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東京高等裁判所 平成20年(ネ)5885号 判決 2009年5月21日

主文

1  原判決中,控訴人敗訴部分を取り消す。

2  同取消部分に係る被控訴人の請求を棄却する。

3  訴訟費用は,第1,2審とも被控訴人の負担とする。

事実及び理由

第1控訴の趣旨

主文と同旨

第2事案の概要

1  本件は,弁護士である被控訴人が,競売入札妨害被疑事件の被疑者の弁護人として弁護活動を行っていたところ,上記被疑者の取調べに当たっていた横浜地方検察庁の検察官E(以下「E」という。)において,上記被疑者と被控訴人との間の信頼関係を破壊することを企図した言動があり,これにより弁護人としての弁護権を侵害されたとして,控訴人に対し,国家賠償法1条1項に基づく損害賠償として慰謝料150万円及びこれに対する不法行為の日である平成18年11月2日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求める事案である。

原審は,Eが取調べの際に上記被疑者に対して弁護人である被控訴人の弁護方針を批判する内容の告知をしたことが,実質的に被控訴人の接見交通権を侵害するものであり,国家賠償法1条1項の適用上違法とされるべきものであるとして,同項に基づく控訴人の賠償責任を認め,慰謝料10万円及びこれに対する平成18年11月2日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で,被控訴人の請求を認容した。そこで,控訴人がこれを不服として控訴した。

なお,被控訴人は,Eに対しても,不法行為に基づく損害賠償として150万円及びこれに対する不法行為の日である平成18年11月2日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求めたが,原審は,これを棄却した。

2  争いのない事実

原判決の「事実及び理由」の「第2 事案の概要」1(1)から(3)まで(同3頁7行目から同17行目まで記載のとおりであるから,これを引用する。ただし,原判決3頁10行目の「被告E」を「E」に,同12,13行目の「被告Eの」を「Eの」に,同13行目の「被告Eは」を「Eは」にそれぞれ改め,同15行目の「そして,」から同17行目末尾までを削る。

3  争点及び当事者の主張

次のとおり付加訂正するほか,原判決「事実及び理由」の「第2 事案の概要」2(1)及び(2)(同3頁19行目から6頁16行目まで)記載のとおりであるから,これを引用する。

(1)  原判決3頁199行目の「被告Eが平成18年11月2日の取調べにおいて「弁護過誤」に関してAに告知した内容」を「Eが平成18年11月2日午後2時ころから午後3時ころにかけて行った取調べ(以下「本件取調べ」という。)においてAに対して行った発言の内容」に改める。

(2)  4頁6行目及び同9行目の「被告E」をいずれも「E」に,同11行目の「被告Eは,同年11月2日午後2時ころからの取調べ」を「Eは,本件取調べ」にそれぞれ改める。

(3)  4頁20行目冒頭から同21行目の「被告Eは,」までを「本件取調べの際に,EがAに対し」に改める。

(4)  6頁2行目の「被告Eの平成18年11月2日の取調べ」を「Eの本件取調べ」に,同3行目の「弁護人である原告に対する」を「正当な取調べの手段,方法といえる範囲を逸脱し,弁護人である被控訴人に対する被疑者の」にそれぞれ改め,同4行目の「ほかならず,」の次に「現にその信頼関係に動揺を与えたものであって,」を加え,同6行目の「被告E」を「E」に改める。

(5)  6頁10行目冒頭から同16行目末尾までを次のとおり改める。

「ア 被疑者の取調べに当たって行われる検察官の被疑者への説得行為は,その性質上,被疑者の弁護人に対する信頼感に対して,一般的に一定の影響力を与えるものであるから,被疑者の取調べに当たる検察官にあっては,弁護人と被疑者との間に信頼関係に影響を与える一切の言動が禁じられるというものではなく,害意をもって殊更に上記信頼関係を損なう行為をしたなどの特段の事情がない限り,そのような言動も容認されるものというべきである。また,検察官が取調べの際に弁護人の弁護方針を理由として供述等を拒む被疑者に対して真実を供述するように説得することは,必要かつ合理的な捜査であり,その際,弁護方針への言及がされたとしても,弁護人が選択した弁護方針が他方当事者である検査官の行動にも影響を与え,それが被疑者に不利益に作用することもあり得る以上,その言及が直ちに検察官の職務上の注意義務違反と評価されるべきものではない。Eの本件取調べにおけるAに対する発言は,被疑者に対して真実を話すよう説得した際のやりとりでのものにすぎず,弁護方針を批判するものではなく,弁護人に対して真実を話して弁護を尽くしてもらうよう説諭したものであって,何ら違法と評価されるべきものではない。

イ 国家賠償法上の違法は,個別の国民の法益侵害があることを前提としており,法益侵害が認められない場合には,この違法を認める余地はないと解すべきところ,本件では,被控訴人の法的利益が侵害されたものと評価すべき具体的事実を認めることはできない。すなわち,本件において法的保護の対象となるべき法的利益は弁護人の固有権である接見交通権そのものであるところ,弁護人である被控訴人の接見交通権が侵害されたというためには,被疑者との信頼関係が破壊された結果,被疑者から解任されるなどして接見交通権の行使自体ができなくなるか,又は被疑者との接見は引き続き可能であるものの,その信頼関係が損なわれたために接見の際の被疑者との意思疎通が困難となるなど,実質的に接見交通権の行使が阻害される状況に陥ったことが必要であるというべきではあるが,本件においては,Eの本件取調べにおけるAに対する発言により,被控訴人とAとの間の信頼関係が破壊されたり,その信頼関係が損なわれたために接見の際の被控訴人とAとの意思疎通が困難となったりした事実は認められない。」

第3当裁判所の判断

1  当裁判所は,被控訴人の請求は理由がないものと判断する。その理由は,次のとおりである。

(1)  争点に対する判断の前提となる事実関係は,次のとおり付加訂正するほか,原判決の「事実及び理由」の「第3 争点に対する判断」1(同7頁12行目から17頁13行目まで)記載のとおりであるから,これを引用する。

ア 原判決8頁3行目の「なく,」の次に「Aにとって,」を加える。

イ 8頁5行目,同9行目,同9頁6行目,同20行目,10頁12行目,同16行目及び同18行目の「被告E」をいずれも「E」に,同21行目の「長時間(2回の中断をはさんで正味8時間以上)に及ぶ取調べ」を「取調べは長時間(2回の中断を挟んで正味8時間以上)に及ぶもの」に,11頁21行目及び12頁1行目の「被告E」をいずれも「E」にそれぞれ改め,同3行目の「ところ,」の次に「Aは,」を加える。

ウ 12頁5行目の「被告E」を「E」に,13頁4行目の「も作成された。被告E」を「にも署名指印した。E」に,同10行目,同21行目,14頁5行目,同6行目,同15行目,同17行目,同20行目及び15頁5行目の「被告E」をいずれも「E」に,同6行目の「の間」を「(本件取調べ)の2回」に,同8,9行目の「実質的な取調べ」を「実質的な取調べとなった本件取調べ」に,同9行目の「被告E」を「E」に,同15行目の「Aは,」を「Aは」に,同18行目の「この日のやり取りの中で,Aは,最初は被告E」を「本件取調べにおいて,Aは,最初はE」に,同19,20行目の「被告E」から同21行目末尾までを「Eが一方的に話すのを聞いているという状態になった。」に,同22行目の「を終えた。」を「は終了した。」にそれぞれ改める。

エ 16頁7行目の「11月」を「10月」に改め,同10行目の「取り上げれば,」の次に「Aにおいて」を加える。

(2)  争点(1)(Eが本件取調べにおいてAに対して行った発言の内容)について

ア <証拠省略>によれば,Aは,本件の逮捕・勾留中,その取調べの状況について,被疑者ノート又は大学ノート(<証拠省略>添付)に比較的詳細な記録を残していたところ,本件取調べの状況について記した大学ノートの該当頁には,次のような記載があることが認められる。

「もう起訴を発表するまであとわずかであり,私(検事)があなたから話しを聞くのも最後である。私からそのつもりはないが,調書を作成するチャンスは最後である,と何度も言われる。

先日(25,26日)にあなたがサインした時は,とても素直になって反省していたように思う。それが弁護士と会う度にあなたは発言内容を変える,そして公判の時には,無罪でも主張するつもりなのか?

Bははっきり「Dから頼まれたんだけど」と言っている。公判の時に惨めな姿はさらしたくないが,あなたが選んだことだ。よく認識してほしい。「弁護過誤」?それは何ですかと聞くと,「医療過誤」ということは知っているか?

つまり,誤った弁護手法で被疑者が不利益な結果となることか理解したが,それ以上の説明はない。

今の状況は必ずあなたにしっぺ返しとなるだろうといった意味のことを言われる。

つまり調書にサインしないことが,今後の公判においても不利益になり,すでにDもBも調書にサインしており,私だけがサインしない状況は,私だけが否認していることであり,反省していないことになる。

黙っていると,もう時間がない。いいんだなと念を押されるが,黙っていると「日本刀の件だって,明らかな贈収わいだ。一時的に預かっているなんて理屈が通るのはあなたと,あなたの家族と弁護士だけだ。きちんと正直に話して,罪を償うんだな」と言われる。

「もう本当に時間がない,あなたと会うのもこれが最後になると思うが,個人的にはあなたをおとしいれようなんてことはない。それだけは言っておく」と言われ,調べは終了し,Q,Rを呼び,房に戻される。」

イ <証拠省略>によれば,被控訴人は,本件取調べの直後である平成18年11月2日午後5時すぎから午後6時25分ころまでの間,Aと接見し,同人から,本件取調べの状況について,メモ(<証拠省略>)を取りながら聴取を行ったところ,取調中にEから「弁護過誤」という言葉が出たことを知ったこと,被控訴人は,当該発言は看過し得ない重大な問題であると考え,同日,直ちに,Eあてに内容証明郵便による警告書(<証拠省略>)を送付するとともに,翌3日午後5時すぎから午後5時50分ころまでの間,再びAと接見し,前日の本件取調べの状況を更に詳しく聴取し,その内容を記したメモ(<証拠省略>)を作成し,また,その概要を簡単な報告書(<証拠省略>)にまとめて,同月6日に公証人役場でこれに確定日付をとってことが認められ,また,上記各メモには,被控訴人がAから聞き取ったEの発言内容として,「全部否認するのか」,「ちゃんと伝えてないんじゃないの」,「洗脳されているんじゃないの」,「短くするつもりが長くなるよ」,「保釈請求しても否認している人には保釈出せないよ」,「公判の時みじめな姿になるよ」,「反省していない」,「弁護士の中でも「人権」とか言って,被疑者に間違った弁護活動をして,いたずらに長引かせたり,結局被疑者にマイナスになるような弁護活動をやるような弁護士がいて,困ったもんだ」,「弁護過誤」,「医療過誤ってありますよねえ。弁護過誤っていうのも話題になっているんですよねえ」,「盲目的に弁護士を信じて最後は責任取ってくれないよ」,「否認するということは必ずしっぺ返しがありますよ」,「他の者はあたま下げてごめんなさいと言っているのに,あなただけ認めない。検察は集中的にやる。裁判官がどう感じますかねえ」,「これで長くなると思うけど,体には気を付けてね」などと記載されていることが認められる。

ウ 上記アの大学ノート及び上記イの各メモは,いずれも本件取調べの当日又はこれに接着した日に作成されたものであり,また,その作成経緯に不自然な点は見当たらないから,それらの記載内容は,Eが本件取調べにおいてAに対して行った発言の内容をほぼ正しく反映しているものとみることができ,その記載内容に上記証拠を総合すれば,本件取調べにおいては,Aは,Eの追求にも答えず,黙ったままEの言葉を聞いていることがほとんどであり,途中,Eが「弁護過誤」という書葉を発したため,Eにその意味を問い返したところ,Eが「医療過誤ってありますよねえ」などと答えたこと,これを聞いたAは,「弁護過誤」とは弁護士が誤った弁護活動をして被疑者が不利益になることをいうものと理解したこと,その他,本件取調べのやり取りの流れ及びAにとって印象的なEの発言内容はおおむね上記アの大学ノートに記されたとおりであり,また,本件取調べにおいてEがAに対して行った発言の具体的内容はおおむね上記イの各メモに記されたとおりであったことが認められる。なお,原審被告E本人の尋問結果及びEの陳述書(<証拠省略>)中には,EがAに対して行った具体的な発言の内容について,一部上記認定とは相違していたとする部分があるが,当該部分は,上記証拠に照らし,信用することができない。

(3)  争点(2)(国家賠償法1条1項の違法の有無)について

ア 上記(2)の認定を踏まえて争点(2)について検討するに,被疑者の取調べに当たって行われる検察官の被疑者の説得行為は,その性質上,被疑者の弁護人に対する信頼感に対して,一定の影響を与え得ることは避けられないところであるから,被疑者の取調べに当たる検察官にあっては,弁護人と被疑者との間の信頼関係に影響を与える一切の言動が禁じられるというものではなく,取調べを行う上で合理性があり,かつ,社会通年上相当性を欠くと認められるものでない限り,そのような言動も許容されるものというべきである。

この点について,被控訴人は,とりわけEの「弁護過誤」という言葉や弁護方針に関わるその他の発言が被控訴人とAとの間の信頼関係の破壊を企図したものにほかならない旨主張するところ,検察官が取調べの際に弁護人の弁護方針を理由として供述等を拒む被疑者に対して事実をありのままに供述するように説得することは,捜査の在り方として許されないものということはできず,その際,検察官が弁護人の弁護方針への言及を行ったとしても,弁護人が選択した弁護方針が他方当事者である検察官の行動にも影響を与え,それが被疑者に不利益に作用することもあり得る以上,その言及が直ちに社会通念上相当性を欠くという評価を受けるべきものではなく,その言及が社会通念上相当性を欠くか否かは,個別の取調べの具体的な状況等に照らして判断すべきものであると解される。

そして,本件における上記(2)認定のEのAに対する発言中の「弁護過誤」その他の弁護方針に関する部分については,Aが刑事処罰を恐れて確定的認識の争点についての供述を変遷させているものと受け止めていたEにおいて,Aに対して事実をありのままに話すよう説諭する趣旨で発せられた発言の一環として,事実をありのままに話すことが最終的には被疑者・被告人にとって利益に作用するものであるとのEの考えを述べるものであって,ことさら被控訴人の弁護方針を捉えてそれが誤りである旨を告知するというようなものではないから,直ちに相当性を欠き違法であるとまで評価すべきものではない。

イ もっとも,検察官が取調べにおいて弁護人の弁護方針に言及することは,仮にその言及自体は必ずしも社会的相当性を欠くものであることが明白はなかったとしても,当該言及についての被疑者の受取り方その他の事情の如何によっては,被疑者と弁護人との信頼関係を損なうという結果をもたらす可能性があり得るところであり,現にこれを損なう結果を伴う場合には,当該言及自体について,国家賠償法上,違法性を帯びるとの評価を受けることがあり得るものと解されるが,本件においては,上記認定のとおり,被控訴人は,本件取調べの直後である平成18年11月2日午後5時すぎから午後6時25分ころまでの間,Aと接見して本件取調べの状況についての詳しい聴取等を行っているほか,翌3日にも午後5時すぎから午後5時50分ころまでの間,再びAと接見し,本件取調べの状況等についての更に詳しい聴取を行っており,弁護人を解任されることもなく,さらに,起訴されたAの刑事公判では,J弁護士及びK弁護士と共に被告人Aの弁護人として弁護活動を遂行したことが認められるところであって,本件全証拠によるも,Eの本件取調べにおけるAに対する発言により,現に被控訴人とAとの間の信頼関係が破壊されたり,その信頼関係が損なわれたために接見の際の被控訴人とAとの意思疎通が困難となったりした事実を認めることはできない。

ウ したがって,上記(2)認定のEのAに対する発言中の「弁護過誤」その他の弁護方針に関する部分について,国家賠償法上の違法を認めることはできない。

また,Eが本件取り調べにおいてAに対して行ったその余の発言についても,全体として,事実をありのままに供述するよう,起訴前の最後の説得として行われたものとみるべきものであって,取調べに当たる者の発言として許さないものということはできず,また,相当性を欠く点は見当たらないというべきである。

(4)  以上の次第で,その余の点について判断するまでもなく,被控訴人の請求は理由がない。

2  よって,被控訴人の請求を一部認容した原判決は不当であるから,原判決中控訴人敗訴部分を取り消して同取消部分に係る被控訴人の請求を棄却することとし,主文のとおり判決する。

(裁判官 大谷禎男 相澤哲 吉村真幸)

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