東京高等裁判所 平成7年(行ケ)195号 判決 1997年2月13日
東京都豊島区東池袋3丁目7番4号
原告
株式会社倉本産業
代表者代表取締役
倉本馨
訴訟代理人弁護士
小坂志磨夫
同
小池豊
同弁理士
永井義久
奈良県生駒市壱分町450番地の182
被告
濱田秀雄
訴訟代理人弁理士
大石征郎
主文
1 特許庁が平成4年審判第24603号事件について平成7年6月28日にした審決を取り消す。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
事実
第1 当事者が求める裁判
1 原告
主文と同旨の判決
2 被告
「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決
第2 請求の原因
1 特許庁における手続の経緯
被告(審判被請求人)は、名称を「転写印刷シート」とする特許第1680962号発明(以下、「本件発明」という。)の特許権者である。なお、本件発明は、昭和59年11月30日出願の昭和59年特許願第254534号の一部を新たな特許出願(昭和63年特許願第291862号)とし、平成2年10月25日に出願公告(平成2年特許出願公告第48440号)、平成4年7月31日に設定登録がなされた後、明細書を訂正することについて審判の請求(平成5年審判第1769号)がなされ、平成7年3月15日に明細書の訂正が認められたものである。
原告(審判請求人)は、平成4年12月24日、本件発明の特許を無効にすることについて審判を請求し、平成4年審判第24603号事件として審理された結果、平成7年6月28日、「本件審判の請求は、成り立たない。」との審決がなされ、その謄本は同年7月17日原告に送達された。
2 本件発明の特許請求の範囲(別紙図面A参照)
離型性を有する剥離シートAの離型性保有面に、接着剤による所定のパターンの印刷層Bを設け、ついで該印刷層B上に、前記と実質状同一のパターンを描くようにインクによる単色又は多色の印刷層Cを設け、さらにその印刷層Cの上から、前記パターンよりも広い面積を覆う剥離可能な保護シートDを設けた構成を有する転写印刷シート
3 審決の理由の要点
(1) 本件発明の要旨は、その特許請求の範囲に記載された前項のとおりのものと認める。
(2) これに対し、原告は、本件発明の特許は、以下の理由により無効とすべきであると主張する。
<1> 特許無効理由1
特許請求の範囲の層構成の形成順序に関する記載は本件発明の構成ではないとの前提のもとに、
本件発明は、その特許出願前に頒布された刊行物である昭和38年特許出願公告第10663号公報(以下、「引用例1」という。)、昭和58年実用新案出願公告第35493号公報(以下、「引用例2」という。)及び昭和51年特許出願公開第150414号公報(以下、「引用例3」という。)に記載された発明であって、特許法29条1項3号に該当するものであるから、同法123条1項1号に該当する。
<2> 特許無効理由2
層構成の形成順序が本件発明の構成の一部であるとしても、
本件発明は、引用例3に記載された発明であって、特許法29条1項3号に該当するものであるから、同法123条1項1号に該当する。
<3> 特許無効理由3
本件発明は、引用例1、引用例2及び引用例3の記載に基づいて当業者が容易に発明をすることができたものであって、特許法29条2項の規定に違反するものであるから、同法123条1項1号に該当する。
(3) 検討
<1> 特許無効理由1について
特許発明の要旨認定は、特許法36条5項2号の規定(平成6年法律第116号による改正前)に照らして、特段の事情のない限り、特許請求の範囲の記載に基づいてなされるべきであるところ、本件発明の特許請求の範囲の末尾がもの(転写印刷シート)で表現されていることがこの特段の事情に当たるとは認められないので、層構成の形成順序に関する記載を含めて、特許請求の範囲に記載されたとおりのものが本件発明の要旨というべきである。
そして、引用例1には転写材料に関する発明が記載され、転写材料が、透明あるいは半透明の担体シートに印刷インキで図がつけられ、印刷インキが本質的に重合体材料を基礎材料とし、かつ、可塑剤を含有するものであり、薄い一層の感圧接着剤が前記図と合致して、あるいは、印刷した側の担体シートの印刷域の全体にわたってつけられたものであること(1頁右欄33行ないし2頁左欄7行ほか)等が開示されている。
そこで本件発明と引用例1記載の発明とを対比すると、本件発明が、離型性を有する剥離シートAの離型性保有面に、接着剤による所定のパターンの印刷層Bを設け、ついで該印刷層B上に、印刷層Bと実質状同一のパターンを描くようにインクによる単色又は多色の印刷層Cを設けているのに対して、引用例1記載の発明は、担体シート上に印刷インキの図を形成し、その上から感圧接着剤を形成したものであり、層構成の形成順序が相違する。してみれば、その余についてみるまでもなく、本件発明が引用例1記載の発明であるとすることはできない。
引用例2には、「剥離性及び印刷適性をもつ合成紙からなる台紙1上に、絵柄の印刷面積にほぼ合わせた透明合成樹脂系フイルムの保護層2を設け、その保護層2上に転写絵柄の印刷層3と、保護層2の形成面積に合致させた感圧性接着剤層4を形成し、さらに台紙1との間で前記各層2、3、4を挟む可剥紙5を前記接着剤層により接着して重ねたことを特徴とする感圧接着転写紙」が記載されている(別紙図面B参照)。
しかし、引用例2記載のものは、台紙上に保護層を設け、その上に印刷層、接着剤層を形成し、さらに可剥紙を重ねたものであり、本件発明とは層構成の形成順序が相違する。してみれば、その余についてみるまでもなく、本件発明が引用例2記載の発明であるとすることはできない。
引用例3には、その特許請求の範囲2に、「離型シート(6)の表面に熱可塑性樹脂を印刷塗布して適宜模様の溶着フイルム層(7)を形成し、更に該溶着フイルム層(7)の表面に塗料を同じく印刷塗布して装飾層(8)を積層し、吸湿性の転写シート(10)に熱可塑性樹脂を印刷塗布して点状又は線状の転着層(11)を形成し、該転着層(11)を前記剥離シート(6)の装飾層(8)に重ね合せ、転写シート(10)を離型シート(6)に熱プレスして前記装飾層(8)及び溶着フイルム層(7)を離型シート(6)より転写シート(10)に転写することを特徴とする転写ワッペンの製造方法」が記載されている(別紙図面C参照)。
しかし、この製造方法によって製造された転写ワッペンは、その製造及び被写体への転写工程に関する説明(2頁右上欄15行ないし左下欄17行、第4~6図)からみて、転写シート(10)を線状または点状の転着層(11)を介して装飾層(8)に重ね合せるとともに、熱プレスによって溶着フイルム層(7)を離型シート(6)より剥離し、その後被写体(12)に接当して熱プレスによって再転写されるものであって、本件発明の剥離シートを有していないと認められるから、その余についてみるまでもなく、本件発明が引用例3記載の発明であるとすることはできない。
したがって、原告主張の特許無効理由1は理由がない。
<2> 特許無効理由2について
引用例3に記載された転写ワッペンは、前記のとおり、熱プレスによって溶着フイルム層(7)を離型シート(6)より剥離したものであって、本件発明の剥離シートを有していないと認められるから、その余についてみるまでもなく、本件発明が引用例3記載の発明であるとすることはできない。
したがって、原告主張の特許無効理由2は理由がない。
<3> 特許無効理由3について
本件発明は、明細書及び図面の記載を考慮すると、従来の水転写タイプやアルコール転写タイプの転写印刷紙は、仕上がりが美麗でない、印刷を逆刷りで行わなければならないので誤認するおそれがあるなどの問題点があり、またステッカーにより被写体にパターンを付するものは、金型が必要で生産性が劣るほか、小さな文字や複雑な文字には適用できないなどの問題点があるので、このような問題点を解決することを発明の課題とするものであって、本件発明の構成全体が一体となって、被写体に直刷りしたのと同様のパターンをワンタッチで転写印刷できる、被写体に貼着後直ちに保護シートの剥離除去ができるので転写に要する時間が極めて短くてすみ、しかも転写操作に熟練を要しない、接着剤による印刷層とインクまたは塗料による印刷層とが実質状同一パターンであるので接着剤のはみ出しがない、事前に転写印刷シートや被写体を水やアルコールで湿潤させておく必要がないので水やアルコールに冒される被写体にも適用できる、印刷によって構成された層のみが転写されるため屋外耐候性、柔軟性、耐熱性など被写体の要求性能に応じた設計が可能となる、印刷のみによって得られた転写印刷シートであるため打ち抜きなど余分なスペースを必要とせず、製法の簡素化、デザインの優位性がある、という効果を奏するものと認められる。
これに対して、引用例3の転写ワッペンは、前記のとおり、熱プレスによって溶着フイルム層(7)を離型シート(6)より剥離したものであって、本件発明の剥離シートを有しない点で本件発明と構成を異にするものである。また、引用例1記載の転写材料及び引用例2記載の感圧接着転写紙は、前記のとおり、いずれも本件発明とは層構成の形成順序が相違するものであって、発明の基本構成において相違する。
本件発明は当業者が容易に発明をすることができたという原告の主張は、各引用例記載のものを基礎として本件発明に容易に到達しえたとする論理付けが必ずしも明確でないが、引用例1、引用例2及び引用例3には、本件発明の技術的課題及びこの課題を解決するために採択した構成が開示されているとはいえず、構成全体が一体となって奏せられる効果も、各引用例に、昭和53年実用新案出願公告第22006号公報あるいは昭和54年特許出願公告第31405号公報を併せ考慮しても、当業者が容易に予測しえたものとはいえない。
そうすると、本件発明が、各引用例記載のものに基づいて当業者が容易に発明をすることができたとすることはできず、したがって原告主張の特許無効理由3も理由がない。
<4> 以上のとおりであるから、原告が主張する理由及び証拠方法によっては、本件発明の特許を無効にすることはできない。
4 審決の取消事由
審決は、本件発明の要旨の認定を誤った結果、本件発明の新規性を肯定したものであって、違法であるから、取り消されるべきである。
(1) 本件発明は「物の発明」であるから、その製造方法は発明の構成要件ではない。現に、本件明細書の発明の詳細な説明には、「本発明の転写印刷シートは、A/B/C/Dの層構成を有するものであり、(中略)通常はAの側から各層を順に形成していくが、最終的にこの層構成が形成されていればよく、その形成順序を限定するものではない」(出願公告公報7欄27行ないし31行)ことが明記されている(もっとも、発明の詳細な説明の上記記載部分は、前記訂正審決によって削除されたが、これによって本件発明が「製造方法が限定された物」に変わったわけではない。)。そして、本件明細書には、製造方法を限定することの目的、あるいは、製造方法を限定することによって奏される作用効果は、全く記載されていない。
したがって、「層構成の形成順序に関する記載を含めて、(中略)特許請求の範囲に記載されたとおりのものが本件発明の要旨というべきである。」とした審決の判断は誤りである。
(2) そして、引用例1記載の転写材料は、本件発明の剥離シートAに当たる「挿入用紙」(2頁左欄32行)、本件発明の印刷層Bに当たる「図を覆っている或は図と実質的に符号している感圧性接着剤」、本件発明の印刷層Cに当たる「印刷インキの図」、本件発明の保護シートDに当たる「担体シート」を具備している。
また、引用例2記載の感圧接着転写紙は、本件発明の剥離シートAに当たる「可剥紙5」、本件発明の印刷層Bに当たる「感圧性接着剤層4」、本件発明の印刷層Cに当たる「転写絵柄の印刷層3」、本件発明の保護シートDに当たる「台紙1」を具備している。
さらに、引用例3記載の製造方法によって製造された転写ワッペンは、本件発明の剥離シートAに当たる「離型シート(6)」、本件発明の印刷層Bに当たる「溶着フイルム層(7)」、本件発明の印刷層Cに当たる「装飾層(8)」、本件発明の保護シートDに当たる「転写シート(10)」を具備している。この点について、審決は、引用例3記載の転写ワッペンは「本件発明の剥離シートを有していない」と認定しているが、上記「離型シート(6)」が、転写ワッペンを構成するものであり、ワッペンを衣服等に貼着するに先立って剥離されるものであるから、本件発明の剥離シートAに相当することに疑問の余地はない。
したがって、引用例1ないし3に記載されているものは、いずれも本件発明と同一の構成を有するから、特許無効理由1は理由がないとした審決の判断は、誤りである。
(3) なお、仮に、層構造の形成順序が本件発明の構成要件であるとしても、引用例3記載の転写ワッペンの製造方法は、本件発明の剥離シートAに当たる「離型性シート(6)」、本件発明の印刷層Bに当たる「溶着フイルム層(7)」、本件発明の印刷層Cに当たる「装飾層(8)」、本件発明の保護シートDに当たる「転写シート(10)」を、この順序で形成するものであるから、本件発明の構成と同一であることは明らかである。
第3 請求原因の認否及び被告の主張
請求原因1(特許庁における手続の経緯)、2(本願発明の要旨)及び3(審決の理由の要点)は認めるが、4(審決の取消事由)は争う。審決の認定判断は正当であって、これを取り消すべき理由はない。
1 原告は、本件発明は「物の発明」であるからその製造方法は発明の構成要件ではないと主張する。
しかしながら、特許請求の範囲のカテゴリーを「物」、「方法」あるいは「物を生産する方法」のいずれとするかは、出願人が自由に決めうることであって、カテゴリーによって発明の要旨が決定されるわけではない。発明の要旨は、発明の構成に欠くことができない事項として特許請求の範囲に記載された技術的事項に基づいて決定すべきものであるから、「層構成の形成順序に関する記載を含めて、(中略)特許請求の範囲に記載されたとおりのものが本件発明の要旨というべきである。」とした審決の判断に、何ら誤りはない。
特に、印刷とは液状のインクによって形成したミクロン単位の極薄の液膜パターンを乾燥あるいは硬化させて被膜パターンとすることであって、本件発明の転写印刷シートの層構成も、その要旨とする形成順序によらなければ得ることができないから、原告の前記主張は失当である。
2 層構成の形成順序が本件発明の必須要件である以上、引用例1ないし3記載のものの構成が、いずれも本件発明の構成と異なることは審決の認定判断のとおりである。
なお、原告は、引用例3記載の離型シート(6)が本件発明の剥離シートAに相当することに疑問の余地はないと主張する。
しかしながら、引用例3記載の離型シート(6)は転写ワッペンの製造工程中に除去されるものであり、離型シート(6)を除去したものが引用例3記載の発明が目的とする転写ワッペンであるから、引用例3記載の転写ワッペンは「本件発明の剥離シートを有していない」とした審決の認定に誤りはない。
第4 証拠関係
証拠関係は、本件訴訟記録中の書証目録記載のとおりであるから、これをここに引用する。
理由
第1 請求原因1(特許庁における手続の経緯)、2(本件発明の特許請求の範囲)及び3(審決の理由の要点)は、当事者間に争いがない。
第2 そこで、原告主張の審決取消事由の当否を検討する。
1 成立に争いのない甲第2号証(特許出願公告公報)によれば、本件明細書には、本件発明の技術的課題(目的)、構成及び作用効果が次のように記載されていることが認められる(別紙図面A参照)。
(1) 技術的課題(目的)
本件発明は、被写体に、直刷りした場合と同様のパターンをワンタッチで転写印刷しうる転写印刷シートに関する(1欄12行ないし14行)。
従来、転写印刷紙としては水転写タイプのものとアルコール転写タイプのものが知られ(1欄16行、17行)、転写印刷紙ではないが、ステッカーも被写体にパターンを付する目的で広く普及しており(2欄16行、17行)、このステッカーを発展させたものに抜き文字ステッカーがある(3欄2行、3行)。
しかし、水転写タイプの転写印刷紙は、転写紙または印刷層のスライド操作に際し、印刷膜が崩れるおそれがある等の問題点があり(3欄15行ないし26行)、アルコール転写タイプの転写印刷紙は、被写体と一定強度以上の接着力を有するようになるまでに時間が長くかかること等の問題点がある(3欄27行ないし37行)。また、通常のステッカーは、印刷パターンより広い面積のシートが残るので美麗さを欠くこと等の問題点があり(3欄38行ないし42行)、抜き文字ステッカーは、文字抜きを行う金型が多数必要となるので金型代がかさむこと等の問題点がある(3欄42行ないし4欄4行)。
本件発明は、このような従来の問題点を根本的に解決することを技術的課題(目的)とするものである(4欄5行、6行)。
(2) 構成
上記課題を解決するために、本件発明は、その特許請求の範囲記載の構成を採用したものである(1欄2行ないし9行)。
本件発明は、剥離シートAの離型性保有面に、まず接着剤による所定のパターン(文字、図形、模様など)の印刷層Bを設け(4欄34行ないし37行)、その接着剤印刷層B上に、それと実質状同一パターンを描くようにインクによる単色または多色の印刷層Cを設ける(6欄41行ないし43行)。そして、印刷層Cの上から、上記パターンよりも広い面積を覆う剥離可能な保護シートDを貼付等の手段により設けることによって、転写印刷シートの製造が完了する(7欄12行ないし16行)。
本件発明の転写印刷シートはA/B/C/Dの層構成を有するものであり、通常はAの側から各層を順に形成していくが、最終的にこの層構成が形成されていればよく、その形成順序を限定するものではない(7欄27行ないし31行。ただし、成立に争いのない甲第3号証(審決)によれば、上記記載部分を削除する訂正を認める審決が、平成7年3月15日付けでなされたことが認められる。)。
(3) 作用効果
本件発明によれば、<1> 被写体にワンタッチで転写印刷できる、<2> 転写に要する時間が極めて短くてすみ、しかも転写操作に熟練を要しない、<3> 接着剤のはみ出しがない、<4> 水やアルコールの冒される被写体にも適用できる、<5> 被写体の要求性能に応じた設計が可能となる、<6> 製法の簡素化、デザインの優位性がある等の優れた作用効果が奏される(9欄23行ないし10欄15行)。
2 本件発明の要旨認定について
原告は、本件発明は「物の発明」であって、その製造方法は発明の構成要件ではないから、「層構成の形成順序に関する記載を含めて、(中略)特許請求の範囲に記載されたものが本件発明の要旨というべきである」とした審決の判断は誤りであると主張し、これに対し、被告は、発明の要旨は、発明の構成に欠くことができない事項として特許請求の範囲に記載された技術的事項に基づいて決定すべきものであるから、審決の上記判断に誤りはない旨主張する。
特許発明は、「物の発明」と「方法の発明」とに大別される(特許法2条3項等)が、ここに「物の発明」とは、技術的思想の創作が物の形で具体的に表現され、かつ経時的要素を要しないものというべきところ、本件発明は、発明の名称を「転写印刷シート」とするものであること、本件発明の特許請求の範囲には、層の形成順序が記載されているが、特許請求の範囲の記載に前記1認定の本件明細書の発明の詳細な説明の記載を参酌すると、本件発明は剥離シートA、印刷層B、印刷層C及び保護シートDの4つの構成要素がその順序で配置され層構成を形成している転写印刷シートであり、「物の発明」の範疇に含まれるというべきである。
ところで、特許発明が特許法29条1項に定める特許要件を具備するかの判断に当たっては、当該発明を同項所定の発明と対比するために当該発明の要旨を認定する必要がある。そして、その要旨の認定は、特許請求の範囲の記載に基づいてなすべきところ、「物の発明」において特許請求の範囲にその物の製造方法が記載されているときは、その発明は、全体としてみれば、製造方法の如何にかかわらず、最終的に得られた製造物であって、記載された製造方法は、便宜的になされた最終的な製造物を特定する一手段にすぎないというべきである。したがって、当該発明の要旨は、特許請求の範囲に記載された製造方法によって製造された物に限定されないことが明らかである。
これを本件発明についてみると、その特許請求の範囲には、前記のとおり層構成の形成順序(すなわち、離型性シートAの特定面に、印刷層B、印刷層C及び保護シートDを、この順序で設けるべきこと)が記載されているが、この形成順序を「物の発明」である本件発明の必須要件と解することはできず、本件発明の要旨は、あくまで、結果として得られる離型性シートA、印刷層B、印刷層C及び保護シートDの4要素が、A/B/C/Dの順序で配置されている転写印刷シートの構造であると解すべきである。本件明細書の発明の詳細な説明に存した「本発明の転写印刷シートは、A/B/C/Dの層構成を有するものであり、(中略)通常はAの側から各層を順に形成していくが、最終的にこの層構成が形成されていればよく、その形成順序を限定するものではない」(特許出願公告公報7欄27行ないし31行)という記載を削除する訂正を認める審決がなされたことは、上記判断を左右するものでない。
したがって、「層構成の形成順序に関する記載を含めて、(中略)特許請求の範囲に記載されたとおりのものが本件発明の要旨というべきである。」とした審決の判断は、明らかに誤りである。
3 本件発明と引用例1記載の発明との対比について
成立に争いのない甲第4号証によれば、引用例1記載の発明は名称を「転写材料」とする発明であって、引用例1には、
a 「本発明は(中略)張力をかけたときには容易に伸張することができる透明或は半透明の1枚のフイルムから成立つ担体シートから成り、この担体シートには印刷インキで図がつけられ、(中略)薄い一層の感圧接着剤が前記図と合致して或は印刷した側の担体シートの印刷域の全体にわたってつけられており、前記図と担体シートとの間の接着は担体シートの範囲でこれを局部的に伸長することにより弱めることができ、感圧接着剤は50lb/in2下の圧力の下では殆んど接着性がない転写材料を提供するものである。」(1頁右欄33行ないし2頁左欄7行)
b 「本発明転写材料はかなりの圧力がかけられない限りその感圧接着剤がこれと接触状態にある他のものへくっつかないので取扱い易い。従って接着面に半永久的に貼りつけられた保護用シートを用意する必要はない。実際には転写材料に例えばシリコン処理をした挿入用紙を間にはさむことが望ましいが、この紙は接着層に対してかたく接着することはなくそれ自身の重みではなれるのが普通である。」(2頁左欄28行ないし34行)
c 「使用したいときにこれを転写すべき面へ当てがって担体の裏から50lb/in2以上の圧力をかけるだけで済む。このようにすると図は支持体シートからはなれて前記面へ接着する。」(2頁左欄38行ないし41行)
d 「接着剤を印刷図の上にだけつけ、且これと正しく整合をとってつければ、接着剤が転写された図にふちを形成し汚れを吸収するような危険はない。」(2頁左欄45行ないし47行)
と記載されていることが認められる。
上記のような引用例1の記載事項と本件発明とを対比してみると、引用例1記載の「担体シート」は、a及びcの記載から本件発明の「保護シートD」に当たり、引用例1記載の「図」は、aに記載されているようにインキで印刷されるものであるから本件発明の「インクによる印刷層C」に当たることが明らかであるし、引用例1記載の「感圧接着剤」が、a及びdの記載から本件発明の「接着剤による印刷層B」に当たることも明らかである。そして、上記の記載を総合すれば、引用例1記載の転写材料は、「担体シート」、「図」及び「感圧接着剤」を、この順序で配置してなるものであって、このことは、前掲甲第4号証によって認められる「張力を与えると容易に延伸できる透明又は半透明なフイルムのシートよりなる担体シートとこの担体シートにより保有された印刷インキの図(中略)と、前記担体シート上の被覆として適用された而も前記図を覆っている或は図と実質的に符合している感圧接着剤(中略)とよりなり」(4頁左欄12行ないし右欄7行)という特許請求の範囲の記載からも疑いの余地がないところである。
さらに、前記bに記載されている「挿入用紙」は、「感圧接着剤がこれと接触状態にある他のものへくっつ」くことを防止するためのものであり、「この紙は接着層に対してかたく接着することはな」いものであるから、本願発明の「離型シートA」に相当するということができる。
そうすると、引用例1には、「担体シート」、「図」、「感圧接着剤」及び「挿入用紙」を、この順序で配置した転写材料の構成が開示されていることになるが、この構成は、本件発明が要旨とする「離型シートA」、「接着剤による印刷層B」、「インクによる印刷層C」及び「保護シートD」をこの順序で配置する構成を、反対側から表したものにほかならず、本件発明の構成と引用例1に開示されている構成とが同一であることは明らかである。
4 したがって、層構成の形成順序が本件発明の必須要件であることを前提として、本件発明は引用例1記載の発明であるとすることはできないとした審決の認定判断は、誤りである。
5 以上のとおりであるから、その余の審決取消事由について検討するまでもなく、原告の主張する理由及び証拠方法によっては本件発明の特許を無効にすることはできないとした審決には、その結論に影響を及ぼすことが明らかな違法があり、これを維持することはできない。
第3 よって、審決の取消しを求める原告の本訴請求は正当であるからこれを認容することとし、訴訟費用の負担について行政事件訴訟法7条、民事訴訟法89条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 竹田稔 裁判官 春日民雄 裁判官 持本健司)
別紙図面 A
第1図は剥離シートA上に接着剤による所定のパターンの印刷層Bを設けた状態を示した模式断面図である。第2図は本発明の転写印刷シートの一例を示した一部切欠き斜視図、第3図はその模式断面図、第4図はその分解図である。
A……離型性を有する剥離シート、B……接着剤による印刷層、C……インクによる印刷層、D……保護シート。
<省略>
別紙図面 B
1……台紙、2……保護層、3……転写絵柄の印刷層、4……感圧性接着剤層、5……可剥紙
<省略>
別紙図面 C
6……離型シート、7……溶着フイルム層、8……装飾層9……植毛、10……転写シート、11……転写シート、12……被写体
<省略>