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東京高等裁判所 平成2年(行ケ)102号 判決 1991年4月26日

原告 三菱電機株式会社

被告 特許庁長官

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた判決

一  原告

1  特許庁が、同庁昭和六〇年審判第二三六四三号事件について、平成元年一一月二四日にした補正の却下の決定を取り消す。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

二  被告

主文同旨

第二請求の原因

一  特許庁における手続の経緯

原告は、名称を「半導体集積回路」とする発明(以下「本願発明」という。)につき、昭和五五年三月一四日に特許出願(昭和五五年特許願第三二八九三号)をしたところ、昭和六〇年一一月五日に拒絶査定を受けたので、同年一一月二九日、これに対し審判の請求をし、同年一二月二六日、手続補正書(以下この手続補正書による手続補正を「本件補正」という。)を提出した。

特許庁は、右審判請求を同年審判第二三六四三号事件として審理し、平成元年一一月二四日、「本件補正を却下する。」旨の決定をし、その謄本は、平成二年四月一八日、原告に送達された。

二  本件特許願に添附された明細書(以下「当初明細書」ともいう。)及び図面(以下「当初図面」といい、両者をまとめて「当初明細書等」ともいう。)の記載

1  当初明細書記載の特許請求の範囲

(一) 第一の導電性を有する半導体基板内に形成された半導体集積回路において、第一の導電性とは異なる第二の導電性を有する第一の領域の周囲の全部又は一部を取り囲むように、基板よりも高濃度の第一の導電性を有する第二の領域を備えたことを特徴とする半導体集積回路。

(二) 第一の導電性を有する半導体基板内に、第一の導電性とは異なる第二の導電性を有する第一の領域を電荷蓄積領域とする構造の半導体集積回路において、上記電荷蓄積領域の周囲の全部又は一部を取り囲むように、基板よりも高濃度の第一の導電性を有する領域を備えたことを特徴とする特許請求の範囲第一項記載の半導体集積回路。

(三) 第一の導電性を有する半導体基板内に、第一の導電性とは異なる第二の導電性を有する領域をビット線とする構造の半導体集積回路において、上記ビット線となる領域の周囲の全部又は一部を取り囲むように、基板よりも高濃度の第一の導電性を有する領域を備えたことを特徴とする特許請求の範囲第一項記載の半導体集積回路。

2  当初図面中第2図

本判決別紙当初図面第2図のとおり。

三  本件補正の主な内容

1  本件補正に基づく特許請求の範囲

第一導電型の半導体基板、この半導体基板の主表面に形成された分離絶縁膜、上記半導体基板の主表面にチャンネル領域を隔てて形成された第二導電型の電荷蓄積領域およびビット線領域、これらの電荷蓄積領域およびビット線領域にまたがって上記半導体基板上に絶縁膜を介して形成されたゲート電極、上記電荷蓄積領域または上記ビット線領域の少なくともいずれか一方の領域に隣接し、上記電荷蓄積領域あるいは上記ビット線領域の底部における上記チャンネル領域に近い側より上記分離絶縁膜側の方に延在して形成され、上記半導体基板よりも高濃度な第一導電型の半導体領域を備えたことを特徴とする半導体集積回路。

2  発明の詳細な説明の補正の主な内容

半導体基板よりも高濃度な第一の導電性を有する領域を「電荷蓄積領域またはビット線領域の少なくともいずれか一方の領域に隣接し、電荷蓄積領域あるいはビット線領域の底部におけるチャンネル領域に近い側より分離絶縁膜側の方に延在して形成され」る構成とする説明に補正し、この構成に対応する、「チャンネル領域は高濃度にはならず、その結果しきい値電圧VTMの制御が極めて容易となる」という効果を追加。

3  図面中第2図の補正

本判決別紙補正図面第2図のとおり補正。

四  本件決定の理由の要点

1  本件補正の主な内容は、全文補正明細書によりその特許請求の範囲の欄の記載及び第2図において、半導体基板よりも高濃度な第一の導電性を有する領域を「電荷蓄積領域またはビット線領域の少なくともいずれか一方の領域に隣接し、電荷蓄積領域あるいはビット線領域の底部におけるチャンネル領域に近い側より分離絶縁膜側の方に延在して形成され」る構成とし、発明の詳細な説明の欄において、「チャンネル領域は高濃度にはならず、その結果しきい値電圧VTMの制御が極めて容易となる」という上記構成に対応した効果を追加したことにある。

2  ところが、当初明細書には、半導体基板よりも高濃度な第一の導電性を有する領域は、電荷蓄積領域又はビット線領域の少なくともいずれか一方の領域の周囲の全部又は一部を取り囲む旨記載されており、当初図面中の第2図には、電荷蓄積領域及びビット線領域の周囲を取り囲んだ半導体基板よりも高濃度な第一の導電性を有する領域が図示されてはいるが、チャンネル領域には半導体基板よりも高濃度な第一の導電性を有する領域が存在しない構成及びそれによる効果については、当初明細書等には何ら記載されていない。したがって、本件補正は当初明細書等の要旨を変更するものである。

3  以上のとおりであるから、本件補正は、特許法第一五九条第一項の規定により準用される特許法第五三条第一項の規定により却下すべきものである。

五  本件決定を取り消すべき事由

本件決定は、チャンネル領域には半導体基板よりも高濃度な第一の導電性を有する領域が存在しない構成(以下「係争の構成」という。)及びそれによる効果(以下「係争の効果」という。)については、当初明細書及び当初図面には何ら記載されていないと認定を誤った(認定判断の誤り第1点、同第2点)結果、本件補正は当初明細書等の要旨を変更するものであると判断を誤った違法があるから、取り消されなければならない。

1  認定判断の誤り第1点(「係争の構成」の記載についての誤認。)

当初明細書等に、係争の構成が明示的に記載されていないことは認めるが、本願の出願時の技術水準を考慮すれば、当業者にとって、係争の構成は当初明細書等に実質的に記載されていたと解するべきである。

(一) 本願発明について

当初明細書に記載された本願発明の目的、技術課題は、α線などの放射線がチップ内に入射した際に誤動作(ソフトエラー)を生じるという従来のものの欠点を除去するためになされたもので、メモリーセルの電荷蓄積領域及びビット線として使用されているN+領域を取り囲むようにP-基板よりも高濃度のP+領域を形成することにより、α線などの放射線によるソフトエラーを除去できる構造の半導体集積回路を提供することにある(甲第二号証五頁四行から一〇行まで)。

そして、右技術課題を解決する本願発明の構成として右二1(当初明細書記載の特許請求の範囲)のとおりのものが記載されている。

右のような構成をとることにより、基板内で発生した電荷が第一の領域に収集されないようにすることができるので、α線などの放射線が半導体集積回路内に入射することによって生じる誤動作を防止できるという顕著な効果を奏するものである(甲第二号証一〇頁一七行から一一頁一行まで)。

本願発明の技術的課題、構成及び効果は右のとおりであって、当業者は、このような記載を見ただけでも本願発明を了知することができるが、更に本願発明の一実施例として、当初図面第2図に示すものについて、当初明細書に詳細に説明されている。

(二) 一九七八年(昭和五三年)四月に、米国インテル社のメイ及びウッズが、電離作用の強い放射線により、半導体メモリや電荷結合素子にソフトエラーが生じること及びその物理的メカニズムを発表し、その論文の日本語訳文(甲第四号証)は同年一一月二七日頃、遅くとも同年末までに日本国内で頒布された。甲第四号証の一二六頁には、「空乏領域外で発生した電子と正孔は、シリコン基板を通って拡散する。空乏層の端に達するものでは、電子は蓄積領域に流れ込み、正孔は基板のコンタクトを通ってオーミックに流出する。」とされ、即ち、生成した電子が拡散によって蓄積領域に流れ込むことによりソフトエラーを生じるものとされている。このように、本願の出願当時、放射線により半導体メモリのソフトエラーが生じる物理的メカニズムは当業者に周知の技術的事項であった。

(三) 当初明細書によれば、本願発明の構成要素の一つとして、「第一の導電性とは異なる第二の導電性を有する第一の領域の周囲の全部又は一部を取り囲むように、基板よりも高濃度の第一の導電性を有する第二の領域」を含んでいる。

当初図面の第2図及びそれに対応する当初明細書の明示的記載を読んだ当業者であれば、本願発明の構成要素である第二領域の態様として、例えば別紙参考図(一)ないし(三)に示すようなものを含んでいるのを知ることができると考えるのが自然である。

なぜならば、第二の領域12、13は、第一の領域6、7の周囲の全部又は一部を取り囲むことが当初明細書に明示的に記載されているので、この記載内容と、前記(二)の周知技術とを考慮すれば、別紙参考図(一)ないし(三)のものも、当初図面の第2図に示されているものと同様に、本願発明の技術的課題を解決し、同様の作用効果を生じることが、当業者にとって自明であり、しかも、当初明細書にはこれと矛盾する記載はないからである。

(四) したがって、当初明細書には、別紙参考図(一)に示したような係争の構成を有するものも実質的に記載されていたということができ、係争の構成は当初明細書には何ら記載されていない旨の本件決定の認定判断は誤りである。

(五) 被告は、後記第三2(二)のとおり、当初明細書の特許請求の範囲記載の、「一部」として、原告が主張する参考図(一)ないし(三)のものが考えられたとしても、第二の領域が第一の領域に隣接していない部分がある以上、ソフトエラーを防止するという目的を達成できるかどうか疑問が生じる旨主張する。

しかし、当初明細書には、電荷蓄積領域6及びビット線のN+領域7を取り囲むように基板1よりも高濃度のP+領域12及び13を形成することにより、P-基板から拡散してきた電子はこのP+領域内で再結合してしまい、N+領域に収集されないこと、並びに、P-基板とP+領域の界面に電子に対するポテンシャルバリヤーが形成され、P-基板から拡散してきた電子のうち、エネルギーの小さな電子はこのポテンシャルバリヤーを通過することができず、N+領域に収集される電子が減少すること、が明記されている(甲第二号証七頁九行から八頁一四行まで参照)。

この説明は、当初図面第2図を参照しているので、P+領域をN+領域の周囲の全部を取り囲むように設けた場合のものではあるが、P+領域をN+領域の周囲の一部に設けた場合においても、そのP+領域を設けた部分においては、前記N+領域の周囲の全部にP+領域を設けたものと同じ作用効果を奏することは明らかである。即ち、P+領域12、13は、N+領域6、7の周囲のどこかに設けられていればよく、特定の位置又は範囲に設けられた場合にのみ、当初図面第2図のものについて説明したような作用効果を生ずるというものではない。

放射線がP-領域に入射したとき、生成される電子は、放射線が入射した線上のみで生成するわけではなく、その線上の周囲に一定の広がりをもっている。その広がりの幅は、二ないし三ミクロン程度であるとされている(甲第四号証一二五頁参照)。また、生成した電子も、放射線の入射経路の線上に沿って運動するわけではなく、生成時に右の如く一定の広がりを有していたのが、さらに拡散により広がりながら運動するとされている(甲第四号証一二六頁参照)。これらの事実を考慮すれば、放射線がP+領域12及び13の存しない部分に入射した場合にも、生成した電子のうち一部はP+領域12及び13で再結合することになる。

仮に、生成した電子が入射線上のみを運動するとしても、ランダムに入射するα線が、P+領域12及び13の存在する部分に入射した場合には、生成された電子はP+領域12及び13で再結合することになるから、ソフトエラーを防止するという本願発明の技術的課題は解決されていることは明らかである。

ただ、P+領域をN+領域の周囲の一部に設けた場合には、P+領域をN+領域の周囲の全部を取り囲むように設けた場合と比較して、ソフトエラーを防止する効果の程度に差異があるにすぎない。

そうすると、参考図(一)ないし(三)に示すものも、当初図面の第2図に示すものと同様に、P-領域内で生成した電子がN+領域6、7に収集される割合を減少させることができるから、参考図(一)ないし(三)に示すものもソフトエラーを防止するという目的を達成することができるのは明らかである。

2  認定判断の誤り第2点(係争の効果の記載についての誤認)

(一) 本件補正後の本願発明の構成要素の一つである「上記電荷蓄積領域または上記ビット線領域の少なくともいずれか一方の領域に隣接し、上記電荷蓄積領域あるいは上記ビット線領域の底部における上記チャンネル領域に近い側より上記分離絶縁膜側の方に延在して形成され、上記半導体基板よりも高濃度な第一導電型の半導体領域」は、本件補正前の本願発明の構成要素の一つである「第一の導電性とは異なる第二の導電性を有する第一の領域の周囲の全部又は一部を取り囲むように、基板よりも高濃度の第一の導電性を有する領域」を限定したものである。そして、右限定にもかかわらず、本件補正後の本願発明の技術的課題と作用効果は、本件補正前のそれと共通である(甲第三号証参照)。

一般に、発明の構成要素を限定した場合に、その限定に基づく付随的な作用効果が単に重畳的に加わる場合と、その限定により従来のものとは別異の作用効果を奏する場合とがあるとされており、前者は単純な付加限定といわれている。

これを本件についてみると、本件補正の前後を通じて本願発明の技術課題と作用効果は共通しており、本件補正後のものは、係争の効果が単に重畳的に加わったものである。

したがって、本件補正による本願発明の構成要素の限定は、単純な付加限定に過ぎず、発明を変更するものではないということができる。

(二) MOSトランジスタのしきい値電圧VTMが半導体基板の不純物濃度に依存することは、本願の出願時に当業者にとって周知の技術的事項であった。そして、右周知技術によれば、半導体基板の不純物濃度が小さいときは、VTMは不純物濃度依存度が小さく、不純物濃度が大きくなるとVTMが急増するので、不純物濃度が大きいと、濃度のばらつきによりVTMが大きく変化するが、逆に不純物濃度が小さいと濃度のばらつきによるVTMの変化は小さい。このことも、本願出願当時周知技術であった(甲第五号証一八八頁から一九三頁、特に図4・93参照)。

したがって、当初図面第2図に示したものと、参考図(一)に示したものとを比較すると、後者のほうがVTMの制御が容易であるのは明らかであり、これは、参考図(一)に示したものが有している付随的効果である。そして、参考図(一)に示したものも当初明細書等に実質的に記載されていたと解するべきことは前記のとおりであるから、その付随的効果を明細書に追加記載することは、当初明細書の要旨を変更するものとはいえない。

(三) また、補正後の本願発明が、MOSトランジスタのしきい値電圧の制御を、その技術的課題としていないことも明らかであり(甲第三号証四頁一九行から五頁一一行まで参照)、この事実からも、本件補正による付随的効果の追加記載が当初明細書の要旨を変更するものとはいえない。

発明は、技術的課題とその解決であるところ、その発明は一定の作用効果を有する。しかし、一方でその発明を実施する形態は無数に存在し、それらの実施例の中には、右の一定の作用効果に加えて、それとは別異の作用効果を奏するものを含む場合がある。その場合に、別異の作用効果を有する実施形態ごとに新たな技術課題を必要とするものではない。これを本件についてみると、本願発明の技術的課題がソフトエラーの防止にあることは明らかである。本願発明がしきい値電圧の制御が容易であるという付随的な効果を有するからといって、補正後の本願発明にしきい値電圧の制御という新たな技術的課題を付加しなければならない必要性も必然性もない。

(四) 被告は、MOSトランジスタのしきい値電圧VTMが半導体基板の不純物濃度に依存すること、MOSトランジスタのしきい値電圧をチャンネル領域の不純物濃度で制御することが周知技術であることを認めているが、この周知技術によれば、チャンネル領域に半導体基板よりも高濃度な第一の導電性を有する領域が存在しない構成のものと、右領域が存在する構成のものとでは、そのしきい値電圧が異なることが明示されている。

したがって、右周知技術のものはチャンネル領域には半導体基板よりも高濃度な第一の導電性を有する領域が存在しない構成を示唆するものではないとはいえない。

第三請求の原因に対する認否及び被告の主張

一  請求の原因一ないし四は認め、同五中、後記認める部分以外は争う。本件決定の認定判断は正当であり、原告主張の違法事由はない。

二  認定判断の誤り第1点について

1  請求の原因五1の(一)、(二)及び(三)中、「当初明細書によれば、本願発明の構成要素の一つとして、「第一の導電性とは異なる第二の導電性を有する第一の領域の周囲の全部又は一部を取り囲むように、基板よりも高濃度の第一の導電性を有する第二の領域」を含んでいる。」との主張は認める。

2(一)  原告は、「周囲の全部又は一部を取り囲む」という明示的な記載を読んだ当業者は、参考図(一)ないし(三)に示すようなものを含んでいるのを知ることができる旨主張するが、当初明細書には、ただ「一部」と記載されているだけで、第一の領域の周囲の「一部」にどのように第二の領域を備えるものであるか全く言及していない。

(二)  また、「一部」の具体的な位置又は範囲が不明であるが、仮に「一部」として、原告が主張する参考図(一)ないし(三)のものが考えられたとしても、第二の領域が第一の領域に隣接していない部分がある以上、電離作用の強い放射線により、ソフトエラーを生じる物理的メカニズムからみて、第一の領域に第二の領域を備えることによりソフトエラーを防止するという目的を達成できるかどうか疑問が生じるところである。

(三)  即ち、当初明細書には、当初図面の第2図に示された「全部」を取り囲むP+領域の作用を述べたものであり、「一部」を取り囲むP+領域の作用については当初明細書には何ら記載されていない。

原告主張の参考図(一)ないし(三)のものにおいて、P-領域で生成した電子が拡散により電荷蓄積領域6及びビット線7へ向かって運動するとき、P+領域12及び13を経由する電子については、当初図面第2図のものと全く同様にN+領域に収集されないことは明らかである。しかし、ランダムに入射するα線などの放射線が、P+領域12及び13の存在しない部分に入射した場合には、生成された電子はP+領域12及び13で再結合されることなく電荷蓄積領域6及びビット線7に収集されることになる。

(四)  よって、参考図(一)ないし(三)のものが、当初図面の第2図に示されているものと同様に、本願発明の技術的課題を解決し、同様の作用効果を生ずることが、当業者にとって自明であるとすることはできない。

したがって、「一部」の記載によって、参考図(一)ないし(三)のものが含まれ、特に参考図(一)に示されるような、係争の構成を有するものが、当初明細書等に実質的に記載されていたとすることはできない。

よって、係争の構成については、当初明細書には何ら記載されていない旨の本件決定の判断に誤りはない。

三  認定判断の誤り第2点について

1  請求の原因四2(二)の前段の周知技術はいずれも認める。

係争の構成の効果、即ち「チャンネル領域は高濃度にならず、その結果しきい値電圧VTMの制御が極めて容易になる」という効果は、当初明細書等に記載された実施例に示されているような、第一の領域の周囲の全部を取り囲むように基板よりも高濃度の第一の導電性を有する第二の領域を備える半導体集積回路においては、期待することができない。そのような効果は、係争の構成とすることにより初めて実現できることである。そして、この効果は当初明細書には何ら記載されてなく、本願発明の目的、技術的課題であるソフトエラーの防止という観点からみて、別異のもので、当業者にとって自明のことではない。

2  MOSトランジスタのしきい値電圧が半導体基板の不純物濃度に依存することは周知技術であるけれども、この周知技術のものは、MOSトランジスタのしきい値電圧をチャンネル領域の不純物濃度で制御することを開示するにとどまり、チャンネル領域には半導体基板よりも高濃度な第一の導電性を有する領域が存在しない構成、即ち、電荷蓄積領域6又はビット線7の底部におけるチャンネル領域に近い側より分離絶縁側の方に延在して形成する構成、を示唆するものではなく、更に、前記周知技術はソフトエラーの防止については無関係の技術である。

3  しかも、当初明細書に「一部」について何ら言及されてなく、「一部」とは第二の領域を第一の領域のどの部分に備えるのか不明であるにもかかわらず、補正後の特許請求の範囲において、「上記電荷蓄積領域あるいは上記ビット線領域の底部における上記チャンネル領域に近い側より上記分離絶縁側の方に延在して形成され、上記半導体基板より高濃度な第一導電形の半導体領域を備えた」と記載し、第2図を補正することは、チャンネル領域には半導体基板より高濃度の第一導電性を有する領域が存在しない構成とし、チャンネル領域は高濃度にならず、しきい値電圧を極めて容易に制御できるように意図したものであって、単に効果が重畳的に加わったものとすることはできない。

4  原告が主張するしきい値電圧の制御が極めて容易になるという作用効果は、チャンネル領域が高濃度にならないことによるものであるから、参考図(一)ないし(三)の内、参考図(一)又は(三)の場合、即ちチャンネル領域にP+領域が存在しない場合のみ実現できるものである。

当初明細書には「一部」との文言が記載されているだけでその具体的な位置又は範囲が不明であるばかりでなく、右作用効果については何らの記載も示唆もない。MOSトランジスタのしきい値電圧が半導体基板の不純物濃度に依存することが周知技術であるからといって、参考図(一)ないし(三)のいずれでも右作用効果を実現できるわけではなく、右作用効果を実現しようとすれば、参考図(一)又は(三)を選択せざるを得ないが、ただ「一部」という文言から、チャンネル領域に半導体基板よりも高濃度な第一の導電性を有する領域が存在しない構成を示唆しているとはいえないから、その選択の際には、ソフトエラーの防止という技術的課題とは別のしきい値電圧の制御という技術的課題を必要とする。しかし、しきい値電圧の制御については当初明細書には何ら記載されていないから、本件補正で付属的効果が単に重畳的に加わったものとはいえず、新たな技術的課題を付加することにより、チャンネル領域には半導体基板よりも高濃度な第一の導電性を有する領域が存在しない構成にしたものといえる。

5  したがって、係争の効果を明細書に追加記載することは、本願発明の技術的課題と作用効果を変更するものである。よって、係争の効果が当初明細書に何ら記載されていないとした本件決定の認定判断に誤りはない。

第四証拠関係<省略>

理由

一  請求の原因一(特許庁における手続の経緯)、二(当初明細書等の記載)、三(本件補正の主な内容)及び四(本件決定の理由の要点)は当事者間に争いがない。

二  認定判断の誤り第1点(係争の構成の記載についての誤認)及び第2点(係争の効果の記載についての誤認)について

1  請求の原因五1の(一)、即ち、当初明細書等に記載された本願発明の目的、技術課題、構成、効果、同(三)中、当初明細書によれば、本願発明の構成要素の一つとして、「第一の導電性とは異なる第二の導電性を有する第一の領域の周囲の全部又は一部を取り囲むように、基板よりも高濃度の第一の導電性を有する第二の領域」を含んでいることは当事者間に争いがなく、また、同(二)、即ち、電離作用の強い放射線により半導体メモリや電荷結合要素にソフトエラーが生じること及び同所記載のその物理的メカニズムが周知であることも当事者間に争いがない。

右事実によれば、第一の領域の周囲の一部を取り囲むように第二の領域を備えるという構成の実施態様として、原告主張の別紙参考図(一)ないし(三)に図示のような態様があり得ること及びそのような態様のものも、第一の領域の周囲の全部を取り囲むように第二の領域を備えるという構成のものと比較すれば劣るものの、ソフトエラーの防止という効果を奏し、当初明細書記載の本願発明の目的を達成するものであることは、当業者が当初明細書等から容易に理解することができるものと認められる。

したがって、別紙参考図(一)の態様に相当する「係争の構成」自体は外形的には当初明細書等に記載されていたものと認められる。

しかし、そのことから直ちに、本件補正に基づく特許請求の範囲記載の発明が当初明細書等に記載されていたものということはできない。本件補正後の特許請求の範囲記載の構成が、どのような目的で採用されたか、どのような効果を奏するものとされているかを併せ考えて、即ち、目的及び効果との関連で本件補正後の構成を総合的に検討して、本件補正後の発明が当初明細書等に記載されていたか否かを判断しなければならない。

2  当事者間に争いがない請求の原因三(本件補正の主な内容)及び原本の存在及び成立に争いのない甲第三号証(手続補正書写)によれば、本件補正後の明細書には次の趣旨の記載があることが認められる。

本願発明は、α線などの放射線がチップ内に入射した際に生成される電子・正孔対の内、電子がメモリセルの電荷蓄積領域やビット線領域に収集されて本来の記憶情報を反転させ、誤動作(ソフトエラー)を引き起こすという従来のものの欠点を除去するためになされたものであり、半導体基板の主表面に形成されるチャンネル領域を隔てて半導体基板とは反対導電型の電荷蓄積領域およびビット線領域を有し、この電荷蓄積領域またはビット線領域の少なくともいずれか一方の領域に隣接し、上記電荷蓄積領域あるいはビット線領域の底部における上記チャンネル領域に近い側より半導体基板の主表面に形成された分離絶縁膜側の方へ延在する半導体基板と同一導電型でこれよりも高濃度な半導体領域を備えたことにより、α線などの放射線によるソフトエラーを除去し得る新規な半導体集積回路を提供することを目的とするものである(甲第三号証中の明細書四頁一三行から五頁一一行まで)。

右目的を達成する本願発明の構成として請求の原因三(本件補正の主な内容)1記載の本件補正に基づく特許請求の範囲のとおりの記載(甲第三号証中の明細書一頁の特許請求の範囲の欄)。

本願発明によれば、α線などの放射線がチップ内に入射することによって生成された電子が電荷蓄積領域及びビット線に収集されることを有効に防止し、ソフトエラーの発生を除去することができる。更に、本願発明によれば、半導体基板よりも高濃度な半導体領域は電荷蓄積領域あるいはビット線領域との間における半導体基板の主表面部分には形成することなく、電荷蓄積領域あるいはビット線領域の一部である底部においてこれに隣接して形成するので、チャンネル領域は高濃度にはならず、その結果しきい値電圧VTMの制御が極めて容易となるという効果を有する(甲第三号証中の明細書一〇頁一一行から一一頁三行まで)。

3  右2認定の本件補正後の明細書の記載によれば、本件補正後の発明は、α線などの放射線がチップ内に入射することによって生成された電子が電荷蓄積領域及びビット線に収集されることを有効に防止し、ソフトエラーの発生を除去することができるとともに、しきい値電圧の制御が極めて容易となるという効果を有するものである。

ところで、請求の原因四2(二)中、MOSトランジスタのしきい値電圧が半導体基板の不純物濃度に依存すること及び半導体基板の不純物濃度が小さいときは、VTMは不純物濃度依存度が小さく、不純物濃度が大きくなるとVTMが急増するので、不純物濃度が大きいと、濃度のばらつきによりVTMが大きく変化するが、逆に不純物濃度が小さいと濃度のばらつきによるVTMの変化は小さいことが、いずれも本願出願当時周知であったことは、当事者間に争いがない。

本件補正に基づく本願発明が、半導体基板よりも高濃度な半導体領域を電荷蓄積領域あるいはビット線領域との間における半導体基板の主表面部分には形成しない構成、即ち「係争の構成」を採用したのは、右周知事項を適用して、チャンネル領域を高濃度にせず、その結果しきい値電圧の制御が極めて容易となるという効果を奏するためであることは、右2認定の事実から明らかである。

他方、右2認定の事実によれば、本件補正に基づく本願発明は、α線などの放射線がチップ内に入射することによって生成された電子が電荷蓄積領域及びビット線に収集されることを有効に防止し、ソフトエラーの発生を除去することを目的とし、これを達成することができるという効果をも奏するものであるところ、前記甲第四号証によれば、α線などの放射線がチップ内に入射することによって生成された電子が電荷蓄積領域及びビット線に収集されることを有効に防止できるのは、電荷蓄積領域およびビット線領域に隣接して形成された半導体基板と同一導電型でこれよりも高濃度な半導体領域内で基板から拡散してきた電子が再結合してしまうのと、半導体基板とこれより高濃度な半導体領域の界面に電子に対するポテンシャルバリヤーが形成され、基板から拡散してきた電子の内、エネルギーの小さな電子がこのポテンシャルバリヤーを通過することができないためであることが認められる。

そうすると、ソフトエラーを防止するという目的の観点からは、半導体基板よりも高濃度な半導体領域を電荷蓄積領域あるいはビット線領域の周囲全部を取り囲むように設けるものの方が、半導体基板よりも高濃度な半導体領域を電荷蓄積領域あるいはビット線領域との間における半導体基板の主表面部分には形成しない構成、即ち「係争の構成」のものよりも有効であることは明らかである。

それにもかかわらず、本件補正後の本願発明が「係争の構成」を採用したのは、半導体基板よりも高濃度な半導体領域を電荷蓄積領域あるいはビット線領域との間における半導体基板の主表面部分、即ちチャンネル領域には形成しないことによって得られる、しきい値電圧の制御が極めて容易となるという効果と、それに必然的に伴うソフトエラー発生除去という効果の低下の程度の兼合いを総合考慮して、ソフトエラーの発生を防止しつつ、しきい値電圧の制御を容易にするという効果を奏しようという技術思想に基づくものと認められる。

右のように、本件補正後の本願発明においては、ソフトエラーの発生を防止するという効果としきい値電圧の制御を容易にするという効果は、共に重要性を有するものであり、前者の効果は付随的効果にすぎないとはいえず、前記2認定のとおり本件補正後の明細書には、しきい値電圧の制御を容易にすることが本願発明の目的に含まれる旨の明示の記載はないけれども、前記2認定の本件補正後の明細書中の本願発明の効果についての記載からすれば、本件補正後の本願発明はソフトエラーの発生を防止しつつしきい値電圧の制御を容易にすることを目的とするものであることは明らかである。

したがって、本件補正後の本願発明は、ソフトエラーの発生を防止しつつ、しきい値電圧の制御を容易にすることを目的とし、前記請求の原因三1(本件補正に基づく特許請求の範囲)記載のとおりの構成を採用することにより、右目的を達成する効果を奏するものであるということができる。

4  そこで、当初明細書等を検討すると、原本の存在及び成立について当事者間に争いのない甲第二号証によれば、当初明細書等には、しきい値電圧の制御を容易にするという目的もその目的を達成できるという効果も記載されていないことが認められる。

原告は、MOSトランジスタのしきい値電圧が半導体基板の不純物濃度に依存すること及びMOSトランジスタのしきい値電圧をチャンネル領域の不純物濃度で制御することが周知技術であることからみれば、チャンネル領域に半導体基板よりも高濃度な第一の導電性を有する領域が存在しない構成のものと、右領域が存在する構成のものとでは、そのしきい値電圧が異なることが明示されており、右周知技術のものはチャンネル領域には半導体基板よりも高濃度な第一の導電性を有する領域が存在しない構成を示唆するものではないとはいえない旨主張する。

MOSトランジスタのしきい値電圧が半導体基板の不純物濃度に依存すること、即ちMOSトランジスタのしきい値電圧をチャンネル領域の不純物濃度で制御することができること及び半導体基板の不純物濃度が小さいときは、VTMは不純物濃度依存度が小さく、不純物濃度が大きくなるとVTMが急増するので、不純物濃度が大きいと、濃度のばらつきによりVTMが大きく変化するが、逆に不純物濃度が小さいと濃度のばらつきによるVTMの変化は小さいことが、いずれも本願出願当時周知であったことは、前記3のとおりである。

しかし、前記甲第二号証によれば、右周知技術を念頭に置いて、当初明細書等を見ても、ソフトエラーの防止の観点では、チャンネル領域にも半導体基板よりも高濃度の第一の導電性を有する領域を設ける方がより効果があるが、しきい値電圧の制御を容易にする観点からは、チャンネル領域の不純物濃度を高濃度にしない方が望ましいという相反した構成の兼ね合いを勘案し、ソフトエラーを防止しつつしきい値電圧の制御を容易にするという目的及びこれを達成する効果を有するものとしての本件補正後の特許請求の範囲記載の構成は明示の開示も、示唆もされていないものと認められる。

また、原告は、本件補正の前後を通じて本願発明の技術課題と作用効果は共通しており、本件補正後のものは、係争の効果が単に付随的、重畳的に加わったものであり、本件補正による本願発明の構成要素の限定は、単純な付加限定に過ぎず、発明を変更するものではないということができる旨主張する。

しかし、ソフトエラーの防止という目的及びその達成という効果は当初明細書等及び本件補正後の明細書に共通して存在することは原告主張のとおりであるが、本件補正後の本願発明は、ソフトエラーの防止の観点では、チャンネル領域にも半導体基板よりも高濃度の第一の導電性を有する領域を設ける方がより効果があるにもかかわらず、しきい値電圧の制御を容易にする観点からは、チャンネル領域の不純物濃度を高濃度にしない方が望ましいという相反した構成の兼ね合いを勘案し、ソフトエラーを防止しつつしきい値電圧の制御を容易にしようとする効果を達成しようとするものである。したがって、しきい値電圧の制御を容易にするという目的及びそれを達成するという効果(係争の効果)が付随的なものあるいは重畳的に加えられたものにすぎないとはいえない。よって、本件補正による本願発明の構成要素の限定は、単純な付加限定に過ぎず、発明を変更するものではないとはいえず、むしろ、本件補正は当初明細書等に記載された発明の要旨を変更するものと認められる。

5  以上のとおりであるから、係争の構成及び係争の効果については、当初明細書等には何ら記載されておらず、本件補正は当初明細書等の要旨を変更するものである旨の本件決定の認定判断は正当であり、原告主張の誤りは認められない。

三  よって、その主張の点に判断を誤った違法のあることを理由に、本件決定の取消を求める原告の本訴請求は理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担について行政事件訴訟法第七条、民事訴訟法第八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 元木伸 西田美昭 島田清次郎)

別紙 当初図面第2図、補正図面第2図

参考図

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