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東京高等裁判所 平成24年(ネ)5608号 判決 2013年4月24日

控訴人

大田区

同代表者区長

同訴訟代理人弁護士

須田徹

豊田泰士

松井麻里奈

本多教義

被控訴人

Y2

同訴訟代理人弁護士

佐野綾子

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実及び理由

第一控訴の趣旨

一  原判決中控訴人敗訴部分を取り消す。

二  被控訴人は、控訴人に対し、さらに四七七万〇二四〇円を支払え。

第二事案の概要

一  事案の要旨

控訴人は、被控訴人の連帯保証のもと、同人の母親であるC(以下「C」という。)に対し、平成一二年四月一日付けで、区営住宅である原判決別紙物件目録記載の建物(以下「本件住宅」という。)の使用を許可して賃貸(以下「本件賃貸借契約」という。)した。Cの長男であり、被控訴人の弟であるA(以下「A」という。)は、平成一四年一一月一〇日ころ、控訴人の許可なく本件住宅に同居を開始した。Cは、平成一八年二月一六日ころ、本件住宅を退去したが、Aは、その後も本件住宅に居住し続けた。

本件は、控訴人が、平成一八年三月以降の本件住宅の使用料及び共益費(以下「使用料等」という。)の滞納を理由に平成二二年一〇月三一日に使用許可を取り消して本件賃貸借契約を解除したと主張して、Cに対し、賃貸借契約に基づき、被控訴人に対し、連帯保証契約に基づき、連帯して、解除前の滞納使用料等及び解除後本件住宅の明渡し完了時までの使用料相当損害金の合計額六三五万五三四〇円の支払を求めた事案である。

なお、控訴人は、本訴において、C及びAに対し、本件住宅の明渡しを求めていたが、Aが平成二四年五月一日に本件住宅から退去して鍵を返還したことから、上記明渡請求部分を取り下げた。

原審は、控訴人の本件請求のうち、Cに対し、請求額全額である六三五万五三四〇円の支払義務を認め、被控訴人に対し、平成二一年三月末日までの滞納使用料等及び使用料相当損害金の請求(一五八万五一〇〇円)については、Cと連帯して支払義務があると認め、同年四月一日以降の滞納使用料等及び使用料相当損害金の請求については、信義則に反し、権利の濫用として許されないとして、これを棄却した。

控訴人が、被控訴人に対する請求のうち、敗訴部分を不服として控訴した。

二  前提事実、争点及び争点についての当事者の主張

前提事実、争点及び争点についての当事者の主張は、以下のとおり補正し、三に当審における当事者の主張を付加するほかは、原判決の「事実及び理由」中の「第二 事案の概要」の「二 前提事実(当事者間に争いがないか、後掲の証拠又は弁論の全趣旨により容易に認めることができる事実である。)」及び「三 争点及びこれについての当事者の主張」に記載のとおりであるから、これを引用する。

(1)  原判決二頁二一行目から二二行目までを以下のとおりに改める。

「(2) 被控訴人は、平成一二年三月九日、本件住宅の使用者をCとし、使用者の控訴人に対する住宅使用料その他の債務を連帯保証する旨の『請け書』に連帯保証人として署名・押印した。この『請け書』には区営住宅の住宅使用料として月額四万〇七〇〇円との記載があるが、法令等の定めにより近傍同種住宅家賃に基づく請求がありうる旨の記載はない。」

(2)  原判決三頁四行目から一七行目までを以下のとおりに改める。

「(5)ア Cは、平成一三年一二月一日から平成一八年二月一六日までの間、控訴人から生活保護費の支給を受けていた。控訴人生活福祉課では、生活保護費を支給するに際しては、受給者から受給者が居住している住宅の契約関連書類の提出を受け、具体的に誰が居住しているかにつき現地調査を行い、契約関連書類と合致していることを確認した上で、支給対象とするかを判断している。Cについても、控訴人生活福祉課は、平成一三年一二月一日の時点で、本件住宅におけるCとその三女Dとの居住実態が本件住宅の契約関連書類と合致していることを確認し、住宅扶助を支給した。

イ 控訴人生活福祉課は、平成一七年二月ころ、Aからの生活保護費の受給申請を受けて、同年三月一日ころ、現地調査を実施し、Aが本件住宅に入居している実態を確認した。生活保護費は、世帯単位で支給される(生活保護法一〇条)ところ、同課は、既にCに対し、本件住宅の住宅扶助を支給していたため、改めてAに対し住宅扶助を支給することは不要であり、AをCの世帯の同居人として位置付け、Aについて生活扶助のみの支給を同日から開始することとし、Cの世帯の生活保護費は、Aの同居に伴い、従前よりもAの生活扶助分が加わる支給構成となった。

ウ 平成一七年八月当時、Cは、同居していたAとの口論を重ねていたが、同月一一日、控訴人生活福祉課を訪ね、同課に対し、『Aの暴言等にこれ以上耐えられない。』と述べ、緊急一時保護施設への入所を要望し、同日、同課の指導により大田区<以下省略>に所在する母子生活支援施設のa施設に入所した。その後、Cについて長期入所が見込まれたため、Cは、同課の指導により、生活保護法三八条六項に基づく宿所提供施設に入所することとなった。

エ 平成一八年一月一九日、Cは、控訴人生活福祉課を訪ね、『Aとの折り合いが付かず、進展がない。三女Dと同居することとし、生活保護の受給を辞退したいので、転居先の敷金等を支給して欲しい。』旨申し出た。同課は、この申し出に応じることとし、二月一五日、Cに対し、東京都港区<以下省略>所在の転居先の敷金及び転居資金として三一万四一〇〇円を支給し、Cが提出した生活保護辞退届を同日付けで受理し、Cに対する生活保護費の支給を同月一六日付けで廃止とした。Cは、平成一七年八月一一日に本件住宅を出て以降、本件住宅に戻ることなく上記のとおり転居した。

オ Cは、上記エのとおり、平成一八年二月一六日ころに本件住宅から転居した後は、本件住宅の使用料等を支払わなかった。Cは、平成一九年一月の時点では給与収入があったが、平成二〇年三月の時点における年間総所得は〇円であった。

カ 平成一八年二月一六日、Cと三女Dが東京都港区に転居したことに伴い、本件住宅にかかる生活保護費の支給については、本件住宅に残存したA一名が世帯主へ移行する構成となった。控訴人の生活福祉課は、本件住宅にかかる住宅扶助の支給にあたり、同月中旬ないし下旬ころ、控訴人住宅課に本件住宅の契約関係について照会し、Aが本件住宅の入居について許可を得ていないことを確認した。そこで同課は、Aにつき、三月一日から生活保護費のうち生活扶助と医療扶助のみ支給し、住宅扶助の支給を容認しない措置を講じた。控訴人住宅課の担当者は、二月中旬ないし下旬ころ、控訴人福祉課からの照会を受けて、Cから本件住宅からの退去の申し出があり、Cと三女Dが同月一六日ころに転居して本件住宅から退去したものの、Aが本件住宅に居続けていることを認識した。」

(3)  原判決三頁一八行目、四頁一行目、四行目から五行目、八行目、一三行目から一四行目、一七行目、二〇行目、二五行目、五頁五行目、七行目、一二行目、一六行目、一七行目、一八行目、二二行目、六頁一行目、二行目、五行目、七頁八行目から九行目、一一行目、一二行目から一三行目、一七行目から一八行目、二〇行目の各「原告の担当官」をいずれも「控訴人住宅課の担当者」に改める。

(4)  原判決三頁二一行目の「なお、」から二二行目の「認識していた。」までを削る。

(5)  原判決八頁七行目から八行目を以下のとおりに改める。

「(21) 控訴人生活福祉課は、平成二四年四月ころ、Aに対し、転居資金の全額を生活保護費のうちの一時扶助で手当することとし、Aは、五月一日、大田区<以下省略>所在の現住居に転居し、本件住宅の鍵を控訴人住宅課に返却した。以後、控訴人生活福祉課は、Aに対し、転居先の住居の賃料の全額を生活保護費のうちの住宅扶助として支給している。結局、Aについては、平成一七年三月一日から現在に至るまで生活保護が支給されている。」

(6)  原判決八頁九行目の「被告Cは」から一二行目の「なるところ、」までを削り、一三行目の「この間」を「以下の期間」に改める。

三  当審における当事者の主張

(控訴人の主張)

(1) 賃貸人としての権利を当該賃貸借の状況に応じて的確に行使すべき信義則上の義務はないこと

民事訴訟を提起することは、裁判を受ける権利を保障した憲法三二条に基づき、民法等の実体法上の権利を実現するために手続法である民事訴訟法において認められている権利(訴権)であって、債権者が債務者との関係においてこれを行使すべき義務はない。保証人は債権者に対し保証債務を負っている債務者であり、もともと債務者に対し支払義務を負っている保証人との関係において、その支払義務拡大を理由に、債権者である地方公共団体に「的確に訴訟を提起すべき義務」なるものを認めるいわれはない。

(2) 控訴人には、信義則上の義務に違反するような事実はないこと

ア 控訴人は、平成一八年三月ころから、既に使用料等の滞納やAの無断入居の問題を抱えていたCとの間で、使用料等の支払や本件住宅の明渡等について話を重ねており、全く問題を放置していたわけではなく、積極的に解決の途を探していた。控訴人は、賃貸人として問題解決に全力を尽くした末、連帯保証人である被控訴人に通知したものであり、漫然と保証人の支払義務を増加させたわけではない。

イ 被控訴人は、控訴人やCに対し、滞納状況を問い合わせたこともなく、自身の住所変更について届け出を行うことをしておらず、自身の保証債務の範囲に無関心であった。

(3) 原判決は保証制度及び時効制度に対する控訴人の信頼を無視するものであること

控訴人は、保証制度と時効制度を信頼し、適切な債権管理を行い、かつ、保証人が当然予定している保証債務の範囲内で保証債務の履行を請求しているにすぎない。賃料債権の時効は五年間であるところ、発生から三年間分の賃料しか認められないのであれば、賃借人が現行の保証制度と時効制度の下で行った適切な債権管理が否定されることになり、控訴人の保証制度と時効制度への信頼が無視され、予測不可能な債権管理を強いられる結果となる。

(4) 小括

以上から、控訴人には原判決が述べるような信義則上の義務はなく、その他信義則に反する事情も存在しない。したがって、控訴人に原判決摘示の信義則上の義務を負わせ、控訴人が当該義務に違反したと認定し、連帯保証人への請求の一部が信義則違反、権利濫用であると認定した原判決には誤りがある。

(被控訴人の主張)

(1) 判例(最高裁平成九年一一月一三日第一小法廷判決・裁判集民事一八六号一〇五頁)は、賃貸借契約における保証債務に関し、「もとより、賃借人が継続的に賃料の支払を怠っているにもかかわらず、賃貸人が、保証人にその旨を連絡するようなこともなく、いたずらに契約を更新させているなどの場合に保証債務の履行を請求することが信義則に反するとして否定されることがあり得ることはいうまでもない。」として、賃貸人の保証人に対する請求が、一定の場合には信義則により制限されることを明言している。債権者は、一定の規模で賃貸事業を行うときは、リスクは平準化され、個別の債権管理を的確に行えば、回収不能のリスクをある程度コントロールすることができるのに対し、個人が情誼に基づいて保証する場合、保証人はもっぱら負担のみを負うだけであり、保証債務を管理する術をもたない。かかる保証契約当事者間の不公平さと保証人の過度な負担を考慮し、特に賃貸借契約を含む継続契約において、信義則に基づき保証人の責任を適度に限定することは、まさに民法の基本原則及び民法一条二項の解釈として導かれる当然の帰結である。上記判例の保証責任が一定の場合に信義則上限定される旨の判示は、契約の更新の有無または更新の前後を問わず妥当する。

原判決のいう「訴訟を提起すべき義務」とは債権者に訴訟提起を強制するものではなく、適時に訴訟提起をしないのであれば、債権者に信義則上の義務違反を認めるという意味であり、債権者が訴訟を提起しない自由は制限していない。ただ、債権者が適切に権利を行使しない場合にその不利益を請求の制限という結果で債権者に負わせるというにすぎない。

(2) 本件において勘案されるべき事情

ア 一般に賃貸借契約の保証人は、よもや第三者の不法占有によって生じた債務まで負わされるとは予期していない。本件で控訴人が請求している保証債務は、賃借人が退去した後の、第三者の不法占有中に生じた債務である。

Cは、平成一八年初頭に港区芝所在の住居に転居するにあたり、被控訴人に対し、再度、保証人になることを求めたが、被控訴人は当時専業主婦で資力がなく、家族に金銭的な負担が及ぶことを危惧し、保証人となることを拒絶した。その際、被控訴人は、Cから転居することを聞き、自身が保証人となっている契約は無事に終了したと認識し、安堵した。

イ Aが控訴人に生活保護受給申請をし、これにより控訴人生活福祉課は、本件住宅へのAの入居を把握した。控訴人内部の情報共有の不備があったにせよ、控訴人は関連部署の情報を合わせることで、平成一七年三月にはAの本件住宅への無断入居を知っていたといえる。

ウ 本件は、公共のサポートの必要な者が軽微な手続の懈怠を積み重ねたところ、保護を必要とする実情に何ら変化がなかったにもかかわらず、保護を受けられない状況となり、そのために連帯保証債務が積み重なってしまった事案である。控訴人が、いち早く訴訟手続等をとり、Aを転居させるなど抜本的な対策を執っていれば、本件に関する権利関係を整理し、住宅扶助を与えることが可能となったにもかかわらず(実際、訴訟提起後、Aは控訴人の負担と斡旋により転居し、現在は、住宅扶助を含めた生活保護が支給されている。)、控訴人はそれを数年も遅滞し、被控訴人の負担をいたずらに増加させた。

第三当裁判所の判断

一  当裁判所も、控訴人の本件請求は原判決が認容する限度で理由があり、その余は理由がないものと判断する。

その理由は、以下のとおり補正し、二のとおり付加するほかは、原判決の「事実及び理由」中の「第三 当裁判所の判断」の二項及び三項に記載のとおりであるから、これを引用する。

(1)  原判決一七頁一六行目の「七月一三日」を「二月一六日」に改め、一八行目の「少なくとも、」から、二〇行目の「いとき(同項三号)、」までを削る。

(2)  原判決一八頁三行目から二二行目までを削る。

(3)  原判決一九頁一行目、二行目の各「原告の担当官」をいずれも「控訴人住宅課の担当者」に改める。

(4)  原判決一九頁八行目の「しかしながら、」から一四行目末尾までを削る。

(5)  原判決一九頁二一行目から二二行目にかけての「三月頃の転居の時点」を「二月一五日」に改める。

(6)  原判決二〇頁六行目から七行目にかけて及び同二一頁二二行目の「訴訟を提起す」をいずれも「実効性のある法的措置を執る」に改める。

二(1)  控訴人は、控訴人の連帯保証人である被控訴人に対する請求の一部が信義則違反、権利濫用であると認定した原審の判断に誤りがある旨主張する。

そこで判断するに、賃貸人の保証人に対する請求は一定の場合には信義則により制限されることがある(最高裁平成九年一一月一三日第一小法廷判決・裁判集民事一八六号一〇五頁参照)ところ、これを本件に即してみると、原判決で判示するところ(同一六頁六行目から同一七頁一二行目)が相当である。そして、本件は、賃貸人である控訴人が、本件賃貸借契約から生じた賃借人の債務につき、連帯保証人である被控訴人に請求するものであるところ、本件事実関係の下においては、補正のうえ引用した原判決が説示しているところに加えて、後記(2)ないし(6)の理由により、控訴人の被控訴人に対する請求の一部は、信義則に反し、権利の濫用と認めるのが相当である。

(2)  本件において信義則の適用を考えるに当たっては、当事者及び関係者の法律関係の全体を考察することが欠かせない事案と解される。そこで以下のとおり、この点について判断を加える。

(3)ア  引用にかかる補正済みの前提事実(2)及び(5)アないしカによれば、控訴人とC、A及び被控訴人との間の法律関係は、(ⅰ)控訴人の住宅課の所管にかかる本件住宅の賃貸借契約上の賃貸人(控訴人)と賃借人(C)及び同居人(A)並びに賃借人の連帯保証人(被控訴人)という関係と、(ⅱ)控訴人の生活福祉課の所管にかかる生活保護法に基づく、生活保護の実施機関(控訴人)と被保護者(C及びA)という関係の両面がある。

イ  このうち、賃貸借契約上の法律関係については、上記前提事実(5)エ及びカに説示した、①Cが、平成一八年一月一九日に控訴人生活福祉課を訪ね、「Aとの折り合いが付かず、進展がない。三女Dと同居することとし、生活保護の受給を辞退したいので、転居先の敷金等を支給して欲しい。」旨申し出たのに対し、同課がこれに応じ、二月一五日、Cに転居先の敷金及び転居資金として三一万四一〇〇円を支給し、Cが二月一六日ころ本件住宅を退去し、②控訴人生活福祉課が、二月中旬ないし下旬ころ、控訴人住宅課に本件住宅の契約関係について照会し、控訴人住宅課も、このころCが本件住宅を退去し、Aのみが本件住宅に居住していることを知ったという事実が重要である。

この事実を前提とすると、期間の定めのない賃貸借契約とみられる本件賃貸借契約は、賃借人のCが、控訴人生活福祉課に退去の申し出をし、平成一八年二月中旬ないし下旬ころ、その事実が控訴人住宅課に伝えられ、その後三か月を経過することにより終了した(民法六一七条一項二号)ものと解される。

ウ  そして、賃借人のCは、三女Dとともに、平成一八年二月一六日ころに本件住宅から退去したが、Aが引き続き本件住宅に居住していることにより、Cには、賃貸借契約上の義務として、同居人のAを退去させて本件住宅を明渡すべき義務が残ることとなる。控訴人が、本件訴訟において、C及び被控訴人に対し、滞納使用料等及び使用料相当損害金を請求するのは、上記義務に基づくものである。

(4)ア  一方、生活保護法に基づく法律関係としては、上記前提事実(5)アないしエ及びカのとおり、①控訴人生活福祉課は、Cに対し、平成一三年一二月一日から平成一八年二月一六日までの間、保護の必要性を認めて生活保護費を支給していたところ、平成一七年二月ころ、Aからの生活保護費の受給申請を受けて、三月一日ころ、現地調査を実施し、Aが本件住宅に入居している実態を確認し、Aについて保護の必要性を認めた。②ところが、生活保護費が世帯単位で支給され(生活保護法一〇条)、既にCに対し、本件住宅の住宅扶助が支給されていたため、控訴人生活福祉課は、改めてAに対し住宅扶助を支給することは不要であるとして、AをCの世帯の同居人として位置付け、Aについて生活扶助のみの支給を開始した。③その後、Cが、平成一八年一月一九日に控訴人生活福祉課を訪ね、本件住宅からの退去及び生活保護の受給の辞退を申し入れ、二月一六日ころに転居したが、これに伴い、同課は、本件住宅にかかる生活保護費の支給について、残存したA一名を世帯主とする構成に移行させた。④その際、控訴人生活福祉課が、本件住宅の契約関係について照会したところ、Aが本件住宅の入居について、控訴人の許可を受けていないことが判明し、同課は、これを理由にAに対し住宅扶助を容認しないこととした。ただし、同課は、Aが本件住宅に対し、生活保護法上の観点から生活扶助と医療扶助は支給した。⑤その結果、Aが本件住宅に残留したものの、住宅扶助が支給されなかったことにより、平成一八年三月以降の使用料等の滞納が始まったものである。

イ  そこで、本件において信義則を検討する事情の一つとして、控訴人生活福祉課が、Aに対する住宅扶助を支給しないこととした処理の適否について検討する。

本件事実関係の下においては、①Aは、平成一四年一一月一〇日ころ、本件住宅に転入し、Cと同居を開始したが、同居するにつき、東京都大田区営住宅条例一八条に定める区長の許可を受けていなかったことは前提事実(3)のとおりであるが、当時、Cは、三女Dと同居しており、証拠上、同条例一八条二項及び三項の除外事由があることは認められないから、長男であり、生活保護の必要性が認められるAが同居することについて、区長の許可が得られないとは解されない。②控訴人生活福祉課は、平成一三年一二月一日時点でCに対する生活保護の支給決定をするに際し、本件住宅におけるCとその三女Dとの居住実態と本件住宅の契約関連書類を確認し、同時点で本件住宅への入居を許可された者がCと三女Dのみであることを認識していた。そして、控訴人生活福祉課は、Aからの生活保護費の受給申請を受けて、平成一七年三月一日ころ、現地調査を実施し、Aが本件住宅に入居している実態を確認したのであるから、Aの入居が平成一三年一二月一日時点の本件住宅の契約関連書類とは一致しないことを認識し得たはずである。その上で控訴人生活福祉課は、上記のAの生活保護の受給申請を受けて、AをCを世帯主とする世帯の同居人とし(生活保護法上、被保護者は、世帯の構成に異動があったときは、保護の実施機関にその旨を届け出なければならない<六一条>とされているから、同課は、Cにその旨の届け出をさせたものと解される。)、同世帯の生活保護費について、従前よりもAの生活扶助分を加えて支給した。これが、上記条例一八条に定める区長による同居の許可に該当するものとは解されないとしても、少なくとも、控訴人生活福祉課は、Aについて、区営住宅である本件住宅に居住する実態を把握し、Cを世帯主とする世帯の構成員と認めていたことは重要な事実である。③控訴人生活福祉課は、CからAとの同居が困難であるとして、平成一八年一月一九日に、本件住宅からの退去及び生活保護の受給の辞退の申し入れを受けて、これに応じたのであるから、Cの退去後にAのみが本件住宅に残存し、本件住宅にかかる生活保護費の支給について、残存したA一名を世帯主とする構成に移行する必要が生じることが容易に想定された。実際に、控訴人生活福祉課は、一旦は、Aを世帯主として生活保護費を支給するべく、Aに対する本件住宅の使用許可(使用の承継)につき、控訴人住宅課に照会をした。ところが、控訴人住宅課は、上記のとおり、Aについて同居の許可を得られない理由が乏しく、また証拠上、上記条例一九条二項の除外事由があることは認められないにもかかわらず、CからAへの本件住宅の使用の承継の許可を与えなかった。そこで、控訴人生活福祉課も、住宅扶助を支給しないこととしたものである。しかし、補正済みの前提事実(21)のとおり、控訴人生活福祉課は、平成二四年四月ころ、Aに対し、転居資金の全額を生活保護費のうちの一時扶助で支給し、転居先の賃料については、住宅扶助として支給し、Aについて、平成一七年三月一日から現在まで生活保護の必要性を認め、一貫して生活保護費を継続して支給している。

そうすると、Aについては、同人がCとの同一世帯を解消し、A一名を世帯主とする世帯を構成するに至った平成一八年三月一日以降、実際に住宅扶助が支給されるに至る平成二四年四月までの間についても、住宅扶助を含めた生活保護が必要であることは明らかであったといえるのであり、控訴人生活福祉課が、Aについて生活保護の必要性及び本件住宅における居住の事実、並びに本件住宅の従前の使用料等の額を認識しつつも、住宅扶助を支給しないとしたことは実質的にみて相当とは解されない。

(5)  上記に検討したとおり、控訴人生活福祉課は、Aからの生活保護の受給申請に対し、平成一八年三月一日以降も住宅扶助を支給するべきであった。すなわち、本来、CとAの身分関係から、Aの同居の許可を得られない理由が乏しい状況にあったのであるから、Cにおいて本件住宅から退去する意向が明らかとなった平成一八年一月一九日以降、控訴人住宅課と折衝した上、本件住宅の使用の承継の許可を得させることなどした上、住宅扶助を支給するよう配慮することが相当であったと解される。そして、Aに対する本件住宅の使用の承継の許可が、同年二月末日までに得られていれば、同年三月一日以降の本件住宅の使用料等の滞納は発生しなかったこととなる。

仮にAの日常の言動から、本件住宅の使用の承継の許可を得ることが困難であるという場合には、控訴人生活福祉課は、すみやかに、Aの転居先を斡旋し、新たな転居先における住宅扶助を支給するべきであった。この場合は、Aの非協力的な態度等を勘案しても、通常は一年以内に転居先を斡旋し、Aの本件住宅からの退去を実現することは、十分に可能であったものと解される。そうすると、遅くとも、原審が控訴人の被控訴人に対する滞納使用料等及び使用料相当損害金の請求が権利濫用に当たるとした平成二一年四月一日までには、Aにつき、転居先を斡旋し、本件住宅からの退去を実現できたことは明らかである。

(6)  小括

以上によれば、控訴人生活福祉課は、Aに対する必要な住宅扶助を支給して本件住宅の使用料等の滞納の発生を防止することが十分可能であったと解されるから、この点も信義則違反を基礎づける重要な事実と評価される。すなわち、この事情は、原審が控訴人の滞納使用料等及び使用料相当損害金の請求の一部が信義則に反し、権利の濫用であると説示するところに加えて、信義則違反となるというべきである。さらに、被控訴人が、本件につき附帯控訴を検討しつつも、原審の結論を受け入れるべく、あえて附帯控訴をしていない応訴態度も信義則の判断において考慮してよいであろう。

そうすると、本件において、控訴人が被控訴人に対し請求する滞納使用料等のうち、平成二一年四月以降の滞納使用料等の支払を求める部分については、信義則に反し、権利の濫用として許されないというべきである。控訴人の当審における各主張は、上記判断を左右するに足りるものとはいえず、本件においては失当というほかない。

三  結論

以上によれば、控訴人の被控訴人に対する本件請求は、原審が認容した限度で理由があり、その余は理由がないから、原判決は相当である。

よって、本件控訴を棄却することとして、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 加藤新太郎 裁判官 柴田秀 河田泰常)

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