東京高等裁判所 平成21年(ネ)2799号 判決 2010年1月20日
控訴人
Y
同訴訟代理人弁護士
藤川久昭
被控訴人
X株式会社
同代表者代表取締役
B
同訴訟代理人弁護士
北新居良雄
同
南谷英幸
主文
本件控訴を棄却する。
控訴費用は控訴人の負担とする。
事実及び理由
第一控訴の趣旨
一 原判決を取り消す。
二 被控訴人の請求を棄却する。
第二事案の概要
一 本件事案の概要は、次のとおり補正し、後記二のとおり付加するほかは、原判決の「事実及び理由」中「第二 事案の概要」に記載のとおりであるから、これを引用する。
原判決八頁二三行目の「平成八年」を「平成一八年」に、二四行目の「ホランダ」を「ホランド」にそれぞれ改め、二五行目の「ホランドから」の次に「、」を加える。
二 当審における控訴人の主張
(1) 控訴人は、就業時間中に、被控訴人会社のパソコンを使用して、控訴人自身の私的な取引行為のため、Eメール等の送受信を行い、それらの中で控訴人自身のことを被控訴人のディレクターであると表示していたが、このことは、仮に解雇事由に該当するとしても、本件解雇を正当化できるほどに重大又は悪質な事由とはいえない。原審でも主張したように、ディレクターという言葉は当該部署の中心的な役割を担っているという意味で使用されており、被控訴人の取締役であると明確に表示しているものではないし、また、会社のパソコン等情報機器の利用に当たっては、一定の限度において私的な利用を行うことも通常黙認されていると考えられるから、本件における私的Eメール等の送受信は、量的にも質的にも、服務規律違反や職務専念義務違反による解雇事由と評価できるほどのものではない。
(2) 本件においては、被控訴人は、控訴人に対し、本件契約終了条項に基づき、三か月間の予告期間をもって、本件雇用契約を終了させることを提案し、控訴人は、平成一九年六月八日、これに合意したのであるのに、被控訴人は、同年七月二日に、上記Eメール等の送受信を理由に本件解雇を行ったものである。先の雇用契約の合意解約に基づいて、三か月後には雇用契約は終了することになっていたにもかかわらず、被控訴人は、それを待つことなく、あえて本件解雇を行っているが、控訴人の行為は、そうまでしなければならないほど就業規則違反として重大・悪質とはいえず、本件解雇は権利濫用ないし信義則違反である。
(3) なお、被控訴人は控訴人による情報機器の私的利用に気づいていなかったが、それは、被控訴人が会社として労務管理を十分に行っていなかったからであって、被控訴人側にも落ち度があるのであるから、控訴人の行為について被控訴人に本件解雇を許すことには疑問がある。
第三当裁判所の判断
一 事実認定
上記前提事実に加えて、後掲の各証拠及び弁論の全趣旨によれば、次のような事実を認めることができる。
(1) 控訴人は、平成一六年ころから、退職後には海外の城その他の物件でホテル経営をしたいと考え始め、被控訴人の前の勤務先に勤めていたころから、被控訴人で勤務をするようになって以降も、インターネットで検索をして売りに出ている物件を探しては、さらに詳しい情報提供を求めるなど情報収集を続けていた。ドイツやチェコスロバキアに物件を見に行ったこともあった。
(2) 被控訴人は、平成一九年六月八日、本件契約終了条項に基づき、控訴人との雇用関係を同年九月七日をもって終了させる旨通知し、控訴人は、これに応じて被控訴人を辞することとなり、同日までの間は休暇を取ることとなった。ところが、その後、控訴人の後任者に転送された控訴人アドレス宛のEメール中に、Aという人物から、同年六月二一日、「Re:UmbriaにあるBorgoについて」という件名で、「あなたは、X社のディレクターではないのですか? まだあなたはBorgoを購入することに興味がありますか? 昨日、あなたはインテントレターを送ると言ってましたが、今日になって『X社を辞める』というのはどういうわけでしょうか? 説明がほしいです。」という内容のEメールが見つかった。被控訴人は、このEメールに不審を抱き、被控訴人の情報機器に残っている控訴人が送受信したEメール記録等の社内調査を行った。
(3) 上記調査の結果、控訴人は、平成一九年五月一四日(火曜日)午前一一時一一分に、シャトーワールド・ドットコム社の担当者に対し、同社が扱っている売却物件であるフランスのブルゴーニュ所在の城を利用したホテルについてより詳しい情報を求める旨のEメールに添付して、被控訴人の名称及びロゴマークの入ったレターヘッドを使用し、「Re:シャトーホテル売却の件」という件名の下、(ア)「シャトーホテル購入に関するこれまでのメールの補足ですが、我々(=We)は、この物件につき適正な調査が行われ、我々の満足の行く形で(その調査が)完了した後、この物件を購入する意思があるということをお伝えします。そこで、我々は適正な(買収のための)調査を完了するため、シャトーホテルに関するすべての財務上の情報その他の情報を入手したいと思っております。我々には、この購入に必要な資金的裏付けがあることを確認いたしたく存じます。」、(イ)「X社トラベルポート(被控訴人)のディレクターであるY(控訴人)が、このプロジェクトの連絡窓口となっております。」、(ウ)「我々(=We)は、全世界中に販売網(マーケティング・ネットワーク)を持っており、これはこのホテルの宣伝広告に大きな助けとなるものです。このシャトーホテル(の宿泊部屋)の販売及び宣伝広告に関する契約及び予約手配は、X社トラベルポート(被控訴人)及びその関係会社が行います。」、(エ)「X社トラベルポート(被控訴人)は、旅行業界において世界的に有数の、地上手配に関する商品及び業務の卸売業者です。X社は、ツアーオペレーターや旅行代理店に対し(旅行商品を)供給しているほか、ウェブサイトを通じたワン・ストップ・ショッピング(個人顧客に対する、旅行商品のバラ売り)も行っています。我々が提供する非常に大量の旅行商品及びサービスは、二七カ国の言語によって提供されるほか、ホテル(の予約)、空港までの移動、観光ツアー、コンサートチケット、レストランの予約等多岐にわたるものです。また、X社は、毎年一六〇〇万件に及ぶホテル宿泊の予約(客室の予約件数)を取り扱っております。」などと記載した手紙(レター・オブ・インテント。原文は英文。以下同様。)を送付していた。
(4) また、上記調査の結果、控訴人は、①スイスゲタウェイ・ドットコム社に対して、同社の取扱い物件であるチリのサベージ島に関する情報の提供を求める際、②リアル・ポイント・プロパティ社に対して、同社の取り扱うイタリアの不動産に関する情報の提供を求める際、③ブルー・リッジ・リアルティ社に対して、同社の取り扱う売却物件であるスイスホテルに関する情報の提供を求める際、④MOJOインターナショナル・コープ社に対して、同社の取り扱うフベルツショフホテル及びホテル・シュロス・ロマンショーンに関する各情報の提供を求める際のそれぞれの場合に、上記(3)のシャトーワールド・ドットコム社に対する手紙と同様に被控訴人の名称及びロゴマークの入ったレターヘッドを使用し、上記(3)の(ア)と同様に情報の提供を求める趣旨の文章に続けて、上記(3)の(イ)、(ウ)及び(エ)とほぼ同じ文章を含む内容の手紙を送付していた。
(5) さらに、上記調査の結果、控訴人は、ホランド・ホライゾン・グループ社のC社長に対して、上記(3)のシャトーワールド・ドットコム社に対する手紙と同様に被控訴人の名称及びロゴマークの入ったレターヘッドを使用し、「Re:ニューヨーク市におけるニューハーレムの共同利用に関する開発のご提案」という件名の下、「一二五番街東の開発の提案依頼(REF)に対する貴グループの対応について、これまで幾つか議論を行ってきましたが、そのフォローアップとして、クラウン/X社は、この開発に資金を提供し貴グループのブティックホテルの開発と音楽をテーマとした開発計画に加わることにつき、関心を有しております。」、「X社トラベルポート(被控訴人)のディレクターであるY(控訴人)が、クラウン/X社の連絡窓口となっていますが、クラウン/X社は、現在、豪華五つ星ヨーロッパ城リゾート(ジャック・ニコラウス設計のゴルフコースも含みます)に関するプロジェクトを進めております。」及びこれに続けて上記(3)の(エ)と同文のX社トラベルポートの業務の紹介、「我々(=We)は、全世界中に(旅行商品の)販売網を持っており、これはこのホテルの宣伝広告に大きな助けとなるはずです。このホテル(宿泊用客室)の販売及び宣伝広告に関する契約及び予約手配は、クラウン/X社トラベルポート及びその関係会社が行います。」等を記載した手紙を送付していた。なお、この「クラウン/X社」という会社は実在しておらず、控訴人は、実在していないことを承知していながら、この名称を使用していた。
ホランド・ホライゾン・グループ社は、控訴人の上記手紙等を受けて、同社作成のニューヨーク市のニューハーレム開発計画の提案書において、「ホテル・ディベロッパー/運営者」として、X社トラベルポート(被控訴人)を記載し、その本邦における住所及び電話番号を付記し、マネージャーとしてY(控訴人)の名を記載し、「旅行業界における世界的に有数な地上手配業務及び旅行商品の卸売業者」とのコメントを記し、「X社/クラウンによるサポートレター及びその背景事情に関する情報は付属書類7に掲載」として、前記の控訴人の手紙を添付していた。
(6) 被控訴人は、上記のUmbriaにあるBorgoの件、ブルゴーニュのシャトーホテルの件、チリのサベージ島の件、リアル・ポイント・プロパティ社の取り扱うイタリア不動産の件、スイスホテルの件、フベルツショフホテルの件、ホテル・シュロス・ロマンショーンの件及びニューヨーク市のニューハーレム開発計画の件のいずれについても、会社として取り組んだことはなく、情報収集等を控訴人に指示したこともない。
控訴人は、控訴人と妻による私的な取引行為として、これらの案件に関与していたもので、これらの案件について、被控訴人に対し、会社として取り組むよう進言したことはなく、被控訴人に対して、控訴人がそのような案件に関与していると説明したことはなく、上記のEメールや手紙において被控訴人の名称を記載することについて許可を求めたこともなかった。
なお、控訴人は、被控訴人のコンピュータにログインする場合にディレクターのレベルのコードを使用していたことはあったが、被控訴人から、会社の対外的な取引等でディレクターの肩書を使用することは許されておらず、控訴人自身、対外的にディレクターの肩書使用が許されていないことを承知していた。
そして、被控訴人の上記調査によれば、控訴人は、被控訴人に入社直後の平成一七年一二月から平成一九年五月まで、就業時間中も含めて、上記のような私的な取引にかかる文書の作成・保存やEメールの送受信を頻繁に行っていたものである。
二 争点に対する判断
(1) 上記認定の事実関係によれば、控訴人が、その私的な取引に係るEメールや手紙において、被控訴人のディレクターの肩書を使用していたことが認められる。しかし、控訴人は、被控訴人から、対外的にディレクターの肩書を使用することを許されておらず、控訴人自身もそのことを承知していたものである。
ところで、「ディレクター」という表示が、本件に関係する業界において、「取締役」を指すのか、必ずしも一義的にそれを指さないのかは置くとしても、被控訴人は「ディレクター」の肩書が「取締役」と受け取られると考えて、控訴人にその使用を許さなかったことは明らかであり、控訴人も、そのことを承知していたはずである。しかるに、控訴人は、このような被控訴人の指示の趣旨に反し、あえて私的な取引に係るEメールや手紙に被控訴人のディレクターの肩書を使用したものといわなくてはならない。
また、控訴人は、上記各手紙における「我々(=We)」の表示は、控訴人とその妻とを指すもので、被控訴人会社を指すものではない旨主張する。しかし、上記一の(3)の(ウ)の文章において「我々(=We)」が「全世界中に販売網を持っている」に対する主語となっていること等、全体の文脈に照らせば、控訴人は、読み手に対して、「我々(=We)」を「被控訴人とそのディレクターである控訴人」という意味に受け取らせようとして、使用していたものというべきである。
そして、控訴人は、被控訴人に勤務していた間、頻繁に私的な取引に係る文書の作成やEメールの送受信を行っており、そのうち、相当数のものは就業時間中に行われていたものと推認され、そのこと自体、通常許されるべき会社の情報機器の私的利用の範囲を超えているというべきである。
(2) さらに、控訴人の行為で最も問題とされるべきは、上記一の(3)、(4)及び(5)に認定したように、控訴人が自身の事業として関心を持った案件について、情報収集したり、案件への参画を打診するに際して、被控訴人のレターヘッドを使用して手紙を作成し、控訴人を被控訴人のディレクターと表示し、控訴人が連絡窓口となると述べたうえで、被控訴人は全世界中に販売網を持ち、当該案件における営業や宣伝広告を援助するであろう旨述べると共に、被控訴人は旅行業界において世界的に有数の商品及び業務の卸売業者であるなどと被控訴人の業務の紹介をしており、全体としてみれば、あたかも被控訴人が当該案件に関心を持っているかのように受け取られる手紙を作成・送付することによって、被控訴人の実績・信用を利用して情報提供を求め、案件への参画を実現しようとしている点である。
ことに、上記一の(5)のニューヨーク市のニューハーレム開発計画の件においては、控訴人は、そのような会社は実在しないにもかかわらず、被控訴人と何らかの関係を有すると推測させる「クラウン/X社」という名称の会社を事業主体として設定して、上記のように、全体としてみれば、被控訴人がこの開発案件に関心を持っており、開発計画への参画を希望しているかのように受け取られる手紙を送付したものであり、これを受けた相手方会社は、同社作成の開発計画の提案書において、「ホテル・ディベロッパー/運営者」は被控訴人であると記載するなどしており、控訴人の上記手紙等から、被控訴人がこの開発案件に関心を持っており、開発計画への参画を希望していると信用し、被控訴人が計画に参画することが期待できると考えたものと思われる。
以上のように、実際には被控訴人は何らの関与もしていない案件について、あたかも被控訴人が関与しているかのようにみえる手紙等を送付するといった控訴人の行為は、本件就業規則における懲戒事由である「業務上の地位を利用して私利を図った時」及び「業務上不正な行為があった時」に該当するとともに、懲戒解雇事由である「職務上の地位を利用し、(中略)自己の利益を図ったとき」に該当するというべきである。そして、その数が少なくないこと、実際に、これを信用した相手方も存在すること等に照らしても、その行為は重大であり、情状は極めて悪質と評価すべきである。
以上のとおりであり、これと上記(1)で述べたところと併せ考えれば、控訴人の行為は、本件解雇を十分に正当化できるほどに重大かつ悪質といわなければならない。この点についての控訴人の主張は採用できない。
(3) 上記認定のとおり、上記各手紙の送付等の控訴人の行為が判明したのは、被控訴人が、本件契約終了条項に基づき、控訴人との雇用関係を三か月後に終了させる旨通知し、控訴人がこれに応じた後の休暇中に、控訴人宛の不審なEメールが見つかったことから、社内調査を行った結果によるものであった。すなわち、被控訴人は、本件契約終了条項に基づく雇用契約を終了させる通知を行う際には、これら控訴人の行為を全く覚知していなかったのであり、その後に、これら本件就業規則における懲戒事由に該当し、懲戒解雇事由に該当する控訴人の行為が分かって、本件解雇を行ったものであるから、上記のような行為の重大性・悪質性に照らしても、これらを知った段階で本件解雇を行うことは相当というべきである。控訴人のこの点の主張は採用できない。
なお、本件労働契約には、同契約の内容は本件就業規則に優先する旨の規定があるが、この規定は、本件労働契約と本件就業規則との間に矛盾・抵触がある場合には本件労働契約の規定が優先する趣旨と解するのが相当であり、本件労働契約に規定がない懲戒に関する事項については本件就業規則が適用されるものというべきである。
また、控訴人は告知聴聞の機会が与えられなかった旨の主張もするが、控訴人は「D(アジア太平洋地域財務担当副社長)から、電話において、前に渡した解雇の文書はキャンセルで解雇すると言われ、解雇通知書を手渡された。控訴人は、同書面に記載されているもの(雇用契約違反の内容となる事実)についてひとつひとつ反論したが、聞いてくれなかった。」旨陳述していることに照らし、控訴人に告知聴聞の機会が与えられなかったと認めることもできない。
さらに、控訴人の行為の重大性・悪質性に照らせば、被控訴人が控訴人の勤務期間中にその行為に気づかなかったことをもって、被控訴人に落ち度があるとして、被控訴人による本件解雇を許さないということはできない。控訴人のこの点の主張も採用できない。
以上のとおりであるから、本件解雇は有効ということができる。
三 結論
以上によれば、被控訴人が、不当利得返還請求権に基づき、本件建物の賃料相当損害金二六四万七七四一円及びこれに対する控訴人の利得の日の後で訴状により控訴人が不当利得たることを知った日の後である平成一九年一〇月一五日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求めることには理由があるからこれを認容すべきであって、これと同旨の原判決は相当である。
よって、本件控訴は理由がないから棄却することとして、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 加藤新太郎 裁判官 柴田秀 垣内正)