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東京高等裁判所 平成6年(行ケ)113号 判決 1996年6月05日

埼玉県大宮市大字南中野661番地の3

原告

株式会社日本テクノ

代表者代表取締役

椛澤均

訴訟代理人弁護士

湯浅正彦

訴訟代理人弁理士

小塩豊

藤木三幸

東京都荒川区西日暮里2丁目25番1号

被告

オリエンタルエンヂニアリング株式会社

代表者代表取締役

立石健二

訴訟代理人弁理士

森哲也

内藤嘉昭

崔秀喆

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第1  当事者の求めた判決

1  原告

特許庁が、平成3年審判第23143号事件について、平成6年3月14日にした審決を取り消す。

訴訟費用は被告の負担とする。

2  被告

主文と同旨

第2  当事者間に争いのない事実

1  特許庁における手続の経緯

原告は、発明の名称を「熱処理雰囲気制御方法」とする特許第1612764号発明(以下「本件発明」という。)の特許権者である。

本件発明は、昭和61年5月6日に出願され(特願昭61-104225号)、平成元年8月16日に公告され(特公平1-38846号)、平成3年7月30日に設定の登録がされたものである。

被告は、平成3年11月29日、本件発明につき無効審判の請求をした。

特許庁は、同請求を平成3年審判第23143号事件として審理したうえ、平成6年3月14日、「特許第1612764号発明の特許を無効とする。」との審決をし、その謄本は、同年4月13日、原告に送達された。

2  本件発明の要旨

被処理材を雰囲気熱処理するにあたり、熱処理炉内にキャリヤガスとエンリッチガスまたはレデュースガスを送給して均一な混合雰囲気を形成し、熱処理時に要求される雰囲気ガス成分濃度に炉内雰囲気を制御する方法であって、前記キャリヤガスを生成する有機液体および/または有機気体の送給と同時にもしくは単独に、熱処理時に要求される所定の雰囲気ガス成分濃度が得られるように適宜、前記エンリッチガスとしてメタン、プロパン、ブタン等の単体もしくは混合ガスからなる炭化水素系ガスを送給し、前記レデュースガスとしてCO2および/または空気を主体とするガスを送給して、当該熱処理時に要求される雰囲気ガス成分濃度に相当するガス濃度を測定することにより前記被処理材に要求される雰囲気ガス成分濃度に炉内雰囲気を制御することを特徴とする熱処理雰囲気制御方法。

3  審決の理由

審決は、別添審決書写し記載のとおり、本願出願前に日本国内で頒布された刊行物である昭和54年8月30日発行の内藤武志著「浸炭焼入れの実際」62~67頁(以下「引用例1」といい、そこに記載された審決認定の技術事項を「引用例発明1」という。)及び昭和39年6月30日発行の日本熱処理技術協会編集「熱処理」4巻3号198~204頁(以下「引用例2」といい、そこに記載された審決認定の技術事項を「引用例発明2」という。)に記載された発明に基づいて、当業者が容易に発明をすることができたものであるので、本件特許は特許法29条2項の規定に違反してなされたものであり、同法123条1項に該当し、無効とすべきであるとした。

第3  原告主張の審決取消事由の要点

審決の理由中、手続の経緯・本件発明の要旨及び引用例1の記載事項(a)~(d)の認定(審決書2頁2行~6頁7行)は認める。

本件発明と引用例発明1との一致点の認定は、両者が、「被処理材を雰囲気熱処理するにあたり、熱処理炉内にキャリヤガスとエンリッチガスを送給して均一な混合雰囲気を形成し、熱処理時に要求される雰囲気ガス成分濃度に炉内雰囲気を制御する方法」(審決書6頁10~14行)で一致することは認めるが、その余(同6頁15行~7頁3行)は否認する。共通点及び相違点の認定(同7頁4~12行)は認める。

引用例2所収の論文「高温ガス浸炭」(以下「前半部分」という。)の記載事項(e)~(h)、記事「維持会員探訪」(以下「後半部分」という。)の記載事項(i)の各認定(同8頁20行~12頁16行)については、審決認定の記載自体があることは認めるが、(f)の箇所に、エンリッチガスに代えて空気を添加することが記載され(同10頁8~12行)、(h)の記載から、この空気にはレデュースガスとしての働きがあるとし(同11頁7~12行)、(i)の記載につき、CO2ガスの添加がレデュース方向への調節のためであると解釈し(同12頁10~14行)、その結果、引用例2に、「発生炉方式の浸炭炉において空気またはCO2ガスをレデュースガスとして用い、測定値をもとに浸炭炉雰囲気を調節することが記載されている」(同12頁18行~13頁1行)と認定した点を否認する。

相違点の判断は争う。

審決は、引用例1及び2に、空気又はCO2ガスをレデュースガスとして用いる技術思想ないしその方法が記載されていないのに、これを記載されているものとして技術内容を誤認し(取消事由1)、また、仮にこれが記載されているとしても、本件発明と各引用例発明とは、その前提とする浸炭の方式が相違し(滴注方式か発生炉方式か)、このことが進歩性の判断に影響を及ぼすのに、これを無視し(取消事由2)、その結果、相違点の判断を誤り、誤った結論に至ったものであるから、違法として取り消されなければならない。

1  取消事由1(引用例1及び2の技術内容の誤認)

審決は、本件発明と引用例発明1の相違点として、「前者(注、本件発明)が、空気をレデュースガスとしているのに対し、後者(注、引用例発明1)には、該空気をレデュースガスとして使用することについての記載がない点で、両者は相違している。」(審決書7頁9~12行)と認定しながら、他方で、引用例2には、「発生炉方式の浸炭炉において空気またはCO2ガスをレデュースガスとして用い、測定値をもとに浸炭炉雰囲気を調節することが記載されている」(審決書12頁18行~13頁1行)こと、引用例1には、「”バッチ型浸炭炉の雰囲気を自動調節するさい、もっとも重要なことがらは、目標のカーボンポテンシャルと雰囲気の測定値との偏差に対して、適正なるエンリッチガスおよび空気の供給量をきめることである。”[摘示(c)参照]との記載がある。」(同13頁9~14行)ことから、本件発明と引用例発明1との間の上記相違点は、「当業者が適宜変更しうる程度の構成上の差異に過ぎない。」(同14頁12~13行)と判断しているが、誤りである。

(1)  引用例1(甲第3号証)は、内藤武志著「浸炭焼入れの実際」という一冊の書物(以下「内藤文献」という。)の一部分(62~67頁)であるから、そこに記載された「空気」の役割は、その前後の文脈の中で解釈されるべきものである。そして、内藤文献の審決摘示以外の部分(甲第5号証の1~4)の記載内容からすれば、以下に述べるとおり、引用例1に記載された「空気」はスーティングにおけるバーンアウト用にのみ用いられていることは明らかであって、レデュースガスとして使用することの示唆は全くない。

「スーティング」とは、日本工業炉協会編「工業炉用語事典」に、「COや炭化水素を含む雰囲気ガスは高温で熱分解を起こし、すすを発生し、炉壁や処理材料に付着する.これをスーチングという.炭化水素は高温での熱分解により、COガスはブードア平衡に基づき、過剰のCOの存在によってすすを発生する.スーチング現象はガス浸炭によく見られる現象で、著しい場合は炉壁だけでなく材料にも現れる.」(同書178頁)と説明されているところであり、「バーンアウト」とは、「スーチングによる炭素が触媒、炉材などと反応して発熱体の短絡など害を及ぼすことがある.そのため、炉装置内の湿度を上げ空気を送入することによって炭素を酸化除去することをバーンアウトという.バーンアウトは一般に炉停止前に行うのがよく、またバーンアウトにより炭素の燃焼によって温度上昇が起きるので、それにより触媒レトルトなどの構築材を損なわないように燃焼させることが必要である.」(同書302頁)と説明されているところであって、バーンアウトにおいて添加される空気は、浸炭炉内に析出されて煤となった炭素を燃焼させて酸化除去するためのものであるのに対し、本件発明におけるレデュースガスとして添加される空気は、浸炭炉内のCOと反応してCO2を形成させることによって炉内雰囲気のカーボンポテンシャルを低減させるためのものであり、両者の空気の添加には、本質的な相違がある。

したがって、引用例1に上記審決摘示(c)の記載があるからといって、引用例1と引用例2を結びつけ、「エンリッチガスに代えて空気をレデュースガスとして適正量供給するようにすることは、当業者ならば特段の創意なくして想到しうる」(審決書14頁5~8行)とすることはできない。

まず、内藤文献の「1・3 バッチ型ガス浸炭」の項(26~63頁・甲第5号証の2)によると、バッチ型浸炭炉における表面炭素濃度を変動させるその他の要因として、「バッチ型浸炭炉は、連続して10日~2週間使用すると、炉壁などに煤などを析出し、雰囲気の制御が困難となるためにバーンアウト(Burn out)を行なう.また、休日などで休炉し、再び稼働する場合などは、浸炭温度に昇温後シーズニング(Seasoning)あるいは露点調整と呼ばれる処理を行ない、空炉の状態でキャリヤーガスを流し、雰囲気がその温度におけるBoudouard平衡に近くなるまで待つ.露点調整終了後の最初のチャージとバーンアウト処理を必要とするようになった状態とでは、拡散期の雰囲気は、かなり相異するものと見られる.」(同58頁13~25行)と記載されているように、炉の連続使用による煤の析出の問題と炉の休止が指摘され、また、「炉の使用履歴によって、炉内雰囲気は影響をうけることは明らかである」(同59頁13行~60頁1行)、「炉の使用回数が多くなっていくと、還元された鉄は今度は浸炭され、ついには炭素を過飽和に固溶し、炭素を析出することになる.すなわち、スーティング(Sooting)を起すことになる.スーティング状態にある炉に露点の高いガスを送ると露点が下る.これはスーティングした炭素がRXガス中のCO2を還元してCOを生成し、CO2を下げるからである.」(同60頁7~11行)、「表面炭素濃度のバラツキを小さくするためには、浸炭および拡散期において、あらかじめきめられたカーボンポテンシャルに雰囲気を確実に調節できなければならない.」(同63頁8~12行)とし、その対策として、「炉の使用履歴による変動を防止する」(同63頁17~18行)ことが記載されている。

したがって、この炉の使用履歴による変動とは、まさに使用回数が多くなって(あるいは長時間使用によって)スーティングを生じるために、拡散期に至ってエンリッチガスの送給を停止しても、露点調整直後に比して炉内雰囲気中のCO2がなかなか増加しなくなる(すなわち、カーボンポテンシャルが減少しない)という変動のことであることは明らかである。

そして、上記「1・3」項には、炭素濃度を下げるための方法として、エンリッチガスの送給を停止することの記載しかなく、レデュースガスの送給に関しては一言半句も触れられていない。

また、同じく内藤文献の「1・4 連続ガス浸炭炉」の項(70~83頁・同号証の3)にも、レデュースガスに関する記載は全くない。

これらを前提に引用例1を読めば、そこに記載されている「空気」が雰囲気制御のためのレデュースガスとして用いられるものではなく、スーティングに対処するためのバーンアウト用であることは明らかである。

このことは、以下の点からも裏付けられる。すなわち、内藤文献の「1・5 滴注式浸炭」の項(82~95頁・同号証の4)には、本件発明と同じ滴注方式についての記載があるが、その雰囲気制御は、エンリッチガスの添加量を調節するこによって行うことが記載されているのみで、レデュースガスの添加による雰囲気調節方法は全く記載されていない。同項の図1.66(85頁)にも、レデュースガスの存在をうかがわせるものはない。これらのことからすれば、本件発明と対比されるべき滴注方式の浸炭炉においては、雰囲気制御のためにレデュースガスの添加という技術が全く考慮されていないことが明らかである。

(2)  次に、引用例2(甲第4号証)は、昭和39年6月発行の文献であるが、上記のとおり、昭和54年に発行された浸炭処理についての一般解説書である引用例1(甲第3号証)に、レデュースガスを使用した浸炭炉についての記載がないということは、その以前の文献である引用例2にも、レデュースガスを使用するという思想がなかったことの証拠である。

審決は、「甲第3号証(注、引用例2)の上記(f)の摘示箇所には、最大の浸炭能で浸炭したあと脱炭拡散するにあたり、エンリッチガスに代えて空気を添加することが記載されているということができる」(審決書10頁8~12行)と認定しているが、誤りである。

すなわち、引用例2の「前半部分」における(f)の箇所には、「脱炭には活性ガスの代りに、発熱ガスExothermic gasに空気を入れてやればよい」(同9頁12~14行)と記載されているのであり、これは、空気によって変化させられた発熱ガスを添加することであり、活性ガスの代わりに添加されるものは、空気ではなく、あくまで発熱ガス(あるいはその変化したもの)ということになる。

仮に、被告主張のようにこの空気がレデュースガスの役割を果たしているとするなら、「この脱炭用ガスとしては空気より変成発熱性ガスを用いる方が敏感でよい」という記載とも整合しなくなる。

また、引用例2の「後半部分」における(i)の箇所に記載された技術は、現在に至るも実現不可能であるといわざるをえない。すなわち、「次の拡散時間中に一次反応で生成したCO2ガスを添加して」とあるが、浸炭ゾーンで発生したガスの中からCO2のみを摘出するなど未だに実現されていないから、これを具体的技術であるとすることはできない。

そして、引用例2の「後半部分」に記載されるのは、脱炭拡散を行う方式で、一旦被処理材表面に過剰な浸炭を行った後、炉内を脱炭雰囲気として過剰炭素を一定範囲で除去するものであるのに対して、本件発明は、熱処理雰囲気内の炭素濃度が常に一定に維持されるように工夫しつつ浸炭を行うものであり、拡散という工程自体も存在しないものである。

審決は、本件発明の浸炭という工程でのレデュースと、引用例2の脱炭拡散という工程での脱炭とを混同して認定しているものであり、誤りである。

(3)  引用例発明1も2も、いずれも発生炉方式を前提にするものであることは被告も認めるところであるが、発生炉方式と滴注方式とを比較した場合、浸炭炉において使用されるキャリヤガスに関して、発生炉方式の方がカーボンポテンシャルが低く、しかも大量に使用される。そのため、発生炉方式においては、炉内のカーボンポテンシャルを低下させる必要が生じた場合にも、エンリッチガスの送給を停止し、キャリヤガスのみの送給を継続するだけで、炉内のカーボンポテンシャルが容易に短時間で低下することとなり、レデュースガスを炉内に添加して炉内の雰囲気を調整しようとする動機は存在しなかった。

以上のとおり、引用例1及び2にはいずれも、空気あるいはCO2ガスをレデュースガスとして使用する技術思想ないしその方法が示されていないことは明らかであるにもかかわらず、審決は、引用例発明1及び2について、技術内容を誤認し、その結果、本件発明と引用例発明1との相違点の判断を誤ったものである。

2  取消事由2(発生炉方式と滴注方式の相違の看過による進歩性の判断の誤り)

金属材料の雰囲気熱処理技術の一つである浸炭技術には、種々の方式があり、技術方式が異なれば、そこに使用される個別の技術は、全く別個の技術であると認識されてきた。しかるに、審決は、第1に発生炉方式(あるいは変成炉方式)と滴注方式との相違、第2に脱炭拡散を行う方式と行わない方式との相違を完全に無視した結果、滴注方式である本件発明が引用例発明1及び2から容易に発明をすることができたと誤って判断したものである。

(1)  発生炉方式と滴注方式との差は、単にキャリヤガスをどこで発生させるかの相違のみに止まらず、以下のような大きな相違がある。

<1> 発生炉方式では、プロパン等の浸炭ガス源に空気を混合し、加熱発生する浸炭性ガス(CO、H2、N2)をキャリヤガスとして使用するのに対して、滴注方式ではメタノール等のC-H-O系の有機液剤を直接浸炭炉内に滴注し、熱分解により発生する浸炭性ガス(CO、H2)をキャリヤガスとして使用するものである。

<2> <1>の浸炭性ガスの発生方式の相違により、浸炭性ガス(キャリヤガス)の組成の相違を生じる。その結果、発生炉方式では、浸炭ガス源と空気との混合比率のコントロールの困難等で、浸炭性ガス組成を一定に保持することが困難になる。それに対して、滴注方式では、滴注される有機剤の種類によって、浸炭性ガスの組成は決定され、組成を一定に保持することが容易である。また、浸炭性ガス中のCOが、滴注方式では30%超であるのに、発生炉方式では20%であることから、COの少ない発生炉方式では、そのCO値の制御性に困難性を伴う。さらに、発生炉方式では、浸炭炉だけでなく、発生炉内においてもカーボンポテンシャルの計測及び制御が必要となって、制御装置が複雑かつ高価となる。

<3> 発生炉方式で浸炭を行うときは、その雰囲気制御が困難であることから、浸炭処理を行うとき、浸炭のばらつきを生じやすい。

<4> 生産規模・方式の相違がある。

以上のように、両者ともブードア反応という基本原理の利用の点では差異がないが、それぞれ別個の技術であり、特許庁審査実務上も、別個に扱われてきたものであって(甲第7、第8号証)、本件に関してのみ両者を混交させて判断することは違法といわざるをえない。

また、審決が、本件発明の浸炭という工程でのレデュースと、引用例2の脱炭拡散という工程での脱炭とを混同して認定しているものであり、誤りであることは、前記のとおりである。

(2)  仮に、引用例1あるいは2に、空気又はCO2をレデュースガスとして使用する方法が記載されているとしても、発生炉方式においてレデュースガスを使用した場合と、滴注方式においてレデュースガスを使用した場合とでは、以下に述べるようにその作用効果において格段の相違がある。

発生炉方式の方が、カーボンポテンシャルが低い上に、発生炉における種々の外的要因の影響を受けるために、ガス組成を安定させることが困難であり、さらに、雰囲気熱処理に際してキャリヤガスを大量に浸炭炉へ送給する必要があるという根本的な相違がある。この送給量の相違から、空気等をレデュースガスとして浸炭炉内に送給して所望のカーボンポテンシャルに雰囲気を調整しようとするとき、当然に大量の空気の送給を必要とすることになる。すると、キャリヤガス組成自体の不安定さと相まって、雰囲気制御が困難となり、そのためレデュースガスを添加する方法を採用しても、正確しかも短時間での所望のカーボンポテンシャル値の実現は困難である。さらに、レデュースガスを大量に浸炭炉内に送給するとすれば、被処理材の表面組成に変化を生じさせる要因となってしまい、また、レデュースガスの炉内分布を速やかに均一化しなければなないという作業が必要となる。

それに対して、滴注方式においては、浸炭炉内のキャリヤガス量は少なく、また、そのガス組成は安定的であるために、本件明細書に記載されるとおり、「熱処理に際して必要とされる熱処理炉内雰囲気を容易にかつ正確にしかも短時間のうちに制御することが可能」となるものである。

もともと、発生炉方式には本件明細書に記載されるとおりの欠点があり(甲第2号証2欄14~22行)、レデュースガスを使用したとしても、その欠点がそのまま残り、滴注方式である本件発明との顕著な効果の相違となる。

第4  被告の反論の要点

審決の認定判断は正当であり、原告主張の審決取消事由はいずれも理由がない。

1  取消事由1について

「スーティング」と「バーンアウト」の意義が、原告提示の「工業炉用語事典」記載のとおりであることは、認める。

引用例1は、熱処理炉内のカーボンポテンシャルを低減調節するために空気をその熱処理炉内に送ることを明確に示唆している。また、引用例2は、発熱ガスや空気を熱処理炉内に供給して熱処理炉内の雰囲気のカーボンポテンシャルを低減調節して脱炭雰囲気にする技術を具体的に明確に教示している。以下、詳述する。

(1)  引用例1(甲第3号証)の「もし、炉が長時間使用して、スーテング状態になっているとすれば、空気電動弁が開き、空気中の酸素および水分が導入され」(同号証64頁11~13行)との記載から、空気がバーンアウトに用いられる場合もあることは肯定できるが、引用例発明1全体における空気は、バーンアウト用のみではない。すなわち、引用例1には、「浸炭炉の制御には、エンリッチ添加用電動弁と空気添加用電動弁とを併設してある.」(同64頁8~9行)と記載されており、ここでの「浸炭炉の制御」は浸炭炉内の雰囲気の制御を意味するものである。

換言すれば、この空気添加用電動弁は、浸炭炉内の雰囲気中の炭素濃度を下げるためにも、煤焼きつまりバーンアウト用にも使用されるものである。この雰囲気制御のための空気は本件発明でいうレデュースガスである。

そして、引用例1の「バッチ型浸炭炉の雰囲気を自動調節するさい、もっとも重要なことがらは、目標のカーボンポテンシャルと雰囲気の測定値との偏差に対して、適正なるエンリッチガスおよび空気の供給量を決めることである」(同65頁下から3~1行)との記載が、浸炭炉の雰囲気の自動制御に空気が使用されることを意味していることは明らかである。

内藤文献の引用例1に摘出した以外の個所(甲第5号証の1~4)にも、空気が雰囲気制御のために用いられることを否定する記載はない。

また、原告が滴注方式について言及しているという内藤文献「1・5 滴注式浸炭」の項(甲第5号証の4)も、滴注式ガス浸炭法のうち、二液方式においてエンリッチガスを発生する有機液体を送給制御することが記載されているというのみであって、この記載が、空気による熱処理炉内の炭素濃度の低減制御を排除していることにはならない。

同「1・1 浸炭による表面硬化法」と「1・3 バッチ型ガス浸炭」の項(甲第5号証の1、2)には、「バッチ型浸炭炉」「浸炭炉内の反応」「炭素の拡散」の説明が逐次なされており、これらの中に、カーボンポテンシャルが高くなり炭素が過飽和に固溶し、炭素が析出することすなわちスーティングを起こすことの説明があり、続いて「変動防止対策」の方法が説明されているだけであって、引用例1における前記「目標のカーボンポテンシャルと雰囲気の測定値との偏差に対して、適正なるエンリッチガスおよび空気の供給量をきめることである」との記載が、バーンアウトに関する記述であるとは到底いえない。特に「1・3・11変動防止対策」の中には、「表面炭素濃度のバラツキを小さくするためには、浸炭および拡散期において、あらかじめきめられたカーボンポテンシャルに雰囲気を確実に調節できなければならない」(同号証の2、63頁8~12行)とも記載されているのであり、まさに炉の雰囲気調節そのものへの言及である。

同「1・4 連続ガス浸炭炉」と「1・5 滴注式浸炭」の項(甲第5号証の3、4)にも、カーボンポテンシャルの低減調節に空気を用いることに言及がないとしても、何ら不自然ではない。引用例1の「浸炭炉の制御には、エンリッチ添加用電動弁と空気添加用電動弁とを併設してある」との記載から、当業者は、空気添加用電動弁がスーティングを生じない方向への雰囲気制御に使用されることを理解するからである。

結局、引用例1の空気添加用電動弁は、「バッチ炉の自動雰囲気制御」の項の中で説明されるものであり、バーンアウト用のみであるとはいえない。また、バーンアウト用とカーボンポテンシャル低減用の空気量の差は単に程度の問題であり、空気添加用電動弁が、バーンアウトと雰囲気制御用を兼ねることは可能である。

(2)  引用例2の(f)「脱炭には活性ガスの添加の代りに、発熱ガスExothermic gasに空気をいれてやればよい」における空気は、発熱ガスとは別に添加されているのであり、その空気は実質的にレデュースガスとして使用されているものである。一般に「発熱ガス」とは、空気と炭化水素ガスを燃焼させて得られたものをいうのであるから、このようにして得られた「発熱ガス」に更に空気を添加して変化させることは全く意味がないことである。したがって、活性ガスの代わりに空気によって変化させられた発熱ガスを添加することが記載されているという原告の主張は誤りである。

引用例2の「Exothermic gasに空気を入れてやればよい」との部分は、一般的に脱炭には「発熱ガス+空気」を用いればよいことを説明しているのであるのに対して、「この脱炭用ガスとしては空気より変成発熱ガスを用いる方が敏感でよい」の部分はLo-Dewガス変成機で生成する発熱ガスを利用する方がよいという変成ガスの製造工程のことを説明しているのであるから、何ら整合性に問題はない。要するに、審決は、「Exothermic gasに空気を入れてやればよい」との記載から空気を、「一次反応中で生成したCO2ガスを添加して表面炭素含有量を希望の値に調節する」の記載からCO2ガスを、それぞれレデュースガスとして使用する技術思想があると認定したものであり、誤りはない。

また、引用例2の(i)の「次の拡散時間中に一次反応で生成したCO2ガスを添加して」という部分のCO2ガスは、浸炭領域で発生したガスをいうのではなく、変成器の中で発生したガスをいうのであり、原告の、この記載を実現不可能であるとする主張は根拠がない。

「脱炭拡散」は浸炭熱処理における炭素濃度の低減制御により行われるものであり、本件発明でいうレデュースガスによる雰囲気制御でも行われるものである。すなわち、本件発明が浸炭に限らず、脱炭拡散も含めた広範囲な熱処理雰囲気制御であることは、本件発明の要旨から明白である。したがって、引用例発明2が脱炭拡散を行う形式であって、本件発明が炭素濃度を一定に維持されるよう工夫しつつ浸炭するのとは異なる技術であるとの原告の主張は失当である。

(3)  発生炉方式であってもエンリッチガスを熱処理炉に供給するのであるから、そのカーボンポテンシャルはキャリヤガスの濃度に止まっているはずはなく、やはりカーボンポテンシャルを早急に低下させるための必要性はあり、したがって、レデュースガスを用いる動機は充分あるというべきである。

事実、引用例1の著者の発明である特開昭51-138542号公報(乙第2号証)、特開昭51-149135号公報(乙第3号証)には、発生炉方式の熱処理炉のカーボンポテンシャルの制御にも空気を導入することが明確に教示されている。

2  取消事由2について

(1)  本件発明は、ガス熱処理炉内で行われる熱処理雰囲気制御、特にガス浸炭に適用できる熱処理における雰囲気炭素濃度の制御に関するものであり、しかも引用例1及び2に開示される技術もガス浸炭に関するものであるから、発生炉方式か滴注方式かという技術方式の相違自体は全く問題にならないはずである。

両者は、熱処理に必要なキャリヤガスを何処で発生させるかの相違でしかなく、単なるガス発生箇所の相違程度であるから、そのガス成分の制御に用いられる原理や手法は、少なくとも発生炉方式と滴注方式との間では、本質的に同じものなのである。

(2)  原告は、方式の相違に基づいて、作用効果が異なる旨主張するが、発生炉方式も滴注方式も、熱処理炉内に送給する空気の量及びカーボンポテンシャルには大差がないから、原告主張は事実に反する。

仮に、キャリヤガスのカーボンポテンシャルが低かろうとも、発生炉で変成するキャリヤガスの安定に時間がかかるとしても、これらは発生炉方式の問題であって、本件発明の進歩性の問題とは関係がない。また、仮に、原告主張のように、大量の空気を送給する必要があるとしても、浸炭炉には攪拌装置を備えるのが普通であるから(「金属熱処理技術便覧」・乙第4号証197~198頁)、炉内の均一化は操業上問題にならない。

結局、原告が本件発明の効果として主張する「炉内雰囲気を容易にかつ正確に短時間のうちに制御することが可能」となることは、本件発明独特の効果ではなく、滴注方式自体の効果であり、滴注方式にレデュースガスを組み合わせたことによる効果ではない。

第5  証拠

本件記録中の書証目録の記載を引用する。書証の成立はいずれも当事者間に争いがない。

第6  当裁判所の判断

1  取消事由1(本件発明と引用例発明1との相違点の判断の誤り)について

(1)  本件発明と引用例発明1とが、審決認定のとおり、「前者が、空気をレデュースガスとしているのに対し、後者には、該空気をレデュースガスとして使用することについての記載がない点で、両者は相違している」(審決書7頁9~12行)こと、「スーティング」とは、「ガス浸炭によく見られる現象で」、「COや炭化水素を含む雰囲気ガスは高温で熱分解を起こし、すすを発生し、炉壁や処理材料に付着する」(日本工業炉協会編「工業炉用語事典」178頁)ことをいい、また、「バーンアウト」とは、「スーチングによる炭素が触媒、炉材などと反応して発熱体の短絡など害を及ぼすことがある.そのため、炉装置内の湿度を上げ空気を送入することによって炭素を酸化除去すること」であり、「一般に炉停止前に行うのがよ」い(同上302頁)ものとされていることは、当事者間に争いがない。

原告は、引用例1に記載される「空気」はスーティングにおけるバーンアウト用にのみ用いられていることは明らかであって、レデュースガスとして使用することの示唆は全くない旨主張するので、この点について検討する。

この点に関して、引用例1(甲第3号証)の他、内藤文献の他の個所(甲第5号証の1~4)の記載を検討していくと、「1・3・2 浸炭炉内反応」の項で、「実際の浸炭は、RXガスのカーボンポテンシャル・・・よりもはるかに高い状態で行なわれる.すなわち、RXガスに生ガス(プロパン、ブタンなど)を添加して、カーボンポテンシャルを高くするのである.・・・このように、メタンやその他の炭化水素ガスはカーボンポテンシャルを増すのに便利ではあるが、反応式(1・26)に示すように添加量が多くなると、発生期の炭素が鋼の表面で煤として析出することがあるので注意が必要である.」(甲第5号証の2、28頁21行~29頁8行)として、雰囲気のカーボンポテンシャルを制御する際、カーボンポテンシャルを高くしすぎると煤が生じることが記載され、「1・3・8 表面炭素量の変動」の項において、「工業用ガス浸炭炉の操業経験から・・・表面炭素量のバラツキにおよぼす影響のもっとも大きいものは、拡散時の雰囲気制御にあるといってもよい.」(同56頁21~23行)として、拡散時における雰囲気制御の重要性を指摘し、続いて、「1・3・9 その他の要因」の項で、「次第に炉の使用回数が多くなっていくと、還元された鉄は今度は浸炭され、ついには炭素を過飽和に固溶し、炭素を析出することになる.すなわち、スーティング(Sooting)を起すことになる.スーティング状態にある炉に露点の高いガスを送ると露点が下る.これはスーティングした炭素がRXガス中のCO2を還元してCOを生成し、CO2を下げるからである.」(同60頁7~11行)、「バッチ型浸炭炉は、連続して10日~2週間使用すると、炉壁などに煤などを析出し、雰囲気の制御が困難となるためにバーンアウト(Burn out)を行なう.」(同58頁13~17行)と記載されている。

そして、「1・3・11 変動防止対策」の項で「表面炭素濃度のバラツキを小さくするためには、浸炭および拡散期において、あらかじめきめられたカーボンポテンシャルに雰囲気を確実に調節できなければならない.そのためには、まず、発生炉によるRXガスの変動を小さくする必要がある.・・・さらに、炉の使用履歴による変動を防止するためには、浸炭炉を自動調節することが望ましい.発生炉と浸炭炉とをCO2分析による自動調節を行なうと、表面炭素量の変動は±0.05%C程度になることも十分期待される.」(同63頁8~23行)と記載されている。

以上の事実によると、浸炭処理において、表面炭素濃度のバラツキを小さくするためには、浸炭及び拡散期、特に拡散期において、あらかじめ決められたカーボンポテンシャルに雰囲気を確実に調節する雰囲気制御が重要であるが、煤が生ずる現象(スーティング)など種々の要因で表面炭素濃度は変動するので、CO2分析によるカーボンポテンシャルを自動的に調節することにより、その変動を少なく止めることができること、スーティング状態が制御可能なレベルを越えたときには、炭素による害を除去するため、バーンアウトを行うものであることが理解できる。

そして、この重要であると指摘した雰囲気制御につき、内藤文献は、上記に続く「1・3・12 バッチ炉の自動雰囲気制御」の項(引用例1・甲第3号証)において、「(ⅰ)制御方法」として、次のように説明している。

<1> 「表面炭素量の変動を小さくするには、適切なる浸炭時間および拡散時間が必要であると同時に、浸炭および拡散時における炉内雰囲気をあらかじめ、きめられたカーボンポテンシャルに確実に調節できなければならない.また制御方法は大別して(1)露点による方法、(2)CO2による方法の2種類あるが、・・・最近は(2)の採用の方向であり、かつ精度も優れ値段も比較的安くなってきている.」(同号証63頁下から2行~64頁4行)

<2> 「図1・52は、CO2分析器を用いて発生炉および浸炭炉を自動雰囲気調節する場合の説明図である.1台のCO2分析器で、発生炉と浸炭炉とを交互に制御できるようにしたものである.」(同64頁5~7行、審決摘示の(a)の箇所)

<3> 「浸炭炉の制御には、エンリッチ添加用電動弁と空気添加用電動弁とを併設してある.浸炭時は設定したCO2%になるまで、エンリッチガスが添加される・・・また、浸炭終了後は、直ちに目標炭素量のCO2%に設定を変える.もし、炉が長時間使用して、スーテング状態になっているとすれば、空気電動弁が開き、空気中の酸素および水分が導入され、CO2%は上昇してくる.反対に露点調整直後に操業した場合は、キャリヤーガスの雰囲気になりやすい.そのため、拡散に入ってからも、若干のエンリッチガスを添加できるようにエンリッチガス用電動弁が開くことになる.」(同64頁8行~65頁3行、審決摘示の(b)の箇所)

<4> 「図1・53は赤外線分析装置と連動して作動する空気添加弁とエンリッチガス導入弁の外観を示す。」(同65頁3~4行)

これに続き、同項「(ⅱ)実施例」の「b.浸炭および拡散の自動調節」には、

<5> 「バッチ型浸炭炉の雰囲気を自動調節するさい、もっとも重要なことがらは、目標のカーボンポテンシャルと雰囲気の測定値との偏差に対して、適正なるエンリッチガスおよび空気の供給量をきめることである.」(同65頁下から3~1行、審決摘示の(c)の箇所)

と説明され、

引用例1の後の部分である「1・5 滴注式浸炭」の項の表1・17には、「滴注式および変成炉式の相違」として、「雰囲気制御方法」に関し、引用例発明1が属すると認められる変成炉式ガス浸炭法(発生炉方式)につき、

<6> 「変成炉と浸炭炉をそれぞれ別個にCO2値を測定し、その値に応じてエアや生ブタンガスを供給する」(甲第5号証の4、表1・17)

と説明されている。

以上の説明によれば、バッチ炉の自動雰囲気制御において、炉内雰囲気の調節のための装置として、エンリッチガス添加用電動弁と空気添加用電動弁が設けられており、この2つの電動弁は、CO2分析計である赤外線分析装置と連動して作動するものであって、これにより、目標のカーボンポテンシャルと雰囲気の測定値とに偏差が生じた場合に、炉内雰囲気を目標カーボンポテンシャルに調節するために、エンリッチガス又は空気を添加するものであることが明らかである。

したがって、引用例1を含めた内藤文献に、「レデュースガス」との用語が使用されていないことは、上記の認定を左右するものではなく、また、引用例1に記載される「空気」はスーティングにおけるバーンアウト用にのみ用いられているとする原告の主張が採用できないといわなければならない。

原告は、一個の空気添加用電動弁でバーンアウト用とレデュース用とに兼用することは実際上不可能であると主張するが、単に空気量の大小があるのみと認められ、原告主張からみてその差が一個の電動弁で制御不能というほど大であるとも認められないから、この点の原告の主張は採用できない。

(2)  次に、引用例2(甲第4号証)に開示された技術内容についてみると、引用例2の「前半部分」において、審決摘示の(g)の箇所に、「適当な浸炭には炭素の追加を要し、普通、雰囲気に炭化水素、たとえば天然石油ガスとかプロパンのような活性化ガスを加える。」とあり、「1.ガス変成機」の項において、発熱性ガスについて、「この脱炭用ガスとしては空気より変成発熱性ガスを用いる方が敏感で使いよい。そういうガスの発生機としてHolcroft Lo-Dew機を図3に示す。」(同号証201頁左欄31~34行)と記載されていること、また、引用例2の「後半部分」において、審決摘示の(i)の箇所に、「ガス浸炭法を行うのに、浸炭ゾーンに於いてキャリヤーガスとしてLO-DEWガスと炭素必要量に応じた分布を採ったCH4、プロパン、またはブタン等のどちらからかのガスを供給し」と記載されていることを併せ考えると、引用例2では、キャリヤガスとして発熱性ガスであるLO-DEWガスを用いること、それだけでは浸炭にはカーボンポテンシャルが不十分であるので、CH4、プロパン、ブタン等の炭化水素を活性ガスとして添加するものであることが理解できる。

そして、これを前提に、引用例2の「前半部分」における審決摘示の(f)の箇所の「脱炭には活性ガスの添加の代りに、発熱ガスExotermic gasに空気を入れてやればよい。」との記載をみると、脱炭工程では、浸炭工程でキャリヤガスである発熱ガスに添加した活性ガスに代えて空気を入れることになるのであるから、浸炭工程でエンリッチガスとして添加する炭化水素に代えて、脱炭工程では空気を導入することを示していることは明らかである。

また、脱炭工程とは、引用例2の上記(f)にも記載があるとおり、脱炭気流で任意な表面炭素量まで落とした後、拡散によってならすことなのであるから、この空気が雰囲気の炭素濃度を下げるため、すなわち、本件発明におけるレデュースガスとしての働きをするものであることは明らかである。

原告は、引用例2における空気をレデュースガスと解すると、「この脱炭用ガスとしては空気より変成発熱ガスを用いる方が敏感でよい。」との記載と整合しない、すなわち、空気を送給しないで発熱ガスのみを送給するとき、何が炉内でレデュースガスの役割を果たすのかわからなくなってしまう旨主張する。しかし、前記のとおり、発熱ガスだけでは浸炭に十分なカーボンポテンシャルを有さないのであるから、エンリッチガスの送給を停止した場合、エンリッチガスによる浸炭工程よりカーボンポテンシャルが低くなること、すなわち、発熱ガスが脱炭用ガスとしてレデュースガスの役割を果たすものといえるから、この記載に、原告主張のような矛盾はない。

さらに、引用例2の上記(i)の箇所には、「拡散時間中に一次反応で生成したCO2ガスを添加して表面炭素含量を希望の値に調節する」と記載され、ここでは、拡散工程でCO2ガスを本件発明におけるレデュースガスとして働かせるために添加することが明記されている。

原告は、上記(i)の箇所に記載された技術は、現在に至るも実現不可能であると主張するが、CO2生成をどこで行うかはさておいて、この部分が、拡散工程でCO2を添加することを示していることは明らかであり、原告の主張は採用することができない。

また、ガス浸炭とは、狭義の「浸炭工程」のみならず「脱炭拡散」工程も含めた意義で用いられていることは、前示内藤文献の「浸炭操業においてあらかじめ、目標の表面炭素量・・・にカーボンポテンシャルを固定して浸炭を行なうことはまれである.普通は高いカーボンポテンシャルで浸炭を行ない、続いて拡散を行なって目標の表面炭素量に調節する.」(甲第5号証の2、33頁17~20行)の記載からみても明らかである。そして、本件明細書をみても、本件発明の熱処理が通常と異なって高いカーボンポテンシャルをもたらす最初の浸炭工程のみに限られると認めうる記載もないから、審決が、本件発明の浸炭という工程でのレデュースと、引用例2の脱炭拡散という工程での脱炭とを混同して認定しているとの原告の主張は理由がない。

(3)  上記のとおり、引用例1には、炉内雰囲気を目標カーボンポテンシャルに調節するために、空気を添加することが開示され、引用例2には、現に発生炉方式でレデュースガスを使用していることが開示され、これに加え、特開昭51-138542号公報(乙第2号証)及び特開昭51-149135号公報(乙第3号証)には、いずれも、変成炉すなわち発生炉で生成されるキャリヤガスを用いる浸炭炉における浸炭雰囲気の制御方法に係る発明が開示され、そこには、「浸炭炉でCO2量を所望値に制御するためにエンリツチガスまたは空気を導入するため、これら導入したガス量によつて雰囲気中のCO量が変化する」(乙第2号証1頁右下欄4~7行、乙第3号証1頁右下欄6~9行)と記載され、空気が炉内雰囲気のカーボンポテンシャルを調整するために用いられていることが示されているのであるから、「発生炉方式ではエンリッチガスの送給を停止するのみでカーボンポテンシャルが容易に低下するから、レデュースガス添加の動機がない」との原告の主張もまた理由がない。

(4)  以上によれば、「空気を雰囲気の炭素濃度を下げるために、すなわち、レデュースガスとして使用することは、・・・甲第3号証(注、引用例2)の前半部分から公知であり、かつ、レデュースガスを用いるにあたり、測定値をもとに浸炭雰囲気を調節することも甲第3号証の後半部分に記載されている」(審決書13頁16行~14頁2行)との審決の認定は正当であり、したがって、これを誤りとして審決の相違点の判断を論難する原告の取消事由1の主張は、採用することができない。

2  取消事由2(発生炉方式と滴注方式の相違の看過による進歩性の判断の誤り)について

(1)  本件発明が滴注方式を前提とするものであるのに対し、引用例発明1及び2が発生炉方式を前提とするものであることは、当事者間に争いがない。

原告は、この前提となる二つの方式は、<1>単にキャリヤガスの発生場所が異なるだけでなく発生方式が異なること、<2>キャリヤガスの組成の相違に伴い、発生炉方式ではCO値の制御性に困難があること等、<3>発生炉方式での雰囲気制御の困難性から浸炭にばらつきを生じやすいこと、<4>生産規模の大小、という大きな相違がある別個の技術であるから、それを混交させて判断した審決は違法であると主張する。

しかし、これら原告の主張する両者の方式の相違に伴う技術的差異は、発生炉方式で採用される雰囲気制御方法を滴注方式に採用することの困難性の理由にはならないというべきである。

なぜなら、<1>のキャリヤガスの発生場所及び発生方式が異なるとしても、内藤文献の「1・5 滴注式浸炭」の項(甲第5号証の4)に記載されているとおり、「滴注式浸炭においても、その浸炭の基礎はブードア(Boudouard)反応によることは、普通浸炭と全く同様」(同84頁7~8行)であり、キャリヤガスを用いる滴注方式では、雰囲気制御が必要である(同89~90頁「1・5・6 雰囲気制御」の項)から、発生炉方式も滴注方式も、いずれも浸炭炉内のカーボンポテンシャルの調整を目的とするガス浸炭技術としては共通であって、キャリヤガスで形成される浸炭炉中の雰囲気をいかに制御するかは、キャリヤガスの発生場所及び発生方式の相違とは直接の技術的関連性を有しないからである。

また、本件発明は、滴注方式のガス浸炭法において、「レデュースガスとしてCO2および/または空気」を使用することを発明の要旨とし、その点に特徴があるものと解されるところ、原告主張<2>、<3>の発生炉方式では雰囲気あるいは浸炭制御が困難性を伴うという点については、滴注方式自体は従来からある周知の方式であり、CO2又は空気をレデュースガスとして使用すること自体も前記のとおり公知であるから、制御性の悪い方式に採用できるレデュースガスの技術であるなら、むしろ制御性が相対的に良好である方式の技術にも採用できるはずであるということができる。要するに、原告の主張は、発生炉方式のものが滴注方式のものより劣るということを述べているにとどまり、本件発明の要旨に記載の構成をとることの格別の困難性を主張するものではなく、失当である。さらに、<4>の生産規模・方式の相違があることが、適用の障害にならないことも明らかである。

もっとも、従来の滴注式浸炭法の雰囲気制御につき、同「1・5・2 滴注式浸炭炉とは」の項には、発生炉方式の場合につき、「エアや生ブタンガスを供給する」とあるのに対し、滴注方式については、エンリッチガスである「イソプロパノールの量を増減する」(甲第5号証の4、84頁表1・17)とあって、空気供給の有無が両方式の差異であるかのように記載されており、「鋳鍛造と熱処理」昭和57年3月号所収の「滴注式ガス浸炭法」(甲第6号証)にも、空気供給を示唆する記載がないことが認められる。しかし、この事実は、従来の代表的な滴注式浸炭炉において、空気供給による雰囲気制御を行っていなかったこと、すなわち、この点で本件発明が滴注方式として新規な雰囲気制御方法であることを示すにとどまり、新規性があることと進歩性があることは異なる概念であるから、このことが本件発明の進歩性についての前示判断を覆すものということはできない。

なお、特許庁平成5年審判第15445号事件の審決(甲第8号証)によれば、被告が権利者である特許第1242631号発明「鋼の熱処理方法」に対する特許無効審判事件について、特許庁は、「本件審判の請求は、成り立たない。」との審決をし、その理由中に、滴注方式とガス送入方式(本件における発生炉方式)の相違が上記発明の進歩性の判断に影響しているかのような記載部分があることが認められる。

しかし、同審決及び上記特許発明の出願公告公報である特公昭59-15964号公報(甲第7号証)によれば、上記発明は、「キャリヤガスについては滴注方式を、エンリッチ用の浸炭剤についてはガス送入方式を、それぞれ採用し、これを組み合わせたことに主たる特徴を有するもの」(甲第8号証8頁1~4行)で、その発明の構成は、「熱処理炉内でキヤリヤガスを生じる成分管理された有機液体又はこの有機液体に水を添加した液体を炉内に直接又は気化して供給し、エンリツチ用のガスとして一般式n≦4のパラフィン系炭化水素ガスを炉内に送入し、・・・前記パラフイン系炭化水素ガスの炉内送入を自動制御し炉気を制御する方法」(同2頁14行~3頁5行)とされるものであり、同審決は、これを前提に、上記「発明とは、キャリヤガスと、エンリッチ用ガスの供給方式の異なる・・・記載の熱処理方法(浸炭方法)を、たとえ、・・・記載の、ガス浸炭の炉気の制御方法と組み合わせたとしても・・・発明の構成に想到することは困難なことである」(同10頁5~10行)と判断していることが認められる。

そうすると、本件においても滴注方式と発生炉方式の相違があり、上記審決の事例と類似するように見えるとしても、「レデュースガスとしてCO2および/または空気」を使用することを発明の要旨とする本件発明の進歩性の判断において、引用例にその点の開示があるか否かが問題とされる本件と、供給方式の相違及びその組み合わせによる発明の具体的な構成の容易想到性が問題となる上記審決の事例とは、事案を異にするものであるから、発明の進歩性に関する原告の上記主張は採用することができない。

さらに、審決が、本件発明の浸炭という工程でのレデュースと、引用例2の脱炭拡散という工程での脱炭とを混同して認定しているとの原告の主張が理由がないことは、前示のとおりである。

(2)  原告は、発生炉方式においてレデュースガスを使用した場合と、滴注方式においてレデュースガスを使用した場合とでは、作用効果に格段の相違があると主張する。

しかし、原告主張の本件発明の作用効果は、レデュースガスとしてCO2又は空気を使用する技術を滴注方式に適用すれば予測きれる効果であるというべきである。

したがって、本件発明と引用例発明1及び2との技術方式の相違が、本件発明の進歩性の判断に影響を与えるものとは認められない。

取消事由2も理由がない。

3  以上のとおりであるから、原告主張の審決取消事由はいずれも理由がなく、その他審決にこれを取り消すべき瑕疵は見当たらない。

よって、原告の請求を棄却することとし、訴訟費用の負担について、行政事件訴訟法7条、民事訴訟法89条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 牧野利秋 裁判官 芝田俊文 裁判官 清水節)

平成3年審判第23143号

審決

東京都荒川区西日暮里2丁目25番1号

請求人 オリエンタルエンヂニアリング株式会社

東京都千代田区神田鍛冶町3丁目7番地 村木ビル8階 日栄国際特許事務所

代理人弁理士 森哲也

東京都千代田区神田鍛冶町3丁目7番地 村木ビル8階 日栄国際特許事務所

代理人弁理士 内藤嘉昭

東京都千代田区神田鍛冶町3丁目7番地 村木ビル8階 日栄国際特許事務所

代理人弁理士 清水正

埼玉県大宮市大字南中野661番地の3

被請求人株式会社 日本テクノ

東京都中央区銀座1丁目13番12号 銀友ビル9階 小塩内外特許事務所

代理人弁理士 小塩豊

上記当事者間の特許第1612764号発明「熱処理雰囲気制御方法」の特許無効審判事件について、次のとおり審決する。

結論

特許第1612764号発明の特許を無効とする。

審判費用は、被請求人の負担とする。

理由

1. 手続の経緯・本件特許発明の要旨

本件特許第1612764号発明(以下、「本件特許発明」という)は、昭和61年5月6日に特許出願され、出願公告(特公平1-38846号公報参照)後の平成3年7月30日にその特許の設定の登録がなされたものであり、本件特許発明の要旨は、願書に添付された明細書および図面の記載からみて、その特許請求の範囲に記載されたとおりの次のものと認める。

「被処理材を雰囲気熱処理するにあたり、熱処理炉内にキャリヤガスとエンリッチガスまたはレデュースガスを送給して均一な混合雰囲気を形成し、熱処理時に要求される雰囲気ガス成分濃度に炉内雰囲気を制御する方法であって、前記キャリヤガスを生成する有機液体および/または有機気体の送給と同時にもしくは単独に、熱処理時に要求される所定の雰囲気ガス成分濃度が得られるように適宜、前記エンリッチガスとしてメタン、プロパン、ブタン等の単体もしくは混合ガスからなる炭化水素系ガスを送給し、前記レデュースガスとしてCO2および/または空気を主体とするガスを送給して、当該熱処理時に要求される雰囲気ガス成分濃度に相当するガス濃度を測定することにより前記被処理材に要求される雰囲気ガス成分濃度に炉内雰囲気を制御することを特徴とする熱処理雰囲気制御方法。」

2. 対比すべき甲号証記載の発明

これに対して、請求人が甲第2号証として提示した本願出願前に日本国内で頒布された刊行物である、内藤武志著、「浸炭焼入れの実際」(昭和54年8月30日、日刊工業新聞社発行)、第62頁-第67頁(以下、「甲第2号証」という)には、”1・3バッチ型ガス浸炭”なる章において、”1・3・12バッチ炉の自動雰囲気制御”という表題で、次の(a)ないし(d)の事項が記載されている。

(a)「図1・52は、CO2分析器を用いて発生炉および浸炭炉を自動雰囲気調節する場合の説明図である。1台のCO2分析器で、発生炉と浸炭炉とを交互に制御できるようにしたものである。」(第64頁5行-7行)と述べられ、図1.52(第64頁)には、空気とプロパンガスとをミキサーポンプを介して発生炉、続いて浸炭炉へと導く流路、該流路のミキサーポンプと発生炉との間に、電動弁を介してプロパンガスを導く流路、および、これとは別に、プロパンガスと空気とを、それぞれ電動弁を介して浸炭炉に導く流路が示され、さらに、浸炭炉内のガスをCO2分析計に導く流路と、CO2分析計の出力を増幅した後、調節計に導き、調節計からの出力を、記録計ならびに前記3つの電動弁に供給するように構成してなる発生炉および浸炭炉の自動制御説明図が記載されており、

(b)「浸炭炉の制御には、エンリッチ添加用電動弁と空気添加用電動弁とを併設してある。浸炭時には設定したCO2%になるまで、エンリッチガスが添加される(ただし、製品に煤を生じない程度に最大添加量は流量計で調節してある)。また、浸炭終了後は、直ちに目標炭素量のCO2%に設定を変える。もし、炉が長時間使用して、スーテング状態になっているとすれば、空気電動弁が開き、空気中の酸素および水分が導入され、CO2%は上昇してくる。反対に露点調整直後に操業した場合は、キャリヤーガスの雰囲気になりやすい。そのため、拡散に入ってからも、若干のエンリッチガスを添加できるようにエンリッチガス用電動弁が開くことになる。」(第64頁8行-第65頁3行)こと、

(c)「バッチ型浸炭炉の雰囲気を自動調節するさい、もっとも重要なことがらは、目標のカーボンポテンシャルと雰囲気の測定値との偏差に対して、適正なるエンリッチガスおよび空気の供給量をきめることである。」(第65頁下から3行-下から1行)こと、および、

(d)「たとえば、浸炭時の目標とするカーボンポテンシャル、CO2%に換算し0.10%で行なう場合、炉中のCO2を測定した結果、0.15%であったとする。当然、目標の浸炭能に到達していないから、エンリッチガスを添加する必要がある。そのさい、目標のCO2と測定値との偏差である0.05%CO2を零にするために、すなわち、0.10%CO2に下げるのにエンリッチガスをどれだけ添加したらよいかということである。この添加量が適正でないと、スーテングを起こしたり、制御時のハンチングを大きくする原因となる。」

(第65頁下から1行-第67頁7行)こと。

3. 対比

そこで、本件特許発明(前者)と甲第2号証に記載の発明(後者)とを対比すると、両者は、被処理材を雰囲気熱処理するにあたり、熱処理炉内にキャリヤガスとエンリッチガスを送給して均一な混合雰囲気を形成し、熱処理時に要求される雰囲気ガス成分濃度に炉内雰囲気を制御する方法であって、前記キャリヤガスを生成する有機気体の送給と同時にもしくは単独に、熱処理時に要求される所定の雰囲気ガス成分濃度が得られるように適宜、前記エンリッチガスとしてプロパン等の炭化水素系ガスを送給し、当該熱処理時に要求される雰囲気ガス成分濃度に相当するガス濃度を測定することにより前記被処理材に要求される雰囲気ガス成分濃度に炉内雰囲気を制御する熱処理雰囲気制御方法[摘示(a)、(b)参照]である点で一致し、しかも、両者ともに、さらに空気を熱処理炉内に送給[後者の、“エンリッチガス添加用電動弁に併設された空気添加用電動弁を介して送給される空気”(以下、単に「該空気」という)がこれに相当]するようにしている点で共通しており、ただ、前者が、空気をレデュースガスとしているのに対し、後者には、該空気をレデュースガスとして使用することについての記載がない点で、両者は相違している。

4. 当審の判断

よって検討するに、本件特許発明において、レデユースガスとは、本件特許の願書に添付された明細書(以下、「本件明細書」という)によれば、「例えば、前記キャリヤガスを生成する有機液体および/または有機気体を常時一定流量流し、炉内雰囲気の炭素濃度を高めたいときには前記エンリッチガスを前記キャリヤガスと同時にもしくは単独に送給し、逆に炭素濃度を下げたいときには前記レデュースガスを前記キャリヤガスと同時にもしくは単独に送給することにより、炉内雰囲気の炭素濃度を幅広く制御する。」(明細書第7頁第13行-第8頁第1行)とあるように、エンリッチガスとは逆に炉内雰囲気の炭素濃度を下げるために送給されるものである。

しかして、同じく請求人が甲第3号証として提示した本願出願前に日本国内で頒布された刊行物である、日本熱処理技術協会編集発行、「熱処理」第4巻3号(昭和39年6月30日発行、なお、奥付には“昭和38年6月30日発行”と記載されているが、これは誤記である)、第198頁-第204頁(以下、「甲第3号証」という)は、“高温ガス浸炭”と題された論文(第198頁-第202頁、以下、「前半部分」という)と”維持会員探訪”という表題の記事(第203頁-第204頁、以下、「後半部分」という)との2つの部分から成っており、その前半部分には、

(e)「こういうように表面だけ急激に炭素量を増し、内部にゆくにつれ、急傾斜で炭素量が落ちることは浸炭部品としてよくない。それで表面の炭素量を抑えながら速く、深くまで浸炭することが望ましい。」(第200頁右欄13行-17行)、と記載され、さらに、

(f)「それには二つの方法がある。一つは時間はかかるが表面炭素量を始めから抑える方法と、もう一つは浸炭と拡散とを併用する方法である。(中略)他の方法としては最大の浸炭能を出せる方法で浸炭しておいて、後から脱炭気流で任意な表面炭素量まで落して後、拡散によって、ならすことである。脱炭には活性ガスの添加の代りに、発熱ガスExothermic gasに空気を入れてやればよい。」(第200頁右欄20行-第201頁左欄9行)(なお、記載された“Exothermc gas”は、“Exothermic gas”の誤記であることは明らかであるので、上記のように訂正した)、

との記載がある。

ここで、”活性ガス”とは、同じく甲3号証の前半部分に、

(g)「しかしCOガスの928℃の浸炭能は甚だ小さい。(中略)ゆえに適当な浸炭には炭素の追加を要し、普通、雰囲気に炭化水素、たとえば天然石油ガスとかプロパンのような活性化ガスを加える。」(第199頁左欄下から2行-同頁右欄7行)、

と記載されていることからして、エンリッチガスのことであるから、結局、甲第3号証の上記(f)の摘示箇所には、最大の浸炭能で浸炭したあと脱炭拡散するにあたり、エンリッチガスに代えて空気を添加することが記載されているということができる。

そして、脱炭拡散は、甲第3号証の前半部分に、”2.浸炭能の調節”として、

(h)「また、実際に浸炭するとき、浸炭能の高いガスで浸炭すると表面炭素濃度が高くなって0.9%Cの鉄、炭素共析点をこえていけない。それで連続炉なら出口に近い部分で脱炭拡散をして表面炭素濃度を下げる。その実際例を図7に示す。曲線○は高浸炭能ガスだけによる浸炭、曲線△は脱炭拡散帯を炉中に設けた場合のもので、いずれも浸炭サイクルも、浸炭ケース深さも同一の作業であった。ただガス組成の調節だけを変えただけのものである。」(第202頁左欄16行-25行)、

とあるように、被処理材の表面炭素濃度を下げるものであるから、脱炭拡散するにあたりエンリッチガスに代えて添加される上記空気には、被処理材の表面炭素濃度を下げる働き、言い換えると、本件特許発明におけると同様に、炉内雰囲気の炭素濃度を下げるレデュースガスとしての働きがあることは明らかである。

また、甲第3号証の後半部分には、

(i)「KANCHIKU-HOLCROFT式のガス浸炭法を行うのに、浸炭ゾーンに於いてキャリヤーガスとしてLO-DEWガスと炭素必要量に応じた分布を採ったCH4、プロパン、またはブタン等のどちらからかのガスを供給し、飽和オーステナイトまで浸炭をさせ、次の拡散時間中に一次反応で生成したCO2ガスを添加して表面炭素含量を希望の値に調節する。この材料表面のカーボン量と浸炭深さの調節は赤外線分析計またはガスクロマトグラフィーでCH4やCO2の値を分析しガス平衡理論を駆使して完全に行なうことができる。」(第204頁右欄27行-37行)、

との記載があり、ここで、”LO-DEWガス”とは、発生炉であるLO-DEWジェネレーターによって生成されたガスであり(甲第3号証の後半部分、第204頁左欄下から2行-同頁右欄16行参照)、また、“拡散時間中に一次反応で生成したCO2ガスを添加して表面炭素含量を希望の値に調節する”とは、表面炭素濃度を下げる方向、すなわち、レデュース方向への調節のためにCO2ガスを添加することであり、さらには、赤外線分析計などを用いてCO2などの値を分析して表面炭素濃度を調節することも記載されている。

してみれば、甲第3号証の前半部分および後半部分には、発生炉方式の浸炭炉において空気またはCO2ガスをレデュースガスとして用い、測定値をもとに浸炭炉雰囲気を調節することが記載されているということができる。

この点に関し、被請求人は、レデュースガスを使用することの記載は甲第3号証の前半部分および後半部分には見当たらない旨主張しているが、上記摘示した箇所の記載から、空気またはCO2ガスをレデュースガスとして使用することが甲第3号証の前半部分および後半部分に記載されていることは明らかである。

一方、甲第2号証には、摘示したように、“バッチ型浸炭炉の雰囲気を自動調節するさい、もっとも重要なことがらは、目標のカーボンポテンシャルと雰囲気の測定値との偏差に対して、適正なるエンリッチガスおよび空気の供給量をきめることである。”[摘示(c)参照]との記載がある。

ただ、ここでいう空気の役割については、甲第2号証に明確な言及はないが、空気を雰囲気の炭素濃度を下げるために、すなわち、レデュースガスとして使用することは、上に見たように、甲第3号証の前半部分から公知であり、かつ、レデュースガスを用いるにあたり、測定値をもとに浸炭雰囲気を調節することも甲第3号証の後半部分に記載されているのであるから、甲第2号証において、目標のカーボンポテンシャルが雰囲気の測定値よりも小さいという偏差がある場合に、雰囲気の炭素濃度を下げるために、エンリッチガスに代えて空気をレデュースガスとして適正量供給するようにすることは、当業者ならば特段の創意なくして想到しうるところである。

してみれば、本件特許発明と甲第2号証に記載された発明との間の上記相違点は、甲第3号証の前半部分および後半部分の記載および甲第2号証の摘示(c)の記載をもとに、当業者が適宜変更しうる程度の構成上の差異に過ぎない。

この点に関し、被請求人は、甲第2号証には、浸炭炉雰囲気の自動調節の具体例としてはエンリッチ方向の制御の説明[摘示(d)参照]しかなく、レデュース方向の制御の説明がまったくないこと、および、甲第2号証に示されたものは発生炉方式の浸炭炉[摘示(a)参照]であってエンリッチ方向の制御だけで十分なことを指摘し、甲第2号証にはレデュースガスの使用は示唆もされていない旨主張する。

しかしながら、発生炉方式の浸炭炉においてもレデュース方向の制御が必要とされることは、上に見たように甲第3号証の後半部分から明らかであり、また、甲第2号証にはレデュース方向の制御の具体的な記載はないとはいえ、ただそのことをもって、甲第2号証記載の発明がレデュース方向の制御を排除するものであるとはいうことはできない。

そして、雰囲気炭素濃度を上げる作用をするエンリッチガスだけでなく、逆に雰囲気炭素濃度を下げる作用をするレデュースガスをも用いれば、雰囲気炭素濃度の制御が、エンリッチガスだけの場合に比べて、迅速かつ容易になることは明らかであるから、“熱処理炉内雰囲気を自由にかつ著しく容易にしかも迅速に制御することが可能である”(本件明細書第13頁第19行-第20行)という、本件特許発明の効果も、当業者の予測しうる範囲を何等出るものではない。

6. むすび

したがって、本件特許発明は、本願出願前に日本国内で頒布された刊行物である甲第2号証および甲第3号証に記載された発明に基づいて、当業者が容易に発明をすることができたものであるので、本件特許は特許法第29条第2項の規定に違反してなされたものであり、同法第123条第1号に該当する。

よって、結論のとおり審決する。

平成6年3月14日

審判長 特許庁審判官 (略)

特許庁審判官 (略)

特許庁審判官 (略)

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