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東京高等裁判所 平成2年(行コ)177号 判決 1992年7月30日

控訴人

本間敏雄

右訴訟代理人弁護士

古川景一

岡村親宜

被控訴人

王子労働基準監督署長

斉藤晴久

右指定代理人

開山憲一

外四名

主文

原判決を取り消す。

被控訴人が控訴人に対して昭和五七年九月七日付けでした労働者災害補償保険法に基づく療養補償給付及び休業補償給付をそれぞれ支給しない旨の各決定並びに昭和五八年六月二九日付けでした各療養補償給付支給決定の各取消決定をいずれも取り消す。

訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。

事実及び理由

(申立て)

控訴人は、主文同旨の判決を求め、被控訴人は、「本件控訴をいずれも棄却する。」との判決を求めた。

(主張)

当事者双方の主張は、次のとおり付加、訂正するほか、原判決「事実及び理由」中の「第二 事案の概要」と同一であるから、これを引用する。

1  原判決三ページ八行目から同九行目にかけての「頭部を強打した」を「右後頭部を打撲した」と改め、同末行の「三月」の前に「昭和五五年」を、同行の「病院に」の次に「おいて」を加え、同行から同四ページ一行目にかけての「三月」を「同月」と、同行の「受信して」を「おいて受診し」と改め、同二行目の「四月七日」の前に「同年」を加え、同行の「四月一四日」を「同月一四日、開頭」と改め、同三行目の「を受けた」の前に「による手術」を、同五行目の「受付で」の次に「労働災害補償保険法(以下(労災保険法」という。)による」を、同九行目の「請求のあった」の次に「労災保険法による」を加え、同行の「不支給の」をそれぞれ支給しない旨の各」と改め、同行の「以下」の次に「、一括して」を加え、同末行から同五ページ三行目までを次のとおり改める。

「(三) 被控訴人は、前記の岩槻中央病院における治療費について、労災保険法に基づき、昭和五五年七月一四日に同年三月分として三四万〇〇三六円の、同年九月一二日に同年四月分として一八万九〇〇四円の合計五二万九〇四〇円の療養補償費を支給したが、昭和五八年六月二九日付けで本件疾病は控訴人の業務に起因するものではないとして右の各療養補償給付支給決定(以下、一括して「本件支給決定」という。)の各取消決定(以下、一括して「本件取消決定」といい、本件不支給決定と併せて「本件各処分」という。)をした。」

2  原判決五ページ四行目の「本件各処分に係る」を削り、同行の「病院に」の次に「おいて」を加える。

3  原判決五ページ八行目から同九行目にかけての「よるものであるか、業務起因性があるか」を「起因するものであり、労災保険法七条一項一号所定の業務上の疾病(業務災害)に当たるか否かということ」と、同末行の「業務上外」を「業務起因性の有無の」と、同六ページ一行目から同五行目の「業務上外認定」までを「労災保険法七条一項一号所定の業務上の疾病の要件の一つとしての業務起因性の有無についての判断」と、同七行目の「総合的に」から同八行目までを「総合してする法律判断であり、医学上の知見はこの法律判断を補助するにとどまるものであって、厳密な医学的証明があることは必要でない。」と、同一〇行目の「本件発症前」を「本件疾病が発症するまで」と、同七ページ一行目の「素因はなかった」を「素因は有しなかった」と、同三行目から同四行目にかけての「のショック」を「による衝撃、緊張」と、同五行目の「ボーッと」を「ぼうっと」と、同六行目の「以前していた晩酌をしなくなった」を「が発生するまで欠かさないでいた晩酌ができなくなった」と改め、同一〇行目から同九ページ四行目までを次のとおり改める。

「(5) 関東労災病院脳神経外科の大野恒夫医師は、控訴人に対するCTスキャンによる検査(以下「CT検査」という。)の結果に基づき、昭和五五年三月二二日以前に脳動脈瘤の破裂による軽微な出血があったものと鑑定している。

(6) 脳動脈瘤破裂による特発性くも膜下出血の場合、最初の破裂による出血(初回発作)があっても、その発作は軽微なものであることが少なくないから、必ず直ちに重篤な症状が発現するわけではない。そのような場合、動脈瘤の傷はすぐ自然に血栓でふさがるが、五〇ないし七〇パーセントはその同一の部位が再度破裂して出血する。このような再発作の約半数は、初回発作から二週間以内に発生するが、再発作の症状は初回発作より重篤な症状を示すのが特徴である。脳動脈瘤破裂による特発性くも膜下出血の初発症状は激しい頭痛、悪心、嘔吐で始まることが多いが、初回発作が軽微なものである場合には、臨床症状は顕著でなく、軽度の頭痛、悪寒等が現れる程度であることが少なくないので、再発作によって初めて右のような初発症状が現れることとなる。

(7) 控訴人の前記のような発症経過からすれば、控訴人については、昭和五五年三月一四日、本件事故の衝撃により急激な一過性の血圧の上昇があり、そのため脳動脈瘤に小破綻が生じて軽微な出血が発生する初回発作が生じ、右小破綻はその後間もなくふさがったものの、同月二一日再発作があって脳動脈瘤が再度破裂し、出血したものというべきである。したがって、控訴人の本件疾病は本件事故により発症したもので、控訴人の業務に起因するものであることが明らかである。」

4  原判決九ページ五行目の「労働省の」を「労働省労働基準局長の各都道府県労働基準局長あての」と改め、同一〇ページ四行目の「すなわち、」の次に「本件事故の頭部」を加え、同七行目の「仕事を続け、入院するまで普通に」を「も当日医師の診療を受けることもなく定時まで作業に従事していること、その後も、昭和五五年三月一九日まで欠勤することもなく、通常どおり」と、同一〇行目の「生じる程度ではなく、軽微」を「生ずるほどのものではなく、軽微なもの」と、同一一ページ六行目の「入院後の」を「岩槻中央病院に入院した後の」と、同七行目から同八行目にかけての「三月」を「同月」と改め、同行の「所見」を削り、同九行目の「頭痛等」を「には控訴人の頭痛等の」と、同行の「三月」を「控訴人は、同月」と、同一二ページ三行目の「日常生活でも、勤務状態でも普通に送っており」を「日常生活も、勤務状態も通常と変らず」と、同四行目の「ボーッと」を「ぼうっと」と、同行の「三月」を「同月」と、同八行目の「を主因として」を「が、同月二一日」と、同九行目の「三月二一日の用便後の出血で」を「用便を済ませた直後、自然破裂して」と改め、同一〇行目の次に行を改めて、次のとおり加える。

「なお、被控訴人は、当初、控訴人が岩槻中央病院において頭部打撲、頭内出血との診断を受けていたことから、頭部打撲により頭内に出血が生ずる可能性も否定できないと判断して本件支給決定をしたが、その後、本件疾病は脳動脈瘤破裂によるくも膜下出血であるとの確定診断がなされたため本件取消決定をしたものである。」

5  原判決一二ページ末行の「よって、くも膜下出血が生じた」を「起因して本件疾病が発症した」と改め、同一三ページ一行目の次に行を改めて、次のとおり加える。

「三 証拠関係

原審及び当審記録中の証拠関係目録記載のとおりであるから、これを引用する。」

(争点に対する判断)

一労災保険法七条一項一号にいう「労働者の業務上の疾病」とは、労働者の疾病が業務を原因として生じたものであり、業務との間に相当因果関係がある場合をいうと解すべきである。

二控訴人は、本件疾病は、昭和五五年三月一四日に本件事故の衝撃により急激な一過性の血圧の上昇があって控訴人の脳動脈瘤が小破綻して軽微な出血があり(初回発作)、さらに同月二一日の再発作により再度脳動脈瘤が破裂して出血したのであるから、業務に起因するものである旨主張し、被控訴人は、控訴人の本件疾病は、同日、脳動脈瘤が自然破裂して発症し、同月二六日再出血したのであるから、本件事故との間に因果関係はない旨主張するので判断する。

1  <書証番号略>、原審証人大野恒雄および当審証人佐藤進の各証言によれば、次の事実が認められ、当審証人佐藤進の証言中これに反する部分は採用できず、他に右認定に反する証拠はない。

脳及び脊髄は、最外層から硬膜、くも膜及び軟膜の三層の膜により構成される髄膜により被われている。くも膜は、くもの巣状の結合組織性薄膜で、脳及び脊髄の全長にわたり硬膜の内面に付着しており、くも膜と軟膜の間の腔をくも膜下腔という。脳の重要な動脈はくも膜下腔に位置し、その頭蓋内血管の破綻により、血液がくも膜下腔中に流入して起こる病態をくも膜下出血という。

くも膜下出血は、通常、特発性(原発性)くも膜下出血(脳動脈瘤の破裂、脳動静脈奇形などが原因で、くも膜下腔へ露出した血管の破綻によって起こる。)、続発性くも膜下出血(脳出血、頭部外傷などで、脳実質内の出血が、脳室あるいはくも膜下腔へ破れて起こる。)、症候性くも膜下出血に大別されるが、くも膜下出血といえば狭義では特発性くも膜下出血のみを指し、その原因は様々であるが、最も多いのは脳動脈瘤破裂によるものである。

脳動脈瘤は、その原因により、細菌性、動脈硬化性、外傷性動脈瘤、嚢状動脈瘤などに大別されるが、最も多いのが嚢状動脈瘤である。この嚢状動脈瘤の成因については、先天的に動脈の中膜及び弾力繊維の発育不全、欠損により動脈壁に薄弱部が生じ、動脈圧により突出膨隆して嚢状動脈瘤ができるとする先天説が有力である。

脳動脈瘤の大きさは数ミリメートルから数センチメートルまで様々であるが、通常は五ないし一〇ミリメートル前後が多く、年齢とともに変化する。破裂動脈瘤と非破裂動脈瘤とを比較すると、破裂動脈瘤は最大外径が五ミリメートル前後のものが最も多いのに対し、非破裂動脈瘤のほとんどは最大外径が二ミリメートル前後であり、最大外径が四ミリメートルを超えると破裂しやすくなると考えられている。

脳動脈瘤破裂による特発性くも膜下出血の発生時の状況を二二八八例について調査したロックスレイの一九六六年の報告によれば、睡眠中に三六パーセントが発生しており、また、特別な外的ストレスのない状況下で起こったものが三二パーセント認められ、このことは特別な外的ストレスと無関係に起こり得ることを示していると考えられるものの、残りの三二パーセントが挙上・うつ向き、興奮、排便、性交、せき、外傷、排尿、手術、分娩中などの肉体的又は精神的緊張時に発生しており、これらの特別な状態が一日の時間の中ではどう長く見積もっても八時間には及ばない短い時間しか続かないにもかからず、その短い時間内に全体の約三分の一が起こっていることは外的ストレスが脳動脈瘤の破裂に関与すると推論されるとされる。また、東北大学で同様に七四九例について昭和五四年に調査した結果では、挙上・うつ向き、排便・排尿、興奮、洗濯・炊事、入浴中、せき、外傷、性交中という何がしかのストレスのかかった状況下で発生したものが約七〇パーセントとなっている。

脳動脈瘤の破裂の原因としては急激な血圧上昇の関与も考えられ、身体運動、息こらえ、精神的緊張あるいは寒冷や、痛み刺激などによっても血圧は上昇するが、急激な血圧の上昇は危険である。

脳動脈瘤破裂によるくも膜下腔への出血の程度は様々で、血管の破裂というより小さな破れからの漏れといった方がよいような少量の出血から、出血した血液の噴流により、周囲の脳組織を破壊するほどの大量の出血まであり、その出血の程度により重症度が異なる。非常に軽いものでは、軽度の髄膜刺激症状(頭痛、特に後頭部痛、吐気、嘔吐など)を来すのみであり、そのような場合にはくも膜下出血であることが見過ごされることがある。昭和五九年六月以降三年六か月間に山形県立中央病院救命救急センターに入院したくも膜下出血の症例一六四例についての調査では、軽症であるため初診医がくも膜下出血を疑わなかった見逃し例がそのうち二五例あったとされており、毎年ほぼ同様の比率の見逃し例が認められることが報告されている。

くも膜下出血は、一般に前駆症状がなく、突然に起こるが、時に前駆症状として頭痛、眼痛、めまい、悪心、嘔吐、失神発作、著明な肩こり、視力障害、全身脱力感等を見ることがある。ここでみられる頭痛は、片頭痛類似の頭痛が多い。

くも膜下出血の定型的な初発症状は、頭痛(突発性に起こる激しい頭痛)、悪心、嘔吐で始まることが多い。頭痛に引き続いて意識障害を来たすことも少なくないが、一般には発作後の意識障害は軽度で一過性のことが多い。その他の主な臨床症状としては、髄膜刺激症状である項部強直、ケルニッヒ徴候、痙攣を見ることがある。一般に、発作後二ないし三日間は軽度の発熱と、呼吸数と脈拍の軽度の増加を示す。

くも膜下出血は、初回発作に引き続く再発作が多く、動脈瘤破裂の場合は五〇ないし七〇パーセントが再発作を起こすが、これは同一箇所が再破綻したものである。再発作は、初回発作後二週間以内が最も頻度が高く、再発作例の約半数がこの時期に起きているが、再発を繰り返すたびに症状は重症となる。

くも膜下出血については、患者の意識状態、神経症状から様々の分類が行われているが、ハント・アンド・ヘスのくも膜下出血の重症度分類(一九六八年)は次のとおりである。

第Ⅰ度 無症状又は軽い頭痛あるいは軽度の項部硬直を示すもの。

第Ⅱ度 中等度から高度の頭痛と項部硬直を示す。脳神経麻痺のほか脳局所症状がない。

第Ⅲ度 傾眠状態、錯乱状態にあり、頭痛と項部硬直、また中等度の脳局所症状がある。

第Ⅳ度 昏迷状態、中等度から高度の不全片麻痺、初期除脳硬直があり、自律神経障害を示す

第Ⅴ度 昏睡、除脳硬直、瀕死状態

また、現在広く用いられているハント・アンド・コスニックの脳動脈瘤の重症度判定基準(一九七四年)では、症度0から症度Ⅴまでに分類されており、症度0は「破裂していない脳動脈瘤」、症度Ⅰは「無徴候又は微かな頭痛と軽い項部硬直」、症度Ⅰaは、「急性の脳又は髄膜の反応はない。しかし、固定した神経学的症状がある。」、症度Ⅱは、「中度ないし激烈な頭痛、項部硬直、脳神経麻痺があるが神経学的症状はない。」、症度Ⅲは「うとうと、混濁又は穏やかで、局所的な神経欠損症状」とされている。

2  <書証番号略>、原審証人本間志津代及び同大野恒男の各証言によれば、本件事故発生前後の控訴人の症状等について、次の事実が認められる。

(一) 控訴人は、昭和八年四月七日生まれで、本件事故が発生した当時四六歳であった。控訴人は、昭和四二年に昭和重機株式会社に入社し、以来、板金、製缶の作業に従事していたが、持病の痔で年に二、三回休むほかは、欠勤することはなく、日曜も出勤するほどであった。控訴人は、本件疾病により受診するまで一〇年間以上にわたり、内科的疾患で医師の診療を受けたことはなく、昭和五〇年ごろ受けた健康診断でも異常は指摘されなかった。また、控訴人には眼底動脈の硬化はあったが、高血圧症や病的な動脈硬化もなく、平素の血圧はむしろ低いぐらいであった。

(二) 控訴人が昭和五五年三月一四日の本件事故当日行っていた作業の内容は平生どおりのものであるが、控訴人は以前にも本件事故と同様にボール盤のハンドルの落下により頭部に打撲を受ける事故を年に一、二回は経験しており、その際には出血はなかったものの、激痛があり、瘤ができることもあった。控訴人は、本件事故の際右後頭部に打撃を受けたが、従前の事故の場合と比較してかなり強い衝撃を受け、打撲の瞬間目に蛍火が飛ぶような光を感じ、出血、失神はなかったものの、激痛のため手を頭に当ててしばらくの間、その場にしゃがみ込んで、痛みが和らぐのを待ったほどであった。

控訴人は、その後医師の診療も受けずに同日は定刻の午後五時まで作業に従事し、午後七時三〇分ごろ帰宅したが、頭部のぼうっとした感じと打撲による痛みが続き、頭部には楕円形の瘤ができていた。控訴人は、帰宅した後も飲酒する気分にならなかったので、それまで毎日のようにしていた晩酌をしなかった。

本件事故が発生した日の直前のころ、控訴人は勤務先において残業ないし休日出勤はしておらず、当日も、本件事故まで控訴人には格別身体の変調はなく、控訴人が行っていた作業は平生と同じ内容のものであり、また、控訴人と上司、同僚との間には格別のトラブル等はなかった。

(三) 控訴人は、翌日以降も同月一九日まで毎日出勤し、通常どおりの作業に従事したが、頭部の痛みは消失していたものの、その後も、頭が重く、ぼうっとした二日酔いのような気分が続き、妻である本間志津代に対し、「頭がおもい。」、「ぼうっとした二日酔いの感じがする。」、「目まいがする。」、「たばこがうまくない。」等と言っており、晩酌をしなかった。

同月二〇日は休日であったが、法事のため親戚の者らが控訴人方を訪れたので、控訴人はそれらの客と共に久しぶりで飲酒をした。

(四) 同月二一日朝控訴人は気分が悪かったので欠勤し、そのまま自宅で静養していたが、午前一〇時三〇分ごろに用便を済ませた直後、便所の前の廊下で転倒し、後頭部を打撲した。その直後から、控訴人は、厳しい頭痛があり、嘔吐し、また悪寒がした。終日頭痛は続いたが、控訴人は市販の頭痛薬を服用したのみで、医師の診療は受けないまま自宅で寝て過ごした。

(五) 同月二二日、控訴人は、岩槻中央病院において受診し、診療に当たった岡田弘医師に対し、右頭部の頭痛を訴えるとともに、前日、転倒して右頭部を打撲したことを説明した。血圧は一六〇―一一〇と高かったものの、頭部のX線撮影によっても異常は見られず、意識も正常であったため、岡田医師は、控訴人の右症状について脳内出血と診断し、投薬を行ない、同月二四日に再度来診するよう指示した。そこで、控訴人は帰宅して同月二二日及び二三日は自宅で静養していた。

さらに、同月二四日、控訴人は岩槻中央病院で受診したが、右片頭痛が続いており、右頭部重圧感があり、血圧は一七〇―一一〇と高く、CT検査の結果では右側頭葉先端に出血を示す高吸収域が、また、その周辺に脳実質の損傷を示す低吸収域が認められたので、直ちに同病院に入院することとなった。同日、入院後、控訴人は同病院の看護婦の聴取りに対し、同月一四日に本件事故で頭部を打撲したがそのまま放置しており、同月二一日に便所の入口に引っ掛かり転倒して同一の部位を打撲した感じであることを説明した。

控訴人は、同月二五日には血圧は一二〇―九〇となったが、意識がやや混濁し、激しい頭痛を訴えるようになり、同月二六日に実施された造影剤を使用した頭部CT検査の結果では出血を示す高吸収域が認められ、さらに、同月二七日には、左半身のしびれも訴えるようになった。

同年四月二日に岩槻中央病院において実施された脳血管撮影の結果、中大脳動脈に血管の攣縮が認められ、脳動脈瘤の破裂と考えられたので、控訴人は、東京厚生年金病院に転院することとなった。

(六) 同月七日、東京厚生年金病院に入院した際、控訴人の血圧は一〇四―八〇程度であったが、軽い意識障害と左不全麻痺があり、その後の血管撮影で脳動脈瘤、血管攣縮が、同月一〇日のCT検査で右前側頭頂部にくも膜下出血と血腫及び脳浮腫、一部に梗塞等を示す低吸収域が認められたので、脳動脈瘤破裂によるくも膜下出血と診断された。

同月一四日、東京厚生年金病院において、控訴人は吉益倫夫医師の執刀で右前側頭の開頭手術を受け、右中大脳動脈の動脈瘤のクリッピング術が施された。その際の控訴人の動脈瘤の大きさは、長径八ミリメートル、最大径六ミリメートルであり、その周辺には血腫があり、また脳浮腫が強く見られた。

(七) 現在でも、控訴人には本件疾病に起因する言語障害、左半身麻痺、精神障害があり、東京厚生年金病院で通院治療を受けている。

<書証番号略>の記載中、右認定に反する部分は採用することができない。

3  本件事故による控訴人の頭部打撲の際の衝撃がどの程度のものであったかについて、<書証番号略>、原審証人前田豊の証言並びに弁論の全趣旨によれば、本件事故時、控訴人は膝を伸ばして上体をほぼ九〇度前に倒し、掌を膝に当てた姿勢(<書証番号略>の写真7を姿勢)をとり、ボール盤の前面においてテーブル面を芯合わせのためのぞき込んでいてボール盤のハンドルの落下により打撃を受けたものであること、右ボール盤のハンドルは棒状で、使用しないときは垂直に立てられており、止め金で固定されているが、使用時には止め金から外し、ボール盤の前面に立っている作業者の側に手で引いて下ろしてくる構造となっていること、ハンドルの取付け部には歯車があり、ハンドルはこれを中心に上下の方向に弧状の回転運動をし、このハンドルの回転運動に伴ってドリル軸が垂直方向に上下してドリルによる穴あけが行われるが、ハンドルが垂直の位置から約一三〇度の位置まで押し下げられた段階で穴あけが完了すること、ハンドルの回転中心から先端までの長さは五六センチメートルであって、ハンドルを水平に保持し、回転中心から四七センチメートルの箇所で測定した重量は二キログラムであり、ハンドルが水平となったときの静止状態でドリルの先端にかかる重さは37.4キログラムであること、昭和六三年六月三〇日に労働省産業安全研究所において、衝突実験用人体模型を用い、右ボール盤の前面で穴あけ作業中の作業者の姿勢と類似した八種類の姿勢をとらせた模型の頭部にハンドルが落下して当たるときの衝撃加速度を計測した実験結果によると、それぞれの姿勢の場合の最大加速度の値は最高六〇G、最低二五Gであり、衝撃加速度の値は衝突部位がハンドルの先端に近いほど大きく、また、衝突までのハンドルの落下角度が大きいほど大きくなること、右実験の際の模型の姿勢八種類の中では測定番号1の姿勢が前記本件事故時の控訴人の姿勢に最も近く、その場合の最大加速度の値は六〇Gであり、その際のハンドルの落下角度は一〇四度であることが認められる。そして、<書証番号略>の写真7によれば、控訴人が前記のような本件事故時の姿勢をとった場合におけるハンドルの落下角度はほぼ一二〇度となることがうかがわれるから、本件事故時の衝撃加速度は右六〇Gを上回る値となるものと認められる。右実験は、本件事故時の控訴人の姿勢等実験の状況を正確に再現できなかったため、その結果の信頼度にはかなりの制約があるものといわざるを得ないが、以上のところによれば、本件事故による控訴人の頭部打撲の際の衝撃は決して軽微なものではなく、むしろ極めて強度のものであった可能性がかなりあるというべきであり、少なくとも相当強度のものであったと認めるべきであるといわなければならない。

4  そこ、控訴人の本件疾病が本件事故に起因するものか否かについて判断する。

(一) <書証番号略>によれば、控訴人の主治医である東京厚生年金病院の吉益倫夫医師は、昭和五五年三月二四日の岩槻中央病院でのCT検査により認められた脳動脈瘤の出血がどの時点で起こったものかははっきりしないとしつつも、脳動脈瘤の破裂が同月一四日の頭部外傷により誘発された可能性も否定できないとしている。

<書証番号略>によれば、関東労災病院副院長兼第一脳神経外科部長である大野恒男医師は、東京労働者災害補償保険審査官からの鑑定依頼により、関係書類の検討のほか、控訴人に対する検査、診察も行った上作成した鑑定書において、「明確な動脈瘤破裂の時期は同年三月二一日か三月二二日と考えられる(急激な頭痛と血圧上昇により。)。しかし三月二四日のCTで既に右側頭葉の低吸収域が認められている所から三月二二日以前にごく軽微な出血があり、そのための脳実質の病変ではないか。三月二六日のCTでも高吸収性は明らかでないとされているのでなお更その可能性が考えられる。」とした上、「結論としては、(1)外傷後気分が悪い状態が続いたと主張していること、(2)同年三月二四日のCTで既に低吸収域があるとされていること、(3)血圧は平素から高くなく、現在でも一二〇―九〇に過ぎないことなどから、三月一四日の外傷が災害性誘因になったであろうことを否定することはできない。」としており、原審証人としても同医師は基本的に同旨の証言をしている。

これに対し、当審証人佐藤進の証言並びに<書証番号略>によれば、東京労働基準局医員である佐藤進医師は、昭和五七年六月二六日付けの症状についての意見書(<書証番号略>)において、「業務に関係なく発生した脳動脈瘤が業務に関係なく、自然に憎悪して破裂したと考えるのが妥当であろう。」としているが、その後更に追加された資料を勘案した上での平成元年一月一二日付けの意見書(<書証番号略>)においては、本件事故による打撲の程度について、「受傷の程度は軽微であり、脳動脈瘤病態への受傷の影響がもしあったとしても微妙なものであったと推定される。」とした上、「本件では脳血管疾患の発症の恐れの強い基礎的病態(右中大脳動脈瘤)が業務に関係なく潜在的に形成されていた。而して自然経過的憎悪を辿っていた脳動脈瘤病態が潜在し特別の環境下でなくとも倒れる可能性がある状態にあったと考えられる。脳動脈瘤病態への受傷の影響は、もしあったとしても軽微であったと推察される。」とし、また、当審証人としての証言において、控訴人の昭和五五年三月二四日のCT検査において見られた低吸収域が、同月一四日の本件事故による脳動脈瘤破裂後に現れた脳血管攣縮によるものである可能性があることを認め、本件事故後の頭痛についてくも膜下出血ではないかとの疑いも一部では持つが、直接確かな証拠はちょっとつかめない旨述べている。

また、<書証番号略>によれば、東京慈恵会医科大学付属青戸病院長・脳神経外科教授鈴木敬医師は、王子労働基準監督署職員の意見聴取に対し、控訴人の昭和五五年三月二四日のCT検査での低吸収域所見について、「三月一四日頭部外傷時に脳動脈瘤により出血がおきた結果と考えると、相当大量の出血(血腫)でなければ学問的説明は出来ない。即ちごく軽微な出血の結果CT上低吸収域として残存することはあり得ないのである。」、「右低吸収域所見を三月二二日以前の軽微な出血が関与していると考える学問的な根拠はない。」とし、控訴人の先天性脳動脈瘤破裂は本件事故による頭部外傷が直接原因(初回発作)と考えるより、同年三月二四日自宅で用便後突然激しい頭痛で発症したと考えるのが医学的に正しい旨述べている。しかし、原審証人大野恒男は、わずかな出血しかなくとも、脳実質が破壊されて低吸収域が生ずることもあり得る旨証言し、当審証人佐藤進も、前記のとおり、昭和五五年三月二四日のCT検査における低吸収域所見は、本件事故による脳動脈瘤破裂後に現れた脳血管攣縮によるものである可能性を肯定していることに加え、鈴木医師の右見解では、本件事故直後から控訴人は気分の悪い状態が続くようになり、たばこや酒がうまくないと感じるようになっていたこと及び同月二一日にはそれまでほとんど欠勤したことのなかった控訴人が欠勤することを決意するほどの気分の悪い状態が生じていたことについての考察がされておらず、また、控訴人に関しどの範囲の資料を検討した結果の所見であるかが明らかでないから、同人の右見解は採用の限りでないというべきである。

右に見たように、本件事故と控訴人の本件疾病との関係について、吉益医師は脳動脈瘤の破裂が本件事故により誘発された可能性も否定できないとし、大野医師も本件事故が本件疾病の災害性誘因となったであろうことを否定することはできないとするのに対し、佐藤医師は本件疾病の原因として脳動脈瘤が自然的に増悪して破裂した可能性が最も強いものとし、本件事故による脳動脈瘤破裂の可能性を否定しはしないものの、もしあったとしてもその影響は軽微であったと推論する。しかし、佐藤医師の右意見は、控訴人が本件事故後も一週間通常の勤務をし、その間作業能率の減退を示す記載はなく、特に日常生活に変化がなかったこと及び本件事故による受傷が軽微であることを前提としているが、本件事故直後から昭和五五年三月二一日に用便後転倒するまで続いていた控訴人の身体的変調をほとんど考慮に入れておらず、本件事故の衝撃力を軽微なものと誤認していること、また、同医師は右意見の論拠の一つに、控訴人の勤務先の同僚佐藤朗からの聴取書(<書証番号略>)を根拠として、控訴人が以前から頭痛がするとか、首の辺が痛むとよく言っていたということを挙げているが、右聴取書の内容は、<書証番号略>(控訴人の妻本間志津代作成の陳述書)及び<書証番号略>(控訴人からの聴取書)の内容と全く相反することに照らし、採用し難いというべきである。そして、吉益医師は、東京厚生年金病院において、昭和五五年四月に控訴人に対し開頭クリッピング術による手術を行って以来、控訴人の主治医として本件疾病の経過を熟知しており、大野医師も、右鑑定書を作成するについては、関係資料の検討のほか、控訴人に対する直接の検査、診察を行った上で意見を述べているのであるから、本件事故と本件疾病との関係については右吉益医師及び大野医師の意見を中心として検討するのが相当である。

(二) 以上のところからすれば、控訴人について脳動脈瘤の破裂による出血が明確に認められるのは、控訴人が自宅で用便直後転倒した昭和五五年三月二一日と岩槻中央病院に入院した後の同月二六日であるといってよい。

しかし、前記のとおり、控訴人の血圧は平素から高くはなく、むしろ低いぐらいであり、本件事故が発生するまで健康状態に特段の異常は見られなかったのに、本件事故直後から控訴人は頭が重く、ぼうっとして二日酔いのような気分の悪い状態が続き、たばこや酒がうまくないと感じるようになっており、同月二一日は朝からそれまでほとんど欠勤したことのなかった控訴人が欠勤するほど気分が悪くなっていたのである。そして、右1に見たように、脳動脈瘤破裂による特発性くも膜下出血の場合、血管の破綻と出血の程度は様々であって、その出血の程度により重症度が異なるが、極めて軽いものでは軽い頭痛特に後頭部痛、吐気、嘔吐などの症状があるのみで、その段階ではくも膜下出血であることは見過ごされることがかなりあり、しかも、初回発作の後、五〇ないし七〇パーセントが再発作を起こし、再発作は初回発作から二週間以内が最も頻度が高く、再発を繰り返すたびに症状は重症となるのである。右に見たような本件事故以来の控訴人の症状の推移は、本件事故の際、軽い症状の初回発作が発生し、右三月二一日の用便直後に再発作があったと考えた場合の脳動脈瘤破裂による特発性くも膜下出血の経過と一致するというべきである。そして、控訴人の右三月一四日から同月二一日朝までの症状は、ハント・アンド・ヘスのくも膜下出血の重症度分類の第Ⅰ度に、また、ハント・アンド・コスニックの脳動脈瘤の重症度判定基準では、症度Ⅰないし症度Ⅰaに該当するものというべきである。

ところで、本件事故により控訴人が頭部に受けた衝撃が相当強度のものであったと認められることは前記のとおりである。前記のように、脳動脈瘤破裂による特発性くも膜下出血は特別な外的ストレスの関与なしにも起こり得るものではあるが、頭部強打という強い外的ストレスはその発症を促す強い要因となり得るものといってよい。本件事故による頭部強打は日常生活の中で通常見られる他の外的ストレスとは比較にならないほど強度のものであり、これによる強い身体的負荷は一時的に急激な血圧上昇を生じさせることによって脳動脈瘤破裂の原因となり得るものというべきであり、このことに加え、控訴人について本件事故後から前記のような身体的変調が続いており、それらが脳動脈瘤破裂による特発性くも膜下出血の症状経過と一致すること並びに吉益医師及び大野医師の前記意見を総合すると、本件事故の際の頭部強打により控訴人に急激な一過性の血圧上昇が生じ、そのために中大脳動脈瘤に小破綻が生じ軽微な出血が発生する初回発作があり、その後、同月二一日用便を済ませた直後、控訴人が転倒した際、再発作があって右脳動脈瘤が再度破裂し、出血したものと認めるのが相当である。<書証番号略>は右認定の妨げとなるものではない。

被控訴人は、控訴人の本件疾病は右三月二一日の用便直後に脳動脈瘤が自然破裂して発症したものと主張する。しかし、前記のように脳動脈瘤破裂による特発性くも膜下出血は特別の外的ストレスの関与なしにも発症し、用便等も発症の誘因となり得るものではあるが、控訴人の場合、本件事故による右後頭部の打撃は日常生活において通常見られる用便等の他の外的ストレスとは比較にならないほど強度のものであったことが認められ、その直後から前記のようにくも膜下出血の症状経過と一致する身体的変調が発生し、右三月二一日の用便直後の重篤な症状の出現に至っているのであるから、右三月二一日の用便ないしその直後の転倒によって本件疾病が憎悪したことは認められるものの、本件事故と本件疾病との因果関係を否定することは合理的でないといわざるを得ない。

(三)  以上のとおりであるから、控訴人の本件疾病は本件事故に起因するものというべきである。

5  したがって、控訴人の本件疾病は、本件事故を原因として生じたものであり、控訴人の業務との間に相当因果関係が認められるものというべきであるから、控訴人の本件疾病が業務に起因するものではないとしてなされた被控訴人の本件各処分は違法というべきであり、その取消しを求める控訴人の本訴請求はいずれも理由がある。

三以上の次第で、控訴人の本件控訴は理由があるから、原判決を取り消して、本件各処分を取り消すこととし、訴訟費用の負担につき、行政事件訴訟法七条、民事訴訟法九六条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官菊池信男 裁判官奥田隆文 裁判官新城雅夫は、転補につき、署名押印することができない。裁判長裁判官菊池信男)

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