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東京高等裁判所 平成21年(行コ)360号 判決 2010年3月23日

主文

1  本件控訴を棄却する。

2  控訴費用は,控訴人の負担とする。

事実及び理由

第1控訴の趣旨

1  原判決を取り消す。

2  川崎市多摩福祉事務所長が平成19年3月20日付けで控訴人に対してした生活保護法63条に基づく返還決定を取り消す。

3  訴訟費用は,第1,2審とも被控訴人の負担とする。

第2事案の概要

1  本件は,控訴人が,モーターボート事故によって右下肢機能障害を負い,生活保護法(以下「法」という。)4条3項に基づいて保護決定(以下「本件保護決定」という。)を受けていたところ,その後,事故の加害者らが控訴人に対し合計約5200万円の支払義務を認める等の裁判上の和解(以下「本件和解」という。)が成立し,損害賠償の範囲等が確定したことから,川崎市多摩福祉事務所長(以下「処分庁」という。)は,控訴人が資力があるにもかかわらず保護を受けたものであるとして,受給した生活保護費について法63条に基づく返還決定(以下「本件決定」という。)をしたことから,控訴人が本件決定の取消しを求める事案である。

原審は,本件請求を棄却したところ,控訴人が控訴した。

2  法の規定及び基礎となる事実は,原判決の該当部分に次のとおり補正するほか,その「事実及び理由」欄の「第2 事案の概要」の2及び3に記載のとおりであるから,これを引用する(なお,上記引用部分中「原告」を「控訴人」と,「被告」を「被控訴人」と読み替える。以下の引用部分において同じ。)。

(1)  3頁18行目から19行目にかけての「保護決定」の前に「本件」を加える。

(2)  4頁19行目の「上記」を「本件」に改める。

(3)  6頁5行目の「川崎市多摩福祉事務所」を「処分庁」に,14行目の「就任挨拶状」を「受任通知」にそれぞれ改める。

(4)  7頁9行目の「同年」を「平成19年」に改める。

3  争点及び争点に関する当事者の主張

本件の争点(本件保護決定の時点(平成16年4月8日)における控訴人の資力の有無)に関する当事者の主張は,次のとおりである。

(被控訴人の主張)

ア 生活保護は,生活に困窮する者が利用し得る資産,能力その他あらゆるものを,その最低限度の生活の維持のために活用することを前提に保護の要否を判断すべきものとされており,このような生活保護の補足性に照らせば,本件のように加害者に対し,損害賠償請求権を有する場合には,加害者が賠償をなし得る限り,同権利を行使して損害賠償金を受領することが可能なのであるから,同権利を「利用し得る資産」と評価し,損害賠償責任の範囲に争いがあるなど,その権利実行に支障がある場合には,法4条3項にいう「急迫した事由」があるものとして,生活保護受給資格を認めるのが妥当である。

この点,最高裁昭和46年6月29日第三小法廷判決・民集25巻4号650頁は,「交通事故による被害者は,加害者に対して損害賠償請求権を有するとしても,加害者との間において損害賠償の責任や範囲等について争いがあり,賠償を直ちに受けることができない場合には,他に現実に利用しうる資力がないかぎり,傷病の治療等の保護の必要があるときは,同法4条3項により,利用し得る資産はあるが急迫した事由がある場合に該当するとして,例外的に保護を受けることができるのであり,必ずしも本来的な保護受給資格を有するものではない。それゆえ,このような保護受給者は,のちに損害賠償の責任範囲等について争いがやみ賠償を受けることができるに至つたときは,その資力を現実に活用することができる状態になつたのであるから,同法63条により費用返還義務が課せられるべきものと解するを相当とする。」と判示している。

イ 本件において,控訴人は,本件事故後平成16年6月までに加害者ら3名から合計345万円の損害賠償金の支払を受け,その後,控訴人からの一括請求や調停の開始によりその支払が中断されたものの,本件和解により,平成19年2月末までに1613万7324円の支払を受けていること,本件民事訴訟が本件和解で終了するまでに相当期間経過しているものの,その間に加害者らが自らの責任を否定する主張を繰り返し,本格的に損害賠償責任を争った形跡はうかがえないことからすれば,控訴人が加害者らに対して有していた損害賠償請求権は十分に実現可能で,法4条1項の「資産」と評価するに足りるものである。

控訴人は,本件保護決定時において,利用し得る資産はあるが急迫した事由がある場合として法4条3項により生活保護受給資格を認められたものであるから,「資力」があったので本件決定に違法はない。

(控訴人の主張)

被控訴人の主張は争う。

本件事故の加害者らが本件事故に関して一切争わないのであれば,本件保護決定時に控訴人に「資力」があったとみることはできる。しかし,本件事故の加害者らは,本件事故の発生につき控訴人に過失があると主張して損害賠償責任を争ったため,最終的に本件和解で本件民事訴訟が解決するまでには訴訟提起から1年8か月余りもの年月を要した。控訴人が本件和解により現実に加害者らから損害賠償金の支払を受けるまでは,控訴人に生活保護費以外の収入が入ってくる予定はなかった。本件民事訴訟は,控訴人が法律扶助による援助によって初めて訴訟提起が可能になったものである。

したがって,本件和解の成立日である平成18年11月2日以前である本件保護決定時には控訴人に「資力」があったとはいえない。

そこで,控訴人が現実に損害賠償金の支払を受けられるようになるまでの間に受給した生活保護費は,法63条に基づく保護費返還の対象にならない。

第3当裁判所の判断

1  当裁判所も控訴人の請求は棄却すべきものと判断する。その理由は,原判決の該当部分を次のとおり補正するほか,その「事実及び理由」欄の「第4 当裁判所の判断」の1に記載のとおりであるから,これを引用する。

(1)  12頁3行目の「(1)」から4行目の「時期)」まで及び,9行目から12行目の括弧書部分をいずれも削除し,13行目の「が認められる」から16行目末尾までを「は当事者間に争いがない。」に,14頁4行目の「たとい」を「たとえ」にそれぞれ改める。

(2)  15頁15行目の「なっていた」の次に「(少なくとも,加害者の一人Aは,本件民事訴訟の答弁書において,本件事故の発生を認め,控訴人に生じた損害について責任を負うことも認め,その額を争っている〔甲4の18の1〕。)」を,18行目の「拒否し」の次に「(乙5)」をそれぞれ加える。

(3)  16頁10行目の「処分庁」から11行目末尾までを「本件保護決定時に控訴人に資力があったものと認めることができる。」に改める。

(4)  17頁9行目の「生活保護開始時」を「本件保護決定時」に改める。

2  なお,控訴人は,障害等級4級の身体障害者であって障害者自立支援法に基づいて医療費の免除を受ける可能性があり,これについて必要な情報が与えられなかったから,費用返還義務の対象に医療費を含めている本件決定が違法である旨主張するようであるが,控訴人は,そもそも自立支援医療制度を利用するための申請自体(障害者自立支援法53条1項)をしていないことを自認しているのであるから,上記違法の主張の前提を欠き,また,申請に必要な情報が提供されていないことは,本件決定の処分要件に関係がないので,違法事由に当たらないことは明らかであるから,主張自体失当である。

3  そうすると,原判決は相当であり,本件控訴は理由がないからこれを棄却することとして,主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 都築弘 裁判官 始関正光 裁判官 比佐和枝)

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