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東京高等裁判所 平成5年(行ケ)123号 判決 1995年4月13日

大阪府門真市大字門真1006番地

原告

松下電器産業株式会社

同代表者代表取締役

森下洋一

同訴訟代理人弁理士

青山葆

田村恭生

田中光雄

東京都千代田区霞が関3丁目4番3号

被告

特許庁長官

高島章

同指定代理人

廣田雅紀

吉野日出夫

市川信郷

関口博

鵜飼健

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第1  当事者の求めた裁判

1  原告

「特許庁が平成4年審判第10855号事件について平成5年6月21日にした審決を取り消す。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決

2  被告

主文と同旨の判決

第2  請求の原因

1  特許庁における手続の経緯

原告は、「雑種第1代植物の製造方法」と題する発明(以下「本願発明」という。)について、昭和60年4月3日、特許出願をした(昭和60年特許願第70247号)が、平成4年4月17日、拒絶査定を受けたので、同年6月11日、審判を請求した。特許庁はこの請求を平成4年審判第10855号事件として審理した結果、平成5年6月21日、上記請求は成り立たない、とする審決をし、その審決書謄本を平成5年7月12日、原告に送達した。

2  本願発明の特許請求の範囲の記載

「(1) 第1の植物の花粉を採取し第2の植物のめしべに受粉させて交配するかあるいは2つの植物の細胞を融合して両親の優性遺伝形質のみがあらわれる雑種第1代の原植物を作成する工程と、前記原植物の植物組織を取り出す工程と、前記植物組織を培養しプロトコームを増殖する工程と、前記増殖中のプロトコームを一部取り出して分化・生長させ、さらに移植して育成して前記原植物の有用性を確認する工程と、有用性の確認された前記プロトコームを増殖し、さらに培地で植物体に分化させる工程と、有用性の確認された前記植物体を養分を含んだゼリー状の水溶性物質と表皮膜で包んで前記雑種第1代の原植物を人工種子化する工程を含むことを特徴とした雑種第1代植物の製造方法。

(2) 第1の植物の花粉を採取し第2の植物のめしべに受粉させて交配するかあるいは2つの植物の細胞を融合して両親の優性遺伝形質のみがあらわれる雑種第1代の原植物を作成する工程と、完熟した前記原植物の種子を採取後播種し発芽生長させて前記原植物の有用性を確認する工程と、有用性の確認された前記原植物の植物組織を摘出し培地で組織培養しプロトコームを増殖し、さらに培地で分化させ植物体化させる工程と、有用性の確認された植物体を養分を含んだゼリー状の水溶性物質と表皮膜で包んで前記雑種第1代の原植物を人工種子化する工程を含むことを特徴とした雑種第1代植物の製造方法。」

3  審決の理由の要点

(1)  本願発明の要旨は前項記載のとおりである。

(2)  昭和59年特許出願公開第102308号公報(以下「引用例」といい、引用例記載の発明を引用発明という。)には、天然の植物種の類似物を製造する方法において、分化して植物体全体を製造できる可能性を有する分裂組織を分離し、発育を許容するゲル中に前記分裂組織を包封することを含む方法が記載され、より詳細には、比較的軟いゲルを包封及び適当な添加剤の包含に使用し、外部表面において分裂組織の成育能力を損なうことなく磨耗及び浸透に対する耐性を増大させうること、及び、ゲル溶液の調整の際には、栄養等を増大する化合物を供給する添加剤を含むことが望ましいこと、並びに、培養した植物組織を発育させてから田畑に植えるまでの間の手間を減じ、すぐれた植物又はハイブリッド植物をクローン化する大規模で経済的な方法を提供することが目的であること、がそれぞれ記載されている。

(3)  本願発明と引用発明を対比すると、後者の「天然の植物種の類似物」は、前者の「人工種子」に相当するから、両者は、分化した植物体を養分を含んだゼリー状の水溶性物質と表皮膜で包んで人工種子化する工程を含むことを特徴とした植物の製造方法の点で一致する。

これに対し、分化した植物体の作出工程として、本願発明は、第1の植物の花粉を採取し第2の植物のめしべに受粉させて交配するかあるいは2つの植物の細胞を融合して両親の優性遺伝形質のみがあらわれる雑種第1代の原植物を作成する工程を採用しているのに対し、引用発明ではその工程が明記されていない点(相違点1)、本願発明は、<1>前記原植物の植物組織を取り出す工程と、前記植物組織を培養しプロトコームを増殖する工程と、前記増殖中のプロトコームを一部取り出して分化・生長させ、さらに移植して育成して前記原植物の有用性を確認する工程と、有用性の確認された前記プロトコームを増殖し、さらに培地で植物体に分化させる工程、又は、<2>完熟した前記原植物の種子を採取後播種し発芽生長させて前記原植物の有用性を確認する工程と、有用性の確認された前記原植物の植物組織を摘出し培地で組織培養しプロトコームを増殖し、さらに培地で分化させ植物体化させる工程、とを採用しているのに対し、引用発明ではこれらの工程が明記されていない点(相違点2)で両者は相違する。

(4)  相違点1についてみると、引用例には、前記のように、ハイブリッド植物をクローン化する大規模で経済的な方法を提供することが目的である旨記載されており、ハイブリッド植物も人工種子の対象となることが示唆されている。ところで、ハイブリッド植物とは一般に雑種と呼ばれ、異品種間等の交配で生じ、双方形質を併有する子孫のことであり、また単に雑種と呼ぶとき多くの場合雑種第1代を指すことは、本出願前周知のことであり〔例えば、「岩波生物学辞典第2版」(1981)445頁、「雑種」及び「雑種第1代」の項参照〕、両親の優性遺伝形質のみがあらわれる雑種第1代の原植物を作成する場合、第1の植物の花粉を採取し第2の植物のめしべに受粉させて交配するか、あるいは2つの植物の細胞を融合することも本出願前周知のことであるから、この原植物を作成する工程は当業者が容易に想到し得たものと認める。

相違点2は、交配等により作成した雑種第1代植物の有用性を確認し、有用性の確認されたものを選抜することは植物育種の分野の周知技術であること、交配等により作成した雑種第1代植物の組織を培養し、分化・生長させ、雑種植物を作成することも本出願前周知の技術であること、及び当該植物の組織としてプロトコームを用いる組織培養は特にランの栽培においてよく知られていること(例えば、原査定の拒絶理由に周知技術として引用した竹内正幸等著「新植物組織培養」1979年9月20日朝倉書店発行、201~204頁参照)を合わせ考慮すると、これらの工程を当業者が採用する点に格別の創意を見いだすことができない。

そして、本願発明が奏する効果も引用発明から当業者が予測し得た程度のものであって、格別のものとはいえない。

(5)  よって、本願発明は、引用発明に基づいて当業者が容易に発明することができたものであるから、特許法条29条2項により特許を受けることができない。

4  審決の取消事由

審決の認定判断のうち、審決の理由の要点(1)のうち、「両親の優性遺伝形質のみがあらわれる雑種第1代の原植物」の技術的意義については争うが、その余は認める。同(2)、(3)は認める。同(4)のうち、相違点1についての判断は認め、その余は争う。同(5)は争う。審決は、本願発明の特許請求の範囲中の「両親の優性遺伝形質のみがあらわれる雑種第1代の原植物」の技術的理解を誤った結果、相違点2についての判断を誤り、また、本願発明の奏する顕著な作用効果を看過したものであるから、違法であり、取消しを免れない。

(1)  相違点2についての判断の誤り(取消事由1)

<1> 本願発明の特許請求の範囲の「両親の優性遺伝形質のみがあらわれる雑種第1代の原植物」とは、本願明細書の「両親の優性遺伝形質のみが表れる(雑種強勢)ため」(4頁5、6行)との記載からも明らかなように、必ず雑種強勢のあらわれる雑種第1代植物を意味し、雑種強勢のあらわれない雑種第1代植物を対象としていない。したがって、上記の原植物の作成に用いる両親は、交配ないしは細胞融合の方法によって、必ず雑種強勢、すなわち両親の優性遺伝形質のみがあらわれるF1植物(原植物)を与えるものを選定するのであり、そのような選定は、事前のチェックで容易に可能である。

そして、本願発明における「前記原植物の有用性を確認する工程」とは、前記のように、必ず雑種強勢のあらわれる雑種第1代植物群の中から更に特に優れた形質を有する植物を確認し選抜する工程を意味するものであり、このことは、本願明細書の「優良な雑種第1代植物の中でも選抜された優良な種子を、交配を多く行うことなく大量に低コストに供給でき、」(10頁3行ないし16行)との記載からも明らかである。

<2> 前項に述べたように、本願発明は、必ず雑種強勢のあらわれる雑種第1代植物群の中から更に特に優れた形質を有する植物を確認し選抜することを特徴とするものであって、このような技術的思想は、本出願前に知られていなかったものであり、乙第1、第2号証、同第4号証及び同第6号証にも記載はもとより示唆もされていない。

すなわち、現在、所望の形質を有する雑種強勢のあらわれる雑種第1代植物を与える種々の種子が市販されているが、それらのF1種子はその都度、そのような雑種強勢のあらわれるF1種子を与える両親を交配させて製造されている。それは、このような雑種強勢のあらわれるF1種子では、いわゆる品種改良の目的で育種の技術により品質を固定した植物種と異なり、それを蒔いて育て、その成育した植物から種子を採取しても「分離の法則」により、雑種強勢のあらわれるF1種子と同じ種子が得られない。

しかして、このような雑種強勢のあらわれるF1種子は、例えば「赤い花をつける」という目的において全ての種子が共通し、そのようなF1種子を蒔き、成育させれば、その植物群は等しく「赤い花をつける」のである。このように、雑種強勢のあらわれるF1種子では、その目的である「赤い花をつける」点において目的を達成しているため、その上に、さらに別の形質を有するものを選抜するとの発想は生じなかった。このことは、品種改良のための交配の技術においても「分離の法則」の関係でF1で選抜をすることはなかった点を合わせ考慮すれば、雑種強勢のあらわれる雑種第1代植物から更に特定の形質を有するものを選抜するとの技術的思想がなかったことは明らかである。

これに対して、本願発明においては、特定の形質、例えば、上記のような「赤い花をつける」点で共通した形質を有する雑種第1代植物群の中から、さらに、上記雑種強勢に基づく形質以外の遺伝的形質、例えば「病気に強い」との性質を有する特定の植物を選抜し、そのような特定の品質の揃った植物(遺伝的特性が全く同じもの)のみを与える種子を製造することを目的とし、そのために当該植物の組織からプロトコームの分化、生長、育成の技術を応用しているのである。

したがって、以上から明らかなように、組織培養の技術それ自体は本出願前公知であったとしても、この技術を利用して本願発明のように、雑種強勢のあらわれる雑種第1代植物群から更に特に優れた形質を有する植物を確認(有用性の確認)し、それを選抜して人工種子化することは、本出願前の公知文献には記載も示唆もないのであるから、相違点2についての審決の判断が誤りであることは明らかである。

(2)  顕著な作用効果の看過(取消事由2)

前項に述べたように、本願発明は、雑種強勢のあらわれるF1植物に組織培養の技術を応用して、それからさらに優れた形質を有するものを選抜するものであるところ、かかる技術的思想は、公知文献には何ら記載も示唆もない以上、組織培養法や人工種子化の技術自体が知られていたとしても、雑種強勢のあらわれるF1植物から更に優れた形質を有するものを選抜してそれを容易かつ大量に種子化することが予測できたとは到底考えられないから、審決は本願発明の奏する顕著な作用効果を看過したものというべきである。

第3  請求の原因に対する認否及び被告の主張

請求の原因1ないし3は認めるが、同4は争う。審決の認定判断は正当である。

1  取消事由1について

原告は、本願発明は、「雑種強勢の必ずあらわれる雑種第1代植物」から、「さらに所望する他の形質についてその有用性を確認し、特に優れた形質の雑種第1代植物の選抜を行う」旨主張する。しかし、かかる主張を支持する記載は本願明細書には存在しない。すなわち、

本願明細書の特許請求の範囲には「両親の優性遺伝形質のみがあらわれる雑種第1代の原植物」との、また、発明の詳細な説明中には、「従来技術従来、遠縁の植物を交配した雑種第1代植物は、両親の優性遺伝形質のみが表われる(雑種強勢)ため、一般に形質が一定でバラツキが少なく育ちが良い等優れた性質を表すことが知られており」(当初明細書4頁3行ないし7行)、「両親の優性遺伝形質のみがあらわれる雑種第1代原植物の種子」(平成4年6月25日付け手続補正書12頁8行ないし10行)、「このように、本発明は、優良な雑種第1代植物の中でも選抜された優良な種子」(前同頁下から2行ないし13頁1行)との各記載がある。

以上から明らかなように、当初明細書及び図面には、実施例その他を含め、「必ず雑種強勢のあらわれる雑種第1代の原植物」についての記載はない。そして、従来技術に関する前記の記載は、遠縁の植物を交配したという条件付きの「雑種第1代植物」は、両親の優性遺伝形質のみがあらわれる(雑種強勢)ため、一般的に形質が一定でバラツキが少なく育ちが良い等優れた性質をあらわすという従来公知のことを開示しているものであるから、この記載を受けた前記の特許請求の範囲の記載も、従来公知の「何らかの雑種強勢のあらわれる可能性を有する雑種第1代植物」を意味するものであって、それ以上の格別の意味を有する「雑種第1代の原植物」を意味するものでないことは明らかである。

また、上記の理解が正当であることは、一般に、「雑種強勢」とは「雑種第1代が、ある形質たとえば大きさ・耐性・多産性などの点で、両親の系統のいずれをもしのぐことをいう、」、「雑種第一代が両親のどちらよりもすぐれ、あるいは劣る形質をもつとき、それぞれ雑種強勢、雑種弱勢という。」(乙第5号証)とそれぞれ解されていることからも明らかである。

さらに、特許請求の範囲の前記「両親の優性遺伝形質のみがあらわれる雑種第1代の原植物」における「優性遺伝形質」についてみると、一般に「優性」とは、「優性顕性ともいう、対立形質をもつ両親の交配において、そのF1に現われる形質は他方の形質に対して優性であるといい、その形質を優性形質、それに対応する遺伝子を優性遺伝子という、」(乙第7号証)と解されており、F1にあらわれる形質を「優性遺伝形質」とするのであるから、前記の「両親の優性遺伝形質のみがあらわれる雑種第1代の原植物」とは、単に「(両親の品種に対する)雑種第1代の原植物」という記載と意味するところにおいて大差はなく、しかも、この「優性遺伝形質」が必ずしも「優れた所望の性質」を意味するものでないことは、前記の「雑種弱勢」なる記載からも明らかである。そうすると、上記の記載から本願発明の雑種第1代の原植物が、「必ず雑種強勢のあらわれる特別の雑種第1代の原植物」であることを意味しているとはいえず、まして、事前のチェックで選定された必ず雑種強勢のあらわれる雑種第1代の原植物を意味しているとはいえない。

したがって、本願明細書の前記の従来技術に関する記載から、本願発明における雑種第1代の原植物を原告主張のように「必ず雑種強勢があらわれる雑種第1代の原植物」と解することはできない。

そして、交配等により作成した従来公知の雑種第1代植物について、その有用性を確認し、有用性の確認されたものを選抜することは、植物育種の分野において本出願前周知の技術であったのであるから、相違点2についての審決の判断に誤りはない。

2  取消事由2について

原告が主張する本願発明の奏する作用効果なるものは、原告の主張するような植物育種を限定的に解釈したものとの比較に基づいたものであるから、その前提において誤りである。また、本願発明の要旨に基づく作用効果については、人工種子化技術はクローン化した雑種第1代植物の種子化による大規模で経済的な方法を提供することを目的とするものであるから、この点は引用発明から当業者が予測し得た程度のものであって、格別のものとはいえず、審決に本願発明の奏する顕著な作用効果を看過した違法はない。

第4  証拠

証拠関係は書証目録記載のとおりである。

理由

1  請求の原因1ないし3並びに本願発明と引用発明との間に審決が摘示した一致点、相違点が存在すること及び相違点1についての審決の判断についてはいずれも当事者間に争いがない。

2  本願発明の概要

成立に争いのない甲第2号証(願書添付の明細書)、同第3号証(平成3年3月28日付け手続補正書)、同第4号証(平成3年7月19日付け手続補正書)、同第5号証(平成4年3月13日付け手続補正書)及び同第6号証(平成4年6月25日付け手続補正書、以下、一括して「本願明細書」という。)には、本願発明の利用分野並びに目的、構成及び作用効果等について、以下の記載がある。

本願発明の「産業上の利用分野」に関し、「農業上有用な雑種第1代種子を選抜し、組織培養により増殖させて人工種子化することで遺伝形質が全く同一の雑種第1代種子を提供し、農林・園芸上有用な雑種第1代植物の大量生産を可能ならしめる方法に関するものである。」(明細書3頁下から4行ないし4頁2行)、

従来技術に存した、「発明が解決しようとする問題点」として、「優秀な両親を見い出したとしても、雑種第1代の種子を得るためには、個々のおしべとめしべを交配することが必要であり、(雑種第1代の植物から自家受粉により得られた種子は、雑種第2代となり、遺伝の法則に従って、形質がバラバラになってしまう欠点がある。)、交配はほとんど人力にたよるしかないので、大量生産がむつかしい(「難しい」の誤記と認める。)上、種子生産コストも非常に高いものであった。」(同5頁7行ないし15行)、「雑種第1代品種といえども、同一交配で得られる種子間では、遺伝形質が全く同じものは生産されず、育成途中で多少のバラツキが生じてしまうので、有用固体(「個体」の誤記と認める。)のみを得ようとすれば、やはり選抜の余地がある。ところが、前述したように雑種第1代品種を育成し、その中で優良個体を選抜したとしても、その個体より得られる種子は雑種第2代として、よりバラツキが多くなるため、雑種第1代の種子の選抜は行なわれていないのが現状である。」(同5頁16行ないし6頁5行)、

「問題点を解決するための手段」に関し、「本発明は、上述の欠点に鑑み、有用性の確認された雑種第1代種子を大量・低コストで提供することを目的とし、雑種第1代として得られる生長中の胚や完熟種子の胚や播種後の生長点を採取し、組織培養により増殖させて、一部を形体確認用に使用し、有用性の確認されたもののみさらに増殖し人工種子化する」(同6頁7行ないし13行)ものであり、本願発明の特許請求の範囲記載の構成を採択した(平成3年3月28日付け手続補正書2頁(2))、

「発明の効果」に関し、「本発明の方法を用いることにより交配の難しい稲、麦等の穀物や野菜あるいは草花等の両親の優性遺伝形質のみがあらわれる雑種第1代原植物の種子を、交配をいちいち行うことなく大量に安定に保存しつつ生産供給することが可能になる。さらに、雑種第1代種子の中でもより優良な固体(「個体」の誤記と認める。)のみを選抜増殖できる。また、雑種第1代種子の採取に際し、広大な圃場を必要としないので、温室等外界から遮断された環境下で増殖が可能であり、病害虫や気象の影響を受けることもない。さらにまた、本発明の方法を用いることにより、新品種の固定に長年要した特定品種の育成が不要となり植物改良時間を大幅に短縮できる。このように、本発明は、優良な雑種第1代植物の中でも選抜された優良な種子を、交配を多く行うことなく大量に低コストに供給でき、農林・園芸等に格別の効果を発揮するものである。」(平成4年3月13日付け手続補正書2頁(2))

3  取消事由について

(1)  取消事由1

<1>  前掲甲第6号証によれば、本願発明の特許請求の範囲(1)項には、請求の原因2項の記載と同一の記載があることが認められる。

<2>  ところで、相違点2についての審決の判断の当否を判断する前提として、本願発明の「両親の優性遺伝形質のみがあらわれる雑種第1代の原植物」との記載の技術的意義について、原告は、「必ず雑種強勢があらわれる雑種第1代の原植物」を意味すると主張し、被告は上記記載から原告主張のような限定を読み取ることはできず、上記の記載は「何らかの雑種強勢のあらわれる可能性のある雑種第1代の原植物」を意味するにすぎないと争うところ、原告の上記主張における「必ず雑種強勢があらわれる」との趣旨は、本願発明においては、特定の形質について必ず雑種強勢が現れることが確認されていることを意味するものであることは原告の主張に照らして明らかなところである。

そこで、上記記載の技術的意義について検討する。まず、上記記載中の「優性遺伝形質」の概念からみると、成立に争いのない乙第7号証(山田常雄他6名編「岩波生物学辞典第2版」1977年7月5日株式会社岩波書店発行)の「優性」の項には、「顕性ともいう、対立形質をもつ両親の交配において、そのF1に現われる形質は他方の形質に対して優性であるといい、その形質を優性形質(dominant character; G.J. Mendel, 1865)それに対応する遺伝子を優性遺伝子という、優性として現われる程度は形質ごとに異なり、その違いに応じて完全優性(complete dominance)・不完全優性・不規則優性・特定優性・偽優性などの別がある、」(1215頁右欄13行ないし21行)との、そして、同乙第5号証(前掲書)の「雑種第一代」の項には、「ある対立遺伝子のそれぞれをホモに持つ両親の間の交雑によって生じる第一代目の子を雑種第一代といい、F1の記号で表わす、単に雑種とよぶときも、雑種第一代を指す場合がしばしばある、雑種第一代個体群は、着目する遺伝子をヘテロにもち、均一性を示す、しかし、その表現型は対立遺伝子間の相互関係や同義遺伝子の存在によって異なる、雑種第一代が両親のどちらかよりもすぐれ、あるいは劣る形質をもつとき、それぞれ雑種強勢、雑種弱勢という、」(445頁下から15行ないし6行)との、「雑種」の項には、「遺伝学的には、着目する遺伝子についてヘテロな構成をもつ個体と定義されるが、異品種・異種・異属間の交配で生じ双方の形質を併有する子孫を一般に雑種とよぶ、上記の厳密な定義によれば、交雑によって生じた子はすべて雑種とよばれ、雑種第一代などの語が用いられる、雑種はしばしば雑種強勢の現象を示す、」(445頁左欄末行ないし右欄7行)、「雑種強勢」の項には、「ヘテロシスともいう、雑種第一代が、ある形質たとえば大きさ・耐性・多産性などの点で、両親の系統のいずれをもしのぐことをいう、G.H. Shull (1911)によって命名された、トウモロコシ・ニワトリ・カイコなど多くの作物や家畜において観察され、栽培飼育の実際にも利用されてきたが、近時はショウジョウバエを用いて理論的な考察がなされている、品種間・変種間・異種間のいずれの雑種でも見られ、同系交配を続けたのちの交雑において特に顕著である、」(445頁右欄15行ないし25行)との、各記載が認められるところであり、そして、これらの記載事項は、前記刊行物の刊行時期及び「辞典」としての性質からみて、いずれも本出願前周知の技術的事項であったものとみることができる。

そこで、以上の各記載を踏まえて特許請求の範囲の前記記載の技術的意義について検討すると、「雑種第一代」とは、「ある対立遺伝子のそれぞれをホモに持つ両親の間の交雑によって生じる第一代目の子」をいうところ、対立形質をもつ両親の交配においては、その「F1」、すなわち雑種第1代にあらわれる形質を「優性形質」というのであり、この「優性形質」とは「優性遺伝形質」と同義であることは上記認定の記載から明らかであるから、本願発明の特許請求の範囲にいうところの「両親の優性遺伝形質のみがあらわれる雑種第1代の原植物」との記載における「両親の優性遺伝形質のみがあらわれる(植物)」と「雑種第1代植物」とは同義であるといわざるを得ず、結局、特許請求の範囲の上記記載の意義は、単に「雑種第1代の原植物」と表現した場合と何ら異なるところはないというべきである。そして、前記認定の前掲乙第5号証の「雑種第一代」に関する記載からすると、「雑種第1代の原植物」の技術的意義は一義的に明確であり、この記載の技術的意義を不明確とする余地はない。なお、前記「雑種第一代」の記載からみると、雑種第1代には、「雑種強勢」のみならず「雑種弱勢」も現れるのであり、この点からすると、単に「雑種第1代の原植物」と規定しただけの本願発明の特許請求の範囲の前記記載自体においては、両者を包含するものといわざる得ないが、被告は、上記「雑種第1代の原植物」は、「雑種強勢のあらわれる雑種第1代の原植物」に限定されることを認めるところであって、この点については、争点とはならないから、これ以上言及しないこととする。

そうすると、以上から明らかなように、上記の「両親の優性遺伝形質のみがあらわれる雑種第1代の原植物」との記載は、「雑種強勢のあらわれる雑種第1代の原植物」であることを規定したにすぎないというべきである。

ところで、成立に争いのない甲第7号証(NHK取材班著「日本の条件7食糧<2>一粒の種子が世界を変える」昭和57年7月1日日本放送出版協会発行)には、「ハイブリッドというのは最終段階のかけ合わせを言います。その前に父系は父系のなかで、母系は母系のなかでそれぞれ理想的な親をつくり出すための交配を行なうのです。この親づくりに最低で五~六年かかります。ご存知のように、F2以降は『分離の法則』があらわれますから、いいものだけ選抜して自家受粉を繰り返すのです。そうしますと、だんだん品質のバラツキがなくなってゆきます。そうやって品種として固定したものがはじめて親として使えるわけです。そして次の段階でその親どうしをかけ合わせ、どんなハイブリッド効果が出るかを見ます。もともと父系と母系ではまったく遠縁の系統を選んで、『雑種強勢』の効果が顕著に出るようにしてありますが、実際上どんなハイブリッドができるかは、やってみなければわかりません。あらゆる組み合わせを試してみて、その成育試験結果が出るまでに三年間かけます。ですから、新しいハイブリッド種子を作るには最低でも一〇年はかかるのです。」(99頁12行ないし100頁4行)との、同甲第8号証(栗原眞他1名「謎のコメが日本を狙う」昭和59年1月20日日本放送出版協会発行)には、「しかも自然界には、『雑種強勢』と呼ばれる現象がある。ここで純粋種、つまり(AA)を種子として用いるよりも、雑種一代目すなわちハイブリッドを種子とする方が有利だということになる。ただし、『雑種強勢』の現われ方は一定ではない。両親の組み合せ方によってさまざまな現われ方をする。実際には、さまざまな両親を試験交配して最適の組み合せを探し出さなければならない。ハイブリッドの開発とはこの両親の組み合せを探すことであり、できるだけ多くの品種の純粋種をまず手中にし、膨大な試験交配を手ぎわよく進めなければ、すぐれたハイブリッドは生まれない。」(27頁8行ないし28頁2行)との、各記載が認められ、以上の各記載によれば、できるだけ遠縁の、すなわち、純系の両親を交配して、雑種第1代で生ずる雑種強勢を利用して優れた形質を有する種子、すなわち、ハイブリッド種子を作りだすこと、上記のハイブリッド種子の作成においては、出現する形質を事前に予測することは困難であることから、種々の純粋種の組み合わせを試行的に行う必要があること、の各事実が認められるところ、かかる事実は上記の各刊行物の一般啓蒙書的な性質及び刊行時期からみて、本出願前に当業者に周知の技術的事項であったものといって差し支えがないというべきである。

してみると、この本出願前周知の技術的事項を踏まえて、前記の「両親の優性遺伝形質のみがあらわれる雑種第1代の原植物」すなわち、「雑種第1代の原植物」の技術的意義をみると、上記の周知の技術的事項から明らかなように、一般的には、雑種第1代において雑種強勢として発現する形質を事前に予測することは困難であることからすると、上記の何らの限定のない特許請求の範囲の記載をもって、原告主張のように、「ある特定の形質が雑種強勢として必ず現れる」との限定の付された「雑種第1代の原植物」を意味するものとまで解することは到底できない。

したがって、本願発明の特許請求の範囲に記載の「両親の優性遺伝形質のみがあらわれる雑種第1代の原植物」とは、「何らかの形質が雑種強勢として現れる可能性を有する雑種第1代の原植物」を意味するであって、かかる意味において、その技術的な意義は一義的に明確であり、そこに何ら不明確な点は存しないというべきであるから、審決のしたこれと同旨の本願発明の要旨の認定に誤りはない。

<3>  原告は、本願明細書の発明の詳細な説明中の記載を援用して、前記の「両親の優性遺伝形質のみがあらわれる雑種第1代の原植物」の意義は原告主張のように認定されるべきである旨主張する。

しかし、発明の要旨の認定は、特許請求の範囲の記載の技術的意義が一義的に明確に理解することができないとか、あるいは一見してその記載が誤記であることが発明の詳細な説明の記載に照らして明らかであるなど、発明の詳細な説明の記載を参酌することが許される特段の事情のない限り、特許請求の範囲の記載に基づいてされるべきものである(最高裁平成3年3月8日第2小法廷判決・民集45巻3号123頁参照)ところ、本願発明の特許請求の範囲の上記記載の技術的意義は、前項に説示したように、一義的に明確であって、何ら不明確な点は存しないし、また、本願明細書中の発明の詳細な説明の記載と対比しても、上記の記載が一見して誤記であると認めることも困難であるから、本件においては、前記の特段の事情は存在しないというべきである。

そうすると、本願明細書の発明の詳細な説明中の記載を参酌して、前記記載の技術的意義を原告主張のように限定して本願発明の要旨を認定をすることは許されないというべきであるから、この点に関する原告の主張は採用できない。

<4>  原告が相違点2についての審決の判断を争う趣旨は、従来の雑種第1代植物における有用性の確認とは、雑種第1代植物に雑種強勢としてあらわれた「何らかの形質」についての有用性の確認と選抜であるのに対して、本願発明の前記「両親の優性遺伝形質があらわれる雑種第1代の原植物」とは、「ある特定の形質が雑種強勢として必ずあらわれる雑種第1代の原植物」であるから、そこにおける「原植物の有用性を確認する」とは、雑種強勢として発現した上記の特定の形質とは別の「他の形質」について更に有用性を確認し、選抜することを意味するものであって、かかる意味での「雑種第1代植物についての有用性の確認」は従来の植物育種の分野で知られていなかったとするものであることはその主張の趣旨に照らして明らかなところである。

しかしながら、本願発明が原告の上記主張のような「ある特定の形質が雑種強勢として必ずあらわれる雑種第1代の原植物」を意味するものでないことは前項に説示したとおりであるから、原告の上記主張はその前提を誤るものであって失当といわざるを得ない。なお、審決が認定したような雑種強勢として何らかの形質を発現する雑種第1代植物について、本願発明の規定する相違点2に係る構成を採用することが容易に想到し得たものであることは、前記<2>に認定の本出願前周知の技術的事項からも推認可能であるし、原告においてもこの点を格別争うものでないことはその主張の趣旨に照らして明らかである。

<5>  以上のとおりであるから、審決の相違点2についての判断に原告主張の誤りはなく、取消事由1は理由がない。

(2)  取消事由2

原告は、本願発明は、雑種強勢のあらわれるF1植物から更に他の点において優れた形質を有する植物を選抜してそれを容易かつ大量に種子化することであるとし、かかる作用効果は従来技術からは予測できなかったと主張する。

しかしながら、取消事由1に対する判断において既に説示したように、本願発明は、何らかの雑種強勢のあらわれる雑種第1代についてその発現した形質の有用性を確認、選抜して人工種子化するものであって、原告の上記主張のような発明ではないから、上記の作用効果の主張は本願発明の構成に基づかない主張であるといわざる得ず、失当である。

そして、本願発明の要旨に基づく作用効果が相違点2に係る構成から容易に予測可能であることは明らかであるから、審決に本願発明の奏する作用効果を看過した違法はなく、取消事由2も理由がない。

(3)  以上の次第であるから、取消事由はいずれも理由がなく、審決に原告主張の違法はない。

4  よって、本訴請求を棄却することとし、訴訟費用の負担について行政事件訴訟法7条、民事訴訟法89条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 竹田稔 裁判官 関野杜滋子 裁判官 田中信義)

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