大判例

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東京高等裁判所 平成7年(う)1473号 判決

被告人 山本達雄

〔抄 録〕

1 関係各証拠によれば、本件犯行に至る経緯及び犯行の状況は、以下のとおりと認められる。

(1)被告人は、平成六年一二月頃から、JR柏駅東口において、磁気ブレスレット等の露店販売をしていた。被告人と本件被害者である藤原孝(当時五〇年)は、同年一月頃友人を通じて知り合い、話をしたり飲酒したりする間柄になっていた。藤原は、日頃から、周囲の者に対して、暴力団組長の舎弟分であると吹聴するなどして金銭をたかるなどし、被告人も、露店のショバ代や客の紹介料などの名目で不当に金銭を要求され、また藤原の飲食代金の肩代わりをさせられるなどしていたが、憤懣の念を持ちながらも、同人が暴力団組長の舎弟分であるということなどから仕方なく要求に応じていた。(2)平成七年一月九日頃、被告人は、藤原から磁気ブレスレットを購入する客を紹介するという話を持ちかけられてこれを依頼し、同月一四日に客の勤務する三郷市に行くという話がまとまり、そのために被告人は実家から車を借りる手配も済ませたが、その後、知人から藤原に貸した五〇〇〇円を肩代わりして返済するように請求され、知人まで巻き込んで被告人に金を出させようとする藤原の態度は許せないと思い、知人を連れて藤原方に赴き文句を言ったところ、同人は「明日、三郷へ行ったら払うからよ。」などと取り合わなかった上、紹介するといった客の数も当初の話よりはるかに少なくなったため、被告人は落胆すると共に同人に対する怒りの感情を一層強くした。(3)一月一四日午後六時過ぎ頃、被告人は、藤原と一緒に三郷市に行くべく、知人に運転を頼んだ車で藤原の住居に赴いたが、その際、被告人は、同人に対する怒りが我慢の限界に来ていると感じ、同人がこれ以上理不尽なことを言った場合にはきっちりけじめをつけなければならないと思い、粗暴で日頃から千枚通しなどを持ち歩き、居室に模造刀を所持しているような同人との間では、喧嘩になることを覚悟し、これに備え、自宅に保管していたサバイバルナイフ(刃体の長さ約一四センチメートル、以下「ナイフ」という。)をコートのポケットに入れて持ち出した。(4)被告人は、同日午後六時三五分頃、原判示泉荘二六号室の藤原方に赴き、同室内に入ったところ、ズボン下にワイシャツ姿の同人から「お前、店何時に閉めたんだよ。客と待ち合わせたけど、店に行ったら誰もいないじゃねえか。商売やる気があんのか。」などと怒鳴られ、三郷市に商売に行く約束について尋ねると、「そんなもの、キャンセルだ。」などと怒鳴り返され、藤原に対し強い怒りを覚えたが、それを抑えて、「キャンセルならキャンセルでもいいですよ。私は帰りますよ。」と言い捨てて同人に背を向けて帰ろうとした。(5)被告人は、その直後、「馬鹿野郎」というような藤原の怒鳴り声を聞き、同人が自分の方に向かってくるような気配を感じ、このまま藤原に背を向けていては危ないと思い、コートの右ポケットに右手を突っ込んでナイフの柄を握り、藤原の方に向き直った。(6)すると、藤原が被告人に体当りするかのように頭を下げて突っ込んで来たことから、被告人は、鬱積した怒りが一気に爆発し、こうなったらやるしかないと思い、右足を一歩踏み込みながら、ナイフを取り出し、突っ込んでくる同人の頭部を目掛けて刺した。(7)藤原は、仰向けに倒れ、その手には凶器となるものは何も握られていなかったが、被告人は、同人の足下に右膝を立てて座り、上半身に覆いかぶさった上、殺意をもって、左頸部を右から左へと力一杯突き刺した。(8)ナイフを抜くと、多量の血が流れ出したので、被告人は、思わずナイフを藤原の左胸の辺りに置いた。すると、藤原が頭を持ち上げて、右手でナイフの柄を掴んできたので、被告人は、これを取り上げようとして両手でナイフを掴んだが、藤原がナイフを握って離そうとしないので、ナイフを握ったままの藤原の右手を両手で掴んで、刃先を同人の顔の方に向け、喉元に突き刺した。(9)被告人は、ナイフを着用していたコートの裾で包んで、部屋の灯りを消し、隣の二七号室の鏑木博の部屋に行き、同人に「いつかはこうなると思った。」と言い残して、自宅へ帰った。

2 被告人は、捜査段階において、殺意に関する部分を除き、概ね以上認定のとおりの供述をしていたが、原審及び当審公判において、以下のように供述を変更するに至った。すなわち、ナイフは、藤原が持って来いと言うので、平成七年一月九日頃、同人に渡すためショルダーバッグに入れて鏑木の部屋に行って泊まった。翌朝バッグを見るとナイフがなくなっていた。本件当日藤原方へ行くと、同人から客との約束はキャンセルになったと怒鳴られ、帰る旨告げて、鏑木の部屋へ行った。藤原が自分を呼ぶので再度同人方へ行くと、藤原がナイフを持っており、「これ、お前んだろう。」と言って差し出し、更に「今日のけじめをつけろ。」と言うので、その必要はないと思い、帰ろうとした。藤原が「死んじゃえ。」と言いながらナイフを持った左手を突き出して来たので、ナイフを取り上げたが、藤原は腰の辺りに抱きついて来てナイフの取り合いとなり、二人とも部屋の奥の流し台のところに倒れた。その拍子に、ナイフを持った被告人の右手が藤原の左頸部辺りに当たったと思う。血が多量に流れ出したため驚いてナイフを藤原の胸元の辺りに置くと、同人は右手でナイフを取って自分の喉元に当て、「山本、悪かったな。」と言い、喉元にナイフを突き刺した。

そこで、被告人の供述の信用性を検討するに、被告人の原審及び当審における右供述は、原判決が「事実認定の補足説明」の項で説示するように、被告人が自宅からナイフを持ち出した理由、従ってまた、被害者がナイフを持っていた理由が不自然というほかなく、被害者が自殺を図ったとの点も極めて不自然である上、犯行の具体的状況についても、凶器の形状、創傷の部位、程度等からすると、被害者の傷が被告人の供述するような態勢で生じたとは考え難い。被告人の一旦鏑木方に戻ったとの供述は、鏑木の供述と相反する内容であり、また、被告人は供述を変更した理由についても合理的な説明をしていない。これらの点からすると、被告人の原審及び当審における前記供述は、到底信用し難い。他方、被告人の捜査段階の供述は、殺意に関する部分を除き、本件犯行前後の状況も含め、極めて詳細、具体的な内容であり、不自然、不合理な点も認められず、関係各証拠とも整合しており、信用性は高い。また、本件犯行に至る経緯、凶器の形状、刺突の部位、程度、被告人と被害者の態勢等に鑑みれば、被告人が被害者の左頸部及び前頸部を突き刺した際、被告人に殺意が存したことは明らかである。

3 被告人の所論は、被告人の原審及び当審における前記供述が正しいことを前提として、正当防衛の成立を主張するもので、前提を欠く。

4 弁護人の所論は、事実関係が被告人の検察官に対する供述調書のとおりであるとしても、被害者が怒鳴り声を発しながら体当りするかのように頭を突っ込んで来た行為は急迫不正の侵害であり、被告人と被害者の体格、被害者が暴力団員であり、常時千枚通しをポケットに隠し持っていたこと、自室に模造刀を所持していたことからすると、両者が素手で争った場合は被告人の分が悪く、被害者が手近にある千枚通し等を持ち出す危険が大であったから、被告人がナイフを用いたからといって、防衛行為にならないとはいえないと主張する。

確かに、前記1の(6)で認定したように、被告人が被害者の方に向き直った際、被害者が体当りするかのように頭を下げて突っ込んで来たこと(以下、これを「被害者の前記侵害」という。)は、所論の指摘するとおりである。しかしながら、本件犯行に至る経緯及び犯行の状況は前記1で認定したとおりであり、とりわけ、被告人が、同(3)のとおり、喧嘩になることを覚悟し、これに備えて、予めナイフを携行していたこと、被告人が、同(1)ないし(4)のとおり、かねてから被害者に対し憎悪の念を抱いていたところ、本件の直前に被害者から怒鳴られたことにより怒りが極限に達していたと認められること、被告人が、同(5)のとおり、被害者の方に向き直る前、すなわち被害者の前記侵害がある前に、コートのポケットの中でナイフの柄を握っていたこと、被告人が、同(6)のとおり、被害者の前記侵害を見るや、鬱積した怒りを一気に爆発させ、握っていたナイフを直ちに取り出し、同人の頭部を目掛けて刺していること、被告人の加害行為が、同(6)ないし(8)のとおりのもので、防衛行為としては著しく相当性を欠くことを総合して全体的に考察すると、被告人は、被害者から侵害を受けることを予想していただけではなく、その機会を利用し積極的に被害者に対して加害行為をする意思で侵害に臨んだと認めるのが相当である。そうすると、被害者の前記侵害は、被告人にとって急迫性に欠けるものといわざるを得ない。もっとも、被告人は、検察官に対する供述調書において、被告人が被害者の方に向き直る直前、千枚通しや模造刀のことが頭の中をよぎった旨供述しているが、そのとおりであったとしても、この点は、前記1の(3)で認定したところによれば、被害者の侵害の態様について被告人が予想していた範囲内にとどまると解されるから、急迫性がなかったとの右の判断に影響するものではない。

以上の次第で、本件においては、急迫性の要件が欠けることになるから、その余の所論について検討するまでもなく、正当防衛も過剰防衛も成立する余地がないということができる。

(佐藤文哉 金山薫 永井敏雄)

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