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東京高等裁判所 平成3年(ネ)923号 判決 1992年7月14日

控訴人

学校法人萩原学園

右代表者理事

萩原春樹

右訴訟代理人弁護士

佐々木黎二

桒原康雄

田原大三郎

被控訴人

辻隆司

右訴訟代理人弁護士

西垣義明

主文

一  原判決を取り消す。

二  控訴人が被控訴人との間で別紙物件目録記載の各土地について期間の定めなく賃料を月額四一万四〇〇〇円とする賃借権を有することを確認する。

三  被控訴人の反訴請求(当審において一部取下後のもの)を棄却する。

四  訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人の負担とする。

事実及び理由

第一当事者の求めた裁判

一控訴人

主文と同旨

二被控訴人

1  本件控訴を棄却する(被控訴人は、当審において、反訴請求のうち、賃借権不在確認を求める部分を取り下げた。)。

2  控訴費用は、控訴人の負担とする。

第二事案の概要

一請求

本件は、別紙物件目録記載の各土地(以下「本件土地」という。)の賃貸借(以下「本件賃貸借」という。)について、賃借人である控訴人が、本件賃貸借が存続しているとして賃借権の存在確認を求めた(本訴請求)のに対し、賃貸人である被控訴人が、賃貸借は終了したとして本件土地の明渡及び賃料相当損害金の支払を求めた(反訴請求)ものである。

二当事者間に争いがない事実

1  控訴人代表者の萩原春樹は、かねて被控訴人の父亡辻甲一から本件土地を自己の経営する幼稚園の運動場用地として賃借し、その後控訴人が昭和四八年に設立されたのに伴い、控訴人が本件土地の賃借権を承継し、他方、昭和五一年には、被控訴人が甲一の死亡に伴い賃貸人としての地位を承継した。

2  本件賃貸借契約について作成された公正証書には、公用徴収その他行政処分により賃借物が収用使用制限され賃貸借契約を継続することができない事情が生じたときには賃貸借は当然に消滅する旨の特約条項(以下「本件特約」という。)がある。

昭和六三年八月三〇日、越谷都市計画事業越谷駅西口土地区画整理事業施行地区内にある本件土地について、施行者から仮換地の指定がなされた。

3  控訴人と被控訴人は、昭和五九年一〇月一一日に成立した調停において、右公正証書に定められていた本件賃貸借の期間(昭和四九年三月二八日から昭和五一年三月二七日まで)の終期を平成元年三月末日とする合意をした。

被控訴人は、昭和六三年九月八日付け書面をもって、控訴人に対し、本件賃貸借の更新を拒絶する旨の意思表示をした。その理由とするところは、自己使用する必要性が生じたということと、右のとおり仮換地指定を受けたため本件特約の効力により本件賃貸借が消滅するということにあった。

4  本件賃貸借の賃料は、平成元年四月一日現在、月額四一万四〇〇〇円である。

三主たる争点

1  本件賃貸借は建物の所有を目的とするものか否か。

控訴人は、本件土地は運動場用地として賃借したものであるが、控訴人が隣地で営む幼稚園にとって不可欠のものであり、その土地利用が幼稚園の園舎の存続と密接に関連しているのであるから、本件賃貸借は建物の所有を目的とするものであると主張する。

これに対し、被控訴人は、一切の建物を建てないとの約束の下に運動場として使用する目的で賃貸したものであり、また、右園舎をはさんで本件土地と反対側には運動場として活用できる控訴人の土地があり、幼稚園存続に本件土地が不可欠とはいえないものであるから、建物所有の目的とはいえないと主張する。

2  本件賃貸借の存続期限が満了しているか否か。

控訴人は、本件賃貸借は昭和三八、九年ころに期間二年として契約されたものであり、当時幼稚園には木造の園舎が建てられていたから、借地法二条一項によりその存続期間は三〇年となり、更にその後に堅固な建物の園舎に改築されたので、借地法七条も適用される結果、平成一四年までは存続する旨主張する。

これに対し、被控訴人は、借地法の適用を争い、仮にその適用があるとしても、契約成立後二〇年で返還する旨の合意があったこと、本件特約の効力に基づき前記仮換地指定により賃借権が消滅したこと、更に平成三年一二月末日には存続期間が満了していることを主張する。

3  被控訴人の更新拒絶に正当事由があるか否か。

被控訴人は、(一) 本件土地につき仮換地指定を受けた土地は、越谷駅西口広場正面に位置する超一等地で、地価は坪当たり一〇〇〇万円を下らず、そのため高額の固定資産税の負担を余儀なくされることとなり、幼稚園の運動場用地として賃貸したぐらいでは到底採算がとれず、高層ビルを建設して高度利用する必要があること、(二) 控訴人は、本件土地から約一キロメートル離れた越谷市七左町二丁目において第二幼稚園を経営しており、仮に本件土地が使用できなくなっても幼稚園の運営に支障はないことなどの事情があり、正当事由がある旨主張する。

これに対して、被控訴人は、(一) 仮換地指定を受けたことは、契約当事者の責任によるものではないから、これを正当事由として考慮することはできないし、(二) 仮に正当事由の要素として考慮し得るとしても、幼稚園としての利用は公共的性格をもつのであり、本件土地の有効利用としては高層ビルを建てることに比べて劣らず、(三) 幼稚園の設置については、幼稚園ごとに認可の対象となっているのであるから、控訴人が別の場所で第二幼稚園を経営しているからといって、本件土地の必要性が少なくなるということはできないなどとして正当事由を欠く旨主張する。

第三証拠関係<省略>

第四争点に対する判断

一本件賃貸借は建物所有を目的とするものか否か。

1  証拠(<書証番号略>、原審における控訴人代表者、被控訴人本人の各供述)及び弁論の全趣旨によると、以下の事実が認められる。

(一) 控訴人代表者の萩原春樹は、昭和三〇年八月一五日認可を受けて萩原幼稚園を設置し、昭和三六年ころ同人の所有する現在の越谷市赤山町六丁目三一四番一、同番二(合計地積733.87平方メートル。同土地はその後控訴人の所有となった。以下「園舎敷地」という。)に同幼稚園を移した。当時、園舎敷地の北側に東西方向に並んで園舎(木造二階建)が建ち、その南側に運動場、プール等があった。

本件土地は、園舎敷地の北側に隣接し、以前は東京電力の資材置場として利用されていた。

(二) その後、萩原幼稚園周辺に団地が造成され、入園する幼児が増加する見込みが生じたため、荻原春樹は、園舎敷地のうち運動場として利用していた部分にプレハブ園舎を建て、これによりなくなる運動場の用地を本件土地に求めることとし、甲一から本件土地を賃借した。その時期は定かではないものの、萩原幼稚園が定期的に作成する幼稚園調査表によると、昭和四一年五月一日時点においては、運動場は園舎敷地内の八〇平方メートル(自己所有)と記載されていたのに対し、昭和四五年五月一日時点においては、運動場が本件土地の1692.9平方メートル(借地)と記載されていること、前記プレハブ園舎は昭和四三年三月以後昭和四五年三月までの間に建てられたこと、昭和四四年三月二六日に甲一と萩原春樹の間で土地賃貸借契約公正証書が作成されていることなどからして、少なくとも昭和四一年五月ころ以降に本件賃貸借契約が締結されたものと認められる。

萩原春樹は、本件土地を賃借した後、自己の費用で整地を行い、その外周部には樹木を植え、砂場、各種遊具等を設置し、運動場として整備した。そして、園舎に続く幼稚園運動場として園舎敷地と一体的にこれを使用してきた。

なお、園舎敷地の南側には越谷市赤山町六丁目三一三番一ないし三の土地(地積合計608.25平方メートル。以下「南側隣接地」という。)がある。右各土地は、昭和三六年二月にいったん萩原春樹が買い受けたものであるが、その後間もなく他人に移転され、昭和五三年一月一九日に控訴人が取得したものであり、幼稚園の送迎用バス等の駐車場として使用されている。

(三) 昭和四四年三月二六日作成の前記土地賃貸借契約公正証書によると、賃貸借の目的は運動場敷地としての使用、期間は二年間とされ、本件特約も明記された。本件賃貸借の成立に当たり、権利金等が授受された形跡はない。その後、昭和四九年三月二九日に期間を昭和五一年三月二七日までとする土地賃貸借契約公正証書が作成され、更に昭和五五年二月七日には期間を昭和五九年四月四日までとする調停、昭和五九年一〇月一一日には期間を平成元年三月三一日までとする調停が成立して、これらにより本件賃貸借の更新がなされ、地代(月額)は昭和四九年三月に二〇万円、昭和五五年二月に二八万円、昭和五九年一〇月に三四万五〇〇〇円に増額され、以後毎年五パーセント増額されることとなった。

なお、昭和五五年二月七日の調停の際には、期間を昭和五九年四月四日までと定めるものの、その時点で双方話合いのうえ更新することに異議がない旨の被控訴人代理人の念書が控訴人に差し入れられた。

(四) ところで、昭和三一年一二月一三日に幼稚園設置基準(文部省令第三二号)が制定され、これを受けて同月一七日に「幼稚園設置基準の制定について」の文部省事務次官通達(文初第五一七号)がなされ、幼稚園設置のための各種の基準(最低基準)が改正され、運動場については、学級数に応じた一定の面積が必要とされ、例えば、控訴人の昭和四五年五月時点のクラス数は九であったが、その場合には八八〇平方メートルが必要とされることになった。もっとも、右設置基準施行時現存する幼稚園については、原則として昭和四二年一月三一日まで従前の例によることとされたが、その間、各都道府県において、定められた基準に達するよう現存幼稚園を指導するものとされた。

また、私立学校法等の一部を改正する法律(昭和五〇年法律第六〇号)の施行に伴い、昭和五一年一二月二四日に「幼稚園を設置する学校法人の認可基準等について」の文部省管理局長・初等中等教育局長通知(文管企第二七七号)がなされ、学校法人の設置する幼稚園の認可基準について、園舎敷地や運動場等の基本財産が借用である場合には長期にわたり安定して使用する条件を学校法人が取得していることが必要であるとされることになった。昭和五五年二月の調停時の前記念書は、本件賃貸借が右通知の趣旨に沿っていることを監督官庁に理解してもらうため、控訴人から被控訴人に要請して作成してもらったものである。

(五) 控訴人は、昭和四八年三月、園舎敷地に鉄骨造陸屋根二階建の新園舎(床面積611.22平方メートル)を建築した。

昭和四九年以後、園児数が増加し、昭和五二、三年ころまでは一二クラス、九八〇名の園児が入園したが、その後、園児数が減り、平成二年当時は七クラスである。前記設置基準によると、必要な運動場の面積は、一二クラスの場合に一一二〇平方メートル、七クラスの場合に七二〇平方メートルとなる。

前記のとおり、平成元年四月一日現在の地代は月額四一万四〇〇〇円であり、同年度の本件土地に対する固定資産税等は年間約二〇〇万円であった。

(六) 本件土地付近一帯の土地についは、かねてより越谷都市計画事業越谷駅西口土地区画整理事業が行われており、昭和六三年八月三〇日、本件土地及び園舎敷地等について仮換地の指定がなされた。もっとも、仮換地について使用又は収益を開始することができる日は別に定めて通知するものとされ、その後、右開始日の通知があった形跡はない。控訴人は、平成元年、自己に対する仮換地指定の処分を争う行政訴訟を提起し、浦和地方裁判所平成元年(行ウ)第九号事件として継続中である。

2  右認定事実に基づき検討すると、本件賃貸借は、萩原春樹又は控訴人が自己所有の園舎敷地に園舎を設置して営む幼稚園の運動場として隣接の本件土地を使用する目的で成立したものであるところ、幼稚園にとって園舎に近接する運動場が必要であることは当然であって、このことは、前記文部省令等の設置基準からも十分に肯定されるところであり、本件賃貸借契約の締結当時、本件土地は幼稚園の運営にとって不可欠のものであったといわなければならない。前記公正証書によると、賃貸借の目的は運動場としての使用であり、期間の定めも短期になっているが、実際上は、園舎及びその敷地と本件土地の運動場とが一体的施設として園児保育のために継続的に供用されるものであることは、亡甲一においても、これを認識したうえで賃貸借契約を締結したものであると認められる。その後幾度か行われた契約の更新は、実質的に賃料の改定のためのものであって、本件紛争に至るまで少なくとも二〇年余にわたって賃貸借関係が継続してきたこと、また、対価関係についても、権利金等の授受こそ認められないものの、地代は逐次値上げされ、平成元年四月一日時点の賃料は月額四一万五〇〇〇円で、本件土地に対する公租公課の2.5倍程度になっていることなどの事実関係をも合わせ考えると、本件賃貸借は、本件土地そのものの上に建物を所有することを目的とするものではないが、隣接の園舎敷地における建物所有の目的を達するためにこれと不可分一体の関係にある幼稚園運動場として使用することを目的とするものであるから、借地法の趣旨に照らし、同法一条にいう「建物の所有を目的とする」ものというべきである。昭和五三年以降控訴人が南側隣接地を所有するに至ったことにより右契約の目的が変更されたものとは認められない。

したがって、本件賃貸借には借地法の適用がある。

二本件賃貸借の存続期間が満了しているか否か。

前記のとおり、本件賃貸借の成立時期は定かでないが、少なくとも昭和四一年五月ころ以降であると認められる。もっとも、控訴人代表者の供述及び弁論の全趣旨に照らすと、昭和三七、八年ころから甲一の好意により本件土地を事実上園児の遊び場等として使用させてもらい、甲一に謝礼をしたことがあったことは窺えるが、そのころから賃貸借関係が成立していたとまで認めることはできない。

そして、本件賃貸借のなされた当時、園舎は木造二階建の建物であったのであり、本件賃貸借の成立に当たり二〇年以上の期間が定められたことを認めるに足りる証拠はない(昭和四四年三月二六日の土地賃貸借契約公正証書による期間は二年である。)から、借地法二条一項により本件賃貸借の存続期間は三〇年となる。

そうすると、当審口頭弁論終結時の平成四年五月二九日までには本件賃貸借は期間が満了していないことが明らかである。

なお、控訴人は、原審において、本件賃貸借の成立時期を昭和二九年ころ(訴状)、昭和三七年ころ(反訴答弁書)、昭和三八、九年ころ(平成三年一月二四日付け準備書面)と主張しているが、他方、被控訴人は昭和四四年三月と主張しているのであり、控訴人の右主張はいずれも一応のものにとどまると解されるので、そのいずれかを前提として本件賃貸借の期間の満了を判断することは相当ではない。

また、本件賃貸借には本件特約が存在しているところ、本件土地に対して仮換地指定がなされたことは前記のとおりであるが、仮換地指定後も現状のまま使用収益が行われているのであるし、その使用収益が停止されても従前の土地の権利関係が仮換地にそのまま承継されることになるのであるから、本件土地に対する仮換地指定の事実により本件特約の効力によって当然に本件賃貸借が終了したとはいえない。被控訴人主張の二〇年の経過による返還の合意についても、その合意の成立を認めるに足りる証拠はない。

第五結論

以上によると、争点三について判断するまでもなく、控訴人の本訴請求は理由があり、被控訴人の反訴請求は理由がない。

よって、原判決を取り消し、控訴人の本訴請求を認容し、被控訴人の反訴請求を棄却することとし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官佐藤繁 裁判官岩井俊 裁判官坂井満)

別紙物件目録

一、越谷市赤山町六丁目三一五番

宅地 826.44平方メートル

(仮換地 越谷市越谷駅西口三街区二三画地

宅地 六三三平方メートル)

二、越谷市赤山町六丁目三一六番

宅地 869.42平方メートル

(仮換地 越谷市越谷駅西口三街区二四画地

宅地 六六六平方メートル)

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