大判例

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東京高等裁判所 平成8年(う)1652号 判決

所論は,要するに,(1)職務質問に際し,警察官が被告人に加えた有形力の行使は許容限度をはるかに超えている,(2)これに付随する所持品検査として警察官が被告人のポケット内から茶封筒を取り出すにつき,被告人の同意を求めたことも被告人が「勝手に見ろ。」と言ったこともない,(3)警察官には,最初から令状主義の精神を潜脱して着衣を強制的に捜索し在中物等の物証を取得する意図があったことからして,職務質問及び所持品検査の違法性は令状主義の精神を没却する重大なものであり,したがって,所持品検査の結果得られた覚せい剤やその鑑定書等には証拠能力がなく,覚せい剤所持の事実による現行犯逮捕に基づく身柄拘束中の採尿手続も違法であって,尿の鑑定書等にも証拠能力がなく,結局,被告人は,原判示第一の覚せい剤使用及び同第二の覚せい剤所持の各事実について,いずれも無罪であるという趣旨に解される。

そこで検討すると,原審記録及び当審における事実取調べの結果によれば,次の事実が認められる。

1 警視庁城東警察署日曹橋交番勤務の伊藤巡査は,自転車で巡回区域をパトロール中,無灯火で鍵のない自転車に乗っている被告人を発見し,自転車の盗難被害多発の折から,前記自転車の所有関係について職務質問をし,被告人が知り合いから借りたと説明したので,その者が住む原判示第二のマンション「カームパレス南砂」まで同道し,マンションの駐輪場でその知り合いに自転車を見てもらった。その結果,被告人の説明どおりであることが確認された。

2 しかし,被告人の目つき,顔色,風体などから被告人が暴力団関係者で覚せい剤を使用しているのではないかなどとの疑いを抱き,被告人から自動車運転免許証を預かり,無線で身分照会をしたところ,被告人には覚せい剤に係る前歴があることが判明した。これを傍らで聞いていた被告人が免許証の返還も求めず無言で足早にマンション内に入ったので,覚せい剤,けん銃等を所持しているため逃走しようとしているものと判断し,職務質問を継続するため被告人を追い,階段を駆け上がろうとしていた被告人の背後から肩に手を掛けた。すると,被告人が反転してマンション入口ドア方向に向かったので,逃げると思い,「なぜ逃げるんだ。」と声を掛けて左手で左腕をつかんだが,なおも暴れながら前進したため,それを制止すべく背後から右腕を伸ばして被告人の胸の辺りを押さえた。このようにしながら外まで出た所で,もつれ合って体勢が崩れ,被告人とともに倒れた。

伊藤巡査は,被告人の胸の辺りを右腕で押さえた際に膨らみを感じ,さらに,被告人が左肘を曲げて脇を締め左胸付近をかばっている様子を見て,ジャンパーの左胸内ポケットに覚せい剤を所持しているのではないかと考えた。

3 その後,倒れている被告人が「何するんですか。やめてください。」と言いながら,逃げようとして手を振り足をばたつかせ,うつ伏せになったり左右に身体をひねったりして暴れ続け,これに対して伊藤巡査は,被告人の身体を押さえるのに手一杯で無線で応援を求めることもできなかったので,付近住民に聞こえるように,なぜ逃げるのかと大声を上げ,近寄ってきた者に110番通報を頼んだが,通じた様子はなかった。そこにサラリーマン風でレスリングの心得のあるという男2人が援助を申し出たので,代わってもらい,自らは直ちに無線で本署に応援要請をした。

4 1,2分して,吉田巡査部長と板橋巡査が乗ったパトカーが駆け付けたが,その際には,前記男性2人にもう1人の民間人が加わって被告人をうつ伏せに押さえ付けていた。吉田巡査部長と板橋巡査は,この3人と代わり,被告人の腕を取って立たせた。ところが,被告人が逃げようとし,これを制止されてしりもちをついた状態になり,そのまま,吉田巡査部長が被告人の身体を押さえ,板橋巡査が傍らで被告人を監視する態勢を取った。

5 この態勢の間に,伊藤巡査が,主となって,被告人に逃げようとした理由を問い,ジャンパーの左胸内ポケットに入っている物について何度も尋ねたが,被告人が何も持っていないと繰り返し否定したため,確認してもよいか,見るぞなどと告げて了解を求めた。その末に,被告人が「勝手にしろ。」と答えたので,伊藤巡査は,「見させてもらうぞ。」「勝手にしろよ。」というやり取りの後,被告人のジャンパーの左胸内ポケットに手を入れて,茶封筒を取り出した。すると,被告人が,顔を背けて自分の物ではないなどと言い,では誰の物かと問われても,知らない,自分の物ではないと繰り返し,伊藤巡査から中を見るぞと言われたのに対して,勝手にしろよ,見ればいいじやないかと答えたので,伊藤巡査が,茶封筒の中を確認して,白い結晶状の物の入ったビニール袋を発見した。なお,マンションの階段で被告人の肩に手を掛けてから茶封筒の中身を確認するまでの時間は,おおよそ5,6分であった。

6 その後,予試験の結果,それが覚せい剤と判明して,被告人は,覚せい剤所持の現行犯人として逮捕され,さらに,被告人に対し,捜索差押許可状に基づく強制採尿が行われ,その尿から覚せい剤が検出された。

以上の事実関係を前提にして所論を見ると,所論の(1)及び(2)については,警察官らが職務質問を拒否する被告人に対してした有形力の行使は,倒れたところを警察官自ら又は民間人を介するなどして押さえた上,しりもちをついた状態のまま押さえ続けた点において,職務質問を実施する際に許容される限度を逸脱している違法があり,この違法は,その間に被告人の着衣から茶封筒を取り出して中身を確認した職務質問に付随する所持品検査にも及ぶと解される。しかし,伊藤巡査が,被告人の胸の辺りを右腕で押さえた際に膨らみを感じ,被告人が左肘を曲げて脇を締め左胸付近をかばっている様子を見て,ジャンパーの左胸内ポケットに覚せい剤を所持しているのではないかと考えたことには相当な理由があり,その場で被告人を退去させると逃走され覚せい剤と思われる物を隠されるおそれもあったから,職務質問を継続する必要性と緊急性が認められ,かつ,伊藤巡査らがした有形力の行使も,警察署に連行するなどのため被告人を引き倒して押さえ付けたというようなものではなく,逃げようとする被告人の抵抗が激しかったことからこれを制止しようとし,もつれ合って一緒に倒れ,その後の過程において許容限度を超えてしまったというものであり,その時間も数分間にとどまる。また,被告人の着衣から茶封筒を取り出してその中身を確認したことについては,主として伊藤巡査と被告人との間で,再三にわたり何を持っているか,何も持っていないとの問答を繰り返した上,伊藤巡査がポケットの中を見ることの了解を求め,被告人が勝手にしろとの一応の承諾の返答をしたのであり,茶封筒の中身を見る際にも,見るぞ,勝手にしろとの問答をしている。所論の(3)については,伊藤巡査が当初から被告人に対し覚せい剤に係る犯罪の嫌疑を抱いていて職務質問を開始した,と主張するが,そうではなく,職務質問は,被告人が乗っていた無灯火で鍵のない自転車の所有関係を調べるために開始されたのであって,全証拠を検討しても,伊藤巡査らに令状主義の精神を潜脱してまで被告人の所持品を取得する意図があったとはいえない。

以上を要するに,本件における職務質問及び所持品検査に違法はあるが,その違法は,令状主義の精神を没却するような重大なものとはいえず,所持品検査の結果得られた覚せい剤とその鑑定書,身柄拘束中の強制採尿により得られた尿の鑑定書等の証拠を被告人の罪証に供することが,違法捜査抑制の見地から相当でないとは認められないから,これらについて証拠能力を認めた原判決の判断は正当である。

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