東京高等裁判所 平成5年(行ケ)67号 判決 1994年8月16日
東京都板橋区舟渡3丁目9番6号
原告
アトミクス株式会社
(旧商号 アトム化学塗料株式会社)
同代表者代表取締役
西川正洋
同訴訟代理人弁理士
萩野平
同
佐々木清隆
東京都千代田区霞が関3丁目4番3号
被告
特許庁長官 高島章
同指定代理人
柿澤紀世雄
同
田中靖紘
同
市川信郷
同
関口博
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第1 当事者の求めた裁判
1 原告
「特許庁が平成1年審判第14546号事件について平成5年3月18日にした審決を取り消す。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決
2 被告
主文と同旨の判決
第2 請求の原因
1 特許庁における手続の経緯
原告は、昭和62年8月21日、名称を「チューブ状容器入り塗料組成物」とする発明(以下「本願発明」という。)につき特許出願(昭和62年特許願第206592号)をしたが、平成1年6月21日拒絶査定を受けたので、同年8月31日審判を請求した。特許庁は、同請求を平成1年審判第14546号事件として審理し、平成2年7月2日出願公告をしたが、特許異議の申立があり、平成5年3月18日、「本件審判の請求は、成り立たない。」との審決をし、その謄本は同年4月26日原告に送達された。
2 本願発明の要旨
平均粒子径が0.05~0.2μmである水性樹脂エマルジョン、顔料、充填剤および増粘剤からなる塗料組成物であって、増粘剤の配合量が固形分として塗料組成物中に0.1~1.0重量%存在し、ICI値が0.5~1.5ポイズ、TI値が4.0~10.0の範囲内にあることを特徴とするチューブ状容器入り塗料組成物。」
3 審決の理由の要点
(1) 本願発明の要旨は前項記載のとおりである。
(2) 本出願前国内に頒布された特開昭51-4222号公報(本訴における甲第6号証、以下「引用例1」という。なお、書証番号は本訴におけるもので表示する。)には、「本質的に、(a)ポリ(エチレングリコール)アクリレートもしくはメタクリレートと(b)メチルアクリレートもしくはメタクリレートとを共重合することにより製造され、そしてポリ(エチレングリコール)の分子量が500~1500であり、かつ(a)対(b)の重量比が約0.7対1.0ないし0.5対1.0である新規な両親媒性の重合体からなる水性ラテックス塗料用増粘剤。」の発明(特許請求の範囲)について、「本発明の増粘剤は、分散重合体粒子の平均直径が0.1ミクロン以下であるラテックスに使用することが好ましい。」(3頁左上欄17行ないし19行)こと、「この重合体がラテックス塗料へ付与できるすぐれたレオロジー特性から最大の利益を得るためには、塗料が104/秒の高せん断速度において、ハケ塗りに対しては0.1~1.0ポアズそしてローラー塗りに対してはそれより多少高い粘度を持つように両親媒性重合体の濃度を調節する。増粘されたラテックス塗料の特性は、それがチキソトロピー性である」(3頁右上欄1行ないし8行)こと、「二酸化チタン顔料(10部)、顔料分散剤(ローム・アンド・ハース・カンパニーのTamel
また、特開昭51-147543号公報(甲第7号証、以下「引用例2」という。)には、ゲルコート用揺変性樹脂のTI値を5.2に調節すること、特開昭51-116882号公報(甲第5号証、以下「引用例3」という。)には、「水性塗料用容器」(1頁左欄下から7行、6行)がそれぞれ記載されている。
(3) 本願発明と引用例1記載の発明とを比較すると、引用例1のアクリル共重合体ラテックスは水性樹脂エマルジョンにほかならないし、本願のICI値の測定条件コーンアンドプレートユニットを使用したずり速度9523sec-1、25℃は、引用例1の粘度の測定条件円すいと平板を使用する104/秒と略一致するから、両者は、水性樹脂エマルジョン、顔料及び増粘剤からなる塗料組成物である点で一致し、水性樹脂エマルジョンの粒径、増粘剤の配合量、ICI値及びチキソトロピー性であることの点でも両者に差異はないが、次の点で相違する。
<1> 本願の塗料組成物は充填剤を含むのに対し、引用例1には充填剤の記載がないこと。
<2> 本願の塗料組成物のTI値は4.0~10.0であるのに対し、引用例1にはTI値が言及されていないこと。
<3> 本願の塗料組成物はチューブ状容器に入っているものであるのに対し、引用例1の塗料組成物はチューブ状容器に入っていないこと。
(4) 上記各相違点について検討する。
<1> 相違点<1>について、塗料に充填剤を配合することは本出願前周知であり、引用例1の塗料組成物に充填剤を配合することに、別段、創意を要しない。
<2> 相違点<2>について、TI値5.2のゲルコート用揺変性樹脂が前記したように引用例2に記載されており、ゲルコート用揺変性樹脂はチキソトロピー性を有する塗料にほかならないから、TI値4.0~10.0を選定することに格別創意を要しない。
<3> 相違点<3>について、塗料をチューブ状容器に入れておくことは引用例3に記載されており、チューブ状容器に入れておくことは適宜なし得ることである。
そして、塗料がボタ落ちしないなどの本願発明の効果は、TI値が高いことなどから予測し得る効果であって顕著に優れた効果であるとはいえない。
(5) したがって、本願発明は引用例1ないし3に記載された発明に基づいて当業者が容易に発明をすることができたものと認められ、特許法29条2項の規定により特許を受けることができない。
4 審決を取り消すべき事由
審決の理由の要点(1)、(2)は認める。同(3)のうち、本願発明と引用例1の発明とが、水性樹脂エマルジョンの粒径、増粘剤の配合量、ICI値及びチキソトロピー性であることの点で差異はない旨の認定は争い、その余は認める。同(4)<1>は認めるが、同(4)<2>、<3>は争う。同(5)は争う。
審決は、本願発明と引用例1の発明との一致点の認定及び相違点<2>、<3>についての判断を誤り、かつ、本願発明の効果の顕著性を看過して、本願発明の進歩性を否定したものであるから、違法として取り消されるべきである。
(1) 一致点の認定の誤り(取消事由1)
審決は、本願発明と引用例1の発明とは、水性樹脂エマルジョンの粒径、増粘剤の配合量、ICI値及びチキソトロピー性であることの点で差異はない旨認定しているが、誤りである。
<1> 水性樹脂エマルジョンの粒径について
引用例1(甲第6号証)における「分散重合体粒子の平均直径が0.1ミクロン以下であるラテックス」(3頁左上欄18行、19行)との記載、実施例に関する「平均粒子直径が0.1ミクロンであるアクリル共重合体ラテックス(ローム・アンド・ハース・カンパニーのRhoplex
<2> 増粘剤の配合量について
引用例1には、「両親媒性重合体はラテックス固体の0.1~15.0重量%の量で使用し、」(3頁左上欄末行ないし右上欄1行)と記載されているところ、固形分として塗料組成物中に0.1~1.0重量%存在する本願発明の増粘剤の配合量は、ラテックス固体について換算すると0.25~20重量%となるから、両者の増粘剤の配合量に差異がないということはできない。
<3> ICI値について
引用例1には、「塗料が104/秒の高せん断速度において、ハケ塗りに対しては0.1~1.0ポアズそしてローラー塗りに対してはそれより多少高い粘度をもつように両親媒性重合体の濃度を調節する。」(3頁右上欄3行ないし7行)と記載されているだけであって、本願発明の「チューブ状容器入り塗料組成物の0.5~1.5ポイズ」のICI値は引用例1の上記数値範囲から大きく偏倚しており、両者のICI値は決して差異がないということはできない。
<4> チキソトロピー性について
一般に、すべての塗料は完全なニュートン流体でなく、多かれ少なかれチキソトロピー性を持っており、このような意味において、引用例1はタレを生じない最低限のチキソトロピー性を持った塗料を示しているものであって、本願発明の塗料組成物のような高いTI値(4.0~10.0)をもっている塗料を教示しているものではない。
すなわち、引用例1に記載されているような流動性の高い塗料は、チューブ容器に充填したときに、ボタ落ちを生じたり、長期の貯蔵中に沈澱を生じるのでチューブ状容器入り塗料組成物として使用できないことは、本願明細書に示した比較例からも明らかであり、また、引用例1では単に概念的に塗料のチキソトロピー性を述べているだけであって、引用例1が、チューブ状容器入り塗料組成物として従来全く認識されていなかった必須的なTI値を見いだした本願発明の塗料組成物を何も示唆していないことは明らかである。
したがって、チキソトロピー性であることの点で両者に差異がないということはできない。
(2) 相違点<2>についての判断の誤り(取消事由2)
引用例2の揺変性樹脂組成物は、揺変性付与剤を添加した液状樹脂組成物に対して特定の一般式で示される高分子非イオン界面活性剤を添加してなるものであり、ここで「使用される液状樹脂とは不飽和ポリエステル樹脂、ポリエステルアクリレート樹脂、エポキシアクリレート樹脂等」(甲第7号証2頁右下欄12行ないし14行)であって、これらの樹脂は溶剤系または無溶剤系の樹脂であり、本願発明で使用している水性樹脂エマルジョンの樹脂とは本質的に相違するものである。また、引用例2の組成物に「使用される揺変性付与剤とは、・・・微細シリカや特殊な短繊維アスベストなどの無機物をはじめ、公知のポリエステルアミド、エトキシル化したポリアミド、ビニルラクタムからなる重合物(略)、飽和高級脂肪酸のシクロヘキシルアミド(略)などの有機質からなる増粘または揺変性付与剤である。」(同号証3頁左上欄1行ないし8行)が、これらの増粘または揺変性付与剤は、溶剤系または無溶剤系のものである。一方、本願発明の増粘剤は親水性ポリマーのような水溶性のものである。
したがって、引用例2に非水系の揺変性樹脂組成物の実施例についてTI値が5.2であることが記載されているとしても、本願発明のチューブ状容器入り塗料組成物とは樹脂成分及び増粘剤が本質的に相違すること、また、引用例2の発明の主目的が「経時における粘度、揺変度の変化の非常に少ない貯蔵安定性のすぐれた揺変性樹脂を得」(同号証4頁右上欄19行ないし左下欄1行)ることであることを勘案すると、相違点<2>についての審決の判断は誤りである。
(3) 相違点<3>についての判断の誤り(取消事由3)
塗料は、貯蔵中にある程度の沈殿や色の分離などが生じるものと考えられ、塗料を使用する時にそれらを攪拌することは当然のこととして行われてきた。更に、家庭塗料のように店頭に数年間も置かれることがある塗料では、チューブに入れて全く攪拌できない状態にすることは長期保存後の使用時に問題を起こし、この問題を解決することは技術的な困難を伴ったのである。また、塗料の貯蔵安定性を改善するために塗料の粘度を上げるようなことも行われてきた。しかし、このような場合には良好な作業性が得られないため、使用時に希釈して粘度を下げて作業性を良くした後使用するのが一般的な方法であった。当然であるが希釈するときには、塗料を攪拌しなければならない。しかし、チューブ状容器に入れた場合には希釈も攪拌も行うことができない。したがって、このような困難が伴うためチューブ状容器に塗料を入れることは実現できなかったのである。
以上のような当該技術分野における技術水準からすれば、相違点<3>についての審決の判断は誤りてある。
(4) 効果の顕著性の看過(取消事由4)
本願発明は、塗料がボタ落ちしないばかりでなく、長期間保存後の使用時においても攪拌や希釈を必要としない、貯蔵中に色分れや沈殿を生じない、塗装時に塗料ののびが良好で作業性が良い、などの多くの顕著な効果を奏するものである。これらの効果はTI値が高いことからだけで予測、達成されることではない。本願の第1図において特許請求の範囲に規定されたTI値とICI値が囲む範囲から外れた場合、例えばICI値が0.5ポイズよりも小さい場合には、本願明細書7頁14行ないし17行に説明されているように、塗装時に刷毛が塗面を滑って塗装が困難であり、1回の塗膜厚さが薄いので塗り回数が多くなり不利である。
また、これらの多くの優れた効果を顕著なものではないと断定することは、従来の塗料分野の当業者の技術常識が本願発明により打ち破られたことからすると、妥当な判断とはいえない。
したがって、塗料がボタ落ちしないなどの本願発明の効果は、TI値が高いことなどから予測し得る効果であって、顕著に優れた効果であるとはいえないとした審決の判断は、本願発明の効果の顕著性を看過したものである。
第3 請求の原因に対する認否及び反論
1 請求の原因1ないし3は認める。同4は争う。
審決の認定、判断は正当であって、原告主張の誤りない。
2 反論
(1) 取消事由1について
引用例1の水性樹脂ラテックスの粒径と本願発明の水性エマルジョンの平均粒子径とは、一部でも重複しているだけで両者の粒子径は同一といえるわけであり、両者の粒子径の範囲まで一致しなければならないというようなものではない。
増粘剤の配合量についても、本願発明と引用例1に記載されたものとは、その範囲が重複しており、同一である。
ICI値について、引用例1には、「塗料が104/秒の高せん断速度において、ハケ塗りに対しては0.1~1.0ポアズそしてローラー塗りに対してはそれより多少高い粘度をもつように両親媒性重合体の濃度を調節する。」(3頁右上欄3行ないし7行)と記載されており、本願発明で限定するICI値0.5~1.5ポイズは引用例1に記載の0.1~1.0ポアズと重複しており、同一である。
チキソトロピー性について、引用例1には、「増粘されたラテックス塗料の特性は、チキソトロピー性であり」(3頁右上欄7行、8行)と記載されており、増粘剤を具体的に使用している。一般に、増粘剤は、チキソトロピー性を付与したり、塗料の流動性を修正したりするものであり、その増粘剤の作用効果は「顔料の沈降防止」「塗装の際のタレ防止」等であることは技術常識である。一方、本願発明も増粘剤を使用することを発明の必須の構成要件としているから、本願発明の塗料も実質的にチキソトロピー性であると解される。
したがって、本願発明と引用例1の発明とは、水性樹脂エマルジョンの粒径、増粘剤の配合量、ICI値及びチキソトロピー性であることの点で差異はないとした審決の認定に誤りはない。
(2) 取消事由2について
引用例2の揺変性樹脂組成物は、液状樹脂に揺変性付与剤(通常はチキソトロピー性付与剤と同一の意味に使用される。)を添加するものであり、同引用例に例示されている液状樹脂の具体的なものが、原告主張のとおり溶剤系樹脂であったとしても、通常は液状樹脂の範疇に属するものは溶剤系樹脂だけであると限定的に解釈する理由もないし、水性樹脂エマルジョンも液状樹脂であるとともに、塗料として使用されている代表的なものである。そして、溶剤系樹脂と同様に、水性樹脂エマルジョンのような液状樹脂に揺変性付与剤を添加して、チキソトロピー性が改良された塗料とすることも普通に行われていることであるから、引用例2において、液状樹脂の一つである溶剤系樹脂に関してTI値5.2程度の塗料が製造されていることからすると、このようなTI値の塗料は、液状樹脂の一つである水性樹脂エマルジョンにおいても製造可能であるとみるべきである。
そして、本願発明のチューブ状容器入り塗料組成物の構成要件は、「水性樹脂エマルジョン」及び「増粘剤」のような、それ自体上位概念の限定であり、引用例2の塗料を構成する樹脂や揺変性付与剤と技術的に物質上区別できるようなものでないばかりか、本願発明は水性樹脂エマルジョンを塗料として採用せんがための特有な技術的な工夫を凝らしているものでもない、などの点を勘案するならば、本願発明の塗料組成物を構成する樹脂成分及び増粘剤は引用例2に記載のそれとは本質的に相違する旨の原告の主張は失当である。
したがって、相違点<2>につき、「引用例2に記載のTI値5.2という比較的大きいチキソトロピー性塗料を製造するという技術思想を、引用例1に記載の水性ラテックス塗料に導入することにより、TI値4.0~10.0の範囲の塗料を選定することに格別創意を要しない。」とした趣旨の審決の判断に誤りはない。
(3) 取消事由3について
チューブ状容器自体は、あらゆる分野の容器として日常使用されている周知慣用の容器であり、そのチューブ状容器の取扱いや便利の点などは、日常ごく普通に知ることのできるようなことである。
本願発明の塗料組成物の特性を考察しても、塗料ののび、塗料のダレ性及び色むらがないことなどは、ごく普通の缶入り塗料にも要求されるような性質であり、チューブ状容器を使用した場合の特有の問題でもないし、チューブ状容器の場合は塗装時に塗料の攪拌ができないなど、その取扱い上それなりの問題点はあるにせよ、チューブ状容器から塗料を押し出す場合には適度の塗料濃度や粘度がないとダレやボタ落ちがあり、非常に不便であることは日常経験する程度のことである。
したがって、塗料をチューブ状容器に入れるという着想自体は何ら創意を要することではないし、そのための塗料として、保存という静止状態では比較的粘性があり、かつ、塗布という攪拌状態では流動性を示す性質を有するものが推奨されることは容易に予測できることであり、このような性質はまさにチキソトロピー性の高いものということができる。
このように、チキソトロピー性の高いものを定量的に表示したものと解される、TI値の比較的高い4.0~10.0程度の塗料をチューブ状容器で取り扱うことは、塗料の保存及びハケ目等の流動性の面を勘案して当業者が容易になし得ることである。
したがって、相違点<3>についての審決の判断に誤りはない。
(4) 取消事由4について
TI値が高いということは、塗料の低速攪拌状態では粘度が高く、高速攪拌状態では粘度が低くなることであり、チキソトロピー性の高いものを表しているものとみるべきである。
このようにチキソトロピー性が高いということは、塗料をチューブ状容器で保存するような、静止状態では粘度が非常に高いということにもなり、取扱い上は塗料のボタ落ちが少ないという傾向を端的に示すものであるといえる。
したがって、塗料がボタ落ちしないなどの本願発明の効果は、TI値が高いことなどから予測し得る効果であって、顕著に優れた効果であるとはいえないとした審決の判断に誤りはない。
第4 証拠関係
本件記録中の書証目録記載のとおりであって、書証の成立はいずれも当事者間に争いがない。
理由
1 請求の原因1(特許庁における手続の経緯)、同2(本願発明の要旨)、同3(審決の理由の要点)については、当事者間に争いがない。
そして、引用例1ないし3に審決摘示の各技術事項が記載されていること、本願発明と引用例1のものとは、水性樹脂エマルジョン、顔料及び増粘剤からなる塗料組成物である点で一致すること、両者の相違点は審決摘示のとおりであること、及び相違点<1>に対する判断についても、当事者間に争いがない。
2 取消事由1について
(1) 引用例1のアクリル共重合体ラテックスが水性樹脂エマルジョンであること、引用例1に「本発明の増粘剤は、分散重合体粒子の平均直径が0.1ミクロン以下であるラテックスに使用することが好ましい。」(3頁左上欄12行ないし19行)と記載されていることは当事者間に争いがない。そして、甲第6号証によれば、引用例1には、塗料性質に関するラテックス粒子の大きさの意義について検討した実施例8につき、平均直径が0.1ミクロンより小さいラテックスから調製した塗料は実施例5の塗料に匹敵する優れた粘度特性及び流動性をもっていた旨(5頁右上欄7行ないし左下欄5行)記載されていることが認められる。
ところで、引用例1が示す、好ましい水性樹脂エマルジョンの平均直径0.1μm以下は、本願発明の水性樹脂エマルジョンの平均粒子径(0.05~0.2μm)と重複しているから、両者の粒子径は同一というべきである。
原告は、本願発明の水性樹脂エマルジョンの粒径は引用例1のものの上限値の2倍でもよいのであるから、両者の間には明らかに差異がある旨主張する。
しかし、発明を構成する必須要件が数値範囲によって規定されている場合に、それと対比される発明の数値範囲が完全に一致しなければ同一とはいえないというものではなく、両者の数値範囲が完全に一致していなくても、重複すれば同一といえるものであるから、原告の主張は採用できない。
(2) 甲第6号証によれば、引用例1に「両親媒性重合体はラテックス固体の0.1~15.0重量%の量で使用し」(3頁左上欄末行ないし右上欄1行)と記載されていることが認められる。
ところで、固形分として塗料組成物中に0.1~1.0重量%存在する本願発明の増粘剤の配合量は、ラテックス固体について換算すると0.25~20重量%となることは原告の自認するところであるから、本願発明における増粘剤の配合量は、引用例1記載の塗料における増粘剤の上記含有量と重複する。
したがって、本願発明と引用例1のものとは、増粘剤の配合量についても同一というべきである。
(3) 引用例1に「塗料が104/秒の高せん断速度において、ハケ塗りに対しては0.1~1.0ポアズそしてローラー塗りた対してはそれより多少高い粘度を持つように両親媒性重合体の濃度を調節する。」(3頁右上欄3行ないし7行)と記載されていること、本願発明のICI値(0.5~1.0ポイズ)の測定条件コーンアンドプレートユニットを使用したずり速度9523/sec-1、25℃は、引用例1の粘度の測定条件円すいと平板を使用する104/秒と略一致していることは、当事者間に争いがない。
そうすると、本願発明のICI値と引用例1のICI値は重複しているものと認められから、同一というべきである。
原告は、本願発明のICI値と引用例1のそれと大きく偏倚しており、差異がないとはいえない旨主張するが、採用できない。
(4) 引用例1に「増粘されたラテックス塗料の特性は、それがチキソトロピー性であり」(3頁右上欄7行、8行)と記載されていることは当事者間に争いがない。また、乙第1号証(室井宗一著「建築塗料における高分子ラテックスの応用」昭和58年4月15日株式会社工文社発行)によれば、増粘剤は、塗料の見かけの粘度を顕著に増大したり、チキソトロピー性を付与したりするなどして、塗料の流動性を修正するものであって、増粘剤を添加することによって、塗料貯蔵中における顔料の沈降防止や塗装の際のタレ防止等の効果を奏するものであり、このことは、本願出願当時すでに当業者によく知られていた事項であると認められる。
ところで、引用例1の塗料組成物及び本願発明の塗料組成物はいずれも増粘剤を使用しているのであるから、いずれもチキソトロピー性であることは明らかである。
なお原告は、本願発明の塗料組成物におけるTI値を持ち出して、引用例1の塗料組成物とはチキソトロピー性の程度において差異があるなどと主張するが、TI値の点は相違点<2>として摘示され、判断されている事項であるから、原告の主張は、その前提において失当である。
(5) 以上のとおりであって、本願発明と引用例1の発明は、水性樹脂エマルジョンの粒径、増粘剤の配合量、ICI値及びチキソトロピー性であることの点で差異はないとした審決の認定に誤りはなく、取消事由1は理由がない。
3 取消事由2について
(1) 引用例2にゲルコート用揺変性樹脂のTI値を5.2に調節することが記載されていることは、当事者間に争いがない。
甲第7号証によれば、引用例2の発明は「揺変性付与剤を添加した液状樹脂組成物に対し下記の一般式(略)で示す高分子非イオン界面活性剤を添加してなる貯蔵安定性にすぐれた揺変性樹脂組成物。」(特許請求の範囲)であること、同引用例には、「本発明は成形用若しくは塗装用樹脂に、揺変性付与剤を添加して揺変性を付与する場合に、少量の高分子非イオン性界面活性剤を添加することにより、粘度、および揺変度の経時変化が少ない、貯蔵安定性のすぐれた揺変性樹脂組成物を提供することを目的とする。」(1頁左下欄下から2行ないし右下欄4行)、「従来このような液状樹脂に対し、種々の無機或いは、有機物質を添加することにより該液状樹脂の増粘を図ったり、揺変性(チクソトロピー)の付与が行なわれてきた。揺変性付与剤の中で、樹脂の性能を低下させず、またその揺変性効果をより長く持続するものを選ぼうとすれば、実際には種々の制約があり、現在ごく限られた少数の付与剤、例えば微細シリカ(例えば、商品名:エアロジル、Aerosil)特殊な短繊維アスベスト(例えば、商品名:カリドリア、Cali dria)等がこの目的に採用されている。」(2頁左上欄11行ないし右上欄1行)、「本発明に使用される液状樹脂とは不飽和ポリエステル樹脂、ポリエステルアクリレート樹脂、エポキシアクリレート樹脂等である」(2頁右下欄12行ないし14行)と記載されていること、がそれぞれ認められる。
引用例2の上記記載によれば、引用例2記載のものにおいて使用される樹脂及び揺変性付与剤(増粘剤)は溶剤系または無溶剤系のものであると認められる。
ところで、引用例1の発明自体が水性ラテックス塗料用増粘剤の発明であること、引用例1には「セルロースの水溶性塩もしくはエーテル、ポリ(アクリル酸)もしくはポリ(ビニルピロリドン)のアンモニウム塩のような増粘剤を、たとえば塗料の非揮発性含量の0.2~20重量%の濃度で塗料に加えて、その粘度を増加させることが普通に行なわれている。」(1頁右下欄下から3行ないし2頁左上欄4行)、「すぐれた流動性は増粘剤の選定に関連するラテックス塗料のレオロジーの一面である。塗料は十分に粘性であって貯蔵中の顔料の著しい沈降を防ぎ、そしてブラシ塗りまたはローラー塗りにおけるすぐれた付着量を良好にすることが好ましい。また、塗料は支持体への塗布時において過度の流れを起こさないでかつすぐれた流動性を示すという相反する条件を満足しなければならない。これらの基準はチキソトロピー系の特徴であり、」(2頁左上欄14行ないし右上欄3行)と記載されていることからしても、揺変性付与剤(増粘剤)は、溶剤系または無溶剤系の樹脂にのみ使用されるものではなく、液状樹脂である水性ラテックス(水性樹脂エマルジョン)塗料でも使用されるものであることは明らかである。
上記のように引用例1及び2をみても明らかなとおり、従来から溶剤系または無溶剤系塗料、水性ラテックス塗料のいずれにおいても、粘度やチキソトロピー性の改善のために揺変性付与剤(増粘剤)が普通に使用されているものである。
次に、本願明細書の発明の詳細な説明には、「本発明の塗料組成物においては、増粘剤としては親水性ポリマーが適しており、・・・。例えばポリアクリル酸塩、繊維素誘導体などがあり、特にポリアクリル酸のアンモニウム塩およびナトリウム塩が顕著な効果を示し、またキサントゲン酸セルロースも良好な作用を示す。」(甲第10号証4欄37行ないし5欄3行)と記載されており、本願発明で使用する増粘剤は引用例2で使用される上記増粘剤と種類が異なるけれども、本願発明は増粘剤を特定のものに限定して規定しているわけではないし、引用例1及び前掲乙第1号証によれば、本願明細書に記載されている上記増粘剤は、水性ラテックス塗料に普通に使用されているものであって、格別のものではないことが認められる。
(2) しかして、上記の点を前提として、TI値は塗料の粘度に関係する“タレ”や垂直部積層面の“ズリ落ち”の防止、塗装の作業性等に係わるチキソトロピー性の指標であることを併せ考えると、引用例2にチキソトロピー性塗料のTI値を5.2に調節することが記載されている以上、同様にチキソトロピー性である引用例1の塗料においても同程度のTI値とすることは、当業者が容易に想到し得ることと認めるのが相当である。
原告は、引用例2の揺変性樹脂組成物と本願発明の塗料組成物とは樹脂成分及び増粘剤が本質的に相違すること、及び引用例2の発明の目的の点を理由として、相違点<2>についての審決の判断の誤りを主張するが採用できない。
(3) 以上のとおりであるから、相違点<2>についての審決の判断に誤りはなく、取消事由2は理由がない。
4 取消事由3について
(1) 引用例3に「水性塗料用容器」が記載されていることは当事者間に争いがなく、甲第5号証によれば、引用例3の塗料用容器は、「アルミニウム箔の片面にヒートシール性フィルムを、かつ該箔の他面に紙、およびポリエステルフィルム、ポリプロピレンフィルム、防湿セロハンから選ばれた1種以上のフィルムを、各々積層してなる柔軟性ラミネートフィルムのヒートシール性フィルムを内側にしてマクラ型またはチューブ状になるようにヒートシールしてなる塗料用容器。」(特許請求の範囲)であることが認められる。
上記のとおり、引用例3には、本願発明の塗料組成物と同様の水性塗料を収納するためのチューブ状容器が開示されているのであるから、本願発明のように塗料組成物をチューブ状容器に入れることは格別の創意を要しないものと認めるのが相当である。
(2) 原告は、塗料は貯蔵中にある程度の沈降や色の分離などが生じ、これを使用する場合には攪拌や希釈が必要となるが、チューブ状容器に塗料組成物を入れた場合には攪拌も希釈も行うことができないため、チューブ状容器に塗料組成物を入れることは本願出願前には実現できなかったことを理由として、相違点<3>についての審決の判断の誤りを主張する。
チューブ状容器に塗料組成物を入れた場合には、その使用時に攪拌、希釈を行うことができないといった問題点があるとしても、そのことは当然予測されることであり、攪拌や希釈操作を必要としないような顔料の沈降や色の分離の防止が得られれば、チューブ状容器を用いようと着想すること自体は何ら創意を要することではないものというべきである。しかして、前記2項に認定のとおり、増粘剤を添加することによって、塗料貯蔵中における顔料の沈降防止や塗装の際のタレ防止等の効果を奏するものであることは、本願出願当時すでに当業者によく知られていた事項であり、また、後記5項で述べるとおり、引用例1には、増粘剤を使用して貯蔵安定性の優れた水性ラテックス塗料を製造することが示されているのであるから、原告主張の理由により、塗料組成物をチューブ状容器に入れることを想到し得ないということはできない。
したがって、原告の上記主張は採用できない。
(3) 以上のとおりであって、相違点<3>についての審決の判断に誤りはなく、取消事由3は理由がない。
5 取消事由4について
(1) 本願明細書(甲第10号証)には、「本発明は・・・塗料のボタ落ちがなく、色ムラが生じ難く、攪拌操作や希釈作業を必要としないような水性塗料組成物を開発し」(3欄18行ないし21行)、「本発明によるチューブ状容器入り塗料組成物は日曜大工、ホビー用など素人が塗装に使用したときに、塗料のダレ、ボタ落ち、色ムラ発生などがなく、また攪拌や希釈操作を必要とせず簡便であり塗装も容易なものである。」(3欄33行ないし37行)と記載されていることが認められる。
原告は、塗料がボタ落ちしないばかりでなく、長期間保存後の使用時においても攪拌や希釈を必要としない、貯蔵中に色分れや沈殿を生じない、塗装時の塗料の伸びが良好で作業性が良いなどの本願発明の効果は顕著なものである旨主張するので、この点について検討する。
上記効果のうち、「長期間保存後の使用時においても攪拌や希釈を必要としない、貯蔵中に色分れや沈殿を生じない」という効果は貯蔵安定性に係るものであるが、前記のとおり、増粘剤を添加することによって、塗料貯蔵中における顔料の沈降防止や塗装の際のタレ防止等の効果を奏するものであることは、本願出願当時すでに当業者によく知られていた事項であり、また、引用例1には、「本発明は、貯蔵安定性と塗装性ならびに塗装フィルムの流動性にすぐれた水性ラテックス塗料の製造に関する。」(1頁右下欄10行なしい12行)、「増粘されたラテックス塗料の特性は、それがチキソトロピー性であり、ハケ目のすぐれた流動性を示すことである。」(3頁右上欄7行ないし9行)と記載されているのであるから、上記効果が、当業者において容易に予測し得ないような格別顕著なものであるとは認められない。
次に、「ボタ落ちしない、塗装時の塗料の伸びが良好で作業性が良い」という効果は、静止時ないし低ずり速度での粘度、チキソトロピー性、塗料の流動性等に係るものであるが、前記のとおり、粘度やチキソトロピー性の改善のために揺変性付与剤(増粘剤)が普通に使用されているものであること、引用例1には、上記記載のほか、実施例5及び同7について、Drage Rheomatを使用するせん断速度10/秒での粘度が比較的大きく{27.0ポアズ(実施例5)、57.0ポアズ(実施例7)}、円すいと平板粘度計を使用するせん断速度104/秒での粘度が小さい{0.8(実施例5)、0.7(実施例7)}塗料組成物が、きわめて優れた(実施例5)、または優れた(実施例7)流動性を示したことが記載されており、特に低せん断速度10/秒での粘度が比較的大きいことから、静止時ないし低ずり速度での粘度が高くボタ落ちし難いものであると考えられることからすると、上記効果も当業者が容易に予測し得る程度のものであると認めるのが相当である。
(2) 原告は、本願発明の効果はTI値が高いことからだけで予測、達成されることではなく、ICI値等との関連において把握されるべきである旨主張する。
しかし、本願発明と引用例1記載の発明とは、水性樹脂エマルジョン、顔料及び増粘剤からなる塗料組成物である点で一致し、水性樹脂エマルジョンの粒径、増粘剤の配合量、ICI値の点でも差異がなく、したがって、これらの結合に本願発明の特徴があるとは認め難く、一方、塗料組成物としての構成に関していえば、引用例1にはTI値が明記されていない点が本願発明との主たる相違点なのであるから、審決が、本願発明におけるTI値が高いことを取り上げ、それのもたらす効果の予測性を問題にしたことは相当というべきであって、原告の主張は採用できない。
また原告は、本願発明の優れた効果を顕著なものではないと断定することは、従来の塗料分野の当業者の技術常識が本願発明により打ち破られたことからすると妥当な判断とはいえない旨主張する。
しかし、本願発明が従来の塗料分野の当業者の技術常識を打ち破る程の画期的なものとは認め難いことは叙上説示したところから明らかであって、原告の上記主張も採用できない。
(3) 以上のとおりであって、本願発明の効果についての審決の判断に誤りはなく、取消事由4は理由がない。
6 よって、原告の本訴請求は理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担について行政事件訴訟法7条、民事訴訟法89条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 伊藤博 裁判官 濱崎浩一 裁判官 押切瞳)