東京高等裁判所 平成24年(行ケ)6号 判決 2013年1月31日
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
第1請求の趣旨
1 神戸地方海難審判所が,平成24年2月15日,平成▲年神審第▲号a事件について,原告に対してした原告の小型船舶操縦士の業務を1箇月停止するとの裁決を取り消す。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
第2事案の概要
1 本件は,油送船と底びき網をえい網しながら航行中の漁船とが衝突し,油送船には擦過傷等を生じ,漁船は沈没し,同船甲板員1人が行方不明となり,後に死亡認定された海難事故について,神戸海難審判所が,平成24年2月15日,平成▲年神審第▲号a事件(以下「本件海難事件」という。)において,漁船の船長である原告に対して,原告の小型船舶操縦士の業務を1箇月停止するとの裁決(以下「本件裁決」という。)を言い渡したため,原告が,その取消しを求めるものである。
2 法令の定め
(1) 海上衝突予防法(以下「予防法」という。)は,1972年の海上における衝突の予防のための国際規則に関する条約に添付されている1972年の海上における衝突の予防のための国際規則の規定に準拠して,船舶の遵守すべき航法,表示すべき灯火及び形象物並びに行うべき信号に関し必要な事項を定めることにより,海上における船舶の衝突を予防し,もって船舶交通の安全を図ることを目的とし(同法1条),海洋及びこれに接続する航洋船が航行することができる水域の水上にある船舶について適用される(同法2条)。
(2) 船舶の遵守すべき航法
予防法は,船舶の遵守すべき航法につき,あらゆる視界の状態における船舶の航法(同法第2章第1節)を定めるとともに,互いに他の船舶の視野の内にある船舶の航法(同章第2節)及び視界制限状態(霧,もや,降雪,暴風雨,砂あらしその他これらに類する事由により視界が制限されている状態をいう(同法3条12項)。)における船舶の航法(同法第2章第3節)に分けて規律している。
ア あらゆる視界の状態における船舶の航法
予防法は,あらゆる視界の状態における船舶の航法として,船舶は,他の船舶との衝突のおそれについて十分に判断することができるように,視覚,聴覚及びその時の状況に適した他のすべての手段により,常時適切な見張りをしなければならない(同法5条),他の船舶との衝突のおそれがあるかどうかを判断するため,その時の状況に適したすべての手段を用いなければならず(同法7条1項),レーダーを使用している船舶は,他の船舶と衝突するおそれがあることを早期に知るための長距離レーダーレンジによる走査,探知した物件のレーダープロッティングその他の系統的な観察等を行うことにより,当該レーダーを適切に用いなければならない(同条2項),接近してくる他の船舶のコンパス方位に明確な変化が認められない場合は,これと衝突するおそれがあると判断しなければならず(同条4項),他の船舶と衝突するおそれがあるかどうかを確かめることができない場合は,これと衝突するおそれがあると判断しなければならない(同条5項)とし,他の船舶との衝突を避けるための動作をとる場合は,できる限り,十分に余裕のある時期に,船舶の運用上の適切な慣行に従ってためらわずにその動作をとらなければならない(同法8条1項),船舶は,他の船舶との衝突を避けるための針路又は速力の変更を行う場合は,できる限り,その変更を他の船舶が容易に認めることができるように大幅に行わなければならない(同条2項)としている。
イ 互いに他の船舶の視野の内にある船舶の航法
(ア) 各種船舶間の航法(予防法18条)
予防法は,互いに他の船舶の視野の内にある船舶の航法として,同法18条で,各種船舶間の航法を定めており,航行中の動力船(機関を用いて推進する船舶をいう(同法3条2項)。)は,運転不自由船(船舶の操縦性能を制限する故障その他の異常な事態が生じているため他の船舶の進路を避けることができない船舶をいう(同法3条6項)。),操縦性能制限船(船舶の操縦性能を制限する作業に従事しているため他の船舶の進路を避けることができない船舶をいう(同条7項)。),漁ろうに従事している船舶(船舶の操縦性能を制限する網,なわその他の漁具を用いて漁ろうをしている船舶(操縦性能制限船に該当するものを除く。)をいう(同条4項)。)及び帆船(帆のみを用いて推進する船舶及び機関のほか帆を用いて推進する船舶であって帆のみを用いて推進しているものをいう(同条3項)。)の進路を避けなければならず(同法18条1項),航行中の帆船(漁ろうに従事している船舶を除く。)は,運転不自由船,操縦性能制限船及び漁ろうに従事している船舶の進路を避けなければならず(同条2項),航行中の漁ろうに従事している船舶は,できる限り,運転不自由船及び操縦性能制限船の進路を避けなければならない(同条3項)としている。
(イ) 横切り船の航法(予防法15条)
また,予防法は,互いに他の船舶の視野の内にある船舶の航法として,同法15条で横切り船の航法を定め,2隻の動力船が互いに進路を横切る場合において衝突するおそれがあるときは,他の動力船を右舷側に見る動力船は,当該他の動力船の進路を避けなければならないとしている(同条1項)が,この横切り船の航法は,各種船舶間の航法の適用がある場合には適用されない(同条2項において準用する14条1項ただし書)。
(ウ) 避航船(予防法16条)及び保持船(同法17条)
そして,予防法は,同法の規定により他の船舶の進路を避けなければならない船舶(以下「避航船」という。)は,当該他の船舶から十分遠ざかるため,できる限り早期に,かつ,大幅に動作をとらなければならず(同法16条),当該他の船舶は,その針路及び速力を保たなければならない(同法17条1項。以下,当該他の船舶を「保持船」という。)としたうえで,保持船は,避航船が同法の規定に基づく適切な動作をとっていないことが明らかになった場合は,同項の規定にかかわらず,直ちに避航船との衝突を避けるための動作をとることができ(同条2項),また,避航船と間近に接近したため,当該避航船の動作のみでは避航船との衝突を避けることできないと認める場合は,同条1項の規定にかかわらず,衝突を避けるための最善の協力動作をとらなければならない(同条3項)としている。
(3) 船舶の表示すべき灯火及び形象物
ア 通則(予防法20条)
予防法は,船舶が表示すべき灯火及び形象物につき,船舶は,同法に定める灯火(以下「法定灯火」という。)を日没から日出までの間表示しなければならず,また,この間は,法定灯火と誤認されるおそれがなく,かつ,法定灯火の視認又はその特性の識別をさまたげることとならず,さらに,見張りを妨げることとならない灯火を除き,法定灯火以外の灯火を表示してはならないとし(同条1項),また,昼間においては同法に定める形象物を表示しなければならないとしている(同条3項)。
イ 航行中の動力船が表示すべき法定灯火(予防法23条)
予防法は,航行中の動力船は,①前部にマスト灯(225度にわたる水平の弧を照らす白灯であって,その射光が正船首方向から各舷正横後22度30分までの間を照らすように船舶の中心線上に装置されるものをいう(同法21条1項)。)1個を掲げ,かつ,そのマスト灯よりも後方の高い位置にマスト灯1個を掲げること,②舷灯(それぞれ112度30分にわたる水平の弧を照らす紅灯及び緑灯の一対であって,紅灯にあってはその射光が正船首方向から左舷正横後22度30分までの間を照らすように左舷側に装置される灯火をいい,緑灯にあってはその射光が正船首方向から右舷正横後22度30分までの間を照らすように右舷側に装置される灯火をいう(同条2項)。)一対を掲げること,③できる限り船尾近くに船尾灯(135度にわたる水平の弧を照らす白灯であって,その射光が正船首方向から各舷67度30分までの間を照らすように装置されるものをいう(同条4項)。)1個を掲げることにより,灯火を表示しなければならない(同法23条1項)が,航行中の長さ12メートル未満の動力船は,これらの灯火の表示に代えて,白色の全周灯1個及び舷灯一対(又は両色灯1個)を表示することができる(同条4項)としている。
ウ 漁ろうに従事している船舶が表示すべき法定灯火及び形象物(予防法26条)
予防法は,航行中又はびょう泊中の漁ろうに従事している船舶であって,トロール(けた網その他の漁具を水中で引くことにより行う漁法をいう。)により漁ろうに従事しているもの(以下「トロール従事船」という。)のうち,長さ20メートル未満のものについては,①緑色の全周灯(360度にわたる水平の弧を照らす灯火をいう(同法21条6項)。)1個を掲げ,かつ,その垂直線上の下方に白色の全周灯1個を掲げること,②対水速力を有する場合は,舷灯一対又は両色灯(紅色及び緑色の部分からなる灯火であって,その紅色及び緑色の部分がそれぞれ舷灯の紅灯及び緑灯と同一の特性を有することになるように船舶の中心線上に装置されるものをいう(同法21条3項)。)1個を掲げ,かつ,できる限り船尾近くに船尾灯1個を掲げること,③2個の同形の円すいをこれらの頂点で垂直線上の上下に結合した形の形象物1個を掲げることにより灯火又は形象物を表示しなければならないとしている(同法26条1項)。なお,トロール従事船以外の航行中又はびょう泊中の漁ろうに従事している船舶については,①紅色の全周灯1個を掲げ,かつ,その垂直線上の下方に白色の全周灯1個を掲げること,②対水速力を有する場合は,舷灯一対を掲げ,かつ,できる限り船尾近くに船尾灯1個を掲げること,③漁具を水平距離150メートルを超えて船外に出している場合は,その漁具を出している方向に白色の全周灯1個を掲げること,④トロール従事船と同様の形象物を掲げることにより灯火及び形象物を表示しなければならないとしている(同条2項)。
エ 灯火の視認距離(予防法22条)
予防法22条は,長さ50メートル以上の船舶が表示する灯火は,マスト灯につき6海里以上,舷灯,船尾灯及び全周灯につきいずれも3海里以上の視認距離を得るのに必要な光度を有するものでなければならず,長さ12メートル未満の船舶が表示する灯火は,マスト灯,船尾灯,全周灯につきいずれも2海里以上,舷灯につき1海里以上の視認距離を得るのに必要な光度を有するものでなければならないとしている。
(4) 船舶の行うべき操船信号及び警告信号(予防法34条)
予防法は,航行中の動力船が,互いに他の船舶の視野の内にある場合において,同法の規定によりその針路を左右に転じ,又はその機関を後進にかけているときは,それぞれに対応して定められたところにより,汽笛信号を行わなければならず(同法34条1項),同項の汽笛信号を行わなければならない場合は,それぞれに対応して定められたところにより,発光信号を行うことができる(同条2項)とし,また,互いに他の船舶の視野の内にある船舶が互いに接近する場合において,船舶は,他の船舶の意図若しくは動作を理解することができないとき,又は他の船舶が衝突を避けるために十分な動作をとっていることについて疑いがあるときは,警告信号として,直ちに急速に短音(約1秒間継続する吹鳴をいう(同法32条2項)。)を5回以上鳴らすことにより汽笛信号を行わなければならず,この場合において,その汽笛信号を行う船舶は,急速にせん光を5回以上発することにより発光信号を行うことができるとしている(同法34条5項)。
(5) 船員の常務等(予防法38条及び39条)
予防法は,同法の規定を履行するに当たっては,運航上の危険及び他の船舶との衝突の危険に十分注意し,かつ,切迫した危険のある特殊な状況に十分注意しなければならないこと(同法38条1項),船舶は,切迫した危険のある特殊な状況にある場合においては,切迫した危険を避けるために同法の規定によらないことができること(同条2項),同法の規定は,適切な航法で運航し,灯火若しくは形象物を表示し,若しくは信号を行うこと又は船員の常務として若しくはその時の特殊な状況により必要とされる注意をすることを怠ることによって生じた結果について,船舶,船舶所有者,船長又は海員の責任を免除するものではないこと(同法39条)を定めている。
(6) 職務上の故意又は過失によって海難を発生させた海技士又は小型船舶操縦士に対する懲戒についての海難審判法の定め
海難(①船舶の運用に関連した船舶又は船舶以外の施設の損傷,②船舶の構造,設備又は運用に関連した人の死傷及び③船舶の安全又は運航の阻害をいう(海難審判法2条)。)が海技士,小型船舶操縦士の職務上の故意又は過失によって発生したものであるときは,海難審判所が,裁決をもって,懲戒しなければならない(同法3条)が,懲戒は,免許の取消し,1箇月以上3年以下の業務の停止及び戒告の三種とされ,その適用は,行為の軽重に従って定めることとされている(同法4条)。
3 前提となる事実
以下の事実は,当事者間に争いがないか,証拠(甲1,乙1,3,4。なお,乙1(海難審判一件記録)中の個別の文書を特定して掲記する場合は,一件書類目録記載の番号を用いて,番号1の文書であれば,「乙1-1」と,第1回審判調書中の供述を特定して掲記する場合は,「乙1-調書」とそれぞれ表示し,さらに,それらの特定部分のみを掲記するときは,乙1の通し丁数を付記して表示するものとする。)及び弁論の全趣旨により認められる。
(1) 海難事故の発生
平成▲年▲月▲日午前▲時▲分,石川県α港西方沖合において,同港に向け航行中の別紙船舶目録記載1の油送船b(総トン数3317トン。以下「b」という。)の船首部と,底びき網をえい網しながら航行中の別紙船舶目録記載2の漁船c(総トン数6.93トン。以下「c」という。)の右舷後部とが,α港西防波堤灯台(以下「西防波堤灯台」という。)から真方位▲度▲海里の地点で衝突し,bのバルバスバウ(船首部の喫水線下の球状の突起構造)に擦過傷等を,cの右舷後部外板に破口等をそれぞれ生じ,cはその後沈没し,同船甲板員1名が行方不明となり,後に死亡認定された(以下,この海難事故を「本件事故」という。)。本件事故に至るまでのc及びbの航跡及び衝突時の位置関係は別紙図面1(参考図)記載のとおりである。
(2) 原告は,昭和44年頃から大型漁船に甲板員として乗船した後,昭和56年に一級小型船舶操縦士の操縦免許を取得し,平成2年頃から底びき網漁船の船長職を執るようになり,平成21年9月にcを所有する有限会社dと契約して,初めてcに乗船し,平成22年6月までcの船長職を執ることとなっていた者であり,本件事故発生当時,cの操船を行っていた。
(3) e(以下「e二等航海士」という。)は,昭和51年甲種二等航海士の海技免許を取得して,その翌年から貨物船の航海士として乗船し,平成62年にbの所有者であるf株式会社に入社して,油送船の甲板員,航海士として乗船した後,平成7年に船長となって,平成12年にbの船長職を執るようになったものの,その後の怪我で長期間乗船することができなかったことから,平成14年,bの二等航海士として職場復帰し,船長の陸上休暇取得中は,職務変更して船長職を執っていた者であり,本件事故発生当時,bの二等航海士として,甲板手1名とともに,船橋当直に就いており,本件海難事件について,原告とともに受審人とされ,平成24年2月15日,神戸地方海難審判所から,三級海技士(航海)の業務を1箇月停止する旨の裁決の言渡しを受けた。
(4) cの構造及び設備並びに底びき網漁等
cは,船体のほぼ中央部に操舵室を,その後方に機関室を有するFRP(繊維強化プラスチック)製漁船で,汽笛を装備し,毎年9月から翌年6月まで底びき網漁業に従事しており,操舵室には,前部中央に舵輪が,前部左舷角にGPSプロッター画面にレーダーが重畳表示されるレーダープロッターが,同プロッターの上部に機関計器パネルが,舵輪の右舷側に機関操縦レバーが,舵輪の上部に自動操舵装置がそれぞれ装備されていた。
灯火設備については,マスト灯,両舷灯及び船尾灯に加えて,マストに緑色全周灯,白色全周灯及び黄色回転灯を装備していたほか,操舵室前面上部の両舷に船首甲板に向けて,同室左右両側面上部に下方に向けて,及び同室左舷前方の舷門部に下方に向けて,300ワット又は500ワットの傘付き投光器計7個を,船員室上部の鳥居型マストの両舷に船尾甲板に向けて300ワット又は500ワットの傘のない投光器各1個を,並びに舷門部を除く各投光器の下方に100ワットのグローブ付き作業灯計6個をそれぞれ備えていた。
cの底びき網漁は,えい網の開始地点にたるを投入して,これに連結した黒色で芯にワイヤーロープが入った1000メートルのえい網索(以下「手前網」という。),長さ15メートルのチェーン,鉛の粒が編み込まれた650メートルのえい網索(以下「奥網」という。),袋網,奥綱,チェーン及び手前綱を順に投じながら反時計回りにかけ回し,開始地点に戻って,たるを揚収して投網を終えたのち,えい網索の端のアイ(目穴)を船尾甲板にあるフックにかけて,約1.5ノットの速力でえい網したのち,揚網するもので,投網に約30分,えい網に約1時間,揚網に約45分を要する。
原告は,夜間,cの底びき網漁操業中,マスト灯,両舷灯及び船尾灯を表示するほか,自船が周りからよく見えるようにと,備えている全ての投光器及び作業灯(以下,投光器と作業灯とを併せて「作業灯火」という。)を点灯することとし,また,かけ回し投網中は,自船の操業状態を周囲の他の漁船に示すために黄色回転灯1個を点灯していたが,予防法に規定されたトロール従事船の法定灯火である緑色全周灯1個及び白色全周灯1個を表示したことはなかった。
(5) bの構造及び設備等
bは,船尾船橋型の鋼製油送船で,専ら岡山県β港及び茨城県γ港を積み地,α港,δ港,新潟県ε港及び北海道の諸港を揚げ地として石油製品の輸送業務に従事しており,α港には,かつては年間約70回,本件事故前2,3年は年間約10回の頻度で入港していた。
操舵室は,両舷ウイングを一体にした構造で,操舵室集合分電盤や火災警報装置などが設置された中央部後壁を除いた周囲全てに窓が設けられており,その天井には光反射防止布が施されておらず,同室には,前部中央に操舵装置が,その左舷側に1号レーダー,2号レーダー及びベックツインラダー操縦装置が,操舵装置の右舷側に電子海図表示装置及び機関操縦盤がそれぞれ順に装備されていた。
(6) bの運航状況
ア 本件事故前の運航状況
bは,船長g(以下「g船長」という。),e二等航海士ほか9人が乗り組み,ガソリン1400キロリットル,灯油3070キロリットルを積載し,船首5.10メートル船尾6.60メートルの喫水をもって,平成22年5月8日午後1時30分β港を発し,α港に向かった。
g船長は,船橋当直を午前0時から午前4時まで及び午後0時から午後4時までをe二等航海士と甲板手1名が,午前4時から午前8時まで及び午後4時から午後8時までを一等航海士と甲板手1名が,午前8時から午後0時まで及び午後8時から午前0時までを三等航海士と甲板手1名がそれぞれ2人で当直する(入直する)4時間3直制とし,瀬戸内海を西行して,ζ海峡を経て日本海に至り,山口県,島根県及び鳥取県の北方沖合を東行した。
e二等航海士は,同月9日午後11時45分,福井県η岬北西方沖合約30海里のところで昇橋し,前直の三等航海士から針路,速力,機関回転数,多数のいか釣り漁船などが出漁していることなどを引き継いで,相当直の甲板手と共に船橋当直に就き,航行中の動力船の法定灯火を表示して,同県の北西方沖合を東行した。
e二等航海士は,1号レーダーを6海里レンジのコースアップ表示として,船首方が9海里映るようにオフセンターとして使用し(2号レーダーは停止状態であった。),いか釣り漁船の集魚灯を見ては,レーダーでその漁船の方位と距離を確かめ,底びき網漁船等の他の漁船を見掛けることなく当直に当たっていたところ,やがて船首方にいか釣り漁船4隻の集魚灯を視認するようになった。
e二等航海士は,自船に近い方のいか釣り漁船2隻の内の1隻が青っぽいLED集魚灯を使用していたので,珍しく感じ,同集魚灯の様子を見るために近寄ることとし,同月▲日(以下「本件事故当日」という。)午前2時15分(以下,本件事故当日については,時刻のみにて表示する。)頃,その漁船まで約1海里に接近したところで,自ら手動操舵で左転して船首方向を010度(真方位。以下,同じ。)とし,北上して同漁船2隻が右舷船尾方となった後,午前2時24分頃,元の針路線に戻すため,手動操舵で右転し,船首方向を100度として東行した。
e二等航海士は,船首方に次のいか釣り漁船2隻の集魚灯を見ながら手動操舵に当たり,その後手動操舵を甲板手と交替して,甲板手が自動操舵に切り替えた後,操舵室左舷後部の海図台に赴いてGPSプロッターで船位を確かめ,その船位から西防波堤灯台の北方約1海里に直接向けることとし,甲板手に指示して,午前2時31分半少し前同灯台から262.5度18.8海里の地点で,針路を080度に定め,機関を回転数毎分186の全速力前進にかけ,折からの海流により,左方に2.5度圧流されながら,13.7ノットの速力(対地速力。以下,同じ。)で,自動操舵により進行した。
定針後,e二等航海士は,甲板手から船内巡検を行いたい旨の申出を受けたため,目視とレーダーで周囲を一べつし,右舷船首方となったいか釣り漁船のほかには他の船舶がいないようだと認識したことから,甲板手を船内巡検に赴かせた。
イ 衝突時の状況等
こうして,e二等航海士は,新たに見えてきた右舷船首方遠方のいか釣り漁船の集魚灯の明かりを見ながら続航中,午前▲時▲分,西防波堤灯台から▲度▲海里の地点において,原針路,原速力のまま,bの船首部を,cの右舷後部に,前方から35度の角度で衝突させた。
e二等航海士は,波に打たれたときのような船体振動を感じたことから,直ちに機関を回転数毎分170に減じ,操舵室右舷後方の通路に出て双眼鏡で海面を見たものの,何も発見できなかったので,機関回転数を元に戻して当直を続けた。
その後,午前4時5分,g船長は,α港に入港して投錨したところ,海上保安庁による調査が行われ,その結果,船首部に真新しい擦過傷等があることが分かり,cと衝突したことを知って事後の措置に当たった。
(7) cの運航状況
ア 本件事故前の運航状況
cは,原告のほか甲板員h(昭和▲年▲月▲日生。以下「h甲板員」という。)が乗り組み,底びき網漁の目的で,船首0.50メートル船尾1.80メートルの喫水をもって,平成22年5月9日午後11時40分,α港を発し,同港西方沖合約15海里の漁場に向かった。
原告は,水を感知すると自動的に膨張するタイプの救命胴衣を所持して,出漁中は常に着用することとしており,cに一緒に乗船することとなったh甲板員に対しても,出漁中は同人が所持していた同じタイプの救命胴衣を着用するよう指示していた。
原告は,航行中の動力船の法定灯火を表示して西行し,午前1時20分頃,予定の漁場に到着し,東方約1海里のところに,いつもほぼ同じ漁場で操業する僚船の作業灯火の明かりを見ながら,トロール従事船の法定灯火を表示しないまま,作業灯火を点灯し,さらに,投網中であることを他の漁船に示す趣旨で黄色回転灯を点灯して操業を開始した。
原告は,投網を終えて黄色回転灯を消灯したのち,午前1時50分頃,西防波堤灯台から267度14.1海里の地点で,針路を225度に定めて自動操舵とし,エコートレイル機能を自動として6海里レンジのノースアップ表示としたレーダープロッターの速力表示を見ながら,機関を回転数毎分1000にかけ,折からの海流に抗して,1.5ノットの速力で,えい網しながら進行した。
原告は,h甲板員と共に揚網機に巻かれたもう一つの袋網を繰り出して次の操業の準備を終え,h甲板員に船員室で休憩をとらせる一方,自らは操舵室に戻り,雨合羽を脱いでトイレに行った後,操舵室後部の棚に腰掛けて操船に当たっていたところ,午前2時12分頃,レーダープロッターの四角い画面隅の固定距離マーカーの外側に当たる右舷船首方約7.5海里に,西方に伸びたエコートレイルの航跡が表示されたbのレーダー映像を初めて認めた。そこで,原告は,操舵室右舷側の窓から顔を出してその方向を見たところ,同船の東行する態勢のマスト灯2個を視認したため,同船が,α港に向かう船舶で自船の船首方を航過するものと考えた。
原告は,操舵室天井の丸形蛍光灯を点灯して,投網地点,針路,水深,時刻などを帳面に記入し,午前2時23分頃,再びレーダープロッター画面を見たところ,右舷船首方約5.8海里となったbのレーダー映像に,南方に伸びたエコートレイルの航跡が表示されているのを認め,同船が転針して能登半島北方沖合に向かったから自船とは関係がなくなったと考えて進行した。
イ 衝突時の状況等
こうして,原告は,船尾方を見てえい網索の状態を確かめたり,帳面の操業記録を見て次の漁場をどこにするか検討したりしていたところ,ふとbのことを思い出し,同船の航海灯を確かめようと操舵室右舷側の窓から顔を出そうとしたとき,目前に迫った同船を視認したものの,衝突回避措置をとる間もなく,原針路,原速力のまま,cの右舷後部を,bの船首部に衝突させた。
衝突の結果,bは,バルバスバウに擦過傷等を生じただけであったが,cは,右舷後部外板に破口などを生じ,bに押されて転覆し,後に沈没した。また,原告は,cが転覆した後,操舵室右舷側の縦約40センチ横約30センチの狭い窓から脱出し,海面に浮上した後,着用していた救命胴衣を手動で膨張させて漂流していたところ,bの通過後にcの投光器等の明かりが見えなくなったことに気付いて駆けつけた僚船の乗務員により救助されたが,右肘打撲等を負った。また,h甲板員は,cが転覆し沈没した際に行方不明となり,その後,その死亡が認定された。
(8) 審判開始の申立て
本件海難事件を認知した神戸地方海難審判所理事官は,調査の上,平成23年2月16日,神戸地方海難審判所に対し,本件海難事件につき,受審人を原告及びe二等航海士として,審判開始の申立てを行い,同年12月2日,審判開始申立書変更書を提出して,審判開始申立書の事実の概要の記載のうち,cについて,「トロールにより漁ろうに従事している」との記載を「操業中の漁船である」に,「漁ろうに従事している」との記載を「操業中である」に変更することを含む記載事項の変更を行った。
(9) 本件裁決
神戸地方海難審判所は,平成23年12月9日の第1回審判期日において,①人定質問,②理事官の事件の概要及び審判開始申立理由の陳述,③審判開始申立理由等についての受審人及び補佐人の陳述,④証拠調べ,⑤受審人に対する尋問,⑥理事官の意見陳述,⑦受審人の意見陳述,⑧補佐人の意見陳述,⑨最終陳述を経て,結審し,平成24年2月15日の第2回審判期日において,「本件衝突は,夜間,α港西方沖合において,同港に向け航行しているbと,底びき網をえい網しているcとが,衝突のおそれがある態勢で接近した際,bが,見張り不十分で,警告信号を行わず,衝突を避けるための措置をとらなかったことと,cが,漁ろうに従事している船舶の法定灯火を表示しなかったうえ,法定灯火の視認やその特性の識別及び見張りをいずれも妨げることとなる灯火を点灯したばかりか,見張り不十分で,警告信号を行わず,衝突を避けるための措置をとらなかったことによって発生したものである。」として,bを操船していたe二等航海士に対し,その三級海技士(航海)の業務を1箇月停止,及びcの船長として操船中であった原告に対し,その小型船舶操縦士の業務を1箇月停止する旨の裁決を言い渡した(このうち,原告に対するものが本件裁決である。)。
(10) 本件訴えの提起
平成24年3月15日,原告は,東京高等裁判所に対し,神戸地方海難審判所のした本件裁決の取消しを求める本件訴えを提起した。
4 争点及び当事者の主張
当事者の主張は次のとおりであり,本件の争点は,本件事故において適用されるべき航法及び懲戒処分の相当性である。
(原告の主張)
(1) 本件裁決の問題点について
本件事故は,夜間,総トン数6.93トンの小型漁船であるcが1.5ノットの微速で底びき網を曳いていたところに,総トン数3,317トンの大型油送船であるbが13.7ノットの高速で衝突したものであるが,本件裁決は,cが法定灯火(緑色及び白色全周灯)を表示していなかったばかりか,舷灯などの法定灯火の視認又はその特性の識別を妨げる投光器等を表示していたため,bにおいて,予防法18条1項3号の「漁ろうに従事している船舶」とまで特定できなかったと認定し,同法18条の「各種船舶間の航法」の適用を排除し,その上で,「船員の常務」(同法38条,39条)で律し,両船が等しく衝突原因であると裁決した(双方等因裁決)。
しかし,高速で近づくbが,えい網中で歩く速度より遅く小さなcを避けるべきであった。cは煌々と作業灯火を点灯していた。現場海域は広い。避けるのに不自由しない。しかも,b操船者であるe二等航海士は「作業灯さえ見れば底びき網漁船であることは分かる。」と審判廷で明言した。ところが見ていなかったのである。だから,「注意深い船長」が事故時,bを操船し事故現場に差し掛かったとすれば,cが底びき網をえい網中であると優に認識できると認定しなければならなかった。
本件裁決の事実認定を前提としても,「漁ろうに従事している船舶」だとするのが法の正しい解釈である。
本件事故の特徴は,双方とも見張り不十分で相手船に気づいていない点,夜間において航行中の動力船とえい網中の漁船が衝突した点にある。双方にとって知覚外の出来事で,当為としての法はどのように適用すべきかが問われる。それについては「注意深い船長」を基準にし,「注意深い船長」が「その事故発生時」,「事故現場」を航行したなら,あるいは漁ろうをするならどのような操船をしたかを示す必要がある。しかし,本件裁決にはその視点が欠け,抽象的・一般的な話だけを元に判断したため認定を誤り,さらに法の解釈も誤った。
e二等航海士は,煌々と作業灯を点けていたcの存在に最初から最後まで全く気づかなかったという。しかも衝撃には気づいたという。にもかかわらず現場からそのまま立ち去っている。
一方,原告は,bを見ている。原告の見たbは,その後,左に変針した。それを見た原告は,「bは能登半島の突端に向けたので遠ざかる,だから衝突のおそれは無くなった。」と判断した。ところがその後bは引き返し,衝突してきたのである。
以上のとおりであるにもかかわらず,本件裁決は両船が対等に責任を負うべきだとし,原告とe二等航海士双方を業務停止1箇月の懲戒処分としたものであり,違法・不当な裁決として取消しを免れない。
(2) 航法適用の前提条件について
ア 本件裁決が,法定灯火による外見と運航実態の一致が航法適用の前提であるとする点は正しい。ところが現実はしばしば一致しない。cは法定灯火不表示であったが,実態はえい網中であったので一致していなかった。一致しない時,どのようにして適用航法を決定するかが問題となる。
イ 本件裁決は上記に続き,法定灯火不表示であったものの,cをえい網中であったと認識できたかについて検討している。その態度自体は,法定灯火によらず運航実態を認定している過去の裁決例に従っており,正しい。なお,cは航海灯を点灯していたが,本件裁決は,「航行中の動力船」とは認定せず,「横切り関係」だったとはしていない。
ウ なお,予防法18条の前提として同法3条は,「漁ろうに従事している船舶」は,「船舶の操縦性能を制限する網,なわその他の漁具を用いて漁ろうをしている船舶」と定義していて,「法定灯火又は形象物を表示した船」を要件としていない。したがって,法定灯火の表示は,あくまでも他船に「運航実態」を認知させるための一つの手段にすぎない。
エ 本件裁決は,cは,トロール従事船としての法定灯火の不表示と舷灯などの法定灯火の視認又はその特性の識別を妨げる作業灯火の点灯により,bから見て,トロール従事船であることを外見的に識別できず,e二等航海士の経験によっても,えい網中の漁船か,低速力航行中の漁船のいずれかであるところまでしか絞れないとしているが,e二等航海士は,最初から最後までcばかりか,付近で操業していたiの存在にも気付いていないのであって,法定灯火とか運航実態の認識は,e二等航海士にとって「知覚外」の出来事である。したがって,「bから見て」という意味は,「注意深い船長」が,「事故時」にbを操船し「事故現場」に差し掛かったと仮定して,,,,そのときどう判断するかという視点で考えなければならない。ところが,本件裁決はe二等航海士を基準にしている点で誤っている。
(3) 本件につき予防法18条(各種船舶間の航法)が適用されるべきこと
以下のとおり,cは,本件事故当時,法定灯火は表示していなかったものの,「注意深い船長」が「事故時」にbを操船し「事故現場」に差し掛かったならえい網中であると優に認識することができたのであるから,cは予防法18条1項3号の「漁ろうに従事している船舶」に該当し,同条の各種船舶間の航法が適用される。
ア 本件事故当時の本件海域における小型底びき網漁船の運航実態
(ア) 金沢地区に底びき網漁船は約20隻あり,cと同型で同じ漁場(α港西方沖15海里)へ向かう小型底びき網漁船は5隻ある(乙1-25(原告に対する質問調書)257丁,乙1-調書585丁,)。
(イ) これらの底びき網漁船は総トン数10トン未満の小型船で,船尾から手前綱1000メートル,チェーン15メートル,奥綱650メートルさらに20メートルの網の約1700メートルの漁具を海中に投じ(乙1-調書616丁及び617丁),水深150ないし200メートルのカレイのいる海底を等深線に沿って約1.5ノットでひく(乙1-調書609丁,615丁から618丁まで,乙1-25(原告に対する質問調書)257丁及び258丁)。
(ウ) さらに,cら小型底びき網漁船は,僚船間の自主ルールで,網を曳くときには緑灯・白色全周灯を点灯せずに航海灯,作業灯火を点灯していた。これは,この海域の底びき網漁船は「かけ回し」という特殊な方法で網を投入することによる。資源保護の面から開口板の使用を禁止されているので,網の投入時,網口を開くためひし形に航行しながら順次左右の網を投じて拡げていき,元の地点に戻って一番初めに投入した網の端部を拾ってひき始める。そのため,「かけ回し中(投網中)」は,船の針路模様が複雑に変わり,周囲の僚船は注意を要する。また,えい網中は低速で一定方向に進行するが,揚網中はほぼ漂泊した状態で海中の網を巻き揚げる。いずれも著しく操縦性能が制限される。これら操業サイクルの各状態を周囲の僚船や一般航行船に報せ,注意喚起するため,単に漁ろうに従事中であることを示す法定灯火を掲げるのではなく,各状況ごと作業灯火等を点灯していた。たとえば,「かけ回し中」は作業灯火に加えて黄色回転灯を点灯していた。
(エ) 本件事故当時,これらの底びき網漁船は,α港を午後11時から午前0時までの間に出港し,1時間30分ほど航走して漁場に着く。そして,投網(かけ回し)に約30分,えい網に約1時間,揚網に約45分を1回の操業として,このサイクルを繰り返すのである(乙1-25(原告に対する質問調書)257丁)。
イ 本件事故当時のcの状態
(ア) 本件事故当時,cは,水深150メートルの等深線に沿ってえい網していた。「水深150メートルを続けて引っ張れるようなコースに出していく」,「網が150メートルに落ちるとしたら,150メートルの魚をずっと取っていくように,引っ張る」と原告は述べている(乙1-調書609丁)。このように,底びき網漁船は,海底の深さに沿って,カレイの存在しているところをひく。その針路にも意味がある。海図と周囲の地形からcの進み具合を観察すれば,他船からは底びき網漁船とすぐ分かる。しかも,夜間,煌々と作業灯火を点灯していたのである。見張りをしていれば見誤るはずはない。
(イ) cは,衝突約1時間前の午前1時50分ころからえい網をはじめ,本件事故が起きた午前▲時▲分ころまでずっと真針路202度速力1.5ノットのままえい網を続けた。その間ずっと一定の速力で進んでいた。注意深い船長であれば,1時間も一定の低速で一定方向に走る漁船を「低速力の航行漁船」とは認めないはずである。しかも,それは作業灯火の動きを目視することによっても確認することができるし,レーダー画面によっても確認することができる。
(ウ) これについて,原告は,審判廷で,「そこで問題は,その当時,夜間,衝突する前ですが,後ろを振り返ったら灯火によって,水面に消えるところまで,ロープが入り込むところまで光が見えたでしょうか。」との問いに対し,「はい,見えます。」と,「そうすると外から見ると,いかに操業灯,緑灯を点けていなくても,眼鏡か何かで見れば,この船は後ろをずっと引っ張っているなと,こういうふうに確認することはできたと思われますか。」との問いに対し,「できると思います。」と,「要するに,私は操業中で,やっているよというために灯火を点けているんですもんね。」との問いに対し,「ええ。」と,「だから,ちゃんと見ておいてくれさえすれば,この船が操業中の船だったということは確実に判断してもらえるという期待はありましたか。」との問いに対し,「はい。」と答えている(乙1-調書632丁)。
ウ e二等航海士の認識
(ア) e二等航海士は,本件海域の航行経験が豊富で,審判廷で,本件海域の特徴として「いか釣り漁船と底びき船も多い海域」と認識していた旨供述し,さらに「(本件海域で,夜間に,緑色全周灯と白色全周灯)を点けている漁船を見たことがありません。」,「(緑色全周灯と白色全周灯)を点けて底びき網漁をしている漁船を,見たことがないということですか。」との問いに対し,「はい。」(乙1-調書543丁),「作業灯を点けているので,その点でトロールだと分かります。」,「(底びき網漁船は)引いている速力が遅い」と,「経験から,作業灯を点けてゆっくり走っている船は,多分底びき網漁をしているだろうと考えられるということですか,」との問いに対し,「はい。」(同544丁)と,「漁労についての船の判断ですが,作業灯を見れば全て漁船と判断するのですか。」との問いに対し,「ほとんどそうだと思います。」(同560丁)とそれぞれ述べ,自らの航行経験から作業灯火の有無と速力でえい網中であると判断する旨述べた。
(イ) e二等航海士が見張りを怠らなければ,作業灯火を点灯していたcがトロール中であることは外見上分かる。e二等航海士でさえ,そういう認識なのだから,本件海域においてe二等航海士と同等の航行経験を有する「注意深い船長」であれば,「えい網中の漁船」であるcの運航実態を見誤ることはない。
エ 「作業灯を点灯し低速で航行する漁船」の存在について
(ア) 何の漁ろう作業もせずに真夜中に作業灯を点けてゆっくり航行する漁船など本件海域には存在しない。現に本件事故当時,本件海域に,作業灯を点灯した低速度の航行漁船などいなかったのは証拠上明らかである。
(イ) ところで,e二等航海士には,真夜中に灯火を点けてゆっくり走っている船に近づいたら航行漁船だったという経験があったかもしれない。しかし,底びき網漁船の操業サイクルにおいても,作業灯を点けて網をひかずに低速で航行することはない。本件裁決が,事実認定の根拠として挙げる,e二等航海士の「作業灯を点けて低速で走っている漁船の近くを通航したときに見て,底びき網漁をしていなくて,ただ走っているだけの漁船もいた。」旨の供述は,そういうことにも長い船乗り体験の中で出逢ったというだけである。いつ,いかなる場面で体験したか定かでない。しかも,どんな作業をしていたかについては「そこまでは分かりません。」(乙1-調書581丁)と答えている。これだけの発言であって,いわば「通りすがりに見た漁船の中には,作業灯を点けてはいるが,何の作業をしているのかわからないものがあった。」と言っているだけである。
(ウ) にもかかわらず,本件裁決は,「多数の投光器や作業灯を点灯して低速力で航行している漁船と出会ったときに近寄って確かめたところ,底びき網漁操業中のこともあれば,単に低速力で航行中のこともあった。」(甲1・13頁19行目から21行目めで)と述べ,あたかもe二等航海士が「えい網中か否か確認の意思を持って近寄った」かの如く,また「本件海域でのこと」であるかの如く,さらには「単に低速力で航行中の漁船が多数見受けられる」かの如き認定を意図的にしている。
(エ) 「注意深い船長」は,「当時」,「現場海域」で「作業灯を点灯して低速で走る漁船」の存在を予見しない。
オ 「横切り船航法」(予防法15条)の適用について(「作業灯を点灯し低速で航行する漁船」が「航行中の動力船」と外見的に識別できるか否か。)
(ア) 本裁決は,bからすれば「横切り船航法」(同法15条)か「各種船舶間の航法」(同法18条)か判別しがたいから,「各種船舶間の航法」を適用できないとした(甲1・22頁)。
(イ) そうであるとすれば,「作業灯を点灯して低速で航行する漁船」が横切り船航法が適用される「航行中の動力船」だと外見的に識別可能でなければならない。そうでなければ,誰も「横切り船航法」など思いもよらない。選択肢にすらならないのである。
(ウ) 「航行中の動力船」の法定灯火は,基本的に「左右の舷灯一対」,「マスト灯」及び「船尾灯」である。一方,本件裁決がいう「作業灯を点灯して低速で航行する漁船」とは,cと同じ灯火でありながらえい網していない船と思われる。すなわち「航海灯」を点灯した上で,「緑色及び白色全周灯」は点灯せず,作業灯火で船首・船尾甲板を煌々と照らしている漁船である。
誰が見ても,これが「航行中の動力船」とは思わない。e二等航海士の認識通り,外見から「漁ろうに従事する船舶」との疑いは持つが,「航行中の動力船かもしれない」とは考える余地はない。「注意深い船長」であれば,なおさらである。
カ 予防法18条(各種船舶間の航法)の趣旨
(ア) 予防法18条は「衝突のおそれ」が生じた場合の優先関係を定めたものではなく,「衝突のおそれ」の有無にかかわらず,「常に」操縦性能が制限されて相対的に避航能力が劣る船の進路を優先せよと定めている。すなわち,「衝突のおそれ」を招かないことに重きを置いているのである。
(イ) だから,そもそも,「疑わしい船」に近寄ってから,「衝突のおそれ」の有無を判断する必要はない。遠くからでも「漁ろうに従事する船舶」と分かればその進路を優先しなければならない。すなわち,「作業灯を点灯して低速で航行する漁船」(すなわち,えい網中の漁船と同じ灯火を点灯しながら実際はえい網していない船)を認知したら,接近せずに避けろと命じているのである。
(ウ) したがって,航行中の動力船であるbは,cの「運航実態」を識別するにあたって「漁ろう中の漁船」と疑いを持ったら必ずその進路を避けなければならない。
(エ) 以上の次第で,本件事故時において,「注意深い船長」にとっては「横切り船航法」(予防法15条)か「各種船舶間の航法」(同法18条)か判別しがたい状況では全くない。本件裁決は同法18条の趣旨を誤解している。
(4) 「船員の常務」で律するとしても,bに主因が存すること
ア 仮に,本件に予防法18条の各種船舶間の航法の適用がなくても,本件裁決が認定したとおり,cが「底びき網漁操業中の漁船あるいは低速力で航行中の漁船のいずれかであると推測できるだけの状況」まで識別できれば,予防法の精神,趣旨からして当然,bがこれを避けなければならない。これが「注意深い船長」の行動規範であり,船員の常務(予防法38条,39条)である。
イ 各状況における「船員の常務」
(ア) 「船員の常務」とは,船員ならば当然なすべき通常の務めで,それは普通の船員ならば,当然知っており,又は行うことができる通常の経験や慣行のことである。したがって,船員の常務として必要とされる注意とは,船員が当然なすべき注意である。この注意は,事が起こる前の未然的・予防的な意味合いの注意を多分に含んだものである(「航海法規提要」海文堂224頁)。
(イ) 「その時の特殊な状況により必要とされる注意」(予防法39条)
その時の特殊な状況により必要とされる注意とは,切迫した危険のあるなしにかかわらず,特殊な状況であるために,一般の状況の場合に払う注意とは異なり,その場その場の状況に適応した衝突回避のための注意をいう(「航海法規提要」225頁)。本件裁決がいう「外見上の識別と運航実態が一致しない状況」,「底びき網漁操業中の漁船あるいは低速力で航行中の漁船のいずれかであると推測できるだけの状況」における注意義務が,これに当たる。
(ウ) 見張り義務(予防法5条)は,「船員の常務」の基本である。予防法は,「視覚,聴覚及びその時の状況に適した他のすべての手段により」,「常時」,「適切な」見張りを課している。
「衝突」を回避するに当たっては,先ず「状況の把握」,続いてその「分析・評価」,さらになすべきことの「判断」,そしてその「措置の実行」がなされなければならない。すべての大前提となる「状況の把握」はすなわち見張りによる。これによって,十分な情報を集め「分析・評価」の上,「判断」すなわちとるべき措置の「選択」に至る。
(エ) e二等航海士は,そもそもこの見張り義務を怠っていた。そして,見張りによって得られた情報とは,「作業灯を点灯して低速力で航行中の漁船だか,えい網しているかどうかは定かではない」というものである。仮に「注意深い船長」が当直していたとすれば,そのとき「船員の常務」として,e二等航海士の認識同様,先ずは「えい網中であり漁ろうに従事する船舶」だとの分析・評価が浮かぶであろう。その上,さらに「灯火は紛らわしいがこれは航行中の動力船にすぎない」と評価するとは思えない。
(オ) 予防法の目的は衝突の防止である。それゆえ,同法は「確かめることができない場合は自らが避航船としての措置をとる」ことを求めている。このことは,同法7条3項が「船舶は,他の船舶と衝突のおそれがあるかどうかを確かめることができない場合は,これと衝突のおそれがあると判断しなければならない。」と定め,同法13条3項(追い越し船),同法14条3項(行会い船)がいずれも「(航法を)確かめることができない場合」,避航船としての措置をとるよう命じていることからも明らかである。この予防法の精神からして,「作業灯を点灯して低速力で航行中の漁船だか,えい網しているかどうかは定かではない」船を認知すれば,「漁ろうに従事する船舶」と「評価」して,とるべき措置,すなわち「速やかに自船が避航する」ことを「判断」(選択)することが求められる。
(カ) 「漁ろうに従事する船舶」と疑われる船がいれば,「船員の常務」とは「事が起こる前の未然的・予防的な意味合いの注意」義務なのだから,bが避けるのは至極当然のことである。ゆえに本件裁決がいう「底びき網操業中の漁船あるいは低速力で航行中の漁船のいずれかであると推測できるだけの状況であった」(甲1・21頁14行目以下)としても,注意深い船長なら,「船員の常務」として当然近寄らず,底びき網漁操業中の漁船と判断し,早めに避航していた。そして,仮に避けた船が実際はえい網中ではなく単なる低速度の航行船だったとしてもbに不測の不利益はない。
(キ) なお,bのg船長が,「航海3法を順守し,漁船に対しては早めに避航するように記入し(船長命令簿,航海計画書),ことあるごとに言い聞かせている。漁船は見張りを行っていないことが多いからだ。」(乙1-2(g船長に対する質問調書)6丁)とか「漁船に対しては早めに避けるように指導している。」(同12丁)と述べ,それを受けてe二等航海士は,「船長からは,安全運航,見張りを厳重に行うこと,早めに避航動作をとること」,「特に,漁船は見張りを行っていなかったり,また見ていても避けてくれないことがあるから,こちらから避けるように言われている。」(乙1-3(e二等航海士に対する質問調書)31丁)と述べている。漁船であることが分かれば底びき網漁船であろうと低速の航行船であろうと早めに避けよというのが船長の意見であり,この船長の意見は極めて重要である。
(ク) 本件裁決は,cが「底びき網漁操業中の漁船あるいは低速力で航行中の漁船のいずれかであると推測できるだけの状況」まで識別できると認定した。仮にそうなら,以上述べた船長から与えられた注意と予防法の精神から当然,bがこれを避けなければならなかった。これが「注意深い船長」の行動規範であり,船員の常務である。
(5) 懲戒処分の相当性について
ア 本件には予防法18条が適用される結果,避航義務を負うbが「主因」,cが「一因」となる。
したがって,原告に対するe二等航海士と対等の懲戒処分は取り消されなければならない。
イ また,仮に船員の常務(予防法38条,39条)が適用されるとしても,上記のとおり,bがcを避けなければならなかったのであって,いずれにせよbが「主因」,cが「一因」は揺るがない。
ウ そして,以下に述べるとおり,実質的に考えても原告に対する懲戒処分は重きに失する。
(ア) 原告が見張り不十分になった理由と法定灯火不表示の理由
原告の見張りが疎かになったことには同情すべき理由がある。すなわち,bを初認した後,bが能登半島突端に向けて大変針して遠ざかったからである。bの変針は,原告が「まさか戻ってくるとは思ってもみなかった」というのを納得できる程のものであった。
なお,原告が法定灯火を表示していなかったのは地元のルールに従ったからである。
(イ) e二等航海士の見張り放棄
e二等航海士の見張り不十分は,原告に比べ酷く,理解しがたいものであって,「保安官,調査官からも何度も聞かれた。」(乙1-3(e二等航海士に対する質問調書)34丁4行目),「相手船が灯火を点けていなければ見えないが,点けていれば見えるはずであると言われた。」(同5行目)程である。
そこで,e二等航海士は,逆に「相手船が,本当に正規の灯火のほか作業灯を点けていたのは疑問でもある。」(同35丁7行目)と言い出している。最後には「点けていないと思います。点けていれば見えます。」(乙1-調書563丁)と言った。
金沢海上保安部の実況見分によれば,少なくとも約4.4海里手前の位置において肉眼で灯火1灯を確認できた。7倍双眼鏡を使用すると4灯程度の作業灯を確認することができ,作業灯が形成する影によって船体の形状等も確認できた。距離が縮まるにつれ,徐々に灯火の状況がはっきりと確認できるようになり,約500メートルまで接近すると,「注視しなくても,作業灯の光が視界に入ると共にiの船体が自然に視界に入ってくる」状態となった。このように,前方さえ向いていれば容易にcの灯火を確認できたにもかかわらず,e二等航海士はcの灯火に全く気づかなかったという。しばらくの間,船橋を離れ前方を全く見ていなかったか目を閉じていたとしか考えられない。
(ウ) 見落とし原因のねつ造
本件裁決は,本件事故前「船首方にいか釣り漁船4隻の集魚灯を視認するようになった」,「自船に近い方のいか釣り漁船2隻」(甲1・6頁及び7頁)など,いなかったいか釣り漁船がいたとした。そして,e二等航海士は,「操舵装置と1号レーダーとの間の後方に立って,右舷船首方のいか釣り漁船2隻のまぶしい集魚灯を見ながら当直に当たり,やがて同漁船2隻を右舷方に見て航過したのち,右舷後方の窓から同集魚灯の明かりが操舵室に差し込み,その光が光反射防止布を施されていない天井と前面窓ガラスに反射して,前方が見えにくい状態となって続航した」という(甲1・7頁及び8頁)。
ところが,事故現場付近にはいか釣り漁船4隻など存在せず,現場周辺にはiといか釣り漁船1隻がいたのみであった。原告は審判廷において「6マイルレンジで見た限りでは,いか船と,iと,bと,本船の4隻だけでした。」(乙1-調書594丁),「たまたまその日に150メートルのところに1杯だけいか船が来ていた」(同623丁)と述べているほか,cの東方にいたiの船長も,「本船の付近にいたのは,cのほか,いか釣り漁船1隻である。」(乙1-27(i船長jに対する質問調書)270丁)と述べている。したがって,cの少なくとも6海里以内には,漁船はその2隻のみしかいなかった。他の僚船は全てcの北側6海里以上の位置にいた。いか釣り漁船は,cの1海里弱北側,iは,cの東方2,3海里に位置していた。
よって,本件裁決がいか釣り漁船4隻が存在していたと認定したことは,重大な事実誤認である。真実,現場周辺にいか釣り漁船が存在していたのであれば,当然海上保安部の聴取,海難審判所理事官の聴取が行われるはずである。ところが一件記録上,そのようないか釣り漁船の関係者に対して聴取を行った形跡など一切ない。
そもそも,e二等航海士は,理事官に対し,いか釣り漁船の灯火のことなど全く述べていない。ましてやその影響で見落としたなどとも言っていない(乙1-3(e二等航海士に対する質問調書))。
(エ) 当て逃げ
e二等航海士は船一隻を転覆させても気付かないで現場を立ち去った。それほどお粗末な当直である。もともとbが加害者となり,cが被害者になる立場であって,ダンプカーと三輪車の衝突のようなものである。当然,見張りを含めた基本的注意義務はe二等航海士の方が重い。
エ 小括
以上の次第で,原告とe二等航海士の所為を比較すれば,予防法18条の各種船舶間の航法が適用されても,同法38条,39条の船員の常務が適用されても,e二等航海士の見張り放棄の落ち度が大きい。
したがって,原告をe二等航海士と対等の懲戒処分とするのは相当ではなく,本件裁決は取り消さなければならない。
(被告の主張)
(1) 本件事故の特徴
本件事故は,夜間,α港西方沖合において,同港に向け航行しているbと,底びき網をえい網しているcとが,衝突のおそれがある態勢で接近した際,bが,見張り不十分で,警告信号を行わず,衝突を避けるための措置をとらなかったことと,cが,漁ろうに従事している船舶の法定灯火を表示しなかった上,法定灯火の視認やその特性の識別及び見張りをいずれも妨げることとなる作業灯火を点灯したばかりか,見張り不十分で,警告信号を行わず,衝突を避けるための措置をとらなかったこととによって発生したものである。
そして,本件裁決は,「k受審人(原告)は,bが表示していた法定灯火と運航実態とによって,予防法18条各種船舶間の航法が適用される関係にあると判断することができたと認められるものの,e受審人(二等航海士)は,cが点灯していた投光器等の明かりと運航実態だけでは,同航法が適用されるものか,あるいは同法15条横切り船の航法が適用されるものかを判断しかねる状況であったと認められる。このように,本件は,適用航法について,両船が同じ判断を下すことができない特殊な状況で発生したと認められるから,予防法18条各種船舶間の航法を適用することも,同法15条横切り船の航法を適用することも相当ではない。」として,本件は,予防法38条及び39条を適用して船員の常務により律するのが相当であるとした(甲1・22頁)。
このように,本件裁決は,予防法15条(横切り船の航法)及び同法18条(各種船舶間の航法)の適用を排除して,同法38条及び39条を適用して船員の常務により律するとしたものである。
(2) 本件事故が発生した海域(以下「本件海域」という。)に適用される海上交通法規
本件海域は,α港西方沖合であり,海上交通安全法や港則法の適用海域ではないので,予防法が適用される。
ア 予防法の基本原則(船員の常務)
予防法の基本原則の一つは,多船間の関係を2船間(1船対1船)の航法関係に還元し,原則的には,そのどちらか一方の船舶に他方の船舶の進路を避けさせることとしていることである。また,予防法の考え方として見逃せないのは,実際の船舶の運航に当たって相当部分を船長等の船員の判断(船員の常務)に委ねている点である。これは,海上交通の場合には陸上交通と違い義務を履行すべき状況の判断が複雑であるため一律の規則になじまないことが多いこと,長い間の伝統により良き慣行(グッド・シーマンシップ)が確立していることによるものであり,その典型的なものは予防法38条及び39条の規定の中に現れている(乙9「海上衝突予防法の解説」9頁)。
予防法38条1項は,「船舶は,(中略)運航上の危険及び他の船舶との衝突の危険に十分注意し,かつ,切迫した危険のある特殊な状況(船舶の性能に基づくものを含む。)に十分注意しなければならない。」と規定し,また,同法39条は,「この法律の規定は,適切な航法で運航し,灯火若しくは形象物を表示し,若しくは信号を行うこと又は船員の常務として若しくはその時の特殊な状況により必要とされる注意をすることを怠ることによって生じた結果について,(中略)船長又は海員の責任を免除するものではない。」と規定しており,船員の常務として必要とされる注意義務及びその責任を規定している。
ここで「船員の常務」とは,「海事関係者の常識」,すなわち「通常の船員ならば当然知っているはずの知識,経験,慣行」というような意味である(乙2「海上衝突予防法の解説」159頁)。
そして,後記イの予防法の航法規定の適用がない場合には,予防法38条及び39条によって律することになる。
イ 予防法の航法規定
予防法の航法規定は,視界の状況に応じて,以下のとおり,分けて規定されている。
① あらゆる視界の状態における船舶の航法(予防法4条から10条まで)具体的には,見張り(同法5条),安全な速力(同法6条),衝突のおそれ(同法7条),衝突を避けるための動作(同法8条)等の規定がある。
② 互いに他の船舶の視野の内にある船舶の航法(同法11条から18条まで)
具体的には,追越し船(同法13条),行会い船(同法14条),横切り船(同法15条),避航船(同法16条),保持船(同法17条),各種船舶間の航法(同法18条)等の規定がある。
③ 視界制限状態における船舶の航法(同法19条)
なお,本件事故時の視界の状態から,本件事故にはこの航法が適用される余地はない。
ウ 見張り(予防法5条)及び衝突のおそれ(同法7条)
予防法5条は,「船舶は,周囲の状況及び他の船舶との衝突のおそれについて十分に判断することができるように,視覚,聴覚及びその時の状況に適した他のすべての手段により,常時適切な見張りをしなければならない。」と規定している。
また,同法7条1項は,「船舶は,他の船舶と衝突するおそれがあるかどうかを判断するため,その時の状況に適したすべての手段を用いなければならない。」と規定している。
なお,「海上衝突予防法の解説」(乙2)31頁によれば,予防法7条1項に規定された「その時の状況に適したすべての手段」とは,自船の船橋当直者の員数,装備している機器,船舶交通の輻輳状況を含め周囲の状況等を十分考慮した上での社会通念上考えられる手段をいう。
そして,航法適用の具体的手法としては,まず相手船の存在を認識するために適切な見張りを行い,その後,衝突のおそれがあるかどうかを判断するために相手船の動静監視を十分に行うこととなる。動静監視の方法としては,①その時の状況に適したすべての手段を用いること,②レーダーを使用している船舶は,レーダーを適切に用いること,③不十分な情報に基づいて他の船舶と衝突するおそれがあるかどうかを判断してはならないこと,④他の船舶のコンパス方位に明確な変化が認められない場合は,衝突するおそれがあると判断すること,⑤他の船舶と衝突するおそれがあるかどうかを確かめることができない場合は,衝突するおそれがあると判断することなどが規定されている(予防法7条)。
衝突のおそれがあると判断した場合,次の段階として,互いに他の船舶の視野の内にある船舶の航法に当てはめてどのような動作をとるかを検討することになる。
エ 航法適用の条件
本件では,予防法15条(横切り船の航法)と同法18条(各種船舶間の航法)の適用の可否が問題となるが,このような航法適用には,以下の条件事項が挙げられる(乙11「研修資料(審判業務編)」第7参照)。
(ア) 規則に従って適切に運航されていること
本件に関係する事例として,両船が,運航実態に合致した法定灯火を表示していることが挙げられる。
(イ) 見合い関係が生じてから,両船がそのままの針路,速力で進行することが予想できること
(ウ) 両船とも行動の自由を制限されていないこと
(エ) 避航動作をとる十分な余裕があること
衝突のおそれがある見合い関係が生じてから,通常の運航方法をもって避航動作をとる十分な距離的,時間的余裕があることが必要である。
(オ) 衝突のおそれが存在すること
衝突のおそれとは,予防法7条の規定(衝突のおそれ)のとおりで,相手船との方位に明確な変化がないまま互いに接近することをいう。
オ 航法適用の時期
航法適用は,衝突のおそれがある見合い関係が成立したときに定まるものであり,いったん定まった航法は,その後の状況の変化によって変更をきたすことはないとされている(乙11「研修資料(審判業務編)」第7参照)。
ここで「見合い関係」とは,広義に解釈すると,単なる両船間の視認関係(相対位置関係)ということになるが,狭義の見合い関係について,裁判所の判例では,「両船が衝突のおそれがあると認むべき相互間の視認関係を指し,かつ,具体的な当事者が,実際に衝突の危険を認めた関係を意味するものではなく,注意深い船長が注意していたとすれば,衝突のおそれがあると認める関係を指す。」とされている(最高裁判所昭和32年(オ)第817号昭和36年4月28日第二小法廷判決・民集15巻4号1115頁)。
航法の適用時期を考える場合,両船間の距離は,外洋においては,舷灯又は船尾灯の法的光達距離である2海里ないし3海里を標準としている。
(3) 本件事故当時のb及びcの灯火状況等
ア 灯火に関する予防法の規定内容
(ア) 予防法23条1項は,「航行中の動力船(次条第1項,第2項,第4項若しくは第7項,第26条第1項若しくは第2項(中略)の規定の適用があるものを除く。以下この条において同じ。)は,次に定めるところにより,灯火を表示しなければならない。」として,同条項1号から3号までにおいて,マスト灯2個,両舷灯及び船尾灯を掲げることを要求している。
(イ) また,予防法26条1項によれば,トロール従事船は,夜間,緑色全周灯1個,かつ,その垂直線上の下方に白色全周灯1個,及びマスト灯1個をそれぞれ掲げ(長さ50メートル未満の船舶はマスト灯を掲げることを要しない。),さらに,対水速力を有する場合は,舷灯一対(長さ20メートル未満の船舶は舷灯一対又は両色灯1個)及び船尾灯1個を掲げなければならない。昼間は,法定灯火に代えて,黒色の鼓形の形象物1個を掲げなければならない(乙7「図説海上衝突予防法」130頁)。
(ウ) なお,予防法20条1項では,法定灯火の視認又はその特性の識別を妨げることとなる法定灯火以外の灯火を表示してはならないことを規定している。
イ 本件事故当時における灯火状況
(ア) e二等航海士が操船していたb(全長105.00メートル)は,本件事故発生当時,航行中の動力船が表示する法定灯火であるマスト灯2個,両舷灯及び船尾灯を全て掲げていた(予防法23条1項参照)。
(イ) これに対し,c(登録長11.80メートル)においては,本件事故発生当時,緑色全周灯及び白色全周灯を掲げず,それ以外の法定灯火である両舷灯及び船尾灯を掲げ,さらに,同船の長さが50メートル未満であることから掲げることを要しないマスト灯を掲げた上,法定灯火の視認やその特性の識別及び見張りをいずれも妨げることとなる作業灯火を点灯していた(予防法20条1項参照)。
このようにcは,当時,トロール従事船であることを示す,法定灯火である緑色全周灯及び白色全周灯を掲げていなかった。
なお,予防法39条は「この法律の規定は(中略)灯火若しくは形象物を表示(中略)することを怠ることによって生じた結果について,船舶,船舶所有者,船長又は海員の責任を免除するものではない。」と規定し,灯火又は形象物の表示を船長等の注意義務の内容とし,その不表示をもって船長等の海難結果についての責任の根拠としている。
ウ bからのcの灯火の視認可能性
平成22年5月18日付け海上保安官作成の実況見分調書には,「▲月▲日午前▲時45分の通過点(航跡記録地点)(bとcの距離は0.77海里)において,漁船Aの視認状況については,肉眼でも作業灯の設置場所が確認できる程,灯火が鮮明に見えており,7倍双眼鏡を使用すると,5項目(6)の記載の状況よりも,『白色灯が明るく感じられると共に船首甲板や船尾甲板上に設備されているローラー等の状況』まで確認できる状況であった。」と記載されている(乙1-42(実況見分調書写)456丁)。さらに,同丁には,「左舷灯,右舷灯,船尾灯については依然として,点灯状況が判別できない状況であった。」と記載されている。
これによれば,cの作業灯火の明かりにより,舷灯などの法定灯火の視認又はその特性の識別を妨げられていたことから(予防法20条1項2号),両船が0.77海里の距離に接近した時点では,いまだ左舷灯,右舷灯が判別できない状況であったことが認められる(乙1-35(e二等航海士の供述調書写)336丁)。
また,上記実況見分の結果からすれば,e二等航海士が,cの右舷灯(緑灯)を視認できるようになったのは,2船間の距離が約500メートルに接近した時点であったと認められる(乙1-42(実況見分調書写)468丁)。
(4) 本件における航法適用の時期等
本件において,bは,本件事故当日午前2時31分半少し前頃,衝突に至る針路,速力である針路080度,速力13.7ノットにし(定針し)(甲1・7頁),一方,cは,同日午前1時50分,衝突に至る針路,速力である針路225度,速力1.5ノットにし(定針し)(甲1・10頁),両船は,そのままの針路及び速力のまま衝突に至った。
予防法22条によれば,bの舷灯は3海里以上の視認距離,cの舷灯並びに緑色全周灯及び白色全周灯は2海里以上の視認距離でなければならないことから,本件における衝突のおそれがある見合い関係は,本来,cの舷灯及び各全周灯の視認距離を勘案して,両船間の距離が2海里となった時点から生じたと考えるべきものであった。
もっとも,前記(3)ウのとおり,bは法定灯火を表示していたにもかかわらず,cは,舷灯などの法定灯火の視認又はその特性の識別を妨げる作業灯火を点灯していたことから,両船間の距離が2海里の時点では,その舷灯は,bから識別できない状況であった。そこで,本件においては,これ以上接近すると避航動作(本件については衝突を回避する措置)をとる十分な余裕がなくなると判断される衝突の4分前の同日午前▲時▲分,両船間の距離が1.0海里となった時点をもって,衝突のおそれがある見合い関係の成立を認定すべきものである(甲1・8頁,10頁及び11頁)。
(5) 本件における予防法15条及び同法18条適用の可否について
本件では,予防法15条(横切り船の航法)と同法18条(各種船舶間の航法)の適用の可否が問題となる。
ア 予防法15条(横切り船の航法)について
(ア) 予防法15条1項は,「2隻の動力船が互いに進路を横切る場合において衝突するおそれがあるときは,他の動力船を右げん側に見る動力船は,当該他の動力船の進路を避けなければならない。この場合において,他の動力船の進路を避けなければならない動力船は,やむを得ない場合を除き,当該他の動力船の船首方向を横切つてはならない。」と規定し,2隻の動力船が互いに進路を横切る場合において衝突するおそれがあるときは,他の動力船を右舷側に見る動力船が避航動作をとる必要がある。
(イ) 本件では,cが動力船と判断される場合,両船ともに航行中の動力船であるから,避航動作をとらなければならないのはcであり,本件事故時のような夜間では,bから見て,cとの位置関係が問題となり,その際,舷灯(右舷灯は緑灯,左舷灯は紅灯(予防法21条2項))の果たす役割は極めて重要となる。
しかし,前記(3)ウのとおり,cは,本件事故当時,作業灯火を点灯していたため,これらが舷灯などの法定灯火の視認又はその特性の識別を妨げる状況にあって,両船の距離が500メートルに接近するまで,その右舷灯(緑灯)を視認できない状況になっており(乙1-42(実況見分調書写)468丁),両船間の距離が1.0海里となった時点(つまり,見合い関係成立の時点)では,予防法15条が適用されるものか判断がしかねる状況であった。
(ウ) なお,両船間の距離が500メートルに接近した時点では,航法適用の条件である「十分に余裕のある時期」とはいえず,見合い関係の成立時期としても遅きに失することは明らかであり,予防法15条横切り船の航法を適用することができない。
イ 予防法18条(各種船舶間の航法)について
(ア) 予防法18条1項は,航行中の動力船は,①運転不自由船,②操縦性能制限船,③漁ろうに従事している船舶,④帆船の進路を避けなければならないと規定している。
この予防法18条は,衝突のおそれがあることを前提とした規定である。
この点につき,原告は,「予防法18条は,『衝突のおそれ』の有無にかかわらず,常に操縦性能が制限されて相対的に避航能力が劣る船の進路を優先せよと定めている。」と主張しているが,同法は衝突のおそれがあることを前提とした規定であるので,衝突のおそれがなければ進路を避ける必要はないのである。
なお,予防法16条(避航船)は,予防法の規定により他の船舶の進路を避けなければならない動力船(避航船)がとるべき動作として,「当該他の船舶から十分に遠ざかるため,できる限り早期に,かつ,大幅に動作をとらなければならない。」と規定している。
また,衝突のおそれの有無に関し,規定の中にその語句がない予防法13条(追越し船)についての解説(乙10「追越し船及び行会い船航法適用における問題点と裁決例」船長第97号46頁)には,「予防法14条(行会い船)及び15条(横切り船)の規定には「衝突するおそれがあるとき」という語句が用いられており,両条でこれが適用要件になることは明らかであるが,予防法13条(追越し船)の規定には同語句が用いられていないので,これが適用の要件とされないように解され易い。しかし,本条は,第14条及び第15条と同様に,接近する態勢の両船間における航法を規定するものであるから,両船間に衝突のおそれがない場合にまで,その適用が要求されるものとは考えられない。」として,規定の中にその語句がないからといって,両船間に衝突のおそれがない場合にまで,その適用が要求されるものではないことを明らかにしている。
さらに,「船舶衝突の裁決例と解説」(乙5)133頁によれば,「各種船舶間の航法が適用される条件として,①互いに視野の内にあること,②操縦性能の異なる船舶の間に衝突のおそれが生じた際,操縦性能の優れている船舶が操縦性能の劣っている船舶の進路を避けるという原則をとっている。」ことが認められる。
(イ) cは,当時実態としてトロールにより漁ろうに従事していたが,前記(3)イのとおり,これにトロール従事船であることを示す,法定灯火である緑色全周灯及び白色全周灯を掲げていなかった。
この場合,予防法18条が適用される場合があるか問題となる。
確かに,裁決例には,法定灯火によらず運航実態から漁ろうに従事している船舶と認定しているものもあるが,法定灯火を表示していないことを理由に漁ろうに従事している船舶と認めることができないとして予防法18条を適用せず,同38条及び39条の船員の常務にて律するなどとした複数の裁決例もある。
この点については,後記のとおり,原則として,法定灯火の表示は予防法18条の適用の前提条件であり,法定灯火を表示していない船舶には基本的に同条が適用されないと解すべきである。ただ,例外的に,同一海域で常に行動を共にしている漁船又は遊漁船間についてのみ法定灯火によらず運航実態から漁ろうに従事している船舶と認定される余地があるにすぎないというべきである。
(ウ) bを操船していたe二等航海士は,衝突前にcの存在に気付いていないが,第1回審判の審判廷において「作業灯を見れば底びき網漁船であることが分かる」と供述する(乙1-調書543丁)一方,「これまでの経験で,作業灯を点けて低速で走っている漁船と出会って,そのそばを通航したときにしっかりと見て,底びき網漁をしていない船もありました。ただ作業灯を点けて,速力を落して走っている船もありました。」とも供述している(乙1-調書581丁)ことから,本件では,作業灯火の点灯を認識しただけでは,底びき網漁をしている船舶であるか,作業灯火を点灯したまま速力を落して航行している船舶か分からない状況にあったと解すべきであり(後者の航行中の動力船であれば,予防法18条は適用されない。),cが作業灯火を点灯していたからといって,トロール従事船(底びき網漁船)と判断できず,予防法18条は適用されないことになる。
(エ) なお,原告は,「『注意深い船長』が事故時,bを操船し事故現場に差し掛かったとすれば,底びき網をえい網中であると優に認識できると認定しなければならなかった。」と主張する。
しかし,原告が訴状において,「法定灯火による外見と運航実態の一致が航法適用の前提であるとする点は正しい。」と自ら認めているように,当時,cは,実態はトロールにより漁ろうに従事していたにもかかわらず,トロール従事船であることを示す法定灯火のうち「緑色全周灯及び白色全周灯」を掲げておらず(予防法26条1項1号から3号まで),原告は予防法の規定を遵守していなかった。それにもかかわらず,bのような一般の航行船の「注意深い船長」に,cが底びき網をえい網中であると認識するよう求めることは,何ら法的根拠がないというべきである。
(6) 本件裁決の適法性
ア 本件においては,予防法38条及び39条が適用されるべきこと
以上の検討結果に基づいて,本件裁決は,両船間の距離が1.0海里となった時点(つまり,見合い関係成立の時点)では,cが点灯していた作業灯火の明かりと運航実態だけでは,予防法18条及び同法15条が適用されるものかを判断しかねる状況であったとして,予防法38条及び39条による船員の常務を適用した。
イ 原告の過失の内容
前記アで述べたことを前提に,原告の過失を検討するに,原告は,夜間,α港西方沖合において,底びき網をえい網しながらcを進行させるに当たり,接近する他船を見落とすことのないよう周囲の見張りを十分に行うべき注意義務があったのに,もし他船が接近しても,自船は明るい作業灯火を点灯しているから操業中の漁船であると分かって自船を避けてくれると思い,周囲の見張りを十分に行わなかった職務上の過失により,bが,衝突のおそれがある態勢で接近していることに気付かず,帳面の操業記録を見て,次の投網地点を検討することなどに専念し,警告信号を行うことも,衝突を避けるための措置をとることもなく,cを進行させて,同船をbに衝突させ,両船にそれぞれ損傷を生じさせたほか,cを転覆させて沈没させるとともに,cのh甲板員を行方不明にさせ,死亡の認定に至らしめたものである。
ウ 本件裁決の内容
本件裁決は,前記イの原告の過失の内容を踏まえ,同人の小型船舶操縦士の業務を1箇月停止するものとした。
エ 本件裁決が適法であること
以上のとおり,本件裁決は,適切な事実認定をした上で,原告には,予防法38条及び39条が適用されるべきとして,注意義務違反を認定し,その義務違反の内容程度,生じた結果等を踏まえて,原告への処分を決したものであり,適法である。
(7) 予防法18条の各種船舶間の航法が適用されるべきであるとの原告の主張について
ア 原告の主張
原告の主張の要点は,cは「漁ろうに従事している船舶」に該当し,予防法18条が適用されるということである。
すなわち,原告の主張の要旨は,「本件当時,cは,法定灯火である緑色全周灯と白色全周灯を掲げていなかったものの,煌々と作業灯火を点灯し,かつ速力1.5ノットの低速で1時間にわたり底びき網漁をしていたものであり,『注意深い船長』が見張りをしていたら,cが底びき網漁船でえい網中であることを見誤るはずがない。したがって,cは『漁ろうに従事している船舶』に該当し,予防法18条が適用される。」ということである。
イ 被告の反論
(ア) まず,原告は,cが作業灯火を点灯し,かつ速力1.5ノットの低速で1時間にわたり底びき網漁をしていたのであるから,「注意深い船長」であれば,cが底びき網漁船でえい網中であることを見誤るはずがないと主張するが,通常の航行で,1時間前においては距離的に漁船を目視やレーダーによって注視することはできない。
(イ) 予防法18条1項は,航行中の動力船は,①運転不自由船,②操縦性能制限船,③漁ろうに従事している船舶,④帆船の進路を避けなければならないと規定している。
この予防法18条は,衝突のおそれがあることを前提とした規定である。なぜなら,前記(5)イ(ア)のとおり,衝突のおそれがないのに進路を避ける必要はないからである。
cは,当時実態としてトロールにより漁ろうに従事していたが,トロール従事船であることを示す,法定の灯火である緑色全周灯及び白色全周灯を掲げていなかった。
この場合,予防法18条が適用される場合があるか問題となるが,原則として,法定灯火の表示は予防法18条の適用の前提条件であり,法定灯火を表示していない船舶には同条が適用されないと解すべきである。ただ,例外的に,同一海域で常に行動を共にしている漁船又は遊漁船間についてのみ法定灯火によらず運航実態から漁ろうに従事している船舶と認定される余地があるにすぎないというべきである。このように解さないと,予防法26条1項を遵守しなかった漁船を一方的に保護することになり,著しく法的安定性を害することになる。
(ウ) bを操船していたe二等航海士は,衝突前にcの存在に気付いていないが,第1回審判の審判廷において,「作業灯を見れば底びき網漁船であることが分かる」と供述する(乙1-調書543丁)一方,「これまでの経験で,作業灯を点けて低速で走っている漁船と出会って,そのそばを通航したときにしっかりと見て,底びき網漁をしていない船もありました。ただ作業灯を点けて,速力を落して走っている船もありました。」とも供述している(乙1-調書581丁)ことから,近づいて見なければ,底びき網漁をしている船舶であるか,ただ作業灯を点灯して,速力を落して航行している船舶か分からないと供述していると解すべきであり(後者の航行中の動力船であれば,予防法18条は適用されない。),cが作業灯火を点灯していたからといって,トロール従事船と判断できないから,予防法18条は適用されないことになる。
しかも,e二等航海士は,第1回審判の審判廷において,「漁労などに従事している船が正規の緑灯を点けていれば見えると思います。」と供述している(乙1-調書552丁)ことから,cが法定の灯火である緑色全周灯と白色全周灯を掲げていれば,e二等航海士がこれらを認識できた可能性がある。
したがって,原告がこのように法定灯火を掲げていなかった(つまり,予防法の規定を遵守していなかった)にもかかわらず,bのような一般の航行船の「注意深い船長」に,cが底びき網をえい網中であると認識するよう求めることは,何ら法的根拠がないというべきである。
ちなみに,予防法39条は「この法律の規定は(中略)灯火若しくは形象物を表示(中略)することを怠ることによって生じた結果について,船舶,船舶所有者,船長又は海員の責任を免除するものではない。」と規定し,灯火又は形象物の表示を船長等の注意義務の内容とし,その不表示をもって船長等の海難結果についての責任の根拠としている。
(エ) 以上のとおり,本件においては,予防法18条が適用されないことは明らかである。
(8) 「船員の常務」(予防法38条及び39条)が適用された場合の原告の主張に対する反論
ア 原告の主張
原告は,「仮に予防法18条の各種船舶間の航法の適用がなくても,裁決が認定したとおり,cは『底びき網漁操業中の漁船あるいは低速力で航行中の漁船のいずれかであると推測できるだけの状況』まで識別できれば,法の精神,趣旨からして,当然bがこれを避けなければならない。これが『注意深い船長』の行動規範であり,船員の常務(予防法38条,39条)である。」,「予防法7条5項,同法13条3項,同法14条3項において,衝突のおそれや航法を確かめることができない場合は,避航船としての措置を講じるように規定していることからして,『作業灯を点灯して低速力で航行中の漁船だかえい網しているかどうか定かでない』船を認知すれば,『漁ろうに従事する船舶』と評価して,速やかに自船が避航する判断が求められる。」などと主張し,bの避航義務を強調している。
イ 被告の反論
(ア) 予防法38条及び39条の趣旨
原告の主張の一番の要点は,cは「漁ろうに従事している船舶」に該当し,予防法18条が適用されるということである。
上記のとおり,予防法の考え方として見逃せないのは,実際の船舶の運航に当たって相当部分を船長等の船員の判断(船員の常務)に委ねている点である。これは,海上交通の場合には陸上交通と違い義務を履行すべき状況の判断が複雑であるため一律の規則になじまないことが多いこと,長い間の伝統により良き慣行(グッド・シーマンシップ)が確立していることによるものであり,その典型的なものは予防法38条及び39条の規定の中に現れている。
予防法38条1項は,「船舶は,(中略)運航上の危険及び他の船舶との衝突の危険に十分注意し,かつ,切迫した危険のある特殊な状況(船舶の性能に基づくものを含む。)に十分注意しなければならない。」と規定し,また,同法39条は,「この法律の規定は,適切な航法で運航し,灯火若しくは形象物を表示し,若しくは信号を行うこと又は船員の常務として若しくはその時の特殊な状況により必要とされる注意をすることを怠ることによって生じた結果について,(中略)船長又は海員の責任を免除するものではない。」と規定しており,船員の常務として必要とされる注意義務及びその責任を規定している。
ここで「船員の常務」とは,「海事関係者の常識」,すなわち「通常の船員ならば当然知っているはずの知識,経験,慣行」というような意味である。
(イ) 本件の場合
本件裁決は,上記のとおり,予防法18条(各種船舶間の航法)を適用することも,同法15条(横切り船の航法)を適用することもできないとして,同法38条及び39条による船員の常務を適用したものであるが,船員の常務により律する場合には,両船に求められる注意義務は,いずれもが衝突を避けるための措置をとることであり,片方の船舶が一方的に相手船を避航する義務ではないのである。
したがって,原告は,上記のように,「船員の常務」が適用されてもbに一方的な避航義務があるように主張しているが,船員の常務は両船に等しく求められるのであるから,bのみならず,cにおいても,同等な衝突を回避する義務があることは明らかである。
よって,この点の原告の主張は誤りであるというべきである。
(9) 懲戒処分の相当性に関する原告の主張に対する反論
ア 原告の主張
原告は,「予防法18条が適用された結果,避航義務を負うbが『主因』,cが『一因』となる。したがって,原告に対するe二等航海士と対等の懲戒処分は取り消されなければならない。また,仮に船員の常務(予防法38条,39条)が適用されても,bがcを避けなければならなかったので,いずれにせよbが『主因』,cが『一因』は揺るがない。e二等航海士の見張り放棄の落ち度が大きい。したがって,原告をe二等航海士と対等の懲戒処分とするのは相当ではなく,本件裁決は取り消されなければならない。」と主張する。
イ 被告の反論
(ア) 予防法38条及び39条が適用されたとした場合
原告は,「仮に船員の常務(予防法38条及び39条)が適用されても,bがcを避けなければならなかったので,いずれにせよbが『主因』,cが『一因』は揺るがない。」として,以下のとおり,e二等航海士の見張りの不十分さなどを指摘している。
しかし,予防法38条及び39条の船員の常務が適用される場合,衝突した両船間に主因,一因の関係はなく,上記のとおり,両船が同等な衝突を避けるための措置をとる義務を負うことになり,海難審判の各受審人の懲戒処分は,事故態様,事故結果の重大性,各受審人の注意義務違反の程度等を実質的に判断して決定されるのである。
a 原告が見張り不十分になった理由と法定灯火不表示の理由について原告は,自らの見張りが不十分となった理由について,bを初認した後,bが能登半島突端に向けて大変針して遠ざかったので「まさか戻ってくるとは思ってもみなかった。」というもので,同情すべき理由があるなどと主張している。
しかし,e二等航海士は,理事官に対し,「02時15分頃,私が手動操舵で舵を取り,左転して前路のいか釣り船2隻を避けた。02時23分頃から元の針路(100度ほど)に戻すべく右舵をとった。」と供述し(乙1-3(e二等航海士に対する質問調書)26丁び27丁),また,本件裁決は,「e受審人は,自船に近い方のいか釣り漁船2隻の内の1隻が青っぽいLED集魚灯を使用していたので,珍しく感じ,同集魚灯の様子を見るために近寄ることとし,翌▲日02時15分頃その漁船まで約1海里に接近したところで,自ら手動操舵で左転して船首方向を010度とし,北上して同漁船2隻が右舷船尾方となったのち,02時24分頃元の針路線に戻すため,手動操舵で右転し,船首方向を100度として東行した。」と認定しているものであり(甲1・7頁2行目から8行目まで),bは,付近にいたいか釣り漁船を避けるために,一時北上したにすぎず,その後約9分後に元の針路に戻っている。
これによれば,原告は,少なくとも午前▲時▲分から衝突まで,約23分間見張りを十分に行っていなかった。原告は,もし他船が接近しても自船を避けてくれるものと思っていたとのことであるが,これは見張りを行っていなかった言い訳にすぎず,何ら同情・酌量すべき理由とはならないことは明白である。かえって,後記bのとおり,見張りの懈怠の点においては,原告の懈怠の程度が大きい。
なお,原告は,法定灯火を表示しなかった理由として,地元のルールを挙げているが,予防法が優先することは当然である。しかも,漁ろうに従事している船舶であることを示す法定灯火を表示していなかったことは,予防法の不遵守であることが明らかである。
b e二等航海士の見張り放棄との指摘について
原告は,e二等航海士が前方さえ向いていれば容易にcの灯火を確認できたのであって,その見張り不十分さは原告に比べてひどいと主張している。
しかし,e二等航海士は,「入直してから見掛けたのが集魚灯を点灯したいか釣り漁船だけで,前方に同灯の明かりを認めなかったことから,付近には先ほど航過したいか釣り漁船のほかに他船はいないものと思い,」前方等を漫然と見つつも,その注視を怠って見張りが不十分になった(乙1-3(e二等航海士に対する質問調書)26丁から28丁まで,32丁から34丁まで,乙1-調書546丁から553丁まで)のに対し,原告は,「02時15分bが能登半島突端に向けて大変針して北上し遠ざかったので,まさか戻ってくると思わずにそれ以降見張りを怠るとともに,もし他船が接近しても,自船は明るい投光器等を点灯しているから,操業中の漁船であると分かって自船を避けてくれるものと思い,」約23分間も前方等から完全に目をそらし,次に網を引く漁場を考えるなどして見張りを十分に行わなかった(乙1-25(原告に対する質問調書)258丁から260丁まで,乙1-36(原告の供述調書写)330丁,乙1-調書595丁)。
以上によれば,原告は,漫然と相手船の判断に任せて,見張りを完全に怠っていたという点で,その懈怠の程度がe二等航海士よりも大きいことは明らかである。
c 見落とし原因のねつ造との指摘について
原告は,現場周辺にはiといか釣り漁船1隻がいたのみであり,いか釣り漁船4隻など存在せず,e二等航海士も理事官に対し,いか釣り漁船の灯火のことなど全く述べていないのに,審判官が勝手にいか釣り漁船を増やし,e二等航海士のc見落としの原因をいか釣り漁船の集魚灯のためであるとねつ造した旨主張している。
しかし,まず,e二等航海士は,理事官質問調書において,いか釣り漁船4隻の存在とその位置を明確にしている。すなわち,e二等航海士は,その理事官質問調書添付のAISデータによる航跡図に自ら記載しており(乙1-3(e二等航海士に対する質問調書)37丁及び38丁),これにより衝突地点から西南西方約5海里の地点に2隻及び南西方約2海里の地点に2隻であることが認められることから,本件裁決において,「e受審人は,(中略)やがて船首方にいか釣り漁船4隻の集魚灯を視認するようになった。」と記しているのである(甲1・6頁26行目から7頁1行目まで)。
この点,iの船長jが供述するいか釣り漁船1隻の位置は,同人の海上保安官に対する供述調書添付のレーダー映像図に記載があり(乙1-38(jの供述調書写)355丁),衝突前のcから東方約2海里の地点であることが認められる。また,原告は,理事官に対し,「いか釣り漁船が原告の1海里弱北側,iがその沖にいた。」と供述している(乙1-25(原告に対する質問調書)258丁23行目)。
しかしながら,e二等航海士が操船していたbは,船橋が高く(水面から船橋床面までの高さ11.2メートル(乙1-39(実況見分調書写)367丁),cやiに比べて視界が広いことを考慮すると,e二等航海士の上記航跡図の記載の方が信用性が高いというべきである。
次に,e二等航海士がいか釣り漁船の集魚灯のためまぶしかったことについては,同人は,理事官に対し,「いか釣り漁船は集魚灯を点けていてまぶしかった。」(乙1-3(e二等航海士に対する質問調書)30丁20・21行目),「先ほど,l甲板手が戻ってきたところ,右舷遠方に,いか釣り漁船の明かりが見えてきたと述べたが,船体に振動を感じる前から右舷船首方約30度方向にそれらの明かりが見えていた。そのことを訂正する。見張りについていたとき,これらの方をぼんやりと見ていたのかもしれない。」(同33丁14行目から19行目まで)と各供述し,また,第1回審判の審判廷で,「右舷後方からいか釣り漁船の集魚灯の明かりが操舵室に差し込み,その光が光反射防止布が入っていない天井と前面窓ガラスに反射して,少し前方が見えにくい状況になっていた。」(乙1-調書550丁17行目から551丁1行目まで),「cが見えなかったのは,後方からのいか釣り漁船の明かりが多少は関係あると思う。」(同570丁4行目から7行目まで)と供述している。
以上によれば,審判官が勝手にいか釣り漁船を増やし,e二等航海士のc見落としの原因をいか釣り漁船の集魚灯のためであるとねつ造したなどということがないことは明らかである。
よって,この点に関する原告の主張も誤りである。
d 当て逃げとの指摘について
原告は,e二等航海士がcを転覆させても気付かないで現場を立ち去るほど,お粗末な当直であり,見張りを含めた基本的注意義務は同二等航海士の方が重いなどと主張している。
しかし,e二等航海士は漫然と衝突現場から立ち去っているのではない。e二等航海士は,衝突時,波に打たれたときのような船体振動を感じたことから,直ちに機関を回転数毎分170に減じ,操舵室右舷後方の通路に出て双眼鏡で海面を見たものの,何も発見できなかったので,機関回転数を元に戻して当直を続けたのであり,そのまま立ち去ったのではない(乙1-3(e二等航海士に対する質問調書)28丁)。
また,見張りの懈怠の程度についても,上記のとおり,原告の方がe二等航海士よりも大きいことは明らかである。
また,救命胴衣装着の法的義務はないものの,原告は当時救命胴衣を装着していて一命をとりとめたが,h甲板員はこれを装着していなかったため,海中に投げ出され行方不明となり,死亡認定された。もし,h甲板員が救命胴衣を装着していれば,原告が第1回審判の審判廷において供述するとおり救助された可能性が大きかったのである(乙1-調書629丁)。原告はh甲板員に救命胴衣の装着を促したということであるが,装着するよう厳しく指示すべきであったと思われる(乙1-25(原告に対する質問調書)261丁及び262丁,645丁及び646丁)。
(イ) 予防法18条が適用されたとした場合
本件では,予防法18条が適用される事案でないことは,これまで述べてきたとおりであるが,仮に,予防法18条が適用されるとした場合,原告主張のように避航義務を負うのはbであり,bが主因をなし,cが一因をなすことになる。
しかし,単にこれを理由として,原告に対するe二等航海士と対等の懲戒処分は取り消されなければならないわけではない。
懲戒処分の軽重は,事故態様,事故結果の重大性,各受審人の注意義務違反の程度等を実質的に判断して決定されるものであり,bが主因をなすからといって,必ずしもe二等航海士の懲戒処分と原告のそれとに差異を設けなければならないわけではない。
(ウ) 以上のとおり,本件では,予防法38条及び39条の船員の常務が適用される場合には,衝突した両船間に主因,一因の関係はなく,両船が同等な衝突を回避する義務を負うことになり,各受審人の懲戒処分は実質的に判断されなければならないが,原告は,漫然と相手船(b)の判断に任せて,約23分間にわたり見張りを完全に怠っていたという点で,その懈怠の程度がe二等航海士よりも大きいことは明らかである。また,予防法18条が適用される事案でないが,仮に,予防法18条が適用されるとした場合においても,必ずしもe二等航海士の懲戒処分と原告のそれとに差異を設けなければならないわけではない。
したがって,本件裁決が言い渡した原告の小型船舶操縦士の業務を1箇月停止するとの懲戒は,妥当であって,相当性を欠くものではない。
第3当裁判所の判断
1 本件における航法適用の時期について
(1) 前記前提となる事実のとおり,本件においては,衝突に至るまでのb及びcの針路,衝突時の位置関係に照らし,横切り船の航法(予防法15条)が適用されるのであれば,bを右舷側に見るcにおいて,bの進路を避けなければならないところ,各種船舶間の航法(同法18条1項)が適用されるのであれば,bがcの進路を避けなければならないことになるが,原告においてbの存在に気付いたのは,衝突の直前であり,e二等航海士は,衝突したこと自体の認識がないまま,α港に入港しているので,まず,どの時点をもって,適用すべき航法が定まるのかという点が問題となる。
航法の適用は,衝突のおそれがある見合い関係(両船が互いに針路を横切り衝突のおそれがあると認めるべき視認関係)が成立したときに定まるものであり,いったん定まった航法は,原則としてその後の状況の変化によって変更をきたすことはない(乙11「研修資料(審判業務編)」15頁参照)と解するのが相当であるところ,この見合い関係は,具体的な当事者が実際に衝突の危険を認めた関係を意味するものではなく,注意深い船長が注意していたとすれば衝突の危険があるものと認めるべき関係を指すものと解すべきである(最高裁判所昭和32年(オ)第817号昭和36年4月28日第二小法廷判決・民集15巻4号1115頁参照)。
したがって,本件においては,注意深い船長が注意していたとすれば衝突の危険があると認めるべき視認関係に立った時点をもって,適用すべき航法を検討することになる。
この点につき,原告は,本件につき,各種船舶間の航法が適用されることを前提に,予防法は衝突の防止を目的として,常に,操縦性能が制限され相対的に運航能力が劣る船舶を優先させるとしているのであるから,衝突のおそれの有無を判断する必要はないと主張するが,前記のとおり,横切り船の航法について規定する予防法15条1項は,「衝突するおそれがあるとき」であることを要件とし,同条2項で,各種船舶間の航法の適用がある場合には,横切り船の航法は適用されないこととしているのであるから,各種船舶間の航法の適用の有無を判断すべき時点も,衝突のおそれがあるときとするのが相当であり,原告の上記主張は採用できない。
(2) 証拠(乙1-35(e二等航海士の供述調書写),乙1-36(原告の供述調書写,乙1-42(実況見分調書写)及び乙1-43(実況見分調書写))によれば,午前2時25分ころから本件事故が発生した午前▲時▲分に至るまでの,b及びcの位置関係は,概略,別紙図面2(相対位置関係略図)記載のとおりであるところ,e二等航海士,g船長及びe二等航海士とともに当直に当たった甲板手を立会人として平成22年5月14日午後8時51分から同月15日午前1時15分まで実施された実況見分及び原告を立会人として同月14日午後5時45分から同月15日午前1時25分まで実施された実況見分(以下,これらを併せて「本件各実況見分」という。)の結果が次のとおりであったことが認められる。
ア 実況見分の使用船舶,灯火の状況
b及びcに見立てた漁船A(cと類似した灯火を設備している底びき網漁船で,総トン数12トン,長さ16メートル,幅4メートル,深さ1.3メートルのもの)のほか,cと船型や大きさが類似しているものの設備されている灯火に類似性のない漁船B(総トン数4.9トン)を使用し,bにe二等航海士,g船長及び本件事故当時,e二等航海士とともに当直に当たっていた甲板手が乗船し,漁船Aに原告が乗船し,漁船Aのマスト灯,両舷灯及び船尾灯のほかに,13個の作業灯火を点灯させ,bからは,cに見立てた灯火を点灯させた漁船Aの視認状況並びにcに見立てた漁船A及び漁船Bのレーダー映像の表示状況等の確認,cに見立てた漁船Aからは,bのビデオプロッター映像及び肉眼による見通し状況等の確認が行われた。
イ 実況見分の結果
① 本件事故当日午前2時30分の通過点における見通し状況等
a 位置
b:北緯36度36.118分,東経136度12.618分
漁船A:北緯36度37.204分,東経136度17.980分
b bからの見通し状況等
肉眼で見える灯火は黄色の1灯だけであったが,漁船Aの船首方向から船首左舷方向へ移動していく状況が確認できた。
7倍双眼鏡を使用したところ,上記灯火は4灯程度の別々の作業灯火であることが確認でき,これらの作業灯火が形成する影によって漁船A船体が同船に対して左舷外板を向けている状況や船首部分の形状等についても確認できた。
マスト灯,左舷灯,船尾灯の点灯状況については,上記作業灯火の光の影響によって判別することができなった。
漁船A,漁船Bとも,レーダー映像は鮮明に表示されており,プロット機能あるいはエコートレイル機能により航跡が表示されるなど,船舶であることが容易に識別できる映像であった。
c 漁船Aからの見通し状況等
プロッター映像には,漁船Aの船首方位238.8度,bまでの距離4.369海里,方位251.9度が表示されている。
漁船A船橋内からの船橋窓を通しての目視では,船橋周辺の作業灯火が明るく船橋窓のガラス部に反射するため,bの灯火を視認することはできなかったが,船橋から前部甲板上に降りて確認すると,bの白色灯火1灯が薄暗い感じでぼんやりと微かに肉眼で見える程度であった。
② 本件事故当日午前2時35分の通過点における見通し状況等
a 位置
b:北緯36度36.280分,東経136度13.925分
漁船A:北緯36度37.164分,東経136度17.807分
b bからの見通し状況等
肉眼では上記①の視認状況と顕著な差異は認めなかった。
7倍双眼鏡を使用したところ,作業灯火が船橋構造物の船首面や左舷面に2灯設備されている状況が確認でき,これらの作業灯火の光線によって,航走波が白く照らし出される状況や船橋構造物船首面にクレーンが設備されている状況等が視認できるなど,上記①に比べて,より細部まで確認することができた。
マスト灯,左舷灯,右舷灯,船尾灯の点灯状況については,上記①と同様,点灯状況を判別することができなった。
レーダー映像の表示状況は上記①と比較して相違点はなく,同様に鮮明に表示されており,船舶であることが容易に識別できる映像であった。
c 漁船Aからの見通し状況等
プロッター映像には,漁船Aの船首方位287.6度,bまでの距離3.332海里,方位251.4度が表示されている。
目視では,前部甲板上及び船橋右舷側窓から顔を出して見たところ,bの白色灯火2灯及び紅色の灯火1灯が肉眼で見える程度であった。
③ 本件事故当日午前2時40分の通過点における見通し状況等
a 位置
b:北緯36度36.517分,東経136度15.302分
漁船A:北緯36度37.060分,東経136度17.723分
b bからの見通し状況等
肉眼では上記①及び②の視認状況と比べて明るく感じられるものの,依然として1灯だけであるように見えるなど,顕著な差異は認めなかった。
7倍双眼鏡を使用したところ,作業灯火4灯の上部に白色マスト灯が点灯している状況が確認できるなど,上記②よりも灯火が明るく,はっきりと確認できる状況であった。
左舷灯,右舷灯,船尾灯の点灯状況については,依然として,点灯状況を判別することができなった。
レーダー映像の表示状況は上記①,②と比較して相違点はなく,同様に鮮明に表示されており,船舶であることが容易に識別できる映像であった。
c 漁船Aからの見通し状況等
プロッター映像には,漁船Aの船首方位252.2度,bまでの距離1.967海里,方位248.1度が表示されている。
目視では,船橋右舷側窓から顔を出して見たところ,bの白色灯火2灯及び紅色の灯火1灯が,その配置も含めてはっきり確認でき,船橋内の前方の窓からも微かに視認することができた。
④ 本件事故当日午前2時45分の通過点における見通し状況等
a 位置
b:北緯36度36.766分,東経136度16.703分
漁船A:北緯36度36.996分,東経136度17.601分
b bからの見通し状況等
肉眼でも作業灯火の設置場所が確認できる程,灯火が鮮明に見えている。
7倍双眼鏡を使用したところ,上記③よりも白色灯が明るく感じられるとともに,船首甲板や船尾甲板上に設備されているローラー等の状況まで確認できる状況であった。
左舷灯,右舷等,船尾灯の点灯状況については,依然として,点灯状況を判別することができなった。
レーダー映像の表示状況は上記①から③までと比較して顕著な差異はなかったが,漁船A,漁船Bとの距離が接近したことにより,それらの周囲に映し出されていた波の映像に漁船A,漁船Bの映像が紛れる現象が現れ始めた。継続監視していれば判別できるものの,プロット機能をオフにすると,判別しにくい状況は更に顕著になった。
c 漁船Aからの見通し状況等
プロッター映像には,漁船Aの船首方位254.6度,bまでの距離0.749海里,方位238.5度が表示されている。
目視では,船橋から窓越しに,bの白色灯火2灯及び紅色の灯火1灯が,その配置も含めてはっきり確認できた。
⑤ 本件事故当日午前▲時▲分の通過点(本件事故発生地点)における見通し状況等
a 位置
bを,北緯▲度▲分,東経▲度▲分に,船首を真方位80度に向け停留させ,漁船Aを左舷方向から,500メートルの位置まで接近させた。
b bからの見通し状況等
7倍双眼鏡を使用して漁船Aの接近状況を確認したところ,接近するにつれ,漁船Aの作業灯火が4灯以上設備されている状況が確認できるようになり,700メートルまで接近した時点で,船橋構造物船首面に4灯,船橋構造物右舷側面に2灯,船尾甲板の上部に2灯の合計8灯の作業灯火が点灯している状況を確認することができ,更に,500メートルまで接近した時点では,注視しなくても,作業灯火の光が視界に入るとともに,漁船Aの船体が自然と視界に入ってくる状況となり,作業灯火の光により浮かび上がる船体状況は,上記④よりも更に細部まで確認することができた。
500メートルまで接近した時点では,緑色の右舷灯,船橋構造物上部のマスト灯が点灯している状況も確認できた。
レーダー映像については,上記④の状況と同様であった。
(3) 証拠(甲1)及び弁論の全趣旨によれば,本件裁決では,bとcとの距離が1海里となった午前▲時▲分をもって,衝突のおそれがある見合い関係が成立したとしていること,同時刻,原告が操船していたcが,西防波堤灯台から264度15.1海里の地点に達したとき,原告は,右舷船首29.5度1.0海里に東行する態勢となっているbの白,白,紅3灯を視認することができる状況にあったにもかかわらず,原告は,もし他船が接近しても,自船は明るい作業灯火を点灯していているから,他船において操業中の漁船であると分かって自船を避けてくれるものと思い,レーダープロッターを活用するなど,周囲の見張りを十分に行わなかったため,前記状況に気付かず,警告信号を行うことも,直ちに機関を中立として行きあしを止めるなどの衝突を避けるための措置をとることもなくcを続航させたこと,他方,同時刻,bが,西防波堤灯台から▲度▲海里の地点に達したとき,e二等航海士は,左舷船首5.5度1.0海里に,cが点灯した作業灯火の明かりを視認できる状況にあり,また,レーダーのARPA機能を使えば同船が低速力で南西進していることが分かる状況にあったにもかかわらず,e二等航海士は,入直してから見掛けたのが集魚灯を点灯したいか釣り漁船だけで,前方に同灯の明かりを認めなかったことから,付近には先ほど航過したいか釣り漁船のほかに他船はいないものと思い,使用中のレーダーを活用するなど,周囲の見張りを十分に行わなかったため,前記状況に気付かず,警告信号を行うことも,大きく右転するなどのcとの衝突を避けるための措置をとることもなくbを進行させたことが認められるが,前記(2)の本件各実況見分の結果に加え,午前2時31分少し前にbが針路80度に定針した後は,既にcは針路225度に定針しており,上記午前▲時▲分までに約12分間,相互に,接近してくる他の船舶のコンパス方位に明確な変化が認められない状況が続いていることから,これと衝突するおそれがあると判断しなければならないこと(予防法7条4項),また,cが長さ12メートル未満の船舶であり,その予防法上の灯火について前提とされる視認距離が,マスト灯,船尾灯,全周灯につきいずれも2海里以上,舷灯につき1海里以上とされている(同法22条)ことを併せ考えれば,本件裁決のとおり,bとcの距離が1海里となった午前▲時▲分の時点で,適用されるべき航法を検討するのが相当である(以下,この時点を「本件航法適用時点」という。)。
(4) そして,前記前提となる事実及び本件各実況見分の結果に照らせば,本件航法適用時点において,bは,航行中の動力船の運航実態にあり,その法定灯火を表示していたが,cは,トロール従事船の運航実態にありながら,マスト灯,両舷灯,船尾灯のほか,作業灯火を点灯し,トロール従事船が表示すべき法定灯火は表示していなかったことが認められる。
2 本件に適用すべき航法について
(1) 本件裁決は,bは,cから見て,外見的にも運航実態としても航行中の動力船と認められるのに対し,cは,実態としてはトロール従事船であるが,法定灯火の不表示と,舷灯などの法定灯火の視認又はその特性の識別を妨げる作業灯火の点灯により,bから見て,トロール従事船であることを外見的に識別することができず,e二等航海士の経験から,底びき網漁操業中の漁船あるいは低速力で航行中の漁船のいずれかであると推測できるにとどまる状況であったと認められ,原告は,各種船舶間の航法(予防法18条)が適用される関係にあると判断することができたと認められるものの,e二等航海士は,cが点灯していた投光器等の明かりと運航実態だけでは,各種船舶間の航法が適用されるものか,横切り船の航法(同法15条)が適用されるものかを判断しかねる状況であったと認められるとして,本件事故について,各種船舶間の航法を適用することも,横切り船の航法を適用することも相当ではなく,同法38条及び39条を適用して船員の常務により律するのが相当であるとしている(甲1)が,これに対し,原告は,cが運航実態としてトロール従事船であり,e二等航海士もそのことは認識できたものであるから,各種船舶間の航法を適用すべきであると主張するので,以下,本件事故について,各種船舶間の航法を適用することの可否につき検討する。
(2) 航法適用の前提条件について
互いに他の船舶の視野の内にある2船間における航法適用は,相手船の船体や表示された法定灯火及び形象物を視認することで,船舶の種類,状態,大きさなどを外形的に識別し,動静監視することで,その運航実態と衝突のおそれの有無を確かめたうえで判断されるものであるから,衝突のおそれがある見合い関係が生じて航法が適用されることとなった時点において,相手船の船舶の種類,状態,大きさなどを外見的に識別できないときや,その運航実態を確かめることができないときは,適用航法について,判断できなかったり,両船の判断に食い違いが生じたりして,衝突の防止を図ることができない事態が生じ得ることとなる。
そのため,両船が,互いに相手船の船舶の種類,状態,大きさなどについて外形的に認識することができ,その認識が運航実態と一致して,当該衝突のおそれのある見合い関係に適用される航法について同じ判断を下すことができることが航法適用の前提条件になるというべきである。
(3) 各種船舶間の航法(予防法18条)適用の前提条件について
ア 予防法は,第2章航法の第2節互いに他の船舶の視野の内にある船舶の航法中の18条において,各種船舶間の航法について規定し,同条1項では,航行中の動力船は,運転不自由船,操縦性能制限船,漁ろうに従事している船舶及び帆船の進路を避けなければならないことを,同条2項では,航行中の帆船(漁ろうに従事している船舶を除く。)は,運転不自由船,操縦性能制限船及び漁ろうに従事している船舶の進路を避けなければならないことを,同条3項では,航行中の漁ろうに従事している船舶は,できる限り,運転不自由船及び操縦性能制限船の進路を避けなければならないことを規定している。これは,互いに視野の内にある動力船,帆船,漁ろうに従事している船舶,運転不自由船及び操縦性能制限船という操縦性能の異なる船舶間に衝突のおそれが生じた際,操縦性能の優れている船舶が操縦性能の劣っている船舶の進路を避けるという原則を採用するものと解されるが,予防法が,海上における船舶の衝突を予防し,もって船舶交通の安全を図ることを目的とする(同法1条)ことに鑑みれば,同法18条1項から3項までの規定は,上記各種船舶が,同法3条に規定された定義に該当する運航実態にあり,そのことが,視覚的に他船から認識可能である場合であることが前提であると解するのが相当である。
イ 予防法は,船舶が,その種類,状態,大きさなどに応じて表示すべき灯火及び形象物について規定し,それらの表示を義務付けるとともに,法定灯火と誤認されたり,法定灯火の視認やその特性の識別を妨げたり,見張りを妨げたりする灯火の使用を禁じている(同法20条1項)のも,法定灯火又は形象物により,自船の種類,状態,大きさなどの情報を他船が認識できるようにすることで,相互に,他船も自船の種類,状態,大きさなどを把握したうえで,適切な航法を適用するはずであるとの信頼関係のうえに立って,それぞれ適切な航法の選択を可能とし,衝突の予防を図る趣旨に出でたるものであると解される。
ウ 予防法は,あらゆる視界の状態における航法として,船舶に,視覚,聴覚及びその時の状況に適した他のすべての手段による適切な見張り(同法5条),レーダーを使用している船舶におけるレーダーの適切な使用(同法7条2項)を義務付けており,法定灯火又は形象物以外の見張りやレーダー使用によって得られる情報からも,他船の種類,状態,大きさなどをある程度認識することは可能と考えられるが,レーダーによって得られる情報によっては,他船が漁ろうに従事しているか否かは判断することはできず,殊に夜間においては,船舶の種類,状態,大きさなどを他船において視覚的に認識する手段としての法定灯火の視認は極めて重要である。
エ これらのことからすれば,一方の船舶が漁ろうに従事している船舶として,予防法18条の定める各種船舶間の航法が適用されるためには,夜間においては,原則として,漁ろうに従事している船舶がその旨を示す法定灯火を掲げそれが他の船舶にも認識できることが必要というべきである。
(4) 本件事故における各種船舶間の航法適用の有無について
ア 前記前提となる事実のとおり,cは,マスト灯,両舷灯及び船尾灯に加えて,マストに緑色全周灯,白色全周灯及び黄色回転灯を装備していたほか,操舵室前面上部の両舷に船首甲板に向けて,同室左右両側面上部に下方に向けて,及び同室左舷前方の舷門部に下方に向けて,300ワット又は500ワットの傘付き投光器計7個を,船員室上部の鳥居型マストの両舷に船尾甲板に向けて300ワット又は500ワットの傘のない投光器各1個を,並びに舷門部を除く各投光器の下方に100ワットのグローブ付き作業灯計6個をそれぞれ備えていたところ,本件航法適用時点においては,航行中の動力船が表示すべき法定灯火であるマスト灯,両舷灯及び船尾灯を表示し,黄色回転灯は点灯させておらず,作業灯火を点灯させていたものであって,本件各実況見分の結果に照らせば,本件航法適用時点において,bからは,左舷灯,右舷灯,船尾灯の点灯状況については,点灯状況を判別することができないものの,cが点灯した作業灯火の明かりが視認でき,7倍双眼鏡を用いれば,作業灯4灯の上部に白色マスト灯が点灯している状況がはっきりと確認できる状況にあり,レーダー映像にも,鮮明に表示されており,船舶であることが容易に識別できる状態にあり,レーダーのARPA機能を使えば,cが低速力で南西進していることが分かる状況にあったということができる。
イ そして,証拠(乙1)によれば,①bには,操舵室に,法定航海用具である7倍双眼鏡2個が備えられていること(乙1-12(航海用具リスト写)),②e二等航海士は,g船長から,漁船に対しては早めに避航するよう指示を受けていたこと(乙1-2(g船長に対する質問調書)6丁及び12丁,乙1-3(e二等航海士に対する質問調書)22丁及び31丁),③e二等航海士は,本件海域において,これまでの経験に照らし,作業灯火を点灯している速力の遅い小型の船舶は底びき網漁船であると判断していたこと(乙1-調書543丁から566丁まで)が認められる。
ウ 上記ア及びイによれば,本件航法適用時点において,e二等航海士が,注意深い船長として注意していれば,視認の結果及びレーダー映像から,cが,作業灯火を点灯させた速力の遅い小型の船舶であることは十分認識することができるというべきであるが,証拠(乙1)によれば,第1回審判期日において,e二等航海士が,審判長からの「これまでの経験で,作業灯を点けて低速で走っている漁船と出会って,底びき網漁船だと分かったということでしたが,そのような船を見て,そのそばを通航したときにしっかりと見て,底びき網漁をしていなかったということがありますか。」との問いに対し,「やっていない船もありました。」と答え,さらに,審判長からの「何をしていましたか。」との問いに対し,「ただ作業灯を点けて,速力を落として走っている船もありました。」と答え,最後に,審判長からの「何か特別な作業をしている様子はなかったですか。」との問いに対し,「そこまでは分かりません。」と答えていること(乙1-調書581丁),原告も,網を揚げて,次に網を入れるまでの約20分間は,作業灯火を点灯したまま航行している旨供述していること(乙1-調書633,634丁)が認められ,この点に照らせば,作業灯火を点灯している速力の遅い小型の船舶であれば必ず漁ろうに従事している船舶であると判断することはできないというべきであり,注意深い船長としては,上記の視認結果及びレーダー映像によって,cが,漁ろうに従事しているか否かという点についてまで,認識・判断が可能であったとはいい難いというべきである。
エ したがって,本件事故につき,予防法18条の定める各種船舶間の航法を適用すべきであったということはできない。
(5) 本件事故についての航法の適用について
以上のとおり,本件航法適用時点では,cはトロール従事船の運航実態にあったものではあるが,bからは,注意深い船長の立場に立ったとしても,cが,底びき網漁船であることの認識は可能であったものの,漁ろうに従事していることの認識まではできない状況にあったのであり,また,同時点では,左舷灯,右舷灯,船尾灯については,依然として,点灯状況を判別することができなかったものと認められる(前記(2)イ参照)ことに照らし,法定灯火の点灯状況についての判別も困難な状況にあったというべきであるから,結局,予防法18条の定める各種船舶間の航法又は同法15条の定める横切り船の航法のいずれについても,それらが適用されるものかを判断しかねる状況にあったというべきであり,本件事故は,cとbとが,航法について,同じ判断を下すことができない状況下で発生したというべきであるから,同法38条及び39条を適用して,船員の常務により律するのが相当というべきである。
3 本件事故の原因と原告の行為について
(1) 以上によれば,本件事故は,夜間,α港西方沖合において,同港に向け航行しているbと,底びき網をえい網しているcとが,衝突のおそれがある態勢で接近した際,bにおいて見張り不十分で,警告信号を行わず,衝突を避けるための措置をとらなかったことと,cにおいて,漁ろうに従事している船舶の法定灯火を表示せず,見張り不十分で,警告信号を行わず,衝突を避けるための措置をとらなかったことによって発生したというべきである。
(2) そして,原告は,夜間,α港西方沖合において,底びき網をえい網しながら進行する場合,接近する他船を見落とすことのないよう,周囲の見張りを十分に行うべき注意義務があった。しかし,原告は,もし他船が接近しても,自船は明るい作業灯火を点灯しているから,漁ろうに従事している船舶であると分かって自船を避けてくれるものと考えて,周囲の見張りを十分に行わなかった職務上の過失により,bが衝突のおそれがある態勢で接近していることに気付かず,帳面の操業記録を見て次の投網地点を検討することなどに専念し,警告信号を行うことも,衝突を避けるための措置をとることもなく進行して,bとの衝突を招き,同船及びcにそれぞれ損傷を生じさせたほか,cを転覆させてのち沈没させるとともに,自らも負傷し,cの甲板員が行方不明となってのち死亡が認定される事態を生じさせるに至ったものというべきである。
4 原告に対する懲戒処分の相当性について
(1) 神戸地方海難審判所は,本件海難事件につき,予防法18条(各種船舶間の航法),同法15条(横切り船の航法)のいずれもを適用せず,同法38条及び39条を適用して船員の常務により律して,原告及びe二等航海士の注意義務違反を認定し,前記前提となる事実のとおり,原告の小型船舶操縦士の業務を1箇月停止し,e二等航海士の三級海技士(航海)の業務を1箇月停止する旨の裁決をしている(甲1)ところ,上記のとおり,本件事故について,船員の常務により律すべきこと,原告の過失内容,結果の重大性に照らせば,本件裁決において原告に課された小型船舶操縦士の業務を1箇月停止する旨の懲戒処分は相当であるというべきである。
(2) この点につき,原告は,船員の常務により律すべきとしても,本件事故の主因はbにあり,本件裁決において原告に課せられた懲戒処分は重きに失する旨主張する。しかしながら,船員の常務により律せられる場合には,両船は,それぞれ,衝突回避のためにできることを行う義務を負うのであり,本件事故については,c及びbのいずれもが,その義務に違反していることは前記のとおりであるから,原告の主張は採用しない。
5 以上のとおり,本件事故につき,原告に対し,原告の小型船舶操縦士の業務を1箇月停止するとの懲戒処分を課した本件裁決は相当であり,原告の請求は理由がないから棄却することとし,主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 市村陽典 裁判官 團藤丈士 裁判官 菅家忠行)
(別紙)
船 舶 目 録
1 油送船b
(1) 船籍港 東京都
(2) 船舶所有者 f株式会社
(3) 総トン数 3317トン
(4) 全長 105.00メートル
(5) 幅 15.50メートル
(6) 深さ 7.85メートル
(7) 機関の種類 ディーゼル機関
(8) 出力 3883キロワット
(9) 船舶番号 ○
2 漁船c
(1) 主たる根拠地 金沢市
(2) 船舶所有者 有限会社d
(3) 総トン数 6.93トン
(4) 登録長 11.80メートル
(5) 幅 3.05メートル
(6) 深さ 0.86メートル
(7) 機関の種類 ディーゼル機関
(8) 漁船法馬力数 120
(9) 漁船登録番号 ○-○
以 上