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東京高等裁判所 平成3年(行ケ)157号 判決 1994年2月08日

東京都北区王子1丁目4番1号

原告

(旧商号 十條製紙株式会社)

日本製紙株式会社

同代表者代表取締役

宮下武四郎

同訴訟代理人弁護士

田倉整

同弁理士

岩出昌利

河澄和夫

同訴訟復代理人弁護士

田倉保

東京都千代田区霞が関3丁目4番3号

被告

特許庁長官 麻生渡

同指定代理人

板橋一隆

田中靖紘

高橋詔男

長澤正夫

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一  原告の請求

一  特許庁が昭和59年審判第3199号事件について平成3年4月18日にした審決を取り消す。

二  訴訟費用は被告の負担とする。

第二  事案の概要

本件は、拒絶査定を受け、不服審判請求をして審判請求を成り立たないとの審決を受けた原告が、審決がした先願発明と本願発明とが同一であるとの認定判断は誤っており違法であるから、取り消されるべきであるとして審決の取消を請求した事件である。

一  判断の基礎となる事実

《特に証拠(本判決中に引用する書証は、いずれも成立に争いがない。)を掲げた事実のほかは当事者間に争いがない。》

1  特許庁における手続の経緯

原告は、昭和55年4月10日、名称を「感熱記録シート」とする発明(以下「本願発明」という。)について特許出願(昭和55年特許願第46195号)したところ、昭和59年3月31日拒絶査定を受けたので、同年3月1日査定不服の審判を請求し、昭和59年審判第3199号事件として審理された結果、昭和62年9月29日出願公告(昭和62年特許出願公告第45837号公報)されたが、森浩之外から特許異議の申立がされ、平成3年4月18日特許異議の申立は理由があるとの決定とともに「本件審判の請求は、成り立たない。」との審決があり、その謄本は同年6月19日原告に送達された。

2  本願発明の要旨

(あ)フルオラン骨格の7の位置にアニリノ基を有する通常無色ないし淡色のフルオラン系無色染料と、(い)p-ヒドロオキシ安息香酸ベンジル又はp-ヒドロオキシ安息香酸メチルベンジルの少なくとも一方とを(う)含有する発色層を有することを特徴とする(え)感熱記録シート

((あ)ないし(え)は、審決が便宜付した符号である。)

3  審決の理由の要点

Ⅰ 本願発明の要旨は、前項記載のとおりである。

Ⅱ これに対し、特許異議申立人森浩之は、本願発明は、昭和51年5月19日出願に係る昭和51年特許願第57670号の発明(以下「先願発明」という。)と同一であるので特許法39条1項により特許を受けることができない旨主張している(なお、この発明は、昭和59年12月14日に出願公告され、昭和60年10月4日付手続補正書により補正されたものであるが、拒絶の査定が確定している。)。

Ⅲ そこで、上記特許異議申立人の主張について検討する。

(1) 先願発明の要旨は、昭和60年10月4日付手続補正書(以下「本件手続補正書」という。)によって補正(以下この補正を「本件補正」という。)された明細書(以下先願発明に係るこの明細書、すなわち本件手続補正書添附の明細書を単に「補正明細書」という。)の記載からみて、その特許請求の範囲第1項及び第2項に記載されたとおりの、サーモクロミズム材料及び感熱記録体にあるものと認められるところ、その第2項に記載された発明(以下「先願第2発明」という。)は、「(お)酸性物質と反応して発色する塩基性無色染料と、(か)パラオキシ安息香酸ベンジルとを(き)主成分とする層を支持体上に有することを特徴とする(く)感熱記録体」((お)ないし(く)は、審決が便宜付した符号である。)である。

(2) 本願発明と先願第2発明の構成について比較検討する。

構成要件(あ)と構成要件(お)とを比較検討すると、先願発明の明細書には、酸性物質と反応して発色する塩基性無色染料として、3-ジエチルアミノー7-フェニルアミノ-6-メチルフルオランが例示されており、この化合物は構成要件(あ)にいうフルオラン骨格の7の位置にアニリノ基を有する通常無色ないし淡色のフルオラン系無色染料に相当するから両者は同一である。

構成要件(い)と構成要件(か)とを比較検討すると、構成要件(い)の化合物であるp-ヒドロオキシ安息香酸ベンジルと構成要件(か)の化合物であるパラオキシ安息香酸ベンジルとは同一の化合物である。

構成要件(う)と構成要件(き)とを比較検討すると、構成要件(う)にいう「含有する発色層」とは、構成要件(あ)と(い)に示された両方の成分を含む発色層である。これに対し、構成要件(き)にいう「主成分とする層」も、構成要件(お)と(か)に示された両方の成分を主要な成分として含有し、過熱により発色する発色層を形成するものであるから、両者は実質的に同一のものといえる。

構成要件(え)と構成要件(く)とを比較検討すると、先願第2発明にいう感熱記録体は、先願発明の明細書にその応用範囲として感熱記録シートが記載されているから、構成要件(え)の感熱記録シートと、構成要件(く)の感熱記録体は同一のものと認められる。

すなわち、両発明のそれぞれ対応する各構成要件は、同一であると認められる。

さらに、先願発明の明細書には実施例2として、無色染料としての3-ジエチルアミノ-7-フェニルアミノ-6-メチルフルオラン、すなわちフルオラン骨格の7の位置にアニリノ基を有する通常無色ないし淡色のフルオラン系無色染料と、パラオキシ安息香酸ベンジル、すなわちp-ヒドロオキシ安息香酸ベンジルをPVAに分散し、上質紙上に塗布、乾燥して感熱記録紙とすることが記載されているから、両発明を感熱記録シートとしてみたとき、両者は、支持体上に、フルオラン骨格の7の位置にアニリノ基を有する通常無色ないし淡色のフルオラン系無色染料と、p-ヒドロオキシ安息香酸ベンジルを必須の成分とする感熱発色層を形成したものであって、感熱記録シートとして明瞭に区別することができない。

したがって、本願発明の構成と先願第2発明の構成は同一であって、客観的に別個のものと識別することができないのであるから、結局のところ、両者は同一発明である。

Ⅳ 以上のとおりであるから、本願発明は先願第2発明と同一であるから、特許法39条1項により特許を受けることができない。

4  本願明細書に記載された本願発明の技術的課題(目的)、構成及び作用効果

《この項の認定は甲第1号証の8、15による。》

(1) 本願発明は、感熱記録シートに関し、特に発色性その他の記録特性にすぐれ、地色の安定性が良好な感熱記録シートに関する(昭和58年6月24日付手続補正書添附の明細書1頁12行ないし14行)

感熱記録シートは、医療用計測用記録計、コンピューターの端末機等のプリンターなど広範囲の分野に応用が進められている。これらの記録装置は、サーマルヘッドや熱ペンなどの発熱素子を備えており、感熱記録シートは、これらの発熱素子に接触して加熱されるか、又は特定の光のエネルギーによって加熱されることにより、発色して記録が得られる(同2頁8行ないし17行)。高密度でかつ高速記録化された記録装置のサーマルヘッドの熱エネルギーはますます微小化しつつあるため、これに使用する感熱記録シートについても微小な熱量でも鮮明な発色記録を得るに充分な発色感度を保有することが要求されている。そのためには発色層に含まれる無色染料あるいはフェノール類を含む有機酸が微小な熱量で溶融し発色反応を起すことが必要であり、できるならば70℃ないし120℃の温度で発色することが望ましい。ところが、感熱記録シートに使用される発色性無色染料の融点は通常160℃ないし240℃であり、上記のような低温で溶融する安定な染料は見当らない。一方、発色性無色染料と組み合わせるフェノール類の顕色剤として各種文献に数多くの物質が記載されているが、これらは、熱発色温度が高い欠点があったり、感熱記録シートの保存性、安定性が悪く、室温でも次第に地色が発色してくるうえにフェノール臭が強く、実用的でない欠点があったり、合成困難で入手性に問題があるなど、いずれも欠点がある。このように、実用上工業的に使用可能な発色性染料及びフェノール類を含む有機酸の中で高解像度で高速記録に有効な融点を保有するものはほとんど見出されていない状態である(同4頁10行ないし6頁9行)。発色材料自体の融点が高くとも、融点

の低い第三物質を共存させ、それが溶融することによって発色材料を溶解すれば、低温でも発色反応を起させることが可能となるので、低融点の熱溶融性物質を増感剤又は融点降下剤として添加することが提案されている。しかし、増感剤を添加する方式は、高速度の動的記録においては短時間パルスで微小な熱量に対する熱応答性が充分得られず、サーマルヘッドの粕付着やにじみ等のトラブルが発生しやすくなる。さらに高温高湿度の保存条件下でも経時的に地色発色(カブリ)を生じ、記録画像のコントラストも悪くなることが多い。サーマルヘッドの加熱と冷却のサイクルに伴って発色材料の一部がヘッドに付着することによって記録品質の低下等のトラブルも生じうる。これらのトラブルを改善するために、発色層中にクレー、タルク等の充填剤を添加したり、発色層中の接着剤の量を増加する方法、ワックス類等を添加する方法などが提案されているが、充分な改善結果が得られないばかりでなく、これらの改善のために塗布量の増加、画像濃度の低下、サーマルヘッドに対する摩耗性の増大を招くなどの新たな問題が生ずるため、必ずしも満足すべき結果が得られていない。

本願発明は、このようないくつかの難点を改善し、実用的に極めて優れた特性を有する感熱記録シートを提供すること(同6頁12行ないし9頁5行)を技術的課題(目的)とするものである。

(2) 本願発明は、前記技術的課題(目的)を解決するために前記2の本願発明の要旨記載の構成(前記手続補正書添附の明細書1頁5行ないし10行)を採用した。

(3) 本願発明は、前記構成により、前記の欠点のない、かつ、<1>増感剤や融点降下剤を必要とせず高感度の感熱記録シートを造ることができ、特に熱応答性が優れているために、高速度、高密度の記録においても高濃度で鮮明、かつ保存性の良い記録が得られる、<2>サーマルヘッドに対する粕付着やスティキングなどのトラブルがなく、記録適性が極めて優れている、<3>地色が白く、経時による地色発色(カブリ)も非常に少ない、<4>塗布量の低減が可能で生産効率も向上する、<5>本願発明に使用するp-ヒドロオキシ安息香酸ベンジル等はモノフェノール類にありがちなフェノール臭が全くなく、また毒性が少ないため安全性が高いとともに、合成が容易で、高収率、高純度のものが得られ、その多くのものは工業用製品として市販されておりコストも比較的安価ですまされる(前記手続補正書添附の明細書9頁6行ないし10頁4行)という作用効果を奏するものである。

5  先願発明に係る特許庁等における手続の経緯

先願発明は、昭和51年5月19日出願され(昭和51年特許願第57670号)、同年7月15日手続補正されて昭和52年11月24日出願公開され(昭和52年特許出願公開第140483号公報)、昭和57年5月31日、昭和59年6月25日の各手続補正を経て、同年12月14日出願公告され(昭和59年特許出願公告第51587号公報)、さらに、昭和60年10月4日本件補正がされたが、同年12月21日拒絶査定がされ、昭和61年3月27日査定不服の審判が請求された。そして、その後、昭和62年11月5日、本件補正を却下する決定とともに、上記審判請求は成り立たないとの審決がされたところ、その審決取消訴訟が提起され、平成元年4月13日東京高等裁判所において本件補正却下決定が違法であることを理由に上記審決を取り消すとの判決がされたが、平成2年3月1日改めて上記審判請求は成り立たないとの審決がされた。

6  原明細書に記載された先願発明の特許請求の範囲第2項(先願第2発明)

(本件出願前に昭和52年特許出願公開第140483号公報により出願公開されたものと一致し、本件出願時点における先願発明の特許請求の範囲第2項の記載でもある。)

《この項の認定は甲第2号証の1及び弁論の全趣旨と争いがない事実による。》

酸性物質と反応して発色する塩基性無色染料と、下記一般式で示される化合物の少なくとも一種を主成分とした層を支持体上に有することを特徴とする感熱記録体。

一般式 HOArCOOR

(式中、Rは炭素原子数1ないし約13の基、Arは芳香族を示す。)

7  本件補正前の時点における先願発明の特許請求の範囲第2項(先願第2発明)

(昭和59年特許出願公告第51587号公報により出願公告されたもの。なお、以下この公報により公告された先願発明の明細書を「公告時明細書」という。)

《この項の認定は甲第2号証の6による。》

酸性物質と反応して発色する塩基性無色染料と、下記一般式で示される化合物の少なくとも一種を主成分とする層を支持体上に有することを特徴とする感熱記録体。

一般式 HOArCOOR

式中、Rは炭素原子数2から5のアルキル基又はベンジル基を表わし、Arは、ニトロ基又はメトキシ基の一個以上で置換されていてもよいフェニレン基を表わす。

8  公告時明細書に記載された先願第2発明の技術的課題(目的)、構成及び作用効果

《この項の認定は甲第2号証の6による。》

(1) 先願第2発明は、サーモクロミズム材料及びそれを用いた感熱記録体に関する(公告時明細書1欄34行ないし35行)。サーモクロミズム材料、すなわち温度変化により色変化を呈する物質としての従来化合物は、温度の昇降のくり返しに対し劣化が大きい、色変化の温度による差が小さい、紫外線に弱い、高価であるなどの種々の問題点を持ち、温度差を可視像化したい要求が多くあるにかかわらず、ごく一部でしか実用化されないという欠点があった。先願第2発明は、この問題点を解決した極めて優秀なサーモクロミズム材料を提供すること(同1欄36行ないし2欄15行)を技術的課題(目的)とする。

(2) 先願第2発明は、前記技術的課題(目的)を解決するために前記7記載の構成(公告時明細書1欄26行ないし32行)を採用した。

(3) 先願第2発明は、前記構成により、そのサーモクロミズム材料は、一定温度以下では無色あるいは淡色であり、加熱により瞬時に発色し、その濃度は極めて高く、発色時の色相も発色剤の選択により自由に選べ、発色剤数種を混合すればあらゆる色相の色を発色させることができ、降温したときの消色の有無ないし消色速度は、一般式の化合物の選択により自由に調節できる、すなわち、消色を希望する場合には熱源をしゃ断して数秒たらずで消色させることも、長くは数日で消色させることも可能であり、消色後の濃度は、ほとんど発色前の濃度に等しく、くり返し使用によっても発色時の濃度低下及び消色時のカブリ増大は見られず、消色時ほぼ無色であり、発色の色相、濃度、発色温度、消色速度を自由にコントロールでき、加えて、くり返し使用による劣化がほとんどなく、取扱いが容易、安価であるなど(公告時明細書2欄23行ないし3欄5行)という作用効果を奏するものである。

9  本件補正後の先願第2発明(補正明細書の特許請求の範囲第2項)の要旨

(括弧書の符号は、審決が便宜のため付したもの)

(お)酸性物質と反応して発色する塩基性無色染料と、(か)パラオキシ安息香酸ベンジルとを(き)主成分とする層を支持体上に有することを特徴とする(く)感熱記録体。

10  本件補正の内容

《この項の認定は甲第2号証の6、10と弁論の全趣旨による。》

(1) 特許請求の範囲の記載の訂正点(先願第2発明関係)前記7の記載を前記8の記載に訂正した。

すなわち、「一般式HOArCOOR式中、Rは炭素原子数2から5のアルキル基又はベンジル基を表わし、Arは、ニトロ基又はメトキシ基の一個以上で置換されていてもよいフェニレン基を表わすとされる」化合物を「パラオキシ安息香酸ベンジル」に限定するものである(なお、後者は、公告時明細書の発明の詳細な説明中に具体例(6欄6行ないし8行)として記載されている。)。

(2) 発明の詳細な説明の記載の主要な訂正点

公告時明細書に書かれた作用効果についての「また降温したときの消色の有無ないし消色速度は、一般式の化合物の選択により自由に調節できる。即ち、消色を希望する場合には、熱源をしゃ断して数秒たらず消色させることも、長くは数日で消色させることも可能である。」(2欄29行ないし34行)との記載を削除し、公告時明細書に書かれた実施例の記載(7欄3行ないし8欄34行)に代えて実施例として顕色剤としてパラオキシ安息香酸ベンジルを使用する実施例1及び2を記載し(補正明細書8頁19行ないし10頁6行)、これら実施例1、2と上記実施例1においてパラオキシ安息香酸ベンジルに代え、各々パラオキシ安息香酸メチル、パラオキシ安息香酸プロピル、p-オキシ安息香酸オクチルを用いた比較例1ないし3、上記実施例2においてパラオキシ安息香酸ベンジルに代え、各々パラオキシ安息香酸エチル、パラオキシ安息香酸フェニルを用いた比較例4、5について初期カブリ、記録濃度、消色速度(別紙第1表中、これを示す「消色濃度1」は記録濃度が半減するまでの時間を示し、「消色濃度2」は事実上記録として認められなくなる0.20の濃度に達するまでの時間を示す。)、再発色濃度の測定値を比較対照して表示した別紙第1表を追加した(補正明細書10頁7行ないし16行、12頁)。

11  審決の認定判断中争いがない部分

補正明細書に実施例2として審決認定の技術内容が記載されているから、本願発明及び補正明細書記載の先願第2発明を感熱記録シートとしてみたとき、両者は審決認定のものとして明瞭に区別することができない。

(ただし、後記二のとおり、先願第2発明を補正明細書の記載に基づいて認定しうるかどうかについては争いがある。)

二  争点

審決が、構成の比較検討に際し補正明細書の記載により先願第2発明の構成を認定して本願発明と対比し、両者は同一であると判断している点について、原告は、先願第2発明の構成は、本願発明の出願日までの先願発明の明細書の記載により(取消事由1)、又は公告時明細書の記載により(取消事由1及び2)認定すべきであって、補正明細書の記載に基づいて認定すべきでないから、審決は違法であり、取り消されるべきであると主張し、被告は、審決の認定判断は正当であって、審決に原告主張の違法はない、と主張している。

本件における争点は、この原告の主張の当否である。

1  取消事由1

そもそも、一般的に特許法39条1項による先願主義においては先願の発明と後願の発明との技術内容の同一性を対比すべきであるから、先後願関係判断の基礎となる先願の発明の明細書が後願の発明の出願日より後に補正された場合、先願の発明の要旨は、後願の発明の出願日より後にされた補正を考慮することなく、後願の発明の出願日以前の明細書の記載によって認定すべきものであり、そうでないとしても、その補正が出願公告決定の謄本の送達後にされた場合に関する限り、その補正を考慮せず、出願公告時の明細書によって認定すべきものである。

補正がされた場合、補正内容がそのまま先願の発明の内容の一部をなすとの議論がありうるが、先願者の側から主張があったときに初めて例外的に考慮すべきものであり、特段の事情のない限り、考慮に入れるべきではない。

2  取消事由2

1のとおりでないとしても、次のとおり、本件補正は、先願第2発明の要旨を変更するものであるから、特許法42条に準じて、先願第2発明の要旨は、本件補正がされなかったものとして公告時明細書によって認定すべきである。

(1) 先願第2発明の(お)(「酸性物質と反応して発色する塩基性無色染料と、」)の構成要件について

酸性物質と反応し発色する塩基性無色染料について、公告時明細書には、酸性物質と反応し発色するものであればその種類、性質等はその発明に実質的に影響を与えるものではないと記載され、広範囲の染料、すなわち、トリアリールメタン系化合物、ジアリールメタン系化合物、キサンテン系化合物、フルオラン系化合物、チアジン系化合物及びスピロ系化合物に属する約40種の具体的化合物が例示され、その中において、3-ジエチルアミノ-7-フェニルアミノ-6-メチルフルオランが示されていたが、実施例にもフルオラン骨格の7の位置にアノリノ基を有するフルオラン系無色染料を用いた例は示されていなかった。

これに対し、補正明細書においては、新たに3-ジエチルアミノ-7-フェニルアミノ-6-メチルフルオランを用いた例が実施例2として加えられ、あわせて、使用量等製造条件を変えて公告時明細書での実施例1が比較例2に変更され、その他の実施例は削除される一方で、新たな実施例が提示され、この新たな実施例、比較例(公告時明細書における実施例)、別の実施例につき、初期カブリ、記録濃度、消色速度、再発色濃度についての作用効果を比較し、補正明細書記載の新たな発明のすばらしさを公告時明細書記載のものと対比して明らかにしている。このように、塩基性染料を実施例において差し替え、補正明細書記載の実施例を公告時明細書記載の実施例に比べて優れた作用効果があるとしていることは、補正明細書記載の発明が公告時明細書記載の発明とは別個のものであることを証明している。

そして、特定の化合物が主要な構成要件となっている化学的な発明においては、実験によりその作用効果を確認することが必要であり、実施例が必要である。特許法施行規則によれば、この実施例には、出願人が最良の結果をもたらすと思うものをなるべく多種類掲げて記載し、必要に応じ具体的数字に基づいて事実を記載することとされている。このことからすると、公告時明細書において最良の結果をもたらすと考えたものを比較例に変え、又は削除し、組合せ次第によっては作用効果が予期不可能なものを内包した公告時明細書の記載から特定の化合物のみに限定し(酸性物質は一つにされている。)、これを最良の結果をもたらすものとして、比較例と比べてその結果を明らかにしたのであるから、補正明細書記載の発明に限定し、選択することは、この部分について後日発明が完成されたといわなければならず、本件補正は要旨変更に該当する。

(2) 先願第2発明の(か)(「パラオキシ安息香酸ベンジルとを」)の構成要件について

公告時明細書では、一般式HOArCOOR(式中、Rは炭素原子数2から5のアルキル基又はベンジル基を表わし、Arは、ニトロ基又はメトキシ基の一個以上で置換されていてもよいフェニレン基を表わす。)によりオキシ安息香酸エステルが示され、これらに限定されるものではないがとして12個の化合物が構造式により示され、その11番目にパラオキシ安息香酸ベンジルが示されているが、実施例にはp-ヒドロキシ安息香酸ベンジルは示されていなかった。

ところが、補正明細書において、上記一般式で示されたオキシ安息香酸エステルが単一の化合物であるパラオキシ安息香酸ベンジルに補正され、併せて実施例もこの化合物のみに限定された。そして、公告時明細書の実施例のパラオキシ安息香酸プロピル(実施例1、3)とパラオキシ安息香酸エチル(実施例5)とを比較例に変更し、またパラオキシ安息香酸イソブチル(実施例2)、2-オキシ-5-ニトロ安息香酸エチル(実施例4)及びパラオキシ安息香酸プロピルと4-オキシ-3-メトキシ安息香酸エチルの併用(実施例6)を削除し、併せて公告時明細書の一般式に示されるパラオキシ安息香酸メチル(比較例1)、パラオキシ安息香酸オクチル(比較例3)、パラオキシ安息香酸フェニル(比較例5)を比較例に加えて、第1表に初期カブリ、記録濃度、消色速度、再発色濃度の効果を比較した試験結果を新たに付け加えた。

補正明細書は、パラオキシ安息香酸ベンジルを用いれば公告時明細書において一般式により示され、かつ実施例に挙げられたものと比べて作用効果に差異が生じることを示すために別紙第1表を掲げているのであるから、公告時明細書記載の発明と補正明細書記載の発明とは別個の発明であることが明らかである。

(3) 先願第2発明の(く)(「感熱記録体」としての組合わせ)の構成要件について

公告時明細書には、サーモクロミズムについて、「本発明のサーモクロミズム材料は一定温度以下では無色あるいは淡色であり、加熱により瞬時に発色し、その濃度は極めて高かった。また発色時の色相も、発色剤の選択により自由に選べ、発色剤数種を混合することを行えば、あらゆる色相の色を発色させることができる。また降温したときの消色の有無ないし消色速度は、一般式の化合物の選択により自由に調節できる。即ち、消色を希望する場合には、熱源をしゃ断して数秒たらずで消色させることも、長くは数日で消色させることも可能である。消色後の濃度はほとんど発色前の濃度に等しく、くり返し使用によっても発色時の濃度低下および消色時のカブリ増大は見られない。この場合のサーモクロミズム材料は消色時ほぼ無色であり、発色の色相、濃度、発色温度、消色速度を自由にコントロールでき、加えて、くり返し使用による劣化がほとんどなく、取り扱いが容易、安価等種々の利点を有する。また、発色体の安定性を向上させる安定化剤を併用することにより、実質的に消色しないようにすることも可能である。(中略)従って、その応用範囲も単なる感熱記録シートにとどまらず示温材料、表示器(ディスプレイ)など熱エネルギーを可視化することが要求されるあらゆる方面に使用が可能である。」と記載され、併せて実施例1ないし6のすべてにおいて、加熱によって一旦発色するが温度が下ると最も遅いものでも24時間以内に消色する可逆現象が示されていた。

ところが、補正明細書では、実施例のすべてが新たに代えられ、特に実施例2においては、新たな塩基性染料と新たな酸性物質を持ち出して本願発明と同じ組合せとされた。この実施例2の品質評価は公告時明細書の「長くは数日で消色させることも可能である。」との記載から大きく逸脱して消色するのに30日かかったとの説明がされている。しかも、この組合せのものは、数ある中からこれらのものに限ることによって極端に消色しにくいものを見出したのであり、通常の条件では長期間記録シートとして保存に耐える。

このように、補正明細書は実施例を改め、特に作用効果の顕著なものを選択して限定したのであるから、公告時明細書記載のものを要旨変更したというべきである。

第三  争点に対する判断

一  取消事由1について

特許法が特許出願に係る明細書、図面の内容についての補正を認める趣旨は、手続の明確性、安定性を期するためには審査、審判の対象となる明細書、図面は出願当初の明細書、図面に限ることが望ましいが、その記載が不完全であったために出願に係る発明について出願人が意図した権利を取得できない結果となることは、出願人に酷であり、発明の保護利用を図るという特許制度の趣旨に添わないので、一定の制限(特許法41条、64条等)のもとにその内容の補正を認めることにあると解される。

補正の効力の発生時期について特許法に直接の規定は設けられていないが、上記の補正制度の趣旨に照らすと、補正の効力は出願時に遡るというべきであり、このことは同様の趣旨から特許権の設定登録後に特許権者に明細書、図面の内容についての訂正を認めた訂正審判の手続において、訂正審決が確定したときは、「その訂正後における明細書又は図面により特許出願、出願公告、出願公開、特許をすべき旨の査定又は審決及び特許権の設定の登録がされたものとみなす。」(特許法128条)と規定されていることからも裏付けられる。

したがって、これらの補正がされた場合においてその補正が要件を満す限り、補正の効力は当然出願の当初に遡り、同法39条1項により先願の発明とされるものについてもこの理が適用されるといわなければならない。

原告は、同法39条1項による先願主義においては先願の発明と後願の発明との技術内容の同一性を対比すべきであることを根拠に、先願発明の明細書が後願発明の出願日より後に補正された場合における先願発明の要旨は補正以前の明細書の記載によって認定すべきであり、少なくとも補正が出願公告決定の謄本の送達後にされた場合に関する限り補正を考慮しないで出願公告時の明細書によって認定すべきである、と主張する。

しかしながら、願書添附の明細書又は図面の補正が有効であるとされるためには、同法17条、17条の2、3、41条、64条に定められた要件を具備する必要があり、これらの要件を備えた場合に限って補正が認められるのであって、願書に最初に添附した明細書又は図面に記載された技術事項を超えて補正することはできないのであるから、補正が要件を満している限りそれを前提に先願発明の技術内容を認定することは何ら不当ではなく、その補正を全く無視すべきであるとの原告の主張は失当である。

(もっとも、出願公告決定の謄本送達後に願書添附の明細書又は図面が補正された場合において同法64条所定の要件を具備するかどうかは、当該補正の時点における明細書又は図面の記載を基準として判断すべきである(最高裁判所第三小法廷平成3年9月17日判決・集民163号313頁参照)が、この理は、出願公告決定の謄本送達前にされた願書添附の明細書又は図面の補正が要件を満し、したがって有効にされたことを前提とするものであり、上記のとおりいうのに何らの妨げともならない。)。

また、原告は、補正がされた場合にも先願者の側から主張があったときに初めて例外的に補正を考慮すべきものである、と主張するが、そのように解すべき根拠は全くない。

そうすると、取消事由1は理由がない。

二  取消事由2について

前記第二の一10の事実によれば、本件補正は従来公告時明細書において一般式により示されていた化合物をその具体例とされていたものに限定するものであるから、特許請求の範囲を減縮するものであると認められる。そこで、本件補正が要旨を変更するものであるかを検討する。

1  取消事由2(1)について

(1) まず、本件補正中酸性物質と反応し発色する塩基性無色染料に関する部分がどのようなものであるかをみてみると、甲第2号証の6、10と前記第二の一10の事実によれば、先願発明の公告時明細書には、「本発明のサーモクロミズム材料に用いられる発色剤は、酸性物質と反応し、発色するものであれば、その種類、性質などは本発明に実質的に影響を与えるものではない。従ってあらゆる種類の発色剤が使用できる。例えばトリアリールメタン系化合物、ジアリールメタン系化合物、キサンテン系化合物、フルオラン系化合物、チアジン系化合物、スピロピラン系化合物などを挙げることができる。具体例を示せば(中略)3、3-ビス(p-ジメチルアミノフェニル)-6-ジメチルアミノフタリド(即ち、クリスタルバイオレットラクトン)、(中略)3-ジエチルアミノ-7-フェニルアミノ-6-メチルフルオラン(中略)等、或いはこれらの混合物を挙げることができる。」(3欄15行ないし4欄33行)との記載があること、補正明細書においては、長文にわたる上記の記載(記載を略した部分を含む。)がそのまま維持されたうえ、塩基性無色染料として、クリスタルバイオレットラクトンを使用するものを実施例1(8頁20行)として、3-ジエチルアミノ-7-フェニルアミノ-6-メチルフルオランを使用するものを実施例2(9頁18行ないし19行)として採用したことが認められる。

そうすると、塩基性無色染料に関する公告時明細書における発明の詳細な説明の記載は補正明細書においても何ら変更されておらず、補正明細書で実施例1及び2として追加されたものも、公告時明細書においてもともと明示されていたものにすぎないことが明らかである。

(2) ところが、原告は、補正明細書が、塩基性染料を実施例において差し替え、補正明細書記載の実施例を公告時明細書では実施例として記載されていた比較例2と対比して優れた作用効果があるとしていることは、補正明細書記載の発明と公告時明細書記載の発明とが別個のものであることを証明しており、本件補正は要旨変更に該当する、と主張する。

(3) そこで、まず、公告時明細書で実施例として記載されたものが補正明細書において比較例とされたものと同一かどうかについて検討する。

原告の主張に照らせば、公告時明細書において実施例であったのに補正明細書において比較例2に変更されたとされるのは、公告時明細書の実施例1を指すことが明らかである。

しかしながら、補正明細書の比較例2において使用量等製造条件が公告時明細書の実施例1と異なることは、原告が自認するところである。この点を証拠に基づいて更に具体的にみてみると、甲第2号証の6、10によれば、補正明細書には、「比較例1~3 実施例1において、パラオキシ安息香酸ベンジルに代え、各々パラオキシ安息香酸メチル、パラオキシ安息香酸プロピル、p-オキシ安息香酸オクチルを用いた。」(10頁7行ないし11行)との記載及び「実施例1 3gのクリスタルバイオレットラクトン、20gのパラオキシ安息香酸ベンジルを5%ポリビニルアルコールともに24時間分散し、塗液を得た。該塗液を50g/m2の坪量を有する上質紙上に、固形分塗布量が4g/m2となるよう塗布し、40℃で5分間乾燥させ、感熱記録紙を得た。」(8頁19行ないし9頁5行)との記載があり、他方、公告時明細書には、「実施例1 1gのクリスタルバイオレットラクトン、120gのパラオキシ安息香酸プロピルを100gの酢酸エチルに溶解し、40g/m2の原紙にバーで塗布、60℃で乾燥させた。」(7欄3行ないし7行)との記載があることが認められ、両者は使用量等の製造条件が異なることが明白である。そして、上記各証によれば、一般に発色剤混合量の下限は発色濃度により、上限は消色時のカブリ及びコストにより決まる(公告時明細書6欄20行ないし22行、補正明細書7頁11行ないし13行)と認められるから、使用量等製造条件が異なれば作用効果も異なると判断される。

したがって、補正明細書の比較例2について記載された第1表の測定数値は、公告時明細書の実施例1とは異なる例についてされた測定結果であると認められ、後者に関してされた測定結果ではないことが明らかである。

(4) 次いで、補正明細書に添附された別紙第1表に基づいて実施例が比較例中特に比較例2とされたものと対比して優れた作用効果を奏することが記載されているかどうかの点をも検討してみる。

初期カブリについては、実施例1が0.11、実施例2が0.10であるのに対し、比較例2は0.11であり、実施例と比較例との間に特段の差異はない。

記録濃度は、実施例1では1.36、実施例2では1.26であるのに対し、比較例2では1.15であり、実施例の数値は比較例2の数値より幾分高い。

再発色濃度については、実施例1は1.35、実施例2は1.26であるのに対し、比較例2は1.12であり、実施例の数値は比較例2の数値より幾分高い。しかしながら、再発色濃度は記録濃度の数値との対比により繰返し使用による劣化がほとんどないか否かを示すものであるから、記録濃度の数値との差又は比をも検討してみる必要がある。差においては、実施例1は-0.01(=1.35-1.36)、実施例2は0(=1.26-1.26)であるのに対し、比較例2は-0.03(=1.12-1.15)であり、実施例と比較例2とを対比しても両者に特段の差異があるとはいえない。また、比においては、実施例1は、0.99(=1.35÷1.36)、実施例2は1.00(=1.26÷1.26)であるのに対し、比較例2は0.97(=1.12÷1.15)であり、実施例と比較例とを対比しても両者間に特段の差異があるとは認められない。これらの点から、再発色濃度は実施例と比較例2とで実質的な差異があるとはいえない。

消色濃度1(前述のとおり、記録濃度が半減するまでの時間である。)は、実施例1では3日、実施例2では7日であるのに対し、比較例2では5秒であり、実施例は比較例2より長い数値を示している。

消色濃度2(前述のとおり、事実上記録として認められなくなる0.20の濃度に達するまでの時間である。)は、実施例1では20日、実施例2では30日であるのに対し、比較例2では9秒であり、実施例は比較例2より長い数値を示している。

これらをまとめれば、初期カブリの数値及び再発色濃度は、実施例と比較例2とで特段の差異はないが、記録濃度は実施例では比較例2に比べ幾分高く、消色速度、すなわち消色濃度1及び2は実施例では比較例2より長い数値を示している。

ところで、甲第2号証の6によれば、公告時明細書には、「この場合のサーモクロミズム材料は消色時ほぼ無色であり、発色の色相、濃度、発色温度、消色速度を自由にコントロールでき、」(3欄1行ないし3行)、「一般に発色剤混合量の下限は発色濃度により、上限は消色時のカブリ及びコストにより決まる。」(6欄20行ないし22行)、「発色温度は用いたオキシ安息香酸エステルの種類によってほぼ決定し、降温したときの消色速度も同様である。」(6欄35行ないし37行)との記載があることを認定することができる。この認定事実によれば、記録濃度は発色剤の種類とその混合量とによって数値が異なってくるものであり、消色速度は顕色剤としての化合物の種類によって影響されるものであり、前記第二の一8(3)の認定事実をも考慮すると、いずれにしても発色の濃度及び消色速度を自由にコントロールすることが公告時明細書記載の発明の作用効果であることが認められ、記録濃度の数値の高いものが、また消色速度が速いもの又は遅いものがサーモクロミズム材料として直ちに優れていると一概にはいえないことが明らかである。

したがって、補正明細書記載の実施例が比較例2と対比して特に優れた作用効果を奏するということはできない。

(5) そうすると、補正明細書中の第1表中の実施例と比較例2とを対比すると前者が公告時明細書の実施例より優れた作用効果を奏する、という原告の主張は、二重の意味で失当であるといわなければならず、取消事由2(1)の主張は理由がない。

(6) なお、取消事由2(1)の主張の中には、公告時明細書の実施例を補正明細書において別の実施例に変更したことは、最良の結果を示すものがより優れたものに変更又は限定されたものであるから、要旨変更に該当する、との趣旨が含まれていると解する余地があるので、その点についてもみておくこととする。

甲第2号証の6によれば、公告時明細書記載の各実施例についての測定データを整理すると、別紙第2表のとおりであることが認められる。

この数値を検討すると、初期カブリは、公告時明細書の実施例1は、0.09であるのに対し、補正明細書記載の実施例1が0.11、実施例2が0.10であり、両明細書の実施例間に特段の差異はない。

次いで、記録濃度は、公告時明細書の実施例1が1.02、実施例2が1.15、実施例3が1.1であるのに対し、補正明細書の実施例1では1.36、実施例2では1.26であり、補正明細書の実施例の方が公告時明細書の実施例より幾分高い数値を示している。

また、再発色濃度は、公告時明細書の実施例2は1.15であるのに対し、補正明細書の実施例1は1.35、実施例2は1.26であり、補正明細書の実施例の数値は公告時明細書の実施例の数値より幾分高い。しかし、前記(4)において述べたとおり、再発色濃度においては、記録濃度の数値との差又は比をも調べておく必要がある。差については、公告時明細書の実施例2は0(=1.15-1.15)であるのに対し、補正明細書の実施例1では-0.01(=1.35-1.36)、実施例2は0(=1.26-1.26)であり、双方に特段の差異はない。比についても、公告時明細書の実施例2は1(=1.15÷1.15)であるのに対し、補正明細書の実施例1は0.99(=1.35÷1.36)、実施例2は1(=1.26÷1.26)であり、双方に特段の差異はない。したがって、再発色濃度は公告時明細書の実施例と補正明細書の実施例との間で特段の差異があるとは認められない。

さらに、消色濃度1は、公告時明細書の実施例2は4.07時間であるのに対し、補正明細書の実施例1は3日、実施例2は7日であり、補正明細書の実施例の数値が公告時明細書の実施例の数値より長い。また、消色濃度2も公告時明細書の実施例2は6.18時間、実施例3は1分、実施例4は24時間であるのに対し、補正明細書の実施例1は20日、実施例2は30日で、補正明細書の実施例の方が公告時明細書の実施例より長い数値を示している。

以上のとおり、初期カブリ及び再発色濃度については、双方に特段の差異はないが、記録濃度に関し補正明細書の実施例の数値は公告時明細書の実施例の数値より幾分高く、消色速度、すなわち消色濃度1及び2の時間は補正明細書の実施例の方が公告時明細書の実施例より長い数値を示している。

しかし、前記(4)において検討したとおり、記録濃度の数値の高いものが、また消色速度が速いもの又は遅いものがサーモクロミズム材料として優れているとは一概にいえない。したがって、補正明細書の実施例により示された作用効果は、公告時明細書に記載された作用効果の範囲内のものというべきであり、新たな作用効果を加えたとは認められない。

そうすると、公告時明細書の実施例を補正明細書において変更したからといって、最良の結果を示すものがより優れたものに変更又は限定されたものであるということはできず、このことに前記(1)の事実をあわせて考えると、本件補正が要旨変更に該当するといえないことは明らかであり、いずれにしても取消事由2(1)は失当である。

2  取消事由2(2)について

(1) 甲第2号証の6、10と前記第二の一7ないし10の事実によれば、公告時明細書では、特許請求の範囲第2項に「一般式HOArCOOR 式中、Rは炭素原子数2から5のアルキル基又はベンジル基を表わし、Arは、ニトロ基又はメトキシ基の一個以上で置換されていてもよいフェニレン基を表わす。」との記載があってオキシ安息香酸エステルが示され、発明の詳細な説明において、「発色剤と混合して用いられる一般式のオキシ安息香酸エステルは、常温で固体であり、融点が50℃~200℃にあるものは特に有用である。(中略)特にパラオキシ安息香酸エステルは有効で、(中略)オキシ安息香酸エステルの具体例を以下に示す」(4欄34行ないし4欄42行)との記載があり、6欄6行ないし9行において後者の記載の具体例としてパラオキシ安息香酸ベンジルの化学式が掲げられていること、補正明細書では、特許請求の範囲第2項の上記部分に対応する箇所を「パラオキシ安息香酸ベンジル」と訂正し、発明の詳細な説明中上記引用箇所を削除したことが認められる。

したがって、補正明細書は、上記箇所について特許請求の範囲を減縮したものであることが明らかである。

(2) 原告の主張の要旨は、補正明細書が、公告時明細書において一般式により示され、実施例として掲げられていたものを比較例に変更し、新たに追加したパラオキシ安息香酸ベンジルを用いた実施例1及び2と比較し、その作用効果の明らかな差異を別紙第1表で表示していることは、両明細書記載の発明が別個の発明であり本件補正により要旨が変更されたことを示す、という点にあると解される。

(3) そこで、まず、原告の主張する比較の対象の点についてみてみる。

原告の主張に照らせば、補正明細書記載の比較例のうちで公告時明細書に実施例として記載されていたとされるものは、比較例2及び4であり、公告時明細書の実施例とは実施例1、3及び5を指すことが明らかである。

しかしながら、甲第2号証の6、10に基づいて検討してみると、補正明細書の比較例2は、公告時明細書の実施例1とは、塩基性無色染料(発色剤)がクリスタルバイオレットラクトンであり、顕色剤がパラオキシ安息香酸プロピルである点で、公告時明細書の実施例3とは、顕色剤がパラオキシ安息香酸プロピルである点で一致するのみであり、補正明細書の比較例4は、公告時明細書の実施例5と顕色剤がパラオキシ安息香酸エチルである点で一致するのみであり、いずれも使用量等製造条件において相違していることが認められ、補正明細書の比較例2及び4についての測定数値は、公告時明細書の実施例1、3及び5とは異なるものの測定数値であることが明らかであり、補正明細書の別紙第1表中の実施例1及び2と同表中の比較例2及び4とを対比したからといって、前者を公告時明細書の実施例と比較することにはならないというべきである。

(4) 次いで、補正明細書添附の別紙第1表に基づいて、その実施例が比較例と対比して優れた作用効果を奏することが記載されているかどうかの点をも検討してみる。

初期カブリは、実施例1が0.11、実施例2が0.10であるのに対し、比較例1ないし5は順次、0.09、0.11、0.52、0.08、0.09であり、実施例と比較例とで数値の範囲が重なり合っており、実施例が比較例に比べて特に差異があるということはできない。

記録濃度は、実施例1では1.36、実施例2では1.26であるのに対し、比較例1ないし5は順次、0.98、1.15、1.29、1.02、0.33であり、やはり実施例と比較例とで数値の範囲が重なり合っており、実施例が比較例と対比して特に差異があるとはいえない。

再発色濃度は、実施例1では1.35、実施例2では1.26であるのに対し、記載のある比較例1、2及び4では順次、0.91、1.12、0.90である。しかし、前述のとおり、再発色濃度においては、記録濃度の数値との差又は比をも調べておく必要がある。差については、実施例1では-0.01(=1.35-1.36)、実施例2は0(=1.26-1.26)であるのに対し、比較例1では-0.07(=0.91-0.98)、比較例2では-0.03(=1.12-1.15)、比較例4では-0.12(=0.90-1.02)であり、特に実施例1と比較例2を比べれば分るように双方に特段の差異はないといって差支えない。比についても、実施例1は0.99(=1.35÷1.36)、実施例2は1(=1.26÷1.26)であるのに対し、比較例1は0.93(=0.91÷0.98)、比較例2は0.97(=1.12÷1.15)、比較例4は0.88(=0.90÷1.02)であり、双方に特段の差異はない。したがって、再発色濃度は実施例と比較例との間で特段の差異があるとは認められない。

消色濃度1は、実施例1では3日、実施例2では7日であるのに対し、記載のある比較例1ないし4では順次、10秒、5秒、1か月以上、1日であり、実施例の数値は比較例の数値の範囲内にある。したがって、実施例は比較例と比べて特に差異を有するとはいえない。

消色濃度2は、実施例1では20日、実施例2では30日であるのに対し、記載のある比較例1、2及び4では順次、16秒、9秒、5日であり、実施例はこの記載の範囲では比較例より長い数値を示している。しかしながら、前述のとおり、消色濃度1は記録濃度が半減するまでの時間を示し、消色濃度2は事実上記録として認められなくなる0.20の記録濃度に達する時間であるから、消色濃度2は当然消色濃度1より相当大きな数値を示すことが自明である。したがって、消色濃度1について1か月以上と明記された比較例3が消色濃度2においてそれより大きな数値を示すことは、記載がなくても、また測定がなくても、当然のことであり、このことをも考慮すると、実施例の数値は比較例の数値の範囲内にあるというほかはない(しかも、前述のとおり、消色速度が速いもの又は遅いものがサーモクロミズム材料として優れているとはいえない。)のであるから、実施例は比較例と比べて特に差異を有するとはいえない。

以上のとおり、初期カブリ、記録濃度、再発色濃度及び消色速度のすべてにおいて、実施例と比較例との間で特段の差異はないことが明らかにされているから、補正明細書に実施例が比較例と対比して優れた作用効果を奏することが記載されているということはできない。

(5) 以上の(1)、(3)、(4)の点を併せて考えると、取消事由2(2)の主張は理由がないといわなければならない。

3  取消事由2(3)について

公告時明細書と補正明細書とで、先願第2発明の「感熱記録体」との構成要件に特段の変更は加えられていない。

原告は、補正明細書では、新たに代えられた実施例2において消色濃度が30日とされ、公告時明細書の「長くは数日で消色させることも可能である。」との記載から大きく逸脱しており、しかも、この組合せのものは数ある中からこれらのものに限ることにより極端に消色しにくいものを見出したのであり、通常の条件では長期間記録シートとして保存に耐える、と主張している。そして、確かに、前記1(4)において認定したとおり、補正明細書の別紙第1表によれば実施例2の消色濃度2の数値は30日であり、また、前記第二の一8(3)のとおり、公告時明細書の先願第2発明の作用効果の欄に長くは数日で消色させることも可能であるとの記載がある。

しかしながら、消色濃度2(前述のとおり、事実上記録として認められなくなる0.20の記録濃度に達する時間である。)の30日という数値を評して、消色速度がかなり遅いということはできるが、前記2(4)において補正明細書の比較例3について検討したことを考えるまでもなく、技術常識に照らせば、この程度の数値を捕えて、極端に消色しにくいというには足りないし、また、通常の条件で長期間記録シートとして保存に耐えると認めるにも足りない。

また、前記1(4)において検討したとおり、消色速度は顕色剤としての化合物の種類によって影響されるもので、消色速度を自由にコントロールすることが公告時明細書記載の先願第2発明の作用効果であって、消色速度が速いもの又は遅いものがサーモクロミズム材料として優れていると一概にはいえない。

そうすると、一見すると補正明細書の実施例2の消色濃度2の数値30日は公告時明細書記載の上記記載の範囲を外れているように見えはしても、その実、当該実施例2の作用効果は公告時明細書に記載された消色速度を自由にコントロールできるという作用効果の範囲内のものということができるから、特に新たな作用効果を加えるものでないことが明らかである。

結局、取消事由2(3)も理由がない。

三  よって、審決の違法を理由にその取消を求める原告の本訴請求は失当として棄却すべきである。

(裁判長裁判官 竹田稔 裁判官 成田喜達 裁判官 佐藤修市)

別紙第1表

区分 発色剤 顕色剤(mp) 初期カブリ 記録濃度 消色濃度1 消色濃度2 再発色濃度

実施例1 クリスタルバイオレットラクトン パラオキシ安息香酸ベンジル(111℃) 0.11 1.36 3日 20日 1.35

比較例1 同上 パラオキシ安息香酸メチル(131℃) 0.09 0.98 10秒 16秒 0.91

比較例2 同上 パラオキシ安息香酸プロピル(97℃) 0.11 1.15 5秒 9秒 1.12

比較例3 同上 パラオキシ安息香酸オクチル(45℃) 0.52 1.29 1ケ月以上 - -

実施例2 3-ジエチルアミノ-7-フエニルアミノ-6-メチルフルオラン パラオキシ安息香酸ベンジル 0.10 1.26 7日 30日 1.26

比較例4 同上 パラオキシ安息香酸エチル(116℃) 0.08 1.02 1日 5日 0.90

比較例5 同上 パラオキシ安息香酸フエニル(176℃) 0.09 0.33 - - -

別紙第2表

公告時明細書記載の実施例1ないし6の各データ

実施例No. 1 2 3 4 5 6

初期カブリ 0.09 - - - - -

記録濃度 1.02 1.15 1.1 - - -

10秒後濃度 0.12 - - - - -

再発色濃度 - 1.15 - - - -

消色濃度1 - 4.07hr(*1) - - - -

消色濃度2 - 6.18hr(*2) 1分 24hr - -

*1 D=-1.3/7.3t+1.3、D=1.15/2より算出

*2 D=-1.3/7.3t+1.3、D=0.2より算出

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