東京高等裁判所 平成6年(行ケ)130号 判決 1995年1月24日
東京都杉並区上荻4丁目17番7号
原告
株式会社コスメサイエンス
同代表者代表取締役
石渡悦堯
同訴訟代理人弁理士
三嶋景治
福岡県北九州市小倉南区舞ケ丘1丁目5番18号
被告
小城敬典
同訴訟代理人弁理士
鈴木由充
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第1 当事者の求めた裁判
1 原告
「特許庁が平成1年審判第18375号事件について平成6年4月1日にした審決を取り消す。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決
2 被告
主文と同旨の判決
第2 請求の原因
1 特許庁における手続の経緯
被告は、片仮名文字を横書きした「ドクターベルツサクライ」の構成からなり、指定商品を平成3年政令299号による改正前の商標法施行令別表第4類「せつけん類、歯みがき、化粧品、香料類」とする商標(昭和59年10月16日、登録出願、平成元年1月25日、登録査定、同年5月30日、設定登録、以下「本件商標」という。)の商標権者であるところ、原告は、平成元年11月7日、本件商標の登録を無効とする旨の審判を請求した。特許庁はこの請求を平成1年審判第18375号事件として審理した結果、平成6年4月1日、上記請求は成り立たない、とする審決をし、その審決書謄本を、平成6年5月17日、原告に送達した。
2 審決の理由の要点
(1) 本件商標の構成及び指定商品は前項記載のとおりである。
(2) 登録第1999983号商標(昭和59年12月27日、登録出願、同62年11月20日、設定登録、以下「引用商標A」という。)は、片仮名文字を横書きした「ドクター」の構成からなり、指定商品を本件商標と同じくする。
登録第1808938号商標(昭和57年12月13日、登録出願、同60年9月27日、設定登録、以下「引用商標B」という。)は、欧文字の筆記体で記された「Berz」と片仮名文字「ベルツ」を2段に併記する構成からなり、前記第4類の「化粧品」を指定商品とする。
(3) 請求人(原告)の本件商標の登録無効に関する主張の要旨は、以下のとおりである。
本件商標からは、以下に述べるとおり、「ドクター」又は「ベルツ」の称呼、観念が生ずる。
すなわち、簡易迅速を旨とする商取引においては、言いやすく読みやすい部分に注視されての取引が自然であること、「ドクター」は、日常会話でも多用され日本語化された英語であること、本件商標の全体は、冗長感があり、一連としての称呼が生じ難いこと等からすると、本件商標は、「ベルツサクライ」の部分が省略され、「ドクター」の部分のみで称呼、観念されるとみるのが相当である。
また、本件商標のうち「サクライ」の部分には顕著性がないから省略され、ベルツ博士が著名であることから単に「ベルツ」印としても取引に供され、「ベルツ」の称呼、観念が生ずる。
引用商標Aからはその構成に即して「ドクター」の称呼、観念が生ずる。
また、引用商標Bからは、その構成に即して「ベルツ」の称呼、観念が生ずる。
したがって、引用商標Aは「ドクター」の、また、引用商標Bは「ベルツ」の各称呼、観念において本件商標と類似するから、その登録は無効にされるべきである。
(4) 本件商標の登録に登録無効事由が存するか否かについて判断する。
引用商標Aの出願日が昭和59年12月27日であることは商標登録原簿から明らかであり、本件商標より後の登録出願であるから、同商標は商標法4条1項11号に該当しない。
引用商標Bとの類否についてみると、両商標の前記各構成からすると、両商標は外観上明確に区別でき、紛れるおそれはない。 称呼についてみると、本件商標からは、その構成に即して「ドクターベルツサクライ」の一連の称呼を生ずるものである。
また、語頭に「ドクター」の文字を有する全体の構成からして、これは人名を表したものと看取できる。そして、この「ドクター」の文字は、「博士、医者」等の意味を有する英語「Doctor」の発音を片仮名文字で表したものであって、敬称あるいは肩書として人名に付され、日常生活の中で日本語同様に親しまれ使用されているものである。また、該文字部分は、時と場合によってはこの部分を省略してその者を指称する場合もあることは経験則上首肯しうるところである。
そうすると、本件商標は、この敬称部分を省略して、単に、「ベルツサクライ」の称呼をも生ずるものといわなければならない。
これに対して、引用商標Bは、筆記体で記された「Berz」の欧文字と「ベルツ」の片仮名文字とを2段に併記してなるところ、片仮名文字部分は、欧文字の読みを特定したものと無理なく理解できるものであるから、引用商標Bは、これより「ベルツ」の称呼を生ずることは明らかである。
そうすると、上記両商標から生ずる前記各称呼は、その構成音数の差により、これらをそれぞれ一連に称呼しても彼此相紛れるおそれはない。
次に観念についてみると、両商標の前記各構成から共通する特定の観念は生じないとみるのが相当であって、観念上彼此相紛れるおそれはない。
したがって、引用商標Aは、本件商標の無効理由とはなり得ず、また、本件商標と引用商標Bとは、外観、称呼、観念のいずれの点においても、非類似の商標といわざるを得ない。
(5) よって、本件商標は、商標法4条1項11号に違反しないから、同法46条1項1号により、その登録を無効とすることはできない。
3 審決の取消事由
審決の認定判断のうち、審決の理由の要点(1)ないし(3)は認める。同(4)、(5)は争う。審決は、本件商標の称呼、観念の認定を誤り、各引用商標との類否の判断を誤ったものであるから、違法であり、取消しを免れない。
本件商標の「ドクターベルツサクライ」は、一連に称呼されるとしても、冗長感は否めず、簡易迅速化された商取引の実際から略称され、前半部分からは単に「ドクター」(博士、医者)あるいは「ドクターベルツ」(ベルツ博士、ベルツ先生)との称呼、観念をもって取引がなされる場合が認められるものである。さらに、本件商標に係る指定商品の一部である化粧品の取引分野においては、「ベルツ」は「ベルツ博士」、「ベルツ化粧水」として著名であるから、本件商標が化粧品に付されて使用された場合に、単に「ベルツ」の称呼、観念が生ずる場合が存することは明らかである。
ところで、引用商標Aと連合関係にあり、本件商標の登録出願前の出願に係る登録第1575988号商標は、「ドクター」と「DOCTOR」の2段併記からなり、同様の関係にある第1961768号商標は、「DOCTOR」と「ドクター」の2段併記からなるところ、これらはいずれも「ドクター」の称呼、観念を生ずるものであるから、本件商標につき前記のとおり「ドクター」の称呼が生ずる場合には、上記の各連合商標の称呼、観念と類似することは明らかである。
さらに、本件商標から「ベルツ」又は「ドクターベルツ」の称呼、観念が生ずる場合に、これが引用商標Bの称呼、観念と類似することは明らかである。
以上のとおり、審決は、本件商標の称呼観念の認定を誤り、各引用商標との類否の判断を誤ったものであるから、違法であり、取消しを免れない。
第3 請求の原因に対する認否及び被告の主張
請求の原因1、2は認めるが、同3は争う。審決の認定、判断は正当である。
原告は、引用商標Aの連合商標との類否を主張するが、原告は審判手続においてこれらの連合商標との類否については全く主張していなかったものであるから、引用商標Aのみを取り上げた審決に誤りはない。
次に、原告は、本件商標からは、「ドクター」、「ドクターベルツ」、「ベルツ」の各称呼、観念が生ずると主張するが、以下に述べるとおり、誤りである。
本件商標からは、取引の経験則から判断して、敬称部分である「ドクター」が省略されて、単に「ベルツサクライ」の称呼、観念が生ずることは審決の説示するとおりである。また、仮に、「ベルツ」が「ベルツ博士」、「ベルツ化粧水」として著名であるとしても、本件商標の「ドクターベルツサクライ」から「ドクターベルツ」、「ベルツ」の部分が抽出されて、そのような称呼、観念が生ずるとの立証はない。したがって、審決に原告主張の違法はなく、審決の認定、判断は正当である。
第4 証拠
証拠関係は書証目録記載のとおりである。
理由
1 請求の原因1、2は当事者間に争いがなく、本件商標及び引用商標Bの各構成が審決摘示のとおりであり、また、引用商標Bから「ベルツ」の称呼、観念が生ずることはいずれも当事者間に争いがない。
2 本件商標から生ずる称呼、観念について
原告は、本件商標から、「ドクター」、「ドクターベルツ」又は「ベルツ」の各称呼、観念が生ずると主張するので以下、この点について検討する。
まず、「ドクター」の称呼、観念が生ずるか否かについて検討すると、本件商標中の「ドクター」が「博士」、「医者」等の語義を有する英語の「doctor」の片仮名表記であることは当事者間に争いがなく、そして、「ドクター」は前同様の意味を有する普通名詞として、また、「ドクター」に人名を続けてその人名に対する敬称ないしは肩書を表す日本語として、広く普及し、使用されていることは公知の事実であり、この点は原告においても明らかに争わないところである。
ところで、本件商標の「ベルツサクライ」は前記のような語義を有する「ドクター」と一連に記されているところからみて、それが人名を表すものであることは、前記の日本語化した「ドクター」の使用法からみて、本件商標に接した取引者ないし需要者に容易に理解可能なものであって、本件全証拠を検討しても、他の意味を有するものとして理解し得ることは窺うに足りる証拠はない。
してみれば、「ドクター」の前記認定の使用法に照らすと、本件商標中の「ドクター」はこれに続く人名の敬称ないしは肩書として使用されているものである以上、「ドクター」はこれに続く人名と一体となって初めて当該人物の識別機能を果たし得るものと解されるから、「ドクター」のみで識別を可能ならしめる特段の事情の認められない本件においては、敬称ないしは肩書に過ぎない「ドクター」の部分のみが人名と切り離されて使用されることはないといって差し支えがないというべきである。
この点について、原告は、簡易迅速を尊ぶ取引の実情においては、「ドクター」の称呼、観念が生ずると主張するが、取引の実情において簡易迅速が尊ばれるとしても、当該商標が自他商品の識別機能を有することを前提とすることはもとより当然のことであるところ、単なる敬称ないしは肩書に過ぎない「ドクター」部分のみでは自他識別機能を有しないことは前述したとおりであるから、本件商標から「ドクター」の称呼、観念が生ずるとする原告の上記主張は採用できない。次に、「ドクターベルツ」の称呼、観念が生ずるか否かについて検討すると、前記のとおり、「ベルツサクライ」は人名として理解されるものであるから、例えば、「ベルツサクライ」が極めて著名な人物であり、「ベルツ」といえば「ベルツサクライ」であることが取引者、需要者にとって容易に理解可能であるなどの特段の事情がない限り、「ベルツサクライ」が単に「ベルツ」とのみ称呼されることは認め難いというべきところ、本件全証拠を検討しても、上記のような「ベルツ」のみで「ベルツサクライ」を認識し得る特段の事情を窺わせる証拠はない。
したがって、本件商標から「ドクターベルツ」の称呼、観念が生ずるとする原告の上記主張は採用できない。
最後に、本件商標から「ベルツ」の称呼、観念が生ずるか否かについて検討する。
原告は、この点について、本件商標の指定商品の一部である化粧品の取引分野においては、「ベルツ」は「ベルツ博士」又は「ベルツ化粧水」の考案者として著名であるから、本件商標が化粧品に付されて使用された場合に、単に「ベルツ」の称呼、観念が生ずると主張するので、以下、この点について検討する。成立に争いのない甲第5号証(新村出編「広辞苑」第4版、1991年11月15日、株式会社岩波書店発行、2316頁)、同第6号証(時枝誠記、吉田精一編「角川国語大辞典」昭和58年1月25日、株式会社角川書店発行、1894頁)、同第7号証(日本大辞典刊行会編「日本国語大辞典」昭和50年9月1日、株式会社小学館発行、673頁)、同第8号証(下中弘編「世界大百科事典」1988年4月28日、株式会社平凡社発行、619頁)、同第9号証(相賀徹夫編「ジャポニカ-16」昭和46年3月15日、株式会社小学館発行、968頁)、同第10号証(下中邦彦編「国民百科事典-12」1978年7月27日、株式会社平凡社発行、341頁)、同第11号証(相賀徹夫編「日本大百科全書21」1988年5月1日、株式会社小学館発行、157、158頁)、同第12号証(日木化粧品技術者会編「最新化粧品科学」改訂増補版、昭和63年6月6目、株式会社薬事日報社発行、36頁)、同第13号証の1ないし3(トク・ベルツ編「ベルツの日記」新版(上)1979年2月16日、旧版第2部(上)1953年8月25日、株式会社岩波書店発行)によれば、ベルツ〔Erwin von Balz〕は、明治9年に東京医学校の教師として招かれて来日し、以来26年間にわたり同校の内科学教師として活躍したドイツ人内科医であり、ベルツが明治9年に創製したベルツ水は皮膚のひび、あかぎれ等に効能を有する皮膚軟化剤として広く用いられた我が国最初の化学的なアルカリ性化粧水であるとの事実を認めることができ、他にこれを左右する証拠はない。
以上の事実によれば、ベルツが明治期における歴史的に著名な人物であり、その創製したベルツ水が当時広く用いられるとともに我が国最初の化学的な化粧水として歴史的な意義を有するものであることは明らかである。しかしながら、以上のような歴史的事実ないしは歴史的意義から直ちに「ベルツ」ないし「ベルツ化粧水」が本件商標の登録査定時である平成元年1月25日当時においても、取引者ないしは需要者に著名なものとして広く認識されていたか否かについては、ベルツ水の創製が前記のとおり明治9年であり、上記査定時において、既に、100年以上を経過していること及び化粧品の取引業界が商品の盛衰の激しい取引分野であるとの公知の事実に照らすと、上記の歴史的事実ないしは意義から直ちに上記の査定時においても、なお、「ベルツ化粧水」とその創製者としての「ベルツ」が著名であり、これが広く化粧品についての取引者ないしは需要者に浸透していたものとまで推認することは困難であるといわざるを得ず(現に、前掲甲第9号証及び同第10号証においては、ベルツの業績に関して「ベルツ水」を紹介していない。)、他にこの推認を裏付けるに足りる的確な証拠はない。
してみると、「ベルツ」ないしは「ベルツ化粧水」の著名性を根拠に、本件商標から「ベルツ」の称呼、観念が生ずるとまでは認あることは困難であるといわざるを得ないから、この点に関する原告の主張も採用できない。
そして、本件商標からは、その構成文字に即して、一連に称呼しても必ずしも冗長とはいえない「ドクターベルツサクライ」又は敬称ないし肩書である「ドクター」の部分が省略された「ベルツサクライ」の各称呼が生ずるものと解するのが相当である。
3 引用商標と本件商標の類否について
(1) 引用商標Aが本件商標より後の出願に係るものであることについては原告も明らかに争わないところであるが、原告は、同商標の連合商標と本件商標との類否について審決が検討しなかった点を非難する。
しかし、本件審判請求手続において、上記のような連合商標の存在について、原告が何ら指摘していなかった事実は弁論の全趣旨から認めることができるものであるが、この点はさておくとしても、いずれも成立に争いのない甲第3号証の3ないし6によれば、原告が援用する連合商標がいずれも本件商標の登録出願前の出願に係るものであり、これらの連合商標からはいずれも「ドクター」の称呼、観念を生ずるものと認められるところ、既に前項に説示したとおり、本件商標からは、「ドクター」の称呼、観念は生じないのであるから、仮に、かかる連合商標と本件商標との類否判断をしたとしても、両商標が本件商標に類似しないことは明らかであって、いずれにしてもこの点に関する原告主張は採用できない。
(2) 引用商標Bの構成及び同商標から「ベルツ」の称呼が生ずることは前記のとおりいずれも当事者間に争いがなく、そして、本件商標からは「ベルツ」の称呼は生ぜず、「ドクターベルツサクライ」又は「ベルツサクライ」の称呼が生ずるものであることは前項に説示したとおりである。
そこで、両商標の称呼を対比すると、前者が3音からなるのに対し、後者は11音ないし7音と構成音数を異にし、これが類似しないものであることは明らかであるし、その外観及び観念においても明らかに異なるものであるから、両商標は類似しないものというべきである。
4 以上の次第であるから、審決に原告主張の違法はなく、審決は正当というべきである。
5 よって、本訴請求は理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担について行政事件訴訟法7条、民事訴訟法89条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 竹田稔 裁判官 関野杜滋子 裁判官 田中信義)