引に係る申告及びそれに対する税務当局の対応の点は、前示認定の妨げとなるものではない。
以上の次第で、原判決に所論のような事実の誤認があるとは認められず、右論旨は理由がない。
控訴趣意第二点(量刑不当の主張)について
原審記録及び証拠物を調査し、当審における事実取調べの結果をも併せて原判決の量刑の当否を検討すると、本件は、不動産会社の業務全般を統括していた被告人が、昭和五九年から同六一年までの三年間にわたり、会社の行う不動産取引に絡んで取引を仲介した業者らから謝礼金等を徴したり、架空あるいは水増しした仲介手数料等を会社から業者らに支払い、その業者らから被告人らの取得分を返戻させるなどの方法で多額の所得を得た上、虚偽過少の所得税確定申告書を所轄税務署長に提出し、正規の所得税額と申告税額の差額として、昭和五九年分の所得税中八七六〇万一三〇〇円を、同六〇年分の所得税中二億五〇九九万三八〇〇円を、同六一年分の所得税中三億四三五六万九二〇〇円をそれぞれ免れたというものであつて、被告人が逋脱した所得税の額が合計六億八二一六万円余と多額で、各年分の逋脱率も約九八パーセント前後と極めて高率であること、犯行の動機も結局は被告人の個人的蓄財と浪費にあり、格別酌むべき点はないこと、所得の主たる源泉となつた謝礼金等の収入は、個々的には濃淡の差はあるものの、いずれも会社に対する背任的色彩を帯びた不明朗なものであること、所得秘匿工作も複数の知人や会社を巻き込んだ作為に満ちた悪質なものであること、被告人が査察の開始を察知した後になした関係者との口裏合わせ等の罪証湮滅工作もかなり手のこんだものであつたことに照らすと、犯情は不良で、被告人の刑事責任は重いといわなければならない。
してみれば、被告人が原審段階で、本税について三億六六七三万円余りを納付したほか、税務当局から債権三億一五〇〇万円を差し押さえられたこと、本件当時は地価の異常な高騰が見られ、初穂も仲介業者らも不当ともいうべき多額の利益をあげており、そのため、被告人においても、その分け前の分配として容易に前記のような謝礼金等を取得し得る状況が存したこと、被告人による謝礼金等の取得により初穂の業績が停滞したり、悪化したようなことはなく、被告人は、謝礼金等収入の極一部ながら、これを同社のため使用したり、同収入を一つの梃として同社のため存分に働き、同社の発展に大いに寄与したこと、被告人は本件以外には何らの前科・前歴も持たない普通の市民であること、更には、原判決後、新たに、保釈保証金納付のため弁護人に預託した一〇〇〇万円の返還請求権を差し押さえられ、また、既差押えの債権中から、合計五〇五六万円余が支払われて納税債務の支払いに充当されたこと、原判決を受けて、被告人が一層反省を深めていること等、被告人のために酌むべき諸事情を十分に斟酌しても、被告人を懲役二年六月及び罰金一億六〇〇〇万円に処した原判決の量刑が重過ぎて不当であるものとは認められない。
ところで、所論は、被告人に対する罰金刑に関し、所得税逋脱行為に対しては、別に重加算税が課せられるのが常であるから、少なくとも犯人に懲役の実刑を言い渡す場合には、罰金刑の併科を避けるか、所得税法二三八条一項所定の法定刑の範囲内において処断するのが相当であるところ、原判決が、既に重加算税を課せられている被告人に対し、懲役実刑のほか、前記法定刑を上回る多額の罰金刑を科しているのは不当であると主張する。
しかし、国税通則法六八条に規定する重加算税は、同法六五条ないし六七条に規定する各種の加算税を課すべき納税義務違反が課税要件事実を隠蔽し、又は仮装する方法によつて行われた場合に行政機関の行政手続により違反者に課せられるもので、これによつてかかる方法による納税義務違反の発生を防止し、もつて徴税の実を挙げようとする趣旨に出た行政上の措置であり、違反者の不正行為の反社会性、反道徳性に着目してこれに対する制裁として科せられる刑罰とは趣旨、性質を異にするものである(最高裁判所昭和四五年九月一一日第二小法廷判決・刑集二四巻一〇号一三三三頁参照)。刑事事件における刑の量定は、その犯罪の情状にかんがみ独自に決すべきであつて、行政手続において重加算税が課せられているからといつて、併科刑の選択や所得税法二三八条二項の適用に制約を受けるべきいわれはない。もとより、重加算税が賦課されている事実も一つの情状として評価すべきではあるが、その点を考慮に容れても、前示の情状に照らし、原判決の量刑は相当というべきであつて、これを不当とする所論は採るを得ない。
更に、被告人が、現在本税の納付もままならない経済的な苦境にあるとしても、これを招いた原因の多くが逋脱所得の浪費や脱税隠蔽工作のための出資など、被告人の責に帰すべき事由に基づくことを思えば、そのことをもつて被告人に対する罰金額を軽減すべきものとする所論にも、たやすく同調することはできない。
以上の次第であるから、量刑不当の論旨も理由がない。
よつて、刑訴法三九六条により本件控訴を棄却することとし、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 半谷恭一 裁判官 堀内信明 裁判官 浜井一夫)
【別紙】
サンエーライフサービスが謝礼金等の支払いを受けた取引一覧表
<省略>
平成二年(う)第一二一六号
○ 控訴趣意書
被告人 片桐忠夫
右の者に対する所得税法違反被告事件についての控訴の趣意は、左記のとおりである。
平成三年一月二一日
主任弁護人弁護士 西山彬
弁護人弁護士 萩原太郎
東京高等裁判所第一刑事部 御中
記
控訴趣意第一点(事実誤認の主張)
一、原判決は、被告人に対し、
(1)昭和五九年分の所得税につき 八七六〇万一三〇〇円
(2)同 六〇年分の所得税につき 二億五〇九九万三八〇〇円
(3)同 六一年分の所得税につき 三億四三五六万九二〇〇円
の各税額を逋脱したとして、有罪の認定をしたが、そのうち(3)の逋脱に関しては、被告人に帰属しない所得を基礎にして所得税額を算出した点において、重大な事実誤認をおかしており、全部破棄を免れないと思料する。
二、原判決が、被告人において逋脱したと認定した昭和六一年分の所得税額算出の基礎とした所得とは、証拠に照らすと、検察官の冒頭陳述書別紙2「ほ脱所得の内訳明細」のとおりと考えられる。
しかし、そのうち、サンエーライフサービス株式会社(以下、単に「サンエーライフ」という。)関係のもの、すなわち、右明細の説明欄のサンエーライフ及びタイヘイホームが介在したとされるもの(次表一の「各受領金額」)は、いずれもサンエーライフの所得であって、被告人に帰属した所得ではない。
【表一】
受領月日 物件名 受領金額
<1> 三、 七(二、一三) 港区三田四丁目 九〇〇万円
<2> 三、一七(二、二七) 港区虎ノ門 二五〇〇万円
<3> 五、一四(四、 八) 千代田区神田神保町 一七三〇万円
<4> 九、 八(九、二六) 新宿区西新宿七-二 四四〇〇万円
<5> 九、一九(一一、四) 品川区上大崎二 五〇〇〇万円
<6> 三、一〇(三、一九) 渋谷区神泉町三〇 一七三〇万円
計 一億六二六〇万円
<注、括弧内の数字は、当該不動産物件の取引月日>
これらは、すべて、被告人が役員をしていた株式会社初穂関連の不動産取引の仲介を行った業者から、その得た仲介手数料のうちの一部を謝礼金としてバックさせたものであるが、その支払い先はすべてサンエーライフとされているものである。(右のうち、<6>は、上記明細には<その関係の領収証類がないためか>サンエーライフ関係とは分離して記載されているが、特に異別に取り扱うべきいわれはない。)したがって、これら<1>ないし<6>の支払い(以下、「本件支払い」という。)は、本来ならば被告人の所得とされるはずはないのであるが、原判決は、これらを被告人自身に帰属した所得と認定した。その理由として、原判決は格別の説明を加えていない。しかし、原判決文によれば、これらは、被告人が「知人に会社を設立させて、それを業者からの金員の支払先としてや、それら金員で自ら獲得した不動産の名義人として利用するなどして、自己の・・・収入の事実を隠蔽する方法により」「秘匿した」ものであるとし、したがってこれらは、被告人の所得にあたると認定したものと推測される。
三、(1)ところで、本件は、いわゆる所得秘匿工作を伴う虚偽過少申告による逋脱犯とされているものであるが、果たして、そのような所得の「秘匿」があったか、その所得は「虚偽過少」であったか、どれほどの税額の納付を「免れた」かの諸点で、被告人の所得の正確な認定は不可欠である。
しかるに、本件支払いについての原判決の上記のような認定は、どのような論理に基づいたものであろうか。原判決が証拠として採用した被告人あるいはサンエーライフ社長三上邦和の各検面調書には、これら本件支払いが「仮装」である旨、過剰なほどに記載されていること、及び原判決文中、前記のように「隠蔽」「秘匿」などの語が用いられていること等から推せば、(ⅰ)税法上のいわゆる「仮装行為」の論理に拠ったかとも思われる。もっとも、原審検察官の冒頭陳述書にも、判決文にも、「仮装」という表現は一度も用いられてはいない。したがって、原判決は、本件支払いについては、(ⅱ)所得税法一二条の実質所得者課税の原則規定に拠り、サンエーサイフは「単なる名義人」であって、「その収益を享受する者」は被告人自身であるとしたとも考えられる。
本来、右(ⅰ)(ⅱ)のいずれに拠ったかは、判決文から窺知できるのが望ましいことであるが、本件では、第一審において、被告人が事実関係をすべて認めていたので、そこまで判決文に期待するのは求め過ぎになるかもしれない。しかし、この点の不分明さや、後述五の表三の昭和六二年度における二件の取引が、本件取引と実態は全く同じであるのに、この二件による収入については、税務当局により、サンエーライフ自身の所得(したがって、被告人の個人所得ではない)と公認され、法人税申告で処理されている曖昧さなどを併せ考えると、本件支払いが被告人の所得であるとの原判決の認定が、一体、いかなる論理をもってなされたと理解すべきか、弁護人として甚だ去就に迷わざるを得ないものがある。
しかし、昭和六二年度の分の問題は、後に譲るとして、とりあえず、本件支払いが「仮装行為」にあたるかどうか、次に、所得税法一二条の関係でどうなるかの順序で検討を加える。
(注)租税法の講学上、「仮装行為」「実質所得者課税の原則」「租税回避行為の否認」等の概念を体系的にいかに位置づけるかについては必ずしも統一されていない。本趣意書においては、これらの概念は、いずれも租税法上の実質主義を根底におくものではあるが(清水「実質主義と租税回避」法律時報三九巻一〇号)、別々に論ずるのがわかり易いと考えられるので、以下この方針で論旨を進める。
(2)周知のように、租税法の「仮装行為」という概念は、わが民法九四条に相当するドイツ民法一一七条やドイツ租税調整法五条などに由来するもので、わが国の実定法としては国税通則法六八条の重加算税について用いられている。そして、その意義は、「真の事実や法律関係を意図的に隠ぺいないし秘匿して、みせかけの事実や法律関係を仮装すること」で、「私法上、虚偽表示と同意義に用いられることが多く」、また税法上、仮装行為が行われた場合、課税は、仮装された事実や法律関係ではなく、隠ぺいないし秘匿された真の事実や法律関係にもとづいてなされる。」と解されている(有斐閣・新法律学辞典<第三版>一五〇頁)。
いずれにしても、仮装行為の多くは民法九四条の通謀虚偽表示概念の媒介なしには考えられないところである。したがって、原判決の論理は、次のようなものであったと思料される。すなわち、本件支払いは、仲介業者から本来被告人に支払われるべき謝礼金を、サンエーライフにおいて名目上受領するという、三者の通謀による虚偽契約であるから、それは無効であり、サンエーライフの受領は、仮装行為であって、真実は被告人自身が受領したものにほかならず、したがって、本件支払いは被告人の所得を形成する、と解したものであろう。たしかに、被告人の今回の事件でも、例えば、順幸産業のようないわゆるB勘屋を介在させた場合にあっては、B勘屋は単なるトンネル機関であって、疑いもなく右の図式があてはまると思われる。しかし、第一に、サンエーライフはそのような全く被告人の替え玉(ダミー)的存在ではなかった。そして、第二に、上記三者の真意は、本件支払い金をまさにサンエーライフに帰属させようとするにあったと見るべきである。この点を、事実に即し、逐次詳説することとする。
四、(1)まず、前提として明確にしておかなければならないことは、サンエーライフが被告人と法律上無関係の独立した株式会社であるということである。
同社は、昭和六〇年後半ころ、前記三上邦和が不動産業をやりたいと言うので、同人と若梅明(弁護士)と被告人(いずれも明治大学法学部在学中の同級生)とが相談の上、同六一年二月設立したものである。被告人としては、三上の協力を得つつ、自己資金で、完全に自己の支配下にある会社を設立したかったのであるが、三上自身も資金を出すと言うので、右三人が同額(一人五〇万円)を出資し、三上を代表取締役とすることとした。そして、三人共同して同社を発展させることを申し合わせた。サンエーライフの「サンエー」と言う呼称は、「三栄」、すなわち「三人の繁栄」を意味するものであった。その後、三上が集めてくる仕事はさして多くなく、被告人からの仕事が多くなると予想されるに至ったので、目立つのを避けるため、被告人は株主の地位から脱退することとし、株式はすべて三上に売却した。役員(兼従業員)は三上の親族で占め、ただ女子社員として若梅弁護士の知人を入社させていた。これらの者たちの報酬は、三上が一存で決めており、なお、同社の税務事務は、若梅弁護士の紹介による税理士に依頼し、当初から完全申告納税を実行していた。(以上の点は、原審で取り調べられた被告人及び三上の各検面調書にも一部現われているが、足りない分は、当審において立証する予定。)
したがって、サンエーライフの経理は同会社独自のもので、被告人の経理と混同することがあり得なかったのは当然である。また、本件支払い金は同会社で特別に区別して管理されてはおらず(三上の平成二年二月二一日付検面調書<本文四一丁の分>第四項。以下、検面調書については、二・二一検面調書4などと日付及び項番号のみを略記する。)、その預金口座に他の収入と区別されることなく預け入れられ、かつ引き出しも自由であった。(この関係は、サンエーライフの商業帳簿によれば歴然としていると思われるが、原審では証拠請求がされていない。ただ、上記二・二一検面調書添付資料五、七、九、一一、一二、一五あるいは一八などにその片鱗がうかがわれる)。
このように、同社は、被告人の一人会社でないことはもちろん、役員の立場で被告人が自由に操作できる会社でもなかったのである。(その意味で、本件は、所得課税上しばしば問題となる「法人とその構成員間における所得の帰属」をめぐるケースに当たるものではないことに、留意しておく必要があろう。)
(2)ところで、仮装行為の典型としては「取引上の他人名義の使用、虚偽答弁」等が挙げられるのが常である(碓井「重加算税賦課の構造」税理二二巻一二号二頁、志場ほか「国税通則法精解六四三頁)。そして、被告人及び三上の各検面調書には、本件支払いについて、「サンエーライフの名義を借りた」、「被告人に名義を貸した」という供述が頻繁に出現する。また同様の趣旨で、被告人がサンエーライフを「金庫代り」に使ったという供述も一再ならず存する。しかし、これらの名義に関する供述が法律的にどのような意味で用いられていると考えるべきかは十分な吟味を要するところといわなければならない。
しかるに、一般に、このような「名義の貸し借り」という表現は、もちろん、例えば、(a)Xの本来の権利をY名義にみせかけるという場合にも用いられる。だが、そうとばかりは限らない。(b)Xの権利がいったん実質的に(内部外的に)Yに移転することを認めるとともに、後日その権利または代償の返還を約束しておき、そのことに伴う勘定関係は別途処理するという場合もあり得る。そして、(c)いわゆる名板貸し契約のような、およそ仮装とは無関係な場合もあるであろう。(a)の場合は、言うまでもなく、Yにその権利の管理処分権限がないのが普通である。これに対し、(b)の場合は、Yに管理処分権限が認められ、ただ、その返還について債権的拘束があると解される。言い換えれば、(a)の場合は、当の権利に対しXが物権的支配を及ぼしている場合であり、(b)の場合は、Xが債権的支配しかもっていない場合である。そして、仮装行為の典型としての「他人名義の使用」というのは、この(a)の場合だけを指し、法律上虚偽表示に該当しない(b)の場合を含まないことは、言うまでもない。
それでは、本件支払いは、右のいずれの場合に当たるであろうか。次の(3)に列記するところに照らせば、(a)の場合には当たらず、むしろ(b)の場合に属することは、明らかと思われる。
(3)Ⅰ 本件支払い金の運用は、すべてサンエーライフ名義でなされた。したがって、預金利子等はみな同社に帰属していたし、給料もその中から支払われている。同社が被告人の「金庫代わり」であったと言うのは(例えば、被告人の二・一九検面調書7、三上の前掲二・二一検面調書1等)、故意に誤解を招かせるような表現で、比喩としても適当ではない。
ちなみに、被告人とサンエーライフとの間には、当初、「名義貸し料」として月々被告人から二〇〇万円を供与する約束が成立していたかのような供述がある(被告人の二・二二検面調書9、三上の前掲二・二一検面調書3)。しかし、これが履行された形跡はない。むしろ、平成二年になって、国税当局の調査が行われた結果、両者の関係が解消する際、三上からこれを持ち出し清算に含めてもらったようであるが(三上の二・二三検面調書3)、それまで四七カ月間、「名義貸し料」の問題が浮かび上がってこなかったのは、本件支払いの実体が必ずしも名義貸し借りという、形だけのものではなかったことを裏書するものと言うことができると思われる。
Ⅱ 他方、昭和六一年中にサンエーライフが購入した物件は次表二のとおりである。
【表二】
購入月日 所在地 物件名
<1> 三・一八頃 新宿区新宿一丁目 ルネ御苑プラザ一四〇四
<2> 七・一四頃 港区赤坂二丁目 ネオキャステール四〇一
<3> 七・三〇頃 中野区鷺ノ宮二丁目 日神シルバーパレス鷺ノ宮四〇二
<4> 九・ 六頃 河口湖町小立 スポルシオン一〇〇四
<5> 一一・一一頃 ハワイ州ホノルル市カラニアナオレ 土地
<6> 七・二一頃 自動車(ベンツ)
しかるに、これらいずれの物件の名義も明確にサンエーライフ名義とされており、権利証もサンエーライフにおいて保管していた。また、これらを担保に入れることも可能で、現に、右<1>のルネ御苑プラザ及び<2>のネオキャステールにつき、根抵当権が設定されている(当審において立証予定)。また、同<1><2>の内装工事は、当然サンエーライフにおいて実施し、前者は他に賃貸したこともある(ただし、その賃料について、被告人との共同帰属の扱いにしたことはあるが、被告人に全部を帰属させたことはない)。このように、これらの物件の占有形態はまぎれもなくサンエーライフの自主占有というべきものであって、被告人に法的処分権限は全くなかったものと見られる。
Ⅲ しかし、それでは、被告人は何のために、サンエーライフに大量の自己の資金をつぎこんだのであろうか。表二の各物件は、すべて被告人の購入意思によって買い入れたものであるし、同表<1>ないし<3>及び<6>の購入資金の原資は、主として本件支払い金である。そうしてみると、これらの物件の真の所有者は被告人と考えるのが当り前のように思われ、したがって、サンエーライフの所有名義は仮装であり、遡って本件支払いも仮装行為であると結論づけられそうである。だが、被告人がサンエーライフに対し資金をつぎこんだのは、当時における不動産の大幅な値上り傾向と大いに関係することであった。すなわち、そのような市況のもとでサンエーライフが不動産を購入しておけば、やがて転売や賃貸等によって多額の収益をあげ、被告人にも少なからざる余得が及ぶことであろうし、他面、取得不動産の一部について、自分の必要とするある時期に、時価よりもずっと安値で買い取ることも期待できる状況であったと考えられる。それ故、被告人の思惑としては、資金をつぎこんでも一種の投資として、十分割りの合うことであったのである。ここに、被告人の真意があった。したがって、被告人として、この場合、サンエーライフの購入物件を、ぜひともみずからの所有物としなければならない必然性は必ずしもなく、後日みずからの所有に移し得る権利さえ留保しておけばよかったと言うことができる。事実、いったんサンエーライフの名義にしたものを、無償で(そうでなければ名義仮装の意味はない。)移転を受けるなどと言うことは、同社が独立の会社である以上、およそ不可能なことであったと見られる。
しかも、表二の物件のうちの、<3>の残金や<4><5>の購入代金は、サンエーライフ自身の銀行借入れ金(七四〇〇万円)や、本件支払い金とは関係なく独自に取得した金等同社の固有の資金によってまかなわれているものである(被告人の二・二五検面調書、三上の前掲二・二一検面調書)。そうすると、このような物件までサンエーライフとして何らの権利をも有せず、法律上被告人の所有と見るべきだというのは現実を無視するものであろう。勿論、サンエーライフの三上としては、同社固有の資金を支出した分については、後日必ず被告人から資金の供与を受けるつもりであったのであり、実際、後日供与されたのであるが、もしも目算どおりにいかず、その供与がなかったとしたら、これらの物件については自己の名義たる以上、自己の所有たることを主張したに違いなく、またそれは当然のこととして肯認される主張であったと言うべきである。してみれば、叙上<3><4><5>だけではなく、その他についても、ひとしく、いったんは、単に名目だけでなく、サンエーライフの真実の所有とし、後日、前述のように、もしも被告人の必要とするときがあれば、売買その他の正規の手続きを踏んで名義を変更する意図であったと統一的に考えるのが筋合いと言わなければならない。
なお、三上の二・二三検面調書によれば、同人は、片桐の「謝礼金を手数料名目でサンエーライフで受け取り、その謝礼金で片桐の不動産等を購入して管理しておりました。」などとして、サンエーライフは、あたかも被告人の財産を信託財産のような形で管理していたかのごとき詳細な供述をしている。一読してわかるように、これは取調べ検察官の意図に迎合したと言うか、むしろ、検察官の意図がそのままにじみでた供述と言うべきものである。しかし、サンエーライフの営業の実際は、本件支払いをはじめ、被告人が導入してくる資金をそのように整理分別して扱っていたものでなかったことは、すでに縷述したとおりであり、このような言わば「作られた供述」から、本件支払いを法律的に虚偽表示行為、仮装行為によるものと見ることは、土台無理な構成であろう。
Ⅳ 被告人の二・二二検面調書添付の資料3の覚書または三上の前掲二・二一検面調書添付の資料一九の誓約書も右のような見方と決して矛盾するものではない。あるいは、この覚書または誓約書の原本と目されるものが存在したことは、国税当局や検察官にとっては、本件支払いや表二の物件の名義が仮装(虚偽表示)のものであることを裏付ける決定的証拠のように見受けられたかもしれない。しかし、そこで言われているような、右物件の実質所有者が被告人であるとの真の意味は、被告人がこれらの物件について名義変更の権利を留保しているという実体をおおまかに表現したものに過ぎないと見るべきである。けだし、その書面の作成日は、昭和六一年一一月ころのことであり、このとき、少なくとも、表二<5>のハワイの土地の精算はまだ済んでいない(前述)。その資金の約三分の一に当たる二四二〇万円が被告人からサンエーライフに入ったのは翌六二年三月三日のことであり、しかも、右作成日ころ、被告人の資金繰りが芳しくなかったことは明らかであったのであるから、その当時、三上がハワイの土地を含め、上記物件を無条件に被告人の所有であると認めていたとは常識上到底考えられない。他方、被告人としては、三上がこれらの物件を処分しても法律上文句を言えないという危惧があった。そこで、そのような処分をさせない、あるいは、しないとの趣旨で、被告人及び三上間にかかる書面が作成されるに至ったと認めるべきである。被告人も、また三上も、かつては司法試験合格を目指したことがある者たちで、仮装行為ないし虚偽表示が私法上無効であるという位の知識はあったと言わなければならない。にもかかわらず、このような書面をわざわざ作成したことは、かえって、これらの物件にサンエーライフが名目ではすまされない実体的権利をもっていることを十分意識していたことを如実に物語っているものと言えよう。
もっとも、この書面作成の経緯について、三上は、このような見方とは全く異なる供述をしている(同人の二・二一前掲検面調書11)。しかし、それは、清算に関し、すでに決着のついた後日談であることを看過してはなるまい。
Ⅴ このように、本件支払い金の運用面や、表二の物件に対するサンエーライフ及び被告人の権限を熟視すると、本件支払いが法律的に仮装、すなわち虚偽表示であったと見るのは強引過ぎると思われる。なるほど、被告人は、表一の本件支払いについても、また表二の物件の購入、維持、処分についても、三上、したがってまたサンエーライフに対し、かなり強力な支配力を有していたことは疑いない。しかし、その支配力は、会社の内部にあってワンマン的に自由に振る舞えるそれではなくて、外部からの間接的な経済支配の域を超えるものではあり得なかったものである。これがまさに実態であり、それを「仮装」「虚偽」のものに過ぎないと見るのは、いたずらに幻影を追おうとしていると評するほかないのではあるまいか。
なお、念のため付言しておくと、元来、「仮装」が法律行為によって行われる場合にあてはめられる通謀虚偽表示の理論は、個々の法律行為ごとにその行為の有効無効を決する理論である。この場合、その名目だけの虚偽行為は善意の第三者には対抗できないとされるので、その上に築かれた一般の取引は安全が図られ、法的に安定している。これに反し、当事者の間では、その名目的行為の上に築かれた事後の行為はいつまでも無効とされるもののように思われる。しかし、当事者の間でも、もし、その名目的行為を所与のものと認めてその上に真意に基づく行為が積み重ねられるときは、無効行為の追認があったと見られることが多く、実際上はいつまでも不安定なことは少ないであろう。換言すれば、表面、個々的に見れば仮装行為のごとくに見える行為が当初あったとしても、一定の法的状態の継続により、もはや、これに対し、虚偽表示理論を通用させ得ない場合が生ずるということである。次の先例(山口地裁昭和四六年六月二八日判決、シュトイエル一一四号四一頁)が参考に値いしよう。
「法律的無効な移転行為であっても、これがあたかも有効になされたもののごとく履行され、譲受人においてその目的にそって経済的効果ないし利益が発生するなどして、目的物が実質的に移転し、かつ、このような状態が存続している場合に、譲受人側に対しかかる目的物ないしこれから発生する利益につき課税の対象とすることは、実質的担税力に応じて課税する租税目的からみて容認されるものと解すべきである。」
これを本件に即して言えば、仮りに本件支払いのうち当初のものが、見方によって、仮装くさい面があったとされた場合であっても、その受け手であるサンエーライフがその法律関係を土台に、被告人了解のもとに、その後いろいろな対内対外の営業行為(自己資金と『混同』させ、自己名義で種々の収支を伴う取引をなし、被告人の指示とはいえ、表二の諸物件を自己名義で購入し、不足資金については自己名義で借財する等、既述したような各種営業行為)を継続し、それが前後、言わば有機的につながっていると認められる状況のもとでは、その資金供給行為である本件各支払い行為は、まさにサンエーライフ自身に利益をもたらしていると認めるべきものであり、(したがって、同社こそがその所得の帰属者と判定されるべきであり、)この実態に目をつぶって、本件支払いのみを個々独立に捉えて一概に仮装行為と断定してしまうとするならば、それは、虚偽表示=仮装行為理論適用の射程外にある違法な税務認定を敢えてしているものであろうと思料する。
要するに、本件支払い行為をいわゆる仮装行為として、その支払い金を被告人の所得に帰属させるのは、事実を見誤るものと言わざるを得ない。
四、そこで、次に、本件支払いについて所得税法一二条の実質所得者課税の原則の適用が可能かどうかについて考察するが、この原則の解釈については二つの立場がある。言うまでもなく、法的実質主義ないし法律的帰属説と経済的実質主義ないし経済的帰属説とである。
(1)法律的帰属説の立場では、仮装行為とまでは言えない場合でも、名義人と真の所得者とが食い違う場合を認め、何らかの形で、例えば、名義人との契約に基づき、当該収益について法的な自由処分権ないし受領権を有しているならば、その者は真の所得者と見るものである(清水前掲論文参照)。しかし、本件では、前記三で説明したところから明らかなように、サンエーライフは、本件支払いについて、法的に「単なる名義人」ではなく、他方、被告人は、いったんサンエーライフの手元に入った本件支払い金についても、また、その運用等によって得られた表二の物件についても、管理処分権はなかったものであるから、法的に「その収益を享受する」場合に当たるとは認められない。
(2)これに対し、経済的帰属説にしたがったらどうなるか。ところで、一般に、経済的帰属説は租税法律主義にもとるとして、近時の有力な租税法学説の多くは否定的に傾いている。収益の帰属者を法的帰属者以外にも公認することは、いかにも法的安定を害することである。そして、刑事法の観点からは、「経済的に」収益を享受するというのは甚だ多義的で漠然としており、その認定について限界を画するのが明らかに困難であると考えられる以上、これによる税額認定を基礎に刑罰を科するのは罪刑法定主義に反する(疑いが濃い)と論ぜざるを得ない。弁護士の見るところでは、現在までに、この疑い=漠然性を払拭できる学説または実務的基準はまだ提出されていないと断言してよいと思う。ただ、私見として、このような漠然性は、経済的帰属と言うことを、「名義人に対し、その収益を、容易に、自己名義または自己の直接管理下に形成回復できる実質的支配力を有している場合」とでも解すれば、少しは解消するかもしれないという気もしている。(ここで、『容易に』とは、特段の紛議もなく、格別の出捐も要らないような状態と解する。)そこで、試みにこの立場で考えてみることとする。
さきに述べたように、被告人は本件支払い金を仲介業者からサンエーライフに供給することによって、同社の営業に間接的な支配力を及ぼし、後日、主として右支払い金の運用等によって取得した表二の諸物件を将来自己に移転することを請求できる権利を有していた。しかし、この移転請求権をもって、これらの物件を名実とも自己に移転するについては、多くの不確定要素が付着していたことは否定できない。特に、昭和六一年の段階で見てみると、そのためには、おそらく、なおサンエーライフに資金を供与することが必要であったと思われることは、前述のとおりであるし(三<3>ⅲ)、登記、登録の諸手続きに伴う各種の清算がぜひとも必要であったことは疑いなく、その移転が容易であったとは決して断定できない状況であった。
ただ、この点は、表二の物件が被告人に名義も実質(所有権)も移転されることなく、結局他へ売却され、その代価がサンエーライフの法人税納付その他の資金需要にあてられたので、結果として、被告人とサンエーライフの法的、経済的立場が余り明確に浮かび上がっていない。しかし、少なくとも、被告人の本件逋脱が国税当局の調査を受けて、被告人とサンエーライフの三上との間に、それまでの取引の精算が考えられた際の状況に照らすと、その相互の実際的立場がかなりはっきりあらわれている。すなわち、例えば、ルネ御苑プラザは、被告人の要望によって義弟の経営するコスモライフに約一億六〇〇〇万円で売却したが、三上としては、この物件は二億六〇〇〇万円の価値があったのだから、差額の一億円は、当然被告人がサンエーライフに対し負担すべきものと主張し、この点被告人と見解を異にした模様である。結局、「名義貸し料」(あるいは、金庫番の対価)や「口止め料」と抱き合わせて清算するというようなことで、捜査の段階では両者の間でおおまかな了解が成立したようであるが(三上の二・二三検面調書)、これは、被告人がこの物件について『容易に』回復できる実質的支配力をもつものではなかったこと、そして、被告人が、真実、経済的利益を確定できるのは、サンエーライフとキチンとした清算が結了したときであったこと、を如実に示すものと言えよう。
要するに、サンエーライフに対する被告人のこのような立場は、わかり易く言えば、オーナー的存在ではなく、スポンサー的存在にとどまっていたと解され、したがって、被告人は、本件支払いについて、経済的にも「収益を享受」できる所得者であったとは到底認め難いのである。
(なお、付言するに、原審における再開後の第七回公判期日での被告人の供述によると、捜査後公判段階に入ってから行われた被告人とサンエーライフとの最終清算では、両者の主張に若干の対立があったことが判明する。そして、結局、被告人は、みずからサンエーライフに投入した資金より遙かに少ない額しか回収できなかった<弁七号証債務弁済契約書も併せて参照>。その理由は、被告人が年来の友人である三上に対し、男気ないし惻隠の情を示した面もあるが、三上が、
「自分は片桐の単なる金庫番ではなく、共同でやってきたのだから、サンエーライフの財産形成については、自分自身の貢献もある。」
と主張したことを、無下にしりぞけ得なかったからでもあった。このことは、被告人のサンエーライフに対する経済力支配力がその限度のものでしかなかったことを物語るものである。ただ、右の点は、原審の情状認定の過程で現われた資料に基づくものであり、事実誤認の主張をなすについて直ちに援用できるかは疑問である。したがって、当審で改めて事実調べを求める所存であるが、しかし、この点を除いても、被告人がサンエーライフに有していた権利または支配力の不確定性は、これまで述べてきたところから十分明らかであろうと考える。)
五、(1)以上詳述したように、表一の本件支払い分を被告人の所得と認定することは誤りである。百歩譲っても、サンエーライフの所得と考えるべき蓋然性があることを否定できず、「疑わしきは納税者の利益に」(または「疑わしきは名義人の収益」)との原理の適用が当然考慮されるべき場面であろう。
これに対しては、それでは不当な租税逋脱を見逃すことになるという反論があるかもしれない。たしかに、被告人の本件一連の行動は、諸種の事前事後工作を弄し、みずからの所得税の軽減をはかろうとしたもので、法律的、倫理的に大いに非難されるべきである。ただ、サンエーライフの本件支払いに関する限り、課税要件事実を充たさないという理由により、少なくとも法律的非難は免れるべきものと言わざるを得ない。実は、そう見ても、本件支払いについて、国家財政収入の確保という国の課税権は基本的には害されるものではないのである。なぜなら、言うまでもないことであるが、本件支払い金については、サンエーライフに対する法人税の賦課によって確保すれば足りるからである。そして、同社に脱税行為があるならば、しかるべき徴収手続きと制裁手続きとを講ずればよく、これがまさしく常道であるべきである。所得税より法人税が税負担率を軽減されていること、また本件サンエーライフのようないわば泡沫会社と見られ易いもの(ただし、同社は、本件を除いても、昭和六一年に三四〇七万円余の手数料収入を得る取引をしている。)については、その担税能力に問題があることは、そのとおりであろうが、前の点は制度自体の問題である。他方、後の点について言えば、サンエーライフとて、認定された所得に応じた法人税納付を行なっており(昭和六一年 一八四八万三〇〇〇円、昭和六二年 六〇五〇万五二〇〇円)、形式上は担税能力を云々される存在ではない。勿論、この納付額は、本件支払いをすべて被告人の所得と見、これに所得税を賦課することとした場合とは著しい差があろうが、そうだからと言って、公平負担の要請をたてにとって、本件支払いは被告人の所得と考えるべきだとするのは、明らかに本末転倒であろう。
(2)ところで、このサンエーライフの昭和六二年の法人税の内容を見ると、次表三の取引がその対象に含まれている(この点は当審で立証予定)。
【表三】
年月日 受領金額 取引物件 取引先
<1> 六二、三、三 二四二〇万円 品川区五反田 ヴェラカンパニー
宅地五〇五、七六m2
<2> 同一〇、二七 二二一七万円 武蔵野市関前 初穂
土地建物八二五、一八m2
しかるに、この二つの取引は、いずれも表一の各取引と全く同一の形態で行われ、掲記の各金額はそれぞれサンエーライフ名義で受領されたものである。したがって、表一の本件支払いが被告人の個人所得を構成するものであるならば、表三の受領金も被告人の個人所得とされなければ首尾一貫しないはずである。ところが、表三の受領金はサンエーライフの法人所得として法人税の対象とされた。税務当局としては、この二つの取引を含む昭和六二年分は査察事案から除くこととしたためそうなったもので、結果的に被告人に有利な扱いをしたのであるから問題ないとの意向であったかと推測されるが、しかしそれは、ひいては、本来一つしかあるはずがない所得の帰属を当局のまるで自由な、また曖昧な判断で、個人とも、法人とも、どちらにも決め得ることを認めることになってしまうのであって、租税法律主義、あるいは罪刑法定主義の最も忌むことであるのは言うまでもない。
ともあれ、表三の取引に関する税務処理は、本件事案の認定につき、二つの重要なことを示唆している。その一は、税務当局においても、本件支払いを被告人の所得と見ることは、必ずしも一義的に明らかなものではなかったこと(言うならば、どちらでもよかったのではないかということ)。その二は、所得について、形式的帰属と実質的帰属とが異なると判定する場合には、往々にして恣意的判断に陥り易い弊があることを推測させていること。(この弊を避けるためには、所得帰属の実質、実態なるものについて一点の疑いもない程慎重に立証が尽くされるべきであるところ、本件ではそのような立証は尽くされていない。)
(3)ひるがえって、所得の帰属が争われた事案に関するこれまでの下級審判例をながめてみると、法人税法違反で起訴されてくれば、なるべく法人の所得と認め、所得税法違反で起訴されてくれば、なるべく個人の所得と認めるかのように勘ぐられるようものが少なくない。しかし、所得帰属認定の基準は常に不変であるべきであり、租税は、あくまで課税要件を厳格に充足した場合のみに課せられるべきである(前述のように、一つの収入に二つの所得帰属があるはずはない)。本件において、被告人や三上が、サンエーライフという会社を利用した動機は不純なものがあったにしても、それを責める余り、課税認定がルーズなものに陥ってはならないことは説くまでもないことである。
六、このようにして、原判決は、本件支払いについて、被告人の所得でないものを被告人の所得と誤って認定したものと言わざるを得ない。そして、この誤認は明らかに判決に影響を及ぼすべきものであるから、刑訴法三八二条、三九七条二項により、原判決の全部の破棄を求める次第である。
控訴趣意第二点(量刑不当の主張)
一、原判決は、被告人に対し、懲役二年六月及び罰金一億六〇〇〇万円の各実刑を言い渡したが、この刑の量定は、被告人の罪責に比し不当に重く、破棄を免れないと思料する。
二、本件についての検察官の求刑意見は、懲役三年、罰金二億円であった。しかるに、原判決の量刑は、この求刑意見を緩和し、「量刑の理由」としていくつかの『酌むべき事情』があるとして、被告人のため、これを考慮してもらったのであるが、しかし、それでもなお、その量刑は、大幅に軽減されてしかるべきものと信ずる。
(1)原判示「量刑の理由」中の『被告人に不利な事情』の説示については、もっともな指摘であって、ひたす身を縮めて恐懼するほかないと考えている。したがって、この中で認定されている被告人の本件犯行の動機に関する記述部分も、異をさしはさむ余地は特にないのであるが、ただ、そこに至った縁由については、なお憫諒すべき事情が存すると思料する。すなわち、本件当時、不動産取引業界は空前の土地ブーム、あるいはマンションブームのさなかにあり、業界挙げていわば一種の酩酊状態に陥っていたと言ってもよい位であった。そして、原審証人佐藤宣武の証言にもあらわれているように、取引に従事する者の間における私的リベートの授受はごく普通の現象であったし、となれば、それに伴う脱税の横行も容易に推測できるところであった。そのような不健全な雰囲気の中で、被告人もつい、浅はかな邪心が台頭してくるのを押さえきれなかったものである。もともと、被告人は、司法試験合格を目指した経歴でもわかるように、真面目で素直な(母親の原審証言)人物であることは、周囲の誰もが認めるところであった。にもかかわらず、その生活が次第に派手さを増し、結局本件のような巨額の脱税をものともしなくなった最大の原因は、まさしく周囲の環境によるものと言わざるを得ない。もとより、自重自戒、自らを固く律すべきであったし、責任を他に転嫁すべきものではないが、凡人の悲しさで、うかうかと深みにはまりこんだものである。したがって、被告人の今回の所業の本質は、異常な環境的負因の中での短期的な気の迷いの類に属する行為と見ることができるものであって、決して順法精神を全く欠く、いわゆる脱税常習者などの類に属するものではない。もとより、再犯のおそれなど全くない。控訴裁判所におかれては、ぜひともこのような事情を十分斟酌して頂きたい。
(2)原判決によれば、被告人は、合計で約一〇億五九五二万円余の所得があり、六億八二一六万円余にのぼる脱税を犯したとされているものであるが、そのうち、サンエーライフ関係の一億六二六〇万円余は、被告人の所得とされ得ないものであることは、控訴趣意第一点において取り上げた。それ故、この点が容れられれば、破棄後、当然、被告人の刑は大きく変更されることが期待されるが、そのことは一応別にしても、右一〇億以上の額すべてが被告人の現実の収入になったわけではない。特に、右のサンエーライフ関係の分がそうであったし、そのほかにも、例えば順幸産業が関係した分も、かなりの額(約三億円と推定)が同社に戻されて実質その収入になっているものである(被告人の原審第七回公判期日における供述、幸本守平の二・七検面調書)。もっとも、これらは、被告人による一連の租税回避策から生まれた結果であり、ことに後者は、脱税工作そのものであるので、被告人の実際の利得額が上記の所得額どおりでなかったとしても、到底有利な情状と言うには憚られるとしても、ともあれ、少なくとも、被告人が、これらサンエーライフの三上や順幸産業の幸本らに対し、彼らの置かれた苦境を察し、多額の請求権(最小限見積もっても一億二〇〇〇万円)を放棄し、自分がひっかぶってやった男気だけは評価して頂きたいと考える。それは勿論、被告人の自業自得と言えば言える面もあったわけではあるが、みずからは断崖の縁に立ちながら、この決断をした心根は、かつて、証拠の隠滅を図った当時の被告人とは別人の感さえする。十分掬してほしいところである。
(ただ、その過程で、サンエーライフ分の本件支払い金については、熟考すればするほど、被告人の個人所得とするのは不合理な面が生じることに突き当たり、この問題は、もはや、情状論の域を超える問題であるとの感がするのを否むことはできなくなった。このため、原審では全部有罪を認めながら、当審ではこの関係で敢えて事実誤認を主張し、原判決の誤認の是正を求めることとしたものである。ご理解を賜わりたい。)
(3)被告人は、厳しい原判決に接し、現在、ますます自己の罪科を痛感し、国税当局、司法当局に対し多大なお手数を煩わしたこと、創業時から関係の深かった初穂のイメージを害し、かつ、本件にかかわった同僚たちに迷惑をかけたこと、などを強く反省しつつ、その償いのためには、未納となっている税をいくらかでも多く納入すべく努力することが最大の義務であると考え、日夜奔走しているところである。仕事の内容は、これまでの経験を活かし、義弟が経営していたコスモライフの相談役(実質はその中心)として不動産業仲介を行っている(原審証人、妻片桐祥江の証言参照)。
ところで、平成二年一二月三一日現在、被告人の未納(滞納)税額の総計は、次表四のとおりである。
【表四】
◇国税関係
昭和五九年度 六〇年度 六一年度
本税 四、三二七、五九二 二四、六五七、〇七五 二六八、二三一、九〇〇
加算税 二六、四七五、〇〇〇 七五、四六七、〇〇〇 一〇三、五二一、〇〇〇
延滞税 三五、三四二、九〇〇 八二、三〇八、七〇〇 一〇九、八六九、三〇〇
計 六六、一四五、四九二 一八二、四三二、七七五 四七一、六二二、二〇〇
合計 七三〇、二〇〇、四六七
◇地方税関係
本税 二三、九八三、四〇〇 六五、九一五、二〇〇 五一、〇〇〇、一〇〇
延滞税 九七八、五〇〇 二、六八九、三〇〇 三、三九六、六〇〇
計 二四、九六一、九〇〇 六八、六〇四、五〇〇 五四、三九六、七〇〇
合計 一四七、九六三、一〇〇
◇総計 八億七、八一六万三、五六七円
この滞納税額の特徴は、重加算税もさることながら、何と言っても、日々増額加算されていく延滞税(金)の多さである(平成二年一二月末で総額二億三四五八万五四〇〇円にのぼる)。それは、もちろん、被告人が本税の負担能力を欠いていた以上致し方ないことではあるが、もし、現在、税務当局によって差し押えられている順幸産業やサンエーライフに対する債権につき、これらの会社が弁済力さえもっていたならば当然激減する性質のものであるから、言わば、他人の無資力のため、ひとり被告人のみが呻吟しているような一面でもある。
が、それはともあれ、被告人としては、右のような、ほとんど絶望的とも思える未納税の解消を、できるだけ早く実現することをめざして目下頑張り続けている。ただ、近時、不動産の取引は減少傾向にあり、一挙に多額の税を納付できるような収益を得ることは至難の状態である。したがって、原判決後、本控訴趣意書提出時までに、現実に納付できた滞納税額は、未だ、二五五六万一五〇八円に過ぎず、かつ、それも、国税当局から差し押えられていた債権による納付のみであった。しかし、たしかに、被告人が経済活動を再開するについて、周囲の客観情勢は、必ずしも良好ではない。とはいえ、被告人は、かつて初穂において、すぐれたアイデアを駆使して同社を大きくした経験を有しており、これを活用するならば、おのずから道も拓け、これによって、罪の償いを果し得るものと信じている。したがって、過去の愚行はともかく、いま、厳しい状況の中で、前非を悔い、再起更生を期している被告人のこのような心境にも、いささかかの憫察をいただければ幸いである。(この項に関する証拠は、当審において提出する。)
三、弁護人として、右二(1)ないし(3)の事情のほか、当審において、新たに資料を付加して主張すべき量刑事情は持ち合わせていない。しかし、何としても原判決の量刑の重さには、被告人のため、長嘆せずにはおれない。
(1)近時、所得税法違反事件の刑は年ごとに厳しさを加えている。それは、脱税犯罪の量と質が憂慮すべき状態にあること、したがって、国民の租税負担の公平感情にこたえるとともに、納税倫理の覚醒(一般予防)のためには厳罰をもって臨む必要があること、に基づくものと推測され、多くの有識者、特に学者の支持するところでもある。
しかし、逋脱犯に対し実刑を強調する論者においても、現在の裁判実務のような厳しさ、すなわち、本件のように逋脱額が数億円になれば、ほぼ例外なしに二年ないし三年の懲役の実刑が科せられるということまでは、おおむね予想していなかったのではなかろうか。この量刑例は、他の、例えば刑法犯などと比べれば、まことに尋常ならざる量刑である。すなわち、周知のとおり、通常他の犯罪の量刑慣行は、法定刑の下限に集中しており、これは、いわゆる刑の謙抑主義ということで説明されている。しかるに、所得税法の逋脱犯の法定刑としての懲役刑は「五年以下」であるのにかかわらず、右のように懲役二年ないし三年の実刑が一般化してきていることは、他の犯罪の場合との比較において著しく均衡を失していることは疑いない。たしかに、これまで、逋脱犯については執行猶予の裁判が多く、このため、一般予防の効果が薄いと批判され、次第に実刑例が多くなってきたという経過がある。そして、それはそれなりに実効をあげたことは否定できないかもしれないが、しかし、執行猶予と実刑とのインパクトの差を直視するならば、実刑の場合の刑期の決定については、執行猶予の場合のそれよりもかなり短縮される必要があると思われる。そうでないと、両者の差が余りにもあり過ぎることになろう。
本件の場合も、前科前歴は全くなく、原判決指摘のような酌むべき情状も存する被告人につき、もしも実刑やむを得ないのであるならば、その刑期は半減されてしかるべきであったのではあるまいか。刑は、犯人の責任に応じて量定され、犯罪の抑制及び犯人の改善(改正刑法草案四八条)のために必要十分なものであるべきであるからである。
(2)他方、罰金刑(一億六〇〇〇万円)についても、現在被告人が置かれた立場に照らし、不当に高額過ぎると思われる。もともと、所得税法二三八条一項の罰金額の上限は五〇〇万円である。にもかかわらず、定額罰金制の残滓とも思える同条二項のスライド条項の適用により、現在、五〇〇万円の上限内で言い渡されている例は希有のこととなっている。しかし、所得税法違反については、別に重加算税が賦課されるのが常であり、なに故、その上さらに高額の罰金刑が科せられねばならぬのか合理的な説明がつけ難く、ただ、一般予防の名のもとに、みせしめのための苛酷さを加えるばかりとしか思えない場合すら生じている。このため、いまや、重加算税と罰金刑との併存には大きな疑問が投げかけられ、立法論として、罰金刑の廃止が提唱されるところである(佐藤英明「租税制裁法の構造と機能<五>」法協一〇六巻一一号)。したがって、裁判実務の運用論としては、すでに、相応の重加算税が課せられているケースにおいては、<1>被告人に対し、罰金刑のみを科する場合か、執行猶予付き懲役刑と罰金刑とを併科する場合に限って罰金のスライド条項を適用するものとし、<2>懲役刑の実刑を言い渡すときは、罰金刑の併科を避けるか、併科するにしても少なくとも原則どおり五〇〇万円以下にとどめるのが相当ではないかと考える。このようにして、はじめて罰金刑の機能が正しい意義をもち得るものとなるのではあるまいか。(逋脱罪については、これを詐欺罪になぞらえる考え<租税債権という国家の財産権を不正に害する罪>があるが、詐欺罪において、被害額の全部と、さらにその三〇ないし三五パーセント<本件当時の国税通則法六八条参照>を上乗せして弁償した場合と比較してほしい。)裁判所としては、近時、実刑を科する場合が多くなったのに応じ、当然、従来の量刑基準の再検討が必要であったにもかかわらず、執行猶予が大勢であった旧来の基準を漫然墨守している傾向にあるのは、甚だ残念なことである。
この罰金刑の苛酷さを本件に即して検証してみると、被告人は、前記表四のとおり、合計二億五四六万三〇〇〇円の重加算税を課されており、その他国税、地方税の延滞税(金)を合わせれば、いわゆる附帯税だけで四億四千万円に近い巨額の負担になっている。その上さらに、一億六〇〇〇万円という重い罰金刑を科せられるのでは、これら制裁的意味合いをもつ金額の総計が脱税額のほぼ一〇割に達することになる。
脱税による利得はすべて剥奪され、もとはと言えば一介のサラリーマンに過ぎない被告人として、この本税以外の附帯税等の捻出完納は、ほとんど生涯をかけざるを得ない至難な勤めであるが、ただし、このような経済的負担は、国ないし地方自治体の租税収入を減少させた所業に対するやむを得ない責任として甘受し、今後の経済的活動によってこれを果たしていく決心であること、前述のとおりである。しかし、懲役刑という体刑の実刑が科せられ、格別の資産とて有しない身に対し、なお経済的活動による収入を期待しての罰金刑、それも本来例外であるべき高額が科せられるのは、すでに重加算税を課されている者に対する科刑としては自己矛盾ではないか、さらにそれを超えて苛酷過ぎ、著しく正義に反するのではないかとの思いをどうしても禁じ得ない。なぜ、原則の五〇〇万円以下では足りないのであろうか。
この不合理は、一日五〇万円という換刑処分にも露呈しているように思われる。一日五〇万円、一年一億八二五〇万円の収入をとれる者が世に何人見いだされ得るであるであろうか。やはり、上記スライド条項は容易に抜かない伝家の宝刀であるのが本筋であるべきである。この場合、罰金を完納できないときは、三二〇日間、体で贖えばよいのであるから、高額の罰金でも不都合はないという立論をなす者があるとすれば、それは暴論に近いと言うべきであろう。けだし、体で贖わせるのであれば、何のために懲役刑があるのかと言うことになるし、また、それならば、罰金三二〇万円、換刑処分一日一万円との裁判と果たして等質なのかとの反問に逢着するだろうからである。法曹社会のみにしか通用しないような科刑の在り方については、再思三考されるべきではあるまいか。
(3)所得税逋脱罪について、刑罰による一般予防を強調することは、それなりの妥当性があることを認めるに決してやぶさかではない。しかし、むやみに刑を重くするばかりが能ではないのであって、当然限界があってしかるべきである。言うまでもなく、逋脱犯罪防遏のための最良の方策は、「早期摘発・早期処分」である。この努力を惜しんで、科刑の厳しさ(厳罰)に必要以上に依拠してはなるまい。他方、逋脱を嫌悪する庶民感情にこたえるということも、その内容は、十分純化された公平観念として捉えられるべきである。一人の本来は有能な経済人を二度と立ち上がれないようにしてしまう無残苛酷な刑を科するのは、庶民のジェラシーや復讐的感情は満足させるとしても、かえって、国家が科する刑の道義性をみずから低減させる恐れがある。刑の本義は、さきに挙げた改正刑法草案四八条の述べるところの真摯な実践によってのみ遂行されるべきものである。
所得税法違反事件の量刑は、いま、旧来の惰性から脱する一つの転回点に来ていると言って防げないと考える。
四、以上の理由により、原判決の量刑は甚だ重過ぎるといわなければならない。控訴裁判所におかれては、本件につき、刑訴法三八一条、三九七条を適用し、原判決を破棄し、できれば懲役刑につき執行猶予を、そして罰金刑につき減軽を賜わりたい。もしも、懲役刑につき実刑やむを得ないと判断される場合には、その大幅な減軽と、そして罰金刑の免除、少なくとも五〇〇万円以下の刑にとどめる処分を熟望したい。