東京高等裁判所 平成28年(う)1719号 判決 2017年2月24日
主文
原判決を破棄する。
被告人は無罪。
理由
第1 控訴趣意について
1 事案の概要及び控訴趣意等
(1)事案の概要
本件公訴事実の要旨は,被告人は,平成28年4月8日,東京地方裁判所から,DV防止法10条に基づき,同日から起算して6か月間,被告人の配偶者の子である長男(当時12歳)の住居,就学する学校その他その通常所在する場所の付近をはいかいしてはならない旨の保護命令(以下「本件保護命令」という。)を受けていたものであるが,同年6月1日午後3時55分頃から同日午後4時3分頃までの間,同人が就学する東京都板橋区内の学校(以下「本件学校」という。)付近をはいかいし,もって保護命令に違反した,というものである。原判決は,公訴事実と同旨の事実を認定し,これにDV防止法29条,10条3項を適用して,同法違反の罪が成立すると判断し,被告人に対し,懲役4月,2年間執行猶予の有罪判決を言い渡した。
(2)控訴趣意の要旨
弁護人石部享士の控訴趣意は,法令の解釈・適用の誤り及び事実誤認の主張である。
論旨は,①被告人が,平成28年6月1日午後3時55分頃,本件学校を訪問し,同校正門から敷地内に入り,エントランスロビーで同校教頭に校長宛ての手紙を渡すなどした後,同日午後4時3分頃に正門から敷地外に出てその場を離れた行為(以下「本件行為」という。)は,DV防止法10条3項に基づき本件保護命令で禁止された「はいかい」には当たらないのに,これに当たるとして保護命令違反の罪の成立を認めた原判決は,同法の解釈・適用を誤ったものであり,その誤りは判決に影響を及ぼす上,②仮に,本件行為が上記
「はいかい」に当たるとしても,被告人は,それが保護命令で禁止される「はいかい」に当たるとの社会通念上の意味の認識を欠き,また,被告人が,本件行為は処罰の対象にならないと考えたことにも相当の理由があるから,被告人には故意が認められないにもかかわらず,これを認めた原判決には,判決に影響を及ぼすべき事実誤認がある,というのである。
2 法令の解釈・適用の誤りの主張について
(1)原判決の判断の要旨
原判決は,本件行為は,本件保護命令で禁止された「はいかい」には当たらないとの原審弁護人の主張について,要旨,以下のとおり説示して,これを排斥した。
DV防止法10条3項に基づく命令は,配偶者に対する「子への接近禁止命令」といわれ,保護命令を受けた配偶者が,被害者の子に接近することによって被害者が配偶者と物理的に接近することを余儀なくされる事態が生じ,その結果として,被害者が配偶者から暴力を加えられる危険が高まり,被害者への接近禁止命令の効果が減殺されることを回避するために定められた制度である。このような趣旨からすれば,本件のように,長男の就学する学校に赴き,学校の建物の一画で,短時間,学校関係者と面会等をして立ち去ったというだけであっても,そのような行為は,原則として,前記条項によって配偶者が禁止される子への接近行為に当たるといわなければならない。他方,配偶者による子への接近行為を,いかなる理由があっても一律に保護命令違反と解するのは,配偶者の行動を過度に制約することになり,相当とはいえない。外形的には子へ接近する行為であっても,配偶者がその場所に赴くことにつき正当な理由があるような場合は,当該行為は「はいかい」に当たらず,保護命令に違反する行為とはいえないと解すべきである。
そこで,この点を本件行為について検討するに,本件において,被告人が長男の就学する学校に赴いたのは,同校校長宛ての手紙を手渡すためであって,被告人にそれ以外の目的があったとは認められない。しかしながら,被告人の持参した手紙の内容からすると,本件当日に校長に伝えなければならない必要性・緊急性は認められないほか,その方法についても,長男の学校に赴く以外の代替手段は存在し,それを被告人に強いたとしても過度に被告人の行動を制約することになるとは考えられない。
そうすると,本件行為に正当な理由を認めることはできず,本件行為は,保護命令によって禁止される「はいかい」に当たる。
(2)当裁判所の判断
当裁判所は,原判決の上記判断は,DV防止法10条3項及びこれに基づく本件保護命令で禁止された「はいかい」の文言の解釈を誤り,刑罰法規の適用を誤ったものであり,是認できないものと判断した。
以下,その理由を説明する。
ア DV防止法10条3項及び本件保護命令で禁止された「はいかい」の意義について
DV防止法10条が,保護命令の内容として,配偶者からの暴力の被害者本人に対する接近禁止命令に加え,一定の要件の下で,子に対する接近禁止命令を発令すべきこととした趣旨は,原判決も指摘するとおり,被害者に対する接近禁止命令の効果が減殺されることを防ぐことにより,被害者本人の身体に対する更なる暴力を防止することにあると解される。すなわち,DV防止法は,配偶者からの暴力の防止及び被害者の保護を図るために制定されたものであり,同法10条の保護命令も,同目的を実現するための手段・制度として設けられ,その実効性を担保するために保護命令違反につき罰則が設けられたものである。
また,「はいかい」の字義は,「どこともなく歩き回ること,ぶらつくこと」(広辞苑第六版),あるいは「目的もなく,うろうろと歩き回ること,うろつくこと」(大辞林第三版)などとされ,DV防止法案の国会審議等においても,上記字義に沿った説明がされているところである。
そして,DV防止法10条の前記趣旨,目的に照らせば,子に対する接近禁止命令は,被害者の子の身辺につきまとうことのように,それによって被害者に配偶者との面会を余儀なくさせるような行為を禁じたものであって,前記用語の字義からしても,DV防止法10条3項及びこれに基づく子に対する接近禁止命令における「はいかい」とは,理由もなく被害者の子の住居,就学する学校その他通常所在する場所の付近をうろつく行為,をいうものと解するのが相当である。
そうすると,子に対する接近やこれを手段とした被害者への接近の目的がある場合は格別,それ以外の目的で,子の通常所在する場所の付近に赴き,当該目的に必要と認められる限度で同所に所在する行為は,「はいかい」には当たらないというべきである。
イ 本件行為について
本件行為は,原判決も判示するとおり,校長宛ての手紙を手渡す目的で,本件学校を訪れ,正門から敷地内に入り,エントランスロビー内で上記手紙を教頭に渡した後,教頭に見送られて,本件学校を後にするまで約8分間にわたり本件学校の敷地内に所在したというものである。
上記手紙の内容は,本件保護命令に対する不満を背景に,長男の人格形成上,父子間の交流の継続が重要であるとの考えを示し,長男の最善の利益を実現する方策について,学校に出向いて校長に相談したいなどとするものであるが,直ちに長男と会わせるよう求めるものではなく,手紙を渡したり,校長と面談したりすることを口実に,長男を連れ戻そうとし,あるいは,そのことを通じ,妻が面会を余儀なくされる状況を作出しようとする目的もうかがわれない。
また,被告人は,本件行為の際,正門から敷地内に入ると直ちにエントランスロビーに向かい,同所で教頭に上記手紙を渡すと,同人らに正門まで伴われ,そのまま本件学校を後にしており,その間,周囲を見回すなどする様子を一切見せることもなく,本件学校の敷地内にいた時間も約8分間で,上記手紙を渡すために必要な時間にとどまっている。
以上によれば,被告人が,本件学校を訪れた目的は,上記手紙を渡すためであり,被告人に上記以外の目的が存在したと認めるに足りる証拠もなく,かつ,本件行為は,上記目的に沿った短時間の行動であったといえる。
したがって,本件行為は,「理由もなく長男の通常所在する場所の付近をうろつく行為」には当たらず,本件保護命令で禁止された「はいかい」には該当しないものというべきである。
ウ これに対し,原判決は,前記(1)のように判示して,「はいかい」の通常の字義を超え,刑事罰による制裁を伴う禁止行為である「はいかい」の趣旨を過度に広範なものとする解釈を採り,本件行為がそれに当たるとしたものであって,是認することができない。
(3)小括
以上によれば,本件行為が本件保護命令で禁止された「はいかい」に当たるとした原判決は,法令の解釈・適用を誤ったもので,その誤りが判決に影響を及ぼすことは明らかであるから,その旨をいう論旨は理由があり,事実誤認の主張について判断するまでもなく,原判決は破棄を免れない。
よって,刑訴法397条1項,380条により,原判決を破棄し,同法400条ただし書により当裁判所において更に判決する。
第2 自判本件公訴事実の要旨は,第1の1(1)記載のとおりであるが,同2(2)で説示したとおり,本件行為は,DV防止法10条3項に基づく本件保護命令にいう「はいかい」には当たらず,罪とならないことに帰するから,刑訴法336条により,被告人に対し無罪の言渡しをする。
よって,主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 藤井敏明 裁判官 大西直樹 裁判官 諸徳寺聡子)