東京高等裁判所 平成27年(う)2281号 判決 2016年8月25日
主文
原判決を破棄する。
被告人を禁錮1年6月に処する。
この裁判確定の日から3年間その刑の執行を猶予する。
原審における訴訟費用は被告人の負担とする。
理由
本件控訴の趣意は,弁護人平賀睦夫作成の控訴趣意書及び同補充書に,これに対する検察官の答弁は,検察官椿剛志作成の答弁書にそれぞれ記載されたとおりであるから,これらを引用する。
論旨は,理由不備,訴訟手続の法令違反,事実
誤認の主張である。
第1 理由不備について
「論旨は,要するに,原判決の認定した罪となるべき事実には,注意義務が発生する根拠となる具体的事実を特定していない,原判決は,罪となるべき事実において,①同交差点左折方向出口には横断歩道及び自転車横断帯が設けられていたのであるから,目視及びサイドミラー等を注視するなどして,同横断歩道上及び同自転車横断帯上を横断する自転車等の有無及びその安全を確認しつつ左折進行すべき自動車運転上の注意義務があるのにこれを怠り,十分目視せず,かつ,サイドミラー等を十分注視することもせず,同横断歩道上及び同自転車横断帯上を横断する自転車等の有無及びその安全を十分確認しないまま漫然時速約5kmで左折進行した過失,
又は
②同交差点左折方向出口には横断歩道及び自転車横断帯が設けられていた上,自車は左側方部に死角を有するため,同横断歩道上及び同自転車横断帯上を横断する自転車等が死角内に存在することがあり得たのであるから,微発進と一時停止を繰り返すなどし,死角内の同横断歩道上及び同自転車横断帯上を横断する自転車等の有無及びその安全を確認しつつ左折進行すべき自動車運転上の注意義務があるのにこれを怠り,微発進と一時停止を繰り返すなどせず,死角内の同横断歩道上及び同自転車横断帯上を横断する自転車等の有無及びその安全を十分確認しないまま漫然時速約5kmで左折進行した過失
という2つの過失を択一的に認定しているが,このような認定は刑訴法上許されず,「判決に理由を附せず,又は理由にくいちがいがある」に該当する違法があるというのである。
そこで,検討するに,過失を択一的に認定することは,過失の内容が特定されていないということにほかならず,罪となるべき事実の記載として不十分といわざるを得ない。これをより実質的に考慮すると,過失犯の構成要件はいわゆる開かれた構成要件であり,その適用に当たっては,注意義務の前提となる具体的事実関係,その事実関係における具体的注意義務,その注意義務に違反した不作為を補充すべきものであるから,具体的な注意義務違反の内容が異なり,犯情的にも違いがあるのに,罪となるべき事実として,証拠調べを経てもなお確信に達しなかった犯情の重い過失を認定するのは「疑わしきは被告人の利益に」の原則に照らして許されないと解される。原判決は,これらの2つの過失について,被告人車両が左折進行している間,被害自転車が被告人車両の死角の範囲内と範囲外の境界線付近にいたことまでは証拠上認定できるが,そのいずれにいたかを確定することは困難であると説示しており,いずれの過失についても,確信に至っていないと解される。にもかかわらず,犯情の重い過失をも認定しているのであるから,原判決は前記原則に反して違法というほかない。そうすると,その余について判断するまでもなく,過失を択一的に認定した原判決には理由不備の違法があり,破棄を免れない。」論旨は理由がある。
よって,刑訴法397条1項,378条4号により原判決を破棄した上,同法400条ただし書により,当裁判所において追加された予備的訴因に基づき,更に次のとおり判決する。なお,過失が択一的に記載された主位的訴因について,いずれの過失も採用しなかった理由は後記のとおりである。
第2 自判
(罪となるべき事実)
被告人は,平成26年4月15日午後1時44分頃,大型貨物自動車を運転し,横浜市中区新山下3丁目13番24号先の信号機により交通整理の行われている交差点を鴎橋方面から小港町方面に向かい左折進行するに当たり,同交差点左折方向出口には横断歩道及び自転車横断帯(以下両者を併せて「横断歩道等」という。)が設けられていた上,自車には目視及びサイドミラー等からは見えない死角があり,同横断歩道等上を横断する自転車等が死角内に存在している可能性があったのであるから,微発進と一時停止を繰り返しながら目視及びサイドミラー等を注視するなどして,死角内から死角外に出てくる自転車等の有無及びその安全を確認しつつ左折進行すべき自動車運転上の注意義務があるのにこれを怠り,微発進と一時停止を繰り返さず,かつ,十分に目視及びサイドミラー等の注視をせず,同横断歩道等上を横断する自転車等の有無及びその安全を確認しないまま漫然時速約5kmで左折進行した過失により,折から同横断歩道等上を左方から右方に自転車を運転して進行してきて,同横断歩道上で自車を避けて転回中の甲野花子(当時70歳)に衝突直前まで気づかないまま,自車のコンテナセミトレーラー(以下「トレーラー」という。)の左側部を同人運転の自転車に衝突させて同自転車もろとも同人を路上に転倒させて背部重圧を加え,よって,同人にこれによる内臓破裂等の傷害を負わせ,同日午後2時38分頃,同区新山下3丁目12番1号所在の横浜市立みなと赤十字病院において,同人を前記傷害により死亡させた。
(証拠の標目)<省略>
(事実認定の補足説明)
1 争点
被告人は本件交差点で事故を起こしたことを認めるものの,十分に注意を払っていたのでなぜ事故が起きたのか分からないと述べ,弁護人も被告人に過失のあることを争っているので,判示のとおり認定した理由を説明する。
2 前提となる事実
(1)争いのない事実
被告人は,平成26年4月15日午後1時44分頃,大型貨物自動車を運転し,横浜市中区新山下3丁目13番24号先の信号機により交通整理の行われている交差点を鴎橋方面から小港町方面に向かい左折進行するに当たって本件事故が起きたこと,同交差点左折方向出口には横断歩道等が設けられていたこと,被告人車両は,牽引車両(トラクタ)と被牽引車両(トレーラー)から構成されているが,トラクタには目視及びサイドミラー等からは見えない死角があったことについては,関係証拠上明らかであり,被告人・弁護人もこれらを争ってはいない。
(2)衝突の至るまでの被告人車両及び被害者車両の動向
ア 被告人車両の動向
甲20号証添付図面の第4回走行経路は,ドライブレコーダーに写っていた被告人車両の様子を再現して被告人車両の走行経路を推定したものであるが,被告人も「こんなものじゃないかなと思いましたけど,はい。」と述べており(原審被告人質問66丁),事故時の走行経路は,ほぼ上記経路のとおりと認められる。
イ 被害者車両の動向
(ア)被害者進入時の信号の状態
弁護人は,被害者が青色信号が点滅しているのに敢えて交差点に進入した旨を主張しているので,この点について検討する。
原審甲16号証によれば,現場交差点の信号サイクルは,随時変わっており,6回の計測で6回とも異なるパターンで推移しているものの,パターン毎に変わる部分と変わらない部分があることが認められ,被害者の対面信号である④信号が青色点滅になるとそれが7秒間続き,その後赤色が10秒間続くとドライブレコーダー画像を提供したタクシーの対面信号である②信号が青に変わるという部分は6つのいずれのパターンでも不変である。そうすると,本件事故当時もこのパターンどおり変わったと考えられるところ,ドライブレコーダーの画像(原審甲13)及び同プリントアウト画像一覧表(原審甲14の321丁)によれば,
②信号が赤から青に変わったのは平成26年4月15日午後1時44分26秒45(以下,時までは省略)であるから,その時刻から17秒遡った44分9秒45に④信号の青点滅が始まったと認められる。一方,ドライブレコーダーで初めて確認される被害者車両の姿は,本件交差点を横断中,第2車線を通行中のキャリアカーの向こう側に見えている(原審記録325丁)から,このとき被害者車両は,横断歩道等と第2車線が交わる辺りにいたと認められ,道路端からの距離は,実況見分調書(原審甲11号証116丁)によれば,約3.6mとなり,そのときの時刻は44分9秒70である。
信号が青点滅に替わった時刻(44分9秒45)との差はわずか0秒25であるが,これは,人間の一般的な反応時間(通常人が認識してから行動に移すまでの時間)である0秒6~8(当審検1)の数分の1という瞬時である。このような瞬時に3.6mも高齢者の乗った自転車が移動できるはずはないから,被害者車両は,対面信号の点滅を開始する前に横断歩道等に進入していたと認められる。なお,自転車は,青色点滅信号では道路の横断を始めてはならないとされているだけで,歩行者と異なり,既に開始した横断を速やかに終わらせたり,横断をやめて引き返す義務は負っていないから(道路交通法施行令2条4項),本件被害者の横断方法に落ち度はないことになる。原判決は,被害自転車が対面する歩行者用信号機が少なくとも青色点滅信号の状態で横断歩道上又は自転車横断帯上を横断していたと認定した上で,被害者の横断方法にも不注意な面があったと説示しているが,上記に照らし,首肯できない。
(イ)被害者車両の走行状態
ドライブレコーダーの動画によれば,原判決が説示するとおり,被害者車両が横断歩道等上を鴎橋方面から山手町方面に向かい横断していたところ,被告人車両に進路を塞がれるかたちとなり,これに戸惑っていったん停止し,衝突を回避すべく左回りに転回を始めたが間に合わずに衝突したことが認められる。
(3)両車両の具体的な衝突部位
両車両の具体的な衝突部位は,被告人車両がけん引していたトレーラーの補助脚付近と被害者車両後部と認められることは,原判決が適切に適示するとおりである。
所論は,被害者車両の前部にも擦過痕がついて
いることを根拠に被害者車両が前部から衝突したと主張する。しかし,衝突した部位には,対応する痕跡が残るのが通常であるところ,トレーラーの補助脚部分には銀色金属様のもの又は灰系色樹脂様のものが付着しており(原審記録157丁以下,160丁以下),これは被害者車両のスタンドや泥除けが銀色(同197,205丁)で後ろかごが灰色プラスチック製であること(同211丁)と符合し,一方被害者車両には,走行中は後部に跳ね上げられているスタンドに,青系色塗膜様のものの付着を伴う擦過痕があり(同196丁以下),後輪タイヤに青系色塗膜片様のもののの付着を伴う破れが(同199丁以下),その後輪泥除け及び後ろかごには青系色塗料及び黒色油様のものが付着している(同203丁以下,208丁以下)が,これはトレーラーの補助脚部分が青色に塗装され(同153丁),一部塗膜のはがれを伴う擦過痕が認められること(同171丁)や黒色油汚れがあること(同174丁)と対応していると認められる(原審甲17,18)。
一方,被害者車両の前輪タイヤ等にも擦過痕は認められるが,トレーラーの下部は前述したとおり,青色に塗られているから,もし前輪タイヤが衝突したのであれば青色系塗膜が付着していなければならないのに,それに付着しているのは白系色塗料であり,被告人車両側にもそれに対応する痕がないから,衝突時にできたものとは認められない。
このような双方の衝突部位は,被告人車両から逃れようとしていた被害者車両の後ろから被告人車両の補助脚部分が衝突したことを示しており,前記の衝突に至るまでの経過と相互に補強し合う関係にあるといえる。
所論は,採用できない。
(4)衝突地点の道路上の位置
原判決が適切に説示するとおり,進行中の物体から衝突によって落下した物は衝突地点より進行方向前方に落ちることはあっても後方に落ちることはない(慣性の法則)ところ,被告人車両の青色塗膜片が横断歩道上にかかるかたちで散乱していること,原審証人乙山葉子が被害者が走行していたのは横断歩道等上であると証言していることに加え(なお,同人立会の実況見分調書(原審甲25抄本)が,証拠能力を有することは関係証拠上明らかである。),ドライブレコーダーの映像と各車両の位置関係が合致するよう再現したという原審証人丙川太郎の証言を併せ考慮すれば,同人が特定したとおり,衝突地点は,原審甲20号証添付図面の⊗1ないし⊗2の範囲と認めるのが相当である。
(5)被告人車両の死角の範囲
被告人車両(トラクタ)の死角は原審甲19号証添付の死角形成図(原審記録518丁)のとおりと認められる。同図によれば,死角は2方向に広がっており,第1の死角は図面の左方(運転席から見て左斜め前方)に広がるが,数十cmの隙間を除き(その幅から考えて被害者車両発見の妨げとならない。),左側部から約5.5m離れたところから始まっている。一方,第2の死角は図面の右方(運転席から見て左斜め後方)に広がっているが,これも左側部から約4.5m離れたところから始まっていると認められる。以上によれば,トラクタの左方約4.5mより近くには被害者車両を発見できないような死角は存在しないということになる。
なお,被告人車両の構造上,左折時にはトレーラーが連結部分で折れ曲がり,トラクタとの間に角度が生じる。しかし,トレーラーにはミラーやカメラなど死角に影響するものは付いていないから,トレーラーがどのような角度になろうとトラクタから見える範囲と見えない範囲が変わることはあり得ない(原審甲19号証添付の透明シートに描かれたトラクタ及びトレーラーの図でトレーラーを連結部分から曲げてみると,このことが確認できる。もちろん,折れ曲がったトレーラーが死角外の範囲に入ればそこに被害者車両が入り込む余地はなくなるが,その部分が死角に変わるわけではない。)。すなわち,トレーラーの角度は,トラクタの死角に影響しないのであり,トレーラーの状態に関わりなくトラクタの左方約4.5mより近くには被害者車両を発見できないような死角は存在しない。
3 被告人の注意義務
事故当時の被告人車両の走行経路に最も近いと思われる原審甲20号証添付図面の4回目の走行経路を使い,それぞれ指定された右前輪と右後輪の位置を合わせながら原審甲19号証添付の透明シートに描かれた死角の図を当てはめてトレースしてみると,時間とともに被告人車両の死角がどのように変化したか確認できる。その結果によれば,被告人車両は,トレーラー部分が長く大回りする必要があるため,A)最初に本件交差点のほぼ中央部まで直進した後,B)急速に左に旋回を始め,ほぼ直角に近い角度をつけながら左折して対向車線の右折待機用車線に入り,C)さらに,緩やかに左折を続けて第2車線に戻るような軌跡を辿っているが,A段階の直進中は,横断歩道上の大部分は,ほぼ前記第2の死角の範囲にあるが,B段階以降,旋回を始めて横断歩道に近づくと,それとともに,被告人車両に近い範囲は死角外に出てくることが認められる。すなわち,横断歩道上のうち,第1車線と交わる辺りは死角内に留まる部分が多いが,第2車線と交わる辺りには死角はなくなってくるのである。
これを前提に考えると,被告人は自車の死角の存在について知っていたのであるから,横断歩道上が自車の死角にあるA段階(直進中)は微発進と停止を繰り返すなどして死角内から死角外に出てくる自転車等がないか確認して,これに備えるとともに,横断歩道上が死角から外れてくるB段階以降(左折開始後)には,引き続き上記走行を続けた上で,目視やサイドミラーを注視するなどして,死角外に出てきた自転車等の発見及び対応に努めるべきであったといえ,これが注意義務の内容を構成する。
しかるに,被告人は,原審公判において,A段階や左折開始時以降において,微発進と停止を繰り返すことはしていなかったことを認めた上,A段階までは目視やサイドミラー等を注意して見た旨述べるけれども,「ハンドルを切るまでの勝負というか,ハンドルを切ってからはもう何も見えなくなっちゃうので,はっきり言ってハンドルを切ってからは確認のしようがないんですよ。」(原審被告人質問101丁)などと述べており,ハンドルを切ったB段階以降において注意して見ていなかったことを自認している。確認が不十分だったため,被害者運転の自転車に気づかなかったという被告人の検察官調書(原審乙4,610丁)もこれと同旨と解される(なお,被告人は,当審での訴因変更後に,ハンドルを切った後もサイドミラーを見ていた旨,供述を変更したが,この変遷に対する合理的な説明はされておらず,信用することはできない。)。これが注意義務に反した不作為であることは明らかである。
そして,当審の証拠調べの結果によれば,時速5kmで走行しているときの停止距離は,1.18mと認められる(当審検1)から,被告人が注意義務を尽くし,約4.5m先から死角外に出てきた被害者を直ちに発見すれば,停止距離に加え,前記のとおり,被害者が回避しようとして被告人車両から遠ざかっていたことを考慮すれば,十分な余裕を持って停止できたはずであって,回避可能性が十分に認められる。
4 結論
以上によれば,原判決が主位的訴因に基づき択一的に認定した2つの過失のうち,前記①については,被告人車両の死角部分を被害者が通った場合を考慮しておらず,前記②については,微発進と停止を繰り返せば被害者が死角内から死角外に出てくることが期待できるものの,目視やサイドミラー等の注視により死角外で被害者を発見して初めて安全確認ができるのであるから,注意義務違反の内容として不十分であり,結局いずれの過失の構成も適当ではない。これに対し,当審で予備的に追加された訴因は,既に述べた証拠関係に合致するものといえる。
よって,判示のとおり,被告人の過失を認定した。
(法令の適用)
原判決が挙示する法令を適用し(禁錮刑の選択を含む。),その刑期の範囲内で,被告人を主文掲記の刑に処し,刑の全部執行猶予につき刑法25条1項を,原審における訴訟費用の処理(負担)につき刑訴法181条1項本文をそれぞれ適用して,主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 青柳勤 裁判官 岡部豪 裁判官 室橋秀紀)