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東京高等裁判所 平成24年(ネ)7172号 判決 2013年7月10日

控訴人

学校法人Y大学

同代表者理事長

同訴訟代理人弁護士

宮岡孝之

山中健児

江畠健彦

安藤源太

土屋真也

塚越賢一郎

仁野直樹

被控訴人

同訴訟代理人弁護士

小部正治

山添拓

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実及び理由

略称は,原判決の例による。

第1控訴の趣旨

1  原判決中,控訴人の敗訴部分を取り消す。

2  上記取消し部分に係る被控訴人の請求を棄却する。

第2事案の概要

控訴人は,業務上疾病(頸肩腕症候群)により休業中で労災保険給付(療養補償給付,休業補償給付)を受けている被控訴人に対し,労基法81条所定の打切補償を支払って行った解雇(本件解雇)は解雇権の濫用に当たらず有効であるとして,同解雇の日以降の雇用契約関係不存在の確認を求めて本訴を提起した(東京地方裁判所平成24年(ワ)第1705号)。これに対し,被控訴人は,被控訴人は同条所定の「第75条の規定によって補償を受ける労働者」に該当せず,本件解雇は同法19条1項本文に違反し無効であるとして,労働契約上の地位の確認並びに不当解雇等を理由とする損害の賠償及びこれに係る遅延損害金の支払を求めて反訴を提起した。そこで,控訴人は,上記本訴を取り下げ,被控訴人は,これに同意した。

原審は,被控訴人の地位確認請求を認容し,損害賠償等の請求を棄却した。これに対し,控訴人が控訴した(したがって,当審の審理の対象は,被控訴人の地位確認請求の当否のみである。)。

前提事実並びに争点及びこれに対する当事者の主張は,次のように,補正するほかは,原判決の事実及び理由の第2の2,3に記載のとおりであるから,これを引用する。

1  原判決3頁20行目の「上記欠勤は,」を「欠勤は,」に改める。

2  原判決4頁22行目の「(以下「本件災害補償規程」」を「(証拠<省略>。以下「本件災害補償規程」」に改める。

3  原判決8頁23行目の次に,行を改めて次のように加える。

「(c) 労災保険法19条は,所定の要件が満たされた場合は使用者が打切補償を支払ったものとみなす旨を規定している。そして,同条が適用されることによって労基法19条1項ただし書前段により解雇制限が解除される場合においては,労基法81条の「第75条の規定によって補償を受ける労働者」との要件は,労災保険法による給付を受けている労働者もこれに該当するということを当然の前提にしているからこそ満たされるものである。

(d) 昭和51年改正前の労災保険法においては長期傷病者補償給付(労働者の傷病が療養開始後3年を経過しても治らない場合に,療養補償給付及び休業補償給付に代えて行われるものであり,「年金」と「必要な療養の実施」を内容とする。)の制度があり,この長期傷病者補償給付が行われることとなった場合には,打切補償が支払われたものとみなされていた(同改正前の労災保険法19条の3第2項)。そして,昭和51年改正により,長期傷病者補償給付は廃止され,長期傷病者補償給付のうち「必要な療養の実施」を内容とする部分が「療養補償給付」に一本化され,「年金」部分が現行の「傷病補償年金」とされたものであるが,同改正前の長期傷病者補償給付の受給には,現行の傷病補償年金のような傷病等級の要件がなかった。そうすると,現行法において療養補償給付及び休業補償給付を受けている労働者について打切補償を支払うことにより解雇することができないと解するとすれば,上記改正により解雇制限が解除される場合が狭まり,解雇制限に反する解雇をしたことにより処罰(労基法119条1号)される範囲が広がったこととなるが,このような解釈は,罪刑法定主義の原則からして許されない。

(e) 傷病等級が3級に至らずに傷病補償年金は受給していないが療養補償給付及び休業補償給付を長期間受け続けている労働者を打切補償の支払により解雇することができないと解すると,このような者について解雇制限の解除が認められる余地が全くなくなってしまう。そうすると,上記(a)の打切補償の支払による解雇制限解除の制度趣旨に反する上,使用者は,労基法上の療養補償や休業補償を行う義務は負わないものの,社会保険料等の公的な諸費用を負担し続けなければならないこととなり,不当である。」

4  原判決8頁24行目の「(c)」を「(f)」に改める。

5  原判決11頁19行目の「もっとも反訴被告は,」から12頁6行目の「しかし」までを削除する。

第3当裁判所の判断

1  当裁判所も,被控訴人の地位確認請求は理由があるものと判断する。その理由は,以下のとおりである。

(1)  本件解雇は,労災保険法に基づく療養補償給付及び休業補償給付を受給していた被控訴人に対し,控訴人が,労基法81条所定の打切補償を支払って行ったものである。そこで,かかる解雇が労基法19条1項の解雇制限に反するかどうかが問題となるところ,この点に関する法令の規定は,以下のとおりである。

(a) 労基法19条1項本文は,労働者が業務上負傷し,又は疾病にかかり療養のために休業する期間及びその後30日間の解雇を原則として禁止している。

(b) 労基法75条は,労働者が業務上負傷し,又は疾病にかかった場合においては,使用者は,その費用で必要な療養を行い,又は必要な療養の費用を負担しなければならないものと定めるが,同法84条1項は,労災保険法に基づいて災害補償に相当する給付がなされるべきものである場合には,使用者はこの災害補償を行う義務を免れるものとしている。

(c) 労基法81条は,同法75条の規定によって補償を受ける労働者が,療養開始後3年を経過しても負傷又は疾病が治らない場合においては,使用者は,平均賃金の1200日分の打切補償を支払えば,その後は上記(b)の災害補償を行わなくてもよいものと定め,労基法19条1項ただし書前段は,使用者がこの打切補償を支払う場合には上記(a)の解雇制限は解除されるものとしている。

(d) 労災保険法12条の8第1項は,保険給付として,療養補償給付,休業補償給付,傷病補償年金等を定めている。そして,同条3項は,傷病補償年金は,業務上負傷し,又は疾病にかかった労働者が,当該負傷又は疾病に係る療養の開始後1年6月を経過した日において,当該負傷又は疾病が治っておらず,かつ,これによる障害の程度が厚生労働省令で定める傷病等級に該当するとき,又は同日後これらに該当することとなったときに,その状態が継続している間,当該労働者に対して支給することとしている。

(e) 労災保険法19条は,業務上負傷し,又は疾病にかかった労働者が,当該負傷又は疾病に係る療養の開始後3年を経過した日において傷病補償年金を受けている場合又は同日後において傷病補償年金を受けることとなった場合には,労基法19条1項の規定の適用については,当該使用者は,それぞれ,当該3年を経過した日又は傷病補償年金を受けることとなった日において,労基法81条の規定により打切補償(上記(c))を支払ったものとみなすこととしている。

(f) 昭和51年改正前の労災保険法においては,長期傷病者補償給付(労働者の傷病が療養開始後3年を経過しても治らない場合に,療養補償給付及び休業補償給付に代えて行われるものであり,「年金」と「必要な療養の実施」を内容とする。)の制度があり,この長期傷病者補償給付が行われることとなった場合には,打切補償が支払われたものとみなされていた(同改正前の労災保険法19条の3第2項)。そして,昭和51年改正により,長期傷病者補償給付は廃止され,長期傷病者補償給付のうち「必要な療養の実施」を内容とする部分が「療養補償給付」に一本化され,上記「年金」部分が現行の「傷病補償年金」とされたものである。ただし,昭和51年改正前の長期傷病者補償給付の受給には,現行の傷病補償年金のような傷病等級の要件(上記(d))はなかった(証拠<省略>)。

(2)  以上を前提に,控訴人は,業務上負傷し,又は疾病にかかり,労災保険法に基づく療養補償給付及び休業補償給付を受けている労働者は,労基法81条所定の「第75条の規定によって補償を受けている労働者」に該当し,使用者は,打切補償を支払うことにより,労基法19条1項ただし書によって同項本文の解雇制限規定の適用を免れることができると主張する。

そこで判断するに,上記(1)のとおり,労基法81条は,同法の「第75条の規定によって補償を受ける労働者」が療養開始後3年を経過しても負傷又は疾病が治らない場合において,打切補償を支払うことができる旨を定めており,労災保険法に基づく療養補償給付及び休業補償給付を受けている労働者については何ら触れていない。また,労基法84条1項は,労災保険法に基づいて災害補償に相当する給付がなされるべきものである場合には,使用者はこの災害補償をする義務を免れるものとしているにとどまり,この場合に使用者が災害補償を行ったものとみなすなどとは規定していない。そうすると,労基法の文言上,労災保険法に基づく療養補償給付及び休業補償給付を受けている労働者が労基法81条所定の「第75条の規定によって補償を受けている労働者」に該当するものと解することは困難というほかはない。

このように解すると,使用者は,療養開始後3年を経過しても負傷又は疾病が治らずに労働ができない労働者に対し,災害補償を行っている場合には打切補償を支払うことにより解雇することが可能となるが,労災保険法に基づく療養補償給付及び休業補償給付がなされている場合には打切補償の支払によって解雇することができないこととなる。しかし,労基法19条1項ただし書前段の打切補償の支払による解雇制限解除の趣旨は,療養が長期化した場合に使用者の災害補償の負担を軽減することにあると解されるので(証拠<省略>),このような差が設けられたことは合理的といえる。もっとも,労災保険法に基づく療養補償給付及び休業補償給付がなされている場合においても,雇用関係が継続する限り,使用者は社会保険料等を負担し続けなければならない。しかし,使用者の負担がこうした範囲にとどまる限りにおいては,症状が未だ固定せず回復する可能性がある労働者について解雇制限を解除せず,その職場への復帰の可能性を維持して労働者を保護する趣旨によるものと解されるのであって,使用者による社会保険料等の負担が不合理なものとはいえない。

また,前記のように解すると,療養開始後3年を経過しても負傷又は疾病が治らずに労働ができない労働者について,傷病補償年金の支給がされている場合には打切補償を支払ったものとみなされて解雇が可能となるのに対し,療養補償給付及び休業補償給付の支給がなされているにとどまる場合には使用者が現実に打切補償を支払っても解雇することができないという大きな差が生じることとなる。しかし,症状が厚生労働省令で定める重篤な傷病等級に該当する場合においては,復職の可能性が低いものとして雇用関係を解消することを認めるのに対し,症状がそこまで重くない場合には,復職の可能性を維持して労働者を保護しようとする趣旨によるものと解されるのであって,上記のような差異も合理的というべきである(証拠<省略>)。

したがって,法は,以上のような趣旨から,療養開始後3年を経過しても負傷又は疾病が治らずに労働ができない労働者が労災保険法に基づく療養補償給付及び休業補償給付を受給している場合においては,使用者が打切補償を支払うことにより解雇することはできないものと定めているものと解するのが相当である。

(3)  以上に対し,控訴人は,労災保険法19条を引き合いに出し,同条は所定の要件が満たされた場合は使用者が打切補償を支払ったものとみなす旨を規定しているところ,同条が適用されることによって労基法19条1項ただし書前段により解雇制限が解除される場合においては,労基法81条の「第75条の規定によって補償を受ける労働者」との要件は,労災保険法による給付を受けている労働者もこれに該当するということを当然の前提にしているからこそ満たされるものであると主張する。

しかし,労災保険法19条は,所定の要件が満たされた場合には労基法「81条の規定により打切補償を支払ったものとみなす」と規定しているのであるから,この場合には,単に打切補償が支払われたものとみなされるのみならず,労基法「75条の規定によって補償を受ける労働者」に対して使用者が打切補償を支払ったものとみなされるものと解するべきである。したがって,労災保険法19条の適用の場面においても,労災保険法による給付を受けている労働者が労基法81条の「第75条の規定によって補償を受ける労働者」に該当することを前提にしなければならないものとはいえず,むしろ労災保険法19条により打切補償を支払ったとみなされる場合が上記のとおり限定されていることこそが重要であるというべきであるから,控訴人の上記主張は理由がない。

(4)  また,控訴人は,労基法上の災害補償と労災保険法による保険給付との同質性(密接な連結関係)を理由として,労災保険法により療養補償給付及び休業補償給付を受けている労働者は労基法81条所定の「第75条の規定によって補償を受けている労働者」に該当するものと主張する。

労災保険法による保険給付は,実質的に労基法上の災害補償を肩代わりするものであって,いずれの趣旨も労働者の被った損害を補償するという点では共通している。しかし,上記(2)のとおり,労基法の規定の文言上,労災保険法により療養補償給付及び休業補償給付を受けている労働者が労基法81条所定の「第75条の規定によって補償を受けている労働者」に該当するものと解することは困難であり,かつ,両者は,使用者が負っている負担の違いに応じて区別して扱うように定められたものと解するべきものである。そして,労基法19条1項本文の解雇制限は,労働者が解雇されるおそれなく業務上の負傷,疾病の療養等を行うことができるようにすることをその趣旨とするものなのであるから,その重要性に鑑みれば,給付の趣旨が共通しているからといって,両者を同一視して解雇制限の解除の範囲を広く解することは相当ではない。

したがって,控訴人の上記の主張も失当というべきである。

(5)  さらに,控訴人は,労災保険法に基づく療養補償給付及び休業補償給付を受けている労働者について打切補償を支払うことにより解雇することができないと解するとすれば,昭和51年改正により解雇制限が解除される場合が狭まり,解雇制限に反する解雇をしたことにより処罰(労基法119条1号)される範囲が広がったこととなり,罪刑法定主義の原則からして許されないと主張する。

しかし,このような法改正の経緯が現在の法令の解釈を必ずしも左右するものとはいえないし,いずれにしても労基法19条1項違反の刑事罰(同法119条1号)の構成要件はそれぞれの時点において明確なのであって,上記の解釈に罪刑法定主義に抵触する点は何ら見いだせない。したがって,控訴人のこの点の主張も失当である。

その他,控訴人は,関係法令の改正の過程について縷々主張するが,いずれも上記解釈を左右するものではない。

(6)  なお,原判決の事実及び理由の第2の2(3)のとおり,控訴人は,本件災害補償規程に基づき法定外の補償金を支払っているが,これもあくまで私的自治の領域においてなされたことであるから,このことが上記解釈を左右するものではない。

(7)  以上によれば,労災保険法により療養補償給付及び休業補償給付を受けている労働者は,労基法81条所定の「第75条の規定によって補償を受けている労働者」に該当しないものと解される。したがって,被控訴人に対して本件打切補償金を支払ってした控訴人の本件解雇は有効とは認められない。

よって,その余の点を検討するまでもなく,被控訴人の地位確認請求は理由がある。

2  以上によれば,被控訴人の地位確認請求を認容した原判決は相当であり,本件控訴は理由がないから,これを棄却することとし,主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 坂井満 裁判官 太田武聖 裁判官 内田博久)

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