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東京高等裁判所 平成2年(行ケ)85号 判決

第一 請求の原因一(特許庁における手続の経緯)、二(本願発明の要旨)及び三(審決の理由の要点)は、当事者間に争いがない。

第二 そこで、原告主張の審決取消事由の当否を検討する。

一 成立に争いない甲第二号証(特許願書及び添付の明細書、図面)及び第五号証(平成一年九月一日付け手続補正書)によれば、本願発明の技術的課題(目的)、構成及び効果が左記のように記載されていることが認められる(別表A参照。なお、昭和六〇年五月九日付け手続補正書(甲第三号証)及び昭和六二年六月一〇日付け手続補正書(甲第四号証)による字句の訂正については、引用箇所の摘示を省略する。)。

1 技術的課題(目的)

本願発明は、ベンゼンをモノニトロ化してモノニトロベンゼンを得る、改善された連続的断熱製造法に関する(明細書第四頁第二行ないし第六行)。

ベンゼンの硝化は、アニリン製造のためのモノニトロベンゼンを得るため、工業的に広く行われている。ニトロベンゼン製造法として現在常用されている方法は、硫酸と硝酸の混合物(「混酸」と呼ばれる。)をベンゼンに添加するものであるが、この硝化反応は通常六〇℃ないし七〇℃(又はそれ以下)の温度範囲で行われるので、右方法においては発生する反応熱を除去することが必要である(同第四頁第八行ないし第一七行)。

現在常用されている方法が、膨大な反応熱を除去するために冷却を必要とするという本質的な欠点を有することは、米国特許第二、二五六、九九九号発明(いわゆる、カストナー法)によつて指摘されている。そして、カストナー法は、混合による反応熱を保存して、反応速度を増進させ、かつ、廃酸(反応に使用された混酸)の温度を上昇させて廃酸の濃縮を一層効果的に達成する、断熱硝化法を開示した。

しかしながら、カストナー法は、工業的な成功を得ることができなかつた(同第五頁第五行ないし第一六行)。

カストナー法の本質的な欠点は、米国特許第四、〇二一、四九八号発明(引用例記載の発明)によつて解決されている。引用例記載の発明は、二五%より少なくない水を含有する混酸を用い、約一四五℃以下の反応温度による断熱硝化法によつてニトロベンゼンを得るものであつて、ニトロベンゼン中のジニトロベンゼンは約五〇〇ppmより少ない(同第五頁第一九行ないし第六頁第五行)。

引用例記載の発明は、混酸中の水の量を制限し、したがつて廃酸中の硫酸濃度を約七二%以下に保つならば、過剰なジニトロ化を避け得るとの知見に基づいている。しかしながら、同発明の方法は、最高反応温度が常圧で約八〇℃に制限されてしまうという問題点がある(同第六頁第六行ないし第一一行)。

本願発明の技術的課題(目的)は、一層高い温度で(したがつて、一層高い反応速度と時間当たり処理量をもつて)ジニトロベンゼンをほとんど含まないモノニトロベンゼンを得る方法を創案することである(同第六頁第一四行ないし第一七行)。

2 構成

本願発明は、右技術的課題(目的)を解決するために、その要旨とする特許請求の範囲記載の構成を採用したものである(平成一年九月一日付け手続補正書二枚目第五行ないし三枚目第一五行)。

本願発明が要旨とする「大気圧をこえる圧力」とは、反応混合物中のベンゼンが、約一四五℃をこえない反応温度の下で液体に保たれるに充分な圧力をいう(明細書第七頁第一一行ないし第一三行)。

混酸中の水の濃度が約二八%より小さいと反応はジニトロ化の度を増し、約三七%より大きいと反応速度が低下しモノニトロ転化率が下がる(同第八頁第一五行ないし第一九行)。したがつて、本願発明では、混酸中の水の濃度(したがつて、廃酸中の水の濃度)を所定の範囲内に制限することが重要である。そうすれば、従来技術において可能であつた温度よりも高い温度で、ジニトロベンゼンの生成なしに、ベンゼンのモノニトロ化が可能である(同第一〇頁第八行ないし第一四行)。

3 効果

本願発明によれば、ジニトロベンゼンの含有量が約五〇〇ppm未満のモノニトロベンゼンを高収率で得ることが可能であつて、硝酸の転化率はほとんど完全である(明細書第七頁第八行ないし第一〇行)。

すなわち、本願発明によれば、反応速度及び時間当たり処理量の非常な増加をもたらす利点を有し、しかも非常に高い収率で高純度のモノニトロベンゼンを製造することができる(同第一〇頁第一四行ないし第一八行)。

例えば、本願発明の実施例1(硝酸五・二%、硫酸六二・五%、水三二・三%、当初反応温度九〇℃、反応器の圧力六五psig、反応時間一一・二分、廃液中の硫酸六五%)は、モノニトロ転化率九九%及び九九・五%、ジニトロベンゼンの含有率は一〇〇ppmより小である。実施例2(硝酸三%、硫酸六六・五%、水三〇・五%、当初反応温度一二〇℃、反応器の圧力六五psig、反応時間一・二分、廃液中の硫酸六八%)は、モノニトロ転化率九〇%ないし九九%、ジニトロベンゼンの含有率は一〇〇ppmより小である。また、実施例3(硫酸七・四%、硫酸五八・六%、水三四%、当初反応温度八〇℃、反応器の圧力六五psig、反応時間二〇分、廃液中の硫酸六二%)は、モノニトロ転化率八二%ないし九九%、ジニトロベンゼンの含有率は一〇〇ppmより小である。(同第一三頁初行ないし第一六頁第二行)。なお、別表Aは、当初温度を八〇℃とした場合の本願発明の実施例を示すものであつて(同第一六頁第四行ないし第六行)、廃酸濃度が六八%を越える実施例4、5はジニトロベンゼンの含有率が高いが、実施例6は非常に高いモノニトロ転化率と低いジニトロベンゼン含有率を得ている。実施例7ないし9は、順次に低下する廃酸濃度と低いモノニトロ転化率を示し、付加的な反応時間(又は、より高い反応温度)の必要性を示している。以上の実施例は、本願発明における水の役割の重要性を説明するものである(同第一八頁第六行ないし第一五行)。

二 相違点の判断について

原告は、引用例にはベンゼンのモノニトロ化反応を八〇℃を越える当初反応温度でも行い得ることが示されているとした審決の認定は誤りである、と主張する。

そこで、引用例記載の技術的事項を検討するに、成立に争いない甲第六号証によれば、引用例には、

引用例記載の発明は、特にニトロベンゼンの連続的又はバツチ的断熱製法に関するものであること(第一欄第三行ないし第九行)、ベンゼンをニトロ化してモノニトロベンゼンを製造することは工業的に広く行われているが(同欄第一一行及び第一二行)、ニトロ化反応は通常六〇℃~七〇℃又はそれ以下の範囲において行われるので(同欄第一七行ないし第一九行)、反応熱の除去のために大規模な冷却を必要とすることが従来技術に固有の欠点の一つであること(同欄第二九行ないし第三一行)、米国特許第二、二五六、九九九号発明(いわゆる、カストナー法)は、混合熱及び反応熱の全部を保持しておき、これを反応に利用してその速度を増加させるとともに、使用済みの酸の温度を最高約一一〇℃に上昇させて、より有効な濃縮を可能にしたものであること(同欄第三二行ないし第三八行)、カストナー法は約九〇℃の当初温度でベンゼンをニトロ化するものであるが、この温度はベンゼンの沸点よりやや高いので、ベンゼンをゆつくりと添加するか、全反応系を加圧下におくようにしなければ、ベンゼンは激しく沸騰して反応が中断すること(同欄第四〇行ないし第四六行)、もしベンゼンをゆつくりと添加するならば、ジニトロベンゼンの生成量が増大するが、そのような結果は例17で明らかにされており、カストナー法が条件によつてはかなりの量のジニトロベンゼンを含有するニトロベンゼンを生ずること(同欄第四六行ないし第五一行)、ジニトロ化合物の存在は潜在的に危険であるから、その生成は最小にするのが望ましいこと(第二欄第三行及び第四行)、引用例記載の発明は、ニトロ化される芳香族化合物の沸点以下の初期反応温度を用いて、加圧あるいは還流手段を使用することなく、混酸中の水の量を調整することによつてジニトロ化を最小にする点において、カストナー法に勝る利点を有すること(第三欄第五行ないし第一一行)、ジニトロ化量に影響する決定的な因子は、混酸中の水の量であること(同欄第四二行及び第四三行)、モノニトロ化反応は、発生する熱によつて最高温度が一四〇~一四五℃を越えないのであれば、約四〇℃ないし八〇℃の範囲の当初温度で行うことができること(同欄第四九行ないし第五三行)、モノニトロ化反応を連続して最も短時間に完遂するためには、有機物質とニトロ化剤の緊密な接触を達成するため激しい攪拌が必要であつて(同欄第五六行ないし第五九行)、約〇・五ないし三分の間に反応が完遂することが好ましいこと(第三欄末行ないし第四欄第二行)

以上の技術的事項が記載されていることが認められる。

右認定事実によれば、引用例記載の発明は、ベンゼンのモノニトロ化反応を加圧あるいは還流手段を使用せずに行うことを企図したため、当初反応温度を約四〇℃ないし八〇℃の範囲に限定したのであるが、従来技術の説明として、カストナー法のように約九〇℃の当初反応温度でモノニトロ化反応を行うときは、ベンゼンをゆつくりと添加するか、全反応系を加圧下におくようにしなければベンゼンが沸騰して反応が中断すること、しかしながらベンゼンをゆつくりと添加するとジニトロベンゼンの生成量が増大してしまうことも記載されていることが明らかである。

ところで、化学工業プロセスに高圧を適用して非加圧下では不可能あるいは不利な化学操作を実用化することは技術常識であつて、現に、加圧下においてベンゼンのモノニトロ化反応を行う技術が本件優先権主張日前に公知であつたことは原告も自認するところである。したがつて、化学工業プロセスに高圧を適用することの当否は、加圧によるメリツト(液相状態の保持もその一つにほかならない。)と、設備費あるいは操作費の増大などのデメリツトとのバランスによつて判断されるべき、設計の範囲に属する事項であると理解するのが相当である。そして、引用例には、前記のように約九〇℃の当初反応温度でベンゼンのモノニトロ化反応を中断なく行うためには反応系を加圧下におくことが望ましいことが記載されているのみならず、引用例記載の発明の実施例を示す別表Bの例3ないし6を対比すれば、当初反応温度が八〇℃の例4及び6は、ジニトロベンゼンの含有量において当初反応温度が六〇℃の例3及び5に比べてもほとんど遜色がなく、最少反応時間においては、より優れていることが明らかである。したがつて、引用例の記載から、加圧下において八〇℃を越える当初反応温度でベンゼンのモノニトロ化反応を行うならば、反応時間を速め、時間当たり処理量を増加できるとの示唆を得ることは、当業者にとつて容易な事柄であるというべきである(引用例に、約〇・五ないし三分の間に反応が完遂することが好ましいとの記載が存することは前記のとおりである。)。

また、ベンゼンのモノニトロ化反応において、当初反応温度を八〇℃以下にし非加圧下で反応を行う方法と、当初反応温度を八〇℃以上にし加圧下で反応を行う方法とは、ベンゼンを液相に維持して反応を行う点において反応相を異にするものではないから、一方の方法によつて得られる効果が他方の方法では期待できないとは考えられない。

したがつて、引用例記載の当初反応温度を八〇℃以下にし非加圧下で反応を行う方法に代えて、当初反応温度を八〇℃以上にし加圧下で反応を行う方法を試みることは、当業者ならば当然に想到し得た事項にほかならないのである。

この点について、原告は、別表Bの例16及び17には当初反応温度が九〇℃にするとジニトロベンゼンの含有量が顕著に増大することが記載されている、と主張する。右例16及び17が加圧下において行われたものか非加圧下において行われたものか、引用例の記載からは明確でないが(被告は、非加圧下において行われたものであると主張している。)、別表Bの注によれば、例16は引用例記載の発明の範囲外の例として記載されたものであることが認められるし、例17は、ベンゼンをゆつくりと添加するならばジニトロベンゼンの生成量が増大してしまう例として記載されたものであることは前記のとおりである(別表Bの注によれば、例17は一〇分間をかけてベンゼンを添加した例である。)。そして、前掲甲第六号証を検討しても、引用例には、約九〇℃の当初反応温度でモノニトロ化反応を行うときに 全反応系を加圧下におくと、ベンゼンをゆつくりと添加する場合のようなジニトロベンゼンの生成量が増大をもたらすことを指摘する記載も示唆も存しない。したがつて、別表Bの例16及び17の結果を論拠として、引用例の記載は当業者が八〇℃を越える当初反応温度でベンゼンのモノニトロ化反応を試みる動機にはなり得ない、という原告の主張は明らかに失当である。

以上のとおりであるから、相違点に係る本願発明の構成は当業者が容易に行い得る程度の反応条件の変更にすぎない、とした審決の判断に誤りはない。

三 本願発明が奏する効果について

原告は、本願発明が奏する効果は引用例の記載からは到底予測し難いものである、と主張する。

しかしながら、前記のとおり、本願発明が要旨とする当初反応温度には「約八〇℃」が含まれており、一方、引用例記載の発明の当初反応温度にも「約八〇℃」が含まれている。そして、ベンゼンの沸点が八〇・一℃であることを考えれば、当初反応温度を約八〇℃にした場合は、本願発明が要旨とする「ベンゼンを液状に保つた充分な大気圧を越える圧力」は不必要であるか、仮に必要としても極めて微々たるもので足りることは明らかである。したがつて、当初反応温度を約八〇℃に設定してベンゼンのモノニトロ化反応を行つた場合、反応時間、ジニトロベンゼンの含有率あるいはモノニトロ転化率において、本願発明と引用例記載の発明の間に顕著な差異が生ずることはほとんどあり得ないというべきである。

この点について、原告は、本願発明の実施例1及び2を例示的に挙げて、本願発明はジニトロベンゼンの含有率が極めて僅かな高純度のモノニトロベンゼンを高い転化率で得るという特有の効果を奏する、と主張する。

しかしながら、本願発明の実施例3のモノニトロ転化率が最低八二%にすぎないことは前記のとおりであるし、別表Aから明らかなように、本願発明の実施例9のモノニトロ転化率は八九・五%にとどまり、実施例6のジニトロベンゼンの含有率は二九〇ppmに及ぶ。このように、原告が主張する勝れた効果は本願発明の一部の実施例が奏する効果にすぎない。一方、前掲甲第六号証の第四欄実施例1の第一〇行及び第一一行によれば、引用例記載の発明の実施例1のモノニトロ転化率は九四%に達していることが認められ、また別表Bから明らかなように、引用例記載の発明の実施例4及び6のジニトロベンゼンの含有率は検出されない、あるいは一〇〇ppmである。したがつて、原告主張の効果をもつて本願発明に特有のものと認めることはできない。

念のため付言すれば、別表Bの例7ないし15の混酸の条件を本願発明の混酸の条件と対比すると、例7、8及び15は硫酸及び水の含有量が、例9及び10は硝酸の含有量が、例11及び12は硝酸及び水の含有量が、例13及び14は硝酸、硫酸及び水すべての含有量が、それぞれ本願発明が要旨とする数値に適合していない。のみならず、例13及び14の水の含有量は、「約二五%以上」とする引用例記載の発明の要件すらも満たさないものである。それゆえ、例えば例8において五一〇ppm、例13において九〇〇ppm、例14において三八〇〇ppmのジニトロベンゼンが生成されたことを捉えて、本願発明が奏する効果は引用例の記載からは予測し難いとすることは当たらないといわざるを得ない。

したがつて、本願発明が引用例の記載から予測し難い格別の効果を奏するものとは認められない、とした審決の判断にも誤りはない。

四 以上のとおり、相違点及び本願発明が奏する効果に関する審決の認定判断に誤りはなく、本願発明は引用例記載の発明に基づいて当業者が容易に発明をすることができたとする審決の認定及び判断は正当であつて、審決には原告が主張するような違法は存しない。

第三 よつて、審決の違法を理由にその取消しを求める原告の本訴請求は失当であるからこれを棄却することとする。

〔編注〕本願発明の要旨は左のとおりである。

ベンゼン反応体の流れと、

硝酸、硫酸及び水より成る混酸反応体の流れとを、

加熱された温度で接触させて硝化反応混合物を生成し;

それによつて発生する混合熱と反応熱とを、該反応混合物中に吸収せしめて硝化反応に利用し;

モノニトロベンゼンを含有する有機相と、主として熱硫酸水溶液より成る水相とから成る反応生成物を分離し;

有機相中の酸性副生物を洗浄除去してモノニトロベンゼンを得るところの、

ベンゼンを硝酸によつてモノニトロ化してモノニトロベンゼンを製造する断熱製造法における、左記aないしdの各工程より成る、改善された製造法;

a 約三~七・五重量%の硝酸、約五八・五~六六・五重量%の硫酸、及び約二八~三七重量%の水より成る混酸反応体の流れと、

化学量論的に過剰なベンゼン反応体の流れを、

約八〇℃~一二〇℃の温度範囲において、反応混合物中のベンゼンを液状に保つた充分な大気圧を越える圧力の下に接触せしめて、硝化反応混合物を形成する工程;

b 該反応混合物を、約一四五℃を越えない温度において、その中の硝酸のほとんど全量がモノニトロベンゼンに転化されるに充分な時間にわたつて烈しく攪拌する工程;

c 該反応混合物組成物を、有機相と、ほとんど硝酸を含まず約六二~六八重量%の硫酸を含む硫酸水溶液相とに分離する工程;

d モノニトロベンゼンを有機相より回収し、約五〇〇ppm未満のジニトロベンゼンを含有する長所を有する、モノニトロベンゼンを得る工程

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