東京高等裁判所 平成4年(行ケ)28号 判決 1993年6月03日
アメリカ合衆国
オハイオ州、コスホクトン、ウォルナット・ストリート 1300
原告承継参加人
アンセル・エドモント・インダストリアル・インコーポレーテッド
同代表者
ラリー・ビー・フュレン
同訴訟代理人弁護士
大場正成
同
近藤惠嗣
同
嶋末和秀
同弁理士
戸水辰男
アメリカ合衆国
ニュージャージー州07417-1880、フランクリン・レイクス、ワン・ベクトン・ドライブ(番地なし)
原告(脱退)
ベクトン・ディッキンソン・アンド・カンパニー
同代表者
レイモンド・ピー・オールミュラー
東京都千代田区霞が関3丁目4番3号
被告
特許庁長官
麻生渡
同指定代理人
産形和央
同
中村友之
同
長澤正夫
主文
原告承継参加人の請求を棄却する。
訴訟費用は原告承継参加人の負担とする。
この判決に対する上告のための附加期間を90日と定める。
事実
第1 当事者双方の求めた裁判
1 原告承継参加人
(1) 特許庁が平成1年審判第20631号事件について平成3年9月26日にした審決を取り消す。
(2) 訴訟費用は被告の負担とする。
2 被告
主文同旨
第2 請求の原因
1 特許庁における手続の経緯等
原告(脱退)ベクトン・ディッキンソン・アンド・カンパニー(以下単に「ベクトン」という。)は、昭和62年12月3日、名称を「すべり止め付き作業用手袋」とする発明(以下「本願発明」という。)につき、1982年10月25日にしたアメリカ合衆国への特許出願に基づく優先権を主張して昭和58年10月25日にした特許出願(昭和58年特許願第199903号)の一部を特許法44条に基づき分割出願(昭和62年特許願第306844号)したところ、平成元年8月29日拒絶査定を受けたので、同年12月18日査定不服の審判を請求し、平成1年審判第20631号事件として審理された結果、平成3年9月26日「本件審判の請求は、成り立たない。」との審決があり、あわせてベクトンのため90日の出訴期間が附加され、その謄木は同年11月6日ベクトン代理人に送達された。
ベクトンは、その間、平成元年6月16日ベクトン・ディッキンソン・リサーチ・コーポレーションに対し本願発明に係る特許を受ける権利を譲渡し、同社は、同年6月20日エドモント・インコーポレーテッドにこの権利を譲渡し、原告承継参加人(以下においては単に「原告」という。)は、同年6月21日さらに同社からこの権利の譲渡を受け、平成4年2月28日特許庁長官に対し本願発明に係る特許を受ける権利の承継を届け出た。
2 本願発明の要旨
(1) 不織繊維ウェブ、織成ウェブ、又は編成ウェブからなる基材から構成されたライナー、及び手袋の多孔質外表面を形成するために前記ライナーの表面上に適用されたフォーム層よりなるラミネートから製造された作業用手袋であって、前記フォーム層はその空気含量が10ないし65%の範囲内になるように前記ライナーに適用される材料を発泡させて、前記発泡した材料を前記ライナー上に適用し、そして前記発泡した材料を硬化させることによって形成されている、前記作業用手袋
(以下「本願第一発明」という。)
(2) 不織繊維ウェブ、織成ウェブ、又は編成ウェブからなる基材から構成されたライナー、及び手袋の多孔質外表面を形成するために前記ライナーの表面上に適用されたフォーム層よりなるラミネートから製造された作業用手袋の製造方法であって、前記フォーム層を空気含量が10ないし65%の範囲内になるように、前記ライナーに適用されるフォーム層の材料を発泡させて、前記発泡した材料を前記ライナー上に適用し、そして前記発泡した材料を硬化させることによって形成することを特徴とする、前記作業用手袋の製造方法
(以下「本願第二発明」という。)
3 審決の理由の要点
(1) 本願発明の要旨は、前項記載のとおりである。
(2) これに対して、昭和55年実用新案出願公開第58614号公報(以下「第一引用例」という。)には、繊維製品の外面をプラスチックの発泡構造体をもって被覆してなる安全手袋が記載されている。
(3) 本願第一発明と第一引用例記載のものとを対比するに、本願第一発明の構成要件の前段部である「不織繊維ウェブ、織成ウェブ、又は編成ウェブからなる基材から構成されたライナー、及び手袋の多孔質外表面を形成するために前記ライナーの表面上に適用されたフォーム層よりなるラミネートから製造された作業用手袋」と第一引用例記載の繊維製品の外面をプラスチックの発泡構造体をもって被覆してなる安全手袋とは、表現上の相違はあるけれども実質的には異なるところがないことは明らかであるから、両者の相違する点は、本願第一発明では、前記フォーム層はその空気含量が10ないし65%の範囲内になるように前記ライナーに適用される材料を発泡させて、前記発泡した材料を前記ライナー上に適用し、そして前記発泡した材料を硬化させることによって形成されているというものであるのに対して、第一引用例記載のものではプラスチックの発泡構造体の空気含量及びプラスチックの発泡構造体の形成手段が不明であるということができる。
(4) そこで、この相違点について検討したところ、その結果は次のとおりである。
審判請求人(ベクトン)は、本願発明について「吸収性、つかみ性及び耐摩耗性等を考慮して決定された10ないし65%の範囲の特定の空気含量(すなわち所定の発泡度)を有する発泡材料を予め調整し、この所定の空気含量を有する発泡材料をライナー上に施した後、硬化させることを特徴とするものである。本願発明方法によれば、吸収性、つかみ性及び耐摩耗性等を考慮して決定された10ないし65%の範囲の空気含量を有するフォーム層を、機械的又は化学的手段によって容易に制御して得ることができる。また、予め発泡された材料をライナー上に施すので、フォーム層におけるセルのサイズ及び密度が均一になり、吸収性、耐久性、つかみ性等が均一、良好になる。」(審判請求書5頁12行ないし6頁5行)として、その進歩性を主張している。
しかしながら、第一引用例記載のものにおいても、発泡構造体の空気の含量率をどの程度にしたらよいかというようなことは、製造する際用途に応じて適宜定め得る事項というべきものであって、しかも、空気含量10ないし65%という数値範囲そのものも、この種プラスチックフォームにおいて普通に知られていること(例えば「プラスチックフォームハンドブック」(昭和48年2月28日、日刊工業新聞社発行。以下「第二引用例」という。)31頁ないし33頁)である。また、基材上にプラスチックフォーム層を形成する方法として、あらじめラテックスに気泡を形成してから基材上に適用し、その後硬化させることは慣用の一手段(例えば、第二引用例87頁ないし89頁、「繊維加工便覧」(昭和45年1月10日高分子刊行会発行。以下「第三引用例」という。)391頁)にすぎない。
してみると、本願第一発明の相違点に関する構成は、フォーム層の形成手段として単に慣用手段を採択し、その際、フォーム層の空気含量を従来この種フォームにおいて普通に知られている含量率に特定したものにすぎなく、そして、そのことによって格別の効果が奏されるものとも認められないから、当業者にとって容易に想到できる程度のことである。
(5) 相違点については、上記説示のとおりであるから、結局、本願第一発明は、第一引用例記載のものに基づいて当業者が容易に発明することができたものである。
(6) 以上のとおりであるから、本願第一発明は、特許法29条2項により特許を受けることができず、本願第二発明について検討するまでもなく、本願発明は拒絶すべきものである。
4 審決を取り消すべき事由
第一引用例に審決認定の技術内容が記載されていること、本願第一発明と第一引用例記載のものとの一致点及び相違点が審決認定のとおりであること、審決認定の第三引用例記載の事項が慣用の手段であること、本願第一発明の相違点に関する構成がフォーム層の形成手段として慣用手段を採択したものであることは認めるが、審決は、相違点について判断するに当たり、第二引用例記載の技術内容を誤認し、また、本願第一発明と第一引用例記載のものとの技術的思想及び作用効果における差異を看過し、その結果本願第一発明は第一引用例記載のものに基づき当業者が容易に発明することができたとの誤った判断を導いたもので、違法なものとして、取り消されるべきである。
(1) 取消事由1
審決は、第二引用例を引用して発泡構造体の空気含量10ないし65%という数値範囲がこの種プラスチックフォームにおいて普通に知られていると認定している。そして、第二引用例には、発泡剤(CFCl3)の濃度を0ないし15%の比率で変えて発泡させることにより実験的に製造された気泡の容積分率Vg=0.274ないし0.974のポリウレタンフォームが記載されている。
しかしながら、第二引用例の引用箇所が総論中の基礎理論の章に置かれていることをも考慮すると、この実験はVgが0.76ないし0.92の間で気泡構造が球状気泡構造から多面体気泡構造に移行することを示すためのものにすぎず、開示された範囲の空気含量のプラスチックフォームが一般的かつ商業的に利用されていることを示すものではなく、あくまでも気泡に関する理論を実験的に裏付けるものに留まる。
そうすると、第二引用例の当該箇所を根拠として空気含量10ないし65%という数値範囲がこの種プラスチックフォームにおいて普通に知られているとする審決の上記認定は誤っており、したがって、その範囲を選択して第一引用例記載のものに基づき当業者が本願第一発明を容易に発明することができたとの審決の判断も誤りというべきである。
(2) 取消事由2
審決は、「第一引用例記載のものにおいても、発泡構造体の空気の含量率をどの程度にしたらよいかというようなことは、製造する際用途に応じて適宜定め得る事項というべきもの」と判断した。
しかしながら、本願第一発明は、十分なつかみ性と耐摩耗性を持ち、またつかみ性を更新するに適した性質を有するようにフォーム層の空気含量を10ないし65%の範囲内となるように特定したのに対し、第一引用例には、空気含量の特定はなく、そこに記載された技術的思想は、手袋に弾性と断熱性とを与えるものに過ぎず、つかみ性と耐摩耗性を調和させたり、つかみ性の容易な更新をする目的で引っ張り強度と柔軟性とを調和させたりするために、空気含量を一定とする思想は全く示されていないから、審決の上記判断は誤りである。
すなわち、本願第一発明は、すべり止め付き作業用手袋に関するもので、すべりやすい状況下、例えば油、グリース等の存在下においても、手袋により保持すべき物体をつかめること(つかみ性)、及び手袋が一定期間の使用によりつかみ性を失ったときこれを単に絞ることによりつかみ性を回復しうること(つかみ性の更新)を技術的課題(目的)とし、その技術的課題を達成する目的で、手袋の多孔質外表面を形成するためにライナーの表面上に適用されたフォーム層がその空気含量が10ないし65%の範囲内になるように前記ライナーに適用される材料を発泡させて、前記発泡した材料を前記ライナー上に適用し、そして前記発泡した材料を硬化させることによって形成される、という技術的手段を採用している。
ところで、高い空気含量のフォーム層を用いると、つかみ性は向上するが、耐摩耗性は低下し、逆に低い空気含量のフォーム層を用いると、耐摩耗性は向上するがつかみ性は低下してしまうという二律背反の現象が存在する。また、手袋を単に絞ることによって、そのつかみ性質を更新しうるという性質は、特定の空気含量を有するフォーム層が適当な柔軟性と引っ張り強度を有することにより初めて得られる。そこで、一般には発泡プラスチックの発泡倍率は、2ないし3倍から100倍前後のものまで製造可能であるところを、本願第一発明は、フォーム層の空気含量を10ないし65%の範囲内に特定することにより、耐摩耗性と優れたつかみ性との調和及び引っ張り強度と柔軟性との調和を実現し、格別の効果をもたらすのである。
これに対し、第一引用例記載のものは、安全手袋に関する考案であり、滑りやすくこわれやすい物品を安全に取り扱う手袋を提供することを目的としており、プラスチックの発泡構造体の空気含量は示されておらず、明細書の記載から明らかなように、ガラス器具を取り扱う業務において、火傷やガラスの破損による怪我を防止するために考案され、その技術的思想は、手袋に弾性と断熱性を与えることにより一種の手袋でガラスを取り扱う操作をすべて行うようにしたものに留まる。
本願発明以前においては、手袋のつかみ性を高めるためには、つかみ表面の摩擦を増大させるように努められており、表面をでこぼこした小石のようにして気泡が壊れるように仕向けるため、本願発明の特許請求の範囲よりもずっと高い空気含量のフォーム層が手袋に使用されていた。ガラス器具を安全に取り扱うことを目的とする手袋である第一引用例記載のもの場合も同様であり、その空気含量を10ないし65%にしようという思想は出て来ない。したがって、空気含量10ないし65%の数値範囲に入るプラスチックフォーム自体が知られていたとしても、そのような数値範囲のものを手袋に用いることについて当業者が容易に想到しうるとはいえないことが明らかである。
なお、被告は、第一引用例記載のものにおいて、フォーム層の空気含量として本願発明の10ないし65%という範囲内のものが除外されていることはない、と主張する。
しかしながら、第一引用例記載のものには空気含量が明示されていないところ、本件優先権主張日当時、クッション若しくは断熱材料用に商業上使用可能だった発泡体の空気含量は80%を超えており、本願第一発明の採用した10ないし65%という低発泡のものはなかった。このことは、甲第8号証に示されており、また周知の事典類の記載からも容易に確かめることができる(世界大百科事典(1972年平凡社発行)26巻273頁第2表によれば、塩化ビニル樹脂の密度は、0.016ないし0.2g/cm3であり、岩波理化学事典第3版増補版(1981年岩波書店発行)1284頁によれば、ポリ塩化ビニル(塩化ビニル樹脂と同義)の比重は1.406である。)。したがって、塩化ビニル樹脂の空気含量は、約86ないし99%であり、本願第一発明における数値が特殊なものであることは明白である。
第3 請求の原因の認否及び被告の主張
1 請求の原因1ないし3の事実は認める。
2 同4の審決の取消事由は争う。審決の認定、判断は正当であって、審決に原告主張の違法は存在しない。
(1) 取消事由1について
審決で第二引用例の当該箇所を引用したのは、本願第一発明において用いられる空気含量のプラスチックフォームが普通に知られていることを示すためであるが、この事実は、第二引用例刊行物の他の箇所の記載からも明らかである。
(2) 取消事由2について
本願第一発明は、特許請求の範囲第1項に記載された作業用手袋であって、特定の用途、特定の目的のみに限定された作業用手袋ではなく、すべり止め付き作業用手袋についてのものではない。また、第一引用例記載のものは、別段ガラス器具を取り扱う作業用手袋に限定されず、各種の用途に使用されるうる一般的な作業用手袋である。
したがって、第一引用例記載のものは、つかみ性、耐摩耗性等作業用手袋としてもつべき性質はもともと有しており、また、すべりやすく壊れやすいものを取り扱うのに適しているため、通常ガラス器具を洗浄する際、確実につかめるということを意味し、手袋がつかみ性や吸水性に優れ、十分柔軟である性質を有するし、通常洗濯して絞り、乾燥して何度でも使用できるものであるから、第一引用例記載の手袋の有する性質は明記されていないだけで、実質的に本願発明の作業用手袋が有する作用効果をほぼ示唆している。
ところで、第一引用例には、発泡構造体の発泡の程度、すなわち空気の含量を明記していないが、作業用手袋であるから、第一引用例記載のものと同程度の作用効果を得るために発泡の度合をどの程度にするかは、製造する際に使用目的に応じて適宜決めうることである。しかも、その空気含量もプラスチックフォームとしては周知であった。
そして、第一引用例記載のものにおいて、フォーム層の空気含量が記載されていないが、本願発明の10ないし65%という範囲内のものが除外されていることもない。
したがって、周知の空気含量の範囲の中から本願発明のように10ないし65%の範囲を限定しても、格別の困難性はないというべきである。
第4 証拠関係
本件記録中の証拠目録の記載を引用する(後記理由中において引用する書証はいずれも成立に争いがない。)。
理由
1 請求の原因1(特許庁における手続の経緯)、同2(本願発明の要旨)及び同3(審決の理由の要点)の各事実は、当事者間に争いがない。
2 甲第2号証の1ないし3によれば、本願明細書には、本願発明の技術的課題(目的)、構成及び作用効果について、次のとおり記載されていることが認められる。
(1) 本願発明は、フォーム表面を有するラミネートにより形成された、つかみ表面を有する作業用手袋に関する(本願発明に係る昭和63年特許出願公開第243310号公報(以下「本願公報」という。)1頁右下欄11行ないし13行)。
過去において、作業用手袋のような物品につかみ表面を適用するために、一つの形態又は他の形態の表面模様付きの表面を形成することが、一般に行われてきたが、ある種の欠点が存在し、油状又はグリース様環境において、つかみは危険な場合に作業者にしっかりしたつかみ作用を提供する程度に生じないことがある。また、ある形の作業用手袋は、使用時に硬直しかつ曲らない傾向を有する。
本願発明は、対照的に、驚く程度に増大したつかみ作用を実質的に提供する、すなわち、フォーム表面が適用された基材から構成されたラミネートの使用により、多孔質のフォーム表面は、保持すべき物体のつかみと、同時に通常すべりを生ずる表面上の油、グリース及び水の吸収とを提供すること(本願公報1頁右下欄14行ないし2頁左上欄12行)を技術的課題(目的)とするものである。
(2) 本願発明は、前記技術的課題を解決するために本願発明の要旨記載の構成(平成2年1月17日付手続補正書2枚目3行ないし13行、3枚目10行ないし4枚目2行)を採用した。
(3) 本願発明は、前記構成により、前記(1)の欠点のない、かつ、本願発明の作業用手袋を使用するとき得られる安全度が先行技術の表面模様付き面に比較して非常に顕著であり、同時に、増大したしなやかさが作業用手袋を包含する物品に付与され、こうして製品が快適となり、再び作業環境における物品のつかみが安全となり(本願公報2頁左上欄12行ないし17行)、また、いったん手袋がある期間使用され、その結果それがつかみ性質を失ったとき、手袋を単に絞って、手袋の孔内に蓄積された油又はグリースを除去してそのつかみ性を更新することができる(本願公報2頁右下欄4行ないし8行)という作用効果を奏するものである。
3 第一引用例に審決認定の技術内容が記載されていること、本願第一発明と第一引用例記載のものとの一致点及び相違点が審決認定のとおりであること、審決認定の第三引用例記載の事項が慣用の手段であること、本願第一発明の相違点に関する構成がフォーム層の形成手段として慣用手段を採択したものであることは、当事者間に争いがない。
4 取消事由1の主張について
甲第5号証、乙第1号証によれば、第二引用例は、刊行物である牧廣=小坂田篤共編著「プラスチックフォームハンドブック」(昭和48年2月28日日刊工業新聞社発行)の一部であるが、同書には、発泡剤(CFCl3)濃度を0ないし15%の比率で変えて発泡させることにより実験的に製造された気泡の容積分率Vg=0.274ないし0.974のポリウレタンフォームが記載されている(31頁35行ないし33頁1行)が、また、同書には、プラスチックフォームはその発泡の度合、すなわち見かけ密度に応じて、低発泡フォーム、中発泡フォーム、高発泡フォームに分類され、低発泡フォームは密度0.4g/cm3以上、中発泡フォームは密度0.1ないし0.4g/cm3、高発泡フォームは密度0.1g/cm3以下と定義づけられていること、プラスチックの比重はほぼ1に近いこと、わが国では一般に、発泡倍率が3ないし4倍以下のプラスチックフォームを低発泡フォーム、これ以上を高発泡フォームと呼んでいることが記載されていること(14頁5行ないし12行)が認められる。
この認定事実によれば、空気含量10ないし65%のプラスチックフォームは中発泡フォームと低発泡フォームに相当するから、本願第一発明のフォーム層に相当する空気含量を有する中発泡フォーム、低発泡フォームが本件優先権主張日当時、当業者にとって普通に知られていたことを認めることができる。
そうすると、審決が本願第一発明のフォーム層の数値範囲がこの種プラスチックフォームにおいて普通に知られているとした判断には誤りはなく、取消事由1の主張は失当というほかはない。
5 取消事由2の主張について
(1) 前記2における認定事実によれば、本願発明は、多孔質のフォーム表面の使用により保持すべき物体のつかみと、同時に通常すべりを生ずる表面上の油、グリース及び水の吸収とを提供することを技術的課題(目的)とするものであることが認められ、また、本願発明の作用効果には、いったん手袋がある期間使用され、その結果それがつかみ性質を失ったとき、手袋を単に絞って、手袋の孔内に蓄積された油又はグリースを除去してそのつかみ性を更新しうることも含まれていると認められ、本願発明はこの点をも技術的課題としているといえなくもない。
これに対し、甲第3号証と前記当事者間に争いがない事実によれば、第一引用例は、実用新案登録出願公開公報であるが、第一引用例には、実用新案登録請求の範囲として「(1)プラスチックゴム又は繊維製品の外面を発泡構造体をもって被覆して成る手袋。(2)発泡体がプラスチック又はゴムの同一材質より成る実用新案登録請求の範囲第1項記載の手袋。(3)内面が繊維製品であり外面がスポンジゴムである実用新案登録請求の範囲第1項記載の手袋。(4)外面発泡体部を難燃性合成樹脂で構成した実用新案登録請求の範囲第1項記載の手袋。」が図面とともに記載されていることが認められる。そして、第一引用例記載のものが、滑りやすくこわれやすい物品を安全に取り扱う手袋を提供することを目的としており、ガラス器具を取り扱う業務において火傷やガラスの破損による怪我を防止するために考案され、手袋に弾性と断熱性を与えることにより、一種の手袋でガラスを取り扱う操作をすべて行うようにした技術であることは、原告において自認するところであるから、第一引用例記載の発泡構造体が滑りやすくこわれやすい物体をつかむことを技術的課題として設けられていることを容易に見て取ることができる。
ところで、発泡構造体は液体を良く吸収し、その発泡構造体を絞れば吸収された液体を除去することができるという性質をもっていることは良く知られていることであるから、第一引用例記載のものも、本願第一発明同様、通常すべりを生ずる表面上の油、グリース及び水の吸収とを提供し、いったん手袋がある期間使用され、その結果それがつかみ性質を失ったときに手袋を単に絞って、手袋の孔内に蓄積された油又はグリースを除去してそのつかみ性を更新することができる性質を有することは、その構成からみて自明であるということができる。
そうすると、本願第一発明と第一引用例記載のものとは技術的課題を共通にするものであり、この課題を達成するために採用した構成においても本願第一発明が発泡構造体の空気含量を10ないし65%とした点を除き差違がない。
(2) そこで、本願第一発明がフォーム層の空気含量を10ないし65%の範囲内になるようにしたことについての技術的な意義について検討する。
甲第2号証の1によれば、本願明細書には、「ラミネートの発泡部分を形成する材料は、(中略)機械的手段または化学的手段により発泡させることができる。好ましくは、それは機械的手段により、約10~65%の範囲内の空気含量に発泡される。好ましい範囲は、15~30%である。よりすぐれた耐摩耗性は前記範囲内のより低い空気含量を用いて得られるが、よりすぐれたつかみ性およびより低い耐摩耗性は前記範囲内のより高い空気含量を用いて得られる。」(本願公報2頁左下欄4行ないし14行)との記載があることが認められ、この認定事実と前記2の認定事実によれば、本願第一発明がフォーム層の空気含量を10ないし65%の範囲内になるようにしたのは、空気含量の高いフォーム層を用いるとつかみ性は向上するが耐摩耗性は低下し、逆に空気含量の低いフォーム層を用いると耐摩耗性は向上するがつかみ性は低下するという、二律背反の現象が存在するため、フォーム層の空気含量を10ないし65%の範囲内に限定することによって耐摩耗性と優れたつかみ性との調和並びに引張強度と柔軟性との調和を図ろうとしたことによることが明らかである。
他方、前記認定の第一引用例の記載に照らせば、当業者であれば第一引用例記載のものにおいて外面を被覆した発泡構造体もまたつかみ性を追求した空気含量を有することが容易に理解できることは自明である。
したがって、本願第一発明と第一引用例記載のものとを対比すると、本願第一発明においては、そのフォーム層は耐摩耗性又は引張強度を向上させたものであるのに対し、第一引用例記載のものにおいては発泡構造体の空気含量が不明であるから、その発泡構造体は耐摩耗性又は引張強度が本願第一発明より低い場合がありうるという点で相違するということができる。
しかしながら、物品を製造する場合、その物品の耐摩耗性又は強度を一定以上のものにすることは当業者であれば当然配慮するはずのことである。
そうしてみると、その物品が発泡構造体である場合においてもその耐摩耗性又は強度を一定以上のものにすることは当業者として当然配慮すると考えられるところ、耐摩耗性又は強度は発泡構造体の空気含量を大にすれば低下し、小にすれば向上することは技術常識である(この技術常識は、乙第1号証によって明らかな、前掲「プラスチックフォームハンドブック」の「プラスチックフォームの物性、とくに力学的性質は、みかけ密度に対してほぼ直線的な関係を示す。したがってフォームの物性は樹脂相の容積分率にほぼ比例すると考えてよい。」(14頁14行ないし15行)との記載からも明らかである。)から、耐摩耗性又は強度を所定値まで向上させるべく発泡構造体の空気含量を比較的小にすることは、当業者が容易に想到しうることというべきである。
その際、耐摩耗性とつかみ性との調和及び引張強度と柔軟性との調和を図るために、フォーム層の空気含量を10ないし65%という具体的な数値範囲内のものとした点については、前記4において検討したとおり、空気含量10ないし65%のプラスチックフォームは中発泡フォームと低発泡フォームに相当し、これら中発泡フォーム、低発泡フォームが本件優先権主張日当時、当業者にとって普通に知られていたのであるから、この数値範囲内のものを選択することが当業者にとって格別困難であったということはできない。
そうすると、「第一引用例記載のものにおいても、発泡構造体の空気の含量率をどの程度にしたらよいかというようなことは、製造する際用途に応じて適宜定め得る事項というべきもの」とした審決の判断は正当であるといわなければならない。
(3) 次いで、本願第一発明と第一引用例記載のものとの作用効果の差異の点を検討しておく。
前記のとおり本願第一発明と第一引用例記載のものの相違点が審決認定のものであることは、当事者間に争いがなく、審決認定の相違点のうち発泡構造体の形成手段の点が作用効果に直接の影響を与えないことは本件においては自明であり、かつ構成が同一である限り作用効果が共通であることは当然であるから、両者の作用効果の差異があるとすれば、本願第一発明がフォーム層の空気含量を10ないし65%にした構成を採用したことに基づくものに限られることとなる。
ところが、耐摩耗性又は強度が発泡構造体の空気含量を大にすれば低下し、小にすれば向上することは前述のとおり技術常識であるから、フォーム層の空気含量を10ないし65%にしたことによる作用効果は、第一引用例記載のものにおいてその発泡構造体の空気含量を上記数値範囲に限定した場合に予測しうる程度の作用効果であるにすぎないというべきである。
したがって、本願第一発明と第一引用例記載のものとの作用効果の差異は格別のものではないというほかはない。
(4) なお、原告は、第一引用例には発泡構造体の空気含量が明示されていないところ、本件優先権主張日当時商業上使用可能だった発泡体の空気含量は80%を超えており、本願第一発明の採用した数値は特殊なものであった、と主張する。
しかしながら、前記4において検討したとおり、本願第一発明におけるフォーム層の空気含量の数値範囲内のものは、本件優先権主張日当時当業者にとって特殊のものでなく周知であったから、当業者であれば発泡構造体の空気含量を本願第一発明の採用した数値範囲内に限定することは格別困難ではなかったとみるほかはない。
この理は、仮に当時一般的かつ商業的に利用されていた発泡構造体の空気含量の数値範囲が本願第一発明の採用した数値範囲と異なっていたとしても、何らの影響を受けるものでもないから、原告の主張は失当というほかはない。
6 よって、審決の違法を理由にその取消を求める原告の本訴請求は失当としてこれを棄却し、訴訟費用の負担及び上告のための附加期間の付与について、行政事件訴訟法7条、民事訴訟法89条、158条2項の各規定を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 竹田稔 裁判官 成田喜達 裁判官 佐藤修市)