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東京高等裁判所 平成7年(人ナ)4号 決定 1998年6月25日

請求者

安倍治夫

外四名

右五名代理人弁護士

近藤勝

遠藤誠

海渡雄一

湊谷秀光

村田英幸

拘束者

東京拘置所長

山下進

右指定代理人

加藤裕

外四名

東京拘置所在監

被拘束者

甲野太郎

主文

一  本件主位的請求及び予備的請求その一ないし三をいずれも棄却する。

二  手続費用は請求者らの負担とする。

理由

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  主位的請求

被拘束者を、治療のため、東京拘置所から東京都立松沢病院(東京都世田谷区上北沢二丁目一番一号所在。以下「松沢病院」という。)に移送する。

2  予備的請求その一

拘束者は、被拘束者を八王子医療刑務所又は岡崎医療刑務所に移送せよ。

3  予備的請求その二

拘束者は、被拘束者を松沢病院の医師による診察治療を受けさせる手続をせよ。

4  予備的請求その三

拘束者は、被拘束者を東京高等裁判所に出頭せしめ、公開の法廷において裁判官による次の質問に応答させよ。

(一) 被拘束者は、強盗殺人及び放火等事件(袴田事件)について無実(冤罪)であるか。

(二) 被拘束者は、面会の申入れがあったとき、「会いたくない」と拘束者を通じて面会希望者に伝えた事実があるか。あったとすれば、その理由は何か。

(三) 被拘束者は、「大天狗神」の存在を信じているか。

(四) 被拘束者は、食物に牛乳をかけて消毒したことがあるか。

5  手続費用は拘束者の負担とする。

二  拘束者の答弁

(本案前の答弁)

1 本件主位的請求及び予備的請求その一ないし三をいずれも却下する。

2 手続費用は請求者らの負担とする。

(本案の答弁)

1 本件主位的請求及び予備的請求その一ないし三をいずれも棄却する。

2 手続費用は請求者らの負担とする。

第二  事案の概要

一  本件は、死刑判決が確定した被拘束者に対する東京拘置所の拘束(以下「本件拘束」という。)が有効かつ適切な医療措置を施されていない点で違法であるとして人身保護法(以下「法」という。)二条に基づきその救済が請求された事案であり、その請求が法に基づく請求として適法か否か、また、その拘束が著しく違法であることが顕著であるか否かが争われたものである。

二  争いのない事実等

1  被拘束者は、強盗殺人及び放火等の罪により、昭和五五年一二月一一日、死刑の判決が確定し、右確定前の昭和四五年九月二八日から現在まで引き続き東京拘置所に拘置されている死刑確定者である。その間、被拘束者は、昭和五六年四月二〇日、静岡地方裁判所に刑事再審を請求して再審請求人となり、現在、東京高等裁判所において再審棄却決定に対する即時抗告審の審理が続いている。

2  請求者安倍治夫は、平成三年四月二二日、被拘束者から再審請求弁護人に選任され、引き続いてその地位にある者であり、その余の請求者らは、いずれも被拘束者の再審請求準備を支援する者であり、「甲野太郎を救う会」の会員である(本件記録)。

3  拘束者は、被拘束者が拘置されている東京拘置所の管理者である。

4  請求者の一部の者は、以前にも被拘束者の人身保護請求を申し立てたが(東京地方裁判所平成四年(人)第六号)、東京地方裁判所は、平成五年一月一三日、東京拘置所での拘置に著しい違法性があることが顕著であるとはいえないとして請求を棄却する決定をした。

第三  請求者らの主張

一  被拘束者の精神状態

被拘束者は、昭和五五年に死刑が確定して以来、絶えず死の恐怖にさらされて、精神を正常に保つことが困難な状況に置かれ、昭和六〇年ころから、「悪魔の手先が電波を発射して自分を苦しめる」、「電波が来る」、「全能の神ないし大天狗の許可で、全世界の刑務所長に任命されて、出獄できる」、「電波攻撃で脳を照射されている」、「電波にやられて足が痒い」などの訴えを繰り返し、幻覚、幻聴、体感幻覚、被害妄想、誇大妄想、奇異な言動等が続いており、人や場所についての見当識も異常で、現在では、姉の甲野春子(以下「春子」という。)やその他の者との面会を拒否し、手紙の発信もしていない状態であって、被拘束者が治療を要する精神疾患(拘禁性精神障害)を病んでいることは明らかである。

二  本件拘束の顕著な違法性

1  死刑確定者は、行刑上矯正の対象となる者ではなく、単に刑の執行を待っている者であるが、監獄法は、死刑確定者に対し、別段の規定がある場合のほかは、刑事被告人と同様の地位を保障しており(監獄法九条)、また、監獄法四〇条は、「在監者疾病ニ罹リタルトキハ医師ヲシテ治療セシメ必要アルトキハ之ヲ病監ニ収容ス」と裁量の余地のない形で規定しているのであるから、拘束者が死刑確定者についても治療義務を負うことは当然であり(「市民的及び政治的権利に関する国際規約(B規約)」一〇条一項、これを受けて規定された「国連被拘禁者取扱最低基準規則」(一九七七年五月一三日決議)、「国連被拘禁者保護原則」(一九八八年一二月九日採択)の解釈において、受刑者等の被拘禁者が拘禁を執行する者に対して治療を請求する権利を有することは、世界的に確立された原則である。)、これを怠り、精神疾患を有する死刑確定者に対して有効かつ適切な治療を施さないときは、その拘束が違法なものであることは明らかである。

2  被拘束者が昭和六〇年ころには既に精神状態に異常を来しており、治療を要する状態にあったにもかかわらず、拘束者は、これを放置し、その間何ら有効・適切な治療を施さずに被拘束者の症状を亢進させ、その精神状態が悪化するに任せている。

東京拘置所医務部は、被拘束者の病状について場当たり的な診断に終始し、一貫性のある治療方針を立てることもできずに、漫然とカウンセリングを実施しているに過ぎないのであって、被拘束者は、平成五年以降、多いときで月一回、少ないときで五か月に一回のカウンセリングを受けているだけで、拘束者が被拘束者の治療を怠っていることは明らかである。

3  東京拘置所の常勤の医師は三ないし四名で、治療よりも保安が優先されているなど、その医療態勢は人的物的に極めて貧弱であり(実際には高度の医療知識、経験を有しない保健助手や一般看守が発言権を有し、これらの者による管理優先の意見によって医師の判断が曲げられる危倶がある。)、また、精神状態についての診断は精神科医にとっても困難であるが、看守は、監獄内の秩序維持のため被拘束者を監視しているに過ぎず、精神科の治療や診察の訓練を全く受けていないから、被拘束者の精神が錯乱して規律維持に抵触するような行為をすれば、規律違反として懲罰を加えることにより被拘束者の精神状態の改善に反する行動をとることになるのであって、東京拘置所での拘禁は被拘束者の治療のためにならない。

4  右のとおり、疾病に罹患している被拘禁者が十分な治療を受けることができない場合、その拘禁は態様において違法であるというべきであるから、本件拘束に顕著な違法性があるというべきである。

三  専門病院への移送の必要性

1  被拘束者の精神状態を正常に引き戻し、拘禁症状に由来する精神分裂症状を緩和するためには、一刻も早く被拘束者を専門の医療機関へ移送して適切な診療を受けさせる必要がある。松沢病院は、都内有数の公的治療機関であって、人的物的設備も整っており、被拘束者を松沢病院へ移送して治療を受けさせることが緊急に必要であり、仮にそれが認められないとしても、少なくとも八王子医療刑務所又は岡崎医療刑務所へ移送するのが相当である。また、そのいずれもが認められないとしても、被拘束者に十分な治療を受けさせないことは違法な拘禁であるから、拘束者は、被拘束者を松沢病院の医師に診察治療させるべきである。

2  また、被拘束者の真意を知り、分裂病に罹患しているか否かを認定するために、人身保護規則(以下「規則」という。)二条所定の「その他適当と認める処分」として、被拘束者の身柄を公開の法廷に出現させ、裁判官が請求の趣旨のとおりの質問を発し、被拘束者に答えさせる必要がある。

第四  拘束者の主張

一  本案前の主張

1  人身保護請求は、法律上正当な手続によらないで身体の自由を拘束されている者に対し、迅速かつ容易に自由を回復させることを目的とするものであって、法の救済の対象となる拘束とは、逮捕、拘留、拘禁等身体の自由を奪い又は制限する行為をいい、裁判所が請求に理由があると認めるときは、被拘束者を釈放することになる。したがって、人身保護請求における救済の請求内容も右法の規定に対応するものでなければならないが、請求者らの本件各請求は、いずれも身体の自由の拘束から被拘束者を解放することを求めるものでないから、不適法であり却下されるべきである。

なお、規則二条、三七条の規定は、被拘束者の身体の自由を回復すべき場合であることを前提として適当と認める処分をすることを是認した規定であり、そのように解さなければ、要件を備えていない不適法な義務づけ訴訟が人身保護請求の名の下に適法になり是認できない。

2  なお、本件各請求が求めるような松沢病院等への移送や特定の医師による診察治療を実施することは、当該在監者を収容する監獄の長の裁量に委ねられているのであって(監獄法四〇条、四三条一項)、右各請求は、在監者の医療内容等の当否を問題とし、行政訴訟上のいわゆる義務づけ訴訟の実質を有するものであって、このような請求は法の予定していないことである。

二  被拘束者の処遇状況

1  死刑確定者は、他の被拘禁者と異なり、社会復帰はもちろん生への希望を断ち切られており、人間の本能としての生への要求が阻害され、緊張を解消できない心理状態におかれていることから、常に生と死の間で葛藤しているものと考えられ、死刑確定者については、医療的な対応を行う場合も含め処遇上のあらゆる場面において精神状態の安定について格段の配慮を行う必要がある。

2  東京拘置所では、被拘束者の被害妄想的な訴え(食事に毒が混入されているなど)が頻繁になってきたため、昭和六〇年五月、被拘束者を診察し、右訴えが拘禁反応による症状であると診断し、その後も適時診察を実施してきたが、被拘束者は投薬を拒否し続け、ときには診察そのものを拒否したこともあった(昭和六三年二月に約一か月間だけ精神安定剤の投与に同意しその服用を続けたが、その後再び投薬を拒否し続けた。)。平成四年八月、精神科医のカウンセリングを実施したが、回を重ねるごとに被拘束者の態度が軟化し、次第に多くを語るようになったため、以後、精神科医によるカウンセリングを実施し続け(また、平成四年九月には脳外科医による診察を、同年一〇月には頭部CT撮影を実施した。)、例えば平成八年中には合計一一回、平成九年中には合計五回のカウンセリングが実施された。被拘束者は、平成八年三月ころからは、週二ないし三回設けられている運動にも出るようになり、入浴もし衣服も自ら洗濯しており、理髪やひげ剃りも行い、自己の衛生状態を自ら管理できており、居房内の整理、清掃もしている。

3  東京拘置所は、医療法七条一項及び同法施行令一条に基づいて開設された病院(病舎)として、医務部長以下医師一一名(そのうち精神科医は二名、脳外科医は二名である。)を配置し、必要に応じて加療、薬物療法等十分な医療的対応を行うことが可能な医療態勢を備えている。病舎には精神病棟及び集中治療室(ICU)も有しており、必要があれば収容の上診療を行うことも可能であり、外部病院で行う精神疾患に関する診療は同拘置所においても十分可能である。

4  被拘束者に特異な言動が認められるのは事実であるが、同人には、処遇担当職員との日常会話において自分自身や現実を認識していることなどの自覚が認められ、現実的対応が可能であること、被拘束者の状態には心因の影響の関与が認められることなどから、被拘束者の精神疾患は、精神分裂病ではなく、死刑確定者として人間の本能として生への要求が阻止され、生と死との間の葛藤から生じている心情不安を基底とした拘禁反応と認められる。東京拘置所においては、精神科医によるカウンセリング、経過観察を実施してきたもので、その医療対応に欠けるところはない。なお、被拘禁者に対する強制的な精神医療は、被拘禁者の人権をかえって侵害する結果となる可能性があることを十分考慮する必要があり、薬物療法を拒否している被拘束者についてカウンセリングを主体とした治療を実施していることをもって、拘束者の被拘束者に対する治療の当否が云々されるべきではない。

第五  当裁判所の判断

一  本案前の主張について

1  本件各請求のうち主位的請求及び予備的請求その一は、被拘束者を他の施設に移監すべきことを求めるものであり、予備的請求その二は、被拘束者に対する本件拘束を維持しながら外部医師による治療を求めるものであって、いずれも被拘束者に対する身体の自由の拘束から被拘束者を解放することを求めるものではないが、法による救済は、釈放その他適当であると認める処分をすることによって実現するものとされ(規則二条)、裁判所は、人身保護請求を理由があるとするときで、被拘束者が精神病者であるとき等特別の事情があると認めるときは、被拘束者の利益のために適当であると認める処分をすることができるとされている(規則三七条)のであって、右の被拘束者の利益のための処分には、たとえ完全な身体の自由を回復させるものではなくても、拘束状態にある者が精神病その他の疾病に罹患している場合に、現在の拘束状態からより改善された状態に置くことをも含むものと解するのが相当であるから、右各請求も、法の予定する救済を求める請求ということができ、これを不適法な申立てとすることはできない。

拘束者は、右各請求が病院への移送等拘束者の裁量に委ねられている事項に係るものであり不適法であると主張する。しかし、このような監獄の長の裁量権の行使の状況は、その拘束が著しい違法性を有することが顕著であるか否かという請求の当否を判断するに当たって考慮すべき事情の一つであって、拘束者の裁量に委ねられている事柄であることが右各請求を不適法ならしめる理由とはならないというべきであり、拘束者の右主張は採用できない。

なお、拘束者は義務づけ訴訟との関係についても主張するが、抗告訴訟の方法では相当の期間中に救済の目的を達せられないことが明白であるときは、人身保護請求に基づいて被拘束者の救済を求めることも許されると解すべきであるから、抗告訴訟の方法があることをもって、直ちに右各請求が不適法となるとすることもできない。

3  本件各請求のうち予備的請求その三は、裁判所において被拘束者に対し発問すべきことを求めるもので、拘束者に対し拘束状態を改善するための行為を求めるものでないから、法が予定する救済を求めるものということができないことは明らかであって、右請求は不適法でありその欠陥を補正することができないものといわざるを得ない。

二  被拘束者の死刑判決確定後の動静

記録によると、被拘束者の動静について次の事実が認められる。

1  被拘束者は、昭和六〇年四月、食事の中に眠らせない薬が入っていると述べ不眠を訴えるようになり、春子宛の信書にも「害薬入弁当を毎日食べさせられる」といった記載をし(職員から指導を受け、書き直しに応じた。)、また、同年九月になると、春子宛の信書に「神のお告げを受けました。私達の結婚の誓いが天で結ばれました」との奇異な記載をしていた。その後も、食事に毒が入っているとか、ラジオのスイッチを切っても音が聞こえるなどといった発言が見られたが、昭和六二年七月以降、洗濯用ゴム手袋を頭に乗せ数珠を持ち腹巻に本を差し込んだ格好で居房内を徘徊する動静が頻繁に見られるようになり、また、職員に対し「電波が来る」などと述べ、職員から診察を受けるよう指導されてもこれを断り続けた。昭和六三年は、年間を通じて、電波に関する妄想と思われる言動が認められた。

2  平成元年には、体にビニール袋を巻き付けるなど電波に関する妄想と思われる動静が認められ、平成二年も同じであったが、同年二月、それまで定期的に受けていた宗教教誨を断ったほか、同年一二月には、春子との面会をかたくなに拒否するようになった。

平成三年になると、電波に関する言動は少なくなってきたが、宗教教誨を断り、ロザリオ等の教誨用具を返戻したり、再審請求の弁護人安倍治夫(本件の請求者)の面会を告げても、「そんな人知らない」と述べて面会を拒否するようになった。

3  平成四年二月から三月にかけて食事をとらないことが認められたが(ただしリンゴやカステラは食べている。)、その後、主食を水洗いし牛乳をかけて喫食するようになった。また、春子との面会を拒否し、そのころ春子宛の信書に「後とわ、一九九二年三月一九日朝の後出獄お待つだけでございます」との記載が認められるようになった。同年四月から再び「電波を弱くするため」と述べて厚着する動静が同年八月末ころまであり、その間奇異な言動が断続的に認められた。

4  平成五年一月、交付された年賀状をそのまま読まずにゴミ箱に投げ捨て、また、兄からの封書一通を交付されたときも、一読もせずにゴミ箱に破り捨てるということがあった。同年三月、被拘束者は、一年二か月ぶりに春子と面会したが、再審請求の代理人弁護士、知人との面会は依然として拒否し続け、また、五月以降は再び春子との面会を拒否するようになった。このころ、被拘束者は、電波が来るとか自分からも電波が出ているとか、猿や象がいて食物に電波を送りそれがダニになって食物に入ったのを食べると寿命が縮む、居室は霊界で神の国だなどと述べることがあった。

平成六年になると、居房内で菓子類を磨いたり房内を徘徊していることや、居房内中央に立ち両手を天井に突き上げ「俺は神だ」などと述べることもあった。また、同年六月には、夜間及び早朝の水の使用について隣房から苦情が出たため、職員が被拘束者に対し指導したところ、被拘束者は「分かった」と述べていたが、同年八月に、早朝の水使用について同様の指導をした際は、被拘束者は「俺じゃない。隣だろう。俺は注意されてない。無実だ。」などと述べた。

5  平成七年も、被拘束者は、依然として春子やその他の者との面会を拒否し続けており、また、同年秋ころ、居房内でカニのような真似をして横に歩いて徘徊する動静が見られるようになった。同年六月、職員が、当日午後三時から診察を実施する旨伝えたところ、「誰も診察してくれと頼んではいない」、「診察するんであれば、何日か前に、どのようなことでどんな診察をするからとはっきりしてからやるもんだ」などと述べて診察を拒否し、また、同年一二月にも、「俺はどこも悪くない」などと述べて定期診察を拒否した。被拘束者は、平成八年五月、数日間にわたって夕方の点検を拒否した上、取調べに来た職員に殴りかかったため、同月八日保護房に拘禁されたが、翌日、保護房拘禁を解除した後は、点検を受けること等の職員の指導を素直に聞き入れた。

ところで、被拘束者は、平成七年、同八年ころは運動や入浴を拒否することも見られたが、平成九年になると、運動にも出るようになり、入浴は一年間で一回拒否したことがあっただけであったし、また、平成九年三月、六月及び一二月には死刑確定者に対するビデオ視聴が実施され、被拘束者は、居房において正座をし静かに視ており、終了後「おもしろかった」と感想を述べたこともあった。春子や弁護士その他の者との面会は相変わらず拒否し続けているが、平成九年一〇月ころの動静としては、日中は房内を徘徊したり読書をしたりして過ごしており、理髪、ひげ剃り、洗顔及び歯磨き等の日常生活はきちんと行っている。また、被拘束者は、日常生活においては、職員との間で通常の会話が成立しており、職員に対する攻撃的な言動も見られない。

三  東京拘置所の医療対応

記録によると、東京拘置所における被拘束者に対する医療上の対応としては、次の事実が認められる。

1  東京拘置所には、精神科医及び脳外科医各二名を含む複数の医師が配属され、診療所及び病棟が設置されており、在監者に対し必要に応じて検査、診察、治療が施される態勢がとられている。

2  昭和六〇年、被拘束者が不眠を訴え、弁当の中に眠らせない薬が入っていると述べたことから、職員が服薬を勧めたが、被拘束者がこれを拒否したため、投薬等の措置をとることなく経過観察とした。昭和六二年七月以降、被拘束者に前記のような挙動が見られたことから、職員が診察を受けるよう指導したが、被拘束者は一貫してこれを断り続けた。ただし、昭和六三年二月に、被拘束者が薬物療法に同意したため、向精神薬の投薬を実施したが、同年五月中旬より投薬を拒否したため、以後、投薬は中止された。また、平成二年一二月には、診察の結果、被拘束者の状態について拘禁性の様態と判断され、服薬が勧められたが、被拘束者はこれを拒否した。

3  平成四年二月下旬からの不食に対し何度も診察を試みたが、被拘束者は一度応じただけで、あとは拒絶した。また、同年四月以降奇異な言動が断続的に認められたが、被拘束者は、診察や服薬を拒否し続けていたところ、同年八月になって、拘置所内診療室での診察に応じたため、カウンセリングが行われた。

4  平成四年八月以降、精神科医によるカウンセリングが実施されるかたわら、同年九月には脳外科医による診察が、同年一〇月には頭部CT撮影が実施されたが、いずれも特に異常所見は認められなかった。

平成五年中も精神科医によるカウンセリングが実施され(合計一〇回)、また、同年二月、五月、九月及び一二月には定期健康診断が実施されたが、被拘束者は、一二月の胸部レントゲン以外はすべて受診した。

被拘束者は、平成六年三月に実施された精神科医によるカウンセリングで、電波は最近克服したと言っていたが、同年一一月のカウンセリングでは「ばい菌との戦いは最終ラウンドだね。今日の一二時にばい菌人間が死ぬ。これで神の国は終わる」などと言い、同年一二月のカウンセリングでは「ばい菌が全部死んだ」、「真の神に対する反逆者。五億位いる」など意味不明なことを述べていた(平成六年中のカウンセリングの実施回数は合計四回)。なお、同年中の定期健康診断は四回とも全部受診した。

5  平成七年には、合計九回のカウンセリングが実施された(一〇回目は被拘束者が拒否)。また、同年六月には、脳外科医による診察と頭部単純CT撮影が実施され、神経学的には異常所見は見られなかったが、CT撮影によると、左被殻に極小の低吸収域が認められ、ラクナ梗塞が疑われるとの所見が得られた。

平成八年中も、舎房や診察室で医師が被拘束者と会話を交わすという形で合計一二回のカウンセリングが実施されたが、同年七月ころまでは、時々被拘束者の拒否的態度が垣間見られたものの、同年九月以降は比較的穏やかで機嫌が良く、医師との会話が成立している。

平成九年には、二月、三月、四月、六月、九月及び一二月に、合計六回のカウンセリングが実施され、特に問題となるような状況はなかった。

6  東京拘置所医務部所属の精神科医は、被拘束者の病状について、「霊の世界」を主題とした幻覚妄想状態(拘禁反応)と考えられるが、情意鈍麻の進行及び人格の解体といった現象は認められず、精神分裂病と診断する根拠に乏しいとし、また、その妄想は連続的に変遷しているものの、病状が悪化しているわけではなく、むしろ病状の極期は過ぎたかに見える状態にあり、現在、被拘束者の全般的な精神状態は改善していると判断している。

四  本件拘束の著しい違法性が顕著であることの有無

1  在監者が疾病に罹患したときは、監獄の長は、在監者に対し、拘禁状態の下で適切かつ合理的な医療措置を講ずべき義務があるというべきであり(監獄法四〇条)、必要な治療を怠ったまま拘禁を継続し監獄における拘禁の目的を逸脱するときは、拘禁の手続において違法であるということができ、このことは、在監者が死刑確定者であっても何ら異なるところがない。

もっとも、法に基づく救済が認められるためには、その拘束の著しい違法性が顕著であるといえることが必要であるから(規則四条)、医療措置を講ずべき義務に違反して拘束していることを理由に人身保護の請求が認容されるためには、医療措置が全く欠如している状態で拘束を継続しているとか、被拘束者に対して著しく不適切かつ不合理な医療措置しかなされていないことが明白であるといえる場合でなければならないというべきである。そして、医療が著しく不適切かつ不合理であるかは、医学的な専門技術的分野にかかわる事柄であり、当該監獄において専門の医師が配属されているなど人的物的な面で在監者が適切かつ合理的な治療を受けられる態勢がとられているときは、監獄の医師の医療上の判断及び処置が著しく不適切かつ不合理であることが明白であるか否かによって、拘束に著しい違法性が顕著であるか否かを判断すべきであるから、本件においてこれを肯定するためには、被拘束者を東京拘置所に拘禁したまま、被拘束者の精神疾患を治療することが著しく不適切かつ不合理であることが明白であるといえることが必要と解するのが相当である。したがって、単に被拘束者の精神疾患にとって東京拘置所よりも他の施設の方がより効果的な治療が実施できる可能性があるとか、東京拘置所よりも他の施設に移した方が望ましいといった事情があるだけでは、未だ本件拘束の著しい違法性が顕著であるとするには足りないというべきである。

2  右のような考え方に立って本件について検討するに、前記認定した事実によれば、被拘束者は拘禁性の幻覚妄想状態にあることは明らかであるが(被拘束者の症状が精神分裂病であるかどうかについては、東京拘置所医務部の精神科医はこれを否定しており、その診断が誤りであると断定し得る資料は存在しない。)、東京拘置所は、診療所及び病棟を設置し、精神科医及び脳外科医各二名を含む医師が配属されていて、在監者の精神疾患に対する医療的対応をなし得る態勢を整えており、被拘束者に対しても、平成四年八月以降、精神科医によるカウンセリングが実施され、必要に応じて頭部CT撮影等の脳外科的対応も行われ、平成九年当時の被拘束者の病状は、依然として幻覚妄想状態にあるものの、自他傷のおそれは認められず、最近では日常生活において特段の支障なく比較的落ち着いた状態にあるということができる。これらのことからすれば、現在、被拘束者を東京拘置所に拘禁したまま治療していることが医療措置として著しく不適切かつ不合理であることが明白であるとは認められないというべきである。

3  請求者らは、東京都立大久保病院の精神科医長である上野豪志(以下「上野医師」という。)の意見を引用し、被拘束者は拘禁性精神障害に罹患しており、強度の病的不安に対応する恐慌性障害の治療に準じた相当量の抗うつ剤と抗不安剤による薬物療法を主体とする治療が適当かつ必要であるのに、東京拘置所の対応は、被拘束者の苦痛を心因反応として軽視し、不適切で医療不在の対応に終始しているとし、現在も、被拘束者の拘禁性精神障害の症状は進行しており、これに対する有効な対処がされていないばかりか、これを促進する対応がされているとし、被拘束者の病状はカウンセリングなどの心理的な操作で対処できる程度ではなく、また、東京拘置所の精神科医のカウンセリングの方法は官僚的、冷酷的、機械的、非誠実的であるなど治療効果に逆行する危険きわまるものであるとして、松沢病院あるいは八王子医療刑務所での治療がより適切であるとし、拘束者は被拘束者に対し何ら有効、適切な治療をせずに被拘束者の精神状態が悪化するに任せている旨主張する。

引用に係る上野医師の右意見は精神科の専門医の意見ではあるが、①上野医師は被拘束者を直接診察しているわけではないこと、②東京拘置所医務部所属の精神科医は、被拘束者がそれなりに拘禁生活に適応しつつあり、他の施設に移送することによる環境の変化に伴う心理的負担などを考慮すると、精神医学的な理由から、今後も東京拘置所において治療を継続するのが相当である上、現に被拘束者の全般的な精神状態は改善しており、被拘束者の状態が進行・悪化している事実はないとし、また、被拘束者は、不安発作(恐慌発作)を起こしたことはなく、被拘束者が「恐慌状態」にあったことを前提に抗うつ剤と抗不安剤の投与が必要であるとする主張は失当である旨反論していること、③上野医師と東京拘置所の精神科医との意見の相違は、被拘束者に対しその意思に反しても投薬などの積極的な治療をすべきか、カウンセリングによる経過観察の相当性、被拘束者を場所的移転によって環境の変化をもたらすことの是非といった被拘束者の精神疾患に対する治療方法の選択についての専門家としての見解の相違に由来するものということができることに鑑みると、上野医師の意見及びこれに依拠する請求者らの右主張自体も、結局のところ、拘置所という拘禁施設においてその職員である医師が拘禁性の精神疾患を診察治療するよりも、他の施設で診察治療する方がより望ましく、より適切であるとの考えに帰するものと認められ、本件拘束下における現状の医療措置が著しく不適切かつ不合理であることが明白であることを実質的に指摘するものとは認められない。

4 以上のとおりであり、本件においては、被拘束者が精神疾患を罹患していることは明らかであるが、被拘束者を東京拘置所に拘禁したまま医療措置を続けることが著しく不適切かつ不合理であることが明白であるということはできないというべきであるから、未だ本件拘束の著しい違法性が顕著であるということはできない。

五  よって、請求者らの本件主位的請求及び予備的請求その一及びその二はその主張等の実質的内容に鑑み審問手続を経るまでもなく、いずれも理由のないことが明白であり、また、予備的請求その三は不適法であってその欠陥を補正することができないから、法一一条一項、規則二一条一項一号、六号により、決定でいずれも棄却することとし、手続費用の負担について法一七条を適用して、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官鬼頭季郎 裁判官佐藤久夫 裁判官廣田民生)

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