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東京高等裁判所 平成25年(ネ)666号 判決 2013年11月28日

別紙当事者目録記載のとおり

主文

一  控訴人X1の控訴に基づき、原判決を次のとおり変更する。

(1)  被控訴人は、控訴人X1に対し、一〇〇万円及びこれに対する平成二一年一一月六日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

(2)  控訴人X1のその余の請求を棄却する。

二  控訴人X1を除く控訴人らの控訴をいずれも棄却する。

三  訴訟費用は、一、二審を通じ、控訴人X1と被控訴人との間においては、これを二分し、その一を控訴人X1の、その余を被控訴人の負担とし、控訴人X1を除く控訴人らと被控訴人との間においては、全部を同控訴人らの負担とする。

四  この判決の第一項(1)は、仮に執行することができる。

事実及び理由

第一控訴の趣旨

一  原判決を取り消す。

二  被控訴人は、別紙控訴人目録一記載の控訴人らに対し、それぞれ一万円及びこれに対する平成二一年九月七日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

三  被控訴人は、別紙控訴人目録二記載の控訴人らに対し、それぞれ三万円及びこれに対する平成二一年一一月六日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

四  被控訴人は、別紙控訴人目録三記載の控訴人らに対し、それぞれ三〇〇万円及びこれに対する平成二一年一一月六日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

五  第二項ないし第四項につき仮執行宣言

第二事案の概要

一  本件は、日本を代表する報道機関である被控訴人が、平成二一年四月五日の「NHKスペシャル・aシリーズ」第一回目の「○○○」と題する番組(以下「本件番組」という。)で、世界の一等国に上りつめた日本はなぜ坂を転げ落ちていったのか、日本は最初の植民地台湾での激しい抵抗運動を武力で弾圧し、世界の民族自決の動きに逆行して同化政策を推し進め、台湾には今も日本統治の深い傷が残っているとする内容を放送し、その具体例として一九一〇年にロンドンで開催された日英博覧会で台湾南部高士村の□□族の男女二四名が「人間動物園」として展示され、そのうちの一人の娘である控訴人X1(以下「控訴人X1」という。)は今も悲しいと述べているなどと報道されたことにより、名誉やプライバシーが侵害されたとする控訴人X1、被控訴人の同人への取材の際に通訳等をした控訴人X2(以下「控訴人X2」という。)、台湾高士村の住民又は台湾人としての誇りや名誉を傷つけられたとする高士村の住民や台湾人等のほか、一方的で偏向した内容の本件番組によって知る権利を侵害されたなどとする視聴者など総勢一万〇三三五人の一審原告らが、被控訴人を被告として、不法行為に基づく損害賠償(控訴人X1及び控訴人X2は慰謝料各三〇〇万円と平成二一年一一月六日から年五分の割合による遅延損害金、その他の一審原告らは各三万円又は各一万円と訴状送達の日の翌日から年五分の割合による遅延損害金)の支払を求めている事案である。

原審は、控訴人X1について、本件番組ではその氏名を誤って表示したものの、被控訴人に過失はなく、本件番組内で控訴人X1の発言を恣意的に編集して同人の人格権を侵害したとも認められないとし、また、控訴人X2の人格権を侵害したということもできないなどとした上、その他の一審原告らの請求もいずれも理由がないとして、一審原告らの請求を全部棄却した。

そこで、上記一審原告らのうち、視聴者等五名、□□族の子孫及び台湾人等三五名並びに控訴人X1及び控訴人X2の合計四二名が、原判決を不服として、本件控訴を提起したものである。

二  争いのない事実等、争点及び争点に対する当事者の主張は、次のとおり原判決を補正するほか、原判決の「事実及び理由」第二の一ないし三(ただし、二(5)及び三(8)を除き、また、三(11)(原告らの主張)ウについては、「原告外国居住者ら」に関する部分を除く。)に摘示されたとおりであるからこれを引用する(以下、原判決を引用する場合は、「原告」を「控訴人」と、「被告」を「被控訴人」と、それぞれ読み替える。)。

(原判決の補正)

(1) 原判決八頁二四行目の「その趣旨」を「実質的に同趣旨」と改める。

(2) 原判決九頁一行目末尾に「そして、本件番組において、取材時に使用しなかった「人間動物園」という言葉を使用することは、放送事業者たる被控訴人の自律的判断によるものとして、許されるものである。」を加える。

(3) 原判決一一頁二五行目末尾に改行の上、次のとおり加える。

「 被控訴人は、「見せ物」と「人間動物園」は同じ範疇の概念であるかのように強弁するが、「見せ物」は、辞書によれば「珍しい物・曲芸・手品などを人に見せる興業。」、「多くの人におもしろがってみられること。また、そのもの。」(甲六一)であって、価値中立的な言葉であり、演劇もスポーツも一種の見せ物である。ところが、「人間動物園」は、人間を動物として展示するということであり、「見せ物」とは次元を異にする概念であり、人種差別的なものである。被控訴人が日英博覧会における□□族の展示を「見せ物」だというのなら、□□族集合写真の字幕を「見せ物」とすればよかったのである。「見せ物」では平凡すぎて番組の衝撃度が少ないから、あえて「人間動物園」としたところに、被控訴人の主張の破綻がある。被控訴人は、この二つの言葉を使い分けて、□□族の一員である控訴人X1の父親を侮辱するとともに、その子であるE及び控訴人X1本人をも侮辱したのである。

また、プライバシーの権利は、近年では自己の情報をコントロールする権利と位置付けられているところ、控訴人X1は、父親が一〇〇年前にイギリスで屈辱的な経験をさせられたという認識を取材前には全く有しておらず、取材時にもそのような説明を受けていなかった。それにもかかわらず、被控訴人は、一般視聴者がこれを見た場合に、控訴人X1の父親が「人間動物園」として展示され動物扱いされたことを「悲しい」と述べたと理解するように狡猾な編集をして、控訴人X1に精神的打撃を与え、控訴人X1のプライバシーの権利を侵害し、自己の情報をコントロールする権利を根底から否定したのである。」

(4) 原判決一八頁二行目末尾に次のとおり加える。

「本件番組では、同控訴人らが特定して放送されたわけではないが、□□族は、□□族として一体感を大切にして生活しており、本件番組はそのような□□族全体に対する侮辱である。」

(5) 原判決一八頁一六行目末尾に「さらに、控訴人X1は、本件番組の放送により、名誉又はプライバシーを侵害され、精神的苦痛を受けた。」を加える。

第三当裁判所の判断

一  当裁判所は、控訴人X1の請求は一部理由があり、慰謝料一〇〇万円及びこれに対する平成二一年一一月六日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で請求を一部認容すべきであるが、その余の控訴人らの請求はいずれも理由がないから棄却すべきものと判断する。その理由は、次のとおり原判決を補正するほか、原判決の「事実及び理由」第三の一ないし四、六及び七に説示されたとおりであるからこれを引用する。

(原判決の補正)

(1) 原判決二四頁一〇行目の「考えたことには相当な理由がある。」を次のとおり改める。

「考えたとしても、致し方のないところがあり、その意味でCの法的過失を認めることは相当ではない。しかしながら、取材した平成二〇年一〇月当時、控訴人X1は七九歳になろうとしていたのであって、同人が日本語を話していたのは日本の台湾統治が終了した昭和二〇年頃(一五~一六歳頃)までであったと考えられ、それから六三年もの時間が経過して高齢になっていた控訴人X1の日本語の能力が相当程度減退していることに思いを致すのは、そう難しいことではなかったはずである。また、一九一〇年の日英博覧会は取材時から九八年も前のことであり、控訴人X1が七九歳であるならば、同人が生まれる約二〇年も前の出来事であって、日頃から無口であった父親が幼い同人に対して遠い過去の出来事を詳しく語らなかったとしても、何ら不自然なことではなく、むしろ幼い同人に対してイギリスに行ったと語っていたことは、イギリスに行ったことについて、父親には悪い思い出はなかったことを推測させるはずであるのに、そのことに思いを致さず、あたかも語らなかったことに特別の意味があるかのように、「生前、父親は博覧会について子供達に語ることはありませんでした。」とのナレーションを加えたことは、余りにも短絡的で、取材をしたCにおいて、殊更先入観を持たずに、白紙で、取材を受けた控訴人X1の話の趣旨を十分に理解しようとする姿勢に欠けていたことを裏付けるものである。」

(2) 原判決二五頁一七行目の「原告X1については、」から同頁一八行目末尾までを削る。

(3) 原判決二六頁一行目の「原告X1は、」から同頁八行目の「明らかではない。」まで及び同頁一五行目の「原告X1が」から同頁一六行目の「明らかではなく、」までを削る。

(4) 原判決二六頁二一行目冒頭から同二七頁二行目末尾までを、次のとおり改める。

「 もっとも、この控訴人X1が「かなしい」と発言している場面は、ナレーションなどによって連続した一つの流れようにも見えるが、控訴人X1の様子を注意深く観察してみると、時間の差はあまりなかったとしても、前半と後半との二つの場面が連続して編集されたものであろうと考えられる。ここで前半というのは、控訴人X1が、Cから、日英博覧会の会場で売られていたという父親の写真を最初に見せられた時の様子である。この時は、控訴人X1は、緊張を隠せない面持ちではあるものの、写真を見せられて笑顔になり、にこやかに日本語で「かなしい」と述べている場面である。これに対して、後半は、その後の場面であり、控訴人X1は□□語で答えて、控訴人X2がこれを日本語に訳して、「かなしいね。この話の重さね、話しきれないそうだ。」と続く場面である。この後半の場面では、控訴人X1の表情は一変して固いものとなり、やや不愉快そうな困惑した顔で、日本語ではなく、□□語で答えているのである。この前半と後半とにおける控訴人X1の表情の変化、そして、日本語から□□語への変化は、この間に何か、控訴人X1に緊張や困惑を生じさせる原因があったことを推認させるが、上記認定の一連の事実の中では、そのような変化を生じさせるのは、控訴人X1が思ってもいなかった事実、すなわち、父親が日本によってロンドンに連れて行かれて、博覧会で見せ物にされたと、Cが述べたことしかないから、この前半場面と後半場面の間に、Cが控訴人X1に対して、この写真の父親はロンドンに連れて行かれて博覧会で見せ物にされたと説明したのであろうと推認することができる。控訴人X1は、そのようなことは全く想定していなかったため、Cの発言に困惑し、父親を侮辱されたと感じ取り、取材の意図が分からず、緊張して、日本語ではなく、□□語で、本当にCから今聞かされたようなことであれば、という前提で、悲しいと述べたのではないかと推認することができる。この後半の場面では、控訴人X1は□□語で答えているのであるから、「かなしい」と「なつかしい」の意味を取り違えて述べたとは考えられないし、その後の、「この話の重さね、話しきれない」との発言とも整合する。そうすると、控訴人X1の一連の発言のうち、前半部分は、父親の写真を見せられた嬉しさと懐かしさを、とっさの日本語で言い誤ったものであり、後半部分は、想定していなかった意外な話を聞かされ困惑して悲しいと答えたものであろうと考えられるが、そのような控訴人X1の変化は、正にCから、控訴人X1の父親は、日本によってロンドンに連れて行かれて、博覧会で見せ物にされたと、極めて侮辱的なものであったかのように説明されたことによってもたらされたものであり、そのようなCの侮辱的な説明がなかったならば、控訴人X1のその後の発言は異なるものになっていたであろうと考えられる。この点について、控訴人らは、Cから控訴人X1らに対して「見せ物」の話はなかったと主張しているが、Cが同人らに対してそのような説明をしたと認定できることは上記のとおりである。ただ、そのような説明は、控訴人X1にとってはもとより、通訳として立ち会っていた控訴人X2にとっても意外なことであり、控訴人X1も控訴人X2も、想定外のなりゆきに混乱して、Cからどのような説明があったのかを十分には思い出せないのではないかと思われる。いずれにしても、Cは、控訴人X1の父親は日本によってロンドンに連れて行かれて、博覧会で見せ物にされたとの先入観を持っていたため、控訴人X1に対する悪気はなかったものの、控訴人X1や控訴人X2がどのような思いで取材に協力しようとしているのかを思いやることもなかったため、その好意を土足で踏みにじるような結果を招いたものである。」

(5) 原判決二七頁一三行目の「日本統治時代の」から同頁一七行目末尾までを次のとおり改める。

「上記認定のとおり、控訴人X1の一連の発言のうち、前半部分の「かなしい」は、父親の写真を見せられた嬉しさと懐かしさを、とっさの日本語で言い誤ったものであろうが、後半部分の「かなしい」は、想定していなかった話を聞かされ困惑して、正に「悲しい」という意味で「かなしい」と答えたものであろうと考えられるから、このような控訴人X1の発言をもたらしたCの取材態度や発言が必ずしも適切なものではなかったとしても、控訴人X1において、そのような発言がなかったわけではないから、控訴人X1の上記主張を採用することはできない。」

(6) 原判決二八頁九行目冒頭から同頁一七行目末尾までを削除する。

(7) 原判決二八頁二〇行目の「解したことには」の次に「、上記認定のとおり、取材する者として問題がないわけではないが、一応は」を加える。

(8) 原判決三〇頁一一行目の「証拠」から同頁一三行目の「認められ、」までを削除する。

(9) 原判決三二頁六行目末尾に改行の上、次のとおり加える。

「 もっとも、本件番組の中では、当時の日本が台湾で実施した皇民化政策の一環として、創氏改名を推進した際、元の氏をそのまま使うことは禁止して、最低でも元の氏に一文字加えることを求めたということが報道されているところ、Cは、兄のEと妹の控訴人X1とを一緒に紹介されたのであって、取材者としては、取材対象者の氏名を確認することは基本中の基本であるから、なぜ兄弟で氏が異なるのかを確認してさえいれば、「○」に「△」の一文字が加えられて、そのまま氏になっている可能性に気付いたはずであるし、少なくとも本件番組の中で取り上げている問題と関連していそうな事柄であるから、改めてチェックするのが基本ではないかと思われるのに、被控訴人は、本件訴訟が提起されてから約七か月後にやっと訂正に応じたものであるから、Cにおいて、そのようなチェックをしなかったのであろうと推認することができ、これまでと同様に、Cにおいて、自分の考えに合致する内容の番組を作ることにばかり目が向いていたため、違法とまではいえないものの、基本を怠ったことは明らかであろう。」

(10) 原判決三二頁九行目冒頭から同三三頁一五行目末尾までを次のとおり改める。

「ア 上記争いのない事実等、証拠(甲一〇、五五、乙一八、一九、二四ないし二七、三〇(枝番のあるものは枝番を含む。以下同じ。)、証人C(原審))及び弁論の全趣旨によれば、次の事実を認めることができる。

(ア) ドイツの野生動物商人であるカール・ハーゲンベックが著した回想録『動物と人間について』(乙二五)において、西欧では一八七〇年頃から民族の展示を動物園で行っていたことが紹介され、また、フランスの歴史学者であるパスカル・ブランシャールらが編集した『人間動物園』(平成二〇年出版。乙二六)には、①カール・ハーゲンベックが一八七四年にハンブルクでラップ人(サーミ人)の一家六人と約三〇頭のトナカイで構成された一座を展示し、この展示の成功により、自らのショーを「人類動物学的展示」という名の下に職業としたこと、②一八七六年にはアメリカのフィラデルフィアにおいて、スミソニアン協会のチャールズ・ラウがフィラデルフィア百周年記念展示において同様の展示を行うことを提案して、その目的は、「我々の遠い祖先の非常に低いレベル」を見せ、「原始的な社会」と比較して西洋社会がいかに進化しているかを示すことにあったこと、③カール・ハーゲンベックによる「人類動物学的展示」という形式から生まれた「人間動物園」という言葉も、一部の人々には「強烈」すぎたことなどの記載がある。

(イ) また、東京大学社会情報研究所助教授(当時)I(以下「I教授」という。)著『d』(平成四年出版。乙二七)には、「とりわけ八九年のパリ万博は、植民地部門の展示に決定的な方向を与えていくことになる。」「博覧会の歴史のなかでも最も悪名高いひとつの伝統が姿を現していた。すなわち、「人間の展示」、植民地の多数の原住民を博覧会場に連行し、博覧会の開催中、柵で囲われた模造の植民地集落のなかで生活させて展示していくという、一九世紀末の社会進化論と人種差別主義を直截に表明した展示ジャンルの登場である。」「最初に展示されたのはヌビア人だった。つづいて、エスキモー、ラップ人、ガウチョー、フエゴ島人、ガイアナ人、カルムイク人、アメリカ・インディアン、セイロン人、アシャンティ人などが次々に連れてこられ、展示された。」「七八年のパリ万博が莫大な赤字を出したことから、大衆動員に直接結びつくような博覧会の「目玉」を求めていた八九年万博の主催者達が、この「人間動物園」の人気に目をつけないはずはなかった。」「このときパリ万博に登場した植民地集落は、(中略)かつての見世物小屋でのショーの類とは質的に異なる出来事であった。」との記載がある。そして、I教授が上記著書において、植民地住民を博覧会で見せ物とした展示を「人間動物園」と名付けたものである。

(ウ) 明治四三年(一九一〇年)にロンドンで日英博覧会が開催された際、台湾南部高士村の□□族の男女二四名がこれに参加し、同博覧会の開催期間中、会場内の「台湾村」に居住して、その暮らしぶりなどを再現したほか、同博覧会の会場では、□□族の人達の写真が販売されていた。関西学院大学社会学部教授Jの『e』(関西学院大学社会学部紀要一〇八号抜刷。平成二一年発行。甲一〇)には、□□族の一行がロンドンに出立した時の様子について、「初めての洋行のため、□□族の面々は緊張し、薫り高き文化の都を目指し、期待を込めて旅行準備に勤しんでいた様子は、『台湾日日新報』明治四三年二月二三日の記事に見ることができる。「洋行蕃の武者振」と題した記事からは、服を新調し、礼装を整える□□族の、ロンドンでの生活に夢を膨らませる姿が浮かんでくる。筒袖仕立の礼装と、無袖の陣羽織のような衣服を新調したばかりでなく、西洋夫人の前に出ても不都合がないようにと、蹲る時に股を顕わにさせないために袴も用意していて、身だしなみには配慮を見せていた。」「一行はロンドンの帰途、神戸と大阪に立ち寄り、観光旅行をする。」「こうした長旅を終えて□□族が台湾の基隆港に帰港したのは、明治四四年の一月七日であった。出迎えの新聞記者に発した最初の一言は「グッドモーニング」であったというから、よほどロンドンでの生活が楽しかったのであろう。盛装を凝らしたなかに、ズボンやズボン下を着用し、足袋、下駄、草履を履き、女はネルの腰巻を着け、そして裏毛の外套まで着こなすなど、洋風化した姿態での帰国であった。(「洋行戻の蕃人」『台湾日日新報』明治四四年一月八日の記事から引用)」「帰郷後しばらくして、佐久間・台湾総督に謁見する機会を得た□□族は、総督の質問に答え、こういう内容の話をする。ロンドン市街の宏壮で華麗。商工業品の精巧。機器・機関の雄大。人馬・物貨の往来。金銀財貨の融通流れる如く。(台湾総督府警務局『理蕃誌稿』第三編上、台北から引用)」「こうした□□族の思いとは別に、イギリス人のアジアに向けた眼差しには消し去ることのできないオリエンタリズムの翳りが潜んでいたこともまた、見逃すべきではない。」との記載がある。

(エ) 本件番組の制作担当者であったB及びCは、事前調査によって、当時の日本が、上記の日英博覧会に台湾の先住民族である□□族を連れて行き、その暮らしぶりを見せ物としたという事実があったと考えるに至り、平成二〇年八月頃、本件番組で日英博覧会を取り上げ、□□族を取材することを決めた。そして、Cは、平成二〇年一〇月二七日には台湾南部の高士村に取材に行って、控訴人X2及び控訴人X1に対し、日英博覧会の際に撮影され、その会場で売られていた□□族の写真を見せながら、一〇〇年ほど前に控訴人X1の父親ら□□族の人たちがイギリスに連れて行かれ、日英博覧会の会場で暮らしぶりを見せて、「見せ物」にされていたとの説明をした。これに対し、控訴人X1は、父親からイギリスに行ったことは聞かされたことがあるものの、日英博覧会に出演したことは聞いていないなどと話した。

(オ) B及びCらは、本件番組の制作を思い立ち、イギリスに連れて行かれた□□族の一人の子供であるE及び控訴人X1の兄妹を取材した際には、まだ「人間動物園」という言葉があることを知らなかったが、その取材後、西洋の列強各国が博覧会等で植民地の民族などの生活を見せ物としていたことを、後の研究者らが「人間動物園」と表現していることを知り、本件番組においても「人間動物園」という表現を使用することとして、次の内容を放送した。

a 導入部分

本件番組では、世界の一等国に上りつめた日本は、なぜ、坂道を転げ落ちていったのかとの問題提起がなされ、「台湾、日本の最初の植民地となった場所です。」「その原点はこの地にあります。」とのナレーションで、元台湾人日本兵であった人たちの映像が流れ、」、開始から約七分四五秒頃に、画面に、民族衣装で正装した一二名の□□族の人たちと引率と思われる日本人一名の集合写真が映し出され、その写真の下部に「人間動物園」との文字が映し出される。この集合写真に「人間動物園」という文字が加えられているのは、この場面だけであるが、この□□族の集合写真そのものは、本件番組の中で何回も使用されている。

その後、台湾は西欧にとって重要な島となり、列強の争いの最前線となったとし、後に「人間動物園」を紹介するパスカル・ブランシャール(字幕で紹介)のコメントに続いて、日本は台湾をアジア進出の拠点とし、激しい抵抗運動を武力で制圧するなどして進出したが、台湾における日本の統治が混乱し、特産物である樟脳産業に影響が出たため、後藤新平を民政局長に起用して、あめとムチの政策を推し進めたと続く。

b 日英博覧会に関する説明

そして、台湾領有から一五年後の明治四三年(一九一〇年)に、日本とイギリスの友好関係を祝う催しとして日英博覧会がロンドンで開催され、日本は、台湾統治の成果を世界に示す絶好の機会と捉えて、会場内に□□族の家を造り、その暮らしぶりを見せ物としたという説明と共に、□□族の集合写真などが映し出される。当時、イギリスやフランスは、博覧会などで植民地の人々を盛んに見せ物にしており、これが人を展示する「人間動物園」と呼ばれていて、日本はそれを真似たという説明などが流れる。

c パスカル・ブランシャール(字幕で紹介)の映像と発言(日本語吹き替え)

当時、西欧列強には「文明化の使命」という考え方があり、ヨーロッパの人々は植民地の人間を「野蛮な劣った人間」であり、彼らを「文明化させる」良いことをしていると信じており、それを宣伝する場が「人間動物園」であったこと、日本も、世界には民族の違いに基づいて階層があると考えるようになって、自らは民族の階層の頂点にあり、その下にアジアの他民族がいるとの世界観がはっきりと根づいていったことなどを述べている。このパスカル・ブランシャールは、本件番組の中で何回も登場して、当時の西欧列強や日本が植民地を差別していたなどと述べている。

d E及び控訴人X1の紹介

本件番組の開始から約三五分三五秒後くらいに、台湾南部高士村の風景が映し出され、「連れて行かれたのはこの村の出身者たち」とのナレーションがあり、日英博覧会の会場で売られていた□□族の人たちが民族衣装の正装に身を包んだブロマイド写真の映像が順に映し出された後、「展示された青年の息子、Eさん」とのナレーションが流れ、視線を下に落として何かを見ているEの映像と氏名、年齢の字幕が画面に映る。そして、Eの隣に座った控訴人X1の映像に移り、控訴人X1も何かを見ている様子で、笑いながら「かなしい」と日本語で述べている姿が画面に映る。ナレーションは、先の「連れて行かれたのは、この村の出身者たち」「展示された青年の息子、Eさん」に続けて、「そして、娘のFさんです。」と続き、「Fさん(七九)」との字幕が表示される。そして、画面には、一変して笑顔が消えて固い表情になった控訴人X1の顔が映し出され、控訴人X1が手にしている民族衣装を身につけた父親のブロマイド写真と、この写真が「父 Gさん」であるとの字幕が映り、ナレーションで、父親の氏名がGであり、「父親は生前、博覧会について子どもたちに語ることはありませんでした」との説明が流れる。

e まとめの部分

その後、内容は、台北第一中学校の話題や日本が世界の民族自決の動きに逆行して差別と同化政策を推し進め、台湾議会開設の請願を認めず、台湾を日本のアジア進出の拠点として、軍部は南方の海洋国家を目指したなどの報道が続いた後、本件番組の最後の部分で、それまでに何度も映し出された□□族の集合写真が再び映し出され、先に「人間動物園」と意味付けたパスカル・ブランシャールがまとめを述べて、ナレーションが「今も残る日本統治の深い傷」などと締めくくって番組を終了している。

イ 上記認定の事実によれば、①「人間動物園」という言葉は、動物園において人間を動物と共に展示したことに由来し、その後、西洋列強がその植民地の原住民を博覧会場に連れて行き、博覧会の開催中、柵で囲われた模造の植民地集落の中で生活させ、あたかも動物園の動物と同様に人間である原住民を展示したことを指すものとして、I教授により名付けられたものであること、②「人間動物園」の目的は、進歩している西洋社会が、野蛮で劣った植民地の人間を文明化させる使命を実現する方法の一つであったというのであり、「人間動物園」という言葉は、I教授の上記著作等の内容に照らしても、見方によっては人種差別的な意味合いを有するもので、人間の尊厳を否定しかねない過激な表現と言っても過言ではないこと、③被控訴人は、本件番組において、当時の日本は、上記のような植民地の人々を博覧会で盛んに見せ物にして「人間動物園」と呼ばれていたことを真似たという説明があり、台湾での植民地政策の成功を示すために、控訴人X1の父親ら□□族の人たちをロンドンの日英博覧会に連れて行って「人間動物園」で展示したと放送したものであることが認められる。

ウ しかしながら、上記ア(ウ)で認定したような日英博覧会当時の新聞報道等に照らすと、日英博覧会に参加した□□族の一行は、「見せ物」とされるためにロンドンまで連れて行かれたわけではなく、むしろ、先進国であるイギリスの博覧会で、「□□族の伝統を世界の人々に紹介したいという気持ちでイギリスに行った」(甲三七)もので、むしろ民族の誇りを持って自発的にロンドンに行ったと考える見解も有力であって、本件で問題となっている控訴人X1も、控訴人X2も、また、多くの□□族の人たちも、同様に思っていて、□□族の間では、父や祖父の世代の人達がはるばるイギリスに出向いて行ったことは、今でも良い思い出となっていることがうかがわれる(甲三七、四三)。

それにもかかわらず、被控訴人は、上記のような差別的な意味合いを有する「人間動物園」という言葉をそのまま使用した上、控訴人X1の父親は、台湾を植民地としていた日本政府によって日英博覧会に連れて行かれ、「人間動物園」において、野蛮で劣った植民地の人間であり、あたかも動物園の動物と同じであるかのような「見せ物」として扱われ、展示されたと放送したものである。

そして、本件番組では、控訴人X1の父親が展示されたと放送しただけではなく、控訴人X1本人を画面に大きく映し出して、「連れて行かれたのは、この村の出身者たち」「展示された青年の息子、Eさん。そして、娘のFさんです。」と続け、さらに、「父親は生前、博覧会について子どもたちに語ることはありませんでした」と意味ありげな説明を加えて、控訴人X1自身も父親が日英博覧会の「人間動物園」で展示されたことを悲しんでいると報道したものである。

エ 確かに、当時の博覧会において、植民地の人たちの暮らしぶりなどを展示することは、珍しいものを見たいという市民たちの好奇心を満たすものであり、一種の「見せ物」であったことは否定できないと思われる。しかし、その場合の「見せ物」という言葉の意味合いは、当時の社会では、歌舞伎や曲芸なども含めて、広い意味での娯楽全般を指すものとして用いられており、そこに何らかの差別意識がなかったわけではないであろうが、その程度は軽いもので、深刻なものではなかったであろうと思われる。実際に、当時は、まだ「人間動物園」という言葉はなかったのであって、後に、「人間動物園」というレッテルを貼ることによって、その問題点が強調され、議論すべき事柄は明確になるものの、他方において、そのようなレッテルを貼られることによって、その展示の対象とされた者は、人々の好奇心を満たす軽い見せ物であったはずなのに、人間ではなく、動物と同じように扱われていたのではないか、との意味をも含むこととなり、結果的に、その対象とされた者の人間としての人格をも否定することにつながりかねないところに、この「人間動物園」という言葉の過激性があることは明らかである。本件番組を制作したCらは、日本を代表する報道機関のディレクターとして、全ての人に人間の尊厳を認め、公平かつ平等な報道を行うよう心がけるべきであり、報道によっていたずらに人の心を傷つけることがないよう細心の注意を払うべきであるにもかかわらず、一部の学者が唱えている「人間動物園」という言葉に飛びつき、その評価も定まっていないのに、その人種差別的な意味合いに全く配慮することもなく、これを本件番組の大前提として採用し、上記のパスカル・ブランシャールを番組の随所に登場させて内容を組み立てて制作して、放送し、一九一〇年の日英博覧会に志と誇りをもって出向いた□□族の人たちを侮辱しただけではなく、好意で取材に応じた控訴人X1を困惑させて、本来の気持ちと違う言葉を引き出し、「人間動物園」と一体のものとしてそれを放送して、控訴人X1が有していた父親は□□族を代表してイギリスに行ったことがあるとの思いを踏みにじり、侮辱するとともに、それまで控訴人X1が□□族の中で受けていた□□族を代表してイギリスに行った人の娘であるという社会的評価を傷つけたことは明らかであるから、その名誉を侵害したものであり、不法行為を構成するものというべきである。

オ これに対し、被控訴人は、本件番組の取材担当者であったCは、控訴人X1への取材に当たり、控訴人X1や控訴人X2に対して、コーディネーターなどを通じて事前に、Cが日本の台湾統治について取材を行っていることなどを告げ、また、取材の際は、実際に控訴人X1に対して一二枚の□□族の個人写真等を提示し、これらの写真は日英博覧会の会場で売られていた□□族の写真であること、控訴人X1の父親を含む□□族の人たちは、日本によってイギリスに連れて行かれ、日英博覧会の会場でその暮らしぶりの様子等を「見せ物」にされたことなどを説明し、「人間動物園」という言葉こそ使わなかったものの、「見せ物」にされたことを取材する趣旨であることを説明しており、控訴人X1も控訴人X2も、そのようなCの趣旨を理解した上で取材に応じたものであり、問題はないと主張し、Cは、原審において同旨の証言をしているところである。

しかしながら、上記のとおり、I教授が名付けた「人間動物園」という言葉は、多くの人にとって人種差別的な意味合いを感じさせる言葉であって、嫌悪感すら感じる言葉であり、広く娯楽一般を意味する「見せ物」という言葉とは本質的に意味合いが異なるものであり、被控訴人らが主張しているように、「人間動物園」と「見せ物」とが同義であるなどということは到底あり得ないことである。例えば、歌舞伎は日本における代表的な「見せ物」の一つであるが、これを「人間動物園」と表現することはできないことからも明らかである。しかも、B及びCら本件番組の制作担当者自身、控訴人X1に対する取材の時点では、まだ「人間動物園」という言葉を知らなかったというのであるから、「見せ物」という言葉で、「人間動物園」という言葉の持つ上記のような複雑な意味合いを説明したり、説明できたと考えることは不可能であるから、その意味でも被控訴人の主張は失当である。

そして、上記認定のとおり、控訴人X1ら□□族の間では、父や祖父の世代の人たちが□□族を代表してイギリスに行ったことは、今では、その詳細は忘れられてはいても、良い思い出として語り継がれていることが認められるのであって、それだからこそ、コーディネーターや控訴人X2は、その息子であるEと娘である控訴人X1とを探し出すことができ、控訴人X1や控訴人X2も、そのような前提でCの取材に応じたものであることは、容易に理解し得るところである。もし、仮に、本件でCが、コーディネーターや控訴人X2や控訴人X1に対して、事前に、父親が日本によってロンドンに連れて行かれ、日英博覧会の会場内の「人間動物園」で動物と同じように扱われたことについて取材したいと説明して、取材を申し入れていたならば、誰一人としてこれに協力したり、その放送に同意したりはしなかったであろうと考えられる。実際、上記認定のとおり、控訴人X1が最初に「かなしい」と発言した場面では、緊張を隠せない面持ちではあっても、笑顔で、にこやかに日本語で「かなしい」と述べているのに対して、次の場面では、控訴人X1の表情は一変して固いものとなり、やや不愉快そうな困惑した顔で、日本語ではなく、□□語で答えているのであって、この間にCから、父親は日本によってロンドンに連れて行かれ、博覧会で見せ物にされたと聞かされたために、表情等が一変したものと推認し得るから、上記のとおり、Cが、「人間動物園」などということを伝えていたならば、関係者の誰一人として取材に応じなかったことは明らかであろう。したがって、本件において、Cの控訴人X1やその他の関係者に対する事前の説明は極めて不十分なものであったというべきであり、その意味で、控訴人X1の真意に基づく同意があったと認めることは相当ではない。

確かに、法律上、放送事業者がどのような内容の放送をするか、すなわち、どのように番組の編集をするかは、表現の自由の保障の下、公共の福祉の適合性に配慮した放送事業者の自律的判断に委ねられているが(最高裁平成一九年(受)第八〇八号ないし同第八一三号同二〇年六月一二日第一小法廷判決・民集六二巻六号一六五六頁参照)、そうだからといって、放送事業者が取材対象者の名誉に係る事項等について放送しようとするときは、取材対象者の真意に基づく同意がなければ免責されないことはいうまでもないことである。

したがって、被控訴人の上記主張を採用することはできない。

カ 以上によれば、控訴人X1の父親が日英博覧会の「人間動物園」で見せ物として展示されたとする本件番組を被控訴人が放送したことは、控訴人X1の社会的評価を低下させ、その名誉を侵害するものとして、不法行為を構成するというべきである。本件番組は、日本の台湾統治が台湾の人々に深い傷を残したと放送しているが、本件番組こそ、その配慮のない取材や編集等によって、台湾の人たちや特に高士村の人たち、そして、七九歳と高齢で、無口だった父親を誇りに思っている控訴人X1の心に、深い傷を残したものというべきであり、これに上記認定のとおり、本件番組の内容や影響の大きさ等の一切の事情を斟酌すると、控訴人X1の被った精神的苦痛を慰謝するには、一〇〇万円をもって相当というべきである。」

(11) 原判決三六頁七行目冒頭から同頁八行目末尾までを次のとおり改める。

「エ ところで、控訴人X2は、かつての日本による台湾支配について、全てが良かったとは思っているわけではないであろうが、決して日本に対して悪い感情を持っているわけではなく、本件で問題となっているCらによる取材についても、日本を代表する報道機関である被控訴人において、台湾から日英博覧会に参加した人たちの子孫など、その関係者に取材したいとの話を受けて、本件番組のような批判的な内容になるなどとは全く考えることなく、純粋に日本に対する好意に基づいて協力したものである。それにもかかわらず、今回、被控訴人によって上記のような内容の番組が放送されたことで、控訴人X2において、控訴人X1に対してだけではなく、高士村の人たちに対しても申し訳ないような、肩身の狭い思いをしていることが十分にうかがえるところであり、そのような好意を裏切ったCらの行為は、報道に携わる者としてのマナーに反するものであり、Cらにおいて、今後は先入観に囚われることなく、取材を受ける者への共感の姿勢を忘れることなく取り組むべきであるが、あくまでもマナー違反にとどまるものであるから、法的責任があるとまで認めるのは相当ではないというべきである。」

(12) 原判決三七頁一九行目の「「知る権利」の」を「ただ「知る権利」を抽象的に主張するだけで、被控訴人と控訴人契約者らとの放送契約において、法律上の権利として、具体的にどのような根拠に基づいて、控訴人契約者らが被控訴人に対し、具体的にどのような請求権を有するのかについて、その」と改める。

(13) 原判決三八頁一二行目の「「知る権利」の」を「控訴人未契約者らと被控訴人との間では放送契約が締結されていない前提で、ただ「知る権利」が侵害されたと主張しているが、契約関係を前提としないで、具体的にどのような根拠に基づいて、どのような控訴人未契約者らの権利が侵害されたというのかについて、その」と改める。

(14) 原判決四〇頁四行目の「本件番組が、」の次に「日本は台湾に対する加害者であり、台湾には今も日本統治の深い傷が残っているなどと報道したことにより、日本に対して友好的で好意的な思いを持つ多くの台湾の人たちに不快な思いを抱かせてしまったことは、誠に残念なことであり、さまざまな立場の人たちへの十分な配慮もないまま、先入観に基づいて本件番組を制作し、放送してしまった被控訴人に対して損害賠償を請求したいという思いは理解できないわけではないが、憲法によって認められている表現の自由は民主主義の健全な発展にとって欠くべからざるものであり、さまざまな立場による報道も十分に尊重されるべきであるから、個々の具体的な権利を侵害するものでない限り、いわば報道のマナー違反の問題にとどまるというべきであって、飽くまでも法的な責任という意味では、」を加える。

(15) 原判決四〇頁一六行目の「被告は、」から同四一頁一行目末尾までを次のとおり改める。

「それは、当時の日本政府が台湾での植民地政策の成功を宣伝するために、日英博覧会において□□族の人たちの暮らしぶりを見せ物としたということで、当時の日本政府の姿勢を批判しようとしたものであって、その当否はともかく、そのような報道も表現の自由の一つとして十分に尊重されるべきものであるから、原則として、そのような報道をすること自体は許容されるべきものである。ただ、その手段として、その言葉自体の持つ差別的意味合いや不快な響きだけではなく、これによって傷つくかもしれない人たちがいることへの配慮など、十分な検討や検証を経ることもなく、刺激的な目新しさに飛びついて「人間動物園」という言葉を使用して表現したことは、日本を代表する報道機関の看板番組の一つとしては軽率であり、批判されても致し方のないものではあるが、それだからといって、直ちに法的責任が生ずるというものでもない。

本件番組の中では、その開始から約七分四五秒頃に、画面に、民族衣装で正装した一二名の□□族と引率と思われる日本人一名の集合写真が映し出され、その写真の下部に「人間動物園」との文字が加えられていることが認められるのであって、この集合写真に「人間動物園」という文字が加えられているのは、上記場面だけであるが、この□□族の集合写真そのものは、本件番組の中で何回も使用されており、その度に「人間動物園」という強烈な言葉が思い起こされることとなるから、このような報道によって、現在の□□族の人たちが不快な気持ちを抱いたであろうことは容易に理解できるところではある。しかしながら、その一方で、本件番組は、上記認定のとおり、日英博覧会の会場で□□族の人たちの暮らしぶりを展示することで植民地政策の成功ぶりを宣伝しようとした当時の日本政府の姿勢を批判しようとしたものであり、□□族そのものや現在の□□族の人たちを野蛮であるなどと報道したものではないことも明らかであるから、本件番組によって控訴人X1以外の現在の□□族や□□族の人たちの社会的評価が低下したものとは認められないというべきである。したがって、控訴人□□族らの請求は理由がない。」

二  結論

以上によれば、控訴人X1の請求は、被控訴人に対し一〇〇万円及びこれに対する不法行為後の平成二一年一一月六日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるから認容し、その余の請求及び控訴人X1を除く控訴人らの請求は、いずれも理由がないから棄却すべきである。

よって、控訴人X1の控訴に基づき、原判決を本判決主文第一項のとおり変更し、控訴人X1を除く控訴人らの控訴をいずれも棄却することとして、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 須藤典明 裁判官 小川浩 島村典男)

別紙 当事者目録

控訴人 別紙控訴人目録一ないし三に記載のとおり

同訴訟代理人弁護士 髙池勝彦 荒木田修 尾崎幸廣 勝俣幸洋 田中禎人 山口達視 牧野芳樹 溝呂木雄浩 青山定聖 内田智 小沢俊夫 田中平八 田辺善彦 中島繁樹 馬場正裕 羽原真二 浜田正夫 藤野義昭 二村豈則 松本藤一 三ツ角直正 森統一 山崎和成

被控訴人 日本放送協会

同代表者会長 A

同訴訟代理人弁護士 宮川勝之 髙木裕康 鈴木知幸 大藤敏 手島康子 梅田康宏

別紙 控訴人目録一

X3<他4名>

別紙 控訴人目録二

X4<他34名>

別紙 控訴人目録三

X1<他1名>

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