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東京高等裁判所 平成3年(行ケ)14号 判決 1991年9月19日

原告 日本鉱業株式会社

被告 特許庁長官 補助参加人 住友化学工業株式会社

主文

特許庁が平成一年審判第一八六三二号事件について平成二年一〇月一八日にした審決を取り消す。

訴訟費用のうち、参加によって生じた部分は補助参加人の負担とし、その余の部分は被告の負担とする。

事実

第一当事者が求める裁判

一  原告

主文と同旨の判決

二  被告

「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決

第二原告の請求の原因

一  特許庁における手続の経緯

原告は、昭和五六年五月一五日、名称を「低温流動性軽油組成物」とする発明(以下、「本願発明」という。)について特許出願(昭和五六年特許願第七三二六五号)をし、昭和六一年一二月一〇日特許出願公告(昭和六一年特許出願公告第五八一一六号)されたが、特許異議の申立てがあり、平成元年七月一日、特許異議の申立ては理由がある旨の決定と共に、拒絶査定がなされたので、同年一一月一六日査定不服の審判を請求し、平成一年審判第一八六三二号事件として審理された結果、平成二年一〇月一八日、「本件審判の請求は、成り立たない。」との審決がなされ、その謄本は同年一二月一九日原告に送達された。

二  本願発明の要旨

a  混合基原油を常圧蒸留して得られるパラフィン含量が五・五重量%未満の直留系軽油留分、該留分を水素化脱硫した留分、又は、これらの混合油と、

b  パラフィン基原油又はパラフィン基原油と混合基原油の混合原油を常圧蒸留して得られる直留系軽油留分、該留分を水素化脱硫した留分、混合基原油の脱硫軽質真空ガスオイル留分より成る群から選択される、一種又は二種以上

とを混合し、混合油中のパラフィン含量を五・五~一二重量%に調節し、これに流動点降下剤を添加して成ることを特徴とする、低温流動性軽油組成物

三  審決の理由の要点

1  本願発明の要旨は、前項記載のとおりである。

2  これに対し、本件出願前に日本国内において頒布された刊行物である。「STABINOL FIテクニカル・レポート」(住友化学工業株式会社昭和五五年七月発行。以下、「引用例」という。)には、「パラフィン含量六・五重量%(「六・三重量%」とあるのは誤記と認められる。)の燃料油(DGO-2)に、流動点降下剤を添加した軽油組成物」が記載されており、流動点降下剤の添加によって軽油の流動点が一二・五℃降下することも示されている。

3  ところで、本願発明におけるaの留分又は混合油とbの留分とを混合させることについては、本願発明の混合油中のパラフィン含量を五・五~一二重量%に調節するための普通の態様を示したにすぎない。

そうすると、本願発明と引用例記載の技術的事項は、軽油中のパラフィン含量において差異がなく、また、流動点降下剤を添加した低温流動性軽油組成物である点でも一致しており、構成において異なるところがない。

4  したがって、本願発明は、引用例記載の技術的事項と同一であるから、特許法第二九条第一項第三号の規定により、特許を受けることができない。

四  審決の取消事由

審決は、引用例記載の技術内容を誤認した結果、本願発明と引用例記載の技術的事項が同一であると誤って判断したものであって、違法であるから、取り消されるべきである。

1  引用例記載の燃料油のパラフィン及びその含量について

審決は、引用例には、パラフィン含量六・五重量%の燃料油に流動点降下剤を添加した軽油組成物が記載されている、と認定している。

しかしながら、本願発明にいうパラフィンは、特許出願公告公報(以下「本願公報」という。)の発明の詳細な説明において定義されているように、「メチルエチルケトンと共に冷却した際に析出分離される成分」(本願公報第三欄第三〇行及び第三一行)を意味するものである。これに対し、引用例記載のパラフィンは、メチルエチルケトンによる処理が行われていないから、本願発明のパラフィンとは化学組成を異にする、別異の物質である(久光俊昭ほか一名作成の実験報告書(甲第六号証。以下「実験報告書A」という。)の第二頁「3・2 パラフィンの組成分析結果」を参照)。

この点について、被告は、本願発明の特許請求の範囲に記載されている「パラフィン」はそれ自体技術的にみて明確な用語であって発明の詳細な説明を参酌しなければ理解し得ないものではない。と主張する。

しかしながら、「パラフィン」という用語は、一般には、飽和炭化水素あるいはメタン列炭化水素を意味するから、非常に広範囲の化合物の総称である。そして、石油中には、メタンCH4らヘプタコンタンC70H142くらいに至る、種々のアルカンが含まれているが、これらはすべて右にいうパラフィンに該当する。

一方、石油化学分野では、石油を冷却することにより析出分離してくる固形状のものを「パラフィン」と称しているが、広義では、天然ろう、マイクロワックス、ペトロラタムあるいは流動パラフィンまでをも意味することがあり、しかも析出分離してくる固形状のものを指すとしても、石油に含有されている種々のアルカンのうちどのアルカンがどのような量含有されるかは、冷却条件等によって異なる。

このように、「パラフィン」という用語が有する意味は、それが使用される技術分野によって様々であり、石油化学の技術分野においても多義的に用いられているから、本願発明の特許請求の範囲に記載されている「パラフィン」はそれ自体技術的にみて明確な用語であって発明の詳細な説明を参酌しなければ理解し得ないものではない、という被告の主張は失当である。

そして、本願発明の混合油のパラフィン含量は、本願公報第三欄第三四行ないし第四〇行に記載されている方法(本願公報記載の測定法)によって測定されたものをいう。前記実験報告書Aにおける「特公法」、すなわち別紙A記載の測定方法は、本願公報記載の測定法を正確にトレースしたものである。これに対し、引用例記載の燃料油のパラフィン含量は、大前忠行作成の実験報告書(甲第四号証。以下「実験報告書B」という。)の第五頁及び第六頁に記載されている、別紙B記載の測定法によって測定されたものである。しかしながら、別紙A記載の測定法と別紙B記載の測定法は、測定装置、試料の量、冷却時間、濾過条件及び濾過用フィルターを異にしているから、それぞれの測定法によって得られた結果を同一の基準で論ずることはできない(仮に別紙A記載の測定法によって得られた値と別紙B記載の測定法によって得られた値を比較してみると、実験報告書Aの第9表「本実験データ」によれば、後者の値は平均すると前者の値の一・八四倍になる。したがって、引用例記載の燃料油のパラフィン含量六・五重量%は、本願公報記載の測定法によれば約三・五重量%になると考えられ、本願発明が要旨とする「五・五~一二重量%」に含まれないことは明らかである。)。

この点について、被告は、別紙A記載の測定法は濾過した結晶パラフィンを冷エチルアルコールによって洗浄する操作を含んでいるが、本願公報記載の測定法には冷エチルアルコールによる洗浄操作は含まれていない、と主張する。しかしながら、析出して得られた結晶の量を測定する場合、結晶は溶解しないが油分を溶解する溶媒で結晶を洗浄し、結晶に付着している油分を除去することは化学実験における極めて常套的な手段にすぎず、現に、本願公報記載の測定法である石油学会誌掲載の装置の操作9において行われ、別紙B記載の測定法の操作5においても行われているのであるから、被告の右主張は失当である。

また、被告は、本願公報記載の測定法による値は平均すると別紙B記載の測定法による値の一・二二倍となる、と主張する。被告の右主張は、実験報告書Aの第一六頁第7表の「洗浄なし(a)」の値を、第一七頁第9表の「本実験データ 住化法(b)」で割って得た数値を論拠とするものと解されるが、前者は溶媒による洗浄を行わずに得た値であり、後者は溶媒による洗浄を行って得た値であるから、そもそも両者は比較の対象となり得ないものである。

したがって、本願発明と引用例記載の技術的事項は軽油中のパラフィン含量において差異がない、とする審決の判断は誤りである。

2  本願発明のaの成分とb成分を混合する技術的意義について

審決は、本願発明のaの留分又はその混合油とbの留分とを混合させることについては本願発明の混合油中のパラフィン含量を五・五~一二重量%に調節するための普通の態様を示したに過ぎない、と判断している。

低温下で使用されるディーゼルエンジンの配管等が閉塞しないように軽油の低温流動性を向上させるための種々の手段が講じられているが、従来の技術常識は、パラフィン含量が多い原油の使用を避けるか、油中のパラフィン分を除去するものであった。しかるに、本願発明は、パラフィン含量が多いb成分を殊更に混合し、混合油中のパラフィン含量を特定の範囲に調節した上で流動点降下剤を添加すると、流動点降下剤の添加効果が特定量のパラフィンとの相乗作用によって著しく強まるという、従来の技術常識に反する知見に基づいて創案されたものである。このように本願発明によれば、パラフィン含量が多いb成分をも軽油の製造に利用できるので、軽油の増産が可能となる。

これに対し、引用例は、低温流動性改良剤スタビノール(商品名)を添加した場合の各種の燃料油の低温における挙動を示したものであって、その中に、「DGO-2」と仮称される燃料油にスタビノールを添加すると流動点がマイナス二〇℃からマイナス三二・五℃に降下したこと、DGO-2のマイナス二〇℃における結晶成分量が六・二であることが記載されている。

しかしながら、引用例には、DGO-2がどのような工程で得られた燃料油であるか記載されていないし、混合油中のパラフィン含量と流動点降下剤の添加効果の関係(すなわち、特定の含量のパラフィンが流動点降下剤と相乗的に作用して流動点降下剤の添加効果を最大限に発揮するとの知見)は示唆すらされていない。そして、本件出願当時知られていたことは、種々のパラフィン含量の軽油があること、及び引用例の燃料油DGO-2に流動点降下剤を添加すると流動点が低下したことが記載されていることだけであって、軽油配合によるパラフィン含量の調整と流動点降下剤の使用による流動点の降下との関係は全く知られていなかったのであるから、流動点降下剤との相乗作用により流動点を降下させ低温下で良好な流動性を有する軽油組成物を得る目的で特定の軽油留分を特定のパラフィン含量になるように混合することは、普通のこととはいえない。したがって、本件出願当時本願発明が要旨とする混合油のようにa成分にパラフィン含量が多いb成分を殊吏に混合してパラフィン含量を特定の範囲に調節するという技術的思想はあり得ないから、本願発明のaの留分又はその混合油とbの留分とを混合させることについては本願発明の混合油中のパラフィン含量を調節するための普通の態様を示したにすぎない、とした審決の判断は誤りである。

第三請求の原因の認否、及び、被告の主張

一  請求の原因一ないし三は、認める。

二  同四は、争う。審決の認定及び判断は正当であって、審決には原告が主張するような誤りはない。

1  引用例記載の燃料油のパラフィン及びその含有量について

原告は、本願発明のパラフィンはメチルエチルケトンと共に冷却した際に析出分離される成分であるが引用例記載のパラフィンはメチルエチルケトンによる処理が行われていないから両者は化学組成が異なるし、本願発明のパラフィン含量は別紙A記載の測定法によって測定されたものであるが引用例記載のパラフィン含量は別紙B記載の測定法によって測定されたものであって両測定法は測定装置等を異にするからそれぞれの測定法によって得られた結果を同一の基準で論ずることはできない、と主張する。

原告の右主張は本願明細書(特許出願公告公報)の発明の詳細な説明の記載を論拠とするものであるが、本願発明の特許請求の範囲に記載されている「パラフィン」はそれ自体技術的にみて明確な用語であり、「パラフィン含量」も同じく明確な用語であって、発明の詳細な説明を参酌しなければ理解し得ないものではないから、明細書の発明の詳細な説明の記載を論拠とする原告の前記主張は失当である。

なお、原告は、実験報告書Aの第9表「本実験データ」を論拠として、引用例記載の燃料油のパラフィン含量は本願公報記載の測定法によれば約三・五重量%になると考えられる、と主張する。しかしながら、別紙A記載の測定法は濾過した結晶パラフィンを冷エチルアルコールによって洗浄する操作を含んでいるが、本願公報記載の測定法には冷エチルアルコールによる洗浄操作は含まれていない。実験報告書Aにおいて本願公報記載の測定法を正確にトレースしているのは、第一六頁第7表の「洗浄なし(a)」の方法であって、この測定法による値は、平均すると実験報告書B記載の測定法による値の一・二二倍である。したがって、引用例記載の燃料油のパラフィン含量六・五重量%は、本願公報記載の測定法では七・九重量%となり、いずれにせよ本願発明が要旨とする「五・五~一二重量%」の範囲に含まれているのである。

2  本願発明のa成分とb成分を混合する技術的意義について

原告は、引用例には特定の含量のパラフィンが流動点降下剤と相乗的に作用して流動点降下剤の添加効果を最大限に発揮するとの知見は示唆すらされてなく、本件出願当時このことは全く知られてなかったのであるから、本願発明のaの留分又はその混合油とbの留分とを混合させることは普通のことといえない、と主張する。

しかしながら、本願発明の特徴は、軽油の種類及び流動点降下剤の種類にかかわらず(本願公報第三欄第一三行及び第一四行)パラフィン含量を特定の範囲に調整した軽油を基油として用いること(同欄第二五行ないし第二八行)に尽きる。そして、パラフィン含量が異なる軽油は本件出願前に知られていた(同第四欄第一四行ないし第一八行)のであるから、パラフィン含量が異なる軽油を適宜に配合して基油のパラフィン含量を調整することは、当業者ならば適宜に行い得た事項といわざるを得ない。したがって、本願発明のaの留分又はその混合油とbの留分とを混合させることについては本願発明の混合油中のパラフィン含量を五・五~一二重量%に調節するための普通の態様を示したに過ぎない、とする審決の判断に誤りはない。

第四証拠関係<省略>

理由

第一請求の原因一(特許庁における手続の経緯)、二(本願発明の要旨)及び三(審決の理由の要点)は、当事者間に争いがない。

第二そこで、原告主張の審決取消事由の当否を検討する。

一  成立に争いない甲第二号証の一(本願公報)及び第二号証の二(手続補正書)によれば、本願発明の技術的課題(目的)、構成及び作用効果が左記のように記載されていることが認められる。

1  技術的課題(目的)

本願発明は、低温下においても良好な流動性を有する軽油組成物に関する(本願公報第一欄第一五行及び第一六行)。

軽油に本来含まれているロウ分(ワックス)は低温になると結晶するので、ディーゼルエンジン用軽油は低温下では流動性が低下して燃料系統が閉塞し、エンジン停止あるいは始動不能を生じやすい(同第一欄第一八行ないし第二欄第二行)。

そこで、軽油を含む燃料油の低温下における流動性を改善するため、基油を脱ロウする、あるいは流動点降下剤を添加するなどの手段が提案されている。しかしながら、基油の脱ロウは、セタン価の低下、製造処理コスト及び収益の面において好ましくない。また、流動点降下剤の添加に関する昭和五五年特許出願公開第四八二九〇号公報、昭和五五年特許出願公開第三三四八〇号公報あるいは昭和四九年特許出願公開第七八七〇五号公報には、基油の組成が、流動点降下及びフィルター目詰まり防止に対して顕著な相乗作用をもたらすことは開示されていない(同第二欄第一一行ないし第三欄第一一行)。

本願発明の技術的課題(目的)は、軽油の種類及び流動点降下剤の種類に影響されることなく、低温下における軽油の流動性を向上する技術を創案することである(同第三欄第一三行ないし第一五行)。

2  構成

本願発明は、右技術的課題(目的)を解決するために、その要旨とする特許請求の範囲第1項記載の構成を採用したものである(手続補正書四枚目第二行ないし第一三行)。

本願発明は、軽油中のパラフィン含量を特定の範囲に調整することが、流動点降下剤の添加効果を著しく向上させるとの知見に基づくものである(本願公報第三欄第一六行ないし第二〇行)。

すなわち、本願発明の特徴は、混合基原油からの軽油留分とパラフィン基原油からの軽油留分を混合し、パラフィン含量を特定の重量%(五・五ないし一二重量%)に調節したものを、基油として用いる点に存する(同第三欄第二五行ないし第二八行、手続補正書第二頁第五行及び第六行)。

ここでいう″パラフィン″とはメチルエチルケトンと共に冷却した際に析出分離される成分を意味するものであって、軽油中のその含量は左記により測定される(本願公報第三欄第三〇行ないし第四〇行)。

軽油中のパラフィンの測定法:

試料一gにメチルエチルケトン一〇mlを添加して得られる溶液をマイナス二〇℃に保持した冷却器中に収容して一時間冷却した後、100mm H2O(sbs)で濾過し、得られる個体物の重量を秤量する〔測定装置は石油学会誌9(11)908(1966)に掲載の装置を適用〕(以下「本願公報記載の測定法」という。)。

3  作用効果

別紙図面一は基油としての軽油中のパラフィン含量と流動点降下剤の添加による流動点降下の関係を示すものであって(本願公報第六欄第三六行ないし第三九行)、第3図(流動点の降下度)及び第4図(CFPP、すなわち低温フィルタ閉塞温度(同第七欄初行ないし第三行参照)の降下度)に示すように、パラフィン含量が五・五ないし一二重量%の範囲において、流動点及びCFPPの降下度が顕著に大きくなる(同第七欄第三五行ないし第四〇行)。すなわち、パラフィン含量を特定範囲に調整することが重要な意味を持つのである(同第八欄第一六行及び第一七行)。

本願発明によれば、パラフィン基原油系の軽油あるいは関節脱硫された真空軽油を自動車用軽油に適用することができ、軽油の増産及び流動点降下剤の添加量の低減が可能である(同第三欄第二一行ないし第二四行)。換言すれば、軽油増産に当たって最も障害となる低温流動性の問題を、少量の流動点降下剤の使用によって効果的に解消するとともに、南方産あるいは中国産のようなパラフィン基原油から得られる軽油留分(及び/もしくは間接脱硫装置から得られる脱硫真空軽油)と、中東系原油から得られる低パラフィン軽油を併用することによって、軽油の増産を行うことができるのである(同第八欄第二七行ないし第三九行)。

二  本願発明の混合油のパラフィン及びその含量について

原告が、本願発明にいう「パラフィン」は本願明細書の発明の詳細な説明に定義されているように「メチルエチルケトンと共に冷却した際に析出分離される成分」であり、「混合油中のパラフィン含量」は本願公報記載の測定法によって測定されたものをいう、と主張するのに対し、被告は、本願明細書の特許請求の範囲に記載されている「パラフィン」はそれ自体技術的にみて明確な用語であり、「混合油中のパラフィン含量」も同じく明確な用語であって発明の詳細な説明を参酌しなければ理解し得ないものではないから、明細書の発明の詳細な説明を論拠とする原告の主張は失当である、と主張する。

そこで検討するに、特許出願に係る発明が特許法第二九条第一項に定める特許要件を具備するかの判断に当って、同項所定の発明との対比のために必要な当該出願に係る発明の要旨の認定は、明細書の特許請求の範囲の記載に基づいてすることを要し、その記載のみでは発明の技術的意義を明確に理解することができないなどの特段の事情があるときに限り、明細書の発明の詳細な説明及び図面を参酌することができるというべきである。

ところで、成立に争いない甲第七号証によれば、石油学会編「改訂新版 石油用語集」(株式会社朝倉書店昭和四六年五月一日発行)の第一八三頁右欄には、「パラフィン」はパラフィンろう、あるいは飽和炭化水素のことであると記載されていることが認められ、成立に争いない甲第八号証によれば、化学大辞典編集委員会編「化学大辞典 7」(共立出版株式会社昭和四二年二月一日発行)の第一七六頁右欄には、「パラフィン」はメタン列炭化水素、あるいは固形パラフィン(パラフィンロウ)のことであると記載されていることが認められる。

また、成立に争いない甲第一〇号証によれば、大木道則ほか編集「化学大辞典」(株式会社東京化学同人平成元年一〇月二〇日発行)の第一八〇一頁左欄には、「パラフィン」は「アルカン」と同義であることが記載され、第一〇六頁右欄には、「アルカン」について、「炭素どうしの結合がすべて単結合である飽和炭化水素のうち、炭素骨格が環式構造を含まず鎖式構造のみのものはアルキル基と水素との化合物とみなされるのでアルカンという。(中略)一般にCnH2n+2の分子式で表され、その最低級員がメタンCH4であることからメタン列炭化水素(中略)ともいう。(中略)アルカンの天然資源として最も重要なものは天然ガスおよび石油である。(中略)石油はメタンからヘプタコンタンC70H142ぐらいに至る種々の炭化水素の混合物である。(中略)アルカンは可燃性で、常温ではC1~C4は無色無臭の気体、C5~C17は液体、それ以上の高級アルカンはろう状の白色固体である。(中略)気体状のものは燃料として、液状のものはガソリン、軽油などとして用いられる。固体のものはパラフィンとして軟膏基剤、顕微鏡標本の固定やろうそく、防水材料などとして用いられる。」と記載されていることが認められる(なお、右「化学大辞典」は本件出願後に刊行された文献であるが、その記載内容及び弁論の全趣旨に徴すると、本件出願当時の技術常識を示すものと考えられる。)。

さらに、成立に争いない甲第一一号証によれば、石油・石油化学用語研究会編集「石油・石油化学用語辞典」(石油評論社昭和五二年五月二〇日発行)の第三〇八頁の左欄から右欄にかけて、「パラフィン」について「たんにパラフィンというときはいわゆる固形のパラフィン・ワックスを指すのが普通で、広義には天然ろう、マイクロワックス、ペトロラタムおよび流動パラフィンまで含むことがある。パラフィン・ワックスは含ろう原油の減圧蒸留留出油を原料として、脱ろう、脱油、脱色および不純物除去の工程を経て得られる結晶質の飽和炭化水素(炭素数18~30)で、分子量が小さいものほどノルマル・パラフィン炭化水素が多く含まれている。」と記載され、第三〇九頁左欄には、「パラフィン・ワックス」について「石油から分離された結晶性パラフィンの製品。パラフィン基原油の含ろう油留分から適当な脱ろう法によって分けられた粗製品(軟ろうまたは粗ろう)を脱油し硫酸およびか性ソーダ洗浄、白土処理によって脱色、精製する。」と記載されていることが認められる。

以上の文献の記載を総合して考えると、「パラフィン」という用語が有する最も普通の意味は、アルカン(すなわち、飽和炭化水素のうち炭素骨格が鎖式構造のみのものであって、一般式CnH2n+2で表される。)であると理解すべきであり、いわゆるファインケミカルの技術分野においては、「パラフィン」という用語はこのような意味のものとして一義的に定まるということができる。被告が「パラフィン」はそれ自体技術的にみて明確な用語であると主張するのも、このような意味においてであると考えられる。

しかしながら同時に、以上の文献によれば、いわゆる石油化学の技術分野においては、「パラフィン」という用語は、パラフィン・ワックスの意味で使用されるのが普通であるが、さらには、ペトロラタムあるいは流動パラフィン等をも含む広義の意味において使用される場合もあると理解することができる。

以上のとおりであるから、「パラフィン」という用語の技術的意義は必ずしも常に一義的に明確に定まるとはいえず、それが使用されている技術分野に即してその技術的意義を個々的に画定する必要があり、したがってパラフィン含量の測定法も一つの方法に限定されないのは明らかであって、これらのことは当業者にとって技術常識に属する事項というべきである。

これを本願発明についてみると、本願発明の特許請求の範囲には「混合基原油を常圧蒸留して得られるパラフィン含量」、「パラフィン基原油」及び「混合油中のパラフィン」とのみ記載されているが、これらの記載から、石油化学の技術分野の当業者が直ちに本願発明における「パラフィン」とはどのような物質を指すか、その「含量」はどのような方法によって測定するかを一義的に理解することはできないと考えられるから、このような場合には、明細書の発明の詳細な説明を参酌してその技術的意義を理解することが許されるというべきである。

そして、本願明細書(本願公報)の発明の詳細な説明において本願発明の「パラフィン」が「メチルエチルケトンと共に冷却した際に析出分離される成分を意味する」と定義され、かつ、「混合油中のパラフィン含量」が本願広報記載の測定法によって測定されるべきものと記載されていることは前記のとおりである。したがって、本願発明が要旨とする「パラフィン」は「メチルエチルケトンと共に冷却した際に析出分離される成分」であり、本願発明が要旨とする「混合油中のパラフィン含量」は本願公報記載の測定法によって測定された数値をいうと理解すべきものである。

三  引用例記載の燃料油のパラフィン及びその含量について

一方、成立に争いのない甲第三号証によれば、引用例は、「STABINOL®改良剤STABINOL®®添加による流動点変化(同第4表)、n-P組成とCFPP等の関係(同第6表)、結晶成分量(同第7表)が示されていることが認められる。そして、成立に争いない甲第四号証によれば、実験報告書Bの第一頁第六行には別紙B記載の測定法が「住友化学法(甲第一号証に記載の方法) 第3表参照」と記載され、右にいう「住友化学法」は引用例記載の方法を意味すると認められるところ、同実験報告書は引用例の作成者である被告補助参加人(住友化学工業株式会社)の千葉研究所主席研究員大前忠行によって作成されたものと認められる(実験報告書Bの表紙の第三行ないし第五行)。したがって、別紙B記載の測定法は、引用例記載の燃料油のパラフィン含量の測定法を正確にトレースしたものと解することができる。しかるに、別紙B記載の測定法がパラフィンをメチルエチルケトンと共に冷却し析出分離していることを認めるに足りる証拠はないから、引用例記載のパラフィンは、本願発明にいうパラフィンとは別異の物質というべきである。

現に、成立に争いない甲第六号証(原告の水島製油所試験研究室室長久光俊昭ほか一名作成の実験報告書A)の第一四頁の第2-3図及び第一五頁の第5表によれば、別紙B記載の測定法によって分離されたパラフィンのノルマルパラフィン炭素数一八から二〇にかけてピークが現出するのに対し、別紙A記載の測定法(同号証の第一頁第一三行ないし第一六行によれば、別紙A記載の測定法は本願公報記載の測定法を正確にトレースしたものと認められる。)のうち「洗浄あり」の方法によって分離されたパラフィンのノルマルパラフィンが炭素数一九から二一にかけてピークが現出することが認められ、両者は化学組成を異にすることがうかがわれるのである。念のため付言するに、別紙B記載の測定法は操作5においてエチルアルコールによる洗浄が行われているから、これと対比する別紙A記載の測定法による値も、実験報告書Aの前記図及び表の「洗浄あり」を採用するのが当然である。

そして、別紙A記載の測定法と別紙B記載の測定法を対比すれば、両者は濾過用フィルターの種類(G3タイプとG4タイプ)、及び、吸引濾過時の圧力(100mm H2Oと5mmHg以下)を異にしており、これらの測定条件の差異によって、得られるパラフィンの量が異なるであろうことは当然に予測される。しかしながら、前記のように本願発明にいうパラフィンと引用例記載のパラフィンはそもそも別異の物質といわざるを得ないから、右のような測定条件の差異について論ずるまでもなく、本願発明と引用例記載の技術的事項は軽油中のパラフィン含量において差異がないとした審決の認定を是認することはできない。なお、別紙A記載の測定法によって得られた値と別紙B記載の測定法によって得られた値の比率を求め、引用例記載の燃料油のパラフィン含量六・五重量%が本願公報記載の測定法によればどの程度の数値となるかを推算することも、別紙A記載の測定法によって得られる値と別紙B記載の測定法によって得られる値の間に一定の相関関係があることが明らかにされていない以上、合理性を持つ議論ではないというべきである。

四  以下のとおりであるから、本願発明と引用例記載の技術的事項は軽油中のパラフィン含量において差異がないことを前提として、本願発明は引用例記載の技術的事項と同一であるとした審決の認定判断は、その余の点について論ずるまでもなく誤りであって、審決は違法なものとして取消しを免れない。

第三よって、審決の違法を理由にその取消しを求める原告の本訴請求は不当であるからこれを認容することとし、訴訟費用の負担について行政事件訴訟法第七条、民事訴訟法第八九条、第九四条の各規定を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 竹田稔 春日民雄 佐藤修市)

別紙図面等<省略>

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