東京高等裁判所 平成6年(う)533号 判決
所論は,原判決は,被告人が原判示の日時・場所において,法定の最高速度60キロメートル毎時を35キロメートル超える95キロメートル毎時の速度で普通乗用自動車を運転して進行した事実を認定しているが,被告人は90キロメートル毎時未満の速度でしか運転していない,そして,取締当局は,原判示の場所において法定の最高速度60キロメートル毎時を30キロメートル超える90キロメートル毎時以上の速度違反を犯した車両をオービスⅢの取締対象としているが,これは90キロメートル毎時未満の速度の運転には抽象的危険がないためであるから,被告人の行為は道路交通法の制限速度違反罪で処罰すべき可罰的違法性がなく無罪であり,原判決には,判決に影響を及ぼすことが明らかな事実誤認がある,というのである。
しかしながら,原判決挙示の証拠によれば,原判示事実はこれを認めるに十分であり,当審における事実取調の結果によっても右認定は左右されない。この点に関する原判決の「当裁判所の判断」の項における説示は,所論にもかかわらず,当審としても是認し得ると考えるが,以下,所論指摘の点につき若干補足して説明する。
1 関係証拠によれば,次の事実が認められる。
(1) 被告人は,平成4年5月4日午前1時58分ころ,原判示のS市T町○番××号付近の国道1号線の上り車線(2車線)の第2通行帯(以下,第2車線という。)を普通乗用自動車(トヨタソアラ4.0GTリミテッド)を運転して進行中,同所の中央分離帯に設置された速度違反自動取締装置(オービスⅢLj型,以下,本件オービスⅢという。)により,その速度が95キロメートル毎時と計測・表示された。
(2) 本件オービスⅢは,東京航空計器株式会社が静岡県警察本部に納入した装置のうちの1台であるが,その構造及び作動原理は,次のとおりである。
ア 道路表層に等間隔で3本の車両感知ループ(車両の進行方向順に,スタートループ,コントロールループ,ストップループと称する。)を埋設しておき,原判決の「当裁判所の判断」の(二)の1で判示するとおり,車両がループ上を通過すると,スタートループとストップループのセンサーで感知した車両の通過を,その各検出信号の時間間隔を計測して走行速度を算出し,その走行速度が予め設定された速度以上である車両については,カメラが作動して,同一フィルム上にその車両の前面像及び測定された速度等のデータが撮影表示される。
イ 各ループは,車両進行方向と交差する方向の長さが2.286メートル,進行方向への長さが0.762メートルの長方形のコイルで,車線の中央部に横長に設置され,スタートループの前縁(車両進行方向に向かって手前のループ線,以下同じ。)と,ストップループの前縁との間隔は6.9メートルであり,その中間にコントロールループが設置されており,普通乗用自動車の場合,車幅が各ループと40センチ以上重ならないと車両検出信号は発せられず測定が行われない。
ウ オービスⅢのループ式センサーは,ループ上を通過する自動車によるインダクタンス変化を感知することによって検出信号を発するものであるため,車両の斜め走行,上下動などによりその感知に若干の差異を生じ,計測速度にもそれに応じた誤差の生ずる可能性があるところ,メーカーにおいて多数回の走行テストを行い,その誤差を統計学的に処理した結果,誤差の分布はプラス2.5パーセントからマイナス2.5パーセント以内に収まることから,プラス誤差を出さないように,機械の総合精度を「誤差零からマイナス5パーセント・マイナス1キロメートル毎時まで」と規定し,この精度を達成するため,スタートループとストップループ間の実際の間隔距離6.9メートルから2.5パーセントを減じた6.7275メートルを測定上の走行距離として用い,その間の通過時間で除して車両の走行速度を算出することとし,更に,表示する毎時速時はキロメートル単位とし,1キロメートル未満は切り捨てる。
エ オービスⅢは,車両がストップループの前縁から6メートル進行した地点(撮影地点)で写真撮影が行われるが,走行方法が異常なために正確な速度測定が困難な車両を取り締まりの対象から除くため,スタートループからコントロールループへの通過時間と,コントロールループからストップループへのそれとの時間差比が1.5パーセントを超えるときは,カメラが作動しない仕組みとなっており,したがって,このような場合には,写真撮影は行われず,捕捉した車両の走行速度の表示も行われない。
(3) そして,装置の正確な作動保持のため,右納入会社ではS県警の係官立会いの下で,年2回の定期点検と年1回の走行試験を行っており,本件オービスⅢについては,本件の約10か月前である平成3年6月25日に走行試験を,本件の約5か月前である同年12月10日に定期点検を,本件の約1か月余り後である平成4年6月16日に定期点検と走行試験をそれぞれ行い,各定期点検では計器の作動に異常はなく良好と認められたこと,各走行試験では一般車両100台について実際に走行させて速度測定を行った結果,前者ではその誤差はすべてマイナス2.55パーセントからマイナス4.77パーセントの範囲内に収まり,後者でのそれはすべてマイナス2.05パーセントからマイナス5.40パーセントの範囲内に収まって,プラス誤差が生じた事例はまったくなかったことが認められる。
(4) 本件の場合,オービスⅢのカメラが作動し,被告人車両を写真撮影しているところ,右写真によれば,同車両は,撮影時点において,第2車線の中央部を車線とほぼ平行に走行しており,被告人もこの事実は認めて争わない。
2 所論の検討
(1) 所論は,被告人は,本件車両を運転して上り第1通行帯(以下,第1車線という。)を走行中,本件現場の手前で先行車両を追い越そうとして,第2車線に車線変更したが,その際,同車線に設置されている本件オービスⅢの車両感知ループ上を斜めに通過し,しかも路面の凹凸で車体が上下動したために,右オービスⅢの性能上,速度測定にプラス誤差を生じ,当時,被告人が意識的に90キロメートル毎時未満の速度で走行していたのに,右オービスⅢに95キロメートル毎時で走行したかのように誤って計測・表示されたと主張する。
(2) そして,被告人は,平成4年6月30日の警察官の最初の取調の際には,95キロメートル毎時で走行した旨,原判示の速度違反の事実を認めたのであるが,その後同年8月6日の取調では否認に転じ,当審にいたるまで,ほぼ所論に沿う弁解をしており,当時の走行状況につき,交通違反の点数増加による運転免許取消処分をおそれて,90キロメートル毎時以上で走行しないように速度計を注意しながら,右速度を少し下回る速度で上り第1車線を走行中,先行車両を追い越すため,本件現場直近の交差点の停止線の約10メートル手前で,第2車線へ車線変更を開始し,本件オービスⅢで捕捉されて写真撮影されたときには,第2車線上を走行していたと述べるので,その言い分に沿って所論を検討する。
(3) 被告人は,90キロメートル毎時(25メートル毎秒)に近い速度で走行中,本件現場直近の交差点の停止線の手前約10メートルで車線変更を開始したと述べて,その際に特段減速したとも主張しないが,被告人が車線変更を始めたとする前記地点から本件オービスⅢのスタートループ前縁に達するまでには約44メートルの距離があり,上り第1,第2各車線の幅員はそれぞれ3.5メートルで,第2車線の右側には下り車線との間に樹木の植え込みのある中央分離帯が設けられている現場付近の道路状況(平成6年8月31日付捜査報告添付の見取図)を併せ考えると,右44メートルの間に約3.5メートル右側に車体を移動させて車線変更を終えていたと見るのが自然であり,大きく蛇行運転をするなど異常な走行をしない限り(被告人も車線変更に際しては特に異常な運転をしたとは供述していない。),遅くとも被告人車両がスタートループに達するころには,車線変更のための斜め走行を終えて第2車線上を同車線にほぼ平行に走行していたものと推認して誤りないと考えられる。
しかし,所論にかんがみ,この点を,更に,被告人の車線変更の開始地点に関する右供述から一応離れて,被告人車両がループ上を斜めに走行したことによる速度測定誤差が最大に生じる軌跡を想定した上で,誤差の生じ方を検討する。
当審証人佐瀬攻の供述によれば,①車両の速度を,本件オービスⅢが捕捉する最小速度90キロメートル毎時に近似する89.9キロメートル毎時とし,乾燥したアスファルト路面の摩擦係数を0.75とすると,計算上,その限界旋回半径は84845ミリメートルであるが(これよりも小さく旋回しようとすると,遠心力の働きで横滑りが起こり,走行の制御ができなくなる。なお,湿潤な路面であれば,摩擦係数は右より小さいから限界旋回半径はもっと大きくなる。),②被告人車両が車線変更の際に本件オービスⅢの車両感知ループ上を斜めに走行したとした場合の速度測定の誤差を調べるため,被告人車両が本件オービスⅢの写真撮影地点で,第2車線の中央部をほぼ車線に平行に走行していた事実を前提とし,各ループを通過する際に89.9キロメートル毎時の速度を維持していたと仮定して,前記の限界旋回半径の円軌道上を,車両の中心線が,本件オービスⅢのストップループの前縁の中心点から車線と平行に走行方向へ6メートルの地点(すなわち,前記の写真撮影地点)上で初めて車線と平行になるような軌跡を描いて走行したと想定(これを軌跡Bとする。)して,本件オービスⅢがどのような速度を計測するかシュミレートして測定誤差を検討すると,計測される速度は89.3キロメートル毎時,表示される速度は小数点以下を切り捨てた89キロメートル毎時となり,計測速度,表示速度とも,実速度より低い値が得られるというのである。
このように,被告人車両が,89.9キロメートル毎時で本件オービスⅢの車両感知ループ上を斜めに走行したとした場合,本件オービスⅢの写真撮影地点で,車線中央部をほぼ車線に平行に走行していた状況が写真により明らかである以上,その走行軌跡は,最も角度を付けて斜めに各ループ上を通過したとしても,限界旋回半径の軌跡Bより内側(走行方向に向かって左側)に逸れた可能性はないばかりでなく,その軌跡Bの場合においても,表示速度は実速度として前提にした89.9キロメートル毎時の99.0パーセント内に収まり,プラス誤差は生じないのであるから,斜め走行を理由にして,測定・表示された速度にプラス誤差が生じた可能性を主張する所論は,容れることができないと言わなければならない。
また,所論は,斜め走行による測定誤差に加えて,路面の凹凸に伴う車体の上下動による測定誤差が相乗して速度測定にプラス誤差が生じた可能性を指摘するので,検討する。
前記当審証人佐瀬攻の供述及び同人作成の平成7年1月18日付け当審に対する上申書によれば,仮に,平坦な路面のスタートループとコントロールループの各埋設地点を通過した車両が,ストップループ埋設地点を通過する際に車体全体が凹みに入り3センチメートル沈み込んだ(すなわち,埋設してあるストップループに対し縦に接近した)が,その間同一の走行速度を維持したとした場合,スタートループとコントロールループ間の計測通過時間及びコントロールループとストップループ間のそれとでは,0.7パーセントの差比が生じるが,差比1.5パーセントまでは速度測定上プラス誤差を生じるおそれはないとして許容されるから,右の場合にもループ通過時の速度測定上プラス誤差を生じないことは明らかであるというのである。
このように,オービスⅢのループ上を車両が通過する時に,現実に起こり得ないような極端な上下動があった場合を想定しても,測定・表示される速度にプラス誤差を生ずるおそれはない上に,本件現場は,国道1号線がS市の中心部を通過するところに位置し,昼夜を問わず交通頻繁な場所であるから,車両の走行に影響を及ぼすような路面の損傷,凹凸が生じた場合に,そのまま補修されずに放置される事態は考え難く,また,被告人が本件後1週間内に撮影したという写真14枚を検討しても,本件オービスⅢの車両感知ループが設置された付近の路面に異常があったとは認められないし,1の(3)で認定したように,本件の約5か月前と1か月余後にそれぞれ行われた各100台の一般通行車両についての実地の走行試験でも測定速度にプラス誤差は生じなかったのである。
以上の検討から,車両の斜め走行と上下動による速度測定誤差の相乗の可能性を考慮しても,本件において,被告人車両の速度測定の際にプラス誤差が生じたおそれはないといって妨げなく,本件オービスⅢによって測定・表示された被告人車両の95キロメートル毎時の速度は,被告人車両の実際の走行速度を上回るものではないことは明らかであって,所論の主張は到底容れることができない。
その他所論の指摘にかんがみ,関係証拠を子細に検討しても,被告人車両の走行速度に関する被告人の弁解は容れることはできず,原判決の認定に事実の誤認はない。