大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京高等裁判所 平成5年(行ケ)199号 判決 1997年10月29日

大阪府大阪市淀川区野中南2丁目11番48号

原告

日本ピラー工業株式会社

代表者代表取締役

岩波清久

訴訟代理人弁理士

鈴江孝一

鈴江正二

東京都千代田区霞が関3丁目4番3号

被告

特許庁長官 荒井寿光

指定代理人

徳永英男

松本悟

後藤千恵子

小川宗一

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第1  当事者の求めた判決

1  原告

特許庁が、平成1年審判第10806号事件について、平成5年9月20日にした審決を取り消す。

訴訟費用は被告の負担とする。

2  被告

主文と同旨。

第2  当事者間に争いのない事実

1  特許庁における手続の経緯

原告は、昭和59年10月22日、名称を「ハイドロダイナミックシール用高密度炭化珪素焼結体製摺動部材およびその摺動端面溝加工方法」とする発明につき特許出願をした(特願昭59-222574号)が、平成1年4月26日、拒絶査定を受けたので、平成1年6月15日、これに対する不服の審判の請求をした。

特許庁は、同請求を平成1年審判第10806号事件として審理したうえ、平成5年9月20日、「本件審判の請求は、成り立たない。」との審決をし、その謄本は、同年11月1日、原告に送達された。

2  特許請求の範囲1項記載の発明(以下「本願発明」という。)の要旨

高密度炭化珪素焼結体製摺動部材にあって、その摺動端面所要部分に潤滑用の溝を形成したことを特徴とするハイドロダイナミックシール用高密度炭化珪素焼結体製摺動部材。

3  審決の理由

審決は、別添審決書写し記載のとおり、本願発明は、本願出願前の昭和57年12月25日発行、鷲田彰著「新・メカニカルシール」21頁、22頁、150頁~153頁、157頁、158頁(以下「引用例」という。)に記載された発明(以下「引用例発明」という。)と同一であるから、特許法29条1項3号に規定する発明に該当し、特許を受けることはできないとした。

なお、審決の理由中、引用例発明についての「摺動端面材」(審決書3頁末行、4頁1行及び5頁16行)、「摺動端面部材」(同4頁14行及び5頁8行)、「端面部材」(同5頁9行)との記載は、いずれも「端面材」の誤記であり、本願発明についての「摺動端面材」(同4頁13行)との記載は、「摺動部材」の誤記である(以下、審決の記載は、誤記が訂正されたものとして引用する。)。

第3  原告主張の取消事由の要点

審決の理由中、本願発明の要旨及び引用例の記載内容の認定、本願発明と引用例発明との一致点及び相違点の認定は、認める。

審決は、引用例発明の技術内容を誤って判断した結果、相違点1及び2についての判断を誤った(取消事由1、2)ものであるから、違法として取り消されなければならない。

1  相違点1についての判断の誤り(取消事由1)

審決は、相違点1、すなわち、「炭化珪素で構成された材料を使用する箇所について、前者(注、本願発明)では「摺動部材」であるとしているのに対し、後者(注、引用例発明)では「端面材」であるとしている点」(審決書4頁12~14行)につき、引用例発明の「端面材」とは、「摺動する面を有する部材全体、すなわち、本願発明でいうところの『摺動部材』に該当するとするのが相当」(同5頁16~18行)と判断しているが、誤りである。

本願発明の高密度炭化珪素焼結体からなる「摺動部材」とは、摺動する面を有する部材全体を意味する。これに対し、引用例の「端面材とその組合わせとしては、種々のSiC×SiC、SiC×WCがある。」(審決書3頁9~10行)とされる「端面材」は、炭化珪素を使用して溝が形成されたハイドロダイナミックシール用摺動部材であることは認めるが、以下の理由により、摺動部材全体が炭化珪素からなるものではなく、当然、高密度炭化珪素焼結体からなるものでもない。

審決が引用例としてその一部を引用した文献「新・メカニカルシール」(乙第17号証、以下、この文献全体を「引用文献」という。)の「2.2基本構成」の項(同号証6頁以下)においては、「シートリング(1)」、その「側端面(1S)」、「従動リング(2)」、その「側端面(2S)」、「密封端面(S)」等の用語を用いて、メカニカルシールの基本構成が記載され、「図2.1 メカニカルシールの構成例」(同7頁)においては、名称と材質例について、「1シートリング〔カーボン〕」、「2従動リング〔SUS 32、端面ステライト〕」と記載されている。この記載から、シートリング(1)については、その側端面(1S)を含め、全体が「カーボン」であること、従動リング(2)については、側端面(2S)を除く部分が「SUS 32」(ステンレス)で、側端面(2S)が「ステライト」(コバルト主成分の、クローム、タングステンなどを含有する高硬度合金)であることが明らかであり、側端面(1S)と側端面(2S)の材質は、それぞれカーボンとステライトということになる。この前提に立てば、引用例の上記記載において、端面材とその組合せの「SiC×SiC」は、単に、端面の材質の組合せが炭化珪素どうしであることを意味するにすぎない。

また、引用文献には、「シール用のSiCは大きくわけて2つあり、1つは緻密質の単体品、他の1つはカーボンの表面に反応層を造って、これに樹脂を含浸したものなどである.他にカーボンにSiCの蒸着層をコーティングしたものも用い得る.」(同128頁10行~129頁2行)と記載され、「SiC」は、「緻密質の単体品」のほか、「カーボン」の表面をSiC化したもの」(以下「SiC反応焼結品」という。)や、「カーボンの表面にSiCをコーティングしたもの」(以下「SiC蒸着品」という。)も意味すると定義され、「表3.20」(同129頁)においては、「単体成形方式」によるものも、「コーティング方式」によるものも、全て「SiC」と記載されている。したがって、引用文献では、「SiC」を、緻密質の単体品、あるいは、セラミック単体の意味で統一的に使用していない。

さらに、引用文献では、「ハイドロダイナミックシールあるいはサーモハイドロダイナミックシールも有効である.・・・最も重要なのは端面の材質とその組合わせであって、特にカーボンが問題である.カーボンは樹脂含浸のほか、金属含浸、無含浸、SiC蒸着、SiC反応焼結品などが有効である.・・・カーボンの相手材としては、SiC、超硬合金やそのフレームプレーティング、メテコ34Fコーティング、ハイス鋼、SCM,SUJ系統などがよい.」(同146頁19行~147頁4行)、「ハイドロダイナミックシールまたはサーモハイドロダイナミックシールにすることもよい.・・・液体の場合非接触形にして、漏れの流速を速くした場合には、カーボンは使わないほうがよい.しかし、表面をSiC化したカーボンはエロージョンには強い.」(同149頁6~12行)と記載され、これらの記載によれば、ハイドロダイナミックシールに使用する部材、すなわち、ハイドロダイナミックシール用潤滑溝を形成する部材は、SiC蒸着品及びSiC反応焼結品、すなわち、表面をSiC化した「カーボン」である。

したがって、引用例に記載されたハイドロダイナミックシール用の端面材の組合せ「SiC×SiC」は、SiC蒸着品あるいはSiC反応焼結品であって、SiCの緻密質の単体品ではなく、当然、高密度炭化珪素焼結体でもない。

なお、審決の引用する引用例の記載(審決書2頁17行~3頁12行)中の「カーボン」は、端面材の具体例であり、この具体例と、引用文献のカーボンの補足説明に係るSiC蒸着品及びSiC反応焼結品とは関連がないから、被告の主張するように、引用文献のカーボンの補足説明に係る記載箇所で、SiC蒸着品及びSiC反応焼結品がカーボンと認識され、SiCの単体品と区別されて説明されているからといって、端面材の「カーボン」が、SiC蒸着品及びSiC反応焼結品を含むとすることはできない。

以上によれば、審決が、炭化珪素で構成された材料を使用する箇所について、引用例の「端面材」は、摺動する面を有する部材全体、すなわち本願発明の「摺動部材」に該当するから、両者はこの点では、実質上差異はないと判断した(審決書5頁4~19行)ことは、誤りである。

2  相違点2についての判断の誤り(取消事由2)

引用例発明の端面材の組合せ「SiC×SiC」は、前示のとおり、炭化珪素の緻密質の単体品からなるものではないが、仮に引用例に炭化珪素からなるハイドロダイナミックシール用の端面材の組合せが開示されていたとしても、それは、以下の理由により、本願発明のような高密度炭化珪素焼結体ではない。

(1)  高密度炭化珪素焼結体は、製造原料として、高純度に精製された炭化珪素の微粉末を用い、これにホウ素化合物又は/及びアルミ系化合物などの焼結促進材及び炭素などの焼結助材とを添加混合し、かつ成形して、不活性雰囲気下で高温に焼成することによって、成形体中の気孔を次第に減少させる一方、粒子間の結合力を次第に増加させるといった2つの内部構造の変化により、機械的強度を増強させて形成されたものであり、上記のような高度な焼結技術は用いないで、SiO2とCとの混合物の自己燃焼などにより合成されてなる炭化珪素とは、特性、特に機械的強度、加工性の面において、格段の差を有しているものである。したがって、両者は同一のものでもなければ、また、同義語的に使用されているものでもない。

(2)  このような高密度炭化珪素焼結体の単体品に対し、その摺動面にハイドロダイナミックシール用の潤滑用溝を形成できる技術(方法)は、本願発明の出願前に開発されていなかったのであるから、引用例の「ドライガスシール」の項に記載されたSiC(炭化珪素)が高密度炭化珪素焼結体の単体品であるはずがない。

この点につき、審決は、セラミックデータブック編集委員会編集、工業製品技術協会発行「セラミックデータブック 1983」160頁(甲第4号証、乙第4号証、以下「周知文献」という。)の記載からみても、高密度炭化珪素焼結体への溝加工が可能であったことは明らかであり、それを否定することはできないと判断している(審決書7頁14~19行)が、周知文献の上記頁には、SiCなどの昇華性セラミックスのミリングや溝彫りにCO2レーザを用いることが記載されているだけで、ハイドロダイナミックシール用の高密度炭化珪素焼結体製摺動部材の摺動端面所要部分に潤滑用の溝を形成する技術については、全く記載されていない。

周知文献において、CO2レーザ加工を採用してミリングや溝彫りを行なうとして列記されたセラミックスは、「Si3N4,SiC,SiAlONなどの昇華性セラミックス」であり、SiCには、前記で述べたように焼結法の違いや焼結条件による密度の違いによって物性の異なる多種のものが存在するのであるから、周知文献に記載されたSiCが本願発明の「高密度炭化珪素焼結体」に該当すると断定することはできない。しかも、仮に、CO2レーザ加工を高密度炭化珪素焼結体製摺動部材の摺動面に適用してハイドロダイナミックシール用の潤滑用溝を形成しようとしても、CO2レーザ加工はレーザ光そのものをスポット的に照射するものであるから、精度的に課題が多く、ミクロン単位の精密な精度が要求されるハイドロダイナミックシール用の摺動部材の摺動面への溝加工に適用することは、当業者が想定しない。

そして、周知文献には、「今後はセラミックス部品の大形化や複雑化が進むものとみられ、高能率で自由度の大きいレーザ加工への期待はますます大きくなると予想される.穴あけ、切断、スクライビングなどで一部既に実用化されている分野もあるが、厚板や複雑形状部品の切断や溶接についてはまだほとんど手がつけられておらず、・・・むしろこれからの研究開発が重要となろう.」(乙第4号証162頁右欄2~8行)と記載され、同旨の記載は他の技術文献(甲第9号証)にも見られるから、これらの記載によれば、本願発明の出願前、レーザ加工技術の分野において、「SiC」に微細加工を施すことは不可能であったということができる。

なお、昭和58年11月発行の「工業材料」臨時増刊「ハイテクノロジーセラミックス」通巻第376号(乙第14号証)に記載されたレベルの実施研究段階(同号証115頁左欄1~3行、116頁右欄2~4行)では、高精度が要求される高密度炭化珪素焼結体の摺動端面へのハイドロダイナミックシール用溝の作成までできることは開示されておらず、単なるレーザ加工のみをもってハイドロダイナミックシール用溝を形成することは技術的に不可能である。特開昭61-155279号(乙第15号証)に記載されたセラミックス焼結体は、「高密度炭化珪素焼結体」に該当すると断定することはできず、また、レーザ加工によってセラミックス焼結体を所定の形状、寸法に形成するための切断や溝切り、穴あけ等が記載されていても、高密度炭化珪素焼結体の摺動端面に、高度なシール機能を発揮させるための高精度が要求されるハイドロダイナミックシール用溝の作成までできることを開示していることにならない。特開昭61-99721号(乙第16号証)に記載されたショットブラスト加工法については、審決では全く触れられていないから、本件訴訟とは無関係である。

(3)  引用例発明について、引用例には、「SiC系×SiC系は低PV値(10kgf/cm2・m/s前後)ではよい成績を示す」(審決書3頁10~12行)と記載されている。

ところで、SiC(炭化珪素)製の摺動部材は、給油下でも無給油(ドライ)下でも、摩耗量が大きく変わらない(乙第2号証・特開昭54-143412号公報2頁表1)から、引用例の上記判断が正しいとすれば、本願発明も、引用例発明の「SiC」と同様、低PV値(10Kgf/cm2・m/s前後)でのみよい成績を示すはずである。しかし、本願発明は、本願明細書(甲第2号証)に記載されているとおり、PV値が、上記低PV値〔PV=P(圧力)×V(周速)〕の約9倍(89kgf/cm2・m/s)で、摺動材(回転環及び固定環)の摩耗量が、1時間当たり「ほぼ0」という好成績を示すものである(同号証8欄24行、表2)。

このようにPV値において約9倍の差があれば、それは、単なる実験条件(清水とガス)の差ではなく、材質的に大きな相違があると考えるべきである。

したがって、この観点からも、引用例発明の「SiC」は、本願発明のような、「高密度炭化珪素焼結体」ではないことが明らかである。

(4)  引用例発明が炭化珪素の「緻密質の単体品」であるとしても、これは必ずしも本願発明のような「高密度焼結体」を意味するものではない。

すなわち、1984年2月発行の浜野健也編集「ファインセラミックスハンドブック」(甲第7号証)の「難焼結物質の焼結方法」の項の記載(同号証549頁)、表Ⅳ.3.7(同550頁)、表Ⅳ.3.8(同553頁)の記載によれば、SiC(炭化珪素)は、その焼結法の違いによって、物性に大きな相違点のある多孔質炭化珪素もあれば、緻密質炭化珪素(高密度~低密度のSiC焼結体)もあることが明らかとされている。そして、特公平5-69066号公報(甲第8号証)に記載されているように、メカニカルシールの摺動部材として用いられる炭化珪素の主流は、多孔質炭化珪素である(同号証3欄22~26行)。

また、昭和61年7月発行の通商産業省ファインセラミックス室編「ファインセラミックスハンドブック」(甲第10号証)によれば、焼結法で作られた焼結体の組織表現としては、「緻密質」、「高密度焼結(高密度化)」及び「多孔質」の3種類に分かれ、炭化珪素などのファインセラミックスの分野では、たとえ気孔が多く残る焼結体であっても、気孔率(空孔の割合)が50~90%ぐらいの多孔質組織でない限り、緻密質の概念と観念され、他方、高密度焼結の場合は、気孔の残りやすい焼結体は概念に含まれないことが明らかにされているから、緻密質がすなわち高密度焼結とはいえないのである。

さらに、特開昭49-99308号公報(乙第1号証)の記載によれば、高密度炭化珪素焼結体は、密度が2.90g/cm3以上あることが必要で、それに達しない炭化珪素焼結体は、たとえ、緻密質であっても高密度炭化珪素焼結体とは認識されないことが認められ、これが、本願発明の出願前、「高密度炭化珪素焼結体」に対する当業者の認識である。

そうすると、炭化珪素焼結体において、緻密質の概念と、高密度の概念は一致せず、緻密質であっても、密度が2.90g/cm3に達しないものは、高密度焼結体と認識されないのであり、緻密質の焼結体全てが高密度焼結体であるというわけではない。なお、本願発明の実施例における「SiC焼結体」の密度は、3.15~3.16g/cm3であるから、高密度炭化珪素焼結体である。

(5)  したがって、審決が、引用例発明の炭化珪素は高密度炭化珪素焼結体と同義であると判断した(審決書6頁19行~7頁1行)ことは誤りであり、上記の誤りの結果、本願発明と引用例記載の発明とは、相違点2の点でも実質上差異があるとはいえないと誤って判断したものである。

第4  被告の反論の要点

審決の認定判断は正当であって、原告主張の審決取消事由は、いずれも理由がない。

1  取消事由1について

引用例(甲第3号証)におけるメカニカルシールの全般的な説明をしている「基本構成」の項(同号証22頁)では、「シールリングの材質は、現今よく用いられる組合わせは、ステライトやニレジストとカーボン、あるいは超硬合金(タングステンカーバイドなど)、セラミック(アルミナや炭化けい素)およびセラミックコーティング(酸化クロムやアルミナ)その他種々の材料のコーティングとカーボンなどであって、これらはカーボンコンタクトと総称する.・・・その他の組合わせではSiC(炭化けい素)とSiC、SiCと超硬合金、…その他がある.」と記載され、シールリング(本願発明の摺動部材)の材質について、単独の端面材ではなく、コンタクトすなわち接触面の組合せとして記載されていることから、組合せの表現は、2つの端面材が接触していると同時に、両者の材質が、それぞれ炭化珪素であることを表現したものであることは明らかである。

また、引用文献(乙第17号証)には、「PTFE系の材料と組合わせてPV値が高いのは、・・・各種セラミック単体(Al2O3やSiC)、各種セラミックコーティング(Al2O3,Cr2O3など)などで」(同号証126頁10~12行)、「シール用のSiCは大きくわけて2つあり、1つは緻密質の単体品、他の1つはカーボンの表面に反応層を造って、これに樹脂を含浸したものなどである.他に、カーボンにSiCの蒸着層をコーティングしたものも用い得る.」(同128頁10行~129頁2行)と記載され、セラミック単体とセラミックコーティングされたものとが区別され、SiCの緻密質の単体品と、SiC反応焼結品及びSiC蒸着品とが区別されている。

さらに、引用文献(乙第17号証)の記載(同号証78頁7~25行、146頁19行~147頁4行、229頁24~26行)及び表3.10「メカニカルシール用カーボンの実用分類」(同119頁)によれば、SiC蒸着品及びSiC反応焼結品は、「SiC」としてではなく、カーボンと認識されており、かつ、カーボンの相手材の「SiC」は、SiC蒸着品及びSiC反応焼結品と区別されている。

一方、引用例には、「端面材にはカーボンと金属(ステライト、タングステンカーバイドなど)を用いるものがある。・・・上記以外で期待できる端面材とその組合わせとしては、種々のSiC×SiC、SiC×WCがある。」(審決書3頁3~10行)と記載され、この記載における「カーボン」は、前記のとおりSiC蒸着品及びSiC反応焼結品を含み、「SiC×SiC」は、「上記以外で期待できる端面材とその組合わせ」であるから、その「SiC」は、SiC蒸着品及びSiC反応焼結品以外のものであることが明らかである。

以上のとおり、引用文献においては、「SiC」を、「緻密質の単体品」の意味で統一的に使用しているのである。

したがって、引用例の炭化珪素からなる「端面材」とは、摺動する面を有する部材全体を意味するとの審決の認定に誤りはなく、本願発明における炭化珪素からなる「摺動部材」と引用例発明における「端面材」とは実質上差異はないから、審決の相違点1についての判断(審決書5頁4~19行)に誤りはない。

2  取消事由2について

(1)  炭化珪素は、SiO2+3C→SiC+2COという反応で製造されるものであるが、この反応で製造されるものは不定形な塊であり、構造物ではない。そして、構造物を製造するには、形成された塊を粉砕して粉末とし、ついでそれを成形・焼結して焼結体とするものであり、それにより、炭化珪素の有する特性を生かすことができるのである。

したがって、審決の「炭化珪素の構造体といえば、それは高密度焼結体の有する耐熱性、耐摩耗性等の特性が故に構造体に採用されるのであり、したがって、引用例1の炭化珪素は高密度炭化珪素焼結体ということになる」(審決書6頁10~14行)との認定に誤りはない。

引用文献の前示「材質の決定」の項(乙第17号証128~129頁)のメカニカルシールの密封端面用材料についての記載でも、その単体品すなわち構造体においては緻密なものすなわち高密度炭化珪素焼結体が使用されることが示されている。

また、特開昭49-99308号公報(乙第1号証)の特許請求の範囲第2項及び発明の詳細な説明の項の冒頭の記載、特開昭54-143412号公報(乙第2号証)の特許請求の範囲及び発明の詳細な説明の項の冒頭の記載から明らかなように、引用例の頒布(昭和57年)のはるか以前から、「炭化珪素」なる用語が、本願発明でいうところの「高密度炭化珪素焼結体」の意味で使用され、かつ炭化珪素を主成分とする炭化物焼結体をシール部の摺動部材に採用することが、引用例の頒布前公知であることに鑑みれば、引用例に記載された「SiC」が、本願発明の「高密度炭化珪素焼結体」そのものに相当することは明らかである。

さらに、特開昭57-179076号公報(乙第7号証)の第1表、特開昭58-125666号公報(乙第8号証)の第2、第3表の記載、特開昭55-116668号公報(乙第9号証)の第1表から、炭化珪素の特性である高強度、耐摩耗性等の物性は、高密度の焼結体とすることによってのみ発現する性質であり、添加剤等を工夫して相対密度98%程度の焼結体を製造する技術は、本願出願前から各種のものが存在していたことは明らかである。

したがって、審決の、「構造体において、炭化珪素といえば、前述のことからわかるように高密度焼結体を指すのが普通であり、両者は同義語的に使用されており、引用例1(注、引用例)でも、これとは異なる意味で使用しているような事実は見当たらず、この点からしても、引用例1の炭化珪素は高密度焼結体とするのが相当である。」(審決書6頁15~7頁1行)との認定に誤りはない。

(2)  周知文献(甲第4号証、乙第4号証)には、審決の認定する(審決書7頁14~19行)ように、溝加工が可能であること、すなわち、「溝彫り」などの加工技術が開示されるとともに、セラミックス全般について、金属材料以上の高硬度素材であり、天然物で最高の硬度を有するダイヤモンドを主体とする砥石が多用される程度に高硬度素材であるとの認識があり、特に、SiC(炭化珪素)については、バイトによる旋削加工に換えて、CO2レーザ加工の採用が開示されている。

原告は、本願発明の出願前の技術水準を考えると、高密度炭化珪素焼結体の単体品の場合は、その摺動面にハイドロダイナミックシール用の潤滑用溝を形成できる技術(方法)が開発されていなかったのであるから、引用例のドライガスシールの項に記載されたSiCが高密度炭化珪素焼結体の単体品であるはずがないと主張する。

しかし、昭和58年11月発行の「工業材料」臨時増刊「ハイテクノロジーセラミックス」通巻第376号(乙第14号証)には、高密度炭化珪素焼結体に対して、切断、研削等の各種の機械加工が可能であることが示されている。特開昭61-155279号公報(乙第15号証)には、セラミックス焼結体に各種の加工法が適用され、実施例2として、98wt%のSiCの成形体をホットプレスしたものにダイヤモンド砥石による切断、研削加工をしたことが示されている。特開昭61-99721号公報(乙第16号証)には、炭化珪素などのセラミックスにスパイラル溝を形成して摺動部品として使用することが示され、該溝の加工法に関して、ショットブラスト加工法により極めて浅いスパイラル状の溝を形成することが開示されている。

以上によれば、高密度炭化珪素焼結体に対し、ハイドロダイナミックシール用溝を、ダイヤモンド研削、ショットブラストあるいはレーザ加工等により作成することが可能であるといえる。

したがって、周知文献の記載に基づいて、高密度炭化珪素焼結体への溝加工が可能であるとした審決の認定(審決書7頁1~19行)に誤りはない。

(3)  引用文献記載のPV値は、液体潤滑剤を用いずに、ガス漏れを厳しく制限するドライガスシールにおけるPV値であって、少なくとも、圧力Pは、ガス圧(気圧)である。一方、本願発明の実験例2は、流体として、摩耗原因となる微粒子を含まない「清水」を使用し、圧力(水圧)10kgf/cm2及び従来品(溝なしSiC焼結体)における「モレ量」の1.4~3倍の「モレ量」で測定したものである。

そして、ガスに比べ、粘性が桁違いに大きい水(細隙等から漏れにくい)で、しかも、摺動部分の摩耗の原因となる微粒子等を除いた「清水」を採用し、従来品より多量の「モレ量」を許す条件下で、高いPV値が得られることは、引用文献の記載「受圧比を大きくすればある範囲までは漏れ量は少なくなるが、過大にすると過熱、異常摩耗、早期摩耗を生じる.受圧比を小さくすれば漏れ量は多くなるが摩擦係数は小さくなって高いPV値が得られる.」(乙第17号証86頁8~10行)からも明らかである。

したがって、引用例発明と上記本願発明の実験例2とのPV値の差(約9倍)は、原告が主張するように引用例発明と本願発明の摺動部材の材質の差を示すものではない。

(4)  原告は、特公昭平5-69066号公報(甲第8号証)の記載に基づいて、メカニカルシールの摺動部材として用いられる炭化珪素の主流は多孔質炭化珪素であると主張するが、同公報は、昭和63年8月18日に出願された発明に係るから、本願発明の出願当時の技術水準の指標となりえないし、そもそも、同公報には、上記主張に沿う記載も示唆もなく、かえって、従来の技術の項(同号証1欄24行~2欄15行)の記載によれば、従来技術における炭化珪素は、素材としての炭化珪素が有する特性を発現することを意図したものであり、かつ形成された構造体である摺動材が、平滑性に優れ、鏡面であることからも、凹凸の原因となる気孔等を有しない緻密な焼結体であることが理解される。さらに、同公報記載(同3欄22~26行)の3件の公開特許公報(乙第11~第13号証)の技術は、従来の炭化珪素(あるいはそれらを含むセラミックス)からなる摺動部材は潤滑性能が劣るため、多孔性としたものであるから、それ以前において炭化珪素摺動部材といえば、非多孔質の高密度焼結体を指すものである。

また、原告は、引用例発明の炭化珪素摺動部材が「緻密質」であるとしても、「低密度」であって「高密度焼結体」ではないと主張する。しかし、新漢和辞典(乙第18号証694頁)によれば、粉末(粒子)を焼き固めた焼結体において、「緻密質の単体品」は、粒子がぎっしりとこみあって(詰まって)きめが細かい焼結体ということになる。一方、焼結体が「低密度」ということは、空隙を含めた全体積当たりの全重量が小さいこと、すなわち、粒子がぎっしりと詰まってなく、空隙が多いことを意味するから、「緻密質」と「低密度」とは相反する概念である。特開昭49-99308号公報(乙第1号証)においても、「密度2.7g/cm3のもの」が、「緻密質」であっても、「低密度」であるとは記載されていない。

(5)  したがって、審決が、相違点2の点でも、本願発明と引用例発明とは実質上差異がないと判断した(審決書7頁20行~8頁1行)ことに、誤りはない。

第5  証拠

本件記録中の書証目録の記載を引用する。書証の成立については、いずれも当事者間に争いがない。

第6  当裁判所の判断

1  取消事由1(相違点1の判断の誤り)について

審決の認定の相違点1は、炭化珪素で構成された材料を使用する箇所が、本願発明では「摺動部材」であるのに対し、引用例発明では「端面材」である点にある(審決書4頁12~14行)こと、本願発明の高密度炭化珪素焼結体からなる「摺動部材」が、摺動する面を有する部材全体を意味するものであること、引用例の「端面材」が、炭化珪素を使用して溝が形成されたハイドロダイナミックシール用摺動部材であることは、いずれも当事者間に争いがない。

そして、引用例の「端面材とその組合わせとしては、種々のSiC×SiC、SiC×WCがある。」(審決書3頁9~10行)とされる「SiC」の「端面材」に関して、引用文献(乙第17号証)には、「PTFE系の材料と組合わせてPV値が高いのは、・・・各種セラミック単体(Al2O3やSiC)、各種セラミックコーティング(Al2O3,Cr2O3など)などで」(同号証126頁10~12行)、「シール用のSiCは大きくわけて2つあり、1つは緻密質の単体品、他の1つはカーボンの表面に反応層を造って、これに樹脂を含浸したものなどである.他に、カーボンにSiCの蒸着層をコーティングしたものも用い得る.」(同128頁10行~129頁2行)、「セラミック自体は単体としては高い耐食性があっても、コーティングは母材の耐食性によって可否が決まる.母材が耐食的でなければはく離する.これは物理的結合であり、かつ有孔性があるからである.」(同129頁7行~130頁1行)、「端面の一方にカーボンを使う場合、比較的スラリに強いのは、相手面にセラミック単体、セラミックコーティング、タングステンカーバイドなどを用いた場合である.・・・原油や重油などのように砂粒などが混入している可能性の大きい液には、超硬合金と超硬合金、超硬合金とSiC,SiCとSiCなどを用いるのがもっとも良いが、高価なので、タングステンカーバイドと銅合金、セラミック単体と銅合金、セラミックコーティングと銅合金も用いられ、低廉なものとしてはステライトや鋳鉄系あるいは鋼系の金属と銅合金も使われる.」(同183頁13~28行)と記載されている。

これらの記載によれば、引用例において、セラミック単体とセラミックコーティングされたものとは、端面材としての性質に差異があることから、明確に区別されて使用されており、技術的に限定されない「SiC」は、セラミック単体を意味しているものと認められるとともに、シール用のSiCとして、SiCの緻密質の単体品と、カーボンの表面に反応層を造ってSiCとしたもの、すなわち「SiC反応焼結品」と、カーボンにSiCの蒸着層をコーティングしたもの、すなわち「SiC蒸着品」とが区別されているものと認められる。

また、引用文献には、「超硬合金×超硬合金のシールは、スラリ用や高温用、高い密封性を必要とする場合および材種によっては高い耐食性が必要な場合に用いるが、近来ニューセラミックスが発展し、SiC×WC,SiC×SiCがよく用いられるようになり、カーボンの表層をSiC化したものも用いられるが、これらはWC×WCよりμ’の経時変化が小さく、PV値も高い.」(同72頁2行~74頁2行)、「一般にカーボンはスラリには弱い(ガラス状カーボン、表面をSiC化したカーボンは耐スラリ性が高い).」(同78頁7~8行)、「ハイドロダイナミックシールあるいはサーモハイドロダイナミックシールも有効である.・・・最も重要なのは端面の材質とその組合わせであって、特にカーボンが問題である.カーボンは樹脂含浸のほか、金属含浸、無含浸、SiC蒸着、SiC反応焼結品などが有効である.・・・カーボンの相手材としては、SiC、超硬合金やそのフレームプレーティング、メテコ34Fコーティング、ハイス鋼、SCM,SUJ系統などがよい.」(同146頁19行~147頁4行)、「ハイドロダイナミックシールまたはサーモハイドロダイナミックシールにすることもよい.・・・液体の場合非接触形にして、漏れの流速を速くした場合には、カーボンは使わないほうがよい.しかし、表面をSiC化したカーボンはエロージョンには強い.」(同149頁6~12行)、「吸気をおさえしかもスラリに強いのはSiCどうしの組合せか、超硬合金と表面をSiC化したカーボンの組合せである.」(同229頁24~26行)と記載されており、引用文献の表3.10「メカニカルシール用カーボンの実用分類」(同119頁)には、メカニカルシール用カーボンとして、「セラミック焼結カーボン」と「表面SiC化焼結カーボン」が分類されている。

これらの記載によれば、SiC蒸着品及びSiC反応焼結品は、カーボンの表層をSiC化したものであって「SiC」自体とは区別され、母材であるカーボンの1形態として認識されており、カーボンの相手材としての「SiC」も、SiC蒸着品及びSiC反応焼結品と区別されているものと認められる。

すなわち、審決引用の引用例中の「端面材にはカーボンと金属(ステライト、タングステンカーバイドなど)を用いるものがある。・・・上記以外で期待できる端面材とその組合せとしては、種々のSiC×SiC、SiC×WCがある。」(審決書3頁3~10行)との記載における「カーボン」は、SiC蒸着品及びSiC反応焼結品を含むものとして用いられており、「SiC×SiC」の「SiC」は、緻密質のセラミック単体を指すものとして用いられているものと理解されるのである。上記「SiC」にはSiC蒸着品及びSiC反応焼結品が含まれるとする原告の主張は、採用できない。

また、原告は、引用例の上記記載箇所と引用文献のカーボン等の説明箇所とは、関連性がないとし、「表3.20」(乙第17号証129頁)においては、「単体成形方式」によるものも、「コーティング方式」によるものも、全て「SiC」と記載されていると主張する。

しかし、同表は、製造方法として単体成形方式とコーティング方式を分類した上、その例の欄で、「SiC」が端面材の材質として使用されることを、他の材質(Al2O3、Cr2O3など)とともに表示するものであり、そこに使用された「SiC」の用語は、単体成形方式とコーティング方式のいずれに用いるものかは明らかであって、「SiC×SiC」の「SiC」が、SiC反応焼結品及びSiC蒸着品を含むことの根拠とすることはできない。その他、引用例を含む引用文献は、前示のとおり、「セラミック単体」と「セラミックコーティング」、「SiC」と「カーボン」、「SiCの緻密質の単体品」と「SiC反応焼結品」と「SiC蒸着品」などを、いずれの箇所においても明確に区別して使用しており、引用例の上記記載箇所と引用文献の全般的な記載とを別異に解する根拠は認められないから、原告の上記主張も採用できない。

そうすると、引用例発明の炭化珪素からなる「端面材」とは、摺動する面を有する部材全体を意味するとの審決の認定に誤りはなく、本願発明における炭化珪素からなる「摺動部材」と引用例発明における「端面材」とは実質上差異はないから、審決の相違点1についての判断(審決書5頁4~19行)に誤りはない。

2  取消事由2(相違点2の判断の誤り)について

本願発明と引用例発明とが、審決認定の相違点2、すなわち、「炭化珪素について、前者が高密度焼結体としているのに対し、後者は単に炭化珪素としているのみであり、それ以上の具体的記載がない点」(審決書4頁15~17行)で相違することは、当事者間に争いがない。

(1)  引用例発明の端面材が炭化珪素の緻密質の単体であることは、前示のとおりであるが、これが高密度焼結体か否かについて、引用文献(乙第17号証)には、「いろいろなセラミック単体の性質を表3.18に示す.シール用には質の緻密な硬度の高いものを選ぶこと.なお、近時ニューセラミックスとして、SiC(炭化けい素)やSi3N4(窒化けい素)とくに前者がメカニカルシール用に用いられるようになった.これは製法が進歩して、質の緻密なものや強度の高いものが得られるようになったからである.これらは、耐熱性、耐食性および耐摩性が高く、摩擦係数が低くかつPV値が高い.」(同号証128頁5~10行)との記載があり、「表3.19 ニューセラミックスの特性」(同頁)には、SiCの物理的特性の見掛け比重が「3.2」とされ、「表3.20 ニューセラミックスの代表的製造法」(同129頁)には、SiCを含む単体成形方式による製造方法の中には焼結法やホットプレス法があり、ホットプレス法の主な長所として、「密度の高い製品ができる」旨の記載がある。

また、特開昭49-99308号公報(乙第1号証)には、「炭化ケイ素の焼結によつて3.21g/cm3の理論密度に近い密度を得ることは容易でない。・・・論文・・・中には、緻密化を助けるため少量のアルミニウムおよび鉄を添加することによつて理論密度の98%程度の均一な密度に至るまで炭化ケイ素を高温圧縮する方法が記載されている。」(同号証2頁左上欄10~17行)との記載がある。

これらの記載によれば、引用例では、シールに用いられるセラミック単体は、耐摩性等の観点から緻密で高硬度・高強度である必要があり、そのセラミック単体である「SiC」については、ホットプレス法により、高密度のものが製造できる旨が示されており、しかも、その見掛け比重が「3.2」、すなわち見掛け密度が3.2g/cm3であることは、炭化珪素の焼結による理論密度が3.21g/cm3であることを考慮すると、極めて密度の高いSiCが開示されているものと認められる。

また、特開昭58-125666号公報(乙第8号証)の第2表、第3表の記載、特開昭55-116668号公報(乙第9号証)の第1表の記載によれば、炭化珪素は、高温かつ高圧又は常圧下で焼結体とすることによって、高密度の耐摩耗性等の優れた物性を有することが開示されており、この焼結体の製造技術は、本願出願前から周知のものであったと認められるから、引用例発明において、緻密で高硬度・高強度とする必要があるSiC単体を、高温かつ高圧又は常圧下で焼結して高密度とすることは、当然のことと認められる。

以上のことによれば、引用例発明の炭化珪素の緻密質の単体からなる端面材は、本願発明と同様の高密度焼結体であると認められ、この相違点2に関する審決の判断(審決書6頁6行~7頁1行)に誤りはない。

(2)  原告は、本願発明のような高密度炭化珪素焼結体の摺動面にハイドロダイナミックシール用の潤滑用溝を形成できる技術(方法)は、本願発明の出願前に開発されていなかったのであるから、ハイドロダイナミックシール用の潤滑用溝が形成された引用例発明の炭化珪素は、高密度焼結体ではないと主張する。

しかし、周知例(甲第4号証、乙第4号証)には、「切断ではないが新しい試みとしてセラミックスの切削例が報告されている.これは旋削におけるバイトの代りにレーザを用いようとするもので、450~1400WのCO2レーザを用い,Si3N4,SiC,SiAlONなどの昇華性セラミックスのミリングや溝彫りを行うものである.」(乙第4号証158頁右欄末行~160頁左欄4行)との記載があり、この記載によれば、SiC(炭化珪素)については、バイトによる旋削加工に換えて、CO2レーザ加工による技術が開示されている。

また、日刊工業新聞社発行「ハイテクノロジーセラミックス」工業材料臨時増刊(乙第14号証)には高密度炭化珪素焼結体に相当するものが開示され(同号証114頁右欄10~12行)、高密度炭化珪素焼結体が、切断、研削等の各種の機械加工が可能であることも示されている(同115頁左欄1~11行、116頁右欄9~11行)。

特開昭61-155279号(乙第15号証)の「従来技術」の項にはセラミックス焼結体に各種の加工法が適用されていたことが記載され(同号証2頁左上欄3行~右上欄8行)、実施例2として、98wt%のSiC、1wt%のB4C及び1wt%のCにパラフィンを添加して金型プレスで型押しした成形体をホットプレスしたものにダイヤモンド砥石による切断、研削加工をしたサンプルを製造したことが記載されている(同4頁左下欄6行~右下欄3行)。

特開昭61-99721号(乙第16号証)には、炭化珪素などのセラミックスなどからなる中間板の表裏に動圧発生用のスパイラル溝を形成して、軸受の摺動部品として使用することが示され、該溝の加工法に関して、炭化珪素セラミックスはショットブラスト加工法により3~50μmの極めて浅いスパイラル状の溝を形成することができること及びレーザ加工も可能であることが示され(同号証3頁左上欄20行~右上欄9行)、さらに、炭化珪素セラミックス製中間板の表面粗さの値として0.1、0.3、0.5及び1.8μmが示され(同4頁左下欄18~20行)、0.4μm以下の表面粗さに仕上げるために「ラップ仕上げ」が用いられることを例示している(同5頁右上欄2~4行)。

以上の各公報によれば、高密度炭化珪素焼結体に対して、レーザ加工、ダイヤモンド研削、ショットブラスト加工法により、数十μmの深さであるハイドロダイナミックシール用溝を作成することは可能であると認められ、また、表面粗さをサブミクロンの平滑度をもって形成できることも明らかである。

したがって、周知例の記載に基づいて、高密度炭化珪素焼結体への溝加工が可能であるとした審決の認定(審決書7頁1~19行)に誤りはなく、これが不可能であることを前提とする原告の上記主張は採用できない。

(3)  原告は、引用例発明が低PV値(10kgf/cm3・m/s前後)でのみよい成績を示すはずであるのに対し、本願発明は、その実施例で設定した約9倍のPV値(89kgf/cm2・m/s)においても好成績を示すものであるから、引用例発明は本願発明のような高密度炭化珪素焼結体からなるものではないと主張する。

しかし、引用文献の「PV値は受圧比や液質によっても変わる.・・・受圧比を大きくすればある範囲までは漏れ量は少なくなるが、過大にすると過熱、異常摩耗、早期摩耗を生じる.受圧比を小さくすれば漏れ量は多くなるが摩擦係数は小さくなって高いPV値が得られる.」(乙第17号証86頁6~10行)との記載、「表2.14端面材のPV値の例」(同82頁)及び「図2.79各種材料組合わせによるPV値の比較」(同84頁)によれば、PV値は、密封される液質及び許容する漏れ量に依存するものであるとともに、相手側の端面材によっても異なることが認められる。

そして、引用例のPV値では、SiC系×SiC系の端面材の組合せにおいて、ガス漏れを厳しく制限するドライガスシールを対象流体とするのに対して、本願発明の実験例2は、流体として、摩耗原因となる微粒子を含まない「清水」を使用し、従来品より多量の漏れ量を許す条件下で行われたものである。

そうすると、本願発明の実験例2において引用例発明よりも高いPV値でも好成績が得られるからといって、このことが、引用例発明と本願発明の摺動部材の材質の態様の相違(高密度焼結体であるか否か)を示すものではないことは明らかである。

したがって、上記原告の主張は、理由がない。

(4)  原告は、焼結体には「緻密質」、「高密度焼結(高密度化)」及び「多孔質」の3種類が存在し、引用例発明が仮に緻密質のSiCであったとしても、気孔が多い低密度のものであり高密度焼結体とはいえないと主張する。

しかし、一般に、大修館発行新漢和辞典(乙第18号証694頁)によれば、「緻密」とは、「きめが細かいこと」あるいは「ぎっしりとこみあっていること」などをいうものであるから、「低密度」とは相反する概念であると認められ、前記特開昭49-99308号公報(乙第1号証)においても、原告が低密度と主張する密度2.7g/cm3の焼結体が、緻密質であるが低密度であるとする記載はない。

また、オーム社発行「ファインセラミックスハンドブック」(甲第10号証)によれば、焼結法が、常圧焼結による場合は「緻密質だが気孔残りやすい」とされ、加圧焼結による場合は「高密度焼結可能」とされる(同号証62頁表5.)が、引用文献においては、前示のとおり、常圧焼結法と並んで加圧焼結(ホットプレス)法も示されており、他方、本願発明は、本願明細書(甲第2号証)によっても、加圧焼結(ホットプレス)法により高密度焼結体を形成したものとは認められないから、引用例発明の炭化珪素焼結体は、少なくとも本願発明と同程度の高密度のものと認めるのが相当である。

したがって、原告の上記主張は、理由がなく、結局、審決が、相違点2についても、本願発明と引用例記載の発明とは実質上差異がないと判断(審決書7頁20行~8頁1行)したことに、誤りはない。

3  以上のとおり、原告の取消事由の主張はいずれも理由がなく、審決の認定判断は正当であって、その他審決に取り消すべき瑕疵はない。

よって、原告の本訴請求は理由がないから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法7条、民事訴訟法89条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 牧野利秋 裁判官 石原直樹 裁判官 清水節)

平成1年審判第10806号

審決

大阪府大阪市淀川区野中南2丁目11番48号

請求人 日本ピラー工業 株式会社

大阪府大阪市北区神山町8番1号 梅田辰巳ビル

代理人弁理士 鈴江孝一

大阪府大阪市北区神山町8番1号 梅田辰巳ビル 鈴江孝一特許事務所

代理人弁理士 鈴江正二

昭和59年特許願第222574号ハイドロダイナミッフシール用「高密度炭化珪素焼結体製摺動部材およびその摺動端面溝加工方法」拒絶査定に対する審判事件(平成2年4月25日出願公告、特公平2-18317)について、次のとおり審決する。

結論

本件審判の請求は、成り立たない。

理由

1、本願は昭和59年10月22日の出願であって、2の発明を有するものであり、その特許請求の範囲1記載の発明の要旨は、出願公告された明細書及び図面の記載からみて、その1に記載された次のとおりのものと認める。

「高密度炭化珪素焼結体製摺動部材にあって、その摺動端面所要部分に潤滑用の溝を形成したことを特徴とするハイドロダイナミックシール用高密度炭化珪素焼結体製摺動部材。」

2、これに対して、前置審査における特許異議申立人 炭研精工株式会社が甲第1号証として引用した、本出願前の昭和57年12月25日 日刊工業新聞社発行、鷲田彰著「新・メカニカルシール」第21~22頁、第150~153頁、第157~158頁(以下「引用例1」という)には、その第157~158頁の「3.4.6 ドライガスシール」の項に「液体潤滑剤を用いないでガスの漏れをきびしく制限するメカニカルシールは、今日でもむずかしいシールの1つである。密封端面に適当なみぞを設け、相当量の漏れを許し、ハイドロダイナミックシールの原理を応用して寿命の長いシールを得ることは可能である。端面材にはカーボンと金属(ステライト、タングステンカーバイトなど)を用いるものがある。 ~

端面設計を図2.10のようにすることにより非接触形にもできる。非接触形にすれば漏れは多いが安定性はよく、寿命も長くできる。上記以外で期待できる端面材とその組合わせとしては、種々のSiC×SiC、SiC×WCがある。SiC系×SiC系は低PV値(10kgf/cm2・m/s前後)ではよい成績を示す」と記載されている。

以上の記載によれば、ダイナミックシールの原理を応用するメカニカルシールの一対の端面材について、その両方とも炭化珪素を素材とする材料で構成されることが示されており、ダイナッミクシール原理を応用している以上、この一対の内の一方には溝が形成されているのであり、そのことは前掲摘示中にも記載されている。

してみると、引用例1には、炭化珪素製摺動端面材であって、その摺動端面所要部分に潤滑用の溝を形成したダイナミックシール用のものが示されているといえる。

3、そこで、本願の特許請求の範囲1記載の発明(以下単に「本願発明」という)を引用例1に記載の先に示された技術と対比すると、

両者は、ともに炭化珪素製の摺動する部分に使用する材料であって、その摺動端面所要部分に潤滑用の溝を形成したハイドロダイナミックシール用のものではあるものの、文言上、次の点で相違する。

<1>炭化珪素で構成された材料を使用する箇所について、前者では摺動端面材であるとしてりるのに対し、後者では摺動端面部材であるとしている点

<2>炭化珪素について、前者が高密度焼結体としているのに対し、後者は単に炭化珪素としているのみであり、それ以上の具体的記載がない点

4、ついで、相違点について検討する。

1)<1>について

本願発明では、摺動部材全体が炭化珪素で構成されているのに対し、引用例1では、その表現からすると、それは摺動部材の一部の摺動端面側に限られるかのようでもある。

そして、この点に関連して、請求人は特許異議答弁書において、炭化珪素は被覆層として存在しているかのような主張をしているが、引用技術が開示されている「ドライガスシール」の項においては、摺動端面部材の摺動面を特に指摘する場合には、密封「端面」という用語を用いて端面部材の内の端面であることが明確になるように区別しているし、また被覆された面を示す場合には、本刊行物が対象としているハイドロダイナミックシールを含むメカニカルシールの全体的な説明をしている「基本構成」の項(第21頁)で「コーティング」であることを明記しており、これらの点からして先の「摺動端面材」とは、摺動する面を有する部材全体、すなわち、本願発明でいうところの「摺動部材」に該当するとするのが相当であり、両者はこの点では、実質上差異はない。

2)<2>について

この点に関連して、請求人は引用例1には炭化珪素が高密度焼結体製であることが明記されいない及びそれに溝加工を施す技術は確立されておらず、それを使用に供し得るようにすることは誰も考えていない旨の主張する。

しかしながら、前述のとおり、引用例1の炭化珪素は被覆物ではなく、摺動部材全体を構成しているとするのが相当であり、そういうことになると摺動部材は炭化珪素からなる構造体ということになり、炭化珪素の構造体といえば、それは高密度焼結体の有する耐熱性、耐摩耗性等の特性が故に構造体に採用されるのであり、したがって、引用例1の炭化珪素は高密度焼結体ということなるのである。

また、製造原料の場合は別にして、構造体において、炭化珪素といえば、前述のことからわかるように高密度焼結体を指すのが普通であり、両者は同義語的に使用されており、引用例1でも、これとは異なる意味で使用しているような事実は見当たらず、この点からしても、引用例1の炭化珪素は高密度焼結体とするのが相当である。

そして、炭化珪素高密度焼結体に、溝加工することは可能であり、そのことは、答弁書第2頁の記載からして、請求人もそもそも否定していない。

また、引用例1の端面材は、その構造上溝が必要なものであり、しかも前記したとおり、それに該焼結体を使用することが示されているといえるのであり、そうである以上、引用例1の記載は炭化珪素高密度焼結体に溝加工をしていることを示しているのであり、それを否定するところはないし、該焼結体に溝を施し、それを使用に供し得るようにすることは誰も考えていないという請求人の主張は合理性に欠けるものである。

なお、本出願前に頒布された甲第4号証刊行物(セラミックデータブック編集委員会編集、工業製品技術協会発行「セラミックデータブック 1983」第160頁)の記載からみても、炭化珪素高密度焼結体への溝加工が可能であったことは明かであり、それを否定することはできない。

してみると、両者はこの<2>点でも実質上差異があるとは言えない

以上のとおりであるから、本願発明は甲第1号証に示されている範囲内のものといえる。

5、したがって、本願発明は、本出願前に日本国内において頒布された甲第1号証刊行物に記載された発明と同一であるから、特許法第29条第1項第3号に規定する発明に該当し、特許を受けることができない。

よって、結論のとおり審決する。

平成5年9月20日

審判長 特許庁審判官 (略)

特許庁審判官 (略)

特許庁審判官 (略)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例