東京高等裁判所 平成8年(う)239号 判決 1996年6月20日
主文
本件控訴を棄却する。
当審における未決勾留日数中一二〇日を原判決の懲役刑に算入する。
理由
本件控訴の趣意は弁護人木本三郎及び被告人が提出した各控訴趣意書(ただし、弁護人の控訴趣意は、訴訟手続の法令違反の主張を含む旨釈明した。)に、これに対する答弁は検察官中島義則が提出した答弁書にそれぞれ記載されたとおりであるから、これらを引用する。
一 訴訟手続の法令違反を主張する各控訴趣意について
論旨は、要するに、原審が、Aの検察官面前調書四通(甲五六号、同五七号、同五九号、同六〇号)の各不同意部分につき、同人が国外にいるため公判準備若しくは公判期日において供述することができないときに当たるとして刑訴法三二一条一項二号前段により証拠として採用したのは、最高裁判所平成七年六月二〇日第三小法廷判決・刑集四九巻六号七四一頁に照らし、違法であるから、原判決には判決に影響を及ぼすことが明らかな訴訟手続の法令違反がある、というのである。
そこで記録に基づき検討すると、原審がAの検察官面前調書四通の当該部分を証拠に採用した経緯は、次のとおりである。
1 平成六年一二月二〇日(以下「当日」という。)午前中に開かれた原審第一回公判において、検察官がAの検察官面前調書五通の証拠請求をしたのに対して、弁護人がいずれも一部不同意の意見を述べたので、同意部分のみが取り調べられた。検察官は、そのうちの一通(甲五八号)の不同意部分の請求は撤回したが、その余の四通の不同意部分に関連してAの証人尋問を請求し、裁判所は、同人が近日中に強制送還される予定であることから、同月二六日に東京入国管理局第二庁舎で証人尋問を実施する旨の決定をした。
2 公判終了後の当日午後零時二〇分ころ、検察官から、裁判所に対し、Aの強制送還の日が同月二二日であることが判明したので証人尋問期日の変更を求めるが、東京拘置所側に職員及び車両が不足している事情があるため被告人を東京入国管理局第二庁舎に押送することはできない旨の連絡があった。
3 裁判所は、検察官から連絡を受けた一〇分後に、弁護人にその旨を伝え、弁護人から、被告人が立ち会わない証人尋問には問題があるが期日変更については異議がない旨の回答を得たので、当日付けで、証人尋問期日を同月二一日午後一時三〇分に変更する旨の決定をした。
4 ところが、当日午後五時二〇分ころになって、弁護人から、裁判所に対し、被告人が立ち会わない証人尋問にはやはり問題がある旨の意見が出されたので、裁判所が、当日午後五時三〇分ころ、東京拘置所総務部庶務課あてに押送の能否について照会したところ、年末を控えて東京地方裁判所への押送件数が多く、職員及び車両が不足している状態にあるため東京入国管理局第二庁舎への押送は絶対にできないとの回答があった。
5 当日午後五時五〇分ころ、再び、弁護人から、裁判所に対し、<1>被告人自身に反対尋問の機会が与えられない、<2>通訳人の都合もあり弁護人が証人尋問期日までに被告人と十分に打合せをする時間がない、<3>弁護人の不十分な尋問により証人尋問を終了させると今後被告人との信頼関係に何らかの影響を与えかねない、との三点を理由に、同月二一日証人尋問を行うことには異議がある旨の電話連絡があった。
6 この弁護人の意向を裁判所から伝えられた検察官は、当日午後六時ころ、Aの証人尋問請求を撤回し、裁判所は、当日付けで、さきにした採用決定を取り消した(記録中の「証人尋問期日取消決定」には、検察官が証人尋問請求を撤回していることにかんがみ、証人採用決定自体の取消しも含むものと解される。)。
7 なお、Aは、平成六年一二月一五日、不法残留の罪により懲役一年執行猶予三年の判決を受けたものであり、翌一六日退去強制令書の発付を受け、同月二二日、自費によりイラン・イスラム共和国に退去した。
8 検察官は、平成七年三月三日の原審第三回公判において、所論指摘のAの検察官面前調書四通の各不同意部分につき刑訴法三二一条一項二号前段を根拠にして証拠請求をした。裁判所は、同年五月一一日の原審第五回公判において、弁護人の意見を聴いた上採用決定をし、弁護人の異議申立てを棄却してこれらを取り調べ、その後の同年七月一八日の原審第八回公判における弁護人の証拠排除の申立ても容れなかった。
以上の経緯に照らすと、検察官においてAが強制送還され将来公判準備又は公判期日に供述することができなくなるような事態を殊更利用しようとした事情は認められない。また、原審がAの裁判所外の証人尋問を決定した第一回公判の当日の段階では、既に同人に対する退去強制命令が発付され、出入国管理及び難民認定法五二条四項による当日から二日後の自費退去が決まっていたこと、この事情を当日の公判終了後に知った検察官は、直ちに証人尋問期日の変更を求め、裁判所も、急ぎ弁護人の期日変更自体には異議がない旨の意見を聴いた上、当日付けで、Aの自費退去の前日に期日変更をしたものであって、検察官及び裁判所としては、できる限りの手段を講じたといえること、一方、翌日の東京入国管理局第二庁舎への被告人の押送を突然求められた東京拘置所が、職員及び車両の不足を理由にこれに応じられないとしたことをもって、一概に不当ということはできないこと、このような状況の下で、あくまでも被告人の立会いを求めると証人尋問の実施は法的に不可能であり、Aの出国により二度と反対尋問ができない結果になるから、被告人の立会いがなくても弁護人による反対尋問を行うことには十分な意味があり、かつ、弁護人及び被告人において、そのような方法を選択する余地がなかったわけではないことを併せ考えると、所論指摘のAの検察官面前調書四通の各不同意部分につき証拠請求をすることが手続的正義の観点から公正さを欠くとは認められないので、これらを刑訴法三二一条一項二号前段により証拠として採用した原審の措置に違法はない。したがって、論旨は理由がない。
二 事実誤認を主張する各控訴趣意について
論旨は、要するに、原判示第二の覚せい剤、乾燥大麻、大麻樹脂及びコカインの所持につき、被告人はこれらの薬物と何ら関係がなく無罪であるのに、被告人が営利の目的でこれらを所持したと認めた原判決には事実の誤認がある、というのである。
原判決は、その「補足説明」において、警察官らが、被告人居住の甲野ビレッジ[5]3でけんかが発生している旨の一一〇番通報を受けて現場に赴いたこと、その際、被告人がビニール袋一袋を二階にある居室の窓から下に落とすのを二人の警察官が目撃していること、被告人の居室の真下の植え込みの中から被告人が投棄した袋を含む三袋のビニール袋が発見されたこと、居室内からも別のビニール袋一袋が発見されたこと、予試験の結果、これらのビニール袋四袋の在中物は、原判示の各薬物であると判明したこと、それは、四種類に及び、いずれも多量であり、覚せい剤、乾燥大麻及び大麻樹脂についてはそれぞれの一部がほぼ等量に小分けされていたこと、被告人の居室にはデジタル式計量器及び携帯電話があったこと、被告人と同居していたAは、日ごろ被告人が携帯電話で注文らしい電話を受けて、小分けした薬物を持って外出していくのを見ていることなどの事実を認定し、その認定根拠をなす警察官らやAの各供述の信用性、被告人の弁解の不自然さなどにも慎重な吟味を加えているところ、原判決が掲げる関係証拠によれば、原判決の以上の認定及び判断は、すべて正当として是認することができ、このことは、当裁判所の事実取調べの結果によっても変わらない。そうすると、被告人が営利の目的で原判示第二の覚せい剤、乾燥大麻、大麻樹脂及びコカインを所持したことは明らかであるというべきである。
所論は、被告人のビニール袋投棄を目撃したという警察官二名の証言は、重要な点に食い違いがあって到底信用することができず、一方、原判示第二の各薬物との関わりを一切否定する被告人の供述は、合理的かつ自然で信用性が高く、これを補強する証拠として、被告人がビニール袋を窓から投げ捨てるのを見ていないし、その気配も感じなかった旨のBの証言があるなどと主張する。しかしながら、被告人が居室の窓からビニール袋を投棄するのを目撃した警察官飯島信一及び同渡辺賢二の各証言を信用し得ることについては、原判決が詳細にその理由を説示している。確かに、両警察官の証言は、窓を被告人が開けたか初めから開いていたかの点で食い違うものの、被告人が窓の開いている部分から外にビニール袋を落としたという重要部分では完全に一致していることや、室内にいたAの検察官面前調書にも、被告人が急いで窓を開け、タンスの一番下の収納部分からビニール袋を取り出し、中の物を窓から外に捨てたとの供述記載があることにかんがみ、右の食い違いは特に問題にならない。これに対し、被告人の供述は、捜査段階ではビニール袋を投棄したことを認めていたのを原審公判の途中から否定し始め、さらに、当審に至って、急に、被告人の居室内にはビニール袋入りのすいかの種はあったが、ビニール袋入りの薬物はなかった旨述べるなどその内容が極端に変遷している上に、その変遷の理由についても納得のできる説明がされていないことからして、被告人の否認供述部分は、信用性に欠けるといわざるを得ない。また、所論指摘のBの証言も、前記警察官二名の各証言及びAの検察官面前調書と対比して、信用性に乏しいと認められる。したがって、原判決には所論のような事実誤認はなく、論旨は理由がない(なお、原判決の法令の適用には、併合罪の加重につき平成七年法律第九一号による改正前の刑法四七条ただし書に従った処理をしていない誤りがあるが、いまだ判決に影響を及ぼさない。)。
よって、刑訴法三九六条により本件控訴を棄却し、平成七年法律第九一号による改正前の刑法二一条を適用して当審における未決勾留日数中一二〇日を原判決の懲役刑に算入し、当審における訴訟費用は刑訴法一八一条一項ただし書を適用して被告人に負担させないこととし、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 神田忠治 裁判官 小出じゅん一 裁判官 山崎 学)