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東京高等裁判所 平成2年(ネ)4571号 判決 1992年3月30日

控訴人

甲野一郎

右訴訟代理人弁護士

弘中惇一郎

被控訴人

株式会社讀賣新聞社

右代表者代表取締役

小林與三次

右訴訟代理人弁護士

更田義彦

河野敬

主文

原判決を次のとおり変更する。

被控訴人は、控訴人に対し、金五〇万円及びこれに対する昭和六三年一〇月二一日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

控訴人のその余の請求を棄却する。

訴訟費用は第一、二審を通じこれを三分し、その一を被控訴人の負担とし、その余を控訴人の負担とする。

この判決は第二項に限り仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

控訴代理人は「原判決を取り消す。被控訴人は、控訴人に対し、金四〇〇万円及びこれに対する昭和六三年一〇月二一日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決(ただし、当審において、控訴人は、従前の金八〇〇万円の請求を金四〇〇万円に減縮した。)並びに仮執行の宣言を求め、被控訴代理人は控訴棄却の判決を求めた。

第二  当事者の主張

一  控訴人の請求原因

1  当事者

控訴人は、その妻であった甲野春子(以下「春子」という。)を銃撃して殺害したとする殺人事件(以下「銃撃事件」という。)等において被告人の立場にあるものの一貫して無罪を主張している者であり、被控訴人は、日刊新聞の発行等を目的とし、日刊紙「讀賣新聞」を発行している株式会社である。

2  被控訴人の控訴人に対する名誉毀損行為

昭和六三年一〇月二一日、被控訴人は、「讀賣新聞」同日付夕刊第四版一九面に、銃撃事件報道の一環として、「「ナイル殺人事件」、甲野犯行のヒント」とのタイトルのもとに、「小口径、命に別状なし、図書館で下調べも」とのサブタイトルを付した上、「…甲野一郎(四一)が日本でも大ヒットした英国のミステリー映画「ナイル殺人事件」をヒントに犯行計画を立てていたことを突き止めた。」、「特捜本部では、甲野の周辺にいた知人など関係者の証言から、映画好きの甲野が、「ナイル殺人事件」をヒントに、小口径の銃なら足を撃っても命に別条がないことを知り、さらに、国会図書館に通って専門書などで確認のうえ犯行に及んだと見ている。」との各本文記事を掲載した(以下「本件記事」という。)。

控訴人は、前記のとおり、銃撃事件について一貫して無罪を主張している者であるが、「ナイル殺人事件」という映画を見たことはないし(その原作というようなものも読んだことがない。)、また、国会図書館等で本件記事にあるような事項について調査をしたこともない。しかるに、本件記事は、逮捕報道とは別に、控訴人が、「ナイル殺人事件」を犯行の着想源としたこと及びそれを前提に図書館で調査して犯行方法を練ったこと等、虚偽の事実をあたかも真実であるかのように報道したものであって、このような報道は読者をして控訴人が真犯人であることを強烈に印象づけるものであって、控訴人は本件記事によって著しく名誉を毀損された。

3  損害

昭和六三年一〇月二〇日、控訴人は銃撃事件について殺人の疑いで逮捕されたが、一貫して被疑事実につき否認していたものであり、無罪推定の原則からしても、マスコミが有罪判決に先立ってあたかも被疑者が真犯人であるかのような断定的な報道をなしてよいはずがないのであって、極めて著名で影響力のある「讀賣新聞」に本件記事が掲載されたことによる控訴人の信用失墜、精神的苦痛は計り知れない程大きいものがあった。また、被控訴人は控訴人が無罪を主張していることを知りながら敢えて控訴人側への取材を行っていないものである。そして、控訴人は、平成元年三月三〇日、初めて本件記事の存在を知り、その頃、被控訴人に対して本件記事が虚偽であることを指摘して善処方を求めたのに、被控訴人は、確実なニュースソースに基づいて記事にしたもので取材に誤りはない旨回答するのみで誠実な対応をしなかった。これらの事情を考慮すると、その損害は少なくとも八〇〇万円を下らない。

4  よって、控訴人は、被控訴人に対し、不法行為に基づく損害賠償請求権に基づき内金四〇〇万円及びこれに対する不法行為の日である昭和六三年一〇月二一日から支払済みに至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する被控訴人の認否等

1  請求原因1のうち、控訴人が銃撃事件の被告人の立場にあること、被控訴人が日刊新聞の発行等を目的とする株式会社で日刊紙「讀賣新聞」を発行していることは認めるが、その余は不知。

2  請求原因2のうち、被控訴人が、昭和六三年一〇月二一日その発行にかかる「讀賣新聞」同日付夕刊第四版一九面に本件記事を掲載したことは認めるが、本件記事が虚偽であることは否認し、名誉毀損に関する主張は争う。「ナイル殺人事件」はいわば健全な娯楽作品であり、かかる映画ないしその原作を鑑賞すること自体は、もとより控訴人の社会的評価を低下させるものではなく、国会図書館に通って専門書を閲覧することも同様であって、ここでは銃撃事件とのかかわりでその犯行の着想源としての意義を有するに過ぎない。したがって、「ナイル殺人事件」が控訴人の犯行の着想源ではなく、また、控訴人が国会図書館に通って専門書による確認をした事実がなかったとしても、銃撃事件が控訴人の犯罪行為である以上、右の事実自体は控訴人の名誉をなんら毀損するものではなく、また、それは控訴人の前科前歴、病歴、信用状態等の極めて重大な個人的な事項に関するものでもないから、本件記事は控訴人の名誉をなんら毀損するものではない。

控訴人は、昭和六三年一〇月二〇日銃撃事件の被疑者として逮捕されたが、被控訴人は、右逮捕の前後を通じて銃撃事件が控訴人の犯罪行為であるとする一連の記事を大々的に報道していたものであり、本件記事も前日の逮捕報道に続くものとして、控訴人が銃撃実行犯に自分の足を撃たせたとする嫌疑とこのことに関する捜査状況を報道したもので、銃撃事件が控訴人の犯罪行為であり、控訴人が銃撃実行犯に自分の足を撃たせたとする嫌疑がある以上、銃撃事件によって逮捕され、その報道もなされていた控訴人としては右のようにして低下した社会的評価に甘んぜざるを得なかったのであるから、本件記事によって更に控訴人の社会的評価が低下したとは認められないものである。犯行の着想源に関する事項を報道した本件記事のごときは逮捕されたという事実以上に被疑者を犯人であることに間違いないと思わせる効果を有するものではなく、その効果は逮捕及びその報道による効果にすべて吸収、包摂されるものである。したがって、控訴人が、銃撃事件の被疑者である旨の犯罪報道によって同人の名誉が毀損されたと主張するのであれば格別、これとは別個の名誉の毀損があると主張するのは失当というべきである。

3  請求原因3は否認する。

三  被控訴人の抗弁

1  公共の利害に関する事実、公益を図る目的

前記のとおり、控訴人は銃撃事件の被疑者として昭和六三年一〇月二〇日に逮捕されたが、被控訴人は右逮捕の前後を通じて右事件が控訴人の犯罪行為であるとする一連の記事を大々的に報道していたものであり、本件記事は、前日の逮捕報道に続くものとして、控訴人が銃撃実行犯に自分の足を撃たせたとする嫌疑とこのことに関する捜査状況を報道したものであって、公共の利害に関する事実に係りもっぱら公益を図る目的に出たものである。

2  記事の真実性

本件記事は、「銃撃事件は銃撃実行犯に控訴人の足を撃たせて被害者を装うトリックの手口の点において、映画「ナイル殺人事件」と酷似している。捜査当局は、控訴人が「ナイル殺人事件」をヒントに、小口径の銃なら足を撃っても命に別状がないことを文献上も確認して本件犯行に及んだと見ている。」との事実を主要な報道内容とするものであるところ、右事実は真実である。なお、控訴人が映画ないし原作をいつどこで見たか、また、国会図書館にいつ行き、いかなる専門書によって下調べをしたかなどの反社会的評価を受けない事項は、主要部分ではなく、真実性の証明対象ではないというべきである。

3  真実と信ずべき相当の理由の存在

本件記事は被控訴人の社会部警視庁クラブ(以下「被控訴人警視庁クラブ」という。)において取材したものであるところ、仮に、本件記事の内容が真実でなかったとしても、次のような取材経過を経て記事としたものであり、被控訴人はその内容となった事実を真実と信じたものであって、真実であると信ずるについて相当の理由があった。

(一) 当時、被控訴人警視庁クラブは記者中村清昭(以下「中村記者」という。)をいわゆるキャップとして一一名で構成されており、中村記者は捜査一、三課担当の記者三名を率いて、昭和六三年五、六月頃以降活発に銃撃事件の取材に当たっていた。そして、右中村記者ら(以下「中村記者ら」という。)は、同年九月末から一〇月上旬にかけて、控訴人が右事件で逮捕される日が近いものと見て警視庁捜査本部(以下「捜査本部」という。)所属の捜査員に対して頻繁にその捜査状況を取材していたところ、同年一〇月一〇日頃捜査本部において映画「ナイル殺人事件」のビデオ鑑賞が行われたことを知った。

(二) そこで、中村記者らは取材を進め、捜査本部において、控訴人が、銃撃事件に先立って乙川夏子(以下「乙川」という。)らに春子を殺害する計画を持ちかけた際、ピストルによる殺害を図る方法についてはその銃撃実行犯に控訴人の足を撃たせるなどして犯行の発覚を防ぐ旨を述べ、いわゆる完全犯罪を図ることに自信を示していた旨乙川が殴打事件において供述していたことなどから、控訴人の犯行のヒントについて検討し、「ナイル殺人事件」が妻の財産を取得することを狙って同女を殺害するについて凶器としてピストルを用いた上、自分の足を撃って犯行をカムフラージュする点において銃撃事件と酷似していること、また、凶器がいずれも二二口径のピストルであることなどから、控訴人が映画「ナイル殺人事件」を着想源としたとの見方を強めていることを知った。

(三) また、中村記者らは、捜査本部において、控訴人の性格、負傷した部位・程度、後遺症の有無・程度などから、控訴人は、自分の足を撃ってもそれが出血等による生命の危険には結びつかないことなどを予め何らかの方法で調査、確認したものと見ていること、関係者から得た情報に基づき、控訴人が国会図書館にまで通って資料を調べたとの点について捜査を進めていることを知った。

(四) 右のような取材結果に基づき、中村記者らは、念のため、同年一〇月一八日に捜査本部の二人の捜査責任者(幹部)に直接取材して、捜査本部が控訴人の犯行のヒントについて以上のとおり捜査を進めていることを確認した。

(五) 他方、中村記者らは、銃撃事件の犯行態様等について、従前の取材経過を検討し、同年一〇月一五日頃には映画「ナイル殺人事件」のビデオを見て、分析し、更に控訴人の知人等に対して連絡を取るなどして取材結果の確認をする努力をした。

(六) なお、本件記事は、控訴人が銃撃事件の被疑者として逮捕された報道の一環として適時に掲載する必要があった。また、当時、控訴人は一貫して無実を主張しており、仮に、本件記事の内容について控訴人ないしその弁護人に取材してみたところで、裏付けとなるような供述が得られる見込みもなかったので、被控訴人警視庁クラブは、右のような取材を行わなかった。

四  抗弁に対する控訴人の認否等

抗弁についてはいずれも争う(ただし、控訴人が銃撃事件の被疑者として昭和六三年一〇月二〇日に逮捕され、その旨の報道もなされていたことは認める)。

本件記事の真実性について被控訴人が証明すべき対象は、銃撃事件について控訴人が「ナイル殺人事件」を犯行の着想源としたこと及びそれを前提に図書館で調査して犯行方法を練ったことである。

被控訴人は、中村記者らが銃撃事件と「ナイル殺人事件」が酷似していると見た点として、「ナイル殺人事件」も財産の取得を狙って妻を殺害するにつき凶器としてピストルを用い、犯行後自分の足を撃って犯行をカムフラージュすること、また、凶器が二二口径のピストルであることを掲げているところ、ある映画を見ていなければそのような犯行を思いつくはずがないと断ずるには、当該映画のストーリーにおける犯行の手口なり条件がそれなりの特異性を有し、また、その映画を見ればそのような犯行の発想に至るのが自然であるという合理的連想性がなくてはならないはずである。しかし、銃撃事件と「ナイル殺人事件」にこのような特異性、合理的連想性があるとは考えられない。

被控訴人は本件記事の内容となった事実を真実と信じたものであって、真実であると信ずるについて相当の理由があったと主張するが、銃撃事件のように警視庁が捜査本部を設け、大量の専従捜査員によって捜査活動をする場合、捜査員はあらゆる可能性を考えて、多くの関係者から情報を聴取し、様々な事柄の検討を行うのであって、そこで検討の対象とされたことから、直ちに、その事柄が真実であるとか、事件において重要な意味をもつということにはならない。捜査当局の公の発表のない段階では、たとえ権威のある捜査官から直接取材していたとしても、相手方から裏付取材さえしていないのであれば、誤信したことについて相当の理由があったとは到底いえないのであって(最一小判昭和四七年一一月一六日)、本件において、被控訴人は右裏付取材さえしていないのである。そもそも、銃撃事件の刑事裁判において本件記事に係る内容が冒頭陳述等において主張されたことがないのみならず、本件記事に係る内容を被控訴人以外の他の新聞社等が報道したこともないし、また、被控訴人においても、本件記事が事実確認のなされていないいわゆるフライング記事であるところから、本件記事に係る報道は以後一切なされなかったものである。したがって、権威ある捜査官が控訴人の犯行の着想源となったのが映画「ナイル殺人事件」であると中村記者らに明言したとは到底考えられないし、仮に捜査責任者がこの犯行の着想源等に関して抗弁3の(一)ないし(三)のとおり捜査を進めている旨を述べていたとしても、何の理由も示さずに「間違いないだろう。」程度に述べたにすぎないものと思われ、そのような捜査官の単なる思い込みに類する言動に何らの疑問も抱かず、捜査官から控訴人が「ナイル殺人事件」を着想源としたとするに足りる客観的な根拠事実について取材を行っていないのであってみれば、当該記者には重大な過失があるというべきである。本件記事は、「…日本でも大ヒットした英国のミステリー映画「ナイル殺人事件」をヒントに犯行計画を立てていたことを突き止めた。」と断定しており、その「「ナイル殺人事件」、甲野犯行のヒント」というタイトルには疑問符も付されておらず、また、本件記事と共に掲載された写真(映画「ナイル殺人事件」の一場面)に付した説明にも「甲野が手本にした映画「ナイル殺人事件」」と断定した記載がなされているのであり、仮に捜査官が右のとおり捜査を進めている状況があったとしても、その程度のことを本件記事のように具体的根拠も示さないまま、右のとおり明白に断定して報道することが許容されるはずがない(報道については迅速性が求められるから不正確でもやむを得ないということはできない。)。また、控訴人に係る逮捕報道自体には緊急性があるとしても、それに付随した犯行の着想源に関する報道にまで緊急性が及ぶはずもない。

なお、控訴人が国会図書館に通って専門書などで足を銃で撃たれても死なないことを確認のうえ犯行に及んだと見ていると被控訴人が報道したのは、単なる娯楽映画にすぎない「ナイル殺人事件」に犯行の着想を得たとするのではあまりに唐突で不自然であるため、「国会図書館」、「専門的文献」などという言葉を連ねてもっともらしくしたものというべきである。

第三  証拠関係<省略>

理由

一控訴人が銃撃事件の被告人の立場にあること、被控訴人が日刊新聞の発行等を目的とする株式会社で日刊紙「讀賣新聞」を発行していること、被控訴人が、昭和六三年一〇月二一日その発行にかかる「讀賣新聞」同日付夕刊第四版一九面に本件記事を掲載したこと、控訴人が銃撃事件の被疑者として昭和六三年一〇月二〇日に逮捕されたことはいずれも当事者間に争いがない。

二本件記事の内容等について

<書証番号略>によれば、昭和六三年一〇月二一日付「讀賣新聞」夕刊第四版一九面の本件記事は、まず、「「ナイル殺人事件」、甲野犯行のヒント」との囲み枠付きの二段にわたる横書き大見出しのもとに、「春子さん銃撃」との小見出しを付して銃撃事件に関する報道であることを特定し、その下に、大きく「足を撃つ手口酷似」との見出しを付し、更に「小口径、命に別条なし」との見出しを掲げ、その下に「図書館で下調べも」との小見出しを付した上、本文記事として、「ロス疑惑の春子さん銃撃事件で、警視庁特捜本部は、二一日までに、殺人容疑で再逮捕された元輸入雑貨会社社長甲野一郎(四一)が、日本でも大ヒットした英国のミステリー映画「ナイル殺人事件」をヒントに犯行計画を立てていたことを突き止めた。」(本文記事一段目一行目から同九行目まで)とし、これに続けて、右映画には主人公が妻を二二口径の短銃で殺害後、アリバイ工作のため、自ら自分の足を撃つシーンがあり、銃撃実行犯の丙沢二郎(以下「丙沢」という。)に控訴人の足を撃たせた銃撃事件と酷似している旨指摘した後、「特捜本部では、甲野の周辺にいた知人など関係者の証言から、映画好きの甲野が、「ナイル殺人事件」をヒントに、小口径の銃なら足を撃っても命に別条がないことを知り、更に、国会図書館に通って専門書などで確認のうえ犯行に及んだと見ている。」(本文記事一段目一八行目から同二段目四行目まで)とし、更に、映画「ナイル殺人事件」について、日本でも三〇〇万人以上の観客動員を記録する大ヒットとなったものであること(本文記事二段目五行目から同三段目一行目まで)、そのあらすじとして、主人公は、妻の莫大な財産目当てにかつての恋人と妻殺害を共謀し、犯行直前に共犯の恋人とトラブルを起こしたように見せかけ、短銃で空砲を撃たせ、用意していた赤インクで足に出血したように偽装し、周囲の人がいないのを見計って妻の頭を二二口径の銃で撃って殺害し、犯行後同じ短銃で自分の足を撃ち、その怪我が共犯者に撃たれたものであるかのように装って、動けない自分に妻を殺すことはできないと主張するというものであること(本文記事三段目二行目から同四段目一行目まで)を紹介した上、銃撃事件について、春子が左顔面を撃たれて倒れた後、甲野は自分の左大たい部を丙沢に撃たせて、強盗に襲われたと主張していること、甲野は、数日間入院し、骨にあたって砕けた弾丸は摘出できなかったものの、日常生活には不便がない程度の怪我であったとし(本文記事四段目二行目から同一三行目まで)、最後に、「甲野は、このケガについて、無実を訴える際の有力な根拠の一つにしており、同本部でも、この言い分を崩すことが犯行の立証に欠かせない、として捜査を進めていた。」(本文記事四段目一四行目から同最終行まで)と記載していることが認められる。

三名誉毀損の成否について

まず、本件記事が控訴人の名誉を毀損するものであるか否かについて検討するに、新聞記事が個人の名誉を毀損するものであるか否かは、本文記事の内容のみならず、見出しの文言、その大きさ・配置、写真等を総合し、当該新聞の一般読者がその記事を読んだ際に当該記事全体から通常受けるであろう印象によって判断するのを相当とする。これを本件記事についてみるに、「甲野は、このケガについて、無実を訴える際の有力な根拠の一つにしており、同本部でも、この言い分を崩すことが犯行の立証に欠かせない、として捜査を進めていた。」として捜査状況について述べている部分は、本件記事の最後の部分に配置されているものの、本文記事全体の文脈からすると、右のような捜査状況にあったところ、警視庁特捜本部は、控訴人が、映画「ナイル殺人事件」をヒントに犯行計画を立てていたことを突き止めたこと、特捜本部では、映画好きの甲野が、「ナイル殺人事件」をヒントに、小口径の銃なら足を撃っても命に別状がないことを知り、さらに、国会図書館に通って専門書などで確認のうえ犯行に及んだと見ていることが本文記事の枢要な部分であることが明らかであって、本文記事は捜査当局の見方を紹介しているようにも読めないわけではないが、「突き止めた。」、「見ている。」とし、特に「突き止めた」とする部分を本文の冒頭に配置しているところ、「突き止める」という言葉の語義は「最後まで突き止めて、確かな所を見とどける。不明な点をよく調べあげて、はっきりさせる。探し当てる。よく調べて確かめる。」というものであって、このような語義からすると、右本文記事は、警視庁特捜本部は、控訴人が足を銃撃されたことに関して捜査を進めていたところ、捜査の結果、控訴人が、映画「ナイル殺人事件」をヒントに犯行計画を立てていたことに間違いないことを確かめた旨を内容とするものであることが明らかであり(なお、本件記事が掲載された当時、警視庁特捜本部が、控訴人の犯行の着想源が映画「ナイル殺人事件」であることを突き止めたといい得るような状況にあったと認めるに足りるような証拠がないことについては後述する。)、加えて、本件記事の大見出しの「「ナイル殺人事件」、甲野犯行のヒント」という部分には疑問符も付されず、また、本件記事とともに掲載された写真(映画「ナイル殺人事件」の一場面)に付された説明部分も「甲野が手本にした映画「ナイル殺人事件」」と記載しており、いずれも一般の読者には控訴人が映画「ナイル殺人事件」を着想源として犯行に及んだかの如き印象を抱かせる断定的な表現のものとなっていること、右大見出し部分の本件記事部分全体に占める割合も大きく、右大見出しが一般読者に与える印象効果も大きいと思われることなどからすると、本文記事の断定的な表現、見出し及び写真説明の断定的な記載方法等の個々の要素が関連し合って相互の印象を強め合い、全体的には、銃撃事件につき、控訴人が映画「ナイル殺人事件」を見て、これを着想源として犯行を計画し、国会図書館に通って専門書などで小口径の銃で足を撃っても命に別状がないことを確認して犯行に及んだ旨の印象を一般読者に抱かせるものであるということができる。

ところで、ここで法的保護の対象となるべき「名誉」とは、人がその人格的価値について社会から受ける客観的な評価をいうものと解すべきであるから、名誉毀損の成否も、名誉毀損行為があったとされた当時、その人が社会においてどのような地位、状況にあったかを考慮して判断する必要があるのであって、控訴人が銃撃事件の被疑者として本件記事掲載日の前日である昭和六三年一〇月二〇日に逮捕され、その旨の報道もなされていたことは前認定のとおりであるから、本件記事掲載当時、控訴人に対する客観的な社会的評価は、右逮捕及びその報道などによって既に大きく低下していたものということができる。しかしながら、逮捕が相当に慎重な捜査活動のもとに行われ、被疑者については起訴され、有罪とされることが多いと一応いうことができるとしても、有罪確定までは確定的に犯人視することは許されないのであって、控訴人は一貫して無罪である旨主張していたのであるから(このことを被控訴人も知っていたことは<書証番号略>並びに弁論の全趣旨により明らかである。)、逮捕報道によって控訴人が嫌疑を受けていることが周知となっていたとしても、本件記事掲載当日、銃撃事件に関し、控訴人がもはや侵害されるべき名誉を全く有していなかったということはできない。本件記事は、前日の逮捕報道に続いて掲載されたものであるが、控訴人の犯行の着想源を紹介することによって一般読者に控訴人が銃撃事件の犯人であることは間違いないとの印象を更に強く与える効果を有していたことは前記のとおりであるから、本件記事は右逮捕報道によって低下していた控訴人の社会的評価を更に低下させたものということができる。したがって、被控訴人の本件記事は控訴人の名誉を毀損するものであると認めるを相当とする。

四抗弁について

新聞記事が、他人の名誉を毀損する内容のものであっても、右記事を掲載報道することが、公共の利害に関する事実に係り、専ら公益を図る目的に出た場合には、摘示された事実が真実であることが証明されたときには、右行為には違法性がなく、また、右事実が真実であることが証明されなくても、その報道を行った者においてその事実を真実と信ずるについて相当の理由があったときは、右行為は、故意もしくは過失を欠くものとして、結局、不法行為は成立しないものと解するのを相当とする。

そこで、右のような観点から、被控訴人の本件記事の違法性の有無について検討する。

1  本件記事掲載に至るまでの経緯等

<書証番号略>、原審証人中村清昭の証言(第一、二回)、原審における調査嘱託の結果並びに弁論の全趣旨を総合すると、本件記事掲載に至るまでの経緯等として、次のような事実が認められる。

(一)  昭和五九年一月以降、週刊誌「週間文春」が「疑惑の銃弾」とのタイトルで昭和五六年一一月にロサンゼルスで春子が銃撃された事件(銃撃事件)を報道して以来、右事件はいわゆる「ロス疑惑」としてマスコミによって大々的に報道されていたところ、控訴人は、昭和六三年八月七日には、同人が、生命保険金を入手する目的で春子を殺害する計画を立て、乙川と共謀のうえ、同女を実行犯として春子をハンマー様凶器で撲殺しようとしたものの傷害を負わせたにとどまったとする殺人未遂被告事件(いわゆる「殴打事件」)において東京地方裁判所で懲役六年の有罪判決を受け、銃撃事件についても、同年一〇月二〇日に逮捕され(この事実は朝日、毎日、東京、日本経済等各新聞及び「讀賣新聞」の各夕刊に大々的に報道された。)、同年一一月一〇日に起訴された。

(二)  本件記事が掲載された当時の被控訴人警視庁クラブは、中村記者をいわゆるキャップとして一〇名で構成されており、同記者は捜査一、三課担当の記者三名を率いて、捜査官がロサンゼルス市に派遣された昭和六三年五、六月頃以降、活発に銃撃事件の取材に当たっていたところ、同年九月二〇日頃、被控訴人警視庁クラブの記者が、警視庁の捜査員が国会図書館に出入りしていること及び捜査員が国会図書館で文献の貸出カードを調べていたことを聞知した。中村記者らは、いわゆる殴打事件の裁判において、乙川が、控訴人から春子殺害の一つの方法として、春子の頭を銃撃した後、控訴人の足を銃撃することも提案されたと供述していたことについて、捜査員が銃で足を撃っても死ぬ恐れはないとみて捜査しているものと判断した。

(三)  同年九月末から一〇月上旬にかけて、中村記者らは、控訴人が右事件で逮捕される日が近いと見て捜査本部所属の捜査員に対して頻繁にその捜査状況を取材していたが、同年一〇月一〇日頃、被控訴人警視庁クラブの記者は、捜査本部において、捜査員が映画「ナイル殺人事件」のビデオを見たこと、その際検察官も同席したことなどを捜査員から聞知した。そして、その頃、中村記者らは、このように捜査本部が銃撃事件との関係で映画「ナイル殺人事件」について捜査を進める契機となったのは、捜査員が、控訴人の経営していた輸入雑貨会社フルハムロード(以下「フルハムロード」という。)の元従業員から、映画化されたイギリスの推理小説の中に完全犯罪のものがあるという話を聞き込んできたことによることをも聞知した。

(四)  そこで、被控訴人警視庁クラブにおいても、ビデオのレンタルショップで映画「ナイル殺人事件」のビデオを借りてきて、これを見て検討したところ、「ナイル殺人事件」が、①妻の財産を取得することを狙って妻を殺害する事件であること、②凶器として銃を用いた上、自分の足を撃って犯行をカムフラージュすること、③凶器が二二口径のピストルであることなどの点において銃撃事件と酷似しているとみて、控訴人が映画「ナイル殺人事件」を見て、これを犯行の着想源として犯行の計画を立てたのは間違いないとの見方を固めた。

(五)  そして、被控訴人警視庁クラブは、前記(三)のとおり、捜査本部が銃撃事件との関係で映画「ナイル殺人事件」について捜査を進める契機となったのが、控訴人の経営していたフルハムロードの元従業員からの聞込みにあることを聞知していたので、フルハムロードの元従業員等に当たって取材を試みたが、控訴人が映画や推理小説を非常に好きであるとの情報が得られたものの、控訴人が映画「ナイル殺人事件」を見たことを裏付けるような情報は得られなかった。

なお、控訴人が国会図書館で文献調査をしたことがあるかという点について、中村記者らは、被控訴人の国会担当記者に依頼して調査を試みたが、当時の入館票が廃棄処分されていたため、結局、この点の確認もできなかった。

(六)  同年一〇月一八日、被控訴人警視庁クラブの記者が、捜査本部の捜査第一課長に直接取材したところ、右課長は、控訴人が「ナイル殺人事件」を犯行の着想源とした可能性について捜査を進めていることなどを述べた(ただし、右課長が具体的にどのように述べたかについては判然としない。この点に関しては、後記4で検討を加える。)。右課長の取材に当たった右記者は、捜査本部において、控訴人が映画「ナイル殺人事件」を見て、これを犯行の着想源として犯行の計画を立てたのは間違いないと見て捜査を進めているものと受け取った。

(七)  同月二〇日、控訴人は、銃撃事件について、殺人の容疑で逮捕されたが、その際、捜査当局は、正式の記者会見において、控訴人が共犯者の丙沢に春子を銃撃させた上、犯行をカムフラージュするため控訴人の足を撃たせた旨を述べ、この事実は多くの報道機関によって一斉に報道された。被控訴人は、捜査当局において、控訴人が共犯者の丙沢に春子を銃撃させた後、犯行をカムフラージュするため控訴人の足を撃たせた旨正式に発表したこともあって、本件記事に係る事実を報道することに踏み切ることとし、翌二一日に本件記事を掲載するに至った(なお、銃撃事件の刑事裁判における冒頭陳述等で本件記事に係る内容について言及されることはなかったし、本件記事に係る内容を「讀賣新聞」以外の新聞が報道することもなかった。また、以後、被控訴人において、本件記事に係る内容を「讀賣新聞」の紙面で報道することもなかった。)。

2  本件記事の公共性及び公益目的について

本件記事が、銃撃事件につき、控訴人が映画「ナイル殺人事件」を着想源として犯行に及んだこと等を内容とするものであることは前記のとおりであって、その報道に係る事実は殺人事件という重大な犯罪の犯行の着想源等に関するものであるから、本件記事が公共の利害に関する事実に係ることは明らかであり、また、本件記事の内容等及び前記1認定の事実関係によれば、被控訴人が本件記事を報道するに至ったのも専ら公益を図る目的に出たものと認めることができる。

3  本件記事の真実性

本件記事において主要な内容となっている事実が、銃撃事件につき、控訴人が映画「ナイル殺人事件」を見て、これを着想源として犯行を計画し、国会図書館に通って専門書などで小口径の銃で足を撃っても命に別状がないことを確認して犯行に及んだという事実であることは前記三において検討したとおりであるところ、前記1認定の事実関係によれば、本件記事に関する事実として真実と認められるのは、捜査本部において、銃撃事件との関係で映画「ナイル殺人事件」を見るなどして、控訴人が右映画を犯行の着想源として犯行の計画を立てた可能性について捜査を進めていたとの事実にとどまるのであって、警視庁特捜本部が、昭和六三年一〇月二一日までに、控訴人が映画「ナイル殺人事件」をヒントに犯行計画を立てていたことを突き止めたと言い得るような事実も認められず、右主要な事実については、これを認めるに足りる証拠がないから、結局、本件においては、本件記事に摘示された主要な事実の証明がなされなかったことになる。

4 真実性の誤信についての相当な理由

そこで、次に、右真実性の誤信につき被控訴人に相当な理由があるか否かについて判断するに、右相当の理由があるというためには、記事として摘示された主要な事実が捜査機関に対する取材により得られた情報に基づく場合であっても、それが捜査当局の正式な発表に基づくもので当時の状況下においてその発表に疑いを入れる特段の事情もない場合であれば格別、単なる捜査官の談話、意見説明、見込み等に基づくだけでは足りないのであって、そのような取材については更にそれを裏付けるに足りる相当程度の確かな資料を必要とするものというべきである。これを本件についてみるに、前記1認定の事実によれば、被控訴人警視庁クラブの中村記者らが本件記事内容を報道するに至ったのは、捜査本部において、捜査員が検察官と共に映画「ナイル殺人事件」のビデオを見たこと及び警視庁の捜査員が国会図書館に出入りして文献の貸出カードを調べていたことを聞知していたこと、捜査第一課長に控訴人が「ナイル殺人事件」を犯行の着想源とした可能性について捜査を進めていることを確認したこと、被控訴人警視庁クラブにおいても、映画「ナイル殺人事件」のビデオを見て検討し、前記1(四)のようないくつかの類似点があることを確認したこと、フルハムロードの元従業員から控訴人が映画や推理小説が好きであるとの情報を得ていたことによるのであって、他に、控訴人本人やその弁護人に当たって取材をするということはなかったし、捜査第一課長に控訴人が「ナイル殺人事件」を犯行の着想源とした可能性についての具体的な根拠等について更に取材することもなかったのであって、中村記者らが把握していた右のような事情から直ちに本件記事に摘示された主要な事実を推認できるものではなく、犯行の着想源といったものはその性格上極めて立証の困難なものであって、控訴人は一貫して犯行を否認していたこと、また、本件記事掲載日の前日に逮捕報道がなされていて、犯行の着想源に関する報道には必ずしも緊急性があったとも思われないことなどをも考慮すると、控訴人が、他に客観的な裏付けもないのに、本件記事の掲載に踏み切ったことは相当でなかったといわざるを得ない。

原審証人中村清昭は、原審において、昭和六三年一〇月一八日、被控訴人警視庁クラブの記者が、捜査本部の捜査第一課長に直接取材したところ、右課長は、控訴人が映画「ナイル殺人事件」を見たこと及び国会図書館に行ったことは間違いないだろうと述べたことを右記者から聞いている旨証言しているが、具体的にどのような形で取材がなされ、どのような内容の取材結果が得られたのかが判然としないし、仮に、右のような発言がなされていたとしても、いわゆる聞込み程度の非公式な発言である以上、捜査当局の一応の見込みとして「ナイル殺人事件」を犯行の着想源とした可能性があることを指摘したに過ぎないとみることもできるのであって、その記事内容としては、控訴人が映画「ナイル殺人事件」を見て、これに犯行の着想源を得て犯行の計画を立てた可能性もあるとして捜査が進められているといった程度の内容のものにとどめるべきである。

なお、被控訴人は、当時、控訴人が一貫して無実を主張しており、本件記事の内容について控訴人ないしその弁護人に取材したところで、裏付けとなるような供述が得られる見込みもなかったので、右のような取材を行わなかった旨主張しているところ、どのような内容の取材を行うかという点を措くとしても、確かに、当時、控訴人に取材してみたところで本件記事に係る事実を控訴人が認める見込みはなかったとする被控訴人の指摘も一応もっともなことのように思われるのであるが、だからといって、相手方取材をしなくてよいということになるわけではない。

したがって、被控訴人が本件記事のような内容及び表現で報道に踏み切ったことについて、被控訴人に真実と信ずるだけの相当な理由があったと認めることはできない。

五損害について

控訴人が、銃撃事件の被疑者として本件記事掲載日の前日である昭和六三年一〇月二〇日に逮捕され、本件記事掲載当時、控訴人に対する客観的な社会的評価は、右逮捕及びその報道などによって既に大きく低下していたことは前認定のとおりであるから、着想源に関する本件記事によって控訴人の社会的評価が更に低下したとしても、その程度は必ずしも大きなものではなかったというべきであって、これに、「讀賣新聞」が日本有数の発行部数を有し、その掲載に係る記事が社会に与える影響は大きいこと等本件に顕れた一切の事情を併せて考慮すると、控訴人が本件記事の掲載によって受けた精神的苦痛等に対する慰謝料としては金五〇万円を相当と認める。

六よって、控訴人の本訴請求は、被控訴人に対し、金五〇万円及びこれに対する本件不法行為の日である昭和六三年一〇月二一日から支払済みに至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度において理由があるからこれを認容し、その余は理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法九六条、八九条、九二条本文を、仮執行宣言につき同法一九六条一項をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官丹宗朝子 裁判官松津節子 裁判官原敏雄)

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