大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京高等裁判所 平成7年(ネ)1299号 判決 1995年10月19日

主文

一  原判決中、控訴人敗訴部分を取り消す。

二  被控訴人の請求を棄却する。

三  訴訟費用は、第一、第二審とも被控訴人の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  控訴人

主文と同旨

二  被控訴人

1  本件控訴を棄却する。

2  控訴費用は控訴人の負担とする。

第二  当事者の主張

当事者の主張は、次に記載するほかは原判決と同じである。

(控訴人の主張)

一  名誉棄損による損害の存否ないしその金銭的評価については、必ずしも加害行為時点に固定せず、事実審の口頭弁論終結時までのあらゆる事情が考慮要素とされるべきである。

仮に本件記事掲載当時においては、被控訴人の名誉を棄損したものであっても、本件記事掲載後、本件記事が摘示した事実とまったく同種案件である殴打事件(殺人未遂)、銃撃事件(殺人事件)について、被控訴人は逮捕、勾留され、刑事上の有罪判決を受けており、そのうえ銃撃事件の判決においては、被控訴人が自己の妻の殺害の実行行為者となるべき者を捜し回っていたことも明確に認定されているのであって、これにより被控訴人の社会的評価は本件記事によるもの以上に更に低下させられており、右両判決の認定事実と同一ないし極めて類似した事実を記載したにすぎない本件記事自体が与えた損害は現存せず、あるいは金銭的に評価すればゼロであるというべきである。

二  本件においては、被控訴人が殺人を持ちかけた相手が誰であるかという点は必ずしも主要部分ではない。犯罪事実が働きかけた人物ごとに成立するということと、社会的評価がその人物ごとに減少するかどうかとは別の問題であって、殺人を持ちかけたという事実は社会的評価にかかわる重要な事実であっても、持ちかけられた相手方が誰であるかは社会的評価を左右する重要な事実とはいえないからである。

また、相手方が複数であるか否かはある程度社会的評価に影響を与えるといえても、相手方が複数である場合に、さらに本件記事によりA氏が加わるかどうかで差異が生ずるとはいいがたいのであるから、本件記事において、被控訴人が殺人を持ちかけた相手方がA氏であるということも主要事実であるとはいえない。

そして、前記両刑事事件において被控訴人に有罪判決があったのであるから、本件記事は被控訴人が第三者に自分の妻の殺人を持ちかけたというその主要部分で真実であり、控訴人には真実であると信じるについて相当の理由があったというべきである。

三  本件においては、本件記事掲載当時、被控訴人は日本にいて通常の社会生活を送っており、何ら本件記事を入手ないし知るについて障害となるべきものはないのであるから、本件記事掲載後間もなく被控訴人は本件記事を知ったものと推認することができる。

仮に、原判決のとおり、被控訴人が本件記事を知ったと推認できる場合を限定的に解したとしても、被控訴人は、本件記事掲載当時、被控訴人に関する記事が連日各紙面を飾っていたことを知っていたのであるから、少なくとも被控訴人に関連する記事が掲載されることを予め知っていたといえるし、記事の内容も殺人の疑惑その他被控訴人に切実な問題であるから、被控訴人としてはそれに関係する記事に注目する動機も十分存し、本件記事の掲載を知る高度の蓋然性があるというべきである。

四  殴打事件、銃撃事件の両判決において、被控訴人は第三者に依頼して自分の妻を殺害しようとし、実際に実行に移したこと、実行行為者を物色したことなどが明確に認定されている。かかる認定は、刑事裁判において、厳格な立証を経てもたらされているものであって、この事自体によって右認定を裏付ける十分な証拠があることが推認され、被控訴人からはこの推認を覆すべき資料は提出されていない。

このような事情の下で、被控訴人が本訴のごとき請求をすることは、正常な社会常識に著しく反し、権利を濫用するものである。

第三  証拠(省略)

理由

一  名誉回復と損害賠償

本件は、控訴人発行の新聞により被控訴人の名誉が侵害されたとして損害賠償の請求をするものである。

一般に名誉毀損を理由としてする民事訴訟の請求は、低下した名誉の回復を判決により求めるという名誉回復の請求と、名誉の低下により被った精神的な損害の賠償を求める請求とを含むものであり、その請求の趣旨として、謝罪広告等の原状回復を求めず、損害賠償のみを求めるものであっても、このことに変わりはない。そして、本件の請求もそのような趣旨のものと解される。

しかし、本件の場合、右のような名誉回復及び損害賠償のいずれの請求もこれを認容することのできないものである。

二  名誉回復請求の当否

すなわち、まず名誉回復の請求についてみると、被控訴人は、昭和五九年二月一五日の控訴人発行の新聞で被控訴人に関する本件記事が掲載された後、本件記事の内容と同じく第三者に依頼して自分の妻を殺害しようとした二つの事件で起訴され、次のような有罪判決を受けている(当裁判所に明らかな事実)。

昭和六三年八月七日花子さん殴打事件につき被控訴人有罪の一審判決

平成六年六月二二日右事件につき被控訴人有罪の二審判決

平成六年三月三一日花子さん銃撃事件につき被控訴人有罪の一審判決

被控訴人の名誉が本件記事が発行された当時これによりある程度毀損されたことは認められないわけではない。しかし、本件記事の発行時からすでに一一年経過した現在では、遠い過去の新聞記事の内容が一般国民の記憶にとどまっているとはいい難く、被控訴人の社会的評価は、その後に生じたさまざまな事柄により影響を受けて形成されているものというべきであり、特に前記のような被控訴人に対する有罪判決がなされている現在の時点では、被控訴人の名誉すなわち社会的評価は、本件記事の新聞報道によって低下しているというよりは、このような有罪判決が出されたこと自体によって低下しているものというべきである。このように被控訴人に対する社会的評価が、有罪判決のようにより影響力のある事柄によって形成されており、遠い過去の新聞記事は一般国民の記憶の外におかれて被控訴人の社会的評価に影響するところがほとんどない状況のもとでは、その過去の新聞記事による社会的評価の低下を回復する裁判をすることは無意味であり、そのような裁判を求める請求を認容することができない。

そして、被控訴人を有罪とする判決がありそれに対する上級裁判所の審理が行われている状況の下で、これとは別に被控訴人と控訴人との間の民事訴訟において、被控訴人が無罪であるかどうかを審理し裁判することは、犯罪事実に対する裁判所の統一した判断を形成し、一般国民の評価認識の基準を明確ならしめるという刑事裁判制度の役割を否定することにつながりかねないのであって、右のような無意味な請求のために、このような審理判断をすることは相当ではない。

したがって、本件新聞記事が発行された当時これによる名誉の低下があったとしても、その後長期間経過して一般国民の当該記事の記憶が薄れている状況があり、さらにその記事の中核部分である被控訴人の犯罪と密接に関連する犯罪の有無について、前記のような有罪判決がありその上級審の審理が進められている現状のもとでは、当該記事による名誉の低下につきその回復を図る趣旨の請求を認容することは、意味のないものであるばかりでなく有害なものであって、許されないものといわねばならない。

三  損害賠償請求の当否

次に被控訴人が控訴人の前記の記事により、名誉低下を原因とする精神的な損害を被っているかどうかについて検討する。

被控訴人が本件と同様の名誉毀損訴訟を本件と同様に新聞発行後長期間経過した時点で提起している事例のあることは、当裁判所に顕著であるが、それらの事件では相手方より時効の抗弁が出され、被控訴人は、これに対し当該新聞記事を初めてみたのが訴訟提起の直近であり、その時点から起算すると時効は完成していないと主張している。これらの事例から見ると、控訴人発行の本件記事を被控訴人が初めて見たのは、その発行の時期ではなく、本訴提起(平成五年)に近接した時期であったと認められる。そうすると、被控訴人が本件記事によりなんらかの精神的苦痛を受けたとしても、それは本件記事による社会的評価の低下自体に直面してこれによって被った精神的苦痛ではなく、遠い過去の時点に被控訴人の名誉を傷つける記事があったことを認識したことによる不快感という程度のもので、一般の名誉毀損訴訟で主張される精神的損害とは著しく趣を異にするものであるといわねばならない。そして、被控訴人については、すでに見たとおり、本件記事の内容に密接に関連する事件について一連の有罪判決があり、被控訴人の社会的評価はこれにより大きく低下しているが、それによる被控訴人の精神的損害は、右一連の有罪判決に起因するものであって本件の賠償の対象となるものではないことは明らかである。

また、本件記事が掲載された当時、連日のごとくスポーツ新聞、テレビ等で本件のような記事が掲載されたのは、弁論の全趣旨によれば、被控訴人が、その妻を銃撃による犠牲者とされた悲劇の主人公として、自らを報道機関に売り込み、疑惑を指摘された後も報道番組や雑誌等に積極的に登場してきた被控訴人自身の対応ぶりによることが大きいと認められる。そうすると、被控訴人が本件記事の閲読により過去の時点での自己の社会的評価の低下を認識したことにより、賠償に値する精神的な損害を被ったとみることは、事柄の性質に合致せず、事態にそぐわないものといわねばならない。

そして、精神的損害の賠償とはいえ、これを認容することは、名誉毀損の訴訟が名誉回復の請求を含んでなされるものであることからすると、本件記事と密接に関連する前記刑事事件について被控訴人を無罪としてその名誉を回復したものとの印象を世人に与えることは否みがたく、右刑事事件について有罪判決が出されその上級審の審理がなされている現状のもとでは、これとは別に被控訴人と控訴人との間の民事訴訟において、被控訴人が無罪であるかどうかを審理し裁判することが相当といえないことは、名誉回復の請求に関して述べたところと同様である。

そうすると、被控訴人が前記のような有罪判決を受けている現状のもとでは、被控訴人が本件記事を閲読したことにより賠償に値する精神的損害を受けたとはいえず、その損害の賠償を求める被控訴人の請求も理由のないものといわねばならない。

四  結論

よって、被控訴人の請求は理由がないから、原判決中控訴人敗訴部分を取り消して被控訴人の請求を棄却することとし、主文のとおり判決する。

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例