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東京高等裁判所 平成2年(行コ)120号 判決

控訴人らは人格権を根拠に本件工事の差止めを求めているが、その当否を判断するに当たっては、本件火葬場の建設により生ずるとされる被害につき、被侵害利益の性質と内容、侵害行為とされる本件工事の態様と侵害の程度、本件工事の公益性の内容と程度、本件工事開始に至る経緯と被害防止措置の有無、内容及び効果等につき検討し、本件工事が控訴人らの受忍限度を超えるものであるかどうかを総合的に判断して決定すべきである。そこで、以下順次検討する。

1 控訴人らは、リハビリテーション治療を受ける患者は心理的に極めて不安定な状態にあるので、火葬場が本件予定地に建設されるときは、死を恐れ忌み、火葬を畏怖する控訴人らの宗教的感情が侵害されて苦痛を受けることにより、血圧上昇、脈拍昴進、リハビリテーション意欲の減退、自殺願望等、身体的、心理的な悪影響を受けることが予測されるばかりか、これらの悪影響は現在既に患者らの上に現れていると主張する。

《証拠》によれば、会田病院は昭和六〇年二月ころからリハビリテーション治療を専門に取り扱うようになり、わが国のリハビリテーション医学において指導的立場にある上田敏東京大学医学部教授の指導を受け、同大学付属病院リハビリテーション部との人事交流を行いつつ茨城県内外の患者を受け入れ、治療に努めてきたこと、治療に当たっては、リハビリテーション医学の理念は傷病により身体に障害をもつに至った患者の全人間的復権を実現するにあるとの上田教授の考えに基づき、野外での歩行訓練を通じて障害のある身体部位の症状悪化を阻止するとともに障害を免れた身体部位の機能の強化を図るという積極的訓練方法を用いて身体機能回復訓練を実施し、また、患者の心理的立ち直りと社会復帰を促進していること、会田病院でリハビリテーション治療を受ける患者には、傷病による全身的状態は一応落ち着いたが、障害からの回復が困難なことを知って怒り、恨み、悲嘆、抑鬱という一連の心理的経過にあり、障害を受容し、克服できるようになるまでになお時間を要する者が多いこと、リハビリテーション治療を進めるに当たっては、患者自身にやる気を起こさせることが重要であるとされていること等の状況を窺うことができる。

そして、死は人の忌み恐れるものであり、火葬場が直ちに死を連想させるものであることはいうまでもないから、生命の危険から脱したばかりの会田病院の患者が火葬場建設工事を目のあたりにしたとき、リハビリテーション治療を受けている患者が通常備えている感受性を基準としてみると、一般健常者が受ける以上の心理的衝撃を受け、また受けるであろうことは、当裁判所も十分に理解することができる。

しかしながら、右のような心理的衝撃により控訴人らが主張する身体的、精神的被害が発生することが、単に一般的抽象的蓋然性にとどまらず、技体的な確実性をもって予想されることを認めうる的確な証拠はなく、会田病院で治療中の患者の間で火葬場建設工事の進行を原因として具体的被害が現に生じていることを確かめうる証拠もない。もっとも、《証拠》によれば、控訴人ら三名が本件火葬場の設置を知り、又は建設工事の進行状況を見て怒りや精神的苦痛ないし身体の不調を訴えていることが認められ、また、本件火葬場建設工事開始後の昭和六三年七月、会田病院において入院患者四〇名を対象とするアンケート調査を行ったところ、工事着工を知った者一六名のうちの四分の三が精神的衝撃を受けた旨を、更にその三分の二が不眠、血圧・脈拍の変化等の身体的影響を受けた旨をそれぞれ回答(無記名)したことが認められるが、右アンケート調査はその実施条件が不明であるほか、その結果が回答者の病状の変化についてのおおまかな主観的印象にとどまり、病状の変化状況ないし工事着工との因果関係を客観的に把握できる種類のものではなく、現在入院中の控訴人石橋清と通院中の控訴人直井貞男、同小松崎和夫の訴えるところも同様であって、他に控訴人ら個々人につき医学的所見及び本件火葬場建設工事との因果関係の有無を客観的に確認すべき資料は提出されていない。

もとより生命、身体の安全は人格権の重要な部分をなすものであり、高度の法的保護を受けるべき利益であることはいうまでもないが、侵害行為ありとして他人の行為の差止めを求めるについては、控訴人ら主張の被害の内容・程度が差止め請求を認容するのでなければ保護されえないという程度に重大深刻であることが確証されなければならないのであり、そうでない場合においては、生命、身体に直接的被害が生じる場合に比較して、保護の必要性は低いといわざるをえないのである。

2 控訴人らは、死を恐れ忌み、火葬を畏怖するのは宗教的感情であり、これを侵害されない利益が墓地埋葬法の規定により保障されていると主張する。

しかしながら、墓地埋葬法一条が墓地、火葬場等の設置、管理が「国民の宗教的感情に適合し」て行われることを同法の目的として掲げたのは、これらの行為が、死者の宗教、宗派はいずれであっても、死者をその尊厳にふさわしい儀礼をもって弔葬すべきであるとの国民の宗教的感情に基づき営まれるものであることによるものである。わが国においては古来死を忌むべき穢れ、不浄とみなし、葬制としては土葬が行われていたところ、仏教が伝わるに伴い火葬も導入されたが、なお土葬の習慣が広く行われていたのであり、明治以後公衆衛生の観点から火葬が奨励され、普及するに至ったことは、公知の事実である。現代において、われわれは死が逃れえないものであることを知りながらこれを忌み恐れ、いわば死を忘れようと努めながら日常生活を営んでいる。火葬場は、これを見る人をして忘れていた死を直視させ、死に対すると同様の感情を起こさせるものである。しかし、そのような感情自体は単に死に対する恐怖であるにすぎない。死ないし死者への恐怖を超えて死者の霊を弔うとき、人は始めて宗教的感情を抱き、弔葬のための宗教的又はその他の儀礼を執り行うのである(宗教は、死に対する不安、恐怖を乗り越えようとする人間的営為であるともいえよう。)。このように考えると、身近に存在する火葬場から死を連想し恐怖を感じることによって宗教的感情が侵害されるとか、墓地埋葬法一条の規定が保護している利益が損なわれるとか考えることはできない。

3 そこで、本件火葬場を本件予定地に建設することの必要性及びその程度につき検討する。

(一) 《証拠》によれば、本件火葬場を使用する予定の取手市、守谷町、藤代町は、近年都市化現象に伴い人口増が著しく、これに対応して火葬件数も年々増加していること、昭和六〇年度から平成元年度の右一市二町の火葬率の平均が九四パーセント余に達していること、前記一市二町は、今まで固有の火葬場を有しておらず、その住民は竜ケ崎市等の近隣の他の市町村の火葬場を借用していたこと、竜ケ崎市等も近年火葬件数の増加などから、他市町村住民の利用に難色を示しており、従来借用していた火葬場の使用を今後制限される可能性が強いこと、従って、火葬場を建設することが被告にとって急務であること、今日においては死体処理方法として火葬が広く一般的に行われており、被告が火葬場を設置することは、その住民の社会生活上欠くことができない高度の公共性を有すること、右一市二町は、火葬場の建設が必要であることを認識して昭和四〇年に被告を設立し、火葬場建設を計画してきたが、地権者等の強い反対により用地を取得できず、火葬場建設予定地を転々と変更してきたこと、そこで、被告は用地選定を慎重に行った結果、本件予定地が新しい火葬場の建設用地として遊地であると判断して用地を取得したこと、被告は、平成二〇年末までに本件予定地よりさらに適地の獲得に努め、適地が得られれば、そこへ火葬場を移転する予定であることが認められる。

原告らは、本件予定地である同地地区、市之代地区における火葬率が低いことを理由として、住民の社会生活に火葬場が不可欠とはいえないと主張し、前記乙第五号証によれば、前記二地区の昭和五九年から昭和六一年の平均火葬率が六〇パーセントであることが認められるが、本件火葬場を使用するのは、前記二地区を含めた一市二町の住民であり、従って、火葬率も一市二町全体のそれを基準として考えるべきであると思料され、ことさらに前記二地区の火葬率を強調する原告らの右主張は採用することができない。

そして、右一市二町における最近の人口増加が比較的死亡率の低い中年以下の層の流入によるものであって、直ちに火葬の需要が大幅に増加するとはいえないとしても、前記のとおり火葬件数は年々増加しているのであり、他方では長年にわたり土葬が行われてきた地域において土葬の習慣を支えてきた共同体的な相互扶助関係が衰退しつつあることは否定できず、また、人々の価値観の多様化に伴い、今後は農村地域においても土葬に代わり火葬が普及してゆく可能性があると考えられるのであり、そうだとすると、右二地区における火葬の需要増加も十分予想されると考えなければならない。

また、原告らは、本件予定地に比し、牛久沼付近にはもっと火葬場に適した地域がある旨主張するが、弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる甲第三一号証の三によれば、牛久沼付近は昭和四四年三月首都圏近郊緑地保全法に基づき牛久沼近郊緑地保全区域に指定され、この区域内の建築物の新築等が制限されている事実が認められるから、火葬場の建設は困難なものと考えられ、この点に関する原告らの主張も採用できない。

4 控訴人らは、本件火葬場の都市計画決定及び経営許可には、本件火葬場と会田病院との間の距離につき条例違反の違法があると主張する。

墓地埋葬法一〇条の規定によれば、墓地、火葬場等を経営しようとする者は都道府県知事の許可を受けなければならないところ、右許可の基準についての定めはないが、これは、墓地、火葬場等の存在形態については、国民の葬斎に関する意識・習慣、地域共同体や宗教的活動との関係、地理的条件等に従い地方的差異が大きく、法律による全国一律の規制に適しないため、これを知事の合理的裁量に委ねたものであり、知事が許否を決するに当たっては、同法一条に定められた公共目的に沿い、墓地、火葬場、埋葬等が住民の宗教的感情を尊重し、公衆衛生その他公共の福祉の見地から支障なく設置、管理されるよう配慮するとともに、周囲の環境や合理的な土地利用その他地元独自の事情をも総合勘案することが要請されているものと解される。

そして、茨城県が墓地埋葬法の規定を受けて制定した施行条例(昭和六〇年一〇月一五日茨城県条例第三六号)三条によれば、火葬場の設置場所は、学校、病院、人家等から一〇〇メートル以上の距離にあるべきものと規定されている(成立に争いのない甲第一〇号証)が、その趣旨は、墓地埋葬法の目的並びに同県下における人口分布、土地利用状況等を考慮して、火葬場を学校、病院、人家等から一〇〇メートル以上の距離にあることを知事の裁量権行使のための基準としたものと解される。けれども、同条には知事が土地その他周囲の事情から支障がないと認めるときはこの限りでないとの但書が付加されていること、右の一〇〇メートルがどこからどこまでの距離を意味するのかが明定されていない(もっとも、茨城県においては火葬場の経営許可に当たり、「条例三条第一号に規定する距離については(中略)火葬場は建物の端からとする」との扱いである(成立に争いのない乙第三二号証、同県衛生部環境衛生課作成の「墓地等許可事務の手引」による。)ことが認められるが、法的効力を有するとは解されない。)ことからすると、右規定は、知事が墓地埋葬法により授権された裁量権を行使するに当たってのおおまかな基準を示したものにすぎないと解される。そうすると、本件火葬場の敷地と会田病院の敷地が幅員二・七メートルの道路を隔てて接しているとの一事によって(建物相互間の距離いかんにかかわりなく、)本件火葬場建設の決定あるいはこれに基づく火葬場の経営許可が条例三条の規定に違反し、よって違法の瑕疵を帯びるとまではいうことができない。

5 控訴人らは、本件火葬場の建設に際し、事前の住民対策が不十分であったと主張する。

《証拠》によれば、次の事実が認められる。

(一) 本件火葬場の建設は、取手市都市計画として計画されたものであって、昭和六一年五月二二日取手市長から同市都市計画審議会に対して取手市都市計画火葬場計画として諮問され、同審議会は同年六月三日同都市計画に異議がない旨答申したので、取手市長から被控訴人への協議を経た上、同年六月三〇日ころ取手市、藤代町、守谷町においてそれぞれ都市計画法の規定(一七条第一、二項)に基づく公告及び都市計画案の縦覧を行い、次いで茨城県知事の承認を申請し、同知事は同県都市計画地方審議会の議を経てこれを承認したので、取手市長が昭和六一年七月三〇日都市計画の決定をし、同日ころ、取手市、藤代町、守谷町において告示し、これにより発効した(同法一九条、二〇条)。

(二) 昭和六一年当時の本件火葬場の計画案によれば、会田病院との関係では、景観に対する配慮として、建物(平家建て)用地を最小限とし、斎場施設は会田病院からできるだけ離して計画区域の南東部分に位置させ、斎場施設周辺に十分な植栽を施し、建物周辺には密度の濃い植栽を行い、築山を設けて外部と遮蔽することにより、周辺からの眺望を遮断することとし、具体的には火葬場建物と会田病院の間に高さ九メートル、基盤の幅二七メートルの堤防様の築山を作り、上部の幅五メートルの部分に高さ六・三メートル以上の樹木を植栽することとされていた。また、周辺環境整備のため、本件予定地の周辺の土地(会田病院の訓練道敷地の一部を含む。)を取得して動植物園、遊園地、遊戯場等を作るとの一応の計画も立てられた。火葬場建物と会田病院との間に右のような植栽した築山を設けるとの点は、平成二年六月の計画案の平面図においても維持されている。火葬場建設工事はその後進行し、建物は現在竣工間近かであるが、右築山はまだ作られていない。

(三) 取手市長から茨城県知事宛の都市計画法一九条一項による決定承認申請書添付の書面によれば、会田病院所在の守谷町同地地区において昭和六〇年一月から同年九月までに地元説明会を三回、その後同地地区住民との話し合いを六回行い、同六〇年中に同地地区の延べ四〇戸を個別訪問したこと、都市計画法一七条一項による縦覧期間内の縦覧者は六名、提出された意見書は二四件であったこと、意見書中の反対意見には隣接病院とその患者に対する悪影響を指摘したものがあったことが知られるが、会田病院との接触の有無については明らかでない。他方、会田病院側は、本件火葬場建設計画の公告前これについて直接被控訴人から説明ないし協力依頼を受けたことはなく、公告後の昭和六一年七月一〇日付けで取手市長に対し、同年九月四日付けで茨城県知事に対し、病院経営者である医療法人道守会理事長会田道子名をもって建設に反対する趣旨の各意見書を提出した。

(四) この間に本件火葬場設置計画に関する行政手続は進行し、前記のとおり、同年七月一四日に茨城県知事の承認を経、同月三〇日取手市、藤代町及び守谷町における告示により都市計画決定が発効した。また、火葬場の経営については、昭和六三年二月三日付けで被控訴人から取手市長に対して許可の申請をし、同市長は同年四月一四日、周辺住民の強い嫌悪感を払拭する必要性、近隣に病院施設が現存する状況を考慮し、少なくとも病院から火葬場の建築物が望見できないよう障壁を設け、高さのある樹木を植栽する等の措置をすること、周辺住民との協調を図るため既に約した環境整備対策の完遂を図ることとの条件を付した上、許可した。

(五) 被控訴人の管理者(取手市長)及び副管理者ら(藤代町長、守谷町長)は、平成元年四月、本件予定地である取手市大字市之代地区の住民代表者四名との間で誓約書を交換したが、これによれば、住民側は、平成元年から二〇年間の暫定施設として本件火葬場の建設を認め、被控訴人は、周辺住民の生活環境等に極力支障を与えないよう、道路等の環境整備に配慮すべきものとされており、同年八月には、会田病院所在の守谷町同地地区の住民代表三名との間においても、同趣旨のことに加え、被控訴人が同地地区からの視界を遮り会田病院屋上から本件火葬場建物が見えないようにするため、高さ約一五メートルの遮蔽物を構築するとの誓約書が交換された。

以上の認定事実を総合すると、被控訴人又はこれを構成する取手市、藤代町及び守谷町において、本件火葬場の建設計画につき会田病院関係者に対して説明し、理解と協力を求めるための努力が十分であったかどうかについては、疑問が残るといわざるをえない。しかし、控訴人らのように会田病院に一時的に入通院する患者についても個別に同様の努力をすべきであったとまでいうことはできない。そして会田病院に対する関係で被控訴人側の努力が足りなかったとしても、本件火葬場の経営許可につき前記の条件が付されており、これが誠実に順守されるならば、会田病院ないし控訴人ら患者の被る被害が最小限にくい止められるであろうこと(証人上田敏は、被害防止策がどのようであれ、隣地に火葬場が存在するというだけで、患者に身体的、心理的悪影響を生ずると証言するが、このような見解は、受忍限度の判断に関する限りは採りえないところである。)を考慮すると、被控訴人側の住民対策が不十分であることをもって、本件差止請求を根拠づけるのは困難である。

6 以上のとおり、控訴人らの被侵害利益の性質と程度については同情すべき点があるが、他方、火葬場が社会生活において欠くことのできない高度の公共性を有する施設であること、本件火葬場建設の必要性、緊急性、代替地の確保が当面困難であること、本件火葬場設置に至る経緯、周辺住民のための被害防止対策が計画されており、その効果が期待できること等の事情があり、これらを総合的に比較衡量すると、控訴人らの主張する被害は控訴人らの受忍すべき限度内のものというべきである。

(藤井 伊東 水谷)

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