東京高等裁判所 平成6年(行ケ)209号 判決 1997年3月06日
スイス国
ツェーハー-4002 バーゼル、リヒトシュトラーセ35番
原告
サンド・アクチエンゲゼルシャフト
同代表者
ベアトリス・モラック
同
ベルナール・ディーティカー
同訴訟代理人弁理士
青山葆
同
柴田康夫
同
鮫島睦
東京都千代田区霞が関3丁目4番3号
被告
特許庁長官 荒井寿光
同指定代理人
谷口操
同
茂原正春
同
花岡明子
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
この判決に対する上告のための附加期間を90日と定める。
事実
第1 当事者の求めた裁判
1 原告
「特許庁が平成3年審判第19256号事件について平成6年4月21日にした審決を取り消す。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決
2 被告
主文第1、2項と同旨の判決
第2 請求の原因
1 特許庁における手続の経緯
原告は、昭和55年11月26日、名称を「新規ポリペプチド類、その製造方法、そのポリペプチド類を含む医薬組成物およびその用途」とする発明につき、スイス国における1979年11月27日付け及び1980年6月13日付け特許出願に基づく優先権を主張して、特許出願(昭和55年特許願第167364号)(以下「原出願」という。)をし、昭和63年3月8日、原出願からの分割出願として、特許出願(昭和63年特許願第57316号。以下、その発明を「本願発明」という。)をしたが、平成3年5月30日付けで拒絶査定を受けたので、同年9月30日審判を請求した。特許庁は、この請求を平成3年審判第19256号事件として審理した結果、平成6年4月21日、「本件審判の請求は、成り立たない。」との審決をし、その謄本は、平成6年5月19日原告に送達された。
2 審決の理由の要点
(1) 本願の特許請求の範囲の記載は、別紙1記載のとおりであり、本願明細書の発明の詳細な説明には、特許請求の範囲に記載された一般式に含まれる一部のポリペプチド及びその塩に関する実施例が記載されている。
(2)<1> 本願に係る「ポリペプチド類」は、成長ホルモン分泌過剰を含み、もしくはこれと関連した病因を伴う失調および胃腸失調の治療に有用な新規なポリペプチドおよびその塩類といった化学物質の発明に関するものであるから、「ポリペプチド類」は、化学物質そのものが明細書において確認できること、その製造方法が明細書に明らかになっていることとともに、その有用性が明細書に明らかにされていることが必要である。
<2> そこで、本願明細書の発明の詳細な説明の記載を検討するに、
(a) 特許請求の範囲に記載されている一般式に含まれるポリペプチドおよびその塩の中で、発明の詳細な説明において、実際に製造されたことが確認され、有用性が確認されるものは、実施例として記載されたもののみである。
(b) その他のものについては、同等な有用性を有することを裏付ける技術的説明はなんら記載されていない。
<3> また、実施例において具体的に開示されたアミノ酸残基と一般式で示されているアミノ酸残基は単にアミノ酸の分類上同一のグループとされるだけではなく成長ホルモン分泌過剰を含み、もしくはこれと関連した病因を伴う失調および胃腸失調の治療に有用であるという有用性において同等のものであるといえることを示す資料も提出されていない。
<4> 一般にペプチドにおいて、各アミノ酸単位は、化学物質の本質に関与する主要骨格そのものというべきものであり、そのアミノ酸配列が変わると、その物性、生理活性がどのようなものとなるかを正確に予測することは困難であり、明細書に一般式による開示があっても、それをもって直ちにその一般式に包括されるポリペプチド類について技術的に開示されているということはできないことを勘案すれば、特許請求の範囲の一般式で表されるペプチドおよびその塩は明細書に有用性が明らかにされていないものまでをも含むものであり、特許請求の範囲の記載は、発明の詳細な説明に記載した発明の構成に欠くことができない事項以外の事項をも含む点で不備であるといわなければならない。
(3) したがって、本願は、特許法36条4項に規定する要件を満たしていないから、拒絶すべきものである。
3 審決を取り消すべき事由
審決の理由の要点(1)は認める。
同(2)<1>のうち、化学物質そのものが明細書において確認できることが必要であることは争い、その余は認める。同(2)<2>のうち、(a)は認め、(b)は争う。同(2)<3>は争う。同(2)<4>のうち、「一般にペプチドにおいて、各アミノ酸単位は、化学物質の本質に関与する主要骨格そのものというべきものであり、そのアミノ酸配列が変わると、その物性、生理活性がどのようなものとなるかを正確に予測することは困難であ」ることは認め、その余は争う。
同(3)は争う。
審決は、本願の特許請求の範囲の記載は、発明の詳細な説明に記載した発明の構成に欠くことができない事項以外の事項をも含む点で不備であると誤って判断したものであるから、違法として取り消されるべきである。
(取消事由)
(1) 本願明細書中には、次のアミノ酸について実施例が存在しない。
<1> Aについて Ala、Val、Leu及びIle、
<2> Eについて Ser、Gly、Leu及びIle、
<3> F’について Gly、Ala、Val、Ile、Glu及びTyr
(2)<1> しかしながら、化学物質とその生理活性の関係は、いまだ完全に解明されたわけではなく、したがって化学構造と生理活性の間に常に適合するような確たる法則も見いだされていないのは事実であるが、一般的には、化学構造が類似しておれば、それを否定する合理的根拠がない限り、生理活性も類似しているであろうと考えるのが普通である。そうでなければ、創薬を目的とした研究の成立しようがない。
同族列を構成する「低級アルキレン基」や「低級アルキル基」の範囲内で化学構造が変化した化合物は、一般に理化学的性状が近似し、その有用性も予測可能と考えられている(甲第15号証)。
甲第12ないし第14号証及び乙第2ないし第11号証は、少なくとも同族列の関係にあるものについては、一部の具体例の存在によって、これを包括した発明が完成しているものと考える慣行が特許庁に存在することを示している。
なお、水素原子は、同族列の見地から考えた場合、式CnH2n+1で表される低級アルキル基のn=0の場合に相当するものと認識することは当業界の常識である。
<2> 被告は、理化学的性質が共通ないし類似する関係にあるとしても、生理学的性質まで共通ないし類似するものではない旨主張するが、一般に、低級アルキル基内の種類の変化に伴う生理学的性質の変化は比較的小さいものであり、低級アルキル基を有する化合物の生理学的性質はそれが結合している基本構造に左右されるのが普通であるし、被告の見解は、極論すれば、特許請求の範囲に包含されるすべての化学物質について実施例の存在を要求するに等しい。
(3)<1> ところで、AについてのAla、Val、Leu及びIleは、一般式:
<省略>
で表すことができるものであり、このうちRがメチル基(CH3)の場合がAla、イソプロピル基((CH3)2CH)の場合がVal、イソブチル基((CH3)2CHCH2)の場合がLeu、第2ブチル基(C2H5(CH3)CH)の場合がIleに相当する。他方、Rがn-ブチル基(CH3(CH2)3)の場合は、本願明細書の実施例8に記載のあるNleに相当する。
これら、Rの具体例であるメチル基、イソプロピル基、イソブチル基、第2ブチル基及びn-ブチル基は、いわゆる「低級アルキル基」の範疇に属するものであり、単に炭素数の点で相違する(より正確には、CH2単位の増減の点で相違する。)にすぎない。
したがって、本願明細書には、AについてAla、Val、Leu及びIleの実施例の記載がなくとも、それらと同族体又は同族列の関係にあるNleの実施例が存在するのであるから、前記(2)の審査慣行にかんがみ、特許請求の範囲が不備であるとはいえないものである。
<2> 同様に、EについてのSerは、一般式:
<省略>
で表すことができるものであって、R’がメチレン基(CH2)の場合がSerに相当する。そして、R’がメチルメチレン基(CH(CH3))の場合、本願明細書の実施例1~9、11~13、15~23及び25に記載のあるThrに相当する。
EについてのGly、Leu及びIleは、一般式:
<省略>
で表すことができるものであって、Rが水素原子(H)の場合がGly、イソブチル基((CH3)2 CHCH2)の場合がLeu、第2ブチル基(C2H5(CH3)CH)の場合がIleに相当する。そして、Rがメチル基(CH3)の場合、実施例10及び14に記載のあるAlaに相当し、イソプロピル基((CH3)2CH)の場合、実施例24に記載のあるValに相当する。
これら、R’の具体例であるメチレン基及びメチルメチレン基やRの具体例である水素原子、イソブチル基、第2ブチル基、メチル基及びイソプロピル基は、それぞれ「低級アルキレン基」や「低級アルキル基」の範疇に属するものである。したがって、Thr、Ala、Valの実施例が存在する以上、特許請求の範囲の記載が不備であるとはいえないものである。
<3> 同様に、F’についてのGly、Ala、Val及びIleは、一般式:
<省略>
で表すことができ、Rが水素原子(H)の場合がGly、メチル基(CH3)の場合がAla、イソプロピル基((CH3)2CH)の場合がVal、第2ブチル基(C2H5(CH3)CH)の場合がIleに相当し、Rがイソブチル基((CH3)2CHCH2)の場合、本願明細書の実施例6に記載のあるLeuに相当する。
F’についてのGluは一般式:
<省略>
で表すことができ、R’がジメチレン基(CH2CH2)である場合がGluに相当し、R’がメチレン基(CH2)の場合、実施例7に記載のあるAspに相当する。
これら、Rの具体例である水素原子、メチル基、イソプロピル基、第2ブチル基及びイソブチル基やR’の具体例であるジメチレン基及びメチレン基は、それぞれ「低級アルキル基」や「低級アルキレン基」の範疇に属するものである。したがって、LeuやAspの実施例が存在する以上、特許請求の範囲の記載が不備であるとはいえないものである。
<4> なお、F’がTyrの場合について、本願明細書中にはこれと同族体又は同族列の関係にある実施例こそ記載されてはいないが、以下に示すとおり、Tyrに対応し、それとの比較においてベンゼン環上のヒドロキシ基を欠如するにすぎないPheについての実施例5が記載され、Tyrに相当し、それとの比較においてベンゼン環を欠如するにすぎないSerが実施例3、8~11、15及び19~21に記載されているのであるから、有用性について予測可能な類似化合物についての実施例が本願明細書に記載されているといっても過言ではない。
Tyr(チロシン)
<省略>
Phe(フエニルアラニン)
<省略>
Ser(セリン)
<省略>
被告は、この点の予測が困難であると反論するが、分子全体の基本構造からして、F’としてのTyrが占めるのは比較的小さな部分にすぎない。また、F’は、それが本願発明対象物質を表す一般式からも明らかなように、最末端に位置するものであることに加え、それがα-アミノ酸のみならず、単なる-NH2を表す場合もあることを考慮すると、生理活性を示すための基本構造に必須のものとはいい難い。したがって、上記のようにTyrとPheやSer間に多少とも構造的類似性が認められるのであるから、F’がTyrの場合に、PheやSerの場合と本質的に同様の生理活性を示すであろうと予測することは決して不合理ではない。事実、F’がTyrであるものが成長ホルモン分泌抑制作用を有することが、甲第8号証(1899頁第3表-化合物番号RC-157-2HとRC-113-2H参照)に明らかにされている。さらに、甲第9号証(ブランズ博士実験成績証明書)において、本願発明対象化合物の場合、生理活性上、Tyrは本質的にPheと同等であることが確認されている。
(4) また、本願発明は、式:
<省略>
で示される14個のα-アミノ酸からなる、成長ホルモン分泌抑制物質としてのポリペプチド、すなわちソマトスタチンを出発物質とし、これを構成する各α-アミノ酸を適宜削除又は置換して、その生理作用を失うことなくできる限り少数のα-アミノ酸で構成されたペプチドを提供することを目的として行われた研究の成果であって、本願発明が対象とするかかるペプチドは、式:
<省略>
で表すことができる。
すなわち、本願発明の対象物質は、最低6個から最高9個までのα-アミノ酸からなるペプチドであり、その基本構造は2個のCys(上記の式の1位と6位のアミノ酸残基がこれに相当する。)の間にα-アミノ酸4個(上記の式の2~5位に存在するB、C、D及びEがこれに相当する。)がカルボンアミド結合を介して連結したものである。この基本構造が存在する限り、そこに存在する低級アルキル基や低級アルキレン基の同族列の範囲の変化は、一般的にはその生理活性、すなわち成長ホルモン分泌抑制作用の有無に本質的影響を与えるものではない。
ちなみに、甲第6ないし第8号証には、本願発明対象物質に相当するペプチドが多数合成され、それらについて生理活性が試験されたことが報告されている。これらの報告を総合すれば、本願発明物質がばらつきはあるものの概して成長ホルモン分泌抑制作用を示すことが理解できる。また、甲第9号証(ブランズ博士の実験成績証明書)からも、本願発明物質がおしなべて成長ホルモン分泌抑制作用を有していることが理解できる。
被告は、これらの証拠は本願明細書に一般式で記載されたものの一部についてしか生理活性を明らかにしない等と主張するが、甲第7号証において、RC-160及びRC-121は、最高の効力があったものとして記載されているのであり、そのほかの化合物は効力がなかったとは記載されていない。本願発明は、特定の化学構造式で示される新規化合物が一般に成長ホルモン分泌抑制作用を示す事実の発見に基づくものであり、活性の有無が重要であって、活性の程度は本質的な問題ではない。また、甲第8号証も、特徴的な活性を示す代表化合物について記載したものであり、このようなことは学術論文として至極当然のことである。いずれにせよ、本願発明の特許請求の範囲に包含される化合物が成長ホルモン分泌抑制作用を有しないであろうことを示唆する記載はない。
第3 請求の原因に対する認否及び反論
1 請求の原因1及び2は認める。同3のうち、(1)は認め、その余は争う。審決の認定、判断は正当であって、原告主張の誤りはない。
2 反論
(1)<1> 化学物質発明は、純粋に化学的な側面と、有用性に関わる側面がある。
化学的な側面については、共通の理化学的性状あるいは化学構造を有するとしてグループ化される(例えば、同じ官能基を有するなど)化合物群のうち代表例について具体的な製造例が示されていれば、その具体例に準じて同じグループ内の他の化合物について同様に実施することが可能な場合がある。
他方、有用性に関わる側面については、その有用な性質と相関すると考えられる化学構造部分(以下「主要骨格」という。)が共通であり、その主要骨格に対する化学修飾が化学的、生理的に特に異質とし得ない程度のものであれば、当該化学修飾がなされた化合物群について、共通の有用性を予測することも可能である。そこで、有用な化学物質の提供を目的とした化学物質発明の出願明細書においても、有用な性質に関わる共通の主要骨格を有するものであれば、その主要骨格に共通の理化学的性状あるいは化学構造を有する複数の置換基が結合する化合物群について、そのうちの代表例が具体的に(例えば実施例として)示されていれば、同じ化合物群のその他の化合物についても、製造及び有用性を予測し、当業者が容易に実施できるものとし、また、当該化合物群としての発明が一応成立したとすることも可能である。
生理活性ポリペプチドの分野においても、当該ポリペプチドの特定部位のアミノ酸を別のアミノ酸に置換しても生理活性に格別の影響がないことが事前に知られている等の事情が存する場合には、確認実験がなされていなくても当業者において生理活性を予測することは可能である。
<2> しかしながら、本願発明におけるようなポリペブチドにおいては、高々20種類のアミノ酸の種類及び配列によって、生理活性を含め多種多様な性状を呈することはよく知られていて、構成アミノ酸の種類及び配列と生理活性が緊密に相関するのが普通であるから、実際に製造し、確認同定もされていないポリペプチドについて、アミノ酸の種類及び配列と生理活性の関係を予測することは容易なことではない。甲第5号証は、1990年発行の刊行物であるが、原告が主張する「分子設計」法は、法則的なものではなく、また本願発明の出願前に確立した手法であるとすることはできないこと、及び、実験による支持が不可欠であることが明確にされている。したがって、アミノ酸分類上の同じグループのものであれば同様の生理活性を奏するとの技術常識が確立しているわけではないから、ポリペプチドにおいては、特定のアミノ酸とその配列は、特定の有用性に関わる主要骨格そのものというべきである。
(2)<1> 有用性の点について、本願明細書には、本願発明のポリペプチドが主として成長ホルモン分泌抑制作用、胃液分泌及び膵液分泌抑制作用を有する旨総括的に記載されているにすぎず(甲第2号証22頁10行ないし26頁6行)、実施例に記載のないアミノ酸を選択したポリペプチドが、実施例に記載されたペプチドと同じ生理活性を有することの根拠となる記載は見いだせない。
<2> また、全証拠によっても、本願の優先権主張日前の技術背景として、本願発明の特許請求の範囲に包含される範囲のアミノ酸が、本願発明のポリペプチドの属するソマトスタチン様ポリペプチドの分野において置換可能なものとして知られていた等の事実は見いだせない。
(3)<1> 原告は、低級アルキル基として包括される原子団を有する化合物について、その有用性も予測可能としているが、(低級)アルキル基として包括される原子団は、共通の元素構成からなるため、理化学的な性質において共通ないし類似するところがあるとしても、その理化学的性状と一体的な関係にあるわけではない生理的性質等、種々の用途に係わる性質までも共通ないし類似するものではない。多くの化合物は、有用性とは無関係に、原子団記号によって包括的に表記することが可能であるが、これは表記上の問題にすぎない。
<2> 水素原子と(低級)アルキル基とは別種の原子及び原子団であって、水素原子と、低級アルキル基として包括される原子団の炭素数とは何ら関係がない。
仮に、各アミノ酸を原子団記号を介して包括的に表記することによって同族体であるかのように位置づけたとしても、もともと同族体は一定の理化学的性状において共通ないし類似するところがあるにすぎず、その理化学的性状と一体的な関係にあるわけではない生理活性までも共通ないし類似するわけではない。
<3> 甲第12ないし第14号証に記載された化合物は、2個のアミノ酸からなるペプチド構造を有するものではあるものの、アミノ酸部のほかに、特徴的な構造を有する点で、本願発明におけるような多数個の特定α-アミノ酸の配列自体に特徴のある生理活性ポリペプチドとは大いに相違する。
<4> 原告は、甲第15号証をもって、化学的特性によって分類されたアミノ酸のグループ内のものであれば、生理活性も類似していて、互換可能であり、当業者の常識であると主張するが、そうであれば、乙第2ないし第11号証においても本願発明と同様に同じアミノ酸グループのものを選択肢として特許請求することが権利上極めて有利であるにもかかわらず、いずれにおいても、このような選択肢はとられていない。
<5> 乙第2ないし第11号証の事例では、いずれも実施例のほかに参酌すべき事情が提示されず、結果的に、実施例の存在するものだけが特許請求の範囲に記載されることとなっている。
<6> 原告は、F'がTyrの場合について、Tyrを、Tyrとはベンゼン環上にヒドロキシ基を有していない点で化学構造上相違するPhe、及びベンゼン環を有しない点で化学構造上相違するPheと類似化合物であるとし、その有用性も予測可能としているが、ベンゼン環上にヒドロキシ基がある、なし、によって、また、そのベンゼン環自体のある、なし、によって、各アミノ酸は、理化学的な性状において大いに相違するから、その化学構造上の相違を類似の範囲とすることは適切でないし、まして、Phe及びSheとは化学構造上及び理化学的性状においても相違するTyrをPhe及びSheに代替した場合の有用性についてまで予測し得るものではない。
甲第9号証によっても、ソマトスタチンアナログの8位(本願発明ではF')におけるPheとTyrが等価であるとすることはできない。すなわち、甲第9号証の第9パラグラフの第2番目のポリペプチドと第1番目のポリペプチドとは、8位のアミノ酸の種類だけでなく、両者のC-末端が、各々-CONH2(Tyr-NH2)及び-CH2OH(Phe-オール)である点で相違する。ソマトスタチン様ポリペプチドの活性が、N-末端及びC-末端の性質によって影響を受けることは甲第8号証にも記載されるところであるから、当該2つのポリペプチドの活性に関与する相違がPheとTyrという8位のアミノ酸の種類の相違に尽きるとすることはできない。
さらに、甲第9号証の第9パラグラフの第2番目のポリペプチドは、本願の優先権主張日からはるか後の刊行になる甲第8号証の表3にRC-157-2Hとして掲載されたものであって、甲第9号証が更に長期の年月を経た後に作成されたものであることを考えれば、その内容をもって、本願の優先権主張日以前に、生理活性ポリペプチドの構成アミノ酸として、PheとTyrが等価であることが知られていたとし得るものではない。
(4)<1> 原告は、本願発明のポリペプチドについて、2個のCysの間にα-アミノ酸4個がカルボンアミド結合を介して連結したものを基本構造である旨主張するが、上記の4個のアミノ酸に相当するB、C、D及びEは、少なくともB、C及びDは、特許請求の範囲において、1アミノ酸に特定されている。複数のアミノ酸選択肢から選ばれるEについては、そのうちの一部(7個のうち3個)について実施例が示されているにすぎないから、Eの選択肢のそれぞれのアミノ酸を構成要素とするポリペプチドについて製造と有用性の確認がなされていないポリペプチドを含む上記6ペプチドを基本構造と設定すること自体妥当性を欠く。
基本構造以外のA及びF'のアミノ酸についても、同族列であれば同様の生理活性を発現するとの根拠は何ら見いだせないし、F'におけるTyrは、同族列の範疇にも入らない。
<2> 甲第7号証には、「ソマトスタチン-14(SS-14)の300近いオクタペプチド類縁体が我々の研究室で合成された。」と記載されているが、実際に効力があったものとして報告されているのは、RC-160(本願明細書の実施例24に相当)及びRC-121の2つのポリペプチドのみである。さらに、甲第8号証にも、ソマスタチンのアナログの研究において約200種の化合物を合成し、生理活性を試験したとされているもの、実際に記載されたポリペプチドのうち、アミノ酸配列が異なり、かつ、本願明細書の特許請求の範囲の範疇に入るものは、甲第7号証に記載のもののほかには9種にすぎない。そして、そのうち、本願発明では実施例が示されておらず同号証において初めて確認されたアミノ酸の種類は、F'に対応する、GleとAlaに限られている。同号証には、ポリペプチドにおける各アミノ酸の種類が本願発明におけるグループの中から選択すれば同様の生理活性が得られることを示唆するような記載はない。甲第7及び第8号証は、本願発明の優先権主張日(1979年11月27日)から6ないし7年余の年月を経た後の報文であるにもかかわらず、なお、ポリペプチドを構成するアミノ酸の種類及び配列について、本願発明におけるようなアミノ酸グループ内のものが同じ生理活性を有するとの主張を裏付けるに十分な記載が見いだせないことからすれば、本願発明の優先権主張日前に、このような予測が容易になされ得なかったことは明らかである。
また、明細書には発明のベストモードとしての実施例を開示することが求められていることからすれば、本願発明の実施例1A(代表実施例)として記載されたポリペプチドSMS201-995(SS-14)は最も優れた物質であったはずであるが、甲第7号証によれば、本願発明の実施例24のポリペプチドに相当する「RC-160は、SS-14に比較してGH(生長ホルモン)レベルを長期にわたって抑制」(1011頁サマリーの欄10行ないし12行)し、「30μg/kgの投与で、SS-14の200μg/kg投与と同程度のインスリン分泌抑制作用を示す」(同欄19行ないし21行)と、RC-160はSMS201-995(SS-14)よりも更に優れたものであることが示唆されている。このことも、ポリペプチドにおけるアミノ酸の種類の相違による生理活性の予測が容易でないことを実証している。
(5) したがって、「特許請求の範囲の記載は、発明の詳細な説明に記載した発明の構成に欠くことができない事項以外の事項をも含む点で不備である」とした審決の認定、判断に誤りはない。
第4 証拠
証拠関係は、本件記録中の書証目録記載のとおりであって、書証の成立はいずれも当事者間に争いがない。
理由
1 請求の原因1(特許庁における手続の経緯)及び同2(審決の理由の要点)については、当事者間に争いがない。
2 原告主張の取消事由の当否について検討する。
(1) 化学物質発明の成立性が肯定されるためには、化学物質そのものが確認され、製造できるだけでは足りず、その有用性が明細書に開示されていることが必要である。そして、その有用性が認められるためには、実際に試験をすることによりその有用性を証明するか、同じ出願に係る他の化学物質についての試験結果に技術常識を当てはめる等の方法によって当業者がその有用性を認識できることが必要であると解せられる。
(2) 審決の理由の要点(2)<2>のうち、「特許請求の範囲に記載されている一般式に含まれるポリペプチドおよびその塩の中で発明の詳細な説明において、実際に製造されたことが確認され、有用性が確認されるものは、実施例として記載されたもののみである」ことは、当事者間に争いがなく、取消事由(1)の事実(実施例のないアミノ酸)も、当事者間に争いがない。
(3)<1> 審決の理由の要点(2)<4>のうち、「一般にペプチドにおいて、各アミノ酸単位は、化学物質の本質に関与する主要骨格そのものというべきものであり、そのアミノ酸配列が変わると、その物性、生理活性がどのようなものとなるかを正確に予測することは困難である」ことは、当事者間に争いがない。
<2> 原告は、一般的には、化学構造が類似しておれば、それを否定する合理的根拠がない限り、生理活性も類似しているであろうと考えるのが普通であり、同族列を構成する「低級アルキレン基」や「低級アルキル基」の範囲内で化学構造が変化した化合物は、一般に理化学的性状が近似し、その有用性も予測可能と考えられている旨主張する。
しかしながら、本件で問題となっている生理活性ポリペプチドについて、化学構造が類似しておれば、生理活性も類似していると認めるに足りる証拠はない。かえって、乙第1号証(矢島治明監修「ペプチド合成」廣川書店平成3年5月25日発行)によれば、「以上のように生理活性ポリペプチドの中には、その分子の一部で活性が発現される場合もある。しかし一方でガストリンと同じく胃腸ホルモンと呼ばれるものでもグルカゴンやセクレチンは1残基のアミノ酸が欠けるだけでも生理活性を失うことがわかっている。分子全体が活性発現に必要な例である。」(379頁5行ないし8行)と記載されていることが認められ、この記載によれば、ペプチドを構成するアミノ酸残基における変化により、「生理活性」すなわち「有用性」を予測することが困難であることが認められる。
<3> さらに、原告は、甲第12ないし第14号証によれば、少なくとも同族列の関係にあるものについては、一部の具体例の存在によって、これを包括した発明が完成しているものと考える慣行が特許庁に存在する旨主張する。しかしながら、各出願毎に事実関係を異にするものである以上、甲第12ないし第14号証の特許出願について特許出願公告ないしは特許査定がされたからといって、そのことから直ちに原告主張の特許庁の慣行を認めることはできないから、この点の原告の主張は採用できない(しかも、甲第12号証によれば、同号証の発明では、別紙2(1)、甲第13号証によれば、同号証の発明では、別紙2(2)、甲第14号証によれば、同号証の発明では、別紙2(3)というそれぞれ特徴的な構造とみなし得るものが存在し、本件と事案を異にすることが認められる。)。
また、乙第2ないし第11号証からも、原告の上記主張を認めることはできない。
(4)<1> 原告は、AについてのAla、Val、Leu及びIleは、一般式:・・・略・・・で表すことができるものであり、このうちRがメチル基(CH3)の場合がAla、イソプロピル基((CH3)2CH)の場合がVal、イソブチル基((CH3)2CHCH2)の場合がLeu、第2ブチル基(C2H5(CH3)CH)の場合がLleに相当し、他方、Rがn-ブチル基(CH3(CH3)3)の場合は、本願明細書の実施例8に記載のあるNleに相当するところ、これらRの具体例であるメチル基、イソプロピル基、イソブチル基、第2ブチル基及びn-ブチル基は、いわゆる「低級アルキル基」の範疇に属するものであり、単に炭素数の点で相違するにすぎないと主張する。
しかし、生理活性ポリペプチドについて、化学構造が類似しておれば、生理活性も類似していることを認めることはできないことは、前記(3)に説示のとおりである。さらに、前記1に説示の事実(審決の理由の要点(1))によれば、本願発明の特許請求の範囲には、Rの炭素数が2、すなわち「エチル基」の場合が含まれていないことが認められる。そして、この事実は、Rを同族列又は同族体である低級アルキル基という概念で捉えることができないことを意味していると認められ(そもそもRを低級アルキル基という概念で捉えることができるのであれば、本願特許請求の範囲に「低級アルキル基」と記載することができたものである。)、同族列を理由とする原告の主張は、この点からも理由がない。
<2> そして、<1>で述べたことは、EについてのSer、Gly、Leu及びIle、F'についてのGly、Ala、Val、Ile及びGluについても同様に当てはまるものである。
(5) 原告は、F'がTyrの場合について、本願明細書中には、Tyrに対応し、それとの比較においてベンゼン環上のヒドロキシ基を欠如するにすぎないPheについての実施例5が記載され、Tyrに相当し、それとの比較においてベンゼン環を欠如するにすぎないSerが実施例3、8~11、15及び19~21に記載されているのであるから、有用性について予測可能な類似化合物についての実施例が本願明細書に記載されている旨主張する。
<1> しかしながら、生理活性ポリペプチドについて、化学構造が類似しておれば、生理活性も類似しているとも、そのように扱う特許庁の慣行が存在するとも認められないことは、前記(3)に説示のとおりである上、上記PheやSerの実施例からTyrの有用性が予測可能であると解することは到底できないから、この点の原告の主張は採用できない。
<2> さらに、原告は、分子全体の基本構造からして、F'としてのTyrが占めるのは比較的小さな部分にすぎず、また、F'は、最末端に位置するものであること等を理由として主張するが、そのように解することができる証拠はないから、この点の原告の主張は採用できない。
(6) また、原告は、本願発明は、式・・・略・・・で示される14個のα-アミノ酸からなるソマトスタチンを出発物質とし、これを構成する各α-アミノ酸を適宜削除又は置換して、その生理作用を失うことなくできる限り少数のα-アミノ酸で構成されたペプチドを提供することを目的として行われた研究の成果であって、本願発明が対象とするかかるペプチドは、式・・・略・・・で表すことができる、すなわち、本願発明の対象物質は、最低6個から最高9個までのα-アミノ酸からなるペプチドであり、その基本構造は2個のCysの間にα-アミノ酸4個がカルボンアミド結合を介して連結したものであり、この基本構造が存在する限り、そこに存在する低級アルキル基等の同族列の範囲の変化は、一般的にはその生理活性の有無に本質的影響を与えるものではない旨主張する。
<1> しかしながら、甲第2号証の2によれば、本願明細書には、「本発明は、新規ポリペプチド類、その製造方法、上記ポリペプチド類を含有する製剤組成物および製剤的に活性が化合物としてのその使用に関する。」(9頁15行ないし17行)との程度の記載があるだけで、本願発明が「ソマトスタチンを出発物質」としたことによる「研究の成果」であることは開示も示唆もされていないと認められる。
<2> また、その基本構造は2個のCysの間にα-アミノ酸4個がカルボンアミド結合を介して連結したものであるとの点についても、本願発明の要旨によれば、「Y1とY2はそれぞれ水素または一緒になって直接の結合を示す」ものであって、Y1とY2がそれぞれ水素の場合には、2個のCysの間にα-アミノ酸4個がカルボンアミド結合を介して連結することにはならないから、本願の特許請求の範囲に含まれるものすべてが原告主張の「基本構造」に該当するものではない。
<3> 甲第15号証によれば、同号証(ケーギ教授宣誓書)には、「12.天然産生ソマトスタチンは、式・・・略・・・を有するテトラデカペプチドである。この天然ホルモンの中で全てがソマトスタチン様生理活性を維持するのに必ずしも必要でないことは1978-1981年に確立している。」、「13.本願日本国昭和63年特許願第57316号により式・・・略・・・を有するソマトスタチンペプチドがソマトスタチン様生理活性を有することが明らかとなった。天然α-アミノ酸から選択されるX1、X2およびX3は、ペプチドの基本的ソマトスタチン様生理活性に有意な阻害(成長ホルモン分泌阻害、ソマトスタチン受容体に対する結合)を齎すものではない。」と記載されていることが認められる。しかしながら、本願の優先権主張日(1979年11月27日)より以前に、上記第12項及び第13項に記載の事項が確立していたことを裏付けるに足りる論文等は何ら示されていないから、甲第15号証の上記記載は採用できない。
さらに、原告は、甲第6号証(1982年)、第7号証(1987年)、第8号証(1986年)及び第9号証(ブランズ博士の実験成績証明書 1996年)に基づく主張を行うが、これらは上記各年度に発表された刊行物又は宣誓書であるから、これらの刊行物等に記載された知見から逆に、本件優先権主張日当時、試験結果がなくとも有用性が予想することができたとすることができないことは明らかである上、これらの記載は、本願発明の一般式に係る置換基の一部についての知見を明らかにするにすぎないから(これに反する原告の主張は採用できない。)、原告の主張する基本構造が存在する限り、そこに存在する低級アルキル基や低級アルキレン基の同族列の範囲の変化は、一般的にはその生理活性、すなわち成長ホルモン分泌抑制作用の有無に本質的影響を与えるものではないことを明らかにするものではない。
(7) その他審決の認定、判断を違法とすべき事由は見いだせない。
3 よって、原告の本訴請求は理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担及び上告のための附加期間の定めについて行政事件訴訟法7条、民事訴訟法89条、158条2項を各適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 伊藤博 裁判官 濵崎浩一 裁判官 市川正巳)
別紙1
特許請求の範囲
(1)一般式
<省略>
[式中、
Aは水素
またはRCO-
ⅰ) RはC7~10フェニルアルキル
またはⅱ) RCO-は
a) フェニルアラニン残基(ハロゲンによって環置換されていてもよい)、
b) Asn,Nle,Ala、Val、LeuおよびIleから選択されたアミノ酸残基
またはc)上記a) および/またはb)で定義されたアミノ酸残基の組み合わせからなるジベブチド残基
ただし、アミノ酸残基a)およびb)のα-アミノ基およびジベブチド残墓c)のN-末端アミノ基がモノまたはジ(C1~12)アルキル化されていてもよい;
Bは-Phe-(ハロゲンまたはヒドロキシによって環置換されていてもよい);
Cは-Trp-;
Dは-Lys-;
Eは天然ヒドロキシα-アミノ酸(Ser、Thr)および他の官能基を有しない天然脂肪族α-アミノ酸(Gly、Ala、Val、Leu、Ile)から選択されたアミノ酸残基;
F'は-NH2
または-NHCHR5-X
R5-(CH2)2OH、-(CH2)3OH
または他の官能基を有しない天然脂肪族α-アミノ酸(Gly、Ala、Val、Leu、Ile)、天然ヒドロキシα-アミノ酸(Ser、Thr)、天然α-アミノジカルボン酸(Asp、Glu)および天然芳香族α-アミノ酸(Phe、Tyr、Trp)から選択されたアミノ酸α-炭素原子に結合する置換基、Xは-CH2OHまたは-CONH2;
Y1とY2はそれぞれ水素または一緒になって直接の結合を示す。
なお、いずれのアミノ酸残基もそれぞれ独立してL-またはD-配位を有することが出来る。]で示されるポリペプチド(ただし、<省略>を除く)ならびにその塩類。
別紙2
<省略>