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東京高等裁判所 平成2年(ネ)3876号 判決 1991年11月28日

控訴人

源田明一

右訴訟代理人弁護士

榎本峰夫

中川潤

被控訴人

株式会社ベンカン

右代表者代表取締役

中西真彦

右訴訟代理人弁護士

長浜隆

石井藤次郎

末啓一郎

森島庸介

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実及び理由

第一当事者の求めた裁判

一控訴人

1  原判決を取り消す。

2  被控訴人の請求を棄却する。

3  訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人の負担とする。

二被控訴人

主文同旨

第二事案の概要

一事実の経緯

1  控訴人は、株式会社透信(以下「透信」という。)に対する東京法務局所属公証人柏原允作成の昭和六三年第二七七号譲渡担保付金銭消費貸借公正証書の執行力ある正本に基づいて、平成元年七月三一日、透信が株式会社富士銀行(上野支店扱い)に対して有する普通預金債権五七二万二八九八円につき差押えをした。(争いのない事実)

2  右透信の普通預金のうち五五八万三〇三〇円は、次のとおり、被控訴人が原因関係のないのに誤って透信の預金口座に振込送金したものである。

被控訴人は、株式会社東辰(以下「東辰」という。)から、東京都大田区山王三丁目八番二六号所在の地下一階地上六階建鉄筋鉄骨コンクリート造り建物のうち四階ないし六階部分を賃料一か月四六七万〇一三〇円で賃借し、毎月末日に翌月分賃料を東辰の株式会社第一勧業銀行大森支店の当座預金口座に振り込んで支払っていた。また、被控訴人は、昭和六一年以降、透信から通信用紙等を購入し、その代金を透信の富士銀行上野支店の口座に振り込んで支払っていたが、昭和六二年一月にコピー用紙を購入してその代金を支払ったのを最後に取引はなく、債権債務の関係はなかった。

ところで、被控訴人では、銀行振込をコンピューター処理し、受取人名を片仮名で表示していたことから、東辰と透信とはいずれも片仮名で「カ)トウシン」と表示されていた。また、送金手数料を節約するため、受取人の口座銀行と同一の銀行に振込依頼をすることにしていた。

被控訴人は、東辰に対し、平成元年五月分の賃料と光熱費、清掃費、消費税との合計五五八万三〇三〇円を支払うため、同年四月二八日、同額の金員の振込送金手続をとったが、東辰に対する振込手続を透信に対する振込手続と誤って、振込先を富士銀行上野支店「カ)トウシン」と指定して富士銀行大森支店に振込依頼をしたため、透信の普通預金口座に五五八万三〇三〇円が入金記帳された。

控訴人が差し押さえた透信の普通預金債権五七二万二八九八円のうち五五八万三〇三〇円は、被控訴人の右振込による金員である。

(<書証番号略>及び弁論の全趣旨により認められる事実)

3  被控訴人は、右振込による五五八万三〇三〇円の預金債権(以下「本件預金債権」という。)に対する控訴人の差押えにつき、「目的物の譲渡又は引渡しを妨げる権利」を有するとして、第三者異議の訴えにより差押えの排除を求める。

二争点

1  被控訴人の主張

(一) 振込依頼の錯誤無効による預金債権の不成立

前記のとおり、被控訴人は、東辰に対し賃料等を振り込む意思で、誤って透信に対する振込を富士銀行大森支店に委託したものであるから、右振込依頼は、要素の錯誤により無効であり、透信は富士銀行に対して本件預金債権を取得しない。

したがって、控訴人の差押えも無効である。

(二) 原因関係の不存在による預金債権の不成立

振込金について受取人の預金債権が成立するのは、銀行と受取人の間にあらかじめその旨の包括的な合意が存在するからであるが、右合意を合理的に解釈すれば、有効な預金が成立するためには、振込依頼人と受取人との間に、客観的に正当な受取人と指定されるべき取引上の原因関係が存在することが前提であると解すべきである。なぜなら、受取人は、まったく取引上の原因関係のない第三者から自己の口座に金員が振り込まれても、銀行との間で預金債権を成立させるような法律関係を望んでいないからである。

本件についていえば、透信は、被控訴人からの前記振込金を受領すべき取引上の原因関係がないから、透信の富士銀行に対する本件預金債権は成立していない。

したがって、本件預金債権に対する控訴人の差押えは無効である。

(三) 透信に対する不当利得返還請求権の侵害

仮に、透信が富士銀行に対して本件預金債権を取得したとしても、透信はこれを受け取るべき原因関係がないから、被控訴人は、透信に対してその不当利得返還請求権を有することになる。そして、右不当利得返還請求権は、控訴人の本件差押えによって振込金の回収ができなくなる結果、侵害されるものである。

そして、もし控訴人が執行手続により本件預金債権を受領しても、被控訴人に対する関係において不当利得としてこれを返還すべきことになるものであるから、被控訴人の透信に対する前記不当利得返還請求権は、控訴人にも対抗できる権利であるというべきである。

したがって、被控訴人は、本件預金債権につき、「目的物の譲渡又は引渡しを妨げる権利」を有する。

2  控訴人の主張

(一) 被控訴人の主張(一)は争う。

被控訴人主張のような錯誤を認めると、振込依頼人の間違った指示を信頼してなされた送金が無効となり、手数料返還等の複雑な原状回復の問題が生じ、形式的かつ大量的に行われる銀行送金の法律関係を混乱させる。振込依頼を受けた銀行が依頼人の指示に従って送金した限りは、その処理は法的に有効であり、振込依頼人の錯誤は問題にならないと解すべきである。

仮に、振込依頼に錯誤があったとしても、振込依頼を受けた銀行が口座銀行に送金する関係は、これとまったく別個独立のものであるから、振込依頼の錯誤により無効となるものではない。

更に、被控訴人が本件の振込依頼において、送金先及び被仕向銀行を同時に誤ったことは、重大な過失に当たるというべきである。

(二) 被控訴人の主張(二)は争う。

振込による預金債権の成立には、預金を成立させる旨のあらかじめの合意とこれに対応する振込入金があることで足りる。そのほかに、取引上の原因関係のある入金であることを要するとすることは、受取人と振込依頼人との間の原因関係の存否という為替取引外の事情を問題にすることになり、預金契約の趣旨、預金規定の解釈からして不合理である。

(三) 被控訴人の主張(三)は争う。

透信の富士銀行に対する本件預金債権の成立を前提にする限り、透信に対する不当利得返還請求権を有する被控訴人と透信の本件預金債権を差し押さえた控訴人とは平等な債権者であり、仮に控訴人が右預金を受領しても、被控訴人が控訴人に対して不当利得返還請求ができる関係、すなわち被控訴人が控訴人に優先する関係にはない。したがって、被控訴人は、本件預金債権につき「目的物の譲渡又は引渡しを妨げる権利を有する第三者」に当たらない。

第三証拠関係<省略>

第四争点に対する裁判所の判断

一振込依頼の錯誤無効について

前記の事実によれば、被控訴人は、富士銀行に対し、東辰に賃料等を送金する意思で誤って透信への送金手続を依頼したものであるから、被控訴人の振込依頼には要素の錯誤があったというべきである。

しかし、右錯誤は、被控訴人の一方的かつ単純な過失により生じたもので、被控訴人が従前から支払方法として銀行振込を利用していたことに照らし、著しく注意を欠いたものといわざるを得ず、被控訴人に重大な過失があると認めるのが相当である。

被控訴人の錯誤の主張は理由がない。

二原因関係不存在による預金債権の不成立について

振込金について銀行が受取人の預金口座に入金記帳することにより、受取人の預金債権が成立するのは、受取人と銀行との間で締結されている預金取引契約に基づくものである。

振込金による預金債権が有効に成立するために、受取人と振込依頼人との間において当該振込金を受け取る正当な原因関係が存在することを必要とするか否かも、右預金取引契約の定めるところによるべきであるが、振込が原因関係を決済するための支払手段であることに鑑みると、特段の定めがない限り、基本的にはこれを必要とすると解するのが相当である。

この点は、他銀行にある受取人口座への振込の場合であると、本件のように同一銀行他店舗にある受取人口座への振込の場合であるとによって、異なるところはない。もっとも、現代における振込は、現金に代わる簡便な支払方法として日常的に大量かつ迅速に行われているから、原因関係を欠くとされる場合を広く認めるときは、振込取引の機能を損なうおそれがある。

しかし、本件の振込は、前記のとおり明白、形式的な手違いによる誤振込であり、このような振込についてまで、誤って受取人とされた透信のために預金債権が成立するとすることは、著しく公平の観念に反するものであり、通常の預金取引契約の合理的解釈とはいいがたい。

したがって、他に特別の事情の認められない本件においては、透信の富士銀行に対する本件預金債権は成立していないというべきである。

三本件差押えと被控訴人の第三者異議について

右のとおり、透信は富士銀行に対して本件預金債権を取得していない。被控訴人の振込金が透信の預金口座に入金記帳され、その金銭価値が透信に帰属しているように取扱われていても、実質的には、右金銭価値は、なお被控訴人に帰属しているものというべきである。

しかるに、被控訴人に帰属している右金銭価値が、外観上存在する本件預金債権に対する差押えにより、あたかも透信の責任財産を構成するものとして取り扱われる結果となっているのであるから、被控訴人は、右金銭価値の実質的帰属者たる地位に基づき、これを保全するため、本件預金債権そのものが実体上自己に帰属している場合と同様に、右預金債権に対する差押えの排除を求めることができると解すべきである。

なお、被控訴人は、透信に対して取得する不当利得返還請求権に基づいて右と同一の結論を主張するが、実質的には被控訴人に帰属する金銭価値に基づく異議権の主張と異なるところはない。

第五結論

以上により、本件預金債権に対する控訴人の差押えの排除を求める被控訴人の請求は正当として認容すべきであり、同旨の原判決は相当である。よって、本件控訴を棄却することとし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官佐藤繁 裁判官岩井俊 裁判官小林正明)

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