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東京高等裁判所 平成2年(う)583号 判決 1991年10月28日

本店所在地

東京都中央区日本橋茅場町一丁目四番四号

三協エンジニアリング株式会社

(右代表者代表取締役 宮崎貞夫)

本籍

同都目黒区下目黒四丁目八四四番地

住居

同区下目黒四丁目二二番一六号

会社役員

宮崎貞夫

昭和一〇年一月一七日生

右の者らに対する各法人税違反被告事件について、平成二年三月二九日東京地方裁判所が言い渡した判決に対し、被告人らからそれぞれ控訴の申立てがあつたので、当裁判所は、検察官溝口昭治出席の上審理し、次のとおり判決する。

主文

本件各控訴を棄却する。

理由

本件各控訴の趣意は、弁護人宮崎孝、同伊礼勇吉、同伊東隆、同清水重仁連名の控訴趣意書に、これらに対する答弁は、検察官溝口昭治名義の答弁書にそれぞれ記載のとおりであるから、これらを引用する。

第一各控訴趣意中、事実誤認の主張について

論旨は、要するに、原判決は、被告人宮崎貞夫(以下「被告人」という。)は、原審相被告人の前田秀雄と共謀の上、被告人三協エンジニアリング株式会社(以下「被告会社」という。)の業務に関し、不正の方法によりその所得を秘匿し、被告会社の昭和六〇年九月期の法人税九億六〇八二万一五〇〇円を免れた旨認定しているが、右認定は、<1>被告会社の約二〇億円に上る累積損失の存在を看過し、<2>当期には未だ被告会社の収益となつていない迷惑料収入六億八九〇七万一六五三円を雑収入に計上しているとの二点において、判決に影響を及ぼすことの明らかな事実誤認を冒すものである、というのである。

しかしながら、原判決挙示の関係証拠を総合すれば、原判示事実は優にこれを肯認するに足り、その他原審の記録及び証拠物を調査し、当審における事実取調べの結果を併せて検討しても、原判決に所論事実誤認があるものとは認められない。以下、所論に艦み、補足して説明する。

一  累積損失の存在に関する所論について

所論は、要するに、被告会社は、大和証券株式会社(以下「大和証券」という。)の依頼に基づき、昭和五六年以降、同社の簿外損失を被告会社の公表経理に受け入れ、大和証券が、その計算と責任において、被告会社名義で金銭の借入、現先取引、株式の売買等の取引を行い、その資金等の入、出金に被告会社の三井銀行日本橋支店の預金口座を利用することを認めてきたが、大和証券が調達した資金にかなりの余裕があつたので、被告会社は大和証券に断ることなく、右余裕資金の一部を利用し、あるいは、現先取引により自ら資金を調達して、独自に株式取引を行つたところ、多額の損失が発生し、その額が昭和五七年末被告会社に税務当局の調査が入つた頃には約二〇億円余りにも達していたのに、税務当局は、その存在を認めず、昭和五八年春頃に至つて、被告会社の昭和五七年九月期の経理処理に関し、公表上被告会社の損失とされているもののうち、九八億〇九八八万八〇三〇円を大和証券の損失と認定した上で、これを仮勘定により被告会社の損益とは区別して処理するよう指示するとともに、右指示に副う更正をし、大和証券も税務当局の右認定・処理を了承したため、被告会社もやむなくこれを受け入れ、昭和五八年九月期以降の決算も右認定・処理を前提とした経理処理を行つてきたけれども、実際には、被告会社においては昭和五七年九月期までに約二〇億円の損失が発生し、これが翌期以降に持ち越されていたのであるから、これを考慮すると、被告会社の昭和六〇年九月期における実際所得金額は原判決が認定したものとは著しく相違する金額となる筈であるのに、この点を看過して同事業年度の所得金額を認定した原判決には重大な事実の誤認がある、というのである。

なるほど、関係証拠によれば、被告会社が大和証券の簿外損失を被告会社の公表経理に受け入れ、大和証券の計算と責任による取引に被告会社の名義や預金口座を利用させていたこと、被告会社が大和証券の資金をひそかに利用して独自の株式取引を行つてきたこと、税務当局が被告会社に対し所論のような指示及び更正を行い、被告会社がこれを受け入れたことなどについては、概ね所論のとおりの事実が認められる。しかしながら、所論にもかかわらず、被告会社の独自の取引が約二〇億円の損失を生じ、かつ、これが大和証券に帰属すべき本件仮勘定に混入されているとの点については、これを肯認するに由ないものといわざるを得ない。

被告人は当審公判廷において、被告会社は、昭和五六年九月期から自己の計算と責任において、現先取引により資金を調達して株式の売買取引を行つた。売買は主に相対取引の方法によつたが、これにより損失が発生した、その額は、同期が約一二億円、その後約八億円増加して、昭和五七年九月期には約二〇億円に達していた旨、右所論の一部に副う供述をするけれども、被告人は、捜査段階においてはもとより原審公判廷においても、そのようなことは全く供述していなかつたのみならず、これと相反する事実を具体的かつ詳細に自供していたのであつて、被告人の当審公判廷における右供述は、資金調達方法の点、株式の売買方法の点等、その内容自体ににわかに首肯し難いものを含んでいる上、被告人の捜査段階における自供その他の関係証拠に照らし、また、被告人が、捜査段階及び原審でした供述が虚偽であつたとして、そのように虚偽供述をした理由として述べるところが薄弱であることに徴し、到底信用することができない。

すなわち、被告人は、捜査段階では検察官に対し、大和証券が被告会社名義で行つた取引や簿外損失の推移等を継続して記載した後記木下・内田メモ等に基づき、次のように述べ(被告人の検察官に対する平成元年一〇月一一日付供述調書)、原審においても概ねこれを維持していた。

「被告会社が大和証券から預けられた簿外損失の額は昭和五六年九月末で約一三億円、同五七年九月末で約九七億円、同五八年九月末で約一〇一億円、同五九年九月末で約一〇八億円、同年一一月末で約一〇四億円に達し、同社がこの簿外損失を維持するなどの目的で調達した資金の額は右簿外損失額のおよそ二倍から、ときには三倍近くもの巨額に達し、かなりの余裕資金が被告会社の三井銀行日本橋支店の預金口座に留保されていたので、被告人は、昭和五七年末前後頃から、大和証券には内緒で右余裕資金の一部を被告会社が独自に行う株式売買取引の資金として利用した。」

このように、被告人は、捜査段階では、昭和五六年九月期に発生した被告会社の公表上の損失約一三億円は大和証券からの預かり損失である旨供述していたのであり、また、被告会社が大和証券の調達した余裕資金の一部を利用するようになつた時期については、所論ないしこれに副う被告人の当審公判廷における供述のいう約二〇億円の損失が発生した後の時期を供述していたのであつて、もとより、右余裕資金の運用により、昭和五七年九月期ないし同年暮れ頃既に約二〇億円もの損失を出していたなどというようなことは全く供述していなかつたのである。

更に、右供述の自己矛盾の点はさておくとしても、被告人が当審公判廷において述べるように、被告会社が昭和五六年九月期において約一二億円もの損失を生じさせるような株式の売買取引を行つたのであるならば、その資金はどのようにして調達したのかとの疑問が生じるところ、被告人は、その点について、平成三年八月一日付控訴趣意補充書添付の有価証券貸借契約証書写し等の如く、無担保で有価証券を借用し、これを現先で運用して調達した旨供述するけれども、被告会社の信用の程度を考慮すれば、被告会社が昭和五六年九月期だけで約一二億円もの損失を生じさせるほど多額の株式売買取引用の資金をこのような方法で自ら調達し得たとは到底思われない。他方、その資金調達が大和証券の信用を利用してなされたというのであれば、大和証券が、同社の了解も得ないでなされた被告会社の独自の取引のためにそこまでの信用供与をすることは考えられない。

また、被告人は当審公判廷において、右約一二億円の損失を発生させた取引について、平成三年七月二二日付控訴趣意補充書添付の有価証券売買約定書写し等がその一端を示すものであるかの如き供述をしているけれども、同供述は、従前被告会社と全然取引関係のなかつたいくつもの著名企業が次々と信用の薄い被告会社と株式の相対取引を行つたというものであつて、内容自体著しく不自然である上、これらの株式売買取引はいずれも大和証券が自己の計算で被告会社の名義を借用して行つたものであるとする片岡一九の検察官に対する平成元年八月二二日付供述調書等に照らし信用することができない。

次に、これを被告人の供述を離れて検討してみても、証人木下年夫の当審公判廷における供述その他の関係証拠によれば、大和証券では、同社が自己の計算で被告会社名義で行う有価証券の売買、金銭貸借等の取引とその収支、被告会社に預けた簿外損失の推移や調達した資金の残高等を把握するため、昭和五六年四月頃から同五八年一月中旬頃までの間は事業法人本部事業法人第一部部付課長木下年夫において、右以降昭和六〇年三月下旬までの間は後任課長の内田宏において、有価証券売買報告書、有価証券借用証書控え、有価証券売買約定書控え等の資料に基づき、株式及び債券の売買並びにその損益、入、出金、総損益、調達資金の残高等を一覧表形式で個別的具体的に記載したメモ(そのうち、現存する昭和五七年七月末以降分を以下「木下・内田メモ」という。)を作成し、その写しを被告人にもほぼ一か月ごとに交付し、大和証券と被告会社では、これによつて三井銀行日本橋支店の被告会社の預金口座への入、出金中、大和証券に帰属するものの数額を確認し合つていたことが認められるのであつて、この事実に照らすと、大和証券の簿外損失中に被告会社の約二〇億円にも達する損失が紛れ込む余地があつたとは到底考えられないところである。

もし、所論のように被告会社が大和証券の調達した余裕資金の無断運用により約二〇億円もの損失を出したとするならば、被告会社においてその穴埋めをしない限り、大和証券の資金運用にもかなりの影響を及ぼし、これを同社に知られずに済ませられるとは思われないところ、同社側がそのような疑いを抱いたり、被告会社が約二〇億円もの損失を補填して、大和証券の資金運用に支障を来さないようにしたような形跡は全く認めることができないのである。

また、法人税確定申告書控等綴(当庁平成二年押第一七六号の四)、石崎蔵の検察官に対する平成元年九月一日付供述調書その他の関係証拠によれば、被告会社は昭和五七年一二月頃から税務当局の調査を受けた結果、税務当局により、被告会社の同年九月期における公表上の損失のうち、九八億円余は大和証券に帰属するとの認定を受けたこと、そして、被告会社は、税務当局の右認定に基づく指導及び更正に対し、異議がない旨の一札を入れていることも認められるのである。

所論は、石崎蔵や松永晴夫の検察官に対する各供述調書等を援用しつつ、右税務当局による九八億円余の損失帰属の認定は、十分な検討を経ることなく、税務当局と大和証券とが協議の上決定し、被告会社に押しつけてきたものであるかの如くに主張するけれども、税務当局による損失帰属の認定は、質問、検査以降でも約三か月以上の期間をかけ、大和証券への反面調査を含む必要な調査を遂げた上、行つたものであつて、所論のようにあいまいなものであつたとは到底認めることができない。右所論は、多分に憶測を交えたものである上、その援用する証拠の解釈も疑問であり、採用できない。

更に、所論は、前記木下・内田メモは、昭和五七年七月末から記載されている体裁になつているけれども、実は、同メモはその頃は未だ存在しておらず、同年末被告会社に税務当局の調査が入つた後、大和証券の担当者が、税務当局の指導を受けつつ、具体的な資料に基づくことなく急遽作成したものであつて、信用できない旨主張する。

しかし、大和証券では、昭和五六年四月頃から継続して木下・内田メモと同様の書類を作成していたことは先に認定したとおりである。被告人も、捜査段階では、その写しを概ね一か月ごとに受領し、記載の正確性を点検していたことを認めて、その信用性・正確性には何ら異議を述べず、ただ二か所の計算ミスを指摘していたに止まるのである。

被告人は当審公判廷において、大和証券が初めて被告人のもとに木下・内田メモを持参したのは昭和五八年に入つてからであり、しかも、持参したのは昭和五七年七月末以降分のみであつて、大和証券は昭和五六、七年頃は未だ被告会社に託した簿外損失の額等について正確には把握しておらず、木下・内田メモの昭和五七年七月末時点における累積損失額(同メモにいう「総損益額」)の記載も正確性を欠くものである旨、所論に副う供述をしているが、いかに極秘事項に属する簿外の損失ないし金銭の収支等とはいえ、大和証券が、被告会社に巨額の損失を預け、簿外資金の出し入れに被告会社の預金口座(これは被告会社本来の金銭の出し入れにも常時利用されていた。)を利用するのに、大和証券の損益や金銭の出入りと被告会社のそれらとを正確に分別し計算し得る方途を講じていなかつたとは到底考えられないところである。また、大和証券の簿外損失を被告会社に集中する作業は、同社の高いレベルでの決定・指示により開始された作業であつたこと(松永晴夫の検察官に対する平成元年七月三一日付供述調書(本文一六丁のもの)及び片岡一九の検察官に対する同年八月三日付供述調書)等に照らしても、大和証券が被告会社に預けた簿外損失等について当初から正確な記録をしていなかつたとは到底思われない。

右のとおり、木下・内田メモは十分信用に値するものであり、その信用性を云々する所論は根拠がなく、採用の限りではない。

以上の次第で、被告会社に約二〇億円の累積損失が存したとは到底認めることができず、その存在を主張する所論は理由がない。

なお、念のため付言すれば、昭和五七年一二月末頃までに被告会社に約二〇億円の損失が生じ、これが税務当局により大和証券の損失と認定された約九八億円中に包含されていたという事実があつたものと仮定してみても、先に認定したとおり、昭和五八年三月頃までには、同社は約九八億円の損失がすべて同社に帰属することを自認し、被告会社も最終的にはこれを了承し、以後両者ともそれを前提に取引を重ねてきた経過に照らせば、この段階で右の損失は大和証券に移転し、被告会社のものではなくなつたというべきであるから、右に仮定した約二〇億円の損失の存在は本事業年度の所得金額には影響を及ぼさない。

更に、後記のとおり、被告会社が大和証券の簿外損失を預かつたことに伴う同社との関係は、昭和六〇年三月、大和証券が被告会社の三井銀行日本橋支店の預金口座に六億八九〇七万円余の金額を残す形で終了しているところ、この事実に照らせば、右に仮定した約二〇億円の損失は、この段階でも解消したということができるから、やはり、これが本事業年度の所得金額に影響を及ぼすことはないということができる。

二  迷惑料収入の期間帰属に関する所論について

所論は、要するに、原判決は、被告会社が大和証券の簿外損失を預かつたことに対する謝礼として同社から「迷惑料」の名目で六億八九〇七万一六五三円の支払いを受けたとして、これを被告会社の昭和六〇年九月期の雑収入に計上したが、右時点においては、大和証券による大和ビル管理株式会社(以下「大和ビル管理」という。)の株式売買益の一部が前記被告会社の預金口座に残されただけであつて、右迷惑料は未だ被告会社の収益とはなつていなかつたのであるから、これを当期の益金の額に算入した原判決は事実を誤認したものであり、これが判決に影響を及ぼすことが明らかである、というのである。

そこで、検討するに、関係証拠によれば、大和証券では、昭和五九年一一月頃、一〇〇億円を超える巨額に達していた簿外損失を一気に解消することに決し、事業法人本部事業法人第一部部長松永晴夫をして被告人と折衝させた結果、同社が被告会社に六億八〇〇〇万円の「迷惑料」を支払うこと及び大和証券が現先取引等により調達していた資金のうち、約三〇億円程度を昭和六〇年三月まで被告会社に利用させることとの条件で被告人の了承を得たこと、そこで、大和証券では、昭和五九年一一月、同社所有の大和ビル管理の株式を一旦被告会社に売却した形をとつた上、同年一二月、他に転売し、その売買差益で累積した簿外損失を解消するとともに、右迷惑料を支払うに十分な資金を確保したこと、大和証券は、右約束に従い引き続き被告会社に資金を提供しつつ、被告会社名義で行つてきた現先取引等の整理を進め、また、これまで利用させてもらつてきた三井銀行日本橋支店の被告会社の預金口座に右約束の迷惑料の金額が残るよう債券の売買による調整をして、昭和六〇年三月二〇日、右口座に計算上六億八九〇七万一六五三円が残つた(木下・内田メモの記載に誤りがあつたため、実際には八億四六二七万四一八五円が残されていた。)段階で、被告人に対し被告会社との関係の最終清算を申し出、以後、同口座を利用することはなかつたこと、被告人は、右申し出を了承したが、その際、大和証券が資金調達のため現先取引用に他から借用していた債券約三〇億円分をその借受期間が終了するまで利用させてもらいたいとの更なる要求を持ち出し、これを承諾させたこと、そして、被告人は、その頃大和証券側から交付された右木下・内田メモ写しにより右最終清算申し出までの計算関係及び同口座に残された金額を承知したことをそれぞれ認めることができる。

そこで、右事実経過に徴すると、大和証券は、昭和六〇年三月、六億八九〇七万一六五三円を右口座に残す形で被告会社に右迷惑料を支払つたものであり、被告会社もその頃それを了承して受領したものと認めるのが相当である。

右と同旨の判断のもとに迷惑料収入六億八九〇七万一六五三円を当期の益金と認定した原判決の判断は正当であり、原判決に所論のような事実の誤認があるとは認めることができない。

以上のとおり、事実誤認の論旨はいずれも理由がない。

第二各控訴趣意中、量刑不当の主張について

所論中、原判決の認定した罪となるべき事実と異なる事実関係を前提とする部分は、さきに判断した事実誤認の主張の一部をなすものであつて、これと独立した量刑不当の主張としては明らかに不適法である。

そこで、その余の所論に基づき、原審記録及び証拠物を調査し、当審における事実取調べの結果をも併せて原判決の量刑の当否を審査するに、本件は、いわゆる虚偽過少申告により九億六〇八二万円余にも達する多額の法人税を免れた事案であつて、逋脱率も一〇〇パーセントである上、原判決も指摘するように、事前の所得秘匿工作が計画的かつ巧妙で、犯行の動機にも格別酌むべき点は認められないこと、被告会社では昭和五七年暮れ頃から翌年春頃にかけて税務当局による調査を受け、適正な税務申告をするように指導を受けたばかりであるのに、その後三年も経過しないうちに本件に及んだものであること、被告会社は被告人のいわゆる個人会社であり、本件脱税を行うことは被告人が主導したものであり、所得秘匿工作も被告人が単独で、あるいは原審での相被告人前田秀雄に約一億円もの報酬を支払い、その協力を得て遂行したものであることに照らすと、犯情は不良で、被告人の刑事責任は重く、被告会社に対する罰金の制裁も相当のものとならざるを得ない。

ところで、所論は、被告会社が飛栄産業株式会社との株式や債券の相対取引により損失の発生を仮装した点について、これは大和証券の強い懇請ないし指示を受けて断りきれずに行つたものである旨主張するが、松永晴夫の検察官に対する平成元年七月三一日付供述調書(八丁のもの)及び被告人の検察官に対する同年一〇月一〇日付供述調書によれば、右損失を仮装した取引の件は、大和証券の前記松永の方から持ち込んだ話ではあるけれども、当時、被告人は、同社から預かつていた簿外損失の解消により被告会社の利益が一挙に表面化することへの対策に腐心していたことから、渡りに舟とこれを承諾したことが認められ、所論のような押しつけ的なものであつたとは認めることができない。

また、所論は、原判決が架空名義による株式の売買取引を悪質な所得隠蔽工作と指摘した点を非難し、架空名義で株式の売買取引をしても必ず利益が生ずるとは限らないのであるから、利益が発生した場合のみを取り上げて非難するのは片手落ちであるなどと主張するけれども、利益が上がつた場合にはそれを隠蔽する意図で架空名義を使用して株式の売買取引を行い、その結果利益が得られた場合にそれ隠蔽する行為が悪質な所得隠蔽工作であることはいうまでもない上、関係証拠によれば、被告人は、被告会社名義で買い受けた株式が値上がりし利益が確実に見込まれるようになると、いわゆる玉移動の方法によりこれを架空名義に移すような策まで弄していることも認められるのであつて、これらに徴すると、原判決が架空名義による株式の売買取引を悪質な所得隠蔽工作と評したのは正当であり、所論は独自の見解というほかない。

なお、所論中には、原判決は、被告会社の所得の認定にあたり、架空名義による株式の売買取引により生じた損失を損金として控除していない旨主張しているとも解し得る部分があるけれども、原判文と収税官吏作成の有価証券売上調査書とを対照すれば、原判決が同損失を損金として控除していることは明らかである。

他方、被告人らのために酌むべき事情として、被告人においては、大証券会社が顧客に対する損失補填の結果生じたとみられるおよそ一〇〇億円にも及ぶ巨額の簿外損失を抱えながら、これを不正経理により糊塗し、これを税務当局に知られても、公然問題化することなく推移した事態等を見聞し、また、被告会社は昭和五八年三月、大和証券の簿外損失絡みでいわゆる赤字申告をしていた昭和五六年九月期及び同五七年九月期の法人税の申告について、本税合計三七六九万円余、重加算税合計一一三〇万円余に及ぶ更正を受けながら、青色申告承認の取消しを猶予されたこと等を体験し、これが被告人の不正経理ないし脱税に対する安易な考えを助長した面は否定できないこと、被告会社は本件が発覚した後、修正申告の上、本事業年度分の本税、附帯税を支払済であり、前年度分についても同様に完済したこと、被告人には前科がないこと、その他被告人の年齢、健康状態、本件が発覚したことに伴い社会的面目を失墜したこと等の事情も認められる。

しかし、これら被告人らのために酌むべき諸事情を十分に斟酌しても、被告人を懲役二年六月の実刑に処し、被告会社を罰金二億五〇〇〇万円に処した原判決の量刑は誠にやむを得ないものであつて、これが重過ぎて不当であるとまでは考えられない。論旨は理由がない。

よつて、刑訴法三九六条により本件各控訴を棄却することとして、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 半谷恭一 裁判官 堀内信明 裁判官 浜井一夫)

○ 控訴趣意書

被告人 三協エンジニアリング株式会社

同 宮崎貞夫

右両名に係る法人税法違反控訴被告事件についての控訴の趣意は左記のとおりである。

平成二年七月二七日

主任弁護人弁護士 宮﨑孝

弁護人弁護士 伊礼勇吉

弁護人弁護士 清水重仁

弁護人弁護士 伊東隆

東京高等裁判所刑事第一部 御中

第一、原審判決には、判決に影響を及ぼす重大な事実誤認がある。

即ち、被告会社には約二〇億円の累積した損失があったものであり、これを考慮すると被告会社における昭和六〇年九月期の実際所得金額は、原審判決が認定した如き金額とは著しく相異する金額となり、その結果判決に影響を及ぼす重大な事実誤認がある。

又、仮に、累積した被告会社の損失を考慮した結果、被告会社の実際所得金額が僅少に認定された場合には、刑の量定は著しく不当なものである。そのため、被告人らは到底承服し難く、その刑の量定は著しく正義に反し破棄さるべきものである。

以下詳論する。

第二、本件犯行が発生した根本的な原因

本件犯行が発生するに至った根本的な原因は、被告会社に昭和五七年末税務当局の調査が入った際、税務当局は被告人らの申し出を認めず、被告会社に九八億〇九八八万八九三〇円の仮勘定を立てさせたことにあると断ぜざるを得ない。

一、即ち被告人宮崎貞夫(以下「被告人宮崎」という)は、中学、高校の同級生で大和証券株式会社(以下「大和証券」という)に勤務していた片岡一九の依頼により、昭和五〇年頃(原審記録上は、昭和五四年頃となっているが、これは片岡一九及び被告人宮崎の記憶違いと思われる。)、同人の担当部の業績を上げるため被告人宮崎の経営する宮崎産業株式会社が大和証券の簿外損失を預り右片岡の担当部が抱えた損失を引き受ける方法により協力することとなった。被告人宮崎と大和証券との係わりはこの頃から始まったものである。右協力は、同級生のために「ひと肌脱いでやろう」という全く善意の気持ちからであったものである(平成元年一〇月八日付同人検面調書一〇丁裏乃至一一丁裏)。従って、当初は総額一億円余りの範囲内で被告人宮崎としても十分自社が処理しうる余裕資金の範囲内で行われていたにすぎない(前同調書一二丁表)。

二、ところが、昭和五六年頃に至り大和証券は被告人宮崎に対し、更に多額の簿外損失を預かることを求めてきたのである。被告人宮崎も、大和証券は適宜同社の資金手当てにより簿外損失を消滅させてくれており、宮崎産業株式会社の決算にはその損失が公表経理に計上されたことはなかった(前同調書一三丁裏)という従前の経過より、後にまさか大和証券が一〇〇億円を超過する多額な簿外損失を押し付けてくるなどとは夢想だにせず、これに応じ被告会社の利用を了承した。このようにして、被告会社は、その頃から本格的に大和証券に帰属する簿外損失を自社の公表経理に受入れ、大和証券の責任と計算において資金を調達し、右資金を用いて大和証券の指示により大和証券の顧客等から相対取引により有価証券を市場価格より高い価格で買い取り、それを市場価格で売却する等の方法を用い、大和証券の簿外損失を引き受け、右資金調達や有価証券取引等を三井銀行日本橋支店の被告会社名義の預金口座を利用し、同口座に大和証券の損失を移し替える処理を行うようになっていたものである。

三、しかし、被告会社に預けられるようになった大和証券の簿外損失は数億円単位で巨額なものであり、被告会社で到底支えきれるものではないほどに多額になってきていた。又、宮崎産業株式会社が受け入れていた頃は、適宜大和証券も損失を解消していてくれたものの被告会社が預かるようになってからは実効のある措置はとられず、被告会社が預かる大和証券の簿外損失は常時数十億円にも達するものであった。被告人宮崎としては、当初同級生の片岡一九の依頼で善意で大和証券の簿外損失を預かるようになったとはいえ、被告会社の能力をはるかに超える損失を公表経理として計上することとならざるを得ず、大和証券はその損失解消のための実効ある努力もしないどころか簿外損失額は増加するだけであった。

四、被告人宮崎は、これに不安を抱き大和証券に対し、早期に預り損失額を減少するよう求めたものの全く無視され、却って「流すぞ」とあたかも大和証券は被告会社に預けた簿外損失をそのまま放置し、無関係を装うかの如き態度を示した。口約束だけで始めた被告人宮崎としては、大和証券に無関係を装われた場合、被告会社が対外的にその真実を弁明したとしても、信用ある大企業の言い分と零細企業である被告会社の言い分では被告会社が対外的には圧倒的に不利であり、仮に大和証券から数十億円もの簿外損失を預けられたまま放置された際には被告会社としては到底対処の仕様がなかったのである。被告人宮崎としては、言われるままに大和証券が被告会社に移し変える多額の簿外損失をうけ入れざるをえなかったものである。しかも、大和証券は、多額の簿外損失を被告会社に移し変える際にも被告人宮崎に事後的に報告するだけであり、被告会社を「まるでゴミ捨場のように考えて簿外損失を押し付けてきた」のである(前同調書二一丁表)。被告会社と同様に、従前大和証券の簿外損失を引き受けていた一部上場企業等信用ある企業であるジャパンインベスト、東海興業、レナウン、ウシオ電機、スバル興産、資生堂、東宝、三越、アマダ、協和発酵、三共電機等(前同調書一五丁裏、平成元年八月三日付片岡一九検面調書四丁裏、同年七月三一日付松永晴夫検面調書五丁表。但し、松永調書は甲第二〇号証)が順次その簿外損失の預りを拒否するに至り、大和証券はその格好の移転先として被告会社を使い、大和証券の全ての簿外損失を集めた上その損失解消のための実効ある努力を行わなかったものである。却って大和証券の意のままになることから大和証券及び同社内部の各担当者の出世競争の為、被告会社が利用されていたことを察知した被告人が(被告人宮崎の前同調書二二丁表)、被告会社を「ゴミ捨場」と考えざるを得なかった事情も十分理解できるものである。このようにして、被告人らは、大和証券の一方的な便宜のために行われる簿外損失処理を行う格好の存在として完全に取り込まれていった。

そして、右処理に当たっては大和証券から被告人宮崎に対し「表向きは全て被告会社のものとし、大和証券は全く関係のないものとしてやれ。」との厳命がなされ、巨額な株式売買に関与する者としてはその信用こそが唯一の財産であることを知悉していた被告人宮崎は、右厳命を守って大和証券の指示に従って行動していたのである。

五、大和証券は当初から前記簿外損失処理に関する資料等は全て破棄するよう被告人宮崎に指示し、大和証券は全て破棄して右処理に関する証拠を隠滅していた模様であるが、被告人宮崎にとっては何らかの資料がなければ巨額な金額が被告会社の経理に残ってしまうことの不安感を抱いた。そこで、被告人宮崎は独自に備忘録としての、簡略な「メモ」程度の証拠は右処理の都度とっていたものであり、被告人の記憶でも、大和証券から引受けた簿外損失額は右当時約八〇億円位であったはずであった。即ち、被告人宮崎は、大和証券が、同社と他の証券会社との競争、並びに大和証券内部の担当者の出世競争のため、顧客に対する損失保証を行い、その結果生じた損失を暫時簿外処理しており、これら証券取引法第五〇条第二号に違反する損失保証契約の事実及び粉飾決算の事実を隠蔽するため被告会社を利用するだけ利用するとの態度等に腹を据えかねていたのである。そこで、被告人宮崎は、被告会社も独自の資金でかねてより株式取引をしていたことから、更に、大量な株式取引を行い多額な利益を得ようと考え、昭和五六年頃から被告会社も独自の利益を得るため大和証券が簿外損失を維持する為に調達した資金の内の余裕部分を大和証券に秘し使用して被告会社独自で株式取引をした(平成元年一〇月一一日付被告人の検面調書八丁表乃至裏)。しかし、その結果被告会社独自の計算で行った一連の株式取引により生じた被告会社の累積損失額は、昭和五七年末に税務当局の調査が入った頃には約二〇億円余りにもたっしていたものである。確かに、大和証券が被告会社名義の口座を利用して同社の簿外損失を被告会社に預け入れていた特殊性から、個別的な数字をもって被告会社独自の損失と大和証券からの預かり損失とを判然と区別することは不可能な状態であったが、被告人宮崎は、大和証券の調達してきた資金を被告会社独自の計算により自社の株式取引をしていたという特別な事情があったためその収支の概算については明確に記憶しており、それによれば被告会社独自の損失類型は約二〇億円位はあったものである。大和証券担当者であった石崎蔵も、税務当局が示した簿外損失認定額については余りにも多すぎると考えていた(平成元年九月一日付石崎蔵検面調書五丁裏)。

六、昭和五七年末に被告会社に税務当局の調査が入り、被告人宮崎は大和証券の右厳命に従い一貫して大和証券から引受けた簿外損失約八〇億円位も被告会社のものとして対応したが容れられず、昭和五八年春頃に至って、税務当局は被告会社に対し突然右口座の金額のうち九八億〇九八八万八九三〇円を大和証券の簿外損失と認定したうえで、これを被告会社の仮勘定として処理するよう指示すると共に右処理に沿う更正決定の通知を行ったものである。右金額を被告会社の仮勘定として処理することについては、担当調査官(当時東京国税局直税部資料調査第三課主査 須藤孝一氏。)と大和証券担当者(当時大和証券業務部付部長 石崎蔵氏)の両名が協議の上被告人宮崎とは関係なく決定したものである。勿論、大和証券としても、当初税務当局より簿外損失として認定された右金額には納得していなかったことは明らかである(平成元年九月一日付石崎蔵検面調書五丁裏)。しかし、大和証券は、長年に恒り被告会社等を利用して簿外損失を預からせてこれを公表経理に計上せず、粉飾決算をしていたという事実が大蔵省証券局にまで発覚するのを恐れ、早期に解決すべく税務当局に協力して右金額を自社の簿外損失と認めることを了承したものである(平成元年七月三一日付松永検面調書一一丁裏参照。甲第二〇号証)。勿論、被告人宮崎は大和証券の簿外損失と認定された金九八億〇九八八万八九三〇円とする税務当局の更正決定に対しては、当時から右金額については納得していなかった(平成二年二月二三日第三回広範における被告人公判調書中本文六丁表、七丁表。甲二一号証松永検面調書七丁裏)。

これに対し、右両名は被告人宮崎に対し右金額による仮勘定処理で納得するよう強請し、被告人宮崎から「大和証券の簿外損失額はもっと少額で約八〇億円ではないか」と強く主張するも一向に聞き容れてもらえず、あまつさえ担当調査官は被告人宮崎に対し、税務当局の行う右仮勘定処理による更正決定に対し被告会社は異議を申し立てない旨の嘆願書の下書きまで準備のうえ、税務当局と大和証券との協議により決定したことに従うよう強く迫ったものである。被告人宮崎としては、被告会社名義の前記口座にあった巨額な金額をどのような資料、根拠により大和証券の簿外損失部分と被告会社独自のものと線引きして右仮勘定金額を決定したのか説明もうけず又被告人宮崎の主張も聞き容れてもらえなかったことから、税務当局と大和証券との前記決定及び更正決定に対し被告会社は異議を申し立てない旨の嘆願書に署名することには到底承服し難かったものの、既に大和証券の簿外損失を同社の指示と計算のもとに被告会社が引き受けるというシステムに完全に組み込まれていたため、税務当局と大和証券とが協議の上決定した右処理について拒否することはできず、被告会社及び宮崎産業株式会社等被告人宮崎が経営する会社のみが更正をうけ、指示に従い異議申立もせず、これに対する納税を行ったのが実情である。

七、なるほど一般的には、自社の損失が解消されることは利益ではあるが、被告人宮崎としては、税務当局から何らの合理的説明もなく一方的に被告会社の損失をも大和証券の簿外損失部分とされ、又、仮に、当該決算期に被告会社に利益が生じていたとしても約二〇億円の累積損失額があるため、その累積損失補填の経理処理を行うと少なくとも当該決算期には、課税されるべき利益は存在しないことになる。それにも拘わらず、同利益が存在するものとして被告会社を含め被告人宮崎が経営する関連会社に対しても多額の課税処分がなされるという現実的な損失を被るということになった。同人としては、税務当局の前記処理にはおよそ承服し難ったものの、前述の如き被告会社と大和証券との力関係よりやむなく税務当局並びに大和証券の指示に従ったものである。従って、被告会社の昭和五七年九月期決算における税務処理に当たっては、税務当局の強い指導にもとづき実際は被告会社の損失累計合計額約二〇億円も含まれた金額である金九八億〇九八八万八九三〇円は大和証券の簿外損失であるとして仮勘定による処理が行われ、そのまま昭和五八年九月期決算に引継がれていることを付言しておく(平成元年一〇月一二日付被告人宮崎の検面調書添付書類)。

第三、いわゆる「木下、内田メモ」について。

一、証拠能力について。

本件では、大和証券の被告会社に預けていた簿外損失額の推移に関し、被告会社より押収されたいわゆる「木下・内田メモ」に記載された金額が正確なものであるとの前提で各参考人調書が作成され、それを基に被告人宮崎の取調べがなされ同人の調書が作成されている。しかし、右メモが作成されたのは、昭和五七年末に被告会社に税務当局の調査が入り、被告会社名義の口座を利用した大和証券の簿外損失の実態があばかれたものの被告会社独自の右口座を利用した取引も混在していて明確な被告会社と大和証券との明確な線引ができない状態であったため、税務当局の指導をうけつつ、大和証券内部の説得の資料とするため右調査が入ってから具体的な資料にもとずくことなく大和証券担当者により急拠作成されたものであり、昭和五七年七月より少なくとも同年一二月までの取引内容の具体的な正確性を保証するものでは決してない。被告人宮崎が右メモを受け取ったのも昭和五八年に入ってからであり、それまで右メモのような形で毎月末に残高の確認はしていなかったものである。そして、被告会社独自の損失をも含めた金額を大和証券の簿外損失として処理していることに照らしても、税務当局の右処理による数字を前提とする以降の被告会社と大和証券との簿外損失額に関する数字の信憑性も極めて疑わしいものと言わざるをえない。

二、証明力について。

1. 右メモ自体は、大和証券担当者が作成したものであり、その作成過程において被告人宮崎は全く関与していない。そして、被告人宮崎は、被告会社に税務当局の調査が入り、調査の結果として具体的な数字をもって大和証券の簿外損失額が示された昭和五八年に入った頃に、初めて大和証券より右メモの交付を受けたにすぎない。

2. 右メモの記載は、昭和五七年七月以降に限って作成されており、しかも、同月分の記載は同月末現在の各項目数字しか記載されていない。同年八月分の記載も以降の月の記載内容に比し著しく簡略なもので取引数も少ない記載内容になっている。右七月、八月分の記載は、税務当局により認定された大和証券の簿外損失額にあわせるために意図的に算出された数字と思われる疑いがある。

即ち、同年八月以降については、右七月末時点における簿外損失の預り残高額を基礎として突如詳細な取引額を含めた取引内容の記載がなされるようになっており、各月末の簿外損失累計額が算出されている。そして、右メモが税務当局の調査が入った後に何ら具体的資料にもとづくことなく急拠作成されたと思われること及び右メモ自体大和証券の会社経理を明らかにするために正規に作成されたものではないことなどその作成経過に照らしてもその信用性は極めて低い。右メモは、右メモ中の昭和五七年七月末における記載された金額が正確であることが立証されてこそ以後の累計金額の正確性も担保されることとなり、全体として初めて価値のあるものとなるにすぎないのである。

昭和五九年一一月に、大和証券が簿外損失の解消を企り全額を解消できるように計算して、大和ビル管理株式会社の株式を売却しているが、その計算の基礎となっているのも元をただせば、右メモの数字となっていることを指摘したい。

3. 宮崎産業株式会社に存置された大和証券の仮勘定二億〇七四四万九一四二については、右メモに全く記載がないなどからみても、同メモは、具体的事実に基づかないで作成されたことは明らかである。

三、被告人宮崎が所持していた理由

被告会社らは、税務当局による前記調査により大和証券の簿外損失処理が税務当局に明らかになったのであるから以後は右金額も減少するものと期待していた。しかし、大和証券としては前記簿外損失の処理が仮勘定という項目処理により税務当局から認知されたものと考えたのか従前に比して多数回且巨額な簿外損失処理を行うようになり、前記被告会社名義の口座で引受けた大和証券の簿外損失引受額は増大するのみで一向に減少せず、その金額の多さ故に被告人宮崎としては、仮に大和証券内部で人事上の内紛が生じて同社の簿外損失による処理方法が指摘された場合どのように対処すべきか以前にも増して注意せざるをえなかったものである。というのも、税務当局の右調査以後大和証券は簿外損失処理の存在が社会一般に知れ、これにより同社の社会的信用が失逐することに危機感を覚え、被告人宮崎に対し、以前にも増してより一層強く簿外損失の処理に関する連絡メモ等の書類は直ちに廃棄する様求めてきており、被告人宮崎としては、金額が巨額であるため零細企業である被告会社では到底支えきれるものではなかったからである。被告人宮崎が、大和証券は証拠湮滅の為破棄したという「内田・木下メモ」を保管していたのは万が一の場合に備えて手がかりとなる一資料として密かに保管していたゆえんである。そして、右税務当局の調査から二年余り従前通りの関係が大和証券と被告人らとの間で継続していったのである。

第四、昭和五九年一一月に行われた大和ビル管理株式会社(以下「大和ビル管理」という。)株の相対取引について。

一1. 雑収入中、迷惑料六億八九〇七万一六五三円は大和証券による大和ビル管理の株式売買益の一部が大和証券及び被告会社が利用している被告会社名義の預金口座に残っているだけであり、昭和六〇年九月三〇日現在未だ被告会社の収入とはなっていない。

2. 大和ビル管理株式会社の株式売買の当事者は売主が大和証券、買主が鹿島建設ほか十会社(石崎検調に詳細な供述がある)であったことが明らかであり、その売買の利益の帰属主体は大和証券であって被告会社ではない。松永晴夫も大和ビル管理の株式の売買は、価格の設定売先の交渉の一切、大和証券が行ったもので、この利益の約一一三億七二五六万円は当然大和証券に帰属するもので、被告会社のものではないと供述している(平成元年七月三一日付検面調書甲二一号証、一三丁表)。

3. 大和証券の担当責任者の一人である石崎蔵によると右売買益のうち六億八〇〇〇万円を大和証券が利用していた被告会社名義の口座に最終的に残るようにと考えて売却する大和ビル管理の株式数を三二万五〇〇〇株と計算して処理したが、計算を誤って約八億五〇〇〇万円が残高として残る結果になり、その誤りの調整として、利付国債の取引を行い、これで約六〇〇〇万円の損失をわざわざ出し、これらの結果、六〇年三月末の残高を六億八九〇七万一六五三円としたというのである(平成元年九月一日付石崎蔵検面調書一七丁裏ないし一八丁表)。

大和証券は、その迷惑料などの支払いを現実に行ったことはなく、被告会社名義の三井銀行日本橋支店口座を利用して大和証券が有価証券取引を行った際に生じた売買益が計算上、あくまでも計算上六億八〇〇〇万円に近い金額を大和証券が利用していた被告会社名義の銀行口座に残るよう操作したのである。この操作には被告会社の関与は全くなく大和証券が独自に単独で操作したものである。

4. しかも、右石崎によると、平成元年九月一日の検察官に対する供述の時点においてもなお、大和証券が利用していた被告会社名義の銀行口座に残された当該株売買益にあたるものが計算上、六億八九〇七万一六五三円のうち九〇七万一六五三円については大和証券の金員であって返還請求を求めるべきものであると述べ(平成元年九月一日付石崎蔵検面調書二〇丁表)、迷惑料の授受に関する精算が終了していないことを認めている。

5. 大和証券と被告会社との間に迷惑料の授受、金額についての交渉はもたれているが、その支払時期についての合意はない。

支払時期すなわち収益の発生、帰属すべき時期の合意がなく、しかも、精算が終了していない時点では、いまだ当該時期の収入として取り扱うことができないことは会計処理上明らかである。

6. ところで、税務当局は、大和証券の昭和六〇年九月期の税申告につき、大和ビル管理の株式売買益を、本件迷惑料を含めた全額について当期の大和証券の利益として認定し、他方、被告会社への迷惑料の支払を当期の損金として認めず更正決定をしている。

このことは、新聞報道等を通じ、周知のことである。

この点からみても、迷惑料は被告会社に昭和五九年一〇月から同六〇年九月までの間の収入と考えることの不当性が裏付けられる。

二1. ところで、右の如く大和ビル管理株の相対取引は、大和証券が被告人宮崎の了承を得ず一方的に行ったものであり、被告会社名義の口座に残置された金額数字も被告人宮崎としては事後的に了承せざるを得ないものであった。

即ち、前記経過をたどり被告会社は大和証券の簿外損失の引受けという同社の粉飾決算の中に完全に組み込まれていたところ、同社は昭和五九年一一月になり被告会社に対し、突然大和証券の所有する大和ビル管理株三七万五〇〇〇株を八〇一円で買い、三万一三〇〇円で転貸させその売買差益で被告会社に引受けさせていた累積簿外損失を消滅させようと企てその旨指示してきたものである。

2. 確かに、原審判決が認定する如く被告人宮崎において、右簿外損失の消滅に伴い被告会社との関係が精算されることにより「かねてより右口座の大和証券の資金を利用して被告会社独自で有価証券取引を行っていたため、今後右資金が利用できなくなること、簿外損失に隠れていた被告会社の取引による利益も一挙に表面化すること、いずれ大和証券が右損失を解消するために行うと考えていた方策に被告会社も加わり巨額の利益を上げようと考えていた目論見が実行できなくなること」も理由となり「右計画に難色を示したこと」は事実である。

そして、被告会社が従前大和証券の指示により同種行為を行っていたことも事実である。

しかしながら、被告人宮崎が大和証券からの右計画に難色を示したもっとも強い理由は、被告会社が従前大和証券の指示により行ってきた従前の同種行為は通常有価証券売買としてありうる金額、数量の範囲内での指示であったがこれと異なり、右計画は同一銘柄の大和ビル管理株三七万五〇〇〇株という大量の株式を買い値の実に三七・五倍もの値段で直ちに転売するという通常の有価証券取引では考えられない、そして、一般投資家からは強い怒りを買うであろう異常な取引形態であることにあった。つまり、右計画が異常な取引であり、後に必ず露見し重大事となることが予見され、その場合被告人らも大和証券内の内紛及び税務当局との関係等右株式の買側・売側双方に関わる最重要な立場になる者としてその責任を追求されたり、少なくともその混乱に巻き込まれることは必至と考えたからである。被告人宮崎として大和証券の右計画には強く難色を示した所以である。

3. ところで、大和証券は「国税、(大蔵省)証券局ともに了解をとってあるので全く心配はない。大和が全面的に責任を持つ。被告会社には迷惑はかけない。」と強く迫り、被告人宮崎が前記理由で難色を示していると最後に「やりますよ。」と一方的に通告してきた。

そして、数日して大和証券が被告会社へ大和ビル管理株の被告会社名義による売買に関する買い及び売りの伝票を一括して同時に送付してきた。これにより被告人宮崎は自分の反対にもかかわらず右計画が実行されてしまったことを、初めて知ったのが実情である。

4. 原審判決は「大和証券から被告人宮崎に対し事前に迷惑料として金六億八〇〇〇万円を支払うことの申し入れがあり被告人宮崎もこれを了解した」後に右計画が実行された旨認定しているが(原審判決の争点等に対する判断二、6)、右に述べたのが実情であり右認定は事実に反するものである。

5. 被告人宮崎としては、右計画の実行が異常な有価証券取引であると認識しておりこれが発覚時には重大事となることが十分予見できたので大和証券から申し入れのあった迷惑料については「今始まったばかりであって、(本件処理は)時効が完成して初めて終わる。」と答え、具体的な数字を被告人宮崎から提示し要求していない。

また、大和証券からの迷惑料の申し入れも右計画の実行後に具体的に持ち込まれたものである。

したがって仮に迷惑料の授受が被告会社の当該時期の収入と認定されるとしても、被告人宮崎としては、原審判決が認定する如く「後に大和証券から報告を受け、迷惑料が右口座に残されたことを了解」せざるをえなかったにすぎない(原審判決の争点等に対する判断二、8)。いわば大和証券が被告会社名義の口座に勝手に残していった数字を、後に被告人宮崎も、取引も既に実行してしまっているという有無を言わせぬ大和証券の態度に了解せざるを得なかったというのにすぎないのであり、かかる経緯は必ずや量刑に重大な影響を及ぼすものと弁護人は確信するものである。

三、飛栄産業株式会社との相対取引について。

原審判決は、その量刑理由において、被告会社と飛栄産業株式会社との相対取引に関し「粉飾決算により架空利益の計上をもくろむ企業側に有利な相対取引をして被告会社側に損失の発生を仮装した」ことを上げて被告人らのほ脱行為の悪質性を指摘する。

確かに、被告会社側に損失の発生を仮装したことは事実であるが、右行為は被告会社が積極的に企ったものではなく、大和証券から強く懇請された結果である。

即ち、被告人宮崎は大和証券担当者松永晴夫より「何とか飛栄の話を聞いてやってくれ。」と強く懇請され、飛栄産業株式会社に利益が生ずるような相対取引を求められたものである。そして、従前大和証券の巨額な粉飾決算の実情を目のあたりにして粉飾決算について自ら関わることに慣れさせられていたこと、従前大和証券が資金調達のため借り受けていた債権等約三〇億円分については引き続き利用できるように大和証券に便宜をはかってもらっていた負い目があったことなどから、被告人宮崎も大和証券からの右申入れを断りきれなかった。その結果の相対取引であるが、その相対取引自体も、大和証券の担当者山岡の指示に従って株式の相対取引が行われたのである(被告人宮崎の平成元年一〇月一〇日付検面調書九丁表裏)。

従って、被告会社と飛栄産業株式会社との右相対取引も被告人宮崎にとり、いわば「大和証券の指示」により行われたものと考えられ、原審判決が「大和証券が昭和五九年一二月以降は右口座を利用した新たな取引をしておらず」ととらえ、あたかも飛栄産業との取引が単に被告会社の独自かつ自由な判断で行ったものと認定したのは一面的な理解にすぎず、被告人らの情状に関する事実認定としては不十分と言わざるをえないものである。

四、架空名義による株式の取引について

原審判決は、被告会社が架空名義による株式の取引を行っていたことをもって、極めて計画的且つ巧妙で悪質であると指摘している。

しかし、架空名義による株売買は、他の取引と異なり、市場において行われているのである。つまり、本件の有価証券(株式)を買う時点においては、これが売買益となるか売買損になるかは全く不明である。

本件につき、例えば、「ファナック」銘柄は全部株式会社村越の架空名義で取引がなされているところ、逆に一億一、三八六万九、〇九五円の売買損を生じたのである。ところが右取引は被告会社名義により行われていないため、被告会社においては、これを自社の損失に計上できないという税法上の不利益を負っている。従って、架空名義による取引を考えるうえで売買益が生ずる場合のみをことさらに強調して、その手段方法が悪質であるというのは片手落ちのそしりを免れない。

五1. 税務当局による被告会社に対する査察状況の不自然性について

その後、被告会社は昭和六二年一〇月二二日に再度税務当局の査察を受け、被告人らはやむなく全ての関係書類を提出したうえ税務当局の指示に従い修正申告を行う用意をしていた。

しかしながら、右査察により被告会社と大和証券との従前の関係を査察担当官が知るに至ってからは調査は全く進展せず、被告人宮崎が調査の督促、修正申告額の指示を求めても何ら変化がなく、税務当局の被告人宮崎に対する事情聴取、修正申告の指示、更正決定の通知等何らなされない状態にあったのが実情である。被告人宮崎としては、進んで修正申告をしようとしたが関係書類は税務当局が全て持ち去っていて申告の資料もなく、また、税務当局の担当官も短期間に三度も交替するなど被告人宮崎にとっては税務当局が意図的に時の経過を企っているのではないかと思われたほどである。

そして、昭和五九年一一月から五年近く経過した、平成元年一〇月四日税務当局からは昭和六二年一〇月の査察以後何らの指示がないまま突然被告人宮崎は逮捕されるに至ったものである。

被告人宮崎は、税務当局からの指示を督促し、その指示を待っていたにも拘わらず何らの具体的指示もないまま約二年余りも放置されたうえ突然身柄拘束を受け、ほ脱額についても身柄拘束を受けて初めて知らされた状態であった。

2. ところで、大和証券は他の証券会社との競争に、そして、大和証券内部では各担当者相互で互いに出世競争に勝たんがために証券取引法第五〇条三号に違反し、顧客に対し、損失保証を行い、その結果巨額の簿外損失が生じた。

これ自体問題であるのに、大和証券はその解消の為金三万一三〇〇円の価値があり、実際にもその価格で売却できる大和証券所有の大和ビル管理の株式三七万五〇〇〇株をわずか金八〇一円で売却した。

かかる会社資産の異常な廉価による売却は大和証券という会社自体に多大の損失を与えるものであり右売却に関与した取締役は商法第四八六条特別背任罪にあたる。

ところで、右犯罪は公訴時効が五年である。他方、大和証券の担当者石崎蔵によると、大和ビル管理の右の如き株式処分は、大蔵省証券局及び国税当局から了解を得たうえでなければ実行することはできないものであるとのことである。

すると、翻って考えてみるに、事実上特別背任については公訴時効にかかってしまうであろう時期まで引き延ばし、政治力の全くない被告人らに対する強制捜査を行ったのではないかと、被告人宮崎は考え、その不公正さに不満を抱いているものである。

六、本件等に関する本税、延滞税、重加算税の納付について。

被告会社が以前より大和証券に無断で前記口座の資金を自社の有価証券取引等のため一部使用していたこと等は原審判決の認定するとおりであり、これにより被告会社もゼロ乃至ある程度の利益を得ていたことは事実であるが、その詳細な金額は右口座の特殊性より不明である。しかし、被告会社が確実な金額は不明ながらも利益が生じていた場合には法人税の支払いを免れていたこととなり、その点被告人らもこれを反省し税務当局の指示を受け何らかの本税等を支払うことについては了承していたものである。

しかしながら、被告人宮崎が本件等の修正申告の指示、納付税額の提示を税務当局からうけたのは拘置所内において接見室のガラス越しになされたものであって、その内容の正確性についての説明ないし根拠を吟味できる状況になく、自己の経営する会社の先行きを心配して一時でも早く保釈許可決定を得て身柄拘束から解放されたいと願う被告人宮崎にとっては税務当局からの指示については無条件で従い、指示どおりに納付する以外の方法はなかったのが実情である。

とりわけ、原審弁護人も指摘する如く、昭和五九年度分についてまで本税、延滞税、重加算税の納付指示をうけ、右状況にあった被告人宮崎としてはその内容、根拠について税務当局の何らの説明を求めることもなく、また弁解することもなく時効寸前ではあったもののその指示どおりに従わざるをえなかったものである。

被告人らとしては、被告人らが右各年度に関する税務当局からの指示を受け容れざるを得ない心理的物理的状況にあったことを御庁においては十分御理解戴くよう強く望むものである。

七、被告人宮崎及びその家族の状況

被告人宮崎は、胃癌の為、胃の切除手術を受け、その再発・転移防止の為抗癌剤の投与を今も受け続けている。

癌の発生の原因の一つとしてストレスが考えられているが、どの学説に従っても、ストレスが生じることは癌の再発防止にとり避けなければならないもとの考えられる。

そして、現在心労の為神経科にかかるに至っている。かかる被告人が、施設内に収容されることになった場合、いよいよ危険な健康状況におち入ることが十分予想される。被告人の妻も、夫の身柄拘束・マスコミの取材・近隣の冷たい目・そして、夫の病気と度重なる心労の為、精神に異常を来し神経科にかかっている。

被告人宮崎の家庭はこのように今回のことで破綻に瀕しているが、まだかろうじて被告人がいることで最低のバランスを維持している状況にある。

しかし、それすらも被告人の施設内収容により完全に失われてしまうと思われる。

第五、結論

一、被告会社会社には約二〇億円の累積した損失があったものであり、これを当該決算の所得金額から控除すべきであってこれを考慮すると被告会社における昭和六〇年九月期の実際所得金額は、原審判決が認定した如き金額とは著しく相異する金額となり、その結果判決に影響を及ぼす重大な事実誤認がある。

二、仮に、累積した被告会社の損失を考慮した結果、被告会社の実際所得金額が僅少に認定された場合には、刑の量定は著しく不当なものである。

三、右に述べた如く、被告人らには本件犯行に至った経緯、犯行状況、犯行後の状況等に関し量刑上考慮されるべき事情が多々みられるにも拘わらず、原審判決においてはこれらが考慮されていないか或いは著しく軽視されて刑の量定がなされているものと言わざるを得ない。

1. 被告人らとしては、被告会社の本件ほ脱事実は事実としてこれを悔悟、反省しており二度と同種犯行に及ぶことのないことを誓っているところである。そして、被告人らとしては御庁において、本件犯行が、中小零細企業である被告会社と大企業である大和証券との「簿外損失処理」をめぐる関りにその土壌をもち、昭和五八年春頃税務当局と大和証券の一方的協議により被告会社に存置された約九八億円及び宮崎産業に存置された約二億円の各仮勘定処理に遠因をもち、昭和六二年一〇月に実施された税務当局の査察により早期に被告会社の不正経理即ち大和証券の粉飾決算の嫌疑が再度確認されたにもかかわらずこれを約二年余りも税務当局が放置していたことが事案の真相解明を著しく遅延させていたこと、税務当局の右不自然な行動があったものの被告会社としては、被告人宮崎が身柄拘束中税務当局より指示された昭和五九年度及び本件に関する各修正申告、本税、延滞税、重加算税の支払い指示に対しては、自らの潔さと贖罪の気持ちを込め金融機関から多額な借金を行い全額納付していること、結果として被告人宮崎が財産とするその信用が大和証券によって利用されるだけ利用された挙句昭和五九年一一月に至り大和証券から一方的にその精算がなされ、税務処理に関する公的な制裁は被告人らに対してのみなされている。

2. ところで、被告人宮崎には何らの前科・前歴もない。同人は、本件に関する新聞・テレビ等のマスコミ報道により、同人はもとより同人の妻も精神に異常を来すほどの社会的制裁を受けている。同人は生まれて初めて、そして三八日間に及ぶ長期間の身柄拘束を受け、既に事実上の制裁を受けているものである。同人はいかなる事情があったにせよ本件行為に及んだことを深く反省している。

3. 以上の諸点を十分審理ご斟酌して戴き、原審判決を破棄したうえ、御庁による社会的正義に適った被告人らも心底納得できる公正な刑であるべき執行猶予付の判決を切に賜りたく、控訴に及ぶものである。

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