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東京高等裁判所 平成4年(行ケ)3号 判決 1993年3月30日

東京都千代田区内神田1丁目1番14号

原告

日立プラント建設株式会社

同代表者代表取締役

西政隆

同訴訟代理人弁理士

松浦憲三

東京都千代田区霞が関3丁目4番3号

被告

特許庁長官 麻生渡

同指定代理人

和田靖也

田中靖紘

長澤正夫

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第1  当事者双方の求めた裁判

1  原告

(1)  特許庁が平成1年審判第21111号事件について平成3年10月24日にした審決を取り消す。

(2)  訴訟費用は被告の負担とする。

2  被告

主文同旨

第2  請求の原因

1  特許庁における手続の経緯

原告は、昭和59年2月9日、名称を「廃水の微生物学的脱窒素脱リン処理方法」とする発明(以下「本願発明」という。)について特許出願(昭和59年特許願第22272号)したところ、平成元年8月8日拒絶査定を受けたので、平成元年12月27日審判を請求し、平成1年審判第21111号事件として審理された結果、平成3年10月24日、「本件審判の請求は、成り立たない」旨の審決があり、その謄本は同年12月9日原告に送達された。

2  本願発明の要旨

廃水中に溶解している有機化合物、窒素化合物及びリン化合物を嫌気性処理及び好気性処理を組み合わせて微生物学的に除去する廃水の浄化処理方法において、前記好気性処理はポリアクリルアミド、アルギン酸カルシウム、光硬化性樹脂等のゲルを形成しうる有機物からなる担体に硝化菌を包括固定した粒状体の存在で行うことを特徴とする廃水の微生物学的脱窒素脱リン処理方法

3  審決の理由の要点

(1)  本願発明の要旨は、前項記載のとおりである。

(2)  これに対し、昭和58年特許出願公開第216790号公報(以下「第一引用例」という。)には、「BOD成分、窒素成分およびリン成分を含む汚水と返送汚泥の混合液を嫌気工程で処理し、引続いて環境系路を有する脱窒工程と硝化工程とで処理するに際し、前記硝化工程には生物の固定手段を含ませたことを特徴とする汚水を生物学的に脱窒、脱リンする方法」が記載されている。特に、同公報3頁左上欄14行目ないし18行には、「本発明の硝化槽に用いる生物の固定手段としては、上述したような回転円板装置に限らず、ハニカムチューブなどからなる固定床式など、微生物を固定できるものならその種類を選ばない。」と、各種固定手段が使用しうることが記載されている。

(3) また、Biotechnology and Bioengineering vol. XXIV NO.7(1982)(以下「第二引用例」という。)、1591頁下から13行ないし8行には、「細胞を包括固定化することに関する多くの研究報告がなされている。細胞を固定化する方法の成功例としては、……高分子物質(例えばアルギン酸塩のゲル及びポリアクリルアミドのゲル)に包み込ませる方法がある」と高分子物質のゲル粒状物中に微生物を包み込む固定手段が記載されている。

(4)  本願発明と第一引用例記載のものとを対比すると、硝化工程とは好気性処理をいうから、両者は、廃水中に溶解している有機化合物、窒素化合物及びリン化合物を嫌気性処理及び好気性処理を組み合わせて微生物学的に除去する廃水の浄化処理方法において、前記好気性処理を固定された微生物の存在下で行う処理方法である点で一致するが、本願発明が、(ⅰ)ポリアクリルアミド、アルギン酸カルシウム、光硬化性樹脂等のゲルを形成しうる有機物からなる担体を固定手段として用いる点、及び(ⅱ)前記好気性処理を硝化菌を包括固定した粒状体の存在で行うのに対し、第一引用例は前記処理に生物の固定手段を含ませる点で、相違する。

(5)  そこで、上記相違点について検討する。まず、相違点(ⅰ)についてみると、第一引用例記載の硝化工程での固定手段の担体は、第一引用例3頁に記すように回転円板装置にとどまらず、ハニカム、チューブ等微生物を固定できるものならその種類を選ばないものである。しかして、本願発明で規定するポリアクリルアミド、アルギン酸カルシウム等の高分子ゲルの粒状担体は、第二引用例の1591頁に記載されているように当業者によく知られた担体であるところから、第一引用例記載の固定手段としてこのポリアクリルアミド、アルギン酸カルシウム等のゲルを形成しうる有機物からなる粒状担体を使用し、上記相違点(ⅰ)に想到する程度のことは当業者が容易になしうることである。

次に、相違点(ⅱ)についてみると、亜硝酸菌は硝酸菌とともに二酸化炭素を唯一の炭素源として細胞合成をおこなう自栄養性細菌として周知の微生物であり、それら菌の併用も通常に採られている。そして、併用硝酸菌は第二引用例に示されたように包括固定化されるものであり、かつ、その固定物は硝化活性があるものであるから、第一引用例記載の好気性処理に使用する微生物として前記併用硝酸菌を使用し、かつ、それを包括固定化して存在させる程度のことは、当業者の容易に想到しうるところである。しかも、本願明細書の記載をみても、包括固定物の採用に特段の意味を認めることはできない。

したがって、上記相違点(ⅱ)は、第一引用例、第二引用例の記載に基づいて当業者が容易になしうる事項と認める。

(6)  以上のとおりであるから、本願発明は、第一引用例、第二引用例に記載された発明に基づいて当業者が容易になしえた発明というほかはなく、特許法29条2項の規定により特許を受けることができない。

4  審決を取り消すべき事由

第一引用例及び第二引用例に審決認定の技術内容が記載されていること(ただし、第二引用例に高分子物質のゲル粒状物中に微生物を包み込むことが記載されているとする部分を除く。)、本願発明と第一引用例記載の発明との一致点及び相違点が審決認定のとおりであることは認めるが、審決は、各引用例記載の発明の技術内容を誤認し、また、本願発明の顕著な作用効果を看過した結果、相違点の判断を誤ったもので、違法であるから、取り消されるべきである。

(1)  取消事由1

審決は、第二引用例に高分子物質のゲル粒状物中に微生物を包み込む固定手段が記載されていると認定したうえ、本願発明で規定するポリアクリルアミド、アルギン酸カルシウム等の高分子ゲルの粒状担体は第二引用例に記載されるように当業者によく知られた担体であるところから、第一引用例記載の固定手段としてこのゲルを形成しうる有機物からなる粒状担体を使用し、相違点(ⅰ)に想到する程度のことは当業者が容易になしうることであると判断している。

しかしながら、第二引用例には、粒状担体については何ら記載されていない。すなわち、第二引用例の1591頁下から13行ないし8行には「細胞を包括固定化することに関する多くの研究報告がなされている。細胞を固定化する方法の成功例としては、適当な吸着材(例えばイオン交換樹脂)への吸着、及び高分子物質(例えばアルギン酸塩のゲル及びポリアクリルアミドのゲル)に包み込ませる方法がある。」と記載され、「高分子物質のゲル」に微生物を固定することは記載されているが、「ゲル粒状物」に包み込むことは記載されていない。

また、第一引用例には、「本発明の硝化槽に用いる生物の固定手段としては、上述したような回転円板装置に限らず、ハニカムチューブなどからなる固定床式など、微生物を固定できるものからその種類を選ばない。」(3頁左欄14行ないし18行)と記載されているが、具体的には硝化槽として回転円板以外にはハニカムチューブからなる固定床式が使用されうることが開示されているのみであって、第一引用例は本願発明の微生物をゲル粒状体に閉じ込めた包括固定化微生物を示唆するものではない。

なお、被告は、この点に関し、乙第1号証の1ないし5(以下において、これらを合わせ枝番号を略して単に「乙第1号証」という。)にゲル粒状物が記載されていると主張する。

しかし、乙第1号証は、審判手続において、拒絶理由通知の際に引用例として掲げられていないし、審決においてもこれを引用例として掲げていないから、本件訴訟において乙第1号証を勘酌することはできず、被告の主張は失当である。また、そうでないとしても、乙第1号証は、固定化酵素に関する文献であり、主に医薬品分野、食品添加物分野の酵素の固定化に関するものであり(77頁下から5行)、廃水処理分野のものではない。さらに、乙第1号証には、アクリルアミドゲル法で微生物を固定化することが記載されている(76頁下から8行ないし9行)が、この微生物は自己消化させて(死亡させて)体内に存在する酵素を触媒反応に利用しようとするものであり(79頁7行ないし8行)、廃水処理分野の微生物の使い方(生きている微生物を使う)とは基本的に概念が異なる。したがって、いずれにしても、乙第1号証に記載された粒状物は本願発明の特許性に影響を与えるものではない。

したがって、審決は、各引用例記載の技術内容を誤認して相違点(ⅰ)の判断を誤ったものである。

(2)  取消事由2

審決は、相違点(ⅱ)に関して、第二引用例には、併用硝酸菌を包括固定化することが示されているとの認定を前提に、第一引用例記載の好気性処理に使用する微生物として併用硝酸菌を使用し、それを包括固定化して存在させる程度のことは当業者の容易に想到しうるところである、と判断している。

しかしながら、第二引用例にはニトロソモナス(亜硝酸菌)の包括固定化は記載されているが、併用硝酸菌の包括固定化については記載されていない。第二引用例に開示されているニトロソモナス(亜硝酸菌)のみを包括固定化するとゲル内部に亜硝酸が蓄積され、この亜硝酸は極めて毒性が高いから、微生物即ち亜硝酸菌が死滅するという自家中毒につながる。これに対し、本願発明では、毒性物質の亜硝酸をゲル中の硝酸菌により、硝酸に変え毒性を無くしており硝化菌(硝酸菌と亜硝酸菌)により第二引用例記載のもので問題となる自家中毒を解消している。

したがって、審決は、第二引用例の記載内容の認定を誤って相違点の判断を誤ったものである。

(3)  取消事由3

審決は、本願明細書の記載をみても包括固定物の採用に特段の意味を認めることができないとしたうえ、相違点(ⅱ)は第一引用例、第二引用例記載のものに基いて当業者が容易になしうる事項であると判断している。

しかしながら、本願発明により第一引用例及び第二引用例記載のものに見られない次のような顕著な作用効果が得られるのに、審決は、この作用効果を看過している。

<1> 本願発明では、硝化菌の量が人為的にコントロールできる。すなわち、微生物が自然付着する回転円板式と比べて菌体密度を高くすることができ、その分廃水の処理効率が高まる。

<2> 本願発明では、粒状体を用いるので、流動性が良く、浮遊菌が付着しない。

<3> 本願発明は、粒状体を用いるため、硝化槽の菌充填率を回転円板と比べて高くすることができ、硝化槽の効率を高め、小型化を図ることができる。

<4> 回転円板方式では、硝化菌は最初円板に付着し、一定の厚さにまで肥厚すると剥離して浮遊汚泥となるがこの浮遊汚泥は返還汚泥となり、リンの摂取妨害因子となるのに対し、本願発明は、硝化菌を粒状ゲル内に閉じ込める。

<5> 回転円板方式では硝化菌は最初円板に付着し、一定の厚さにまで肥厚すると剥離し、剥離した汚泥は浮遊しているリン摂取菌と混合される。硝化菌はその硝化作用によりアンモニアから一時的に亜硝酸を生成するが、この亜硝酸の毒性が浮遊しているリン摂取菌の生長を阻害する。

これに対し、本願発明では粒状ゲルに硝化菌を包括固定し、この硝化菌により硝化反応を行なう。一方、有機リンは汚水中に浮遊しているリン摂取菌によって除去される。このように、本願発明では、ゲル中の硝化菌と液中のリン摂取菌を分けているので、菌は別個の雰囲気中で純粋培養され、この結果菌の成長が良くなり、汚水処理が高まり、廃水処理効率が回転円板方式より高くなる。

<6> 本願発明では、粒状ゲルに硝化菌を包括固定し、硝化菌が粒状ゲルに包まれているため、硝化菌の増殖に伴う放出熱をゲル内部に保持することができ、外部温度の影響を受けにくくなるので、環境因子特に冬季の硝化菌の活性低下を防ぐことができ、安定して水質の良好な処理水を得ることができる。

<7> 第二引用例に示されている亜硝酸菌のみを包括固定化すると、ゲルから菌体がリークし、菌の種類が一種類であると多糖類を生成せず、菌がゲルに閉じ込められにくく、菌の密度が十分に上がらず、また増殖した菌体は廃水中に移行して汚泥となる。

これに対し、本願発明では硝酸菌と亜硝酸菌とから成る複数の菌が共存し、多糖類が生成され、菌が互いにバインディングし、リークしない。

第3  請求の原因の認否及び被告の主張

1  請求の原因1ないし3の事実は認める。

2  同4の審決の取消事由は争う。審決の認定、判断は正当であって、審決に原告主張の違法は存在しない。

(1)  取消事由1について

確かに、第二引用例にはゲルの粒状物に微生物を包括固定化することは直接には記載されていない。しかし、一般に微生物や酵素を担体に包括固定化する場合、担体(例えばポリアクリルアミドゲル)が粒状体で用いられることは、乙第1号証から明らかなように本件出願前に周知であった。それゆえ、審決は第二引用例の「細胞を固定化する方法の成功例としては……高分子物質(例えばアルギン酸塩のゲル及びポリアクリルアミドのゲル)に包み込ませる方法がある」との箇所を「高分子物質のゲル粒状物中に微生物を包み込む固定手段が記載されている」と認定したのである。

また、第一引用例記載の発明の技術的思想の核心は、硝化工程に微生物の固定手段を含ませた点にあり、微生物を固定化することができさえすればその目的ないし課題は達成されるから、第一引用例記載の発明において使用できる固定化手段は生物膜法に限定されるわけではない。

したがって、審決に原告主張のような技術内容の誤認はなく、相違点判断の誤りはない。

(2)  取消事由2について

第二引用例は「高分子電解質錯体によるニトロソモナス・ヨーロペア細胞の固定化」と題する研究論文であり、ニトロソモナスという単独の菌のみを固定化することしか記載されていないのは当然である。そして、第二引用例に併用硝酸菌そのものの包括固定化が直接記載されていないのは事実であるが、廃水の生物学的脱窒素法において、亜硝酸菌と硝酸菌とが併用されることは本件出願前において周知であり、亜硝酸菌と硝酸菌とが併用されて混在したものを「硝化菌」と称することも本件出願前周知であったから、審決が第二引用例の記載内容を誤認したことはない。

(3)  取消事由3について

第一引用例記載の発明の固定手段は特定されておらず、回転円板方式はあくまでも一例にすぎないから、本願発明の作用効果を回転円板方式のものと直接比較するのは意味がない。そして、本願明細書によれば、実施例に記載された従来法1及び2は硝化菌を全く固定しておらず、しかも、包括法以外の固定化により得られる効果との比較もされていないから、本願発明の効果は硝化菌を固定しない場合との比較でしか評価できないものである。したがって、本願発明の効果を主として第一引用例記載の回転円板方式のものと比較して、審決は本願発明の顕著な作用効果を看過しているとする、原告の主張は理由がない。

そのうえ、原告の作用効果に関する個々の主張も、次のとおり失当というべきである。

<1> 菌体密度を高くすることができるとの点は、菌を粒状体に包括固定した場合、粒状体の内部にまで固定できるから、回転円板式と比べれば当然のことである。

<2> 流動性が良く、浮遊菌が付着しないとの作用効果は、本願明細書に記載されていないし、粒状体という形状からみて当業者であれば容易に予測できる程度のものである。

<3> 硝化槽の菌充填率を高くしうることは、個々の容積が小さい粒状体と容積が大きく且つ槽内に固定された回転円板との形状の違いからみて理の当然である。

<4> 菌が粒状ゲル内に閉じ込められるとの作用効果は、菌を包括固定することによってもたらされる当然の結果であり、当業者であれば容易に予測することができる事項にすぎない。

<5> 菌が別個の雰囲気中で純粋培養され、この結果菌の成長が良くなり、汚水処理効率が高まる、との原告の主張も、本願明細書の記載に基づかず、また、リンは硝化菌によっても摂取されるから、リンの摂取が液中のリン摂取菌のみによるとの主張は、それ自体失当である。

<6> 硝化菌の増殖に伴う放出熱をゲル内部に保持できること、外部温度の影響を受けにくくなることは、硝化菌を包括固定することによってもたらされる当然の結果であり、当業者であれば容易に予測することができる事項にすぎない。

<7> 多糖類が生成したり、菌が互いにバインディングし、リークしないとの作用効果は、本願明細書に記載されていないし、第二引用例に示された亜硝酸菌のみを包括固定化するとゲルから菌体がリークしたり、菌の種類が一種類であると多糖類を生成しないというようなことは、根拠がない。

第4  証拠関係

本件記録中の証拠目録の記載を引用する(後記理由中において引用する書証は、すべて成立に争いがない。)。

理由

1  請求の原因1(特許庁における手続の経緯)、同2(本願発明の要旨)及び同3(審決の理由の要点)の各事実は、当事者間に争いがない。

2  甲第2、第3号証、第11号証によれば、本願明細書には、本願発明の技術的課題(目的)、構成及び作用効果について、次のとおり記載されていることが認められる。

(1)  本願発明は、廃水中に溶解している有機化合物、窒素化合物及びリン化合物の三者を微生物学的に除去する廃水の処理に関する(本願公報1欄13行ないし15行)。

微生物を予め嫌気的条件下に、次いで好気的条件下に置くと、微生物が水中のリンを細胞内に過剰摂取することが判明して以来、廃水中の有機化合物、窒素化合物及びリン化合物の三者を微生物学的に除去するための種々の方法及び装置が検討されできた。しかしながら、現在まで良好な処理結果は得られていない。その主な原因は、窒素化合物及びリン化合物を除去する好気性処理の好適条件が相互に異なるので有機化合物、窒素化合物及びリン化合物の三者を安定して低濃度まで除去することが非常に難しいことである。また、廃水の温度が低下すると、硝化菌の増殖が遅くなるため、好気槽内の硝化菌が不足し、硝化反応が著しく低下するという重大な欠点がある。このような廃水処理に際して、硝化工程において生物の固定手段を含ませて、生物学的に脱窒、脱リンする方法が提案されている(第一引用例)。また、第二引用例には、特定の亜硝酸菌を特殊な高分子電解質錯体によって固定化することが提案されている。第一引用例記載の方法は従来の浮遊型の処理方法に比べると硝化脱リンの反応速度が高まっているが、冬季の低温水時には夏期に比して著しく低下する。したがって水温低下に伴う水質の悪化を解消するという技術的課題は解消されていない。第二引用例には特定の亜硝酸菌を特殊な高分子電解質錯体によって固定化したとき亜硝酸生成反応が起きる旨記載されている。しかし、第二引用例記載の方法では一般的な微生物の固定化手段が提案されているのみで、水温低下に伴う水質の悪化の解消に対しては、特に配慮されていない(本願公報1欄16行ないし3欄3行、手続補正書2頁6行ないし3頁7行)。

本願発明は、前記の従来技術の欠点を解消し、有機化合物、窒素化合物及びリン化合物の三者を安定して低濃度まで除去でき、水温低下時にも処理水質が悪化しない廃水の処理方法を提供すること(本願公報3欄4行ないし8行)を技術的課題(目的)とするものである。

(2)  本願発明は、前記技術的課題を解決するために本願発明の要旨記載の構成(手続補正書4頁2行ないし10行)を採用した。

(3)  本願発明の方法は、前記構成を採用して、好気槽に硝化菌を包括固定した粒状体を充填しておくことにより、好気槽における汚泥滞留時間を短くしても、硝化反応を十分に行いうるので、冬期にも脱窒及び脱リン処理を好適に行うことができ、安定して水質の良好な処理水を得ることができ、また好気槽の容量を著しく縮小することができる(本願公報5欄38行ないし44行)という作用効果を奏するものである。

3  第一引用例及び第二引用例に審決認定の技術内容が記載されていること(ただし、第二引用例に高分子物質のゲル粒状物中に微生物を包み込むことが記載されているとする部分を除く。)、本願発明と第一引用例記載の発明との一致点及び相違点が審決認定のとおりであることは、当事者間に争いがない。

4  取消事由1について

(1)  原告は、第二引用例には粒状担体に関する記載がない、と主張するので、まず、この点に関する第二引用例の記載について検討する。

甲第5号証と前記当事者間に争いがない事実によれば、第二引用例は、国府田悦男、松本ワタル及び中村以正の共同執筆に係る「高分子電解質錯体によるニトロソモナス・ヨーロペア細胞の固定化」と題する研究論文を記載した英文学術専門誌であること、第二引用例には、「細胞を包括固定化することに関する多くの研究報告がなされている。細胞を固定化する方法の成功例としては、……高分子物質(例えばアルギン酸塩のゲル及びポリアクリルアミドのゲル)に包み込ませる方法がある」(1591頁下から13ないし8行)と記載されていることが認められる。

そこで、第二引用例に微生物をゲル状粒物に包み込むことが記載されていると判断することができるかどうかについて判断を進める。

第二引用例にゲルの粒状物に微生物を包括固定化することについての直接的な記載がないことは、当事者間に争いがない。

しかしながら、甲第2号証、乙第1号証によれば、千畑一郎編集「固定化酵素」(昭和50年11月1日第1版第2刷発行、発行所株式会社講談社)には、微生物の固定化法として、ポリアクリルアミドゲルの微細な格子の中に微生物を取り込んで固定化するアクリルアミドゲル法と呼ばれる方法があること、このアクリルアミドゲル法は、基本的には同書の酵素の固定化の項(2.1.3)で述べたポリアクリルアミドゲルの製法と同じであること(76頁20行ないし25行)、同書の酵素の固定化の項(2.1.3)には、包括法の場合にはポリアクリルアミドゲルを作ったのちになんらかの方法によって適当な大きさの粒子に成形していること(52頁10行ないし11行)が記載されていること、同書記載の微生物の包括固定の方法は、本願明細書にも記載されていること(本願公報5欄6行ないし8行)が認められるから、微生物の固定化法としてゲル粒状体中に微生物を包み込むことは、当時周知技術であったと認定することができる。

したがって、当業者であれば、当然上記の第二引用例記載の方法の中にこの周知の固定化法が含まれることを理解しえたということができる。

そうすると、第二引用例に粒状担体に関する記載がない、との原告の主張は失当であるというべきである。

(2)  次いで、原告は、第一引用例は、具体的には回転円板法、固定床法等の生物膜法を開示しているのみで本願発明の包括固定化微生物の構成を示唆していない、と主張するのでこの点に関する第一引用例の記載を検討する。

甲第4号証と前記当事者間に争いがない事実によれば、第一引用例は、特許出願公開公報であること、第一引用例には、特許請求の範囲として、「BOD成分、窒素成分およびリン成分を含む汚水と返送汚泥の混合液を嫌気工程で処理し、引続いて環境系路を有する脱窒工程と硝化工程とで処理するに際し、前記硝化工程には生物の固定手段を含ませたことを特徴とする汚水を生物学的に脱窒、脱リンする方法」(1頁左下欄6行ないし11行)が記載されているが、生物の固定手段の種類を限定する記載はないことが認められる。

したがって、第一引用例記載の発明における上記固定手段を、原告主張のように回転円板法、固定床法等の生物膜法に限定して解することはできないというべきである。

このことは、第一引用例の発明の詳細な説明の項(3頁左上欄14行目ないし18行)に「本発明の硝化槽に用いる生物の固定手段としては、上述したような回転円板装置に限らず、ハニカムチューブなどからなる固定床式など、微生物を固定できるものならその種類を選ばない。」との記載があること(この事実は前記のとおり当事者間に争いがない。)からも裏付けられるということができる。

そうすると、上記原告の主張も理由がないといわなければならない。

(3)  なお、原告は、乙第1号証は、拒絶理由通知の際及び審決において引用例として掲げられていないから、本件訴訟において乙第1号証を斟酌することはできない、と主張している。

確かに、甲第1号証及び弁論の全趣旨によれば、乙第1号証は、拒絶理由通知書において拒絶理由として通知されておらず、また審決の理由中においても同証について判断を加えた部分が見当たらないことが、明らかにされている。

しかしながら、被告が本訴において第二引用例に記載された技術内容を正確に理解するための資料として乙第1号証を提出したことは、被告の主張立証に徴して明らかであり、現に乙第1号証は、上記(1)において述べたとおり、第二引用例の記載事項を理解するために当時の周知技術を明らかにするのに役立っているだけであるから、これらの限度で乙第1号証を本訴において証拠として採用することには、何らの妨げもないというべきであり、原告の上記主張は理由がない。

(4)  また、原告は、乙第1号証は、廃水処理分野のものではないし、同証に記載されたアクリルアミドゲル法で微生物を固定化する方法は微生物を死亡させて体内に存在する酵素を触媒反応に利用しようとするもので、生きている微生物を使う方法とは基本的に概念が異なるから、本願発明の特許性に影響を与えるものではない、とも主張して、相違点(ⅰ)の判断の誤りの主張を基礎付けている。

しかしながら、乙第1号証によれば、同証には、「ポリアクリルアミドゲルの穴の大きさは、さきにも述べた(2.1.3項)ように、重合反応に用いるモノマー、および架橋剤の濃度によって異なるが、平均10~40Å程度と思われる。したがって、菌体はもちろん、使用中に細胞外に出た高分子の酵素タンパク質あるいは核酸などもゲルから外には出ない。しかし、低分子の基質および反応生成物は自由にこのゲルの格子を出入りすることができる。」(77頁図2-7下1行ないし6行)との記載があることが認められる。

この記載によれば、ポリアクリルアミドゲルは菌体に完全に固定化できること及び低分子物質は該ゲルの格子を自由に出入りすることができることが周知であり、これらの周知事項は事柄の性質上技術分野を限定する事項ではない、ということができる。

ところで、後記5(4)で後述するように、硝化工程において固定する微生物として亜硝酸菌と硝酸菌を選択することは、当業者であれば容易に想到しえたことである。そして、甲第4号証によれば、第一引用例には、「したがって硝化槽3は、好気性に保たれ、微生物はアンモニアを硝酸または亜硝酸にするとともに呼吸によるエネルギーで正リン酸を取り込み、体内にポリリン酸の形で貯蔵する。」(2頁左下欄6行ないし10行)との記載があることが認められ、第一引用例記載の発明における硝化工程で硝化菌によって処理される成分はアンモニアで、その生成物は硝酸及び亜硝酸であっていずれも低分子物質であることが明らかである。

したがって、当業者において、ポリアクリルアミドゲルによって硝化菌を完全に包括固定することができること、その際にアンモニア、硝酸、亜硝酸等がゲルの格子を自由に出入りすることができることは、容易に理解しえたから、前記のとおり第二引用例に記載されているということができるポリアクリルアミドゲル粒状体を第一引用例記載の発明における硝化工程の生物の固定手段に適用することは容易に予測しうることであったというほかはない。

また、乙第1号証によれば同証には、「この条件で得た固定化E.coliの生菌体が示すアスパルターゼ活性に対する収率は約70%であった。」(79頁5行ないし7行)との記載があることが明らかであり、同証において生菌体を使用することも示されており、乙第1号証記載の微生物はすべて死亡させて体内に存在する酵素を触媒反応に利用しようとするものであると断ずることもできない。

したがって、第一引用例記載の固定手段として第二引用例記載の粒状担体を使用して本願発明に想到する程度のことは当業者が容易になしうることとした相違点(ⅰ)に関する審決の判断には誤りはなく、原告の上記主張は、結局、失当である、というべきである。

5  取消事由2について

(1)  原告は、相違点(ⅱ)に関する審決の判断について、第二引用例には亜硝酸菌の包括固定化は記載されているが、併用硝酸菌の包括固定化については記載されていないから、この技術を適用しても本願発明のように毒性物質の亜硝酸をゲル中の硝酸菌により硝酸に変え毒性をなくすことができないのに、第二引用例に前記記載があることを前提としてした審決の相違点(ⅱ)の判断は誤りである、と主張する。

(2)  甲第8号証と弁論の全趣旨によれば、下水道協会誌は、社団法人日本下水道協会が発行する業界誌であるが、その1970年7月号中の遠矢泰典「生物学的脱窒素法に関する研究(Ⅰ)」には、汚水処理における生物学的脱窒法の原理の説明として、「硝化タンクはこのように硝化菌の生物酸化作用によって流入NH4-NをNO2-N、NO3-Nにまで酸化する機能をもっている」(23頁左欄3行ないし5行)との記載及び「活性汚泥中に野生的に生息している亜硝酸菌(代表種としてNitrosomonas)、硝酸菌,(代表種としてNitrobacter)などのいわゆる硝化菌の代謝機能によって汚水中に溶存しているNH4-Nを、好気的条件下で次に示すような生物化学的反応にしたがってNO2-N、NO3-Nにまで酸化する。

Nitrosomonasによる生物酸化反応

NH4++1.5O2→NO2-+H2O+2H+……(1)

Nitrobacterによる生物酸化反応

NO2-+0.5O2→NO3-……(2)

式一(1)、(2)より、

NH4++2O2→NO3-+H2O+2H+……(3)」

(22頁右欄30行ないし41行)との記載があることが認められる。

同誌が業界誌であることを考慮すると、上記各記載から、汚水処理において、亜硝酸菌と硝酸菌等とが併用されて混在したものを硝化菌と称すること、汚水処理における硝化工程で硝化菌を使用すること、すなわち亜硝酸菌と硝酸菌とを併用することにより、汚水中のNH4-NをNO2-N、NO3-Nにまで酸化することは、周知であるということができる。

(3)  ところで、第二引用例に細胞を包括固定化することが記載されているが、当業者であればその方法の中に周知の微生物の固定化法としてゲル粒状体中に微生物を包み込む固定化法が含まれることが理解しえたことは、前記4(1)において検討したとおりである。

そうすると、上記(2)認定の周知技術を理解している当業者であれば、第二引用例に併用硝酸菌を包括固定化することが直接記載されていなくとも、第二引用例の示す包括固定化に用いる微生物として亜硝酸菌と硝酸菌とを選択して併用することは容易に理解できることというべきである。

そして、審決の「併用硝酸菌は第二引用例に示すように包括固定化されるものであり」との認定は、「亜硝酸菌は硝酸菌と共に二酸化炭素を唯一の炭素源として細胞合成をおこなう自栄養性細菌として周知の微生物であり、それら菌の併用も通常に採られているところである。」との認定に続くものであることからして上記の趣旨と理解することができるから、第二引用例についての審決の認定に誤りがあることを前提とする原告の前記主張は理由がない。

(4)  そして、甲第4号証によれば、第一引用例には、従来の硝化槽では、年間を通じて8ないし12時間が硝化細菌を良好に維持する条件であるのに対し、リン除去の好気条件は3ないし4時間であって、両条件は異なるところ、第一引用例記載の発明は、硝化槽に生物固定手段を設けることにより、2ないし6時間という短時間で硝化反応とリン吸収反応を可能としたが、これは、従来の混合形に比し生物相が相違するためであると考えられる(2頁右下欄10行ないし3頁左上欄9行)、と記載されていることが認められる。

上記認定事実の下で考えると、第一引用例記載の発明の硝化工程においては生物固定手段が採用されているが、第一引用例に記載された硝化槽では従来の混合形と比べて生物相が相違すると考えられているのであるから、第一引用例記載の発明においては特定の種類の菌を固定したものと判断される。ところで、第一引用例記載の発明において、固定手段を設けたことにより好適条件が従来法のそれと大幅に異なっているということができる生物は、硝化菌であることが明らかであるから、第一引用例記載の発明において固定されている生物は主として硝化菌であるというべきである。

そして、硝化工程における硝化菌として、亜硝酸菌と硝酸菌とを併用することは、前記(2)において検討したとおり、周知であるから、硝化工程において固定する生物として亜硝酸菌と硝酸菌とを選択することは、当業者であれば容易に想到しえたことであるといわなければならない。

したがって、第一引用例記載の好気性処理に使用する微生物として併用硝酸菌を使用し、それを包括固定化して存在させることが当業者に容易に想到しえたことであるとした審決の判断は正当である。

6  取消事由3について

(1)  前記2(3)の認定事実によれば、本願発明の作用効果は、

(A)  硝化槽における汚泥滞留時間が短い、

(B)  冬期を含め年間を通じて脱窒及び脱リン処理を好適に行うことができる、

(C)  硝化槽の容量を著しく縮小することができる、

の三点にあると認められる。

(2)  前記(A)及び(B)の作用効果について

甲第4号証によれば、第一引用例には、第一引用例記載の発明の作用効果に関し、生物の固定手段を介在させると硝化槽の滞留時間が2ないし6時間という極めて短時間で硝化反応とリン吸着反応が可能となる(3頁左上欄5行ないし8行)と記載されていることが認められるが、ここでいう滞留時間が年間を通じてのものであることは甲第4号証2頁右下欄14行の記載と対比すれば明白であるから、第一引用例記載の発明における硝化工程において亜硝酸菌と硝酸菌とをポリアクリルアミドゲル粒状体に包括固定した場合にも、第一引用例記載の発明の上記作用効果と同種の作用効果が得られることは、硝化菌の固定という点から、当業者において当然予想できる範囲の事項であるということができる。

したがって、本願発明の前記(A)及び(B)の作用効果が予想外のものであるということはできない。

(3)  前記(C)の作用効果について

甲第4号証によれば、第一引用例には、第一引用例記載の発明の作用効果として、生物の固定手段を介在させたことにより、硝化槽の滞留時間を短くして、硝化槽容量を小さくすることができるという利点がある(3頁左上欄5行ないし13行)と記載されていることが認められる。

この認定事実によれば、この作用効果は、生物の固定手段を介在させたことにより奏せられるのであるから、第一引用例記載の発明における硝化工程において亜硝酸菌と硝酸菌とをポリアクリルアミドゲル粒状体に包括固定した場合にも同種の作用効果が得られることは当然予測できるものであるといわなければならない。

そうすると、本願発明の前記(C)の作用効果も予想外のものということはできない。

(4)  原告が請求の原因4(3)の<1>ないし<7>で主張する作用効果について

甲第2、第3号証によれば、本願発明の作用効果は、前記(1)において(A)ないし(C)として認定したものに尽き、請求の原因4(3)の<1>ないし<7>に示された作用効果のうち上記(A)ないし(C)の範囲を超えるものは、本願明細書に記載されていないことが認められ、また本件全証拠によっても、請求の原因4(3)の<1>ないし<7>に表示された作用効果のうち上記(A)ないし(C)の範囲に含まれないものが本願発明によって当然にもたらされることを認めるには足りない。

(5)  そうすると、審決の本願発明の作用効果に関する判断は正当であり、顕著な作用効果を看過したとの原告の主張は理由がない。

7  よって、審決の違法を理由にその取消を求める原告の本訴請求は失当としてこれを棄却し、訴訟費用の負担について、行政事件訴訟法7条、民事訴訟法89条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 竹田稔 裁判官 成田喜達 裁判官 佐藤修市)

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