東京高等裁判所 平成3年(ネ)1372号 判決 1991年11月21日
控訴人・附帯被控訴人(以下「控訴人」という。)
甲野花子
被控訴人・附帯控訴人(以下「被控訴人」という。)
伊丹康人
被控訴人
別府諸兄
右両名訴訟代理人弁護士
古屋俊雄
古屋倍雄
主文
一 本件控訴を棄却する。
二 本件附帯控訴に基づき、原判決中被控訴人伊丹康人の敗訴部分を取り消す。
控訴人の被控訴人伊丹康人に対する請求を棄却する。
三 訴訟費用は、第一、二審とも控訴人の負担とする。
事実
第一 当事者の求めた裁判
一 控訴人
1 原判決を次のとおり変更する。
2 被控訴人らは、控訴人に対し、各自二三〇五万円及びこれに対する昭和六三年五月二九日から支払いずみまで年五分の割合による金員を支払え。
3 本件附帯控訴を棄却する。
4 訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人らの負担とする。
5 仮執行宣言
二 被控訴人ら
主文同旨
第二 当事者の主張及び証拠関係
当事者の主張は、当審において主張を次のとおり付加・敷衍するほか、原判決事実摘示のとおりであり(ただし、原判決二枚目裏九行目及び八枚目表九行目の「一月三一日」を「一月一三日」に改める。)、証拠関係は、本件記録中の書証目録及び証人等目録記載のとおりである。
一 控訴人
1 先天性股関節脱臼について
控訴人の股関節の異常は、昭和五七年秋に重い荷物を持って足をひねった衝撃によって発生したものである。
したがって、控訴人が先天性股関節脱臼であるとの診断を前提とする被控訴人らの手術はいずれも誤りである。
2 人工股関節置換手術の適応について
人工股関節置換手術が行われた昭和五九年一月一三日当時、控訴人は、さほどの痛みも生活上の不便も感じていなかったし、当時四三歳であり、六〇歳以上とされていた人工股関節置換手術の適応年齢よりかなり若かったから、控訴人に対して人工股関節置換手術を行う時期ではなかった。被控訴人伊丹は、人工股関節置換手術を行う必要のないときにこれを行ったものである。
また、左股関節の人工股関節置換手術を先に行うことが右股関節の保護につながることはないから、被控訴人伊丹の左股関節の人工股関節置換手術を先に行うとの判断も誤りであった。
3 人工股関節置換手術の結果について
控訴人の脚長は、手術前には左右とも七五センチで同じ長さであったが、人工股関節置換手術は左脚の方が六センチ長くなった。控訴人は、手術後、手術を受けた左足をかばうという意識のほか、この脚長差のためとくに右脚を軸として日常生活を送らざるを得なくなり、右股関節に負担がかかるようになった。
このように脚長に差が生じたのは、被控訴人伊丹の手術に不手際があったと考えざるを得ない。
4 寛骨臼廻転骨切手術の適応について
寛骨臼廻転骨切手術は、出血量も多く、高度の技術を要する複雑な手術であり、それだけに失敗も多い。人工股関節置換手術を組み合わせるとなると、より慎重な考察をする必要があった。控訴人の症状がこのような寛骨臼廻転骨切手術の適応例でなかったことは、原審で主張したとおりである。
5 寛骨臼廻転骨切手術の結果について
控訴人は、寛骨臼廻転骨切手術後も、わずかな痛みを感じ鎮痛剤の投薬を受け続けた。寛骨臼廻転骨切手術では、臼蓋と骨頭との適合性が得られないとの結果に終った。脚長差は、寛骨臼廻転骨切手術によりわずかばかり改善されたが、依然として右脚が短い状態は残っており、右股関節に負担がかかって予後の悪化をもたらした。
寛骨臼廻転骨切手術は、関節の適合性が得られないばかりか、人工股関節置換手術による脚長差の発生という失敗をそのま承継した。
6 説明義務について
被控訴人らは、控訴人に対し、手術前に、人工股関節置換手術及び寛骨臼廻転骨切手術の目的、効用及び限界について、系統だてて説明し、控訴人の病状及び置かれている環境に応じて必要と思われる説明を付加する義務がある。
ところが、被控訴人らは、必要最低限度と思われる説明をしなかったばかりか、これとは異なる説明をした。
すなわち、人工股関節置換手術及び寛骨臼廻転骨切手術の目的は、痛みの除去、軽減にあるとされているが、この目的は控訴人に告げられていない。控訴人が手術を受けた当時、股関節の痛みはさしたることはなかったから、手術の目的が痛みの除去にあることを知っていたなら、控訴人は、この手術を受けなかった。人工股関節置換手術が左脚の支持性を確保する目的をもっているとの説明もなかった。
控訴人は、被控訴人伊丹から、人工股関節置換手術の前に、人工股関節は三〇年ないし四〇年しかもたないとの説明を受けた。ところが、人工股関節置換手術の予後の実態は、一〇年を経過すると再手術の率が高くなり、その割合はおよそ三割であるといわれている。被控訴人伊丹の説明は、人工股関節の素材の耐久年数を人工股関節がその期間正常に機能するかのごとく誤解させるものであった。
寛骨臼廻転骨切手術の耐久性については、何らの説明もなかった。かえって、被控訴人別府からは、自分の骨による手術であるから、他の骨と同じように機能する旨の説明があった。
また、寛骨臼廻転骨切手術は、昭和五九年の春に改良されたばかりの大変難しい手術であるのに、被控訴人別府は、古くから行われている簡単な手術である旨説明していた。
人工股関節置換手術の後は四か月すれば職場復帰が可能であるとか、寛骨臼廻転骨切手術後は三か月すれば人間の骨はしっかりしてくるとか、手術後の生活について楽観的な説明がされており、手術後は杖をつきながら股関節をかばって何とか日常生活ができるようになる旨の説明はなかった。
被控訴人別府は、手術後になって、階段の昇り降りは人工股関節の耐久性を短くするから良くない旨説明した。ところが、控訴人は、マンションの五階に住んでおり、マンションは古くエレベーターが付いていないから、事前にこのような説明があれば、手術後の生活をどうするか真剣に検討し、必要であれば転居も考えられたはずである。
控訴人は、これらの点について、何の説明も受けず、それぞれの手術の真の目的、効用、限界に関する認識を欠いたまま、被控訴人らの命じるところに従って、本件手術を受けた。控訴人が右の点について真の認識を有していたなら、控訴人は、右手術を決して受けなかった。
二 被控訴人ら
1 控訴人の主張1は争う。
控訴人の股関節は、昭和五八年五月二六日の初診時において、そのエックス線写真から、次のとおり診断された。
左股関節は、軟骨が失われて骨盤と大腿骨骨頭が接触し、大腿骨骨頭部分は壊死して空洞化し異常な骨の増殖が見られ、自覚症状としての痛みもあり、関節の可動域は高度に制限され、関節症としては末期の状態であった。また、右股関節は、一部すり合わせの悪い部分があって軟骨が減り、骨盤側にはのう胞が形成されていたが、大腿骨骨頭部分にはまだ壊死は見られず、関節の可動域はやや制限されるだけで、痛みの訴えはない状態で、関節症としては進行期にあった。右診断が正確であったことは、原審鑑定で裏付けられている。
2 控訴人の主張2は争う。
控訴人の左股関節は、初診時において、すでに変形が進んだ関節症末期の病状であり、人工股関節置換手術を行う以外に治療の方法がなかったが、右股関節は、変形が末期でなく進行期にあったので、治療を施せば人工股関節にしなくともすむと判断し、被控訴人伊丹は、控訴人に対し、その旨病名、両股関節の変形状況、及び今後の治療の見通しについて十分詳細に説明し、人工股関節の耐久性が三〇年ないし四〇年であることも考慮して手術の時期をできるだけ延ばすことにし、その間に右股関節の治療方法の検討を重ねることにした。
そこで、被控訴人らは、控訴人に対し、必要な投薬等の治療を行い、控訴人の経過観察をした。
昭和五八年九月一日の診断では、控訴人から、自発痛と歩行痛の訴えがあった。同月一二日にレントゲン撮影をした際に、控訴人に対し、結果次第では手術を行うことになるかもしれない旨告げた。同月二二日の診断日には、左股関節について人工股関節置換手術以外の処置がないこと及び手術の時期は痛みで我慢できなくなったときであることを説明した。同年一一月二四日の診断では、控訴人の大腿が腫れて痛みが少し強くなり、長時間の歩行が以前より辛くなったことを訴えたので、控訴人の訴えに対処するため、より強力な鎮痛消炎薬であるボルタレン及びインダシン坐薬を投与した。
以上のとおり、長時間をかけて控訴人に対する経過観察及び投薬等の治療を行ってきたが、控訴人の変形性股関節症が両側性であることから、初期から進行期にある右股関節症の悪化を防止し、いずれ実施しなければならない寛骨臼廻転骨切手術の予後のため、右股関節に負担をかけないように左股関節の人工股関節置換手術を実施して左脚の支持性を確保する必要があった。昭和五八年一二月八日の診察の際、被控訴人伊丹は、控訴人に対し、右の事情を十分説明し、左股関節が手術時期にきたことを告げ、翌年一月一三日、左股関節の人工股関節置換手術を実施した。
被控訴人らの行った人工股関節置換手術は十分合理性を有し、控訴人の症状に適応している。
また、今日の医学上の一般的すう勢は、患者の年齢に縛られることなく、必要に応じて人工股関節置換手術を行っているのであるから、控訴人の当時の年齢が四三歳九か月であることは右手術適応の問題とはならない。
3 控訴人の主張3は争う。
左股関節の人工股関節置換手術をしたのは、右脚に対して左脚を支持脚にする目的があり、支持脚にする脚を長めにするのが一般的手術手法である。被控訴人伊丹は、人工股関節置換手術に際し、レントゲン写真上で左脚を右脚より一センチ長く処置している。
4 控訴人の主張4は争う。
被控訴人伊丹は、寛骨臼廻転骨切手術に踏み切るまでに長時間の経過観察をし種々の治療を施してきた。しかし、控訴人の右股関節症の症状は一向に改善されず、そのままでは末期症状を呈することが明白になってきたため、人工股関節置換手術を要する状況まで悪化させないように寛骨臼廻転骨切手術を昭和五九年九月二〇日に実施した。右手術に先立つ同年六月二〇日、右股関節に対する寛骨臼廻転骨切手術の必要性を説明し、同年九月三日の診察の際にも右手術を説明し、控訴人の了解を得ている。
5 控訴人の主張5は争う。
被控訴人伊丹の行った寛骨臼廻転骨切手術そのものは、完全に処置された成功例であった。控訴人自身、昭和六〇年九月二六日の診察時に、術後の状況が非常によい旨報告しており、控訴人の動き過ぎが心配されるほどであった。
6 控訴人の主張6は争う。
被控訴人らは、各手術に至る長期観察の期間中に、人工股関節置換手術の意味、目的、内容、術後の状況について十分説明し、寛骨臼廻転骨切手術についても同様に控訴人が納得するまで時間をかけて状況を説明し、手術そのものについて理解を求めていた。控訴人は、被控訴人伊丹の診断を受ける前に別の医療機関で股関節症の知識を授かっており、被控訴人伊丹の治療を受けるようになってからも他の国立病院の専門医に相談に行くなど自ら股関節症についての基本的認識を得たうえで、被控訴人伊丹に対し、人工股関節置換手術及び寛骨臼廻転骨切手術について質問し説明を受けているのである。
医師のする説明は、その内容、範囲を画一的に決められるものではなく、患者の理解度を前提にしてなされるものである。医師の説明で注意すべき点は、治療行為に伴うマイナス要因を必要以上に強調しないことである。マイナス要因だけを強調して患者を不安に陥れ、結果として必要な医療行為を受ける機会を失わせることは絶対に避けなければならない。
被控訴人伊丹は、かかる点を配慮しながら、控訴人の理解度を前提にして必要かつ十分な説明をしてきた。
理由
一事実関係は、次のとおり改めるほか、原判決一三枚目表一一行目から同二六枚目裏一一行目までのとおりである。
1 原判決一三枚目裏一〇行目の「説明を受け」の次に「、更に同月二四日、股関節症を専門にする医師から、レントゲン写真を示されて両股関節が脱臼しかかっていること、痛みが強くなれば手術することになる旨の説明を受け」を加え、同一四枚目表一行目の「書いている」の次に「(歩行困難になった七〇歳の女性に人工股関節置換手術を実施した結果、痛みがなくなり、機能が回復した旨の記事であった。)」を加える。
2 原判決一四枚目裏一行目の「一月三一日」を「一月一三日」に改める。
3 原判決一四枚目裏六行目の「成立に争いのない甲」の次に「第七号証、」を加え、同七行目の「一五号証、」の次に「弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる甲第四号証、」を加える。
4 原判決一五枚目表一〇行目の「制限されていた」の次に「(可動域は、正常な股関節に比較して、ほぼ半分に制限されていた。なお、日本整形外科学会の定めた変形性関節症の病状評価によれば、痛みの評価は、痛みなし四〇点、軽度(不定期に時々疼痛がおこる。)三〇点、中程度(歩行時に疼痛を伴い、短時間の休息により消退する。)二〇点、強い疼痛(歩行時に強い痛みがあり、休息により軽快する。自発痛が時々ある。)一〇点、激しい疼痛(持続的に自発痛がある。)〇点、関節の動きの評価、屈曲―九〇度以上一二点、六〇度以上九点、三〇度以上六点、二九度以上三点、不良肢位もしくは良肢位でも強直かほとんど可動性がない〇点、外転―三〇度以上八点、二〇度以上六点、一〇度以上四点、九度以下二点とされており、痛みの評価が三〇点ないし二〇点で主として三〇点程度、屈曲が九〇度程度であれば寛骨臼廻転骨切手術の適応と考えられるが、可動域の制限が強まって屈曲が六〇度になると寛骨臼廻転骨切手術の適応外になるといわれている。また、屈曲が七〇度になると、一般に爪切りや靴下の着脱が困難になるなど日常生活上の不自由が現れるといわれる。)」を加え、同枚目裏四行目の「制限されており」の次に「(可動域は、正常な股関節の約三分の二に制限されていた。)」を加える。
5 原判決一六枚目表七行目の「原告に」から同一〇行目の「述べ」までを「控訴人に対し、控訴人の病気は先天性両肢関節変形症であると病名を告げ、左股関節はすでに変形が進み人工股関節置換手術をするしかないが、人工股関節は耐久性に問題があり、三〇年ないし四〇年しかもたないので、手術はできる限り遅らせること、右股関節は、変形がほとんどなく、すぐ治療すれば人工股関節にしなくてもすむので、よい治療方法を考える旨両股関節の現状とその治療方針を説明し」に改める。
6 原判決一六枚目裏一〇行目の「歩行痛」の前に「五〇〇メートル位歩くと感じる」を加える。
7 原判決一七枚目裏一行目の「処方がなされた」の次に「(二ノ宮証人は、ボルタレンやインダシン坐薬等の強力な薬は前記痛みの評価が二〇点以下になったときに用いることにしている旨証言する。)」を加える。
8 原判決一七枚目裏二行目の「原告に対し」から同一一行目末尾までを「薬物療法等の治療によっても控訴人の左股関節の痛みが増大し、可動域の制限も強まっており、将来行うことが予定される右股関節の手術のため左脚の支持性を確保することも考慮して、左股関節について人工股関節置換手術を実施すべき時期であると判断し、控訴人に対し、人工股関節置換手術を実施すべき時期である旨告げた。」に改める。
9 原判決一八枚目表二行目の「突然の手術施行の話であったので、」を削る。
10 原判決一八枚目表七行目の「整形外科で」を「整形外科の変形性股関節症の治療で有名な医師の」に改め、同枚目裏三行目の「説明した。」の次に「右国立王子病院の医師の診断、治療方針は、どちらの脚を先に手術するかの点を除き、被控訴人伊丹の診断、治療方法とほぼ同じものであった。」を加え、同五行目の「自覚症状はなく」を「自覚症状はないが、骨切り手術が必要な状況にあり」に改め、同行の「長時間」から同六行目の「けれども、」までを削り、同七行目の「医者の間に見解の相違があること」を「国立王子病院の医師は右股関節の手術を勧めたのに、被控訴人伊丹は右股関節の手術について触れないこと」に改め、同八行目の「思ったが、」の次に「国立王子病院では六か月間と長期の入院を要することになるし、」を加える。
11 原判決一九枚目表八行目の「支障はなかった。」の次に「なお、右股関節の可動域は、屈曲が九〇度、外転が二〇度、内転が一五度であり、回旋が極度に制限されていた。」を加える。
12 原判決一九枚目裏四行目の「述べた。」の次に「また、控訴人は、被控訴人別府から、人工股関節置換手術を受けた患者を紹介され、人工股関節置換手術を受けた後の状況を確認した。」を加える。
13 原判決一九枚目裏九行目の「個人的意見」の前に「控訴人が入院中右股関節の痛みを訴えることがなかったことから」を加える。
14 原判決二〇枚目裏五行目の「また」から同八行目の「考えていたのであった。」までを削る。
15 原判決二一枚目表二行目の「訴えた。」の次に「左股関節の屈曲は七五度、外転は一五度、内転は一〇度であり、右股関節の屈曲は八〇度であった。」を加え、同行の「被告伊丹は、」を削り、同行の「診察の際に、」の次に「控訴人は症状が良好で歩くことができるようになったと述べた。左股関節の屈曲は八〇度、外転は一〇度、内転は一五度であり、右股関節の屈曲は九〇度、外転は一五度、内転は一五度であった。被控訴人伊丹は、」を加える。
16 原判決二一枚目表一〇、一一行目の「その後の」次に「同年七月三〇日の」を加え、同裏一行目の「二三日まで」の次に「シンガポールにいる」を加える。
17 原判決二一枚目裏二行目の「診察を受けたが、」の次に「左股関節に痛みはなく、左脚で起立できるようになっており、右股関節には疼痛があり、右股関節の可動域は屈曲九〇度、外転一七度、内転一〇度であった。」を加える。
18 原判決二二枚目表六行目の「説明はなされなかった。」の次に「控訴人は、寛骨臼廻転骨切手術を受けて入院中の患者に会って、その様子を見た。」を加え、同七行目から同枚裏五行目までを削る。
19 原判決二二枚目裏八行目の「退院後」の前に「同年一二月二二日の」を加え、同九行目の「概ね良好な経過を辿っていたが、」から同二三枚目裏六行目までを次のとおり改める。
「次のとおり、概ね良好な経過をたどっていたが、昭和六一年六月ころから右股関節付近に痛みを感じるようになった。
昭和五九年一二月二七日の診断では、控訴人の自覚的症状はほとんどなく、右股関節の屈曲は六五度、外転は二〇度、内転は一〇度、左股関節の屈曲は一〇〇度、外転は二〇度、内転は一〇度であった。
昭和六〇年一月二八日の診断では、長い時間歩くと痛みがあるが、手術前のような痛みは全くないとのことであり、右股関節の可動域も屈曲が九〇度、外転が二五度、内転が一五度となっていた。
同年三月二八日の診断では、右股関節の屈曲は九〇度、外転は一〇度、内転は一〇度であり、左股関節の屈曲は九五度、外転は二〇度、内転は一五度であった。
同年五月二三日の診断では、右股関節の屈曲は九五度、外転は二二度、内転は一五度であり、左股関節の屈曲は一〇〇度、外転は二〇度、内転は二〇度であり、トレンデレンブルグ現象は左右ともなかった。控訴人は、海外旅行を希望したので、被控訴人伊丹は、これを許可した。
同年六月二七日の診断では、右股関節の屈曲は九五度、外転は二五度、内転は一五度であり、左股関節の屈曲は一〇五度、外転は二五度、内転は一五度であり、跛行もなくなっており、左右両股関節とも順調な回復をしていた。
同年七月二五日の診断では、控訴人の求めに応じて、自動車運転と水泳(ただし、バタ足は禁止された。)が許可された。
同年八月二二日の診断では、右股関節の屈曲は八〇度、外転は一五度、内転は一五度であり、左股関節の屈曲は九〇度、外転は二〇度、内転は一三度であり、片脚での起立が可能であった。右股関節にトレンデレンブルグ現象が見られたものの、レントゲン写真上は問題がなかった。
同年九月二六日の診断では、右股関節の屈曲が九〇度で、外転が一五度で、内転が一三度であり、左股関節の屈曲が九〇度で、外転が二二度で、内転が一五度であって、回旋運動に制限が見られたが、控訴人伊丹は、控訴人が調子が良くて動き過ぎることを心配していた。
同年一一月七日の診断では、右股関節の屈曲が九〇度、外転が二五度、内転が二〇度であり、左股関節の屈曲が八五度、外転が二〇度、内転が一五度であった。レントゲン写真では、左人工股関節側の軸が外側によっているのが見えた。
翌昭和六一年一月二三日の診断では、寒くなると右股関節に一時的痛みを感じる旨の訴えがあった。右股関節の可動域は屈曲が八〇度、外転が一〇度、内転が一〇度であり、左股関節の可動域は屈曲が一〇〇度、外転が二五度、内転が一五度であった。
同年四月一七日の診断では、右股関節の屈曲が七〇度、外転が五度、内転が一五度、左股関節の屈曲が九五度、外転が二五度、内転が一五度であり、回旋運動に種々の制限が見られるようになった。
同年七月七日の診断において、控訴人は、右仙腸関節の付近に痛みを訴えた。右股関節の可動域は屈曲が六〇度、外転が八度、内転が一〇度であり、左股関節の可動域は屈曲が八五度、外転が二五度、内転が一五度であって、右股関節の運動範囲の制限が見えた。
以後、控訴人は、右股関節の痛みを訴え続け、右股関節の可動域は縮小していった(昭和六一年八月七日の診断における右股関節の可動域は、屈曲が五五度、外転が一二度、内転が一三度であり、同年一二月二五日の診断では、屈曲が五〇度、外転が五度、内転が一〇度であり、昭和六二年五月二五日の診断では、屈曲が六〇度、外転が五度、内転が六度であり、右股関節の運動は高度に制限された状況なった。)。
そして、控訴人は、昭和六二年八月二四日、被控訴人伊丹の診断を拒否し、以後同人の診察を受けていない。
控訴人の現在の右股関節は、可動域の制限が認められ、右脚での起立は困難で、疼痛が増悪すれば、右股関節の人工股関節置換手術が必要となると診断されている。」
20 原判決二四枚目表五行目の「大多数とされる。」の次に「二〇歳前後で変形性股関節症を発病するものが多いが、股関節の亜脱臼に気付かないまま結婚して子供を育てているときに痛みが発生する例や、四〇代や五〇代になって股関節の亜脱臼による変形性股関節症であると診断される例もある。」を加える。
21 原判決二五枚目裏六行目の「第一の要素として」を「第一の要素とし、歩行の状況や関節の動きの悪化等による日常生活、社会生活の困難をも考慮して」に改める。
二前項認定の事実を前提に被控訴人らの責任原因について検討する。
1 先天性股関節脱臼について
前項認定の事実によれば、控訴人の股関節脱臼は先天性のものであると認められるから、控訴人の股関節異常が先天性のものでないことを前提とする控訴人の主張は失当である。
2 人工股関節置換手術の適応について
控訴人の左股関節は、変形性股関節症の末期の状況にあり、その治療方法として人工股関節置換手術を行う手段しかなかったことは、前項認定のとおりである(国立王子病院の医師の診断もこれを裏付けると認められる。)。
そして、被控訴人伊丹が、控訴人の病状を約半年間観察して、左股関節の痛みの増大と運動機能の悪化を認めるとともに、将来の右股関節の手術に備えて左脚の支持性を確保するために、昭和五九年一月一三日に人工股関節置換手術を実施したことは、前項認定の治療経過等及び二ノ宮鑑定に照らして、医師として相当な判断であったと認められる。
控訴人は、当時の控訴人の痛みの程度や年齢からして人工股関節置換手術の適応はなかった、また、左股関節の人工股関節置換手術を先に行うとの判断も誤りである旨主張する。
しかし、控訴人が昭和五八年一一月二四日以降、それまで投与されていたものより強力な鎮痛消炎薬であるボルタレン、インダシン坐薬を処方されるようになったことからみて、左股関節の疼痛が増強していたことは否定できないし、人工股関節置換手術の適応年齢が六〇歳以上に限定されないこと、特に両側性の変形性股関節症の場合には適応年齢を下げても行われることはすでに認定したとおりであり、控訴人の当時の年齢をもって、本件の人工股関節置換手術の適応がなかったと認めることはできない。また、二ノ宮鑑定によれば、両側性の変形性股関節症において、どちらの側から手術するかは困難な問題であるが、控訴人の右股関節には当時痛みがなかったのであるから、先に症状の重い左股関節の人工股関節置換手術を実施して左脚の支持性を回復するとの治療方法は合理性をもつと認められるから、左股関節の人工股関節置換手術を先に行うこととした被控訴人伊丹の判断が誤りであるとも認められない。
3 人工股関節置換手術の結果について
<書証番号略>には、人工股関節置換手術後は左脚が六センチ長くなったとの記載があるが、これを客観的に裏付ける証拠はないので、右<書証番号略>をもって直ちに控訴人の左脚が六センチ長くなったと認めることはできないが、二ノ宮鑑定によれば、人工股関節置換手術を行った脚が若干長くなることは通常ありうると認められるところ、脚長差のため右股関節に悪影響を及ぼしたとの事実を確認するに足りる証拠はないから、控訴人に脚長差を生じたとしても、そのことをもって、人工股関節置換手術に不手際があったと認めることはできない。
4 寛骨臼廻転骨切手術の適応について
控訴人の右股関節は変形性股関節症の初期ないし進行期にあったこと、右股関節症をそのまま放置すると変形性股関節症が悪化して人工股関節置換手術をせざるを得なくなること、寛骨臼廻転骨切手術は、変形性股関節症の進行を止めて自己の股関節を温存する有効な治療方法であり、当時の医療水準では、寛骨臼廻転骨切手術の適応は進行期及び末期の股関節症まで及ぶと考えられていたこと、被控訴人伊丹は、控訴人が右股関節の痛みを訴え始めるとともに、人工股関節置換手術により左股関節の支持性が確保されたことから、寛骨臼廻転骨切手術の実施の時期であると判断してこれを行ったことは、前項認定のとおりである(控訴人の右股関節を人工股関節にしないためには、何らの骨切り手術が必要であったことは、国立王子病院の医師の診断もこれを裏付けている。)。
そして、被控訴人伊丹の右判断は、前項認定の治療経過等及び二ノ宮鑑定に照らして、医師として相当な判断であったと認められる。
5 寛骨臼廻転骨切手術の結果について
前項認定の事実によれば、控訴人が右股関節に寛骨臼廻転骨切手術を受けた後は、可動域が回復し、手術前の疼痛が消えて、車の運転や水泳ができるようになっていたところ、手術後一年以上経過してから右股関節に異常を感じるようになり、昭和六一年後半ころから可動域が再び制限され、疼痛もある状態になったことが明らかである。二ノ宮鑑定によると、この症状は関節の適合性を欠いているためであるが、このような右股関節の予後の悪化がいかなる原因によって生じたものであるかを特定することは困難であることが認めらる。したがって、右の予後の状況から被控訴人伊丹が行った寛骨臼廻転骨切手術上に過誤があったと推認することはできない。
6 説明義務について
医師が患者に対し手術のような医的侵襲を行うに際しては、原則として、患者の承諾を得る前提として病状、治療方法、その治療に伴う危険性等について、当時の医療水準に照らし相当と認められる事項を患者に説明すべきであり、右説明を欠いたために患者に不利益な結果を生ぜしめたときは、法的責任を免れないと解されるが、その説明の程度、方法については、具体的な病状、患者に与える影響の重大性、患者の知識・性格等を考慮した医師の合理的裁量に委ねざるを得ない部分が多いものと解される。
本件についてみるに、被控訴人伊丹は、初診時において、控訴人が先天性両股関節症であり、左股関節は変形が進んでおり人工股関節置換手術を行うしか治療方法がないこと、及び右股関節は病状が進んでいないので治療により人工股関節をしなくともすむことを説明したこと、その後、痛みが我慢できなくなった時点で人工股関節置換手術を行う旨説明したこと、手術の実施に際して、人工股関節置換手術の内容、手術後の安静期間・リハビリ期間及び人工股関節の耐久性等を説明している。更に、被控訴人伊丹は、右股関節について寛骨臼廻転骨切手術を行えば一生自分の骨で過ごすことが可能になり人工股関節にする必要がなくなる旨説明していること、手術に際して、被控訴人別府が、寛骨臼廻転骨切手術の内容、入院期間及び手術後の回復状況を説明していることが認められる。
また、控訴人は、被控訴人伊丹から人工股関節置換手術の施行を告げられた後、他の専門医の意見を聞くために受診した国立王子病院おいても、右股関節についてすぐに骨切り手術が必要であり、左股関節は人工股関節置換手術が必要と思われる旨の説明を受けており、手術の必要性について認識していたと認められるのであり、人工股関節置換手術及び寛骨臼廻転骨切手術を受ける前には同じ手術を受けた患者とも接触したことは前記認定のとおりである。
これらの事実及び二ノ宮鑑定を併せ考慮すれば、控訴人が人工股関節置換手術及び寛骨臼廻転骨切手術を承諾するかどうかを決めるについて通常必要とされる判断資料が欠けていたとはいいがたく、被控訴人らの控訴人に対する説明が不十分であったと認めることはできない。
控訴人が被控訴人らの説明義務違反として具体的に指摘する点についていえば、以下のとおりである。
(一) 人工股関節置換手術及び寛骨臼廻転骨切手術の目的が痛みの除去、軽減にあることの説明がなかったとの点について
しかし、人工股関節置換手術は痛みが我慢できなくなったら行うとの説明はされており、また、右股関節についても控訴人の痛みの訴えに対して寛骨臼廻転骨切手術を薦めているのであるから、右各手術の目的が痛みの除去、軽減にあることは当然知り得たものと認められ、この点に説明義務違反は認められない。
(二) 人工股関節置換手術を左脚の支持性を確保する目的で行う旨の説明がなかったとの点について
確かに右説明がなされたとは認められない。しかし、控訴人に対する人工股関節置換手術は、左股関節の病状がいまだ手術適応の状態に至っていないにもかかわらず、今後行う予定の右股関節の手術に備えて左脚の支持性を確保することを目的として行ったというものではなく、当時左股関節について痛みが増大し可動域の制限も強まっており、人工股関節置換手術の適応が認められたので、左脚の支持性を確保することをも考慮して手術を決定したものであることは、すでに認定したとおりである。他方、今後の予定としては右股関節の手術を行うことも見込まれてはいたものの、当時はまだ右股関節の痛みの訴えはなかったのであるから、右股関節の寛骨臼廻転骨切手術の実施予定やそのための左脚の支持性確保についてまで必ず説明しなければならないものとは考えられず、また、その点の説明のいかんによっては左股関節の人工股関節置換手術に対する諾否が当然に左右されるような病状であったとも認められない。したがって、右説明をしなかったことをもって、直ちに説明義務違反と認めることはできない。
(三) 耐久性に関する説明について
人工股関節が三〇年ないし四〇年しかもたないとした被控訴人らの説明が、人工股関節置換手術の素材の耐久年数を人工股関節がその期間正常に機能するかのごとく誤解させるものであるとは認めらないし、また、寛骨臼廻転骨切手術について、手術後三か月もすれば人間の骨はしっかりしてくるので時間の経過とともに効果が出てくるとの説明が、他の骨と同じように機能するとの誤解を生じさせるものであるとは認められない。
(四) 手術の安全性等に関する説明について
人工股関節置換手術後に一割ないし二割の割合で緩みが生じて疼痛が再発し再手術が必要になってくることや、一ないし数パーセントの割合で遅発性感染症が発生することの説明はされていないが、前記のように、これらの確率はそれほど高いものではなく、直ちに生命の危険等につながるものではないし、また、手術自体の危険性も高いとは認められず、手術に不安を抱いている控訴人に余計な不安を与えない意味においても、これらの点について被控訴人伊丹が説明しなかったことをもって説明義務違反と認めることはできない。寛骨臼廻転骨切手術についても、手術の失敗や再手術の可能性について触れてはいないが、右手術自体の危険性が高いとか、手術の失敗や再手術の確率が高いとかの事情は認められないから、これらの点について説明をしなかったことが説明義務違反であるとは認められない。被控訴人別府は、寛骨臼廻転骨切手術が古くから行われている簡単で安全な手術であると説明しているが、寛骨臼廻転骨切手術が昭和四三年ころから開発された手術であって、同種手法の手術自体は古くから行われており、格別危険な手術とはされていないのであるから、古くから行われている安全な手術との説明は誤りではないし、簡単な手術と説明した点については、寛骨臼廻転骨切手術の実態を正確に評しているとは言い難いが、寛骨臼廻転骨切手術がどのような内容の手術であるかについては説明しているところであり、手術に不安を抱く控訴人に余分な心配を与えないとの意味で簡単な手術と説明したことをもって、説明義務違反とまでいうことはできない。なお、手術自体の具体的治療成績や被控訴人らの治療実績自体まで説明すべき義務があるとすべき事情は認められない。
(五) 手術後の日常生活等に関する説明について
控訴人は、人工股関節置換手術は四か月すれば職場復帰できるとか、寛骨臼廻転骨切手術後は三か月すれば人間の骨はしっかりついてくるとの説明だけで、手術後は杖をつきながら股関節をかばって何とか日常生活がおくれる、階段の昇り降りは人工股関節置換手術の耐久性を短くするから良くない旨の説明は事前になかった旨主張する。
確かに、手術後の日常生活上の注意事項や養生について事前に十分な説明があったか否かについて問題はあるが、変形性股関節症の末期の治療方法としては人工股関節置換手術しかなく、初期ないし進行期にある変形性股関節症の進行を止めて人工股関節になるのを防ぐためには骨切手術を行うしかなかったことはすでに認定のとおりであり、控訴人に対して説明された手術の内容等からしても、手術後の日常生活が相当制限されたものにならざるを得ないであろうことはある程度予想しうるところであるから、手術前に日常生活上の注意事項や養生について具体的な説明をしなかったことをもって、直ちに説明義務に違反したと認めることはできない(被控訴人伊丹本人尋問の結果によれば、手術後は股関節を保護するために杖を使用するのが望ましいけれども、杖を使用しない患者も多くいることが認められ、現に控訴人も、前記認定のとおり、手術後右股関節の痛みを訴え始めるころまでの間、海外旅行に行ったり、車を運転したり、水泳をしたりしていて、この間は杖を使用しなければ日常生活がおくれない状況であったとはうかがえないのであって、手術後は常に杖を使用して何とか日常生活をおくるしかないような結果になるものとは認められない。また、階段の昇り降りについても、二ノ宮証人によれば、人工股関節置換手術の場合は三か月経過すれば通常階段の昇り降りは問題ないし、寛骨臼廻転骨切手術の場合は六か月経過すれば通常の階段の昇り降りは問題がなくなると認められるところであり、これらの手術を受ければ、永続的に階段の昇り降りを避けなければならないようになるとも認められない。したがって、杖の使用や階段の昇り降りの制限についての説明が不可欠であったとまではいえない。)。
以上のとおり、被控訴人らに説明義務違反がある旨の控訴人の主張も採用することができない。
三してみると、控訴人の被控訴人両名に対する請求は、いずれも失当として棄却すべきであって、本件控訴は理由がないから、これを棄却することとし、本件附帯控訴は理由があるから、これに基づき、原判決中被控訴人伊丹の敗訴部分を取り消して控訴人の同被控訴人に対する請求を棄却することとし、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官佐藤繁 裁判官岩井俊 裁判官小林正明)