東京高等裁判所 平成2年(行コ)59号 判決 1990年10月25日
東京都新宿区大久保一丁目一番六号
控訴人
山野彰英
右訴訟代理人弁護士
小杉丈夫
同
内田公志
東京都新宿区北新宿一丁目一九番三号
被控訴人
新宿税務署長 大井章列
右訴訟代理人弁護士
竹田穰
右指定代理人
星野雅紀
同
小野雅也
同
石津嶺祐
同
三浦道隆
同
阿部豊明
主文
本件控訴を棄却する。
控訴費用は控訴人の負担とする。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 控訴人
1 原判決を取り消す。
2 被控訴人が昭和六二年一月三一日付けでした控訴人の昭和五八年分所得税の更正及び過少申告加算税賦課決定(ただし昭和六二年四月二八日付け更正及び変更決定により減額された後の部分)のうち、総所得金額三〇三九万四八六四円、納付すべき税額三〇二万八七〇〇円、過少申告加算税額二万六〇〇〇円を超える部分を取り消す。
3 訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人の負担とする。
二 被控訴人
主文と同旨
第二当事者の主張
原判決事実摘示のとおりであるから、これを引用する(理由中で用いる別表は、原判決添付のものである。)。
第三証拠関係
本件記録中の書証目録及び証人等目録記載のとおりであるから、これを引用する。
理由中で用いる人証の表示は、いずれも原審におけるものである。
理由
一 請求原因一(課税処分の経緯)の事実は、当事者間に争いがない。
二 被控訴人の主張1(控訴人の昭和五八年分の総所得金額)のうち、(一)(不動産所得)、(二)(給与所得)及び(三)(譲渡所得)の(1)、(2)のうち、別表四の株式譲渡に係る部分並びに別表五の株式譲渡及びこれによる収入金額につき、その主体に関する点以外の、譲渡行為の存在自体及び収入金額となるべき金額自体については、当事者間に争いがない(以下、別表四の株式を「別件株式」と、別表五の株式を「本件株式」という。)。
三 本件株式の譲渡について、被控訴人は、控訴人がこれを行ったものであると主張するのに対し、控訴人は、これを否認し、控訴人の妻の功子がこれを行った旨主張するので、この点について判断する。
1 成立に争いのない甲第四号証の一、二、第五号証の一ないし五、原本の存在及び成立ともに争いのない甲第三号証の一ないし四、第一二号証の一ないし三、控訴人本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨によると、株式会社ヤマノビューティーメイト(以下「YBM」という。)の代表取締役である控訴人らは、控訴人の父母及び兄弟である山野一族が支配所有するいわゆる山野グループの事業拡大のため、日本レース株式会社(以下「日本レース」という。)の経営権を取得しようと企図し、昭和五四年、日本レースの発行済株式数の三割に相当する約六〇〇万株を取得することとなり、YBM及び山野グループの関連会社のほか、控訴人ら山野一族の者が右株式を取得したが、別表二及び三の株式はその一部であること、右株式取得により山野グループは日本レースの経営権を取得し、控訴人が同社の代表取締役に就任したこと、その後昭和五八年に至り、日本レースの発行済株式の過半数近くが株式会社三洋興産によって買い占められ、同社から高額による株式買取りを要求され、山野グループにおいて、これに応じ難かったため、日本レースの経営から撤退することとなり、同年以降、取得済みの株式が他に譲渡されたが、その中に別件株式及び本件株式が含まれていたことが認められる。
2 別表二の株式が控訴人によって取得されたこと、別表三の株式が功子の通称である山野敬子名義で取得されたこと、別表二及び三の株式の取得に要した総額一億四一六〇万円の資金は、全額、控訴人において自己が代表取締役をしていたYBM及び山越美化学工業株式会社(以下「山越美化学」という。)から右取得株式を担保に年利五パーセントの約定で借り入れたものであることは、当事者間に争いがない。
そして、成立に争いのない甲第二号証の一ないし六、乙第二八号証、公証人作成部分については成立に争いがなく、その余の部分については証人小川篤子の証言により成立が認められる甲第二一号証の一ないし六、同証言により成立が認められる甲第二〇号証の一ないし六、同証言及び控訴人本人尋問の結果によると、前記のとおり日本レースの株式を取得した山野一族の者としては、別表三の株式を除くと、控訴人のほか、控訴人の父母である山野治一、愛子夫妻、兄弟である山野正義、凱章、景章、博敏の六人(以下「控訴人の父母兄弟」という。)であり、右治一、愛子夫妻はそれぞれ一〇万株を、兄弟らはそれぞれ五万株を取得したこと、控訴人の父母兄弟は、いずれも山野グループを支える中心的人物であり、当時、YBMの株主であるとともに取締役であり、全員がそれぞれの右株式の取得資金をYBMから直接借り入れていること、功子は、当時、山野グループに属する有限会社モンプレーヌ研究所(代表取締役は控訴人)の取締役を務めていたものの、YBMの株主や役員ではなく、従業員でもなかったこと、控訴人の他の兄弟の妻も山野グループの会社の役員になっているが、これらの妻の中で日本レースの株式を取得した者又は取得名義人となった者はほかにいなかったことが認められる。
3 本件株式取得の際の有価証券売買約定書の作成や取得株式の名義書換えのために証券代行機関に提出された株主票の作成等についての具体的な手続は、控訴人の指示によりすべてYBMの経理担当者である小川篤子(以下「小川」という。)が行ったものであり、功子は、これに関与しておらず、取得された株式も功子の手には渡らないで、YBMの銀行からの借入金の担保に供されたことは、当事者間に争いがなく、原本の存在及び成立ともに争いのない乙第四号証の一、二によると、山野敬子名義の株式の株主票には、控訴人名義の株式の株式票と同一の印鑑が押捺されていることが認められる。
4 控訴人は、同一銘柄で二〇万株未満の株式の譲渡による譲渡益が当時の税法上非課税となることを知っていたこと、別表四の別件株式の譲渡については、順号3及び4の合計一三万六〇〇〇株が控訴人名義で行われたが、その余の六万株は塚田喜久及び英友会の名義で行われ、別表五の本件株式の譲渡については、順号6の二万株が山野敬子名義で行われたが、その余の一六万五〇〇〇株は小川篤子、YBM、塚田喜久及び飯田敬三の名義で行われたことは、当事者に争いがない。
そして、原本の存在及び成立ともに争いのない乙第五ないし第七号証及び弁論の全趣旨によると、別表五の順号3の譲渡は、右塚田喜久名義の保護預り口座を利用して昭和五八年八月五日に譲渡された二万株の取引が、別表四の順号1の譲渡と、一万株ずつの二つの譲渡に振り分けられたものであることが認められる。
5 本件株式の譲渡代金の手取額の処分及び経理処理の状況については、別表六のとおりであり、別表五の順号1の株式譲渡代金の手取額は、別表六の番号1ないし3のとおりすべて控訴人の普通預金口座に入金され、また、別表五のその余の株式譲渡代金の手取額は、その全額がYBMに入金された後、YBMにおいて、一部は功子が控訴人からの借入金(後記本件貸付金に当たる。)の返済資金に充てるためYBMから借り入れたとする三四〇〇万円の返済として、残余の部分はYBMの預り金等として、経理処理がされたことは、当事者間に争いがない。そして、控訴人本人尋問の結果によると、これらの経理処理は、控訴人の指示により行われたもので、功子が右経理処理について実質的に何らかの関与をしたことはないことが認められる。また、功子が当時控訴人から借入をしていたとの事実を肯認し難いことは後記判示のとおりである。
6 以上の各事実は、別表三の株式が、その名義にかかわらず、控訴人に帰属するものであり、したがってまた、本件株式は控訴人が取得して譲渡したものであることを推認させるものというべきである。
四1 ところで、控訴人は、別表三の株式は功子が取得したものであり、その取得資金については、控訴人がYBM及び山越美化学から借り入れた合計一億四一六〇万円のうち、六〇四〇万円を功子に貸し付けた(以下「本件貸付」という。」)旨主張し、成立に争いのない乙第一二号証(控訴人の東京国税局長に対する昭和六一年九月二五日付け申述書)、証人小川篤子の証言、控訴人本人の供述中には、山野グループ及び山野一族が日本レースの株式を取得するに当たり、控訴人から小川に対し、控訴人及び功子を含めた山野一族の各人にYBMからその取得資金を貸し付けるための手続を指示した際、小川が右指示を取り違えて、功子に対する貸付金とすべき部分を控訴人に対する貸付金中に含めて貸付を実行してしまったので、昭和五五年三月にそれに気付いた控訴人は、やむなく、功子に係る部分を遡って自己から功子に対する本件貸付金とした旨の、右主張に沿う部分が存在する。
しかしながら、右主張のとおりであるとすると、前記のとおりYBMの株主かつ取締役である控訴人の父母兄弟のために日本レースの株式一〇万株ないし五万株の取得資金が借り入れられるのに対し、YBMの株主でも役員でもない功子のために右株式三〇万株もの取得資金が借り入れられたということになるが、控訴人の他の兄弟の妻も山野グループの会社の役員をしているのに、その中で功子のみについて右のように大量の株式をYBMからの借入金で購入する必要があったとは認められない。この点に関し、控訴人は、功子をYBMの役員に就任させる必要があったと主張するけれども、控訴人本人の供述によると、昭和五四年六月の親族会議で兄弟の妻たちも全員山野グループの役員になるとの方針が決まったので、控訴人の長兄の妻及び次兄の妻の方が功子より先に役員に就任し、功子がYBMの役員になったのは昭和五六年であるというのであって、こうした経過からみると、功子ひとりだけの右株式取得と同人がYBMの役員に就任することとの合理的関連性は、やはり明らかでないといわざるを得ない。
次に、小川において借入に関する控訴人の指示を取り違えたとの点についても、前掲甲第二一号証の一ないし六及び証人小川篤子の証言によると、小川は、昭和五一年三月にYBMに入社して以後、経理事務に従事し、控訴人の厚い信頼を得て、日本レースの株式取得に当たっても、前記のような有価証券売買契約書の作成等の手続のみならず、YBMからの取得資金の借入手続の実際を任され、控訴人の父母兄弟の金銭消費貸借契約書を作成した際には、公証人による確定日付をとるなど、慎重かつ確実に仕事をしていることが認められるところ、このような事務能力をそなえた小川において、借主を誰にするかといった重要な指示を取り違えたり、あるいは曖昧な理解のまま事を進めたりすることは通常あり得ないものというべきである。もし控訴人主張のように小川が経理処理を間違えたのであれば、金額の多さからしても、その間違いに気付いたという昭和五五年三月に経理上の是正措置をとればよく、これが困難であったとの事情は認められない。
また、控訴人は、本件貸付について、担保の設定並びに返済期限及び利息の定めがないことを自認しているところ、前掲乙第一二号証、成立に争いのない甲第一三号証の一ないし四、証人小川篤子の証言及び控訴人本人尋問の結果によると、本件貸付についての契約書は作成されていないこと、控訴人が昭和五五年分ないし昭和五八年分の所得税の確定申告において申告書とともに被控訴人に提出した「財産及び債務の明細書」にも本件貸付は記載されていないことが認められる。さらに、功子が控訴人とは別に自己の名でYBMから資金を借り入れて同人自身の株式を取得することになっていたとの事実を前提にするならば、功子の右借入に代わる方法として、控訴人が前記のとおりYBMから年利五パーセントで借りたものを、功子に無利息で貸し付けているという点は、著しく合理性を欠き、とうてい肯定し得ないものというべきである。
2 控訴人は、本件貸付が真実なされたものであることの根拠として、別表八記載のとおり功子から控訴人に対し本件貸付についての返済がなされていると主張し、主張のような経理処理がなされていることは当事者間に争いがない。
しかしながら、本件貸付は前記のとおり無利息であるとされているところ、別表八によると、返済額の合計は貸付金額を一八六万七九二三円も超過しており、真実本件貸付の返済であるとすれば、不自然といわざるを得ず、超過額が新たに功子から控訴人に貸し付けられたと認めるに足りる事情も全くない。
また、同表の順号1の三四〇〇万円の返済処理は、控訴人において小川の前記経理過誤に気付いたとする昭和五五年三月に行われているが、そうすると、同じ時期に、別表三の株式の取得資金を功子の控訴人からの貸付に振り替える一方で、功子がYBMから借入をして右貸付の一部返済をしたことになる。そのこと自体はあり得ないことではないにしても、わざわざYBMから借入をしてまで右一部返済をしたいきさつについて納得し得る事情が見当たらず、いささか不自然、作為的な処理であるとの感を免れない。右順号1の返済処理が行われたことが直ちに本件貸付の真実性を裏付けるものとは解されない。
同表の順号2、3、9及び11記載のとおり功子の山越美化学からの給料を控訴人の銀行口座に振り込んでしたとする返済についてみると、成立に争いのない乙第二二、二三号証、原本の存在及び成立ともに争いのない乙第一三号証、第一四号証の一ないし三、第一五号証の二、第二四号証、弁論の全趣旨により成立が認められる乙第一五号証の一及び控訴人本人尋問の結果によると、功子は、返済を開始したとする昭和五六年六月の直前に山越美化学の代表取締役に就任しているが、これは、そのころ控訴人が薬事法違反で逮捕されて罰金刑に処せられたため山越美化学の代表取締役を退任しなければならなくなったからであること、昭和五六年六月より前においても、控訴人の口座には山越美化学から給料手取額として同額の金員が振り込まれていたことが認められ、控訴人と功子とでは経歴、能力等が異なり、給料及び源泉所得税額が同一であるとは考え難いことにかんがみると、功子の山越美化学の代表取締役就任及びその給与からの弁済は、いずれも形式的なものにすぎず、その実質は、功子の代表取締役就任の前後で何も変化はなく、控訴人の銀行口座に振り込まれていた山越美化学の給与は依然として控訴人のものであり、功子からの弁済はなかったものと認めるのが相当である。
3 右のとおり、控訴人が主張する本件貸付の事実については、これを認めることができない。
五 以上三及び四において検討したところを総合して判断すると、本件株式は控訴人が取得して譲渡したものと認めるべきであり、これに反する前掲乙第一二号証、証人小川篤子及び控訴人本人の供述は採用できない。他に右認定を動かすに足りる証拠はない。なお、控訴人は、東京国税局の調査官が功子に帰属する日本レース株が存在したことを認めていた旨主張するが、その事実を認めるべき的確な証拠はない。
六 弁論の全趣旨によると、控訴人は、別表二及び三の株式の取得以後本件株式譲渡前に別表七の順号3ないし14記載のとおり日本レースの株式を取得又は譲渡していることが認められ、この事実及び前記事実に基づいて控訴人の本件株式の譲渡による譲渡所得を計算すると、被控訴人の主張1の(三)の(1)ないし(6)のとおり二億五七八一万八六一三円となって、控訴人の昭和五八年分の総所得金額は、被控訴人の主張1の(四)のとおり二億八八二一万三四七七円となる。しかるところ、本件更正における総所得金額は、右金額を下回るものであるから適法であり、本件更正を前提とする本件賦課決定も適法である。
七 以上のとおり、控訴人の本件請求は理由がなく、これを棄却した原判決は相当であって、本件控訴は理由がないからこれを棄却することとし、控訴費用の負担につき行政事件訴訟法七条、民事訴訟法九五条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 佐藤繁 裁判官 岩井俊 裁判官 坂井満)