東京高等裁判所 平成2年(行コ)163号 判決 1991年10月30日
控訴人 谷澤サカエ
被控訴人 青山典子
同 小林邦子
同 青山侑
同 青山勝
同 新井鎮夫
同 依光恒治
同 子安圭三
同 倉重有
同 鮫島勇
右九名訴訟代理人弁護士 山下一雄
被控訴人 根津いずみ
右訴訟代理人弁護士 鎌形寛之
同 白川博清
同 山上知裕
主文
原判決中、昭和五九年分(ただし、同年一二月二七日分は除く。)の給与の支給に関する損害賠償請求部分(遅延損害金の請求部分を含む。)を取り消し、本件訴えのうち、右請求にかかる部分を東京地方裁判所に差し戻す。
控訴人の本件その余の控訴を棄却する。
前項にかかる控訴費用は控訴人の負担とする。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 控訴の趣旨
1 原判決を取り消す。
2 本件を東京地方裁判所に差し戻す。
3 訴訟費用は、第一、二審を通じて被控訴人らの負担とする。
二 控訴の趣旨に対する答弁
本件控訴をいずれも棄却する。
第二当事者双方の事実の主張は、本件監査請求の適法性につき当事者双方において次のとおり付加陳述したほかは、原判決事実摘示第二記載のとおりであり、証拠関係は原審記録中の証拠目録記載のとおりであるから、それぞれこれらを引用する。
(控訴人)
住民監査請求において、一般的には、対象となる行為を個別的、具体的に摘示しなければならないとしても、当該行為等の性質、目的等に照らし一体と見てその違法又は不当性を判断するのを相当とする場合は、これを個別的、具体的に摘示する必要はないものと解すべきである。そして、個別的、具体的に摘示することが要求されるときも、地方公共団体の財務会計行為について専門的知識を欠き、情報入手手段も著しく限られている住民に対し住民監査請求が認められている趣旨からして、その特定の程度は、監査請求により監査委員が何を監査しなければならないかを特定できる程度に特定していれば足りるものと解すべきであり、右特定の有無は、監査請求書の記載のみではなく、これに添付された事実を証する書面の記載、監査請求人が提出したその他の資料等を総合して判断しなければならない。また、監査請求において、監査委員は請求人に補正を求めることができるのであるから、監査委員において特定していないと判断すれば、その補正を求めるべきである。
本件の監査請求においては、まず、夏休み中の「レポート作成期間」は、やみ休暇として組織的に行われているものであり、また、「やみ」であるか否かは法的問題であるから、その性質、目的等に照らし一体と見て違法又は不当性を判断するのを相当とする場合に当たり、個別的、具体的に摘示する必要はないものというべきである。仮に特定が必要であるとしても、控訴人は、中野昭和小学校(以下「本件小学校」という。)の事務職員であるので、添付書類として、本件小学校の事務職員の氏名、各事務職員ごとの「研修日」及び「レポート作成期間」が記載されている書面並びにこの「レポート作成期間」に職務専念義務免除(職免)を認めたのは中野区教育委員会であることを記載した書面を提出したのであるから、その特定は十分である。また、「都民の日」についてやみ休暇を与えたのが本件小学校の校長である被控訴人倉重であることを主張する書面も提出している。「挨拶回り」は、年末年始にそれぞれ一日ずつ認められるものであり、このような短期間において本件小学校に限るなら十分に個別的、具体的というべきである。
以上のように、本件監査請求においては、少なくとも一部は特定されていたのであるから、監査委員としては、これら特定され、しかも他と区別して監査しうるものについては、右のように区別され、特定された範囲で監査しなければならないのであり、このように特定された範囲で監査する旨を監査請求人に告げ、さらに監査を求めるのであれば特定のための資料の提出を求めて補正させればよく、監査請求全体を不適法とすることは許されない。
(被控訴人ら)
住民監査請求をするにあたっては、その対象とする「財務会計上の行為又は怠る事実(当該行為等)」を具体的に特定しなければならない。本件監査請求の対象とされている行為は、中野区の学校勤務職員には、教育委員会及び各所属学校長から、研修、挨拶回り、レポート作成期間等と称する自宅研修日及び都民の日と開校記念日に与えられるやみ休暇があり、このようなやみ休暇により、職員が出勤しないのに出勤したとして給与を支出した行為と解されるが、右のような公金支出の違法又は不当性は、各職員に対する個々の給与の支出ごとにその出勤状況を調査して判断するほかないから、各公金の支出を他の支出と区別して特定認識しうるように、個別的、具体的に指摘しなければならず、そのためには、少なくとも、当該行為等の主体、その行われた年月日、これにかかる金額を明らかにしなければ、これらを他の行為等と区別して特定認識することはできない。ところが、本件監査請求においては、監査請求書及び補正書並びに添付書類を総合してみても、控訴人がいかなる行為を監査請求の対象としようとしているのか明らかではない。すなわち、仮に「当該行為等」が給与支出行為であるとしても、その支出行為者を具体的に誰と主張するのか明らかではないし、また、「当該行為等」が給与受領行為であるとしても、本件監査請求においては、誰の超過勤務手当受領行為を対象とするのか全く特定認識できない。さらに、「都民の日」、「開校記念日」、「挨拶回り」については、特定個人名の記載は全くない。また、「当該行為等」の行われた年月日についても、どの日を「当該行為等」の日として監査の対象としようとするのか明らかではなく、その年月日は到底特定されているとはいえない。また、金額についても、特定記載されていない。このように、本件監査請求は、具体性のない不特定なものであることは明らかであり、行政の組織、制度を問題にしようとするものであるから、かかる請求は、地方自治法七五条所定の事務の監査請求をもってなすべきである。また、控訴人は、中野区においては、やみ休暇が組織的に行われているので、一体と見て違法又は不当性を判断すべきであるとも主張するが、一体と見て違法又は不当性を判断することが許されるのは、対象行為が形式的に「複数」の行為でも、実質的に「一体と見て」単一の行為と評価しうる場合に限定されるもので、本件の場合はこれに当たらない。控訴人が主張するように「組織的に」行われているということは、事務の監査請求の対象とすることはできても、住民監査請求の対象とする理由にはならない。
理由
一 本件訴えは、中野区の住民である控訴人が、地方自治法二四二条の二第一項四号に基づき、中野区に代位して、中野区長の相続人らに対し、昭和五九年八月から同六〇年八月までの間に、被控訴人根津がいわゆるやみ休暇を取り、実際は勤務していないにもかかわらず勤務したものとして中野区から受けた給与相当の金員の損害賠償を求める事案であり、当審における争点は、控訴人がした本件監査請求が請求の特定を欠き、不適法なものであり、したがって、これを前提とする本件訴えも不適法なものであるか否かである。
二1 地方自治法二四二条による住民監査請求は、同法七五条に基づく監査請求とは異なり、地方公共団体の長その他の財務会計職員の一定の具体的な違法若しくは不当な財務会計上の行為又は怠る行為(以下「当該行為等」という。)に限って監査委員にその監査等を請求する権能を認めたものと解すべきである。したがって、住民監査請求においては、その対象とする当該行為等を、他の事項から区別して特定認識できるように個別的、具体的に摘示することが必要であり、当該行為等が複数である場合は、当該行為等の性質、目的等に照らしこれらを一体と見てその違法又は不当性を判断するのを相当とする場合を除いて、各行為等を他の行為等と区別して特定認識できるように個別的、具体的に摘示することを要するものであり、右の特定の有無は、監査請求書のみならず、これに添付された事実を証する書面の記載や監査請求人が提出したその他の資料等を総合斟酌して判断すべきものである(最高裁判所平成二年六月五日第三小法廷判決・民集四四巻四号七一九頁参照)。
2 これを本件についてみると、<書証番号略>によれば、本件の監査請求書(中野区職員に対する措置請求書。期限内に提出された補正書の記載を含む。)には、冒頭に「中野区の学校勤務の職員及び区長、中野区教育委員会」と括弧書し、「請求の主旨」として、中野区の学校勤務職員には、学校の夏休みや冬休みに教育委員会ぐるみで与えられる「研修」、「挨拶回り」、「レポート作成期間」等と称する自宅研修日、都民の日や開校記念日に各所属の学校長が世間の「常識」に従って与えるやみ休暇があること、出勤簿上は右の研修とレポート作成期間は「研修」と表示し、挨拶回りと都民の日等は出勤しないのに出勤扱いで押印することになっていること等の記載があり、「措置要求(中野区の学校勤務の職員及び区長中野区教員委員会と事務局)」として、これらが根拠のないやみ休暇であるなら、一年前に遡って給与の返還を求めるとともに区教委ぐるみのこの「犯罪」について区長を始め区としての厳正な処置を求める等の記載がされていることが認められ、これらの記載のみからすると、本件監査請求は、中野区の学校全部の事務職員の過去一年間分の自宅研修日等のやみ休暇を問題とするものと見え、そうだとすると、それぞれの事務職員がいつ何日間のやみ休暇等をとったかが不明であって、包括的で不特定にすぎるものということができる。
しかしながら、原本の存在と<書証番号略>よれば、控訴人は、本件監査請求にあたり、夏休み期間中(七月二一日から八月三一日まで)九ないし一〇日を研修日とすること等が記載されている「『学校勤務職員』の夏季休業中の勤務について」と題する書面、昭和五九年八月四日及び七日に「職場の人間関係」なる講演を研修として聴講させ、その後右テーマについてのレポート作成期間(八ないし九日間)は職免扱いとするようにとの各小、中学校長宛の中野区教育委員会学校教育部長である被控訴人依光の「学校に勤務する区職員に対する研修の実施について」と題する書面、右研修受講日及びレポート作成期間は職免扱いとし、出勤簿には「研修」と表示するようにとの各小、中学校長宛の中野区教育委員会学務課長である被控訴人子安の「区職員の研修について」と題する書面及び中野区のこれら「レポート研修」はやみ夏休みであるとして糾弾する新聞記事のほか、被控訴人根津を含む本件小学校の各職員について昭和五九年七月二一日から同年八月三一日までの間の出勤日、出勤しない理由ないし根拠(年休あるいは研修等)を日毎に記載した「昭和五九年夏季休暇及び勤(ム)務表」を提出したことが認められ、また、<書証番号略>よれば、控訴人は、「措置請求の補正について」なる書面に、実際には出勤しなかった職員が出勤簿上出勤になっているのを、本件小学校に勤務している控訴人自身が見たこと、及び控訴人は被控訴人倉重(本件小学校校長)から、都民の日については自分が世間の常識に従って与えたと聞いたことを記載して提出したことが認められる。これらの事実によれば、被控訴人根津に支給された給与のうち、昭和五九年の夏休み期間中の研修関係分(研修日及びその後に与えられるレポート作成期間)及び同年一〇月一日(この日が都民の日であることは、改めて特定するまでもない。)分として各支給された分については、本件監査請求は、特定性に欠けるところはないというべきである。
3 これに対し、右以外の部分については、右に認定したような具体的な記載は見当たらない。なお、昭和六〇年八月分の給与の支払いについては、本件監査請求は、過去一年分の違法給与の支払いによる損害の賠償等を求めて昭和六〇年八月五日に提起されたものであり、訴状添付の「返還請求内訳」によれば、同年の夏季休暇での最初の「欠勤日」は同年八月九日というのであるから、本件監査請求の対象になっていないことは明らかであって、この点ですでに控訴人の訴えは不適法である。また、「挨拶回り」については、前記<書証番号略>の記載により冬休み期間中であることは窺われるものの、具体的にいつを指すものであるかを明らかにする資料が全くないので、これについても、特定に欠けるものといわざるをえない(なお、「開校記念日」については、本訴で請求していない。)。
4 被控訴人らは、控訴人において給与支出行為を問題とするのであれば、誰のどの支出行為を監査の請求の対象にしているかを明らかにすべきであるのに、これが明らかでないと主張するが、専門家ではない一住民に対して監査委員に住民監査請求をする権能を与えている地方自治法の趣旨、及び支出命令権者を特定することは部外者にとってはしばしば非常に困難である(法律に詳しい者にとってすら、難解である。)ことを考えると、本件監査請求の対象とされる行為が特定されている以上は、支出行為者を特定して挙げていないからといって、これが不適法であるとするのは相当ではないものというべきである。また、返還を求める金額を明示していないのは被控訴人ら主張のとおりであるが、これは、日数さえ特定されれば、被控訴人根津の給与から算出されるものであり、監査委員が右給与を確定することは容易なことであるから、これをもって、本件監査請求の対象が不特定であるとするのもまた相当ではない。
その他、被控訴人らは本件監査請求が特定性に欠ける理由を種々主張するが、被控訴人根津に対する昭和五九年八月の研修関係分及び一〇月一日の給与の支払い分(以下これらを併せて「昭和五九年の支払い分」という。なお、前記説示のとおり、同年一二月二七日分〔挨拶回り分〕は含まれない。)については特定していると解すべきことは2に説示したとおりである。
5 以上説示したとおり、本件監査請求は、昭和五九年支払い分に関しては具体的に特定されていたものというべきであるから、中野区監査委員はこの部分について監査すべきであったというべきである。なお、念のため次の点を付け加えておく。前記のとおり、本件監査請求書においては、中野区の学校勤務職員の受けた研修関係日等にかかる給与全体を監査請求の対象としているかのように読めないでもないが、控訴人が提出した添付書類を斟酌すると、被控訴人根津の昭和五九年の支払い分については具体的に特定されており、しかもこれは他と区別して監査しうるものであるから、監査委員会はこの部分につき監査を実施すべきであったのであり、仮に一部のみ監査することが控訴人の請求の趣旨に合致するかに疑問をもったのであれば、控訴人にその旨を確かめれば足りたはずである。ところが、<書証番号略>によれば、中野区監査委員は、控訴人に対し、本件監査請求には、事実を証する書面の添付(地方自治法二四二条一項)がないので補正するようにと通知を出したのみで請求の特定性には全く触れず、控訴人の意図を確かめることもしないまま、事実を証する書面の添付がないこと等を理由として本件監査請求を不適法として却下したものであることが認められる(少なくとも昭和五九年支払い分については、事実を証する書面があることは前記認定から明らかである。)から、控訴人は、昭和五九年支払い分については、監査委員において適法な監査請求につき期限内に監査しなかったものとして本件訴えを提起することができるものというべきである。
三 以上の次第で、本件訴えのうち、昭和五九年支払い分に関する部分については、その監査請求が特定に欠け不適法であるとはいえないが、その余の部分については適法な監査請求を経ていない不適法な訴えというべきである。
よって、原判決のうち、昭和五九年支払い分に関する部分について監査請求が特定性に欠け不適法であることを理由に訴えを却下した部分は不当であるから、これを取り消し、原判決は、その余の争点については全く判断をしていないので、民訴法三八八条にしたがってこれを原裁判所に差し戻すこととし、原判決のうち本件訴えのその余の部分を却下した部分は相当であるから、この部分に対する本件控訴を棄却することとし、後者の部分についての控訴費用について同法九五条、八九条を適用して控訴人の負担とすることとして、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 上谷清 裁判官 満田明彦 裁判官 高須要子)