東京高等裁判所 平成2年(行ケ)186号 判決
一 請求の原因一ないし三の事実は当事者間に争いがない。
二 取消事由に対する判断
(後に述べるように、本願考案において腕木のスリツトに嵌合するのは案内札そのものであるのに対し、引用例において枠体の溝に嵌合するのは文字板を挟持する平板部材であるが、文字板を挟持する平板部材が表示板ひいては案内札として機能しているものといえるから、以下において、引用例における文字板を挟持する平板部材を「案内札」ともいう。)
1 取消事由(1)について
原告は、本願考案におけるスリツトは、パイプをその軸線に沿つて切り開いた開口部であり、案内札の支承はスリツトとこれに対向するパイプの内面が受け持つのに対して、引用例は素材を加工して設けられた前後の側面と底面から構成されるコの字型の溝の各面によつて案内札を支承するもので、本願考案におけるスリツトは引用例における溝と同一ではなく、支承構造も異なるとし、両者を同視してこれを両考案の共通点とした審決の認定判断は誤つていると主張するので、この点について判断する。
(一) 本願考案は、パイプ製腕木(3)に案内札(A)の下縁(A)´を着脱自在に嵌合するスリツト(4)を設けたことを特徴とする案内札立てであり(この事実は当事者間に争いがない。)、成立に争いのない甲第二号証(本願考案に係る明細書)によれば、本願考案においては、案内札を支承するパイプ製腕木の上面を長手方向(軸線)に沿つて、案内札の下縁を着脱自在に嵌合することを可能とする広さに切り開いて設けた切り口をスリツトと称していることが認められる。これに対し、引用例が平板部材を枠体に挿入してなるスタンド式の表示板であることは当事者間に争いがなく、成立に争いのない甲第三号証の一(引用例掲載の公開実用新案公報)の第11図によれば、少なくとも二本の並行する折返部を備えた平板部材が文字記号等を書いた文字板を挟持し、長方形をした枠体の両側面及び底面により形成される溝に着脱自在に嵌合されるもので、この溝は、右平板部材の下縁及び両側縁が着脱自在に嵌合することを可能とする程度の幅と深さを有する凹形状のものと認められる。この事実により、もし、単に両者を平面的に対比するのであれば、本願考案の切り口としてのスリツトに対応するものは引用例では枠体の溝の両側面により形成される開口部であるということになる。
しかし、両者の対比は技術的観点からされることが必要であるので、次に案内札の支承構造という観点から本願考案と引用例を対比検討する。前掲甲第二号証によれば、本願考案における案内札の支承構造は原告主張のとおりと認められ、これによれば、本願考案において案内札を支承するのはスリツトだけではなく、スリツトとこれに対向するパイプの内面であるから、案内札の支承機能に関する限り、単に平面的なものとしてスリツトを論ずることは技術的に無意味であり、スリツトとこれに対向するパイプ内面を不可分なものとして扱うべきである。他方、前掲甲第三号証の二によれば、引用例においては、枠体に設けられた溝の両側面により形成される開口部及び底面が、すなわち、溝が一体となつて、案内札の下縁を支承する構造であることが認められる。そして、案内札の右支承構造によれば、本願考案におけるスリツトが設けられた部位におけるパイプの対向する切断面と引用例の溝における両側面とは構造上類似するとともに、支承上その果たす機能は案内札の前後の傾斜を防止する点で同一であり、また、案内札の下端部を支える部位については、スリツトあるいは溝の各開口部に対向するパイプあるいは枠体内の底部であつて、右の部位をパイプの内面というか溝の底面というかは部材の名称に由来する単なる呼び方の問題にすぎないというべきである。してみると、前記のような両者の平面的な対比は相当ではなく、支承構造の面から検討すると、本願考案におけるスリツトは、これに対向するパイプ内面と一体のものとして捉えるべきであり、そのように捉える限り、本願考案のスリツトと引用例の溝とで技術的に格別異なるとはいえない。(なお、前掲甲第二号証の本願考案の明細書第4図は、スリツト4の内部に溝5を設けた実施例を示しているが、右の溝はスリツト内に挿入された案内板の直立状態をより確実に維持するために設けられたもので、右溝が設けられていない場合にあつてはスリツトとこれに対向するパイプの内面により案内板を支承することに変わりはないのであるから、本願考案の実施例に右のような溝が示されているからといつて、本願考案のスリツトと引用例の溝を技術的に別異のものとすることはできない。)
(二) 加えて、スリツト及び溝の語義の面からも検討すると、スリツトとは、一般的には、成立に争いのない甲第五号証(研究社「新英和大辞典」第五版一九九二頁)によれば、「細長い切り口」、「裂け目」、「(細長い)穴、口、すき間」と、また同乙第三号証の二(マクローヒル「科学技術用語大辞典」七一三頁)によれば、「溝穴」、「溝」、「細長い穴」とそれぞれ定義されているところ、両者はいずれもスリツトを「細長い穴」とする点において共通するように、互いに矛盾する意味を有する概念でないことは明らかである。そして、一般に凹形状をしているものを溝と総称しているところ、成立に争いのない乙第一号証(昭和五一年一一月一六日出願の電動工具に係る実用新案公報)によれば、機械器具の分野においては、かかる意味における溝をスリツトと称している事実が認められ、さらに同乙第二号証によれば、本願考案と同一の技術分野に属する名札差しに係る実用新案の明細書において、引用例の前記溝とほぼ同一形状をなす部位をスリツトと称している事実が認められ、他にこれを左右する証拠はない。これらの事実によれば、スリツトの概念が、細長い溝を含むことは明らかである。
(三) かように、本願考案のスリツトと引用例の溝は、技術的に同視し得るのであり、加えてスリツト及び溝の一般的語義及び当業者の使用例をも参酌すれば、審決が引用例の枠体に設けられた前記の溝を本願考案に設けられたスリツトに相当するものとして捉え、両者を共通点と認定判断したことに誤りはないというべきである。したがつて、取消事由(1)は理由がない。
2 取消事由(2)について
(一) まず、周知例についてみると、いずれも成立に争いのない甲第四号証の一(実開昭五六―七九〇五七号公報)に記載された電話機用電話番号表示スタンドにおいては、電話番号表示板の下縁が保持枠に、同号証の二(同五五―一〇三六七五号公報)に掲載された表示装置においては、表示板の下縁が支持部材の枠状の部位に、同号証の三(同五〇―六五三九九号公報)に掲載された表示板受け枠の定着装置においては、表示板の下縁を受け枠に形成した嵌入溝に、それぞれ着脱自在に嵌合させることが記載されているところ、その表示板を嵌合させる部位はいずれも細長い溝状をなすものであり、その支承構造からみて、これらが本願考案におけるスリツトと技術的に異ならないことは、前項に説示したところに照らして明らかというべきである。
そして、これらの周知例が本願考案と技術分野を同じくすることはその技術内容自体から明らかであり、これらがいずれも本願考案の出願前に公開されたものであることは、前記各公報の記載番号から明らかであるから、結局、表示スタンドにおいて、表示板(本願考案における案内札)の下縁を枠体のスリツトに着脱自在に嵌合させることが本願考案の出願前に周知であるとした審決の認定判断に誤りはないというべきである。
(二) 原告は、スリツトを設けたパイプの形状と前記のスリツト付き枠体との間に格別の差異が認められないから、引用例の枠体に代えてパイプを用いることは当業者が容易に想到可能であるとした審決の認定判断は誤りであると主張するので、右主張について検討する。
本願考案は案内札を支承する腕木にパイプを使用しているのに対し、引用例においては長方形をした枠体を腕木としていることは前記のとおり当事者間に争いがなく、一般に、パイプとは「軸方向に長い中空体」をいうところ、本願考案の登録請求の範囲におけるパイプ及びスリツト付きパイプ製腕木の形状については、何ら格別の限定がないことからすると、パイプの外観形状(丸状、角状等)、太さ及び内径と外径の比(肉厚)等において様々な形態のパイプを包含しているとともに、スリツト付きパイプ製腕木の形状も直線状から、両端を上方に垂直状ないし弧状にしたものまで包含しているものと解される(前掲甲第二号証明細書添付の図面参照)。
そこで、以上を踏まえて、原告主張に係る本願考案の作用効果について検討する。
まず、原告主張の<1>の効果についてみると、右は構造上の効果に係るものであるが、一般に、材質の同じ部材において、外径形状の等しいパイプと中実(無垢)の部材とを対比した場合、パイプの方が重量が軽くて済むこと、また、重量を等しくした場合には、パイプの方が外径を太くすることが可能であることは、素材自体の形状から当然に知られることであり、かかる事項は機械器具の設計者にとつては当然の技術常識というべきである。したがつて、パイプを腕木に使用することによつてもたらされる軽量化あるいは大型化の効果は、当業者が当然のこととして予測し得る効果であるから、パイプ製腕木を採用することによつてもたらされる軽量化ないし大型化ひいてはかかる効果を利用しての案内札立てのトツプヘビーの防止による安定化を、当業者が予期できない本願考案の格別の効果とすることはできない。
次に、原告主張の<2>の効果についてみると、右効果は主として美感上のもので、一般的には意匠上のものに止まり、自然法則を利用した技術的思想の創作である考案の効果と認めることはできないものであるが、一応原告の主張に則して検討する。前掲甲第二号証(本願考案の明細書)には、本願考案の作用効果として「外観がシンプルでかつスマートな案内札の使用ができる」との記載が存するところ、引用例においても、前項に説示したように、文字板を挿入した平板部材を枠体に設けた溝に差し込むだけの単純な支承構造であるから、これが前記の原告主張に係る本願考案の外観形状に比べて格別劣るとは認め難いところであるし、他の室内調度品への転用の可能性についても引用例においてもその形状からすると転用は可能であり、この点で格別の差異は認め難い。のみならず、前述したように、本願考案の登録請求の範囲におけるパイプ及びパイプ製腕木の形状には格別の限定がないことからすると、パイプを腕木に使用したことから当然に、原告主張のシンプル、かつスマートな外観が生ずるものとは解されない。また、原告は、本願考案では下縁に出つ張りのない安全性と美感に優れた案内札立てが可能になると主張するが、前記のように本願考案はスリツト付きパイプ製腕木の両端が垂直に上方にコの字形をした形態のものを含んでいるのであるから、かかる形態においては引用例と何ら異なるものではないのであり、原告の右主張は、本願考案の一実施例に基づく主張にすぎないから、採用できない。
さらに、原告主張の<3>の効果についてみると、右は利用上の効果に係るものであるが、案内札の着脱の容易性については、引用例における前記の支承構造からすると、着脱が本願考案に比し格別複雑なものとは認められない。また、本願考案においては、案内札の下縁を支承するパイプの内面の懐の広さを利用することにより、案内札を後方向に傾斜させた立て方が可能となると主張する点については、右効果は特定の実施例のみが奏する効果であつて(前掲甲第二号証の本願考案の明細書添付の図面第1、2図及び第4図参照)、本願考案が常に奏する効果とは認め難いから、右主張は採用できない。
最後に、原告主張の<4>の効果についてみると、右は経済上の効果に係るものであるが、なるほど成立に争いのない甲第七号証の二には、従来の溝による支承構造の案内札立てより低価格のパイプ製腕木を使用した案内札立てが掲載されていることが認められるが、両者は腕木以外の高さ及び設置面の構造等の点においても相違しているから、右価格差が支承構造の差異のみによるものとは認め難いし、他に支承構造のみに起因する価格差を窺う証拠はないから、これをもつて、直ちに本願考案の方が経済性に勝ると認定することはできない。のみならず、引用例における溝の加工が、特殊な技術を要するものではないごく普通の加工技術であることは、その構造自体から明らかであるから、パイプにスリツトを形成する方が経済性において格別に勝るとも認め難いところである。原告は、本願考案の出願前においては、案内札立ての分野でパイプ製の腕木を使用したものはないと主張するが、案内札を着脱自在に嵌合する部材として中実の部材を採用するか、それとも中空の部材、すなわちパイプを採用するかは、その支承構造からすると、当業者が適宜選択し得る事項というべきであるから、本願出願前にパイプを使用した案内札立てがなかつたからといつて、右パイプの選択が格別困難であるとすることはできず、原告の右主張は採用できない。
(三) してみると、審決が、前記の明細書の記載に基づき、本願考案の作用効果を引用例のそれと比べ、格別の差異が認められない、とした認定判断に誤りがあるとは認められない。したがつて、取消事由(2)も理由がない。
3 取消事由(3)について
原告は、審決における周知例の付加は新たな拒絶理由に当たるから、原告に意見を述べる機会を与えることなく、本件審判請求は成り立たないとした審決は違法であると主張する。
前述したように、周知例はいずれも、本願考案出願前に公開されたものであり、これらによれば、表示スタンドにおいて、表示板(本願考案における案内札)の下縁を枠体のスリツトに着脱自在に嵌合させることは本願考案の出願前に周知であつた事実が認められることは、既に説示したとおりであつて、周知例は単に本願考案の技術的意義を把握するため、出願前における技術常識を明らかにしたにすぎないものであるから、これが新たな拒絶理由に当たるものではない。したがつて、原告の右違法の主張は、その前提を誤つているものであるから失当であり、取消事由(3)も理由がない。
4 以上のとおりであるから、審決の認定判断は正当であり、原告主張の違法はない。
三 よつて、本訴請求は失当であるから棄却する。
〔編注1〕本願考案の要旨は左のとおりである。
室名あるいは席名等を表示した案内札(A)を支承する腕にパイプ製腕木(3)を用い、このパイプ製腕木(3)に案内札(A)の下縁(A)´を着脱自在に嵌合するスリツト(4)を設けたことを特徴とする案内札立て(別紙図面(一)参照)。
〔編注2〕本件における図面は左のとおりである。
別紙図面(一)
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別紙図面(二)
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