東京高等裁判所 平成5年(う)1197号 判決 1994年2月10日
主文
原判決中被告人に関する部分を破棄する。
本件を横浜地方裁判所に差し戻す。
理由
本件控訴の趣意は、弁護人岡本清一、同富田孝三提出の控訴趣意書に、これに対する答弁は、検察官淡路竹男提出の答弁書にそれぞれ記載されたとおりであるから、これらを引用する。
控訴趣意中訴訟手続の法令違反の主張について
所論は、要するに、原判決は、本件公訴事実につき被告人を有罪(懲役一年四月、四年間執行猶予、付保護観察)と認定したが、原審の訴訟手続には、原判示第二の事実(以下、「本件」という。)の審理に当たり、被告人の立会権及び証人尋問権を奪って、証人Tの期日外の尋問を実施し、その尋問調書を証拠として取り調べた点において、憲法三七条二項、刑訴法一五七条に違反し、判決に影響を及ぼすことが明らかな法令違反があるというのである。
記録によると、本件公訴事実は、暴力団Y組幹部の地位にある被告人が、同組幹部のNと共謀の上、組員のTが、覚せい剤事犯で有罪判決を受けたため組から脱退したいと申し出たのに対し、川崎市内のマンションにある組事務所において、こもごも「シャブやったんだから、けじめをつけて指を詰めろ。」などと怒号し、その身体等に危害を加えかねない気勢を示して脅迫したというものであるが、被告人は、捜査段階からNとの共謀及び脅迫の事実を否認しており、また、Nは事件後所在不明となっているため、その審理に当たっては、被害者Tの供述が極めて重要な意味を持つものと認められる。
そこで、右Tの証人尋問の経過をみると、以下の事実が認められる。
1 原審は、平成五年五月二七日の第三回公判において、右Tの証人尋問を決定し、七月一日の第四回公判期日に召喚したが、右期日前の六月二四日、同証人から担当検察官に対し、組を抜けるため所在を隠して働いていること、被告人の面前で証言することは致し方ないが、Nも逮捕されていないうえ、横須賀には組員も多く、出頭の際待ち伏せされるおそれもあるので、裁判所外の別の場所で尋問してもらいたい旨の連絡がなされ、同証人は第三回公判期日には出頭しなかった。
2 七月一日の第四回公判において、検察官から、Tの申し出た諸点を要約したうえ、尋問事項書を添えて、公判期日外の証人尋問の請求がなされ、弁護人からも右の請求に異議はない旨の意見があり、原審は、同月六日、T証人を同月二七日午前一〇時京都地方裁判所で取り調べる旨決定し、右決定は同月七日弁護人及び被告人に通知された。
3 ところが、同月一六日弁護人から、右決定に対し、右Tの証人尋問を期日外で行う具体的な必要性はなく、また、被告人の護送困難な遠隔地を尋問場所とし、被告人の立会なくして尋問を実施することは、憲法三七条二項、刑訴法一五七条一項に違反し、被告人の立会権、証人尋問権を奪うものであるから、同証人に対する期日外の尋問を取消し、尋問を横須賀支部で行うよう求めた異議申立書が提出された。原審は、検察官の意見を聴いたうえ、同月一九日弁護人の指摘する諸点についていずれも理由がないとして、右異議の申立を棄却し、弁護人は、これに対し、同月二三日特別抗告を申立てた(右特別抗告は、同年八月一九日不適法として棄却されている。)。
4 原審は、決定通り同月二七日京都地方裁判所において、弁護人、被告人不在のままTの証人尋問を実施し、同年八月一九日の第五回公判において、弁護人の異議申立を棄却してTに対する尋問調書を取り調べた。
5 右尋問調書は、原判決上本件の有罪認定の証拠として挙示されている。
右の事実に照らすと、本件事案の性質並びに主犯格の共犯者が未逮捕であることなどの事情に鑑み、暴力団を脱退しようとして所在を隠している証人が、組構成員の多数いる横須賀支部に出頭し、証言することに不安を抱くことは充分理解できるところであり、期日外尋問に異議はない旨の弁護人の意見を聴いたうえ、その旨の決定をした原審の措置に何らの違法はないと認められる。
その後弁護人が、右決定の取消を求め異議の申立を行った理由は必ずしも定かではないが、弁護人が異議申立書で指摘する、尋問の期日及び場所の決定前に、証人の住所の連絡がなかったとか、尋問場所の打合せがなかったとかの主張は、いずれも適法に行われた期日外尋問の決定を取り消すべき事由に当たるとはいいがたい。かえって、裁判所書記官作成の電話聴取書によれば、期日外尋問の通知の二日後の七月九日、弁護人から、右期日には弁護人のみが立会い被告人は立ち会わない旨の連絡がなされている事実も認められるところである。したがって、すでになされた期日外尋問の取消を求める弁護人の異議申立を棄却した原審の措置にも違法はない。
しかしながら、弁護人の異議申立は期日外尋問自体の取消を求めているものではあるが、その理由として述べるところは、T証人の重要性に鑑み、右尋問への被告人自身の立会いと、尋問の権利を強く求めていることが明らかであり(前記七月九日の弁護人からの連絡は、法廷等被告人の面前でなされたものではなく、前認定のその後の経過をも併せ考えると、被告人の真意を十分に反映していたかについて疑問がなくはない。)、少なくとも右異議申立の時点においては、被告人自身の立会い、尋問の意思が明確にされているのであるから、裁判所としては、異議申立を棄却する以上、尋問場所への被告人の身柄の押送手続をとるなどして、上記の権利の行使に遺漏のないよう配慮する必要があったものといわなければならない。この点を看過し、単に弁護人の異議申立を棄却したのみで、被告人及び弁護人を立ち会わせることなく期日外尋問を実施した原審の措置は刑訴法一五七条一項に違反するもので、その結果得られたTに対する尋問調書は証拠能力を欠くという他はなく(なお、弁護人が立ち会わなかったことについては、裁判所がその立会権を奪ったものということはできず、原審の措置が憲法三七条二項に違反するものとはいえない。)、したがって、原審が弁護人の異議を棄却して、右尋問調書を取り調べ有罪認定の証拠に供したことには、訴訟手続の法令違反があるものというべきである。そして、記録によれば、右Tに対する尋問調書を除外した他の証拠によって被告人の有罪を認定することは困難であると認められるから、右の違法は判決に影響を及ぼすことが明らかである。論旨は理由がある。
よって、弁護人のその余の論旨につき判断するまでもなく、刑訴法三九七条一項、三七九条により原判決を破棄し、原審において改めて被告人に立会いの機会を与えてTに対する尋問を行わせたうえ本件につき判決させるため、同法四〇〇条本文により、本件を原裁判所である横浜地方裁判所に差し戻すこととし、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官小林充 裁判官竹﨑博允 裁判官小川正明)