東京高等裁判所 平成20年(ツ)80号 判決 2009年9月30日
上告人
甲野太郎
同訴訟代理人弁護士
足立学
同
廣瀬正剛
被上告人
Y市
同代表者市長
乙川薫
同訴訟代理人弁護士
武藤功
同
渡邊淳子
同
相良恵美
同
牧野盛匡
同
岩上公一
同
梅山隆弘
同訴訟復代理人弁護士
安武洋一郎
主文
1 原判決を破棄する。
2 本件をさいたま地方裁判所に差し戻す。
理由
上告人の上告理由について
1 本件は,上告人(第1審原告)が,被上告人(第1審被告)の職員から上告人の長女甲野花子(以下「花子」という。)の身体障害者手帳の交付を受けた際に,花子の鉄道運賃及びバス運賃については5割引との説明を受けたものの,介護者である上告人についての鉄道運賃及びバス運賃の割引制度(以下「本件割引制度」という。)に関しては何らの説明を受けなかったが,これは被上告人の職員の説明義務(情報提供義務)違反にあたるとして,国家賠償法1条1項ないし民法715条1項に基づき,上告人が介護者として鉄道及びバスに乗車した際に支払った運賃と割引額相当額との差額の損害賠償及びこれに対する訴状送達の日の翌日である平成19年2月2日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求めた事案である。
2 原審の確定した事実関係の概要は,次のとおりである。
(1)上告人の長女花子(昭和26年5月*日生)は,平成18年1月30日ころ,被上告人の健康福祉部福祉課職員から,上告人を通じて埼玉県発行の「身体障害者手帳」(身体障害者等級表による級別3級,以下「本件手帳」という。)の交付を受けた。本件手帳には,花子の氏名等のほか,「旅客鉄道株式会社旅客運賃減額第1種」の記載と「要介護」という押印がある。その際,埼玉県Y市長発行の「重度心身障害者医療費受給者証」の交付も受けた。
(2)上告人は,平成18年1月30日ころ,本件手帳の交付について被上告人の福祉課職員から連絡を受け同課に赴き,同課職員の乙山春子(以下「乙山」という。)から本件手帳の交付を受け,その際,乙山から「障がい者のてびき」(以下「旧てびき」という。)の10頁の障がい区分・等級(程度)別制度表を示されつつ,福祉の制度について大まかな説明を受け,また花子の鉄道運賃及びバス運賃については5割引になることなどの各種割引制度について説明を受け,旧てびきを受け取り,重度医療担当職員から花子の医療費はすべて公費負担となることなど医療費免除の説明を受けた後,再び乙山のところに戻り,障害者の鉄道運賃及びバス運賃の割引制度についての質問をしたが,障害者が介護者の介護を受けて鉄道及びバスに乗車する場合の介護者の運賃についての割引制度である本件割引制度に関し,直接的な質問をすることはなく,乙山も,本件割引制度についての説明をしなかった。
(3)平成18年1月当時に被上告人が発行していた旧てびきには,「JR(鉄道・バス)私鉄(鉄道)の運賃の割引」という欄に,「第1種身体障害者(介護付)……5割」という記載がある。
(4)平成19年6月14日ころ,上告人が被上告人から送付された「障がい者福祉のてびき」(以下「新てびき」という。)の「JR運賃の割引」の欄には,「第1種障害者とその介護者」を対象として割引率が「50%」という記載がある。
(5)本件割引制度を利用すると,障害者を介護して鉄道及びバスに乗車する場合の介護者の鉄道運賃及びバス運賃は,その5割を支払えば足りる。
(6)本件訴状は,平成19年2月1日,被上告人に送達された。
3 原審は,上記事実関係の下において次のとおり判断し,上告人の請求を全部認容した原々判決を取り消し,上告人の請求を棄却すべきものとした。
(1)行政がある事柄についての説明義務を負っているか否かは,説明義務を規定する法令の有無,当該事柄の内容・性質,住民と行政の相談・交渉の経緯等の具体的事情を総合して判断すべきである。
(2)本件割引制度の説明義務を規定する法令の有無については,障害者基本法21条は,国及び地方公共団体に対し,身体障害者やその扶養者の経済的負担を軽減するため,税制上の措置や公共的施設の利用料等の減免等の必要な施策を講じる義務を定めたものであり,民間企業に対し各種料金の減免の義務を定めたものではないから,民間企業が各種料金の減免の制度を作った場合,国及び地方公共団体がそれを身体障害者やその扶養者に説明することが望ましいとしても,同条が国及び地方公共団体にその説明義務を定めているとは解されない。また,身体障害者福祉法9条4項2号は,市町村に対し,同法の施行に関し,「身体障害者の福祉に関し,必要な情報の提供を行うこと」を義務づけているが,同条は,「援護」(同条1項)に関する条文であるから,同号は身体障害者福祉法に基づく「援護」の措置に関する情報提供義務を定めたものと解され,本件割引制度のような民間企業の割引制度等に関する情報提供義務を定めているとは解されない。その他,本件割引制度を被上告人が説明すべき義務を定めた法令は見当たらない。
(3)本件で問題となっているのは本件手帳の交付時の説明義務違反であるところ,身体障害者の医療費の免除や身体障害者自身の公共料金の減免の制度に比して,本件割引制度は付随的な制度にとどまる。このことは,上告人が本件手帳を受け取りに行った主たる目的が医療費の免除を受けることにあったことからも実証されるのであり,上告人が,乙山に対し,あえて,再び質問に来ているから障害者の運賃の割引制度について関心があったということはできるものの,上告人の主たる目的が医療費の免除を受けることにあったことからすると,関心がさほど強かったとまではいえない。
また,本件割引制度は,被上告人とは関係のない各種交通機関が定めたものであり,被上告人の福祉課職員である乙山において,本件割引制度が存在しないなどの誤った説明をした訳でもない。
(4)これらの事情を総合すると,被上告人において,本件割引制度の説明義務を負っていたとはいえないと解するのが相当であり,上告人の請求には理由がない。
4 しかしながら,原審の上記判断は是認することができない。その理由は次のとおりである。
(1)身体障害者福祉法の目的は,同法1条の定めるように「障害者自立支援法と相まって,身体障害者の自立と社会経済活動への参加を促進するため,身体障害者を援助し,及び必要に応じて保護し,もって身体障害者の福祉の増進を図ること」にある。そのため,同法9条1項は,「この法律に定める身体障害者又はその介護を行う者に対する援護は,その身体障害者の居住地の市町村(特別区を含む。以下同じ。)が行うものとする。」と定め,同条4項は,「市町村は,この法律の施行に関し,次に掲げる業務を行わなければならい。」とし,1号で「身体に障害のある者を発見して,又はその相談に応じて,その福祉の増進を図るために必要な指導を行うこと。」,2号で「身体障害者の福祉に関し,必要な情報の提供を行うこと。」,3号で「身体障害者の相談に応じ,その生活の実情,環境等を調査し,更生援護の必要の有無及びその種類を判断し,本人に対して,直接に,又は間接に,社会的更生の方途を指導すること並びにこれに付随する業務を行うこと。」と定めているのである。
すなわち,身体障害者福祉法は,身体障害者の福祉の増進を図るため,同法9条1項において,同法に定める「援護」を行う主体が「市町村」であることを定めた上,同条4項本文及び1ないし3号において,市町村が行うべき「援護」の内容として,「身体障害者の発見及び相談・指導」(1号),「福祉に関し,必要な情報の提供」(2号),「生活の実情,環境等の調査に基づく更生援護の必要の有無及びその種類の判断並びに社会的更生の方途の指導等」(3号)の各業務を行うべきことを定めているものである。
(2)以上によれば,身体障害者福祉法9条4項2号は,市町村に対し,身体障害者の福祉の増進を図るため,行うべき業務として「身体障害者の福祉に関し,必要な情報の提供を行うこと」を課しているものと解される。
この点につき,被上告人は,同号の規定は漠然としていることから,この規定を根拠に無限定に法的拘束力を有する情報提供義務を広く発生させることは不合理である旨主張する。
確かに,同条項をもって,行政の制度に関する情報であると民間の制度に関する情報であるとを問わず,身体障害者に提供する義務を市町村に広く課したものと解することは,行政に事実上不可能な義務を課することとなるという不都合が生じる。そこで,同条項にいう「身体障害者の福祉に関し,必要な情報」が何を意味するかを判断するに当たっては,身体障害者福祉法の目的である身体障害者の福祉の増進を図るという観点から,同法及びその施行規則並びに障害者自立支援法の各規定の趣旨に照らし,問題となる個々の事項について「身体障害者の福祉に関し,必要な情報」に該当するか否かを判断するのが相当である。
(3)まず,身体障害者福祉法及びその施行規則等の各規定につき検討する。
身体障害者福祉法施行規則5条2項は,身体障害者手帳の様式について,別表4号のとおりと定めているが,その別表4号には「旅客鉄道株式会社旅客運賃減額」と記載されており,身体障害者の鉄道運賃の減額について記載すべきことが明示的に定められている。
思うに,人が社会生活を営むうえにおいて,用務のため,あるいは見聞を広めるため,移動することの重要性は多言を要しないところである。その意味で,移動の自由の保障は,憲法13条の一内容というべきものと解するのが相当である。ところが,身体障害者は,健常者と異なり,程度の差こそあるものの移動の自由が損なわれている。したがって,身体障害者にとっての移動の自由は,健常者と同様に,場合によれば健常者より以上に,その自立を図り,生活圏を拡大し,社会経済活動への参加を促進するという観点からは,大きな意義があるというべきであり,身体障害者に対し移動の自由を保障することはその福祉増進に資するものとして,政策的に支援することが求められるのである(身体障害者福祉法3条)。このような観点から,身体障害者福祉法施行規則5条2項の別表4号の定めの意義を考えると,身体障害者の鉄道運賃の減額を身体障害者手帳に明記することにより,身体障害者が,民間の旅客鉄道を利用した場合の運賃について割引があることを身体障害者及びその介護者に告知するとともに,この手帳を示された民間の公共交通機関の職員にも周知させる意味を有するものと解される。なお,別表4号には,「鉄道株式会社旅客運賃減額」とのみあるが,身体障害者の移動の自由を確保するという趣旨からは,最寄り駅までのバスの運賃につき,同様の割引があるべきところ,各バス会社において,鉄道に準拠して割引制度が定められている。このように身体障害者の移動の自由の保障は,憲法13条に由来するものであり,これを経済的負担を軽くするという趣旨において保障する運賃割引制度について,付随的なものであると過小評価することは相当ではない。
また,障害者自立支援法は,身体障害者福祉法等と相まって,障害者等の能力及び適性に応じ,自立した日常生活又は社会生活を営むことができるよう,必要な障害福祉サービスに係る給付その他の支援を行い,もって障害者等の福祉の増進を図ること等を目的としている(同法1条)ところ,市町村は,同法の実施に関し,次に掲げる責務を有するとされ,その一つとして障害者の福祉に関し,必要な情報の提供を行い,並びに相談に応じ,必要な調査及び指導を行い,並びにこれらに付随する業務を行うこととされ(同法2条1項柱書,同項2号),さらに,同法において「障害福祉サービス」とは,居宅介護,重度訪問介護,行動援護,療養介護,生活介護等をいい(5条1項),「行動援護」とは,障害者等であって常時介護を要するものにつき,当該障害者等が行動する際に生じ得る危険を回避するために必要な援護,外出時における移動中の介護その他の厚生省令で定める便宜を供与することをいうと定めている(同条4項)。すなわち,障害者自立支援法は,同法2条1項柱書及び2号において,市町村は,障害者の福祉に関し,必要な情報の提供を行う責務を負うべきとし,また同法5条1項において,「福祉に関し,必要な情報」である「障害福祉サービス」のうちの一つとして,「行動援護」を定め,同条4項において,「行動援護」の内容として,障害者であって常時介護を要するものについての外出時における移動中の介護等の便宜供与をすべきこととしているのである。これは,常時介護を要する障害者について,その移動の自由の保障につき配慮し,かかる重度の身体障害者は介護者がいなければ,移動することはできないことから,当然に必要となる介護者による介護等の便宜供与が明記されているものと解される。
(4)以上に基づき,本件割引制度が,身体障害者福祉法9条4項2号にいう「身体障害者の福祉に関し,必要な情報」に該当するか否かを検討する。
本件割引制度は,身体障害者が介護者の介護を受けて鉄道及びバスに乗車した場合の介護者の運賃についての割引制度であるが,①憲法13条の趣旨から身体障害者についても移動の自由が保障されるべきであり,運賃割引制度にはその経済的負担を軽減することにより,移動の自由を保障するという実質的な意義があるところ,②身体障害者福祉法施行規則5条2項の別表4号により,身体障害者自身についての鉄道運賃の減額を身体障害者手帳に明記すべきとされており,③介護を要する身体障害者が移動の自由を確保するためには,介護者による介護が不可欠であることを考慮し,併せて,④障害者自立支援法2条1項柱書及び2号により,市町村は,障害者の福祉に関し,必要な情報の提供を行う責務を負っており,同法の定める「障害福祉サービス」のひとつである「行動援護」の内容である常時介護を要する障害者についての外出時における移動中の介護等の便宜供与が「福祉に関し,必要な情報」と定められていること(同法5条1項,4項)を総合考慮すれば,本件割引制度は,身体障害者福祉法9条4項2号にいう「身体障害者の福祉に関し,必要な情報」に該当するものというべきである。
(5)次に,原審の確定した事実関係の下に,被上告人は,上告人に対し,「身体障害者の福祉に関し,必要な情報」というべき本件割引制度についての情報を提供したものと認められるか否かを検討する。
この点を検討するに当たり,本件事実関係においては,①上記2(2)のとおり,被上告人の職員である福祉課の乙山は,上告人に対し,旧てびきの10頁の障がい区分・等級(程度)別制度表を示して,福祉の制度について大まかな説明をし,また花子の鉄道運賃及びバス運賃について5割引になることの説明をしたものの,障害者が介護者の介護を受けて鉄道及びバスに乗車する場合の介護者の運賃についての割引制度である本件割引制度について説明していないこと,②上記2(3)のとおり,被上告人が発行していた旧てびきには,「JR(鉄道・バス)私鉄(鉄道)の運賃の割引」という欄に,「第1種身体障害者(介護付)……5割」という記載があるものの,これを一読して障害者が介護者の介護を受けて鉄道・バスに乗車した場合の介護者の運賃が5割引きとなるものと理解することは困難であること,③一方,上記2(4)のとおり,平成19年6月14日ころ,上告人が被上告人から送付された新てびきには,「JR運賃の割引」の欄として,「第1種障害者とその介護者」を対象として割引率が「50%」という記載があり,一読しただけで,本件割引制度が理解され得ることが重要であるところ,これらを総合すれば,被上告人は,上告人に対し,「身体障害者の福祉に関し,必要な情報」というべき本件割引制度についての情報を提供したものとは認められないというほかないのである。
5 以上と異なる原審の前記判断には,判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の違反がある。論旨は理由があり,原判決は破棄を免れない。そして,上告人は,当審で請求額を減縮しているところ,上告人が,本来,被上告人から提供されるべき「身体障害者の福祉に関し,必要な情報」の提供を受けなかったことにより,被ったとされる損害額等につき,さらに審理を尽くす必要がある(付言するに,上告人が被上告人から本件割引制度の情報を提供されていれば,上告人自身についても,この制度の適用を申し出て運賃の割引を受けたであろうことは,容易に推認されるから,そうであれば,上告人は,本来,被上告人から提供されるべき「身体障害者の福祉に関し,必要な情報」の提供を受けなかったことにより,鉄道運賃及びバス運賃を本件割引制度を利用して支払うこととなる鉄道運賃及びバス運賃より,多く支払うこととなり,その結果多く支払った額につき損害を受けたことになる筋合いである。)。
よって,原判決を破棄し,本件を原審に差し戻すこととし,主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 加藤新太郎 裁判官 柴田秀 裁判官 加藤美枝子)