大判例

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東京高等裁判所 平成7年(う)521号 判決

論旨は,要するに,被告人は,平成6年9月25日午後7時30分ころ,ホテル「I山荘」従業員から詐欺罪(無銭宿泊)の容疑で警察に通報され,駆けつけた警察官にF警察署への任意同行を求められた,そして,同日午後8時ころ同警察署の取調室に入れられてから翌26日午前9時37分に詐欺を被疑事実とする逮捕状により逮捕されるまで退室することを許されず,その間,警察官から執拗に尿の任意提出を求められるとともに,睡眠も与えられず,実質的に身柄を拘束された,このように逮捕状もないのに被告人の身柄を拘束したのは,憲法33条,刑事訴訟法62条,199条ないし201条に規定する令状主義の原則に違反する違法な措置であり,このような違法な逮捕を前提としたその後の勾留もまた違法である,したがって,違法な逮捕,勾留中に作成された被告人の自白調書はすべて違法収集証拠として排除されるべきであり,また,原審公判廷における被告人の自白も,右自白調書を前提とし,かつ,原審審理中も右違法な勾留が継続していたのであるから,同様に違法収集証拠として排除されるべきである,それにもかかわらず,原判決はこれらの証拠を有罪認定に供しているので,原判決には判決に影響を及ぼすことの明らかな訴訟手続の法令違反がある,というのである。

そこで,検討するに,関係証拠によれば,次のような事実を認めることができる。

1 F警察署警察官は,平成6年9月25日午後7時30分ころ,「I山荘」の従業員から,Haと名乗る男が入室したが,ホテル代金の請求をしても請求に応じない旨の通報を受け,午後8時20分ころ同所に赴き,被告人から事情聴取をしたところ,被告人は警察官に,相棒が午後3時に代金を持ってくることになっていたので,来さえすれば払える,相棒を調べてくれれば,はっきりする旨弁解した。そこで,警察官は被告人にF警察署まで任意同行を求め,被告人もこれに応じて同署へ赴き,1階の行政室でソファーに腰を掛け,事情聴取をまった。

2 同署O警部補は,上司から命じられ,同日午後9時15分ころから被告人を無銭宿泊の容疑で事情聴取をすることになったが,この時点では,Haと名乗る被告人の身分関係は不明であり,また,前記相棒が誰であるかも特定できなかった。Oは,被告人と顔を合わせ,被告人が,前任地のT警察署に勤務しているときにタクシーの無賃乗車で取調べをしたことのあるAであることに気付き,被告人もまた以前取調べを受けたことのあるOに気付いた。Oは,被告人が「I山荘」で使ったHaという名前が偽名であると分かったことから,Ha方に連絡して同人と被告人との関係や同人が被告人のためにホテル代金を支払うつもりがあるかどうかを確かめようとして,他の警察官にHa方へ電話をかけさせたが,電話が通じず連絡が取れなかった。Oは,行政室は人の出入りもあり事情聴取には不適当であることから,同警察署2階の3号取調室へ移って事情を聞くことにし,同日午後9時25分ころ同室に移ったが,被告人も別段異存なくOの後から付いて来て同室に入り椅子に座った。

3 Oは,被告人が所持金もなく,夕食も食べていないというので,同人が夜食用に取っていた出前の弁当を被告人に食べさせ,被告人が食事を終えた午後9時40分ころから事情聴取を始めた。被告人はそのときOに対し,「I山荘」に来ることになっていた相棒がいるから,その者を調べてはっきりさせてほしいと訴え,事情聴取の間,帰りたいという申し出をすることもなかった。そこで,Oは,Ha方に連絡をとろうとする一方,被告人の述べている相棒が誰かを明らかにして,同人が被告人のためにホテル代金の支払いをする意思があるかどうかなどを調べることにした。被告人がOに話したところによれば,右相棒は,Mという新宿にたむろする29歳ぐらいの男で,被告人がK刑務所に入っているときに4か月ぐらい同じ作業場で一緒に働いたことがあり,覚せい剤取締法違反で1年か2年服役し平成6年8月に出所した,被告人は同年9月24日夜上野駅前で偶然に同人の運転する車に行き会い,その車に乗せてもらって,知り合いのいる群馬県T市の暴力団事務所近くまで行ったが,その知り合いが破門になっていたため,他の知り合いの所に行くことになり,Mの運転でF市内に入ってひと休みすることにして同月25日午前6時すぎころ「I山荘」に入った,同人は同日午後3時に金を持ってくることになっていたが,出ていったまま戻ってこない,ホテル代金は必ず支払う,ということであった。Oはこの時点で被告人のいう相棒の存在について疑念を抱いたが,虚偽であるとまでは断定できず,Mなる者を調査するため,全国に犯歴照会をするとともに,Ha方との連絡をとり続けるよう指示した。その調査の結果,翌26日午前零時ころMという同姓同名者が全国で10名ぐらい出てきたが,夜間でもあり,これ以上の調査は不可能であった。Oは被告人に右のような経緯を説明したが,被告人は,ともかくMを探してほしい,刑務所を出たばかりだから帰るあてもないと言っていた。

4 Ha方との連絡をとっていた警察官は,同月25日遅くなって同人方との電話連絡がつき,Haの妻であり,かつ,被告人の姉であるHmから「弟(被告人)はいつも夫の名前をかたり,無銭飲食等を繰り返して困っています。もう支払いの意思はありませんので,刑務所へ入れて下さい。」との意向が伝えられた。Oは,翌26日午前1時ころ右報告を受けて,Hm側ではホテル代金を支払う意思のないことや,被告人がしばしばHaという偽名を使って無銭飲食等をしていることを知り,かつ,被告人が口にしているMという相棒にしても,詐欺の嫌疑を免れるための口実ではないかという疑いを強めたものの,被告人の言を信じてやりたいという気持ちもあり,また,被告人が無銭宿泊をしたとしても被告人が単独犯なのか共犯なのかの判断がつきかねたため,その時点では,被告人を詐欺罪で逮捕することにちゅうちょを覚えていた。

5 Oは同日午前2時ころ警察の当直責任者に相談に赴き,これまでの捜査経過を報告したうえ協議し,その結果,午前3時30分ころになり被告人をMとの共犯による詐欺事案として通常逮捕する方針を決めた。この間,被告人は取調室の椅子に体を休めており,眠りたいという申し出をすることもなかった。Oはその後逮捕状を請求するため,「I山荘」従業員の供述調書の作成,被害届の受理,証拠品の領置手続,捜査報告書の作成などを他の当直員と分担して担当することにしたが,このなかで「I山荘」従業員の供述調書の作成に若干手間取っていた。Oは午前4時ころ被告人の供述調書を作成しようとしたが,被告人はこれまでの態度を翻して,全く調書作成に応じようとせず,署名,指印も拒否した。Oは,午前4時半ころ被告人の事情聴取を打ち切ったうえ,被告人に覚せい剤取締法違反の前科があることから,被告人に尿の任意提出を求めた。被告人は当初拒否していたが,午前5時すぎになりこれに応じて尿を任意提出した。もっとも,その後の鑑定結果によれば,右尿から覚せい剤の成分は検出されなかった。午前7時ころに逮捕状を請求するための資料が整い,同日午前8時すぎF簡易裁判所に逮捕状が請求され,被告人は同日午前9時37分F警察署で詐欺罪(無銭宿泊)により通常逮捕されたが,この間にも被告人から取調室を退出したいとの申し出はなかった。被告人は,翌27日午後零時45分に勾留されたうえ,同年10月13日に起訴された。

これらの事実に加えて,被告人は原審において逮捕手続の違法を全く争っておらず当審において初めて争うに至ったものであり,被告人は警察への任意同行が真実任意であることや取調室からあえて退出を求めなかったことについては,原審においてもこれを認めており,尿の提出の点についても,警察官から言われて尿を任意に提出したことをこれまた認めているのである(なお,被告人は当審において警察に尿を提出する前に一度同警察署のトイレへ行き放尿したことも認めている。)。また,被告人が取調室にいた間,寝ていない点については,被告人は,当審において,眠いから寝かせてほしい旨の申し出をしたことはない旨供述しているほか,関係証拠によれば,被告人は9月24日以来昼夜逆転したような行動をとっており,入室した「I山荘」で同月25日午前6時すぎから午後7時ころまで相当長時間にわたって眠ったり休息をとっていることが認められるのである。

これらの事実を総合すると,被告人は任意にF警察署への同行に応じているうえ,取調室に入った後も,小銭程度の所持金しかなく,夜も更けており,当夜宿泊できる場所のあてもなかったので,強いて警察からの退出を求めることなく,取調べに応じて同室に留まっていたと認められるのである。他方,警察側としても,小銭程度の所持金しかなく,行くあてもない被告人を深夜1人で警察から帰すわけにもいかず,Mの特定を急ぐ一方で,被告人の任意取調べを続けたにとどまり,被告人から尿を提出させようとして取調室などに無理矢理留め置いたわけではないと認めるのが相当である。被告人は,取調室に入れられた当初からOから執拗に尿や所持品の提出を求められたほか,ズボンのポケットに手を入れられたとか,Oなどに帰りたいと申し出たのに退室することを許されなかった旨所論に沿う供述をするが,右供述は当審で初めて述べられたもので供述の出方自体不自然であるうえ,前示諸点に照らしてにわかに信用することができない。

なお,深夜における警察署での容疑者の取扱いという観点からすれば,警察としては,被告人からの申し出がなくても就寝の機会を与えるべきであったと思われるし,Ha方と電話連絡が取れ,同人側に被告人のホテル代金を支払う意思のないことが明らかになった段階で,被告人に無銭宿泊の,少なくとも未必的な犯意はあるものとして緊急逮捕の手続をとった方がよかったと考えられる。したがって,そのころから翌日午前9時37分まで被告人に対する逮捕手続をとらず同署の取調室で過ごさせたことは,当を得た措置とはいいがたいが,前示のとおり,被告人の逮捕手続をとることが遅れたのは,主として被告人がMなる人物がいる旨虚偽の弁解をして捜査を手間取らせたことによるものであり,その間,被告人に対し退出を禁じたり,退出しようとする被告人を物理的に阻止するような警察官の言動もなく,警察官としては,被告人のいうMなる人物を見つけ,同人にホテル代金を支払わせることにより詐欺事件として立件しないですませてやりたいと考え,むしろ,善意から逮捕手続を遅らせていたものと認められる。そして,警察官が被告人にF警察署への任意同行を求めてから検察官に送致する手続をとるまでに48時間を超えていないことをも考慮に入れると,本件における任意同行以降の警察官の措置が違法な身柄拘束であるとは認めがたい。したがって,被告人の逮捕手続には所論のような違法はなく,また,勾留手続にも所論のような違法はないので,逮捕,勾留中に作成された被告人の自白調書及び原審公判廷における被告人の自白を証拠として採用した原裁判所の措置に所論のような違法は認められない。原判決には判決に影響を及ぼすことの明らかな訴訟手続の法令違反はなく,論旨は理由がない。

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