東京高等裁判所 平成2年(行ケ)264号 判決 1993年12月22日
東京都新宿区西新宿二丁目4番1号
原告
セイコーエプソン株式会社
代表者代表取締役
安川英昭
訴訟代理人弁理士
石井康夫
同
鈴木喜三郎
同
上柳雅誉
東京都千代田区霞が関三丁目4番3号
被告
特許庁長官 麻生渡
指定代理人
東森秀朋
同
堤隆人
同
奥村寿一
同
涌井幸一
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
第1 当事者の求めた判決
1 原告
特許庁が、昭和61年審判第1295号事件について、平成2年9月6日にした審決を取り消す。
訴訟費用は被告の負担とする。
2 被告
主文同旨
第2 当事者間に争いのない事実
1 特許庁における手続の経緯
原告は、昭和55年7月31日、名称を「アクティブマトリックス基板」とする発明(後に、「液晶表示装置」と補正、以下「本願発明」という。)につき特許出願をした(昭和55年特許願第105308号)が、昭和60年11月14日に拒絶査定を受けたので、昭和61年1月16日、これに対する不服の審判の請求をした。
特許庁は、これを同年審判第1295号事件として審理したうえ、平成2年9月6日、「本件審判の請求は、成り立たない。」との審決をし、その謄本は、同年11月3日原告に送達された。
2 本願発明の要旨
別添審決書写し記載のとおりである。
3 審決の理由
審決は、別添審決書写し記載のとおり、本願発明は、本願出願前公知の刊行物である特開昭54-152894号公報(以下「引用例1」という。)、Appl. Phys. Lett. 36(9)、1 May 1980(以下「引用例2」という。)、ELECTRONICS LETTER Vol. 15 No. 6 15th March 1979(以下「引用例3」という。)に記載された事項に基づいて当業者が容易に発明することができたものと判断し、特許法29条2項により特許を受けることができないとした。
第3 原告主張の審決取消事由の要点
審決の理由中、本願発明の要旨、引用例1ないし3の記載事項、本願発明と引用例1の液晶表示装置との一致点及び相違点の各認定は認める。
しかし、審決は、相違点に関する検討において、トランジスタは、ソース、ドレイン、ゲート、チャンネルなどの全体構成によって動作が定まり、トランジスタとして成立するものであるから、引用例2、3のトランジスタを考えるに当たっても、常に全体構成との関連において見ていかなければならないにもかかわらず、全体構成に目を向けず、本願発明のようなガラス基板の表示装置には適用できないトランジスタを記載した引用例2及び本願発明と動作原理を全く異にするトランジスタを記載した引用例3の中から、単に一部の共通点のみを取り上げて、本願発明は引用例1ないし3に記載された事項に基づいて当業者が容易に発明することができたと誤って判断したものであるから、違法として取り消されなければならない。
1 本願発明の目的及び提供する解決手段
MIS薄膜トランジスタの薄膜をアモルファスシリコン又はポリシリコン(以下、両者をまとめて呼ぶときは「非単結晶シリコン」という。)で形成した場合は、これを単結晶シリコンで形成した場合と異なり、チャンネル部にソース、ドレイン領域に対するのとは逆の導電型の不純物をドープすると、トランジスタのオフ状態において、ソースーチャンネル間、又は、ドレインーチャンネル間に、電流を遮断する良好なPN接合障壁が形成されない。
このようなMIS薄膜トランジスタを液晶表示装置に用いた場合、トランジスタのオン時に液晶に印加した電圧がオフ時にリークしてしまうので、本来表示されているべき情報が、液晶表示装置に表示されないことになる。
本願発明は、液晶表示装置に用いるMIS薄膜トランジスタを非単結晶シリコンで形成する場合の上記問題点を、液晶を挟持するのがガラスの透明基板であるときに解決することを目的とするものであり、その方策の具体的内容は、チャンネル部を不純物がドープされていない真性領域とし、かつ、ゲートがチャンネル部に対して絶縁膜を介してガラス透明基板側にある構成とすることにある。後者の構成が採用されたのは、これにより、チャンネル部が基板ガラスからの不純物から十分に隔離されこれが真性であることを確保することができるからである。
2 取消事由1
審決は、「不純物がドープされていないアモルフアスシリコン(非単結晶シリコン)をチヤンネル部とした薄膜トランジスタが表示装置に応用できることは甲第2号証(注、引用例2)及び甲第3号証(注、引用例3)にみられるように公知である」(審決書5頁末行~6頁4行)と認定し、これを根拠に、「甲第1号証(注、引用例1)にみられるように周知のアクテイブマトリツクス液晶表示装置において、その薄膜トランジスタとして、前記の不純物がドープされていない非単結晶シリコン薄膜をチヤンネル部としたものを用いることに格別の意義は認められず、」(審決書6頁4~9行)と判断した。
引用例2、3に上記事項が記載されていること、引用例1にみられる上記液晶表示装置が周知のものであることは認めるが、この事項は上記判断の根拠になりえず、同判断は誤りである。
引用例2に開示されている上記事項をより具体的にいえば、単結晶シリコンを基板としたうえ、この基板をゲートとし、ソース、ドレイン、チャンネル領域をアモルファスシリコン薄膜で形成し、ソース部及びドレイン部には不純物がドープされ、チャンネル部には不純物がドープされていない薄膜トランジスタが、フラットパネル表示装置用の薄膜トランジスタとして使用できることである。
しかし、単結晶シリコン膜をガラス基板上に形成することができないことは明らかであるから、引用例2で単結晶シリコンの基板をゲートとするその薄膜トランジスタの適用が考えられている表示装置は、本願発明におけるように基板として透明なガラスを用いた表示装置とは無縁のものであり、上記トランジスタは、ガラス基板を用いた表示装置への適用を全く考慮に入れていないものである。
引用例3には、ガラス基板に薄く蒸着したアルミニウムをゲート電極とし、その上に窒化シリコンの膜を形成し、その上にドープされていないアモルファスシリコン層を形成し、最後に、アモルファスシリコン層の表面にソース及びドレイン電極の所望のパターンを蒸着したトランジスタが、マトリックス型の液晶表示パネルのスイッチング要素として利用できることが記載されている。
しかし、上記構成によれば、ここに開示されたトランジスタは、本願発明のトランジスタとは異なってショットキー障壁型のトランジスタであり、ショットキー障壁型トランジスタは、ショットキー・バリアと呼ばれる金属と半導体の接触によるエネルギー障壁を動作原理に用いたものであるから、上記トランジスタで半導体層を真性にしているのは、半導体層中のキャリア(電子又は正孔)数が増加すると金属・半導体間のショットキー障壁ができ難くなるからであるにすぎず、本願発明のトランジスタにおけるようにオフ時におけるリーク電流の減少を図るためではない。
このように、引用例2のトランジスタは本願発明におけるように基板として透明なガラスを用いた表示装置に適用できない構造のものであり、また、引用例3のトランジスタは本願発明のトランジスタと動作原理が全く異なるものであるにもかかわらず、この点を無視して、ただ本願発明と引用例2、3の各トランジスタのチャンネル部の材質のみの共通性だけから、「薄膜トランジスタとして不純物がドープされていない非単結晶シリコン薄膜をチヤンネル部としたものを用いることに格別の意義は認められず」とした審決の上記判断は、明らかに誤りである。
3 取消事由2
審決は、「不純物がドープされていない非単結晶シリコンをチヤンネル部とした薄膜トランジスタにおいて、ソース及びドレインとしてドープされたアモルフアスシリコン(非単結晶シリコン)を用いること・・・は、・・・甲第2号証(注、引用例2)・・・に示されているように公知である」(審決書6頁9~16行)と認定し、これを根拠に、「不純物がドープされていない非単結晶シリコン薄膜のチヤンネル部を有する薄膜トランジスタのソース及びドレインを不純物がドープされた非単結晶シリコンで形成し、・・・ことは、当業者が容易に想到しうるものと認められる。」(同6頁16行~7頁1行)とした。
引用例2に上記構成が記載されていること、したがって、上記構成を採用する点で引用例2のトランジスタと本願発明のトランジスタとは共通であることは認める。
しかし、本願発明のトランジスタはガラス基板の表示装置に適用するものであるのに対し、引用例2のトランジスタがガラス基板の表示装置に適用できないものであることは前述のとおりであるから、この相違を無視し上記単なる一部の共通性のみを取り上げて本願発明において上記構成を採用することの容易想到性判断の資料にすることは許されない。
したがって、審決が、ガラス基板の表示装置に適用できないトランジスタについての記載である同引用例の記載からガラス基板の表示装置に適用すべき本願発明のトランジスタの上記構成が容易に想到できるとするのは、両者の相違を不当に無視して行った認定であり、誤りといわなければならない。
4 取消事由3
審決は、「不純物がドープされていない非単結晶シリコンをチヤンネル部とした薄膜トランジスタにおいて、・・・前記チヤンネル部と絶縁膜を介して設けられるゲートを透明基板側に形成することは、・・・甲第3号証(注、引用例3)に示されているように公知である」(審決書6頁9~16行)と認定し、これを根拠に「ゲートを透明基板側に設けることは、当業者が容易に想到しうるものと認められる。」(同6頁末行~7頁1行)とした。
引用例3に上記事実が記載されており、したがって、ゲートとチャンネル部の配置関係だけを見れば引用例3と本願発明の各トランジスタは一致していること、また、液晶表示装置の薄膜トランジスタのゲートを設ける位置は、チャンネル部に対して絶縁膜を介して透明基板側か、その反対側かのいずれかであることは認める。
しかし、引用例3のトランジスタは本願発明のトランジスタと動作原理が全く異なるものであることは前述のとおりであり、また、トランジスタとしての全体との関連を無視して、同引用例から「チャンネル部と絶縁膜を介して設けられるゲートを透明基板側に形成する」という一般的技術思想を抽出できる根拠はないから、ゲートとチャンネル部の配置関係だけを見れば引用例3と本願発明の各トランジスタは一致していることを根拠に、本願発明におけるゲートとチャンネル部の配置関係を容易に想到できるものとした審決の認定は誤りである。
被告は、乙第1~第3号証の公報を挙げ、薄膜トランジスタのゲートがチャンネル部に対して絶縁膜を介して透明基板側にある構成自体は本願出願前周知であったと主張するが、これらの公報に記載されたトランジスタは、引用例3のトランジスタと同じく、いずれも、ショットキー障壁型トランジスタであり、このようなトランジスタにおいてはそもそも汚染は問題にならず、現に汚染について考慮されていないため、汚染の防止を技術課題とする本願発明とは関係のないものであるから、被告の上記主張は失当である。
第4 被告の反論の要点
審決の認定判断は正当であり、原告主張の審決取消事由はいずれも理由がない。
1 原告の主張1について
本願発明の目的及び提供する解決手段についての原告主張1は認める。
2 同2(取消事由1)について
審決は、引用例2、3の薄膜トランジスタがそっくりそのまま引用例1の表示装置に適用できるといっているわけではなく、審決は、不純物がドープされていないアモルファスシリコンをチャンネル部とした薄膜トランジスタが表示装置に応用できるという技術思想が引用例2、3に見られ、この技術思想を引用例1や本願発明におけるアクティブマトリックス液晶表示装置に適用することに何の困難もないから、それに格別の意義は認められないということを述べているのである。
引用例2の記載(甲第8号証755頁本文左欄4行~右欄20行)によれば、アモルファスシリコン薄膜トランジスタのスイッチング特性が改善されるのは、チャネル部に不純物をドープしないことによるのであって、そのゲートが単結晶シリコンであることに関係するものであることについては何らの記載も示唆もなく、したがって、そのゲートが単結晶シリコンである必要性・必然性はないことは当業者に明らかである。そして、スイッチング素子としてゲートを基板側に形成した薄膜トランジスタを有し、基板が透明なガラスよりなる表示装置は広く知られているから、引用例2の薄膜トランジスタが応用できるとされている表示装置にガラス基板を有するものが含まれることも、当業者にとって明らかであるといわなければならない。
したがって、引用例2の薄膜トランジスタは基板として透明なガラスを用いた表示装置とは無縁であるとする原告主張は失当である。
引用例3のトランジスタは動作原理が本願発明のトランジスタと異なるものであることは認めるが、MIS薄膜トランジスタであれショットキー障壁型薄膜トランジスタであれ、ソース、ドレイン、チャンネルにそれぞれの役割を果たさせるトランジスタとしての機能が同一であることは当業者に明らかであるから、上記相違は、不純物がドープされていないアモルファスシリコンをチャンネル部とした薄膜トランジスタが表示装置に応用できるという引用例3に開示された技術思想を、引用例1や本願発明におけるアクティブマトリックス液晶表示装置に適用するについての容易性の判断に何らの影響も及ぼさない。
したがって、この相違を考慮に入れていないとして審決を攻撃する原告の主張2(取消事由1)は失当である。
3 同3(取消事由2)について
上述のとおり、引用例2の薄膜トランジスタが透明なガラス基板を用いた表示装置に応用できることは、当業者にとって明らかである。
そして、引用例2には、不純物がドープされていない非単結晶シリコンをチャンネル部とした薄膜トランジスタにおいて、ソース及びドレインとしてドープされたアモルファスシリコンを用いることが示されているのであるから、これを第1引用例のものに適用し、本願発明の構成とすることは、当業者が容易に想到できることである。
原告の主張3(取消事由2)は失当である。
4 同4(取消事由3)について
審決が、「不純物がドープされていない非単結晶シリコンをチヤンネル部とした薄膜トランジスタにおいて、・・・前記チヤンネル部と絶縁膜を介して設けられるゲートを透明基板側に形成することは、・・・甲第3号証(注、引用例3)に示されているように公知である」(審決書6頁9~16行)としたのは、そのような構成自体が引用例3に記載されていて公知であるとの趣旨であり、本願発明においてこのような構成を採用する目的を含めて公知であるとの趣旨ではない。
液晶表示装置の薄膜トランジスタのゲートを設ける位置は、チャンネル部に対して絶縁膜を介して透明基板側か、その反対側かのいずれかであり、前者の構成は、引用例3のみならず、特開昭54-108595号公報(乙第1号証)、特開昭54-37698号公報(乙第2号証)、特開昭54-37697号公報(乙第3号証)にも記載されているように、本願出願前周知であった。この周知の構成自体に着目してこれを採用することに格別の困難はありえない。
したがって、引用例3や上記公報に示されるトランジスタと本願発明のトランジスタとの上記構成以外の点の相違を根拠とする原告主張は、的の外れた主張という以外にない。
第5 証拠
本件記録中の書証目録の記載を引用する(書証の成立については、いずれも当事者間に争いがない。)。
第6 当裁判所の判断
1 原告の主張1等について
本願発明の目的及び提供する解決手段についての原告主張1の事実は当事者間に争いがない。
また、審決認定のとおり、本願発明と引用例1の液晶表示装置とが、「相対する2つの透明基板間に液晶が挟持され、一方の透明基板上には、マトリツクス状に配列された透明電極を有し、該透明電極を駆動する薄膜トランジスタが配列されてなる液晶表示装置において、該透明基板はガラス基板からなる液晶表示装置」である点で一致し(審決書5頁4~9行)、このような液晶表示装置が本願出願前周知のものであったこと、本願発明は、この周知の液晶表示装置における薄膜トランジスタのソース、ドレイン、チャンネル領域を非単結晶シリコン薄膜で形成し(以下「相違点<1>という。)、チャンネル部を不純物がドープされていない真性領域とし(以下「相違点<2>」という。)、ゲートがチャンネル部に対して絶縁膜を介してガラス透明基板側にある構成とした点(以下「相違点<3>」という。)において、上記周知の液晶表示装置と相違するものであることは、いずれも当事者間に争いがない。
2 原告の主張2、3(取消事由1、2)について
(1) 引用例2に、不純物がドープされていないアモルファスシリコン(非単結晶シリコン)をチャンネル部とした薄膜トランジスタが液晶表示装置に応用できること、並びに、この薄膜トランジスタにおいて、ソース及びドレインとしてドープされたアモルファスシリコンを用いることが記載されていることは、当事者間に争いがない。すなわち、上記相違点<1><2>に係る構成を持つ薄膜トランジスタが液晶表示装置に応用できることは、既に引用例2において公知の事実である。
そして、甲第8号証によれば、引用例2に示された上記薄膜トランジスタが液晶表示装置に応用できることにつき、次の記載があることが認められる。
「非ドープチャンネル領域を持つ、Nチャンネルエンハンスメント型FETは、Vd=20vでゲート電圧を変えると、ドレーン電流はpAのオーダーから、0.1μAのオーダーまで変化し、ヒステリシス特性はごく僅かだった。・・・これらのFETは、種々の応用が可能であり、特に、表示装置のためのスイッチング回路に可能性があると思われる。」(甲第8号証訳文1頁本文3~11行)
「最近、グロー放電による、シランの分解でつくられる、アモルファスシリコン(a-Si)が注目を集めている。太陽電池を中心にした、応用が広く研究されている。一方、安価で大面積のトランジスタスイッチング回路が、フラットパネル表示装置用に要望されている。a-Siは、半導体特性がよく、エネルギーギャップが大きいので、そのような回路への応用には有用な材料と思われる。このレターは、オンーオフ電流比が105より大きな、a-Si金属酸化物薄膜電界効果トランジスタ(MOSFET)が、実現できたことを報告する。」(同1頁12行~2頁5行)
「チャンネル領域へドープしないFETの、種々のゲート電圧についての、ドレイン電圧対ドレイン電流特性が図2に示されている。チャンネルは高抵抗(5×108Ω)であるので、正のゲート電圧がかけられ、電子はチャンネルのところに蓄積される。FETは、エンハンスメントモードで動作していて、特性は、単結晶シリコンMOSFETとよく似ていることがわかる。しかし、通常のMOSFETに比べると、電流値は小さくゲート電圧は高かった。前者はa-Si中の電子易動度が非常に低く(~10-2cm2/V・sec)、後者は、ゲート酸化物が厚く、a-Si中のギャップ準位密度が高いという事実に起因する。
図3は、ドレイン電圧が20Vにおける、ゲート電圧対ドレイン電流特性である。電流は、2pAから600nAまで変わっていることがわかる。オンーオフ電流比は105以上であり、a-SiMOSFETの値の2桁高く、表示装置の、スイッチングマトリックス素子としては十分である。」(同2頁末行~3頁17行)
上記記載によれば、引用例2に示された上記薄膜トランジスタが液晶表示装置に応用できるとされているのは、チャンネル部に不純物をドープしないことによりチャンネル部が高抵抗となり、そのスイッチング特性が改善されることによることが明らかである。
(2) 次に、引用例3に、不純物がドープされていないアモルファスシリコンをチャンネル部とした薄膜トランジスタが液晶表示装置に応用できることが記載されていることは、当事者間に争いがない。
そして、甲第9号証によれば、引用例3には、そこに示されているアモルファスシリコン薄膜トランジスタが液晶表示装置に応用できることにつき、次の記載があることが認められる。
「グロー放電により堆積されたアモルファスシリコンよりなる絶縁ゲート電界効果トランジスタの特性が述べられている。a-Si素子は、アドレス可能な液晶表示パネルのマトリックスに有効に利用できることが示唆されている。」(甲第9号証訳文1頁1~5行)
「上記に要約された結果から、a-Siは、たとえば液晶パネルのような、X-Yにアドレスできる、トランジスタマトリックスに応用きる有用な材料であることが示唆される。」(同3頁下から2行~4頁2行)
「Brodyたちは、マトリックスのための、薄膜トランジスタに対する基本的要求事項を、次のように挙げている。
(a)最低オンーオフ比 300
(b)オン抵抗 Ron<9×106Ω
液晶素子の急速な容量変化に対応するため
(c)オフ抵抗 Roff>3×109Ω
走査間の電荷の過度な減衰を防ぐため
これらの要求事項は、特に、かなり大きなRoffの値は、Brodyたちが使ったCdSe素子で満足させるのは無理だった。そして各素子に付加蓄積キャパシタをつけた複雑なマトリックスを必要とした。
ところが図2の特性は、a-Si素子が、(a)-(c)の条件を既に満足していることを示している。そこで、ここに記述した、a-Si i.g.f.e.t.が表示パネルのスイッチング素子として、有用な役割を果たすものだということを示唆したい。」(同4頁7~23行)
上記記載によれば、引用例3に示された上記薄膜トランジスタが液晶表示装置に応用できるとされているのは、チャンネル部に不純物をドープしないことにより、そのスイッチング特性(オンーオフ電流比)が改善されることによることが明らかである。また、引用例3の記載に照らすと、この薄膜トランジスタがショットキー障壁型トランジスタであるとは認められない。
(3) そして、チャンネル部に不純物をドープしないことによりアモルファスシリコン薄膜トランジスタのスイッチング特性が改善されることが、ゲートが単結晶シリコンよりなることなど、チャンネル部以外のトランジスタの構造との間に関係があることを示すに足りる資料は、本件全証拠によっても認めることはできない。
以上の事実によれば、引用例2、3に接した当業者にとって、スイッチング特性の改善のために、チャンネル部には不純物がドープされておらずソース及びドレインの各部には不純物のドープされているアモルファスシリコン薄膜トランジスタを液晶表示装置に用いるとの技術思想を引用例2及び同3から引き出し、この技術思想を引用例1に示されている上記周知の液晶表示装置に適用し相違点<1><2>の構成とすることに、原告主張のような障害があるとは認めらず、容易に想到できたことといわなければならない。
原告主張の審決取消事由1及び同2は理由がない。
3 同4(取消事由3)について
不純物がドープされていないアモルファスシリコンをチャンネル部とした薄膜トランジスタにおいて、チャンネル部と絶縁膜を介して設けられるゲートを透明基板側に形成する上記相違点<3>に係る構成が引用例3に記載されていること、液晶表示装置の薄膜トランジスタのゲートを設ける位置は、チャンネル部に対して絶縁膜を介して透明基板側かその反対側(チャンネル部及び絶縁膜に比べ透明基板から遠い側)かのいずれかであることは、いずれも当事者間に争いがない。
そして、乙第1ないし第3号証によれば、薄膜トランジスタを液晶表示装置に適用するに当たり、薄膜トランジスタのゲートを設ける位置をチャンネル部に対して絶縁膜を介して透明基板側とする引用例3の上記構成は、本願出願前既に周知の技術であったことが認められる。
そうとすれば、チャンネル部、絶縁膜、ゲート、ガラス透明基板がこの順で配置される本願発明の構成は周知の構成そのものであり、この周知の構成を引用例1に示されている上記周知の液晶表示装置に適用し相違点<3>の構成とすることは、当業者にとって容易にできることと認められる。
原告は、引用例3及び上記乙号各証の公開特許公報に示されるトランジスタは、ショットキー障壁型トランジスタであり、本願発明とは動作原理を異にすることを理由に審決の判断を論難するが、甲第9号証及び上記乙号各証を検討しても、これらトランジスタがショットキー障壁型トランジスタであることを認めることはできず、原告の主張は、前提において既に誤りであり、採用できない。
また、仮に、相違点<3>に係る構成によってガラス基板からの不純物による汚染の防止という効果が生ずることが本願発明によって明らかにされたとしても、それは、周知の構成を適用したことの効果の単なる発見にすぎず、これをもって本願発明の特許性の根拠とすることができないことは明らかである。
原告の主張4(取消事由3)も理由がない。
4 以上のとおりであるから、原告主張の審決取消事由はいずれも理由がなく、その他審決にはこれを取り消すべき瑕疵は見当たらない。
よって、原告の主張を棄却することとし、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法7条、民事訴訟法89条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 牧野利秋 裁判官 山下和明 裁判官 木本洋子)
昭和61年審判第1295号
審決
東京都新宿区西新宿2丁目4番1号
請求人 セイコーエプソン株式会社
神奈川県小田原市東町1丁目20番34号
代理人弁理士 石井康夫
東京都新宿区西新宿2丁目4番1号 セイコーエプソン株式会社内
代理人弁理士 鈴木喜三郎
東京都新宿区西新宿2-4-1 セイコーエプソン株式会社 特許室
代理人弁理士 上柳雅誉
昭和55年特許願第105308号「液晶表示装置」拒絶査定に対する審判事件(平成1年9月11日出願公告、特公平1-42146)について、次のとおり審決する。
結論
本件審判の請求は、成り立たない。
理由
Ⅰ 本願は、昭和55年7月31日の出願であつて、当審において出願公告されたところ、特許異議の申立がなされたものである.
Ⅱ 本願発明の要旨は、出願公告後の平成2年6月21日付け手続補正書により補正された明細書及び図面の記載からみて、特許請求の範囲に記載されたとおりの次のものと認める.
「相対する2つの透明基板間に液晶が挾持され、一方の透明基板上には、マトリツクス状に配列された透明電極を有し、該透明電極を駆動する薄膜トランジスタが配列されてなる液晶表示装置において、該透明基板はガラス基板からなり、該薄膜トランジスタのソース、ドレイン、チヤンネル領域は非単結晶シリコン薄膜で形成され、該ソースドレイン部は不純物がドープされ、該チヤンネル部は不純物がドープされていない真性領域でありかつ、該薄膜トランジスタのゲートが該チヤンネル部に対して絶縁膜を介して該透明基板側にあることを特徴とする液晶表示装置.」
Ⅲ これに対して、特許異議申立人日本電気株式会社が提出した甲各号証の刊行物には次の記載が認められる.
甲第1号証(特開昭54-152894号公報)マトリツクス状に配列された透明電極を駆動するアモルアスシリコン又は多結晶シリコンを有する薄膜トランジスタが配設されている絶縁物基板と、共通電極を有するガラス基板との間に液晶を挾持した液晶表示装置(公報第2頁右上欄第6行~同頁右下欄第2行及び第4図参照)。
甲第2号証(Appl、phys、Lett、36(9) 1 May 1980)
アモルフアスシリコンを有する薄膜トランジスタにおいて、チヤンネル部はドープされないアモルフアスシリコン、ドレイン及びソースはドープされたアモルフアスシリコンをSiO2膜を介してゲート上に形成した薄膜トランジスタ、及び前記薄膜トランジスタを表示装置のスイツチンング回路として応用できること(第754頁~第755頁右欄第2行及びFIG・1参照).
甲第3号証(ELECTRONICS LETTER Vol・15 No.6 15th March 1979)
ガラス基板上にAlゲートを設け、このAlゲート上にSi-窒化物層を介してドープされてないアモルフアスシリコンを被覆し、この上にソース電極及びドレイン電極を設けた薄膜トランジスタ、及び前記トランジスタが液晶表示パネルのX-Yにアドレスできるトランジスタマトリツクスに応用できること(第179頁右下欄~第180頁右欄第9行及びFig・1参照)。
Ⅳ 次に、本願発明と甲第1号証に示されたものを比較すると、いずれも薄膜トランジスタを有するいわゆるアクテイブマトリツクス液晶表示装置であり、その構造は共通している。ただ、甲第1号証では、一方の基板が「絶縁物基板」となつているが、前記アクテイブマトリツクス液晶表示装置の基板としてガラス基板を用いることは周知の事項であること、また、前記「絶縁物基板」には透明電極が配列されていることを合せ考えると甲第1号証の「絶縁物基板」に本願発明の「ガラス基板」が含まれるものと認められる.したがつて、本願発明と甲第1号証に示されたものとは、いずれも「相対する2つの透明基板間に液晶が挾持され、一方の透明基板上には、マトリツクス状に配列された透明電極を有し、該透明電極を駆動する薄膜トランジスタが配列されてなる液晶表示装置において、該透明基板はガラス基板からなる液晶表示装置」である点で一到しているものと認められる.しかしながら、本願発明は、薄膜トランジスタのソース、ドレイン、チヤンネル領域は非単結晶シリコン薄膜で形成され、該ソース、ドレイン部は不純物がドープされ、該チヤンネル部は不純物がドープされていない真性領域であり、かつ、該薄膜トランジスタのゲートが該チヤンネル部に対して絶縁膜を介して透明基板側にあるのに対して、甲第1号証には、その旨の記載がない点で差異があるものと認められる.
Ⅴ そこで、前記の差異について検討する.
不純物がドープされていないアモルフアスシリコン(非単結晶シリコン)をチヤンネル部とした薄膜トランジスタが表示装置に応用できることは甲第2号証及び甲第3号証にみられるように公知であるから、甲第1号証にみられるような周知のアクテイブマトクツクス液晶表示装置において、その薄膜トランジスタとして、前記の不純物がドープされていない非単結晶シリコン薄膜をチヤンネル部としたものを用いることに格別の意義は認められず、また、不純物がドープされていない非単結晶シクコンをチヤンネル部とした薄膜トランジスタにおいて、ソース及びドレインとしてドープされたアモルフアスシリコン(非単結晶シリコン)を用いること、及び前記チヤンネル部と絶縁膜を介して設けられるゲートを透明基板側に形成することは、それぞれ甲第2号証及び甲第3号証に示されているように公知であるから、不純物がドープされていない単結晶シリコン薄膜のチヤンネル部を有する薄膜トランジスタのソース及びゲートを不純物がドープされた単結晶シリコンで形成し、ゲートを透明基板側に設けることは、当業者が容易に想到しうるものと認められる.
したがつて、本願発明は、本願の出願前に公知である甲第1号証、甲第2号証及び甲第3号証の刊行物に記載された事項に基いて当業者が容易に発明をすることができたものと認められるので、特許法第29条第2項の規定により特許を受けることができない.
よつて、結論のとおり審決する.
平成2年9月6日
審判長 特許庁審判官 (略)
特許庁審判官 (略)
特許庁審判官 (略)