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東京高等裁判所 平成25年(ネ)2809号 判決 2013年12月16日

控訴人

同訴訟代理人弁護士

水上博喜

小林亞樹

被控訴人

同訴訟代理人弁護士

内山裕史

同訴訟復代理人弁護士

関口郷思

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実及び理由

第一控訴の趣旨

一  原判決中控訴人敗訴部分を取り消す。

二  被控訴人は、控訴人に対し、四〇二万〇六三〇円及びこれに対する平成二三年一二月二一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二事案の概要等

一  事案

本件は、弁護士である被控訴人に債権回収に係る法律事務を委任した控訴人が、①被控訴人は、委任契約上の善管注意義務に違反して、債務者の資産に対する仮差押命令の申立てを行わなかったことにより、債権回収が不能になったなどと主張して、債務不履行に基づく損害賠償請求権に基づき、回収が不能となった債権額の約五パーセント相当額の三〇〇万円及びこれに対する支払請求日の後の日である平成二三年一二月二一日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を、②債務不履行を理由として委任契約を解除したと主張して、不当利得返還請求権に基づき、支払着手金の九五パーセント相当額の九九万七五〇〇円及びこれに対する委任契約解除日の後の日である同日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延利息の支払を、③委任契約の終了による返還請求権に基づき、予納した委任事務処理費用のうち使用しなかった四万八〇〇〇円及びこれに対する返還請求日の後の日である同日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払をそれぞれ求める事案である。

原審は、控訴人の請求のうち、上記③の請求金額のうちの二万四八七〇円及びこれに対する返還請求日の後の日である平成二三年一二月二一日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるとしてこれを認容したが、その余の請求はいずれも理由がないとして棄却した。

そこで、控訴人は、原判決中控訴人敗訴部分を不服とし、請求が棄却された部分の支払を求めて、控訴した。

二  前提事実

(1)  後記(2)のとおり補正するほかは、原判決の「事実及び理由」中の「第二 事案の概要」の「一 争いのない事実等」(原判決二頁一二行目~四頁二行目)に記載のとおりであるから、これを引用する。

(2)  補正

ア 原判決二頁一五行目の「原告は、」から同頁一八行目末尾までを「控訴人は、平成二二年六月一日、被控訴人に対し、A(以下「A」という。)から五七九八万円を詐取されたとして、Aに対する債権回収に係る法律事務を委任し、被控訴人はこれを受任した(以下、この契約を「本件委任契約」という。ただし、本件委任契約における委任事項の範囲については、争いがある。)。」と改め、同頁二一行目の「「示談折衝、その他(内容証明作成)」とあるのを「「示談折衝」及び「その他(内容証明作成)」と改める。

イ 原判決三頁四行目から五行目にかけての「記載された」とあるのを「記載されている」と改め、同頁二四行目の「(以下「本件指定口座」という。)」を削除し、同頁二五行目の「本件指定口座に」とあるのを「上記本件債務承認書中の第三に記載の振込先口座(以下「本件指定口座」という。)に」と改める。

ウ 原判決四頁二行目の「基づき」とあるのを「基づく」と改める。

三  争点及び争点に関する当事者の主張

(1)  後記(2)のとおり補正し、(3)のとおり当審における当事者の主張を付加するほかは、原判決の「事実及び理由」中の「第二 事案の概要」の「二 争点及び争点に関する当事者の主張」(原判決四頁四行目~一二頁一行目)に記載のとおりであるから、これを引用する。

(2)  補正

ア 原判決四頁四行目の「善管注意義務違反」とあるのを「善管注意義務等の違反」と改め、同行末尾に「(以下「争点(1)」という。)」を加え、同頁九行目の「受けたものであること」とあるのを「受けたものであり」と改め、同行の「被告は、」の後に「本件委任契約を締結する際に、」を加え、同頁一〇行目の「定めたことなどから、」とあるのを「定めるなどしている。以上によれば、」と、同頁二二行目の「作成すべき」とあるのを「作成させるべき」と、同頁二六行目の「金額が不確定であり、これでは、被告は、」とあるのを「支払金額が不確定であり、被控訴人がAにこのような内容の債務承認書を作成させたことは、」とそれぞれ改める。

イ 原判決五頁四行目の「「差押す」から同頁六行目の「処理をしてほしい。」と申し向け、」までを「仮差押命令の申立て、マスコミを利用して圧力をかけること、刑事告訴など、より積極的かつ確実な債権の回収を早急に行ってほしい旨依頼し、」と、同頁一〇行目の「仮差押命令申立て」とあるのを「仮差押命令の申立て」と、同頁二六行目の「Aとの約定を」とあるのを「本件債務承認書によるAの支払約束を」とそれぞれ改める。

ウ 原判決六頁一行目の「取れなくなっても」とあるのを「取れなくなった後も」と、同頁八行目の「仮差押命令」とあるのを「仮差押命令の」と、同頁一二行目の「作成すべき」とあるのを「作成させるべき」と、同頁一九行目の「採」とあるのを「執」とそれぞれ改める。

エ 原判決七頁一六行目の「仮差押命令申立て」とあるのを「仮差押命令の申立て」と改める。

オ 原判決八頁三行目冒頭から同頁八行目末尾までを、以下のとおり改める。

「 被控訴人は、平成二二年九月三〇日まで、Aと連絡が取れており、Aと連絡できなくなったのは同年一〇月一日以降である。

被控訴人は、Aが本件債務承認書に基づく同年九月三〇日を支払期限とする支払金の振込みをしなかった直後から同年一〇月二〇日までの間に、控訴人に対し、四回にわたり、ファクシミリで送信した書面(以下「ファクシミリ書面」という。)により、①Aが上記振込みをしなかったこと、②控訴人の要望に従って、再度、Aに対し、ファクシミリ書面、配達証明付き郵便及び普通郵便により上記支払金の振込みを求めたこと、③再度の振込請求が奏功しなかったことを報告し、同日の報告では、今後の方針として仮差押手続があることを説明した。

したがって、被控訴人には控訴人主張の報告義務違反はない。」

カ 原判決九頁五行目の「末日には」とあるのを「各末日に」と、同頁六行目の「弁済していたこと、」とあるのを「本件指定口座に振り込んでいたこと、」と、同頁八行目の「弁済意思自体は」とあるのを「弁済意思を」とそれぞれ改め、同頁一七行目の末尾に「(以下「争点(2)」という。)」を加え、同頁一九行目の「債権」とあるのを「金銭債権」と改め、同頁二六行目の末尾に「(以下「争点(3)」という。)」を加える。

キ 原判決一〇頁二行目の「平成二二年一〇月二七日ころ」とあるのを「平成二二年一〇月二八日、同日付けファクシミリ書面により」と改め、同頁一〇行目の「本件において、」を削除し、同頁一二行から同頁一三行目にかけての「九五パーセントである」とあるのを「九五パーセント相当額の」とそれぞれ改める。

ク 原判決一一頁一七行目の末尾に「(以下「争点(4)」という。)」を加える。

(3)  当審における当事者の主張

ア 控訴人

(ア) 本件委任契約における着手金の金額の決定過程について

本件委任契約における着手金の金額の決定過程において、被控訴人は、控訴人に対し、報酬説明書を交付せず、着手金の具体的内容も説明せずにその金額を定めた。しかし、原審は、この事実を認定せず、単に「被告は、原告に対し、着手金二〇〇万円以上となると告げたが、その提示額を一旦一五〇万円に下げ、さらに、一〇五万円(消費税込み)に下げた。」、「原告は、これを了承した。」とする事実誤認の認定をしている。

(イ) 争点(1)のうち本件委任契約の委任事務の範囲について

本件委任契約の委任事項に仮差押命令申立事務が含まれているかどうかに関して、原審は、平成二二年七月七日に控訴人及びBと被控訴人との間で持たれた面談の場で、控訴人側から被控訴人に対し、「仮差押申立てを行うこと、マスコミを使って圧力をかけること、刑事告訴をすることなど、より積極的な債権回収手続を採るよう申し向けた。」、これに対して、被控訴人は、「肯定的な回答をし、特段、上記各手続を採ることができないことやその理由を告げることもなかった。」との事実を認定している。この認定事実によれば、控訴人から被控訴人に対して仮差押命令の申立てという法律事務について依頼があり、被控訴人は明示的に又は少なくとも黙示的に同依頼を承諾したことが認められるというべきである。

しかし、原審は、本件委任契約の委任事項に仮差押命令申立事務は含まれないと判断しており、同判断には、経験則に反する違法がある。

(ウ) 争点(1)に係る受任時の説明義務違反について

債権回収に係る法律事務の依頼を受ける弁護士たる被控訴人は、委任契約締結過程における信義則上の義務の一環として、①裁判上の手続(訴訟、保全等)、訴訟外の手続として公正証書の作成、任意の和解手続等の各種の債権回収手段があること、②それぞれの手段のメリット、デメリット、③今回選択すべき手段とその理由等について説明する義務がある。しかし、被控訴人は、本件委任契約締結に際し、控訴人に対し、以上のことについて一切説明していない。

したがって、被控訴人には、上記の説明義務違反がある。

(エ) 争点(1)のうち善管注意義務違反の有無について

a 債権回収手段の選択に関する説明義務違反

債権回収に係る法律事務を受任した弁護士たる被控訴人は、債権回収手段として示談交渉を選択する場合、委任契約上の善管注意義務の一環として、①同手段は、Aが示談の条件に違反しても直ちに強制執行等の手続を執ることができないこと、②示談交渉中は、信義則上、裁判等の強力な手段を執ることができないこと、③示談による債権回収が不可能になった場合に初めて裁判等の手段を執ることになるため、Aの財産確保が遅れる可能性があるなどのデメリットを説明するとともに、④このデメリットを回避する手段として、仮差押命令の申立てその他の裁判手続を執るという選択肢があることを説明する義務がある。しかし、被控訴人は、債権回収手段として示談交渉を選択した際、控訴人に対し、以上のことについて一切説明していない。

したがって、被控訴人には、上記の説明義務違反がある。

b 平成二二年六月一三日の示談交渉に関する説明義務違反

法律事務を受任した弁護士たる被控訴人は、報告義務や説明義務が免除されたなどの事情がない限り、委任契約上の善管注意義務の一環として、また、「弁護士は、必要に応じ、依頼者に対し、事件の経過及び事件の帰趨に影響を及ぼす事項を報告し、依頼者と協議しながら事件の処理を行わなければならない。」と定める弁護士職務基本規程三六条に基づき、委任事務の途中経過について適宜に報告し、説明すべき義務がある。

被控訴人は、平成二二年六月一三日にAと示談交渉を行うに当たり、上記の報告、説明義務として、控訴人に対し、事前にどのような示談交渉を行うのかなどについて説明をする義務があった。また、交渉当日も、Aとの間で取り交わす本件債務承認書の内容及び効力に関して、①同年七月以降の支払金額の記載がなく、支払金額が不確定であるから、同月以降はいくら支払われるか不明確であること、②期限の利益喪失約款がないため、分割支払金の範囲内の金額しか請求できないこと、③遅延損害金の定めがないため、支払を怠っても制裁がなく、支払の遅延や懈怠の可能性が極めて高いこと、④支払金額が特定されていないので債務名義とならないことなどのデメリットについて説明をするとともに、⑤デメリットを回避するためには、訴訟を見据えた保全手続や、金額を特定して期限の利益喪失約款を付した公正証書を作成するなどの手段を選択し得ることを報告又は説明する義務があった。しかし、被控訴人は、控訴人に対して以上の報告、説明をしないで、控訴人に本件債務承認書による示談成立の意思決定を迫り、本件債務承認書を取り交わしただけでAとの示談交渉を終了させた。

したがって、被控訴人には、上記の報告、説明義務違反がある。

c 本件債務承認書作成に係る善管注意義務違反

(a) ①Aは、投資詐欺を行っており、欺罔行為に及ぶ傾向が極めて強い人物であって、詐欺師又はそれに類する者として、逮捕・起訴を免れるために支払約束をすることが経験則上明らかであること、本件債務承認書はAが提案してきたものであること、Aが承認した債務は五八〇〇万円もの多額のものであることなどに鑑みると、Aが本件債務承認書に基づいて長期にわたり債務の弁済を続けると期待し得る合理的根拠は皆無であった。また、②本件債務承認書作成当時、Aは、相当程度の財産を有していたが、控訴人やその他の詐欺被害者らによる金銭請求の追及を免れるため、所有財産を散逸させたり、行方をくらませるなどの行為に及ぶ公算が極めて高かった。他方、③被控訴人は、Aが大阪市内にマンションを所有し、フリービットの株式二〇〇株及び一〇〇〇万円の預金を有していることを記載した財産開示の書面を、Aから受領していた。以上によれば、被控訴人は、債権回収手段として示談交渉を選択してAの任意弁済を期待したこと自体、善管注意義務に違反するというべきである。

(b) また、被控訴人は、示談交渉を選択する場合においても、より早期に多額の弁済を約束させるよう交渉するとともに、遅延損害金や期限の利益喪失約款等を定めるなどして、Aに確実に弁済させる方策を講じるべきであったほか、任意弁済が履行されない場合に迅速に次の手段を講じることができるように、Aの財産を調査し、控訴人にAの財産に関する情報を説明すべきであった。しかし、被控訴人は、Aに債務承認を求めた際、漫然とAの提案を受け入れて、作成日及び承認に係る債務の法的性質の記載がなく、分割弁済の内容として、平成二二年六月三〇日を支払期限とする一〇〇万円を除き、同年七月以降の分割支払については、支払額、遅延損害金、期限の利益喪失約款のいずれも定めておらず、控訴人にとっては平成二四年三月まで債権額五八〇〇万円のうち一五〇〇万円までしか請求できないという不利な状況に置く上、完済までに九年二か月も要するのに、分割支払金の支払を怠った場合の制裁条項が全くない内容の本件債務承認書を取得しただけで、確実に任意弁済がされる方策を講じることも、Aの財産についての情報収集もせず、また、控訴人に対する説明もしなかった。

したがって、被控訴人は、本件債務承認書の取得に際し、本件委任契約上の善管注意義務を尽くしたとはいえず、同義務違反がある。

しかるに、原審は、本件債務承認書が以上のような内容のものであることを看過して、被控訴人が本件債務承認書を取得したことについて委任契約上の善管注意義務違反はないと判断しており、同判断には事実誤認がある。

なお、控訴人が本件債務承認書の内容について承認しているとしても、それはやむを得ず承認したものであり、これによって、被控訴人がAから本件債務承認書を取得したことが、Aからのより速やかかつより確実な債権回収をするという本件委任契約における委任の本旨に従ったものとなるものではない。

d 平成二二年七月七日の面談時における説明義務違反

被控訴人は、平成二二年七月七日に控訴人及びBと被控訴人との間で持たれた面談の場で、控訴人側から、積極的な債権回収のために、仮差押命令の申立てを行うこと、マスコミを利用して圧力をかけること、刑事告訴をすることを申し入れられた際に、委任契約上の善管注意義務の一環として、また、弁護士職務基本規程三六条に基づき、上記各手段はその当時の状況に照らして信義則上妥当でなく、Aの支払意思に疑義があるのであれば、支払が滞った時点で保全手続等の別の手段を執る必要があることについて説明する義務があった。しかし、被控訴人は、以上のことについて説明をせず、漫然と控訴人側の上記申入れに対して肯定的な回答をしたのみで、申入れがされた手段を執らなかった。

したがって、被控訴人には、上記の説明義務違反がある。

e 平成二二年九月上旬ころの報告、説明義務違反

被控訴人が、平成二二年九月上旬以降、Aと連絡を取ることができなくなり、Aが同月三〇日を支払期限とする金員の振込みをしなかったことは、債権回収の可否に重大な影響を及ぼす出来事であるから、被控訴人は、委任契約上の善管注意義務の一環として、また、弁護士職務基本規程三六条に基づき、控訴人に対し、それぞれの事態につきそれが生じた時点で報告、説明すべき義務があった。また、本件委任契約において仮差押命令申立手続等の依頼がなかったとしても、信義則上の義務として、Aと連絡が取れなくなった時点で仮差押命令の申立てを準備し、遅くとも同日を支払期限とする金員の支払がないことが判明した同年一〇月一日には、同申立ての準備を終えた上で、控訴人に対し、上記の報告、説明をするとともに、仮差押命令の申立てに着手するかどうかを打診する義務があった。しかし、被控訴人は、漫然と期間を経過させ、同月二〇日に至ってようやく、控訴人に対し、上記事態の報告と今後の方針協議をすることを連絡するファクシミリ書面を送ったにすぎない。

したがって、被控訴人には、上記の報告、説明、打診義務違反がある。

しかるに、原審は、上記事態が起こった時点で本件委任契約が終了したとはいえないから、民法六四五条に基づく報告義務があったとはいえないし、上記事態が起こってから上記ファクシミリ書面を送るまでの期間が不当に長いとは評価できず、その間、被控訴人が仮差押命令申立手続等を行わなかったことが善管注意義務に違反するとはいえないと判断しており、同判断には、適用法令の誤り及び経験則に反する違法がある。

(オ) 争点(2)について

控訴人は、本件委任契約における被控訴人の前記(ウ)及び(エ)の義務違反行為により、Aからの債権回収が不可能となり、少なくとも債権残額の約五パーセント相当額の三〇〇万円の損害を被った。

仮にそのようにいえなくても、控訴人は、本件委任契約につき被控訴人から前記(ウ)及び(エ)の義務違反の債務不履行を受け、弁護士に対する信頼を喪失し、被控訴人が所属する第二東京弁護士会の紛議調停委員会に対して紛議調停の申立てを余儀なくされるなどして、精神的苦痛を被った。この苦痛に対する慰謝料は三〇〇万円を下らない。

(カ) 争点(4)について

被控訴人は、本件委任契約に基づく委任事務処理費用の合計は二万五一三〇円であると主張するが、一度の示談交渉と一通の内容証明郵便の作成のみの委任事務処理においては、特段の事情がない限り、コピー代六五七〇円(二四六枚分)、電話代一万五〇〇〇円(一月当たり三〇〇〇円×五か月)もの費用を要することは考えられない。

しかるに、原審は、被控訴人が本件委任契約に基づく委任事務処理費用として二万五一三〇円を使ったと認定しているが、同認定には事実誤認がある。

イ 被控訴人

(ア) 前記ア(エ)cの主張について

本件委任契約における債権回収事務は、Aを返済交渉のテーブルに着かせること自体が困難なものであった。そこで、被控訴人は、Aに五七九八万円の債務を承認させることを第一の目的とした。

控訴人のAに対する債権が詐欺に基づくものというのは、控訴人が主張しているにすぎない。控訴人は、平成二一年二月一九日から平成二二年二月一〇日までの間に、Aを代表取締役とする有限会社a(以下「(有)a」という。)との間で九回にわたり株式投資契約を締結し、総額一億三一〇〇万円もの投資をしており、控訴人主張の債権はこの株式投資契約に関連するものであるが、本件委任契約当時、控訴人が回収を求める債権が詐欺による損害に係るものであるか、投資契約上Aが返還義務を負うものであるかについて、公権的判断はされていなかった。

また、本件債務承認書取得当時、Aの財産状況は明らかではなかった。Aは、本件債務承認書を差し入れた後、その財産関係を記載した書面を被控訴人に交付し、これにより初めて、被控訴人は、同書面に記載のAの財産を把握するに至った。

さらに、被控訴人は、Aとの交渉の途中で、隣室に待機していた控訴人に対し、交渉状況の報告、本件債務承認書の内容の説明を行い、本件債務承認書について控訴人の承認を得ている。

(イ) 前記ア(エ)dの主張について

控訴人は、平成二二年七月七日の面談後の同月二六日、同年八月二八日及び同年九月二四日に、それぞれ、被控訴人に対し、①Aに対して支払督促をすること、②本件指定口座に振り込まれた金員は、控訴人指定の控訴人の口座に送金すること、③本件指定口座への入金履歴のコピーを控訴人に送付することを指示している。以上の控訴人の指示の内容に照らすと、同年七月七日以降も、控訴人がAからの債権回収手段として仮差押命令申立手続を執る意思がなかったことを示すものである。

(ウ) 前記ア(エ)eの主張について

前記(2)オのとおり。

(エ) 前記ア(オ)の主張について

同主張は争う。

(オ) 前記ア(カ)の主張について

被控訴人ほか一名の弁護士が本件委任契約における債権回収事務に関わったため、二名分のコピーを取る必要があったこと、Aからのファクシミリ書面及び控訴人から参考書類として交付されたAとの株式投資契約に関するEメール、書簡等が大量であったことから、コピーの枚数が二四六枚になった。

電話代については、控訴人の法律事務所の運営上、各依頼者に対して一律に月額三〇〇〇円を請求している。

第三当裁判所の判断

当審も、控訴人の請求は、前記第二の一の③の請求のうち、二万四八七〇円及びこれに対する平成二三年一二月二一日から支払済みまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるが、その余の請求はいずれも理由がないものと判断する。

その理由は、以下のとおりである。

一  認定事実

前記第二の二の前提事実(引用に係る原判決の「事実及び理由」中の「第二 事案の概要」の「一 争いのない事実等」(ただし、補正後のもの。)並びに証拠<省略>によれば、以下の事実が認められる。

(1)  控訴人は、Aから高配当、元本保証等の言辞を使った勧誘を受けて、Aを代表取締役とする(有)aとの間で、平成二一年二月一九日から平成二二年二月一〇日までの間に、九回にわたり、別紙に記載の内容の株式投資契約を締結し、Aに対し、投資金として総額一億三一〇〇万円を交付した。

控訴人は、同年一月二八日まで、Aから配当金名目の支払を受けたが、それ以降、配当金の支払及び投資金の返済がされなくなったため、未払配当金及び未返済投資金の回収を弁護士に相談することとした。

(2)  控訴人は、平成二二年四月二一日ころ、知人から紹介された水上博喜弁護士(本件における控訴人の訴訟代理人。以下「水上弁護士」という。)に、前記(1)の未払配当金及び未返済投資金の回収について相談した。水上弁護士は、所属弁護士会の役員に就任し多忙であったため、(有)aないしAに対する上記未払配当金及び未返済投資金の支払を求める内容証明郵便を作成・送付することを引き受けるにとどめ、回収事務は受任しなかった。

水上弁護士は、(有)a及びその代表取締役Aに宛てて、配当金と投資金の合計五七九八万円を同月三〇日までに支払うこと、残金一一五七万〇八一八円の支払時期が何時になるのかなどの点について回答することを求める同月二二日付け内容証明郵便を作成し、送付した。しかし、同支払期限にAらからの支払はなかった。そのため、水上弁護士は、改めて、(有)a及びその代表取締役Aに宛てて、上記五七九八万円及び残金一一五七万〇八一八円の合計六九五五万〇八一八円を同年五月一四日までに支払うことを求めるとともに、出資法違反、詐欺を被疑事実とする刑事告訴手続を執ることがある旨記載した同月二日付け内容証明郵便を作成し、送付した。しかし、同支払期限にもAらからの支払はなかった。

控訴人は、水上弁護士が行った以上の事務に関して、委任状の作成も着手金その他金員の支払もしていない。

(3)  控訴人は、前記(2)とは別に、知人のBからC弁護士を紹介され、平成二二年六月一日に同弁護士と面談した。その際、控訴人は、同弁護士から、債権回収に強い弁護士であるとして被控訴人を紹介され、同日、被控訴人の事務所を訪れた。

被控訴人及び勤務弁護士一名は、控訴人と面談し、控訴人から、Aに五七九八万円を詐取されたので取り返してほしい旨の依頼を受けた。これに対し、被控訴人らは、控訴人の依頼事案を詐欺事案と即断するのは拙速であると判断し、債権回収手段として、未払配当金及び未返済投資金についてAに債務承認書を作成させ、返済すべき債務を認識させるとの方針を採ることとし、その旨控訴人に説明した。また、着手金の額については、最初は二〇〇万円以上になると説明したが、提示額を一五〇万円に下げ、さらに一〇五万円(消費税を含む。)に下げた。その際、被控訴人は、「六〇〇〇万円取れるか、三〇〇〇万円取れるか、九〇〇万円取れるか分からないけど、直ぐに回収できれば安いものでしょう。」との話をした。控訴人は、着手金の額を一〇五万円とすることを了承し、また、控訴人と被控訴人は、報酬金については回収額の一〇パーセント(税別)とすること、控訴人が予納する委任事務処理費用を五万円とすることを合意した。

被控訴人は、以上の合意の下、控訴人の依頼案件に関して、債権回収のための示談折衝事務及び内容証明の作成事務を受任することとし、本件委任契約書を作成した。

控訴人は、同年七月六日、被控訴人に対し、本件委任契約に基づく着手金一〇五万円及び委任事務処理費用として五万円を予納した。

(4)  被控訴人は、平成二二年六月一三日、大阪に居住するAを被控訴人の事務所に呼び出し、Aと債務弁済交渉を行った。控訴人は、同交渉の際、交渉が行われた部屋の隣にある交渉内容が聞こえる部屋で待機していた。

被控訴人は、Aと交渉を行い、Aが了解するに至った本件債務承認書の内容となった債務承認案を作成し、控訴人に対し、同案を示して、控訴人の了解を求めた。その際、被控訴人は、控訴人に対し、今Aから書面にサインをもらわなければ債権を回収できなくなるかも知れないがどうするかと問い、控訴人に決断を迫った。控訴人は、同案中の分割支払額が少額であることに納得がいかないところがあったが、その内容で債務承認書を作成させることを了承した。これに引き続き、Aは、同案を内容とする本件債務承認書に署名押印して、これを被控訴人に交付した。

(5)  被控訴人は、本件債務承認書作成後、Aから、その保有する資産の内訳として、①フリービット株式二〇〇株、②土地・建物(マンション)、③その他預金など(一〇〇〇万円)と記載した書面及び①の株式の内訳等を示す資料を取得した。

(6)  Aは、平成二二年六月二九日、本件債務承認書に基づき、本件指定口座に一〇〇万円を振り込んだ。被控訴人は、同年七月六日、控訴人の口座に上記一〇〇万円から成功報酬一〇万円を控除した九〇万円を振り込んだ。

(7)  控訴人は、Bと共に、平成二二年七月七日、被控訴人を都内のホテルに呼び出し、被控訴人と面談した。その席上、Bは、被控訴人に対し、仮差押え、マスコミを使った圧力、刑事告訴、この三つをやらないと、相手(Aのこと)はプロだから失敗しますよという話をした。これに対して、被控訴人は、勉強になった、いい話を聞いた、ありがとうございますなどと肯定的な回答をした。その際、被控訴人は、上記各手段に関して、それらを執ることができないことやその理由についての話はしていない。控訴人及びBは、被控訴人が上記各手段を執るものと理解したが、被控訴人は、その後、上記各手段を執っていない。

その後、Bが被控訴人に電話をかけた際、被控訴人は、Bが挙げた上記各手段について、今は直ぐにできない旨の話をした。

(8)  Aは、平成二二年七月一四日、被控訴人に対し、返済計画書と題するファクシミリ書面(以下「本件返済計画書」という。)を送った。同書面には、控訴人に対する債務の分割支払の方法として、①同月三〇日に一〇〇万円、②同年八月三一日に一〇〇万円、③同年九月三〇日に三〇〇万円を振り込むこと、④同年一〇月以降は、毎月末日に最低五〇万円ないし一〇〇万円を振り込むこと、⑤相場状況、持ち株状況によるが、出来るだけ早く完済ができるように頑張る旨の記載がされている。

(9)  控訴人は、本件債務承認書の内容では債権回収の実現について不安を感じていたため、平成二二年七月二四日、被控訴人に対し、電話で、公正証書を作成してほしい旨、Aの財産調査をしてほしい旨を申し入れた。これに対し、被控訴人は、同申入れを実行する旨の回答はしなかった。

控訴人は、同月二六日、被控訴人に対し、同月分の分割支払金を同月三〇日までに振り込むようAに催促すること、振込金を振込後五日以内に控訴人の銀行口座に入金すること、本件指定口座の通帳のコピーをファクシミリで送ることを指示するファクシミリ書面を送った。

(10)  Aは、平成二二年七月二九日、本件債務承認書及び本件返済計画書に基づき、本件指定口座に一〇〇万円を振り込んだ。被控訴人は、同日、控訴人の口座に一〇〇万円から成功報酬一〇万円を控除した九〇万円を振り込んだ。

(11)  控訴人は、平成二二年八月二八日、被控訴人に対し、Aに対して同月分の分割支払金を同月三一日に振り込むようAに催促すること、本件指定口座の通帳のコピーをファクシミリで送ること、振込金を控訴人の銀行口座へ入金することを指示するファクシミリ書面を送った。

(12)  Aは、平成二二年八月三一日、本件債務承認書及び本件返済計画書に基づき、本件指定口座に一〇〇万円を振り込んだ。被控訴人は、同日、控訴人の口座に一〇〇万円から成功報酬一〇万円を控除した九〇万円を振り込んだ。

(13)  控訴人は、平成二二年九月二四日、被控訴人に対し、同月分の分割支払金を同月三〇日に振り込むようAに請求すること、本件指定口座の通帳のコピーをファクシミリで送ること、振込金を控訴人の銀行口座へ入金することを指示するファクシミリ書面を送った。

(14)  被控訴人は、平成二二年九月二九日午前一一時二二分ころ、Aに対し、前記(13)の指示に従って、同月三〇日午後三時三〇分までに三〇〇万円を本件指定口座に振り込むことを要請するとともに、振込みがない場合には法的措置等を執ることになる旨を記載したファクシミリ書面を送った。

これに対し、Aは、同日午後〇時四八分ころ、被控訴人に対し、資金が用意できないことを理由として、支払猶予を求めるファクシミリ書面を送った。

被控訴人は、同日午後一時五〇分ころ、Aに対し、改めて三〇〇万円全額を同日午後三時三〇分までに本件指定口座に振り込むこと、仮に三〇〇万円全額の振込みができないとしても、Aが有する金員全額を振り込むことを求めるとともに、支払猶予の申出について、三〇〇万円全額の支払時期を具体的に示して回答することを求め、回答が同日午後三時までにない場合には、法的措置等を執ることになる旨記載したファクシミリ書面を送った。

しかし、Aから回答はなく、被控訴人は、同年一〇月一日以降、Aと連絡が取れなくなった。

(15)  被控訴人は、平成二二年九月三〇日午後六時ころ、控訴人に対し、件名を「A氏あてFAXの件」とし、確認等を求める趣旨で、前記(14)のAに対する同月二九日の送信書面、Aからの同月三〇日の送信書面及びAに対する同日の送信書面をファクシミリで送った。

(16)  控訴人は、平成二二年一〇月初旬ころ、被控訴人に対し、口頭で、再度Aに対して同年九月分の分割支払金の振込みを求めること、その際には、控訴人に資金需要があること、マスコミへ公表することを書面に記載することを指示した。

上記の指示を受けた被控訴人は、同月五日午後六時ころ、Aに対し、Aが猶予期間すら示さず、一方的に支払猶予の申入れを行った態度が、控訴人の資金需要を知りながら、控訴人の意向を全く無視するものであり、控訴人に対する誠意を全く欠いたものである旨、及び、同月八日午後三時三〇分までに三〇〇万円を振り込むことを求めること、同期限までに回答がない場合には、法的措置、マスコミへの事実公表等のしかるべき措置を執ることになる旨を記載した書面をファックスで送った。

また、被控訴人は、同年一〇月五日午後六時一五分ころ、控訴人に対し、件名を「書面送付の件」とし、確認等を求める趣旨で、Aに送った上記書面をファクシミリで送った。

しかし、Aから回答はなかった。

(17)  被控訴人は、平成二二年一〇月八日、Aが前記(16)のファクシミリで送った書面を見ないことがある場合に備えて、別途、Aに対し、配達証明付き郵便及び普通郵便の二方法を使って、同書面と同内容の書面を郵送した。

また、被控訴人は、同日午後六時四五分ころ、控訴人に対し、件名を「書面送付の件」とし、確認等を求める趣旨で、Aに郵送した書面をファクシミリで送った。

上記の配達証明付き郵便は、Aに配達されず、保管期間満了により、同月一九日又は二〇日に被控訴人に返送された。

(18)  被控訴人は、平成二二年一〇月二〇日、控訴人に対し、前記(17)の返送された配達証明付き郵便の封筒のコピーを付けて、今後の方針を協議するため、今後の方針としては仮差押手続があり得ること、そのためにはAの保有財産が明らかになっていること及び担保金の用意が必要になること、Aの資産調査方法とそれに要する費用、仮差押命令申立手続を被控訴人に委任する場合の報酬及び費用、債権仮差押命令を得るために必要となる担保金の額等の説明と、控訴人の意向確認を求めることを記載したファクシミリ書面を送った。

(19)  控訴人は、平成二二年一〇月二八日、被控訴人に対し、①被控訴人が同年七月七日にBが行った債権回収の指示のとおり動かなかったこと、②本件債務承認書の九月末支払額について、被控訴人が、Aからの返済計画書を受けて、三〇〇万円に変更することを了解したことに納得できないこと、③同年七月二四日、控訴人が電話で本件債務承認書を公正証書にすること、Aの銀行預金等の資産調査をすること、仮差押えをすることを求めたが、被控訴人が一方的に電話を切ったこと、④同年九月末、被控訴人がAに対し、三〇〇万円で負担が重いなら一〇〇万円ずつ振り込んでもいいと話したと聞いたが、控訴人はそのような話をすることを指示していないこと、⑤それ以来、被控訴人がAと連絡が取れなくなったと聞くが、同月中の報告や相談がなかったこと、⑥同年一〇月に入って、被控訴人からAの銀行預金調査、仮差押えの担保金等についてファクシミリ書面を受けたが、そのことは同年七月に希望していたものであることなどについて確認を求めるとともに、同年九月末日以降、Aが行方不明となり、同年一〇月に被控訴人が配達証明付き郵便を送っているが、全く無意味であり、同年六月一三日にAの財産を記載したファクシミリ書面が送られていたから、その財産に対する仮差押えと預金の調査を同年七月中に行っていたら、現在の状態にはなっていなかった筈であるという指摘をし、「Y弁護士の判断ミスと信頼性に欠けると判断致しました。」と記載して、本件債務承認書の原本と着手金の返還を求めるファクシミリ書面を送った。

(20)  控訴人は、平成二二年一二月二〇日、被控訴人を相手方として、本件委任契約に関する着手金の返還、損害金の支払等を求めて、第二東京弁護士会に対し、紛議調停の申立てをし、その後、平成二三年一一月二八日、本訴を提起した。

二  事実認定に関する補足説示

(1)  控訴人は、本件委任契約時に、被控訴人は着手金に関する具体的な説明をしていない旨主張する(前記第二の三(3)ア(ア))。

しかし、控訴人は、その陳述書及び本人尋問において、厚い本を見せられて、着手金の額は被害額の三パーセントであり、二〇〇万円以上になる旨の説明を聞いたという陳述等をしており、また、控訴人の本人尋問における供述内容は、着手金に関する被控訴人の説明が全くなかったというのではなく、控訴人は具体的に覚えていないという趣旨のものと解される。そして、前記一の認定事実(以下、単に「認定事実」という。)の(3)の認定のとおり、控訴人は、本件委任契約における着手金を一〇五万円(消費税を含む。)とすることを承諾し、その払込みをしている。

以上によれば、着手金の額の決定過程に関する原審の事実認定を非難する部分を含めて、控訴人の上記主張は採用できない。

(2)  認定事実(7)について

被控訴人は、平成二二年七月七日の控訴人及びBとの面談の場で、控訴人に対し、仮差押命令の申立てに及ぶとAが弁済意思を失ってしまう危惧があり、保全の必要性の要件充足について問題があることを丁寧に説明し、控訴人がこれを了解した旨主張し(引用に係る補正後の原判決の「事実及び理由」中の「第二 事案の概要」の「二 争点及び争点に関する当事者の主張」の(1)(被告の主張)イ(イ)b)、本件紛争に係る第二東京弁護士会の紛議調停事件において被控訴人が提出した答弁書(甲六号証の五枚目から九枚目まで)には、同旨の記載がある。

しかし、Bの陳述書(甲五)及び原審における証人尋問では、上記の主張事実があったことに全く言及しておらず、他に、同主張事実を認め得る証拠はない。

以上によれば、被控訴人の上記主張を認めるに足りる証拠があるとは評価することができず、上記主張を採用することはできない。

三  争点(1)について

(1)  本件委任契約の委任事務の範囲について

ア 認定事実(3)によれば、被控訴人が控訴人から本件委任契約において受任した事項は、示談折衝と内容証明作成の二事項である。

イ この点について、控訴人は、本件委任契約における委任事務には、仮差押命令の申立て等を含む法的な債権の取立手続も含む旨主張する(引用に係る補正後の原判決の「事実及び理由」中の「第二 事案の概要」の「二 争点及び争点に関する当事者の主張」の(1)(原告の主張)ア)。

そこで検討するに、控訴人と被控訴人との間で作成された本件委任契約書によれば、被控訴人の事務所で用いている委任契約書の第一条②の委任範囲の部分は、「示談折衝」、「書類作成」、「訴訟(一審、控訴審、上告審、支払督促、少額訴訟、手形・小切手)」、「調停」、「保全処分(仮処分、仮差押、証拠保全)」、「強制執行」等一二の委任事項及び「その他」が印刷されており、委任する事項について、各委任事項の冒頭部分にある「□」を塗りつぶすかレ点を付けるようになっているものであるところ、本件委任契約書には、「示談折衝」及び「その他」の冒頭部分のみが「■」と塗りつぶされていて、「その他」には「(内容証明作成)」と記載されているが、その余の委任事項の冒頭部分の「□」は塗りつぶされていないことが認められる。

以上によれば、本件委任契約書において被控訴人が控訴人から受任した事項は、示談折衝と内容証明郵便の作成の二つだけであり、保全処分等の法的手続を受任したものとは認められない。また、本件委任契約締結時に、上記の委任範囲に関する記載とは別に、控訴人が被控訴人に対し、保全処分等の法的手続を依頼をし、被控訴人がこれを受任したことを認め得る証拠もない。

したがって、控訴人の上記主張は採用できない。

ウ 控訴人は、平成二二年七月七日の控訴人及びBと被控訴人との間の面談において、控訴人から被控訴人に対し、Aに対する債権回収手段として仮差押命令申立手続を執ることを依頼し、被控訴人がこれを明示的又は少なくとも黙示的に承諾したから、本件委任契約における委任事項に仮差押命令申立事務も含まれる旨主張する(前記第二の三(3)ア(イ))。

そこで検討するに、同日の面談の状況は、認定事実(7)のとおりである。この認定事実に関してさらに付言すると、同面談に立ち会っていたBの陳述書(甲五)及び原審における証人尋問によれば、面談の場で被控訴人に対して仮差押え、マスコミを使った圧力、刑事告訴を話題にしたのはBであること、Bの発言は、債権回収手段として以上の三手段を提案して、被控訴人にその実施を促す趣旨のものであったことが認められ、これをもって当該三手段を実施することを委任事項として依頼したものと解することは困難である。そして、被控訴人は、Bの発言に対して肯定的な回答をしているが、Bの発言が上記の趣旨のものである以上、被控訴人がした肯定的な回答は、当該三手段の実施を委任事項として受任する趣旨のものと評価することは相当とは解されない。以上の認定に反する控訴人の陳述及び供述部分は、甲五及び原審における証人Bの証言に照らして採用できず、他に控訴人の上記主張を認めるに足りる証拠はない。

以上によれば、以上の点に関する原審の事実認定を非難する部分を含めて、控訴人の上記主張は採用できない。

(2)  善管注意義務等の違反の有無について

ア 受任時の説明義務違反について

控訴人は、前記第二の三(3)ア(ウ)のとおり、被控訴人には本件委任契約受任時において説明義務違反がある旨主張する。

そこで検討するに、弁護士が受任する事務の内容は、一般に法律事務としての専門性が高く、その事務の性質上、受任者に一定の裁量権を伴うことが前提とされることに鑑みると、弁護士は、法律事務の受任時において、依頼者に対し、委任契約に基づく善管注意義務の発現として、依頼を受ける事務の内容に関して説明義務を負うとともに、派生する種々の問題点について説明すべき義務を負うと解するのが相当である。

以上の観点から本件委任契約受任時における被控訴人の控訴人に対する説明状況を見てみると、まず、説明の有無については、認定事実(3)のとおりであり、被控訴人は、控訴人の依頼事案を詐欺事案と即断するのは拙速であると判断し、債権回収手段として、未払配当金及び未返済投資金についてAに債務承認書を作成させ、返済すべき債務を認識させるとの方針を採る旨を、控訴人に説明していることが認められる。この点について、控訴人は、その原審における本人尋問において、被控訴人から細かな説明がなかった旨供述する部分があるが、本件委任契約締結状況に関する控訴人の供述は、本件委任契約書は被控訴人の事務所に行って二、三分で作成したなど、経験則上考え難い内容のものであり、その供述内容に照らして、明確な記憶に基づいて供述しているとはいえないと解されるから、上記供述部分はにわかに信用できない。

次に、被控訴人の説明内容の適否については、控訴人が回収を求めていた債権というのは、認定事実(1)で認定した別紙の内容の株式投資契約の投資金としてAに交付した金員の未返還分と同契約に基づく未払配当金に係るものであるから、同契約を詐欺事案と捉えないで債権回収を図ろうとした被控訴人の判断は合理的な裁量の範囲内のものと解される(本件委任契約の前に水上弁護士が控訴人のために作成、送付したAに対する内容証明郵便においても、詐欺事案とは捉えておらず、同契約を前提とした未払配当金及び未返済投資金の支払を求めている。仮に同契約を詐欺事案と捉えると、Aに請求できるのは、配当金名目の支払を損益相殺した後の未返済の投資金相当額の損害に限られることになるし、事情によっては、さらに、控訴人の損害発生に関する過失を理由に過失相殺がされることも考えられる。)。このような事案認識をした場合の債権回収手段としては、任意の支払を求める方法と法的手続により支払を求める方法とが考えられるが、本件委任契約時点では、Aの対応がどのようになるのか予想できない状況にあったといえるから、任意の支払を求める方法を選択したことも、弁護士の裁量の範囲内のものとして許容されるものであると解される。

問題となるのは、被控訴人の以上の説明で、上記の説明義務に足りないところはないかであるが、控訴人は、①裁判上の手続(訴訟、保全等)、訴訟外の手続として公正証書の作成、任意の和解手続等の各種の債権回収手段があること、②それぞれの手段のメリット、デメリット、③今回選択すべき手段とその理由等について説明する義務があると主張する。

そこで判断するに、これらの説明事項は、一般的に受任時に説明すべき事項として考えられるものであるが、個別の事情により委任者の法的知識の程度や受任時の状況等の違いにより説明の要否及びその程度が異なることは事柄の性質上当然であるから、弁護士が法律事務を受任する時には常に以上の説明事項の全部を説明すべき義務があり、これを欠いたときには直ちに説明義務違反になるものとは解されない。

本件についてこの点をみるに、控訴人は、Aからの債権回収に関して、本件委任契約締結前に、水上弁護士に相談をしており、また、同弁護士により、Aに対して回収を求める債権に係る支払を求める内容の内容証明郵便の作成、送付をしてもらっていることからすると、その際に、上記①及び②の説明事項については一応の説明を受けているものと推認される。そして、その状態において、被控訴人は、先に説示したとおり、上記③の説明事項に当たる説明をしていることが認められるのであるから、被控訴人に控訴人主張の本件委任契約受任時における説明義務違反があると評価するのは困難である。

以上によれば、控訴人の上記主張は採用できない。

イ 争点(1)のうち債権回収手段の選択に関する説明義務違反について

(ア) 控訴人は、前記第二の三(3)ア(エ)aのとおり、被控訴人には債権回収手段の選択に関して説明義務違反がある旨主張する。

そこで検討するに、控訴人の上記主張の実質は、前記アの主張(前記第二の三(3)ア(ウ))と同じものである。そして、控訴人の同主張が採用できないものであることは、前記アで説示したとおりである。

したがって、控訴人の上記主張も採用できない。

(イ)a 控訴人は、前記第二の三(3)ア(エ)bのとおり、被控訴人には、平成二二年六月一三日の示談交渉に関して、同日にAと示談交渉を行うに当たり、控訴人に対し、事前にどのような示談交渉を行うのかなどについて説明をする義務があるのにその説明をしなかった、本件債務承認書の内容及び効力に関し、①平成二二年七月以降の支払金額の記載がなく、支払金額が不確定であるから、同月以降はいくら支払われるか不明確であること、②期限の利益喪失約款がないため、分割金の範囲内の金額しか請求できないこと、③遅延損害金の定めがないため、支払を怠っても制裁がなく、支払の遅延や懈怠の可能性が極めて高いこと、④支払金額が特定されていないので債務名義とならないことなどのデメリットについて説明をするとともに、⑤デメリットを回避するためには、訴訟を見据えた保全手続や、金額を特定して期限の利益喪失約款を付した公正証書を作成するなどの手段を選択し得ることを報告又は説明する義務があるのに、これらの説明をしなかったとして、説明義務違反がある旨主張する。

b そこで検討するに、弁護士が受任した事件の処理に関する説明、報告義務は、委任契約から生ずる義務(民法六四五条)であり、依頼者に対して適切な自己決定の機会を保障するためにその前提となる判断材料を提供するという趣旨で、事件を受任した弁護士が負うべき重要な義務であると解される。また、弁護士は、依頼者から法律事務の委任を受けた後は、依頼者が説明、報告義務を免除するなどの特段の事情がない限り、委任契約における善管注意義務の発現として、適宜に受任事務の遂行状況について報告し、説明すべき義務を負うものと解するのが相当であり、弁護士職務基本規程三六条は、以上の点を規程上定めたものと解される。

以上の観点から上記の主張についてみるに、認定事実(3)及び前記アの説示のとおり、控訴人と被控訴人は、本件委任契約の委任事項を示談折衝とすることを決めた際に、Aに債務承認書を作成させ、返済すべき債務を認識させることを方針とすることを了解事項としていたのであるから、同日の示談交渉の内容については、既に控訴人が認識しているところのものであったというべきである。上記主張が、具体的な交渉内容について事前の説明をすべきであるという趣旨であれば、交渉は段階的に進展し、煮詰まっていく性質のものであることに照らし、被控訴人に無理を強いるものというほかない。したがって、控訴人の上記の主張は採用できない。

次に、上記のの主張についてみるに、本件債務承認書は、Aに債務承認書を作成させ、返済すべき債務を認識させるという本件委任契約における委任事項の方針に沿う適切なものである。そして、被控訴人が平成二二年六月一三日のAとの示談交渉に当たり、Aに本件債務承認書を作成させ、その交付を受けた事実の経緯は、認定事実(4)のとおりであり、被控訴人は、被控訴人とAとの交渉時に、控訴人を交渉内容が聞こえる部屋で待機させ、交渉の結果Aが了解するに至った債務承認案をその場で控訴人に示し、控訴人は、自らその内容を確認した上で、同案による債務承認書の作成を了承したのであるから、被控訴人が、本件債務承認書作成時に、控訴人に対し、上記①ないし⑤の事項を説明していないことについて、その時点における説明義務違反に当たるものと評価することは相当とはいえない。したがって、控訴人の上記の主張も採用できない。

ウ 本件債務承認書の作成に係る善管注意義務違反について

(ア) 控訴人は、①Aは、投資詐欺を行っており、欺罔行為に及ぶ傾向が極めて強い人物であって、詐欺師又はそれに類する者として、逮捕・起訴を免れるために支払約束をすることが経験則上明らかであること、本件債務承認書はAが提案してきたものであること、Aが承認した債務は五八〇〇万円もの多額のものであることなどに鑑みると、Aが本件債務承認書に基づいて長期にわたり債務の弁済を続けると期待し得る合理的根拠は皆無であったこと、また、②本件債務承認書作成当時、Aは、相当程度の財産を有していたが、控訴人やその他の詐欺被害者らによる金銭請求の追及を免れるため、所有財産を散逸させたり、行方をくらませるなどの行為に及ぶ公算が極めて高かったこと、他方、③被控訴人は、Aが大阪市内にマンションを所有し、フリービットの株式二〇〇株及び一〇〇〇万円の預金を有していることを記載した財産開示の書面を、Aから受領していたことを前提として、被控訴人が債権回収手段として示談交渉を選択してAの任意弁済を期待したこと自体、善管注意義務に違反する旨主張する(前記第二の三(3)ア(エ)c(a))。

そこで検討するに、本件債務承認書を作成した平成二二年六月一三日当時、Aについて上記①及び並びに②のようにいえる事情があったことを認め得る証拠はない。また、本件債務承認書の内容は、同日の示談交渉において初めて形成されたものであり、上記①の主張事実も認定事実とは異なる。さらに、上記③にあるAの資産が判明したのは、本件債務承認書を作成した後のことである(認定事実(5))。以上によれば、控訴人の上記主張は、その前提を欠くものであり、採用できない。

(イ)a 控訴人は、引用に係る原判決の「事実及び理由」中の「第二 事案の概要」の「二 争点及び争点に関する当事者の主張」の(1)(原告の主張)イ(ア)及び前記第二の三(3)ア(エ)c(b)のとおり、被控訴人には、本件債務承認書作成の際の善管注意義務違反がある旨主張する。

b そこで検討するに、法律事務の委任を受けた弁護士は、委任契約における善管注意義務の発現として、委任事項に係る依頼者の法律上の権利、利益の実現に必要な最善の活動をする義務を負うものと解される。

以上の観点から本件債務承認書の作成における被控訴人の委任事務の履行状況を見てみるに、本件債務承認書の内容は、引用に係る原判決の「事実及び理由」中の「第二 事案の概要」の「一 争いのない事実等」の(4)のとおりであり、作成日、承認に係る債務の法的性質及び分割弁済の内容として、平成二二年六月三〇日を支払期限とする一〇〇万円を除き、同年七月以降の支払については確定した支払額の記載がなく、遅延損害金、期限の利益喪失約款、分割金の支払を怠った場合の制裁条項が定められていないものである。この点において、本件債務承認書は、支払約束書面としては問題があるものと解する余地がある。

しかし、まず、作成日については、本件債務承認書の効力発生要件ではなく、その作成の場に臨場していた控訴人、被控訴人及びAによって容易に明らかにできる事項である。また、承認の対象とした債権の法的性質については、前記アで説示したとおり、本件委任契約成立時にはAに対する債権が株式投資契約に基づく債権上のものか、詐欺に基づく損害賠償上のものか明確になっておらず、その状態は本件債務承認書作成時にも変わらなかったものと推認される。そうすると、本件債務承認書作成時には、Aが承認をする債務の法的性質を明記できる状態であったと認めることはできないし、承認する債務の法的性質の記載がなければ本件債務承認書の効力に影響を及ぼすことになるものでもない。したがって、作成日及び承認する債権の法的性質が記載されていないことは、上記の委任事務遂行上の善管注意義務に違反するとまではいえない。

次に、分割弁済の内容については、同月一三日の示談交渉は、先に説示したとおり、Aがどのような対応に出るか分からない状況において、Aに債務承認書を作成させ、返済すべ債務を認識させることを方針としたものであり、本件債務承認書の内容も、被控訴人がAとの交渉の中で、Aにおいても了解できるものとして形成されたものである。そして、Aは、五八〇〇万円の債務を承認することを内容とする本件債務承認書を作成し、これを被控訴人に交付したという成果が得られているのであるから、上記の方針で示談交渉を行うという被控訴人の委任事務の履行として、必ずしも不十分なものであるとはいえない。さらに、本件委任契約書は、単なる債務承認にとどまらず、Aが、同月三〇日に一〇〇万円の支払、同年七月三〇日、同年八月三一日及び同年九月三〇日の三期日に少なくとも合計五〇〇万円の支払を約束する内容のものであり、この部分は、上記方針を上回る成果といえるものである。以上によれば、分割弁済の内容の関係においても、上記の委任事務遂行上の善管注意義務に違反するとまではいえないと解される。

c なお、控訴人は、本件債務承認書の取得に関して、本件委任契約におけるAからのより速やかかつより確実な債権回収をするという本件委任契約における委任の本旨に従ったものではないとも主張する。

しかし、控訴人が本件委任契約における委任の本旨なるものとして主張するAからのより速やかかつより確実な債権回収というのは、弁護士に債権回収を依頼する動機の内容を為すものではあるが、示談交渉と内容証明作成の二つを委任事項とする本件委任契約の本旨ということは困難である。

エ 平成二二年七月七日の面談時における説明義務違反について

控訴人は、前記第二の三(3)(エ)dのとおり、平成二二年七月七日に控訴人及びBと被控訴人との間で持たれた面談の際に、被控訴人は説明義務違反の対応をした旨主張する。

そこで検討するに、控訴人の同主張は、同日の面談における控訴人側の仮差押え、マスコミを使った圧力及び刑事告訴に関する発言が、これらの手段の実施を委任事項として依頼したものであることを前提として、同依頼を受けた被控訴人に上記主張にある事項の説明をする義務があるというものである。しかし、同日の控訴人側の発言が上記三手段の実施を委任事項として依頼したものと解することができないものであることは、前記(1)ウで説示したとおりである。そうすると、控訴人の上記主張は、前提を欠くものであり、採用できない。

オ 平成二二年七月七日以降の仮差押え等の法的手段を講じる義務の違反について

控訴人は、引用に係る原判決の「事実及び理由」中の「第二 事案の概要」の「二 争点及び争点に関する当事者の主張」の(1)(原告の主張)イ(イ)のとおり、控訴人は、平成二二年七月七日以降、委任契約上の善管注意義務としての仮差押え等の法的手段を講じるべき義務を履行しなかった旨主張する。

しかし、被控訴人が、同日に、仮差押え等の法的手段を講じることを本件委任契約における委任事項として受任していないことは、前記(1)ウ及び前記エのとおりであり、被控訴人が、同日以降、仮差押え等の法的手段を講じることを本件委任契約における委任事項として受任したことを認めるに足りる証拠もない。また、認定事実(6)、(10)及び(12)のとおり、Aが本件債務承認書において支払うと約束した同年六月分から同年八月分までの分割支払金は、約定どおり振り込まれていたから、少なくともその間は、Aに関して債権回収のための保全手続を行う必要性は認め難い状況にあったものと解される。

したがって、控訴人の上記主張は採用できない。

カ 平成二二年九月上旬ころの報告、説明義務違反について

(ア) 控訴人は、引用に係る原判決の「事実及び理由」中の「第二 事案の概要」の「二 争点及び争点に関する当事者の主張」の(1)(原告の主張)イ(ウ)及び前記第二の三(3)(エ)eのとおり、被控訴人には、①平成二二年九月上旬以降、Aと連絡を取ることができなくなり、Aが同月三〇日を支払期限とする金員の振込みをしなかったことについて報告、説明しなかった義務違反がある、②本件委任契約において仮差押命令申立手続等の依頼がなかったとしても、信義則上の義務として、Aと連絡が取れなくなった時点で仮差押命令の申立ての準備をし、遅くとも同日を支払期限とする金員の振込みがないことが判明した同年一〇月一日には、同申立ての準備を終えた上で、上記の報告、説明をするとともに、控訴人に仮差押命令の申立てに着手するかどうかを打診する義務があったが、同月二〇日まで、以上の報告、説明及び打診を行わなかった義務違反がある旨主張する。

(イ) そこで検討するに、Aは、本件債務承認書に基づき、同年六月二九日、同年七月二九日、同年八月三一日に各一〇〇万円を本件指定口座に振り込んだが、同年九月三〇日の分割支払金の振込みをしないという事態が生じた(認定事実(6)、(10)、(12)及び(14))。この事態の前後における被控訴人と控訴人とのやり取り及び被控訴人の対応行為は、認定事実(14)ないし(18)のとおりであり(以上の認定事実は、原審の認定事実を一部修正している部分がある。)、そのうち、同日から同年一〇月二〇日までの経過を整理すると、以下のaないしcのとおりであり、控訴人がAと連絡が取れなくなったのは、同月以降である。

a 被控訴人は、同年九月三〇日、控訴人に対し、本件債務承認書に基づく分割支払金の支払期限である同日にAから振込みがなかったことが把握できる内容のファクシミリ書面を送り、控訴人は、そのころ、Aが上記振込みを怠ったことを知り、同年一〇月上旬ころ、被控訴人に対し、再度振込を求めるよう指示した。

b 被控訴人は、前記aの指示に従い、同月五日、Aに対し、同指示に沿った内容のファクシミリ書面を送るとともに、同日、控訴人に対し、Aに対して同書面を送付したことを報告し、また、同月八日、Aが同書面を見ない場合に備えて、別途、Aに対し、同書面と同じ書簡を配達証明付き郵便及び普通郵便で送付するとともに、同日、被控訴人に対し、同書面をAに郵送したことを報告した。

c 被控訴人は、前記bの配達証明付き郵便がAに配達されず、返送されてきた日又はその翌日である同月二〇日に、控訴人に対し、今後の方針協議をするためのファクシミリ書面を送った。

以上のとおり、被控訴人は、Aが同年九月三〇日を支払期限とする分割金の振込みをしなかったことについて、直ちに控訴人に報告しているといえる。また、控訴人は、同日から同年一〇月二〇日までの間にも、前記(イ)のb及びcのとおり、被控訴人のAに対する対応について控訴人に報告している。そうすると、以上の間における被控訴人の報告状況が委任契約上の報告、説明義務に違反すると評価することはできない。

(ウ) 以上によれば、以上の点に関する原審の認定判断を非難する部分を含めて、控訴人の上記主張は採用できない。

キ 平成二二年九月上旬の段階で仮差押え等の法的手段を講じる義務の違反について

控訴人は、引用に係る原判決の「事実及び理由」中の「第二 事案の概要」の「二 争点及び争点に関する当事者の主張」の(1)(原告の主張)イ(ウ)のとおり、平成二二年九月上旬の段階で、委任契約上の善管注意義務の一環として、仮差押え、犯罪利用預金口座等に係る資金による被害回復分配金の支払等に関する法律による口座凍結等の法的手段を講じるべき義務があったのに、同義務を履行しなかった旨主張する。

しかし、被控訴人が、平成二二年九月上旬の段階で、上記の法的手段を講じることを本件委任契約における委任事項として受任したことを認めるに足りる証拠はない。したがって、控訴人の上記主張は採用できない。

(3)  以上によれば、被控訴人には、控訴人が主張する本件委任契約に係る義務違反があるということはできない。

そうすると、被控訴人には本件委任契約に係る義務違反が認められないから、争点(2)について判断するまでもなく、控訴人の前記第二の一①の債務不履行に基づく損害賠償請求は理由がない。

四  争点(3)について

前記三のとおり、被控訴人には本件委任契約に係る義務違反が認められないから、控訴人の債務不履行を理由とする本件委任契約の解除の主張は、採用できない。

ところで、認定事実(19)及び(20)によれば、控訴人が、平成二二年一〇月二八日、被控訴人に対し、被控訴人の委任事務の遂行内容等に不満を示し、本件債務承認書の原本と着手金の返還を求めた以降、その間において本件委任契約を継続することができない状態になり、少なくとも現在では、本件委任契約は委任事務の遂行途中で解約されたのと同じ状態になっていることが推認される。そこで、この状態にあることも含めて、着手金の取扱いについて検討する。

証拠<省略>によれば、弁護士が法律事務を受任する際に支払を受ける着手金は、受任した法律事務の結果に関係なく、受任すること自体に対して支払われるものであり、報酬金の内金や手付としての性格を有するものでないことが認められる。そうすると、着手金として受領した金員については、受任した法律事務が完了していない段階で委任契約が終了したとしても、特段の事情がない限り、不当利得が生じる余地はないと解される。そして、本件委任契約において、上記特段の事情に当たり得る事実関係を認め得る証拠はない。

以上によれば、控訴人の争点(3)に係る不当利得返還請求は理由がない。

五  争点(4)について

原判決一九頁二六行目の「前記争いのない事実等(3)のとおり」とあるのを「認定事実(3)のとおり」と改め、同二〇頁一行目冒頭の「二)」の後に「及び弁論の全趣旨」を加えるほかは、原判決の「事実及び理由」中の「第三 争点に対する判断」の「三 争点(4)(委任事務処理費用の精算金の支払義務の有無)について」(原判決一九頁二四行目~二〇頁五行目)に記載のとおりであるから、これを引用する。

第四結論

以上によれば、控訴人の請求は、前記第二の一③の請求のうち、二万四八七〇円及びこれに対する平成二三年一二月二一日から支払済みまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるが、その余の請求はいずれも理由がない。これと同旨の原判決は相当である。

よって、控訴人の控訴を棄却することとし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 加藤新太郎 裁判官 柴田秀 青野洋士)

別紙<省略>