東京高等裁判所 平成7年(行ケ)115号 判決 1997年3月11日
アメリカ合衆国
32825 フロリダ州オーランド市 ブルームフィールド ドライブ 10600 #621
原告
武富荒
同訴訟代理人弁理士
木村勢一
東京都千代田区霞が関3丁目4番3号
被告
特許庁長官 荒井寿光
同指定代理人
志村博
同
安田啓之
同
幸長保次郎
主文
原告の請求を棄却する
訴訟費用は原告の負担とする。
この判決に対する上告のための附加期間を90日と定める。
事実
第1 当事者の求めた裁判
1 原告
「特許庁が平成4年審判第12655号事件について平成7年3月10日にした審決を取り消す。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決
2 被告
主文第1、2項と同旨の判決
第2 請求の原因
1 特許庁における手続の経緯
原告は、昭和57年4月18日、名称を「磁性流体光学磁気センサを使用する磁束密度測定方法及び装置」とする発明(以下、「本願発明」という。)につき特許出願(昭和57年特許願第64518号)をしたが、平成4年6月9日拒絶査定を受けたので、同年7月8日審判を請求した。特許庁は、この請求を平成4年審判第12655号事件として審理した結果、平成7年3月10日、「本件審判の請求は、成り立たない。」との審決をし、その謄本は、同年3月25日原告に送達された。
2 本願の特許請求の範囲第1項に記載された発明(以下「本願発明」という。)の要旨
2枚の透明板間に封入した光が透過可能な磁性流体薄膜中で、光の伝搬方向に垂直に磁場を加えて偏光を複屈折させ、常光と異常光との位相差を利用し磁場の強さを検出して屈折率を算出し、該複屈折率から磁場の強度を測定する磁性流体光学磁気センサを使用する磁束密度測定方法。
3 審決の理由の要点
(1) 本願発明の要旨は、前項記載のとおりである。
(2) 特公昭44-15941号公報(以下「引用例」という。)には、特に第1、2図およびその説明からみて、次の発明が記載されている。
光線Fを発生する光源10、光学系11、偏光プリズム12、磁界のため複屈折を生ずる液体を備え、コイル19が巻かれたコットンムートンセル18、第2偏光プリズム14すなわち分析器、第2光学系15、および光電セル16を順次配置したものを用い、測定すべき電流が流れるコイル19によって作られる磁界Hを光線Fの方向に直角に前記コットンムートンセルに加え、該コットンムートンセルの液体に磁界により複屈折を生じさせ、光電セル16の電気出力信号によりコイル17に流れる電流を磁気光学的に測定する方法。
(3) そこで、本願発明と引用例に記載された発明とを比較する。
まず、引用例の電流を磁気光学的に測定する方法において、直接検出するのは磁気密度であり、また、コットンムートンセルが有するコットンムートン効果とは、光の進行方向に垂直に磁場を当てた場合の物質の複屈折現象であって、その際、磁場の強さに応じて、常光と異常光について屈折率の相違が生じ、前記屈折率の相違が位相差の相違となって現れる。そして、引用例の方法では、光電セル16の電気出力は、位相差の相違に応じた量であり、その位相差の相違から屈折率の相違、ひいては、磁場の強度を検出していることは明らかである。
よって、本願発明と引用例に記載された発明は、「光が透過可能な流体中で、光の伝搬方向に垂直に磁場を加えて偏光を複屈折させ、常光と異常光との位相差を利用し磁場の強さを検出して屈折率を算出し、該複屈折率から磁場の強度を測定する光学磁気センサを利用する磁束密度測定方法。」という点で一致しているが、次の点では相違している。
光が透過可能な流体に関して、本願発明では、それが2枚の透明板間に封入した磁性流体薄膜であるのに対して、引用例の発明では、それが磁界のため複屈折を生ずる液体を備えたコットンムートンセル18である点。
(4) 次に、前記相違点について検討する。
<1> 本出願前、磁性流体の存在はよく知られており、そして、それが磁気による複屈折性を有することは、下記aないしeの文献(以下「文献aないしe」という。)に見られるように周知の事項である。また、流体に光を透過させるため薄膜にすること、および光が透過可能な流体を保持するのに流体を2枚の透明板間に封入することも当然採用し得ることであって、結局、引用例の発明のコットンムートンセル18の代わりに前記周知の事項の磁性流体とし、かつ、それを2枚の透明板間に封入し、薄膜とする点は、当業者が容易になし得るものと認められる。
a. H.W.Davies, J.P.Llewellyn : Journal of Physics D:Appl.Phys.,Vol.12,No.2 1979 pp.311-319
b. H.W.Davies, J.P.Llewellyn : Journal of Physics D:Appl.Phys.,Vol.12,No.8 1979 pp.1357-1363
c. H.W.Davies, J.P.Llewellyn : Journal of Physics D:Appl.Phys.,Vol.13,No.12 1980 pp.2327-2336
d. P.C.Scholton: IEEE TRANSACTIONS ON MAGNETICS,Vol.Mag-16,No.2 1980 pp.221-225
e. R.V.Mehta, D.H.Bhagat : IEEE TRANSACTIONS ON MAGNETICS, Vol.Mag-16,No.2 1980 pp.258-261
<2> なお、請求人(原告)は、審判請求書において、本願発明では、希釈されていない磁性流体を用い、さらに、膜厚が12μm、16μm、20μm(25μmという記載もある)であるのに対し、上記周知の事項として挙げた文献では、いずれも希釈した磁性流体が記載され、膜厚も文献cで2~10mmと記載されており、本願発明と文献a~eに記載された内容とは異なると主張している。
しかし、「希釈されていない磁性流体」、および「膜厚が12μm、16μm、20μm(または25μm)」という点は、特許請求の範囲を始め、明細書または図面のどこにも記載されていないし、また、磁性流体という以上は希釈されたものも希釈されていないものも含むものであるから、前記主張は採用できない。
(5) 以上のとおりであるから、本願発明は、引用例に記載された発明および周知の事項に基づいて当業者が容易に発明をすることができたものであるから、特許法29条2項の規定により特許を受けることができない。
したがって、本願は、特許請求の範囲第2項に記載された発明について検討するまでもなく、拒絶すべきである。
4 審決を取り消すべき事由
審決の理由の要点(1)ないし(3)は認め、同(4)、(5)は争う。
審決は、本願発明における「磁性流体」の技術的意義を誤認し、相違点についての判断を誤り、かつ、本願発明の奏する顕著な作用効果を看過して進歩性の判断を誤ったものであるから、違法として取り消されるべきである。
(1) 取消事由1(本願発明における「磁性流体」の技術的意義の誤認)
審決は、「「希釈されていない磁性流体」、および「膜厚が12μm、16μm、20μm(または25μm)」という点は、特許請求の範囲を始め、明細書または図面のどこにも記載されていないし、また、磁性流体という以上は希釈されたものも希釈されていないものも含むものである」と判断するが、誤りである。本願発明の要旨にいう「磁性流体」は、希釈しない磁性流体を意味する。
<1> 磁性流体といえば、当業者間では、希釈していない磁性流体、つまり高濃度の強磁性コロイド粒子を分散させたコロイド溶液が常識である。磁性流体とは、「磁性体微粒子を・・・高濃度に懸濁させたもの」(甲第17号証)であり、また、「強く磁化される液体であることを基本特性とする」(甲第18号証)から、強く磁化される液体の性質を持たない磁性流体は「磁性流体」とはいえない。
日口章「フェライト-磁性フィルムから磁性流体まで」(雑誌「表面」15巻6号245頁ないし350頁 1977年)(甲第23号証)には、「磁性流体は・・・コロイドサイズのフェライト微粉末を安定に分散させた濃密な分散溶液で」(348頁右欄)と濃密なことをはっきりと述べている。
石井泰弘・広瀬新太郎「磁性流体のスピーカーへの応用」(雑誌「電子材料」1980年1月号142頁ないし147頁)(甲第24号証)には、「磁性流体は字のごとく液体状の磁性体であり、磁石に吸いつく液体の特徴を生かして」(142頁左欄3行以下)、「また磁性流体が示す面白い性質として写真1に磁性流体を入れた容器の底から強い磁場を与えたときにできる特異な形状のひとつを示しておいた。」(同頁左欄15行以下)と記載されているが、これらの性質は、希釈しない磁性流体の示す性質である。
神山新一「磁性流体アクチュエータ」(雑誌「日本ロボット学会誌」2巻4号325頁ないし329頁 1984年)(甲第25号証)には、「磁性流体とは、マグネタイト、鉄、コバルトなどの強磁性体の微粒子(直径約10nm=100Å)を水、ケロシンなどの液体中に多量に分散させて得られるコロイド溶液のことである。」(325頁左欄)と「多量に」つまり高濃度にコロイド粒子を分散させたものが磁性流体であることをはっきりと述べている。また、表1(326頁)では、代表的な磁性流体の特性表の中で磁化の強さMの値が挙げられているが、16kA/m=200Gであるから、これらの磁性流体の平均の磁化Mは、100から200G程度であり、飽和磁化の値はその2倍ないし3倍であるから、4πM=200Gから600Gとなり、後記甲第19号証の値と一致している。
また、技術文献(甲第19号証)に載せられている実際市販されている磁性流体のカタログによれば、市販されている磁性流体は約4%以上の高濃度のコロイド粒子を有している。
<2> 本願の出願において、希釈していない磁性流体と希釈した磁性流体とははっきり区別して記載している。つまり、出願当初の明細書(甲第2号証)の特許請求の範囲第3項で希釈した磁性流体を使用した場合について述べ、同第4項で磁性流体を薄膜にする場合について述べている。ただし、審査の過程で特許請求の範囲第3項のクレームは効果が小さかったので取り下げた。また、本願明細書の発明の詳細な説明(甲第3号証の3)では、「この発明は、最近開発された磁性流体と呼ばれる強磁性微粒子を界面活性剤で包み、溶媒中に安定した状態で分散させたコロイド溶液が、従来の物質が示す同操な磁気光学効果の108倍も大きい効果を有することを利用したものである。」(2頁13行ないし17行)と記載している。希釈された磁性流体では、従来の物質よりも高々3×103倍程度の大きさの効果しかなく、「108倍も大きい効果」とは、正に希釈されていない磁性流体のみを指している。
出願当初の明細書(甲第2号証)でも、「この発明は、磁性流体が大きなコットン・ムートン効果を示すことに着目し」(2頁10行、11行)と「大きな」効果であることを述べている。また、昭和58年3月16日付け手続補正書(甲第3号証の2)でも、「この発明は、最近開発された磁性流体と呼ばれる強磁性微粒子を界面活性剤で包み、溶媒中に安定した状態で分散させたコロイド粒子数密度の極めて大きなコロイド溶液が、従来の物質が示す同様な磁気光学効果の108倍も大きい効果を有することを利用したものである。」(2頁10行ないし16行)とはっきり述べている。
<3>(a) 乙第2及び第3号証は、コロイド粒子濃度が0.01%程度の希釈した磁性流体が磁性流体の中に入ることを示すものではない。すなわち、乙第2号証中には、「見かけ上強磁性液体のような振る舞いを示す。たとえば、磁性流体液滴に磁場を印加すると、磁場方向に延伸して回転楕円体状に変形したり、表面にスパイク状の突起が現れる」(844頁右欄5行ないし8行)と記載されているが、この性質は、コロイド粒子濃度が4%以上含まれる磁性流体でなければ現れない性質である。また、乙第3号証中の磁性流体製作の過程で「濃縮または希釈」は、例えば5%のコロイド粒子濃度でできた磁性流体を6%に濃縮したり、4%に希釈したりするという濃度調整のことである。
(b) 乙第4号証は希釈していない磁性流体の磁気複屈折を測定しているものであることは、認める。しかし、その測定方法は、図1ないし3とは全く異なるものである。すなわち、光束が偏光子19、磁性流体試料20、四分の一波長板21を通るまでは、図1ないし3とほぼ同じである。しかし、この後4範囲半透過検光子を通って偏光顕微鏡に入るところは全く異なる。図1、3の実験装置では、磁性流体の磁気複屈折により透過光の強度が変化してこの変化を受光子で測定していた。これに対し、図4(甲第29号証)では、位相差顕微鏡の視野を人が見ながら、偏光子Pと回転検光子Aの偏光面を各々回転させて調節し、顕微鏡の視野内の4つに区分された各範囲の部分の照度が等しくなるようにして、角度θ1とθ2の値から複屈折率を算出している。この装置は、確かに複屈折を精密に測定する装置としては優れているが、複屈折を利用して透過光の強度を変化させるという図1、3の装置とは全く異なるものである。また、この論文の著者は、磁性流体の磁気複屈折率が従来の物質に比べて非常に大きな値を示すことを全く示していない。したがって、著者マルチネ氏は」磁性流体の大きな磁気複屈折を産業上利用するという考えには及ばなかったことが頷ける。
なお、光学顕微鏡(偏光顕微鏡は、光学顕微鏡の一種)で試料を観察するときには、スライドガラスとカバーガラスの間に薄膜状の試料を挟んでプレパラート(顕微鏡観察用試料)を作成するものであり、試料を薄膜にするのは当然のことというより、このようにしなければ顕微鏡観察はできないものである。
(2) 取消事由2(相違点についての判断の誤り)
審決は、「本出願前、磁性流体の存在は知られており、そして、それが磁気による複屈折性を有することは、下記aないしeの文献に見られるように周知の事項である。また、流体に光を透過させるため薄膜にすること、および光が透過可能な流体を保持するのに流体を2枚の透明板間に封入することも当然採用し得ることであって、結局、引用例の発明のコットンムートンセル18の代わりに前記周知の事項の磁性流体とし、かつ、それを2枚の透明板間に封入し、薄膜とする点は、当業者が容易になし得るものと認められる」と判断するが、誤りである。
希釈しない磁性流体を薄膜にして得られる磁気光学効果は、本発明者によって発見されたものである。審決が引用する文献aないしe(甲第8ないし第12号証)は、薄く希釈したコロイド粒子の濃度が0.01%程度のものが複屈折率にして6×10-7程度の磁気光学効果を示すものにすぎない。
また、磁性流体を薄膜にすることは当業者が容易に考えつくことでない。希釈しない磁性流体が光を全く透過しない液体であることは、磁性流体を取扱っている関係者にとっては自明のことであった。希釈しない磁性流体の光透過性が悪いことの実験例は、武富荒・小川伸一・宮島英紀・近角聡信「磁性流体の磁気複屈折と二色性」(日本応用磁気学会誌第12巻2号263頁ないし268頁1988年)(甲第15号証)に述べられており、希釈しない磁性流体の薄膜で膜厚12μmの場合、光の透過率は3%である。光の透過率は、膜厚に指数関数的に依存するから膜厚を1mmにすると透過率は、約10-35%となり、全く透過しないのと同じである。このことから、光を透過させるために必要な磁性流体薄膜の大きさは10μm程度にしなければならないことがわかり、審決が引用している文献aないしe中の希釈磁性流体を使った厚みが数mmの試料の実験とは全く異なるものである。また、このように希釈していない磁性流体は光透過性が悪いので、本願の出願以前に公知の文献で希釈しない磁性流体を使って光を透過させるという発想は存在しなかった。
(3) 取消事由3(作用効果の看過)
審決は、本願発明の奏する効果が桁違いた大きいことを看過している。
磁気複屈折効果の大きさの目安である複屈折率△nは、希釈していない磁性流体の場合、1k0eの外部磁場のもとで10-2である。一方、審決が引用するaないしeの文献では、希釈した磁性流体の複屈折率△nは1k0eの外部磁場のもとで6×10-7である。つまり希釈していない磁性流体の磁気光学効果は、希釈した磁性流体の磁気光学効果の1万倍から10万倍の大きさになり、希釈していない磁性流体を用いる本願発明は、引用例の発明と相違して格段の作用効果を有する。
第3 原告の主張に対する認否及び反論
1 請求の原因1ないし3は認める。同4は争う。審決の認定、判断は正当であって、原告主張の誤りはない。
2 反論
(1) 取消事由1について
<1> 本願発明の要旨(特許請求の範囲)における「磁性流体」は、希釈しない磁性流体に限るものとは解釈できない。特許請求範囲における「磁性流体」は明確な用語であり、「磁性流体」といえば希釈したものも希釈しないものも含むのであって、特許請求の範囲の全体記載において矛盾なく文言どおり解釈できるのであるから、その文言の持つ本来の意味どおりに解釈されるべきである。したがって、審決において周知の事項の例として引用した文献aないしe(甲第8ないし第12号証)における磁性流体と区別ができない。
<2> 本願明細書の記載は、平成元年1月28日付け手続補正書(甲第3号証の3)による全文補正により、「コロイド粒子数密度の極めて大きな」(甲第3号証の2第2頁12行、13行)が削除され、「この発明は、最近開発された磁性流体と呼ばれる強磁性微粒子を界面活性剤で包み、溶媒中に安定した状態で分散させたコロイド溶液が、従来の物質が示す同様な磁気光学効果の108倍も大きい効果を有することを利用したものである。」(2頁13行ないし17行)となり、現在に至っている。
確かに、希釈しない磁性流体は、希釈した磁性流体と比較して大きな磁気光学効果を有するということは原告のいうとおりかもしれない。しかし、希釈した磁性流体も、その磁気光学効果は従来の物質よりも大きいことは原告の挙げた数値関係から明らかである。そして、本願明細書の前記記載では、従来の物質よりも108倍も大きな磁気光学効果を有する磁性流体を利用したということをいっているが、この記載は発明の前提として磁性流体の性質を説明しているにすぎないのであって、このような記載が存在するからといって特許請求範囲の「磁性流体」が希釈されていない磁性流体のみを意味するとはいえない。
さらに、実施例には磁性流体が希釈されていないとは明記されていないし、磁性流体がどの程度の濃度すなわち希釈率なのかも一切記載がない以上、発明の詳細な説明を参酌しても、特許請求の範囲にいう「磁性流体」が希釈されていない磁性流体に限るものとは解釈できない。
したがって、本願発明の磁性流体は希釈しない磁性流体であるという原告の主張は、根拠がない。
なお、出願当初の明細書(甲第2号証)には、「この発明は、磁性流体が大きなコットン・ムートン効果を示すことに着目し、」(2頁10行、11行)という記載しかなく、これをみても特許請求の範囲の「磁性流体」を希釈されていないものに限るとすることはできない。
<3> 本願の出願後の文献ではあるが、乙第2号証(物理学辞典改訂版 1992年5月20日 培風館発行)及び乙第3号証(神山新一「磁性流体入門」平成元年10月24日 産業図書発行)には、磁性流体の定義において濃度の具体的範囲については規定されていない。また、乙第3号証には、希釈して磁性流体を作成することが記載されている(8頁図2.2)。これらのことから、濃度のいかんを問わず、磁性を帯びた流体の性質を持つような、強磁性微粒子を溶媒中に分散させたコロイド溶液を広く「磁性流体」と呼称していたことは明らかである。
<4> 原告が提出した甲第17ないし第21号証においては、いずれも磁性流体の定義において濃度の具体的範囲は規定されていない。すなわち甲17号証の「高濃度]、甲第18号証の「強く磁化される」は具体的にどの程度か不明である。また、甲19号証において、そこに記載されている複数種の磁性流体が、文献aないしe(甲第8ないし第12号証)において実験する際希釈したものに比べて体積分率が大きいとしても、それらはいずれも光学分野ではなくシール等に応用するためにたまたま製造販売されたものである。また、市販する場合は、ある程度濃いものにし、その後必要に応じて希釈する方が取扱上有利であるといえる。してみると、甲第19号証に記載の磁性流体から濃度の具体的値を推定したとしても、それを直ちに磁性流体の定義とすることはできないものと考える。そして、甲第23ないし第25号証にも、磁性流体の定義において濃度の具体的範囲については規定されていない。
(2) 取消事由2について
<1> 物質に対する光の透過性を表す法則としてランバートの法則またはランバートーベールの法則があり(乙第1号証参照)、液体の場合、厚さを変えることにより光の透過度が変わることが周知であることを示している。したがって、磁性流体の場合においても、光を透過するために薄くすることは当然採用し得ることである。文献aないしeにおいても、磁性流体は光を透過する程度の薄さ(例えばaでは2mm)としているのである。
また、本願発明においては、薄膜の厚さが10μm程度ということは明細書のどこにも記載されておらず、「光が透過可能な磁性流体薄膜」における「薄膜」は光が透過する程度の薄さとしか解釈できない。
<2> 磁性流体の定義いかんに関わらず、本願発明は、引用例に記載された発明及び周知の事項に基づいて当業者が容易に発明をすることができたものである。
すなわち、本願の出願前、磁性流体の存在はよく知られており、そして、それが磁気による複屈折性を有することは、文献aないしe(甲第8ないし第12号証)に見られるように周知の事項である。文献aないしeにおいては、磁性流体自体に磁気による複屈折性が有ることが前提として記載されている(例えば、文献c(甲第10号証)の2327頁下から19ないし16行(Measurements・・・Barner 1977))。文献aないしeにおいては希釈した磁性流体について実験することが記載されているが、希釈するのは光を透過させるためである。そして、光を透過させるために、液体を希釈したり、本願発明のように厚さを薄くすることは当業者が適宜採用し得ることである(乙第1号証参照)。
よって、磁性流体自体に磁気による複屈折性が有ることが知られている以上、磁性流体の濃度に関する定義いかんに関わらず、本願の発明のように磁性流体を光が透過可能な薄膜とすることは、当業者が適宜採用し得ることである。
<3> 磁性流体が磁気による複屈折性を有することが周知であることは、乙第4号証からも明らかである。乙第4号証は、文献c(甲第10号証)の2327頁下から19ないし16行に記載されたマルチネ(Martinet)の論文であり、末尾(2336頁下から7行)に参考文献として挙げられているものである。この乙第4号証を見れば、文献cが磁性流体自体に磁気による複屈折性が有ることを前提としていることは一層明らかである。この乙第4号証においては、磁性流体に磁気による複屈折性が有ることが記載され、さらに磁性流体を薄膜にしたものについて実験したことが261頁左欄2行ないし7行の「Le faisceau・・・de P.」、訳文では「偏光子Pを通り、二枚のガラス板に挟まれて、厚みがe(初めの濃度では10<e<100μが典型的である)で、偏光子Pの偏光面と45°の角をなす方向の磁場H(0<H<2kG)が印加された磁性流体試料を通過する。」に記載されている。ここで、初めの濃度とは磁性流体の原液のことであり、この原液と15%希釈液の両方について実験したことが記載されている。
(3) 取消事由3について
本願発明の要旨(特許請求の範囲)にいう「磁性流体」を希釈されていないものであると限定して解釈することはできないことは、前記(1)で述べたとおりである。したがって、本願発明は引用例に記載された発明及び周知の事項からみて格別な作用効果はない。
第4 証拠
証拠関係は、本件記録中の書証目録記載のとおりであって、書証の成立はいずれも当事者間に争いがない。
理由
1 請求の原因1(特許庁における手続の経緯)、同2(本願発明の要旨)及び同3(審決の理由の要点)については、当事者間に争いがない。
そして、審決の理由の要点(2)(引用例の記載事項の認定)、同(3)(一致点、相違点の認定)は、当事者間に争いがない。
2 原告主張の取消事由の当否について検討する。
(1) 取消事由1について
<1> 原告は、磁性流体といえば、当業者間では希釈していない磁性流体、つまり高濃度の強磁性コロイド粒子を分散させたコロイド溶液であることが常識である旨主張する。
確かに、磁性流体とは、甲第17号証(岩波理化学辞典第4版)によれば、「磁性体微粒子を、流体媒体に高濃度に懸濁させたもの」、甲第18号証(ENCYCLOPEDIA OF MATERIALS SCIENCE AND EONGINEERING)によれば、「強く磁化される液体であることを基本特性とする」もの、甲第23号証(日口章「フェライトー磁性フィルムから磁性流体まで」)によれば、「液体中にコロイドサイズのフェライト微粉末を安定に分散させた濃密な分散溶液」、甲第25号証(神山新一「磁性流体アクチュエータ」)によれば、「マグネタイト、鉄、コバルトなどの強磁性体の微粒子(直径約10nm=100Å)を水、ケロシンなどの液体中に多量に分散させて得られるコロイド溶液のことである」と記載されていることが認められる。また、甲第24号証(石井泰弘ら「磁性流体のスピーカーヘの応用」)によれば、同号証には、「磁性流体は字のごとく液体状の磁性体であり、磁石に吸いつく液体の特徴を生かして」(142頁左欄3行以下)、「また磁性流体が示す面白い性質として写真1に磁性流体を入れた容器の底から強い磁場を与えたときにできる特異な形状のひとつを示しておいた。」(同頁左欄15行以下)と記載されていることが認められ、これらの性質は、希釈しない磁性流体の示す性質であることが認められる。さらに、甲第19号証(吉田洋一ら「磁性流体について」)及び甲第20、第21号証によれば、甲第19号証の第2表(67頁)には現在東北金属株式会社にて製造販売している磁性流体の一般的特性が記載されており、それらは約4%以上の高濃度のコロイド粒子を有していること、甲第25号証によれば、表1(46頁)には、代表的な磁性流体の物性値が掲げられ、これらの磁性流体の平均の磁化M、飽和磁化の値からも、上記甲第19号証の値と一致する体積分率が導き出せることが認められる。しかしながら、上記の甲第17号証等の論文中では、強磁性コロイド粒子の濃度は特定されていないし、甲第19号証等で認められる市販品の濃度等も、市販品がそのような濃度であることを示す以上に、磁性流体と呼ばれるものの濃度を示すものとまでは認められない。
さらに、甲第8号証によれば、文献a(H.W. Davies, J.P. Llewellyn: Journal of Physics D:Appl.Phys.,Vol.12,No.2 1979 pp.311-319)には磁性流体の磁気複屈折率を測定した結果が記載され(訳文3頁6行、7行)、体積分率が2.0×10-5のものまで使用しているものであるが(原文314頁16行、17行、315頁図2、訳文9頁12行ないし14行)、「磁性流体の磁気複屈折 Ι 粒径の評価」(訳文3頁1行)との表題が付されていることが認められ、このことは、希釈した磁性流体であっても、磁性流体と考えられていることを示すものである。甲第13号証(武富荒「Magnetic Fluid's Anomalous Pseud-Cotton Mouton Effects about 107Times Larger than That of Nitrobenzene」)においても、「磁場下での磁性流体の複屈折の研究は何人かの研究者によって行われている。しかし彼らは希釈した磁性流体の複屈折しか研究していない。」(訳文3頁13行、14行)と記載されていることが認められ、希釈した磁性流体も磁性流体であるとの前提で考察が行われていることが認められる。
<2> 次に、本願明細書の記載について検討する。
本願発明の要旨(特許請求の範囲)は、前記説示のとおり、「2枚の透明板間に封入した光が透過可能な磁性流体薄膜中で、光の伝搬方向に垂直に磁場を加えて偏光を複屈折させ、常光と異常光との位相差を利用し磁場の強さを検出して屈折率を算出し、該複屈折率から磁場の強度を測定する磁性流体光学磁気センサを使用する磁束密度測定方法。」というものであり、磁性流体の濃度について特定されているわけではなく、薄膜についてもその厚さが限定されているわけではない。したがって、光が透過可能であり、かつ薄膜であるという条件を満たす磁性流体はすべて本願発明の磁性流体に該当すると認められる。
また、甲第2号証によれば、本願発明の出願当初の明細書には、「この発明は、磁性流体が大きなコットン・ムートン効果を示すことに着目し」(2頁10行、11行)と記載され、甲第3号証の3によれば、本願明細書(甲第3号証の3)の発明の詳細な説明には、「この発明は、最近開発された磁性流体と呼ばれる強磁性微粒子を界面活性剤で包み、溶媒中に安定した状態で分散させたコロイド溶液が、従来の物質が示す同様な磁気光学的効果の108倍も大きい効果を有することを利用したものである。」(2頁13行ないし17行)と記載されていることが認められる(なお、「コロイド粒子数密度の極めて大きな」との限定は、甲第3号証の3の補正により削除されている。)。しかしながら、本願明細書(甲第3号証の3)の発明の詳細な説明にも、磁性流体の濃度について特定する記載や、薄膜についてその厚さを限定する記載は見いだせない。また、磁性流体を希釈して使用することを排除する記載もないから、上記「108倍も大きい効果」との記載も、本願発明にいう磁性流体が希釈されていない磁性流体のみを指していることの根拠とはなし得ない。
しかも、甲第3号証の3によれば、平成元年1月28日付け手続補正書による補正後においても、特許請求の範囲には、特許請求の範囲第2項に記載された装置の発明の実施態様項として、第3項には、「希釈して光が透過可能な磁性流体を、透明ケーシング内に封入して成る特許請求の範囲第(2)項記載の磁性流体光学磁気センサ装置。」、第4項には、「磁性流体を2枚の透明板間に封入して光が透過可能な薄膜として成る特許請求の範囲(2)項記載の磁性流体光学磁気センサ装置。」と記載されていることが認められ、この事実によれば、本願明細書(甲第3号証の3)の発明の詳細な説明は、希釈した磁性流体を使用することを包含する発明を説明するものとして記載されていると考えざるを得ない。したがって、平成4年4月2日付け手続補正書(甲第6号証の2)によって上記「希釈して・・・」の特許請求の範囲第3項を削除し、特許請求の範囲第1、第2項を「2枚の透明板間に封入した・・・薄膜」等と補正したとしても、特許請求の範囲や発明の詳細な説明に磁性流体の濃度等を特定する記載のないまま、本願発明の要旨における磁性流体が希釈されないものに限られると解することはできないといわなければならない。
<3> 以上に説示の事実によれば、本願発明の要旨にいう磁性流体は希釈していない磁性流体を意味し、希釈した磁性流体は含まないと解することはできない。
したがって、原告主張の取消事由1は理由がない。
(2) 取消事由2について
<1> 原告は、希釈しない磁性流体を薄膜にして得られる磁気光学効果は、本発明者によって発見されたものである旨主張する。しかしながら、前記(1)で説示したとおり、本願発明の磁性流体は、磁性流体であって光が透過可能な薄膜であればよく、希釈した磁性流体を用いるものも当然に包含するものである。そうすると、本願発明の構成が希釈していない磁性流体に限られることを前提とするこの点の原告の主張は、その余の点について判断するまでもなく、理由がない。
<2> 原告は、磁性流体を薄膜にすることは当業者が容易に考えつくことでない旨主張する。
本願発明の「光が透過可能な磁性流体薄膜」における薄膜は光が透過する程度の薄さの膜と解釈せざるを得ないことは、前記(1)に説示のとおりである。そして、液体の場合、厚さを変えることにより光の透過度が変わることが周知(乙第1号証)であることが認められる。また、甲第8ないし第12号証によれば、文献aないしeにおいても、希釈された磁性流体について光を透過する程度の薄さ(例えば、文献aでは2mm)としていることが認められる。よって、本願発明において光を透過する程度に薄くすることは、当然採用し得たことと認められる。
<3> したがって、原告主張の取消事由2は理由がない。
(3) 取消事由3について
原告は、希釈していない磁性流体の磁気光学効果は、希釈した磁性流体の磁気光学効果の1万倍から10万倍の大きさになり、希釈していない磁性流体を用いう本願発明は、引用例の発明と相違して格段の作用効果がある旨主張する。しかしながら、上記(1)で説示したとおり、本願発明の磁性流体は、磁性流体であって光が透過可能な薄膜であればよく、希釈した磁性流体を用いるものも当然に包含するものである。
そうすると、希釈していない磁性流体の奏する効果をいう原告の主張は、本願発明の構成に基づかない作用効果を主張するものであり、採用できない。
したがって、原告主張の取消事由3は理由がない。
(4) 他に審決の認定、判断を違法ならしめる点は認められない。
3 よって、原告の本訴請求は理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担及び上告のための附加期間の定めについて行政事件訴訟法7条、民事訴訟法89条、158条2項を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 伊藤博 裁判官 濵崎浩一 裁判官 市川正巳)
別紙図面
<省略>