東京高等裁判所 平成2年(ラ)587号 決定 1990年11月02日
抗告人(債権者) 藤井保
右代理人弁護士 大澤孝征
右同 中原恒彦
相手方(債務者) 甲野太郎
第三債務者 国
右代表者法務大臣 梶山静六
主文
一 原決定を取り消す。
二 抗告人が七〇万円の保証を立てたときは、
1 抗告人が相手方に対して有する別紙請求債権目録記載の債権の執行を保全するため、相手方の第三債務者に対する別紙差押債権目録(二)記載の債権を仮に差し押さえる。
2 第三債務者は、右仮差押えの目的物(金の延べ板三枚)を相手方に引き渡したり、相手方の指図に従って処分してはならない。
三 相手方は、金三七六万円を供託するときは、この決定の執行の停止又はその執行処分の取消しを求めることができる。
理由
第一本件抗告の趣旨
原決定を取り消す。
第二本件抗告の理由
別紙のとおり
第三当裁判所の判断
一 被保全権利について
仮差押えは、金銭債権又は金銭債権に換えることのできる請求権について将来の強制執行を保全するためにすることが許されるのである(民事訴訟法七三七条一項)。
ところで、抗告人の本件仮差押え申請は、埼玉県小川警察署警察官が窃盗被疑事件の容疑のもとに相手方から押収して現在熊谷区検察庁において保管している金の延べ板三枚は、抗告人が所有していたところ、何者かに窃取されたものであるから、抗告人の所有に属する物であるとして、所有権に基づく相手方に対する右金の延べ板三枚の返還請求権を被保全権利としてされたものであり、一件記録によれば、抗告人が右金の延べ板三枚の返還請求権を有することが一応認められる。そして、右金の延べ板三枚は特定物であり、押収されて現在熊谷区検察庁に保管中のものである。しかしながら、一件記録によれば、相手方に対する窃盗被疑事件は起訴されることなく、近く不起訴処分によって終了する見込みであるというのであり、不起訴処分がされたときは、検察官において右金の延べ板を留置しておく必要はなくなるのであるから、相手方は、いつでも、被押収者として、検察官に対して右金の延べ板三枚の還付を請求することができ、検察官は、相手方から右請求を受けたときは、これを相手方に還付せざるを得ないのであり(刑事訴訟法二二二条、一二三条)、いったん相手方にこれが還付されてしまえば、相手方によって処分され、抗告人は、右金の延べ板三枚の返還を受けることができず、これに代えて損害賠償又は不当利得返還を請求し得るにすぎなくなるおそれがあることが明らかである。したがって、右金の延べ板三枚の返還請求権は、近い将来金銭債権に転化することが十分に予想され、金銭債権に換えることのできる請求権として本件仮差押えの被保全権利となり得るものというべきである。
二 仮差押え債権について
債権の仮差押えにおいては、将来発生すべき債権や条件付き債権であっても、その発生の基礎となる法律関係が存在し、かつ、権利の内容を特定できるものであれば、仮差押えの対象となることはいうまでもない。
そこで、抗告人が本件仮差押えの対象として掲げる別紙債権目録(一)記載の金の延べ板三枚の押収物還付請求権が仮差押えの対象となり得る債権に当たるか否かについて検討する。捜査機関が被疑事件について押収し留置している押収物で留置の必要のなくなったものは、捜査機関において還付することになるが(刑事訴訟法二二二条、一二三条)、押収物の還付は押収物について捜査機関の占有を解いて押収当時の原状を回復することにあるから、当該押収物が賍物であって被害者に還付すべきことが明らかな場合(同法一二四条)その他特段の事由のない限り、押収時にこれを占有していた被押収者に還付すべきものである。したがって、被押収者は、押収当時の占有者として、原則として、すなわち、右特段の事由のない限り、押収物について還付を受ける権利(押収物還付請求権)を有するものということができる。もちろん、被押収者は、捜査機関に対して押収物の還付を請求し、捜査機関による還付処分があって初めて押収物の引渡しを受けることができるのであるが、このうちの後者の押収物引渡請求権(狭義の押収物還付請求権)も、捜査機関の還付処分を待つまでもなく、その発生の基礎となる法律関係が既に存在し、かつ、その権利の内容も特定されているものということができ、仮差押えの対象となり得るものというべきである。もちろん、被押収者が現実に押収物の還付を受けることができるかどうかは捜査機関による還付処分があって初めて確定するわけであり、場合によっては第三者に対して還付処分がされ、被押収者が押収物の還付を受けることができないことがあり得るが、このようなことは、一般の債権仮差押えにおいて仮差押え債権の不存在、不発生又は弁済若しくは相殺等による消滅によって仮差押えが空振りに終わることがある場合と同じであって、押収物引渡請求権を仮差押えの対象となり得ると解するについてなんらの障害にもならないものというべきである。
したがって、仮差押え債権者は、債務者に対して有する被保全債権の強制執行を保全するため、債務者が捜査機関(国)に対して有する押収物引渡請求権について、捜査機関がいまだ還付処分をしない前でも、これを仮差押えの対象として仮に差し押え、第三債務者である捜査機関(国)に対して押収物について債務者に還付する旨の処分をした場合でもこれを債務者に引き渡す等の処分をしないよう命ずる仮差押え命令を求めることができるものというべきである。そして、右のように捜査機関による還付処分がされた場合における押収物引渡請求権を仮差押えの対象としても、これによって捜査機関が押収物について還付処分をすること自体を禁止ないし制約するものではないから、行政事件訴訟法四四条になんら抵触することにはならない。
そして、抗告人の本件仮差押え申請は、押収物である金の延べ板三枚について相手方が有する捜査機関による還付処分がされた後の押収物引渡請求権を仮差押えの対象とする趣旨を含むものと解されるから、保全の必要性が認められる限り、右押収物引渡請求権について仮差押えを命ずべきである。
三 保全の必要性について
一件記録によれば、相手方は、平成二年七月二四日熊谷簡易裁判所において住居侵入の罪により懲役一〇月の判決を受け、現在東京高等裁判所に控訴中で、東京拘置所に勾留されているが、仮に右判決が確定したとしても、遅くとも来年五月ころまでには刑期を終えて出所することが明らかであり、しかも、相手方は住居不定で特別の財産も有していないことが一応認められるから、保全の必要があるものと認められる。
四 よって、本件仮差押え申請は理由があるから、抗告人が七〇万円の保証を立てることを条件としてこれを認容すべきである。これと結論を異にする原決定は不当であるから取り消すこととし、主文のとおり決定する。
(裁判長裁判官 寺澤光子 裁判官 石井健吾 橋本昌純)
<以下省略>