東京高等裁判所 平成8年(行ケ)137号 判決 1998年3月31日
東京都大田区下丸子3丁目30番2号
原告
キヤノン株式会社
代表者代表取締役
御手洗冨士夫
訴訟代理人弁護士
中島和雄
同弁理士
長尾達也
東京都千代田区霞が関3丁目4番3号
被告
特許庁長官
荒井寿光
指定代理人
倉地保幸
同
及川泰嘉
同
酒井伸芳
同
廣田米男
主文
1 原告の請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第1 当事者が求める裁判
1 原告
「特許庁が平成3年審判第4078号事件について平成8年8月27日にした審決を取り消す。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決
2 被告
主文と同旨の判決
第2 請求の原因
1 特許庁における手続の経緯
原告は、昭和55年3月27日、名称を「非晶質シリコン薄膜トランジスタ」とする発明(以下、「本願発明」という。)について特許出願(昭和55年特許願第39251号)をしたが、平成2年12月27日に拒絶査定がなされたので、平成3年3月7日に査定不服の審判を請求し、平成3年審判第4078号事件として審理された結果、平成4年8月11日に出願公告(平成4年特許出願公告第49269号)されたが、特許異議の申立てがあり、平成8年2月27日、特許異議の申立ては理由がある旨の決定とともに、「本件審判の請求は、成り立たない。」との審決がなされ、その謄本は同年6月12日原告に送達された。
2 本願発明の要旨(別紙図面A参照)
水素化又は/及び弗素化非晶質シリコンからなる半導体層、該半導体層に接して設けた電気的な絶縁層、該絶縁層に接し、且つ前記半導体層とは反対側に配置させたゲート電極、前記半導体層をはさんで前記ゲート電極とは反対側に、互いに離隔されて並列的に配置された非晶質シリコンを母体とした第1のn+層及び第2のn+層、該第1のn+層に接して設けたソース電極、前記第2のn+層に接して設けたドレイン電極、とを有する非晶質シリコン薄膜トランジスタであって、前記ゲート電極が前記第1のn+層及び第2のn+層と重なりを形成するゲート電極幅をもち、前記半導体層がドーピング材料によりドーピングされていないノンドープ半導体層からなり、且つ前記ゲート電極幅にわたって設けられていることを特徴とする非晶質シリコン薄膜トランジスタ
3 審決の理由の要点
(1)本願発明の要旨は、その特許請求の範囲1に記載されている前項のとおりである。
(2)これに対して、「1979年(昭和54年)秋季 第40回応用物理学会学術講演会 講演予稿集」の「30p-S-18」(326頁。以下、「引用例1」という。)には、「単結晶シリコン基板(ゲート)の表面に約1μmの熱酸化膜を成長させゲート酸化膜とする。次にチャンネルとなるn層(厚さ約0.13μm)を堆積させ、(中略)パターニングした。(中略)その後ソース・ドレインとなるべきn+層(中略)を堆積させパターニングし、アルミニウムを蒸着して電極とした。最後に約250℃でH2アニールを行った」(左欄6行ないし17行)a-Si薄膜MOSトランジスタが記載され、さらに、「活性領域をアンドープのn-(中略)とした時」(左欄18行、19行)のa-Si薄膜MOSトランジスタが記載されている(別紙図面B参照)。
また、「ELECTRONICS LETTERS 15th March 1979 Vol.15 No.6」の179頁ないし181頁(以下、「引用例2」という。)には、ガラス基板上にAlによるゲート電極を形成し、シリコン窒化膜で覆い、該シリコン窒化膜上にアンドープのa-Si膜を被着して形成し、該a-Si膜表面にソースとドレインの電極を間隔を置いてパターン被着したa-Si薄膜MOSトランジスタが記載されている(別紙図面C参照)。
(3)本願発明と引用例1記載のものとを対比検討する。
引用例1記載のa-Si薄膜MOSトランジスタにおいてソース・ドレインとなるべきn+層は、アンドープのn-層にオーミックコンタクトをしているから、本願発明の第1のn+層及び第2のn+層に相当しており、また、引用例1記載のa-Si薄膜MOSトランジスタにも、a-Si膜形成後に、約250℃でH2アニールが行われているから、このa-Si膜も水素化されているとみることができる。
したがって、本願発明と引用例1記載のものとを対比すると、両者は、
「水素化非晶質シリコンからなる半導体層、該半導体層に接して設けた電気的な絶縁層、該絶縁層に接し、且つ前記半導体層とは反対側に配置させたゲート電極、互いに離隔されて並列的に配置された非晶質シリコンを母体とした第1のn+層及び第2のn+層、該第1のn+層に接して設けたソース電極、前記第2のn+層に接して設けたドレイン電極、とを有し、前記半導体層がドーピング材料によりドーピングされていないノンドープ半導体層からなる非晶質シリコン薄膜トランジスタ」
である点で一致する。
しかしながら、両者は、次の各点において相違している。
<1> 本願発明が、ゲート電極が第1のn+層及び第2のn+層と重なりを形成するゲート電極幅を持っているのに対し、引用例1記載のものは、ゲート電極がソース・ドレインとなるべきn+層と重なっているものの、該n+層の持つ幅を越えて存在している点(以下、「相違点<1>」という。)
<2> 本願発明が、半導体層がゲート電極幅にわたって設けられ、該半導体層がゲート電極幅を越えて存在しているのに対し、引用例1記載のものは、アンドープのa-Si膜がソース・ドレインとなるべきn+層の持つ幅の内側にあって、ゲート電極の方が大きくなっており、アンドープのa-Si膜がゲート電極幅にわたって設けられていない点(以下、「相違点<2>」という。)
(4)各相違点について判断する。
<1> 相違点<1>について
引用例2記載の別紙図面Cによれば、シリコン窒化膜に接し、且つa-Si膜とは反対側に配置させたゲート電極、前記a-Si膜をはさんで前記ゲート電極とは反対側に、互いに隔離されて並列的に配置されたソース電極とドレイン電極とを有し、前記ゲート電極がソース電極とドレイン電極と重なりを形成するゲート電極幅を持ち、該ゲート電極はソース電極とドレイン電極との持つ幅より内側に形成されているa-Si薄膜トランジスタが開示され、前記ゲート電極の端がソース電極とドレイン電極より内側に形成されたゲート電極幅を持っているから、引用例1記載のa-Si薄膜MOSトランジスタにおいても、ソース・ドレインとなるべきn+層を越えてゲート電極を形成する代わりに、所望する薄膜MOSトランジスタの特性を考慮しつつ、ゲート電極をソース・ドレインとなるべきn+層の持つ幅と重なりを持つように形成することに格別な創意工夫を要するものではない。
<2> 相違点<2>について
前項記載のように、引用例2記載の別紙図面Cにはa-Si薄膜トランジスタが開示されている。このトランジスタには、a-Si膜がゲート電極幅を越えて存在すすことが示されており、a-Si膜がゲート電極幅より大きく形成されているから、引用例1記載のa-Si薄膜MOSトランジスタにおいても、所望する薄膜MOSトランジスタの特性が得られるように、アンドープのa-Si膜を前記ゲート電極幅にわたって、すなわち、ゲート電極幅を越えて設けるように構成することは容易に想到することができたものであり、この点に格別の困難性があったとすることはできない。
(5)したがって、本願発明は、引用例1及び2記載の技術的事項に基づいて当業者が容易に発明をすることができたものであるから、特許法29条2項の規定により、特許を受けることができない。
4 審決の取消事由
各引用例に審決認定の技術的事項が記載されており、本願発明と引用例1記載のものが審決認定の相違点を有することは認める。しかしながら、審決は、一致点の認定及び相違点<1>の判断を誤り、かつ、本願発明が奏する作用効果の顕著性を看過した結果、本願発明の進歩性を否定したものであって、違法であるから、取り消されるべきである。
(1)一致点の認定の誤り
a 審決は、「引用例1記載のa-Si薄膜MOSトランジスタにおいてソース・ドレインとなるべきn+層は、(中略)アンドープのn-層にオーミックコンタクトをしているから、本願発明の第1のn+層及び第2のn+層に相当」するとしたうえ、本願発明と引用例1記裁のものは、「互いに離隔されて並列的に配置された非晶質シリコンを母体とした第1のn+層及び第2のn+層」を有する点において一致すると認定しているが、誤りである。
すなわち、従来の非晶質シリコン薄膜トランジスタには、ソース・ドレイン間の電圧(以下、[VD]という。)が低い領域においてはソース・ドレイン間の電流(以下、「ID」という。)が容易に立ち上がらず、VD-ID特性曲線に好ましくない歪みが生ずるという欠点がある。本願発明は、その原因が、半導体層と、ソース電極あるいはドレイン電極との間のオーミックコンタクトが十分でないことに起因するとの知見に基づき、その要旨とする一連かつ一体の構成によって、半導体層の表面をクリーンサーフェスにし、その上にn+層を形成することによって、半導体層と電極との間に十分なオーミックコンタクトを形成するようにしたものである。
これに対し、引用例1記載の非晶賞シリコン薄膜トランジスタにおいてソース・ドレインとなるべき電極は、半導体層との間に十分なオーミックコンタクトを形成していない。すなわち、引用例1記載の非晶質シリコン薄膜トランジスタは、半導体層に発生するチャネル領域を制限するために、半導体層のパターニングを必要とするものであるから、半導体層の表面は大気及びエッチング液に晒されてクリーンサーフェスとならず、したがって、その上に形成される電極との間に十分なオーミックコンタクトを形成することができないのである。このことは、同トランジスタの特性を示す別紙図面BのFIG.2に、室内照明下であるにもかかわらず、VDが極めて高く、IDが極めて低く記載されていることからも明らかである(本願明細書添付の別紙図面A第4図と、引用例1の別紙図面BFIG.2とを、共通スケールで図示した甲第6号証(参考図3)を参照)。
b また、審決は、「引用例1記載のa-Si薄膜MOSトランジスタにも、a-Si膜形成後に、約250℃でH2アニールが行われているから、前記a-Si膜も水素化されているとみることができる」としたうえ、本願発明と引用例1記載のものは、「水素化非晶質シリコンからなる半導体層」を有する点において一致すると認定している。
しかしながら、引用例1にはその非晶質シリコンが水素化された非晶質シリコンである旨は明記されていないから、単に「約250℃でH2アニールが行われている」ことのみから、その非晶質シリコンが水素化されていると認定するのは誤りである。
(2) 相違点<1>の判断の誤り
本願発明は、前記技術的課題を解決するために、特許請求の範囲記載の構成を採用し、特に、「半導体層が(中略)ゲート電極幅にわたって設けられている」という構成によって、半導体層に発生するチャネル領域が「ゲート電極幅」に対応して自ずと制限されるため、半導体層のパターニングが不要であり、したがって、半導体層の表面は大気等に晒されることがないのでクリーンサーフェスとなって、その上に形成される電極との間に十分なオーミックコンタクトを形成することができる。また、上記の構成を採用することによって、1つの基板上に複数のチャネル領域を形成して、アクティブマトリクス用トランジスタを得ることも可能となるのである。
これに対し、引用例2には半導体層と電極との間に十分なオーミックコンタクトを形成することについては記載も示唆もない。そして、引用例2記載の非晶質シリコン薄膜トランジスタはそもそもn+層を有しておらず、かつ、引用例2には1つの基盤上に複数のチャネル領域を形成してアクティブマトリクス用トランジスタを得ることは記載されていないから、引用例2の記載のみを論拠とする相違点<1>の判断は失当というべきである。
(3)作用効果の看過
審決は、本願発明が奏する作用効果について何ら認定判断していない。
しかしながら、本願発明は、半導体層と電極との間に十分なオーミックコンタクトを形成することによって、VDが低い領域においてもIDをほぼ直線的に立ち上げることができ(ゲートオン時のオーミックコンタクト特性)、かつ、半導体層をゲート電極幅にわたって設けることによって、リーク電流を最小限に抑えることができる(ゲートオフ時の高抵抗特性)という作用効果を奏する。
これに対し、引用例1記載のものの奏する作用効果は、ゲートオン時のオーミックコンタクト特性、ゲートオフ時の高抵抗特性とも著しく劣るものであり、また、引用例2記載の非晶質シリコン薄膜トランジスタは、n+層を有せず、半導体層と電極との間に十分なオーミックコンタクトが形成されるものではないから、本願発明の奏する前記の相乗的な作用効果は各引用例記載のものによっては到底得られないものであって、この点を看過してなされた審決の相違点の判断は誤りというべきである。
第3 請求原因の認否及び被告の主張
請求原因1(特許庁における手続の経緯)、2(本願発明の要旨)及び3(審決の理由の要点)は認めるが、4(審決の取消事由)は争う。審決の認定判断は正当であって、これを取り消すべき理由はない。
1 一致点の認定について
(1)原告は、引用例1記載の非晶質シリコン薄膜トランジスタは半導体層のパターニングを必要とするものであって、半導体層の表面は大気等に晒されるのでクリーンサーフェスとならず、したがってその上に形成される電極との間に十分なオーミックコンタクトを形成することができないから、「引用例1記載のa-Si薄膜MOSトランジスタにおいてソース・ドレインとなるべきn+層は、(中略)アンドープのn-層にオーミックコンタクトをしているから、本願発明の第1のn+層及び第2のn+層に相当」するとしたうえ、本願発明と引用例1記載のものは、「互いに離隔されて並列的に配置された非晶質シリコンを母体とした第1のn+層及び第2のn+層」を有する点において一致するとした審決の認定は誤りである旨主張する。
しかしながら、半導体層の表面が大気等に晒されることなくクリーンサーフェスであることも、半導体層と電極との間に十分なオーミックコンタクトを形成することも、本願発明の特許請求の範囲に記載されていないから、本願発明の要旨外の事項であって、原告の上記主張は前提において誤りである。のみならず、半導体層と電極との間に十分なオーミックコンタクトを形成するため両者の間にn+等層を形成すること、及び、真空中において半導体層上にn+層を形成することは、本出願前の周知技術である。そして、別紙図面BのFIG.2がほぼ直線的に立ち上がるVD-ID特性曲線を示している以上、引用例1記載の非晶質シリコン薄膜トランジスタの半導体層と電極とは十分なオーミックコンタクトを形成していると解すべきであるから、審決の一致点の認定に誤りはない。この点について、原告は、別紙図面BのFIG.2に、室内照明下であるにもかかわらずVDが極めて高く、IDが極めて低く記載されていることを指摘するが、そうであるからといって、同図に図示されているVD-ID特性曲線がほぼ直線的に立ち上がっていることを否定することはできない。
(2)原告は、単に「約250℃でH2アニールが行われている」事実のみから引用例1記載の非晶質シリコンが水素化されていると認定するのは誤りである旨主張する。
しかしながら、シランのグロー放電分解によって作られた引用例1記載の非晶質シリコンにはシラン中の水素が取り込まれており、かつ、H2アニールによっても水素が取り込まれるから、引用例1記載のa-Si膜も水素化されているものとみることができるとした審決の認定に誤りはない。
2 相違点<1>の判断について
原告は、引用例2には半導体層と電極との間に十分なオーミックコンタクトを形成することも、1つの基板上に複数のチャネル領域を形成してアクティブマトリクス用トランジスタを得ることも記載されていないから、引用例2の記載を論拠とする相違点<1>の判断は失当である旨主張する。
しかしながら、引用例2のFIG.3のVD-ID特性曲線はほぼ直線的に立ち上がっているから、そのa-Si薄膜MOSトランジスタの半導体層と電極層とは十分なオーミックコンタクトを形成していると解し得るし、FIG.1には1つの基板上に複数のチャネル領域を形成することが明示されているから、原告の上記主張は当たらない。
3 本願発明が奏する作用効果について
原告は、本願発明は、半導体層と電極との間に十分なオーミックコンタクトを形成することによって、VDが低い領域においてもIDをほぼ直線的に立ち上げることができ(ゲートオン時のオーミックコンタクト特性)、かつ、半導体層をゲート電極幅にわたって設けることによって、リーク電流を最小限に抑えることができる(ゲートオフ時の高抵抗特性)という作用効果を奏するが、審決は本願発明が奏する作用効果について何ら認定判断していない旨主張する。
しかしながら、半導体層と電極との間に十分なオーミックコンタクトを形成することは、前記のとおり本願発明の要旨外の事項であるし、ゲートオフ時の高抵抗特性は引用例1において言及されている事項にすぎないから、原告の上記主張も当たらない。
第4 証拠関係
証拠関係は、本件訴訟記録中の書証目録記載のとおりであるから、これをここに引用する。
理由
第1 請求原因1(特許庁における手続の経緯)、2(本願発明の要旨)、3(審決の理由の要点)、及び、各引用例に審決認定の技術的事項が記載されており、本願発明と引用例1記載の技術的事項が審決認定の相違点を有することは、いずれも当事者間に争いがない。
第2 そこで、原告主張の審決取消事由の当否を検討する。
1 成立に争いのない甲第2号証(特許出願公告公報)及び第3号証の1(平成5年7月26日付け手続補正書)によれば、本願明細書には、本願発明の技術的課題(目的)、構成及び作用効果が次にように記載されていることが認められる(別紙図面A参照)。
(1)技術的課題(目的)
本願発明は、非晶質シリコンを用いた薄膜トランジスタに関するものである(公報2欄13行、14行)。
液晶素子駆動用のトランジスタに有用であるとして提示されている水素化非晶質シリコン(a-Si:H)を用いた薄膜トランジスタ(TFT)の構造は、基板上に、ゲート電極、該ゲート電極を覆うようにした窒化シリコンからなる絶縁層、該絶縁層上に水素化非晶質シリコンからなる半導体層、該半導体層上に並置したアルミニウムからなるソース電極及びドレイン電極を設けるものである(同2欄15行ないし3欄3行)。
このような構造の非晶質シリコン薄膜トランジスタは、ゲート電極に一定電圧(VG)を印加し、ソース電極とドレイン電極との間の電圧(VD)を変化させた際の、ソース電極とドレイン電極との間を流れる電流(ID)が、VDが小さい領域においては殆ど増加傾向を示さない。すなわち、VD-ID特性曲線が、VDが小さい領域において直線的にならず歪んだものとなり、好ましいトランジスタ特性を示さない欠点を有する。この欠点は、水素化非晶質シリコンからなる半導体層と電極との間に十分なオーミックコンタクトが形成されていないことに起因する(同3欄4行ないし14行)。
本願発明の目的は、VD-ID特性曲線に歪みのない好ましいトランジスタ特性を示し、かつ、トランジスタのオフ時のリーク電流が小さい、非晶質シリコン薄膜トランジスタを提供することである(同3欄15行ないし19行)。
(2)構成
上記の目的を達成するために、本願発明は、その要旨とする構成を採用したものである(手続補正書4枚目2行ないし17行)。
(3)作用効果
本願発明によれば、水素化又は/及び弗素化非晶質シリコン半導体層を用いてダングリングボンド(不飽和電子対)を補償し、且つ、半導体層をドーピング材料でドーピングされていないノンドープ層としたことにより、半導体層の欠陥が極めて少なくなるため、ゲートオフ時のリーク電流を最小限に抑えることができる。また、ソース電極及びドレイン電極と、半導体層との間にn+層を設け、それらの間に良好なオーミックコンタクトが形成されるので、従来の非晶質シリコン薄膜トランジスタが有する、VDが小さい領域においてVD-ID特性曲線が非直線性を示す(換言すれば、VDを増加してもIDが余り増加しない)欠点を解消し、非常に優れたトランジスタ特性を得ることができる(公報14欄10行ないし27行)。
2 一致点の認定について
(1)原告は、本願発明はその要旨とする一連かつ一体の構成によって半導体層の表面をクリーンサーフェスにし、その上にn+層を形成することによって、半導体層と電極との間に十分なオーミックコンタクトを形成するようにしたものであるのに対し、引用例1記載の非晶質シリコン薄膜トランジスタにおいてソース・ドレインとなるべきn+層は半導体層との間に十分なオーミックコンタクトを形成していないから、「引用例1記載のa-Si薄膜MOSトランジスタにおいてソース・ドレインとなるべきn+層は、(中略)本願発明の第1のn+層及び第2のn+層に相当」するとした審決の認定は誤りであり、この認定を前提としてなされた、本願発明と引用例1記載のものは「互いに離隔されて並列的に配置された非晶質シリコンを母体とした第1のn+層及び第2のn+層」を有する点において一致するとした審決の認定は誤りである旨主張する。
しかしながら、電極が半導体層との間に十分なオーミックコンタクトを形成したものであることは、本願発明の特許請求の範囲に記載されていない事項であるから、本願発明の構成要件である電極が半導体層との間に十分なオーミックコンタクトを形成したものであることを前提とする原告の上記主張は、発明の要旨に基づかないものであって、失当である。そして、当事者間に争いのない審決認定の引用例1記載の技術的事項によれば、引用例1記載のものは「互いに離隔されて並列的に配置された非晶質シリコンを母体とした第1のn+層及び第2のn+層を有する」から、この点において本願発明と一致するとした審決の認定に誤りはない。
(2)原告は、引用例1にはその非晶質シリコンが水素化された非晶質シリコンである旨は明記されていないから、単に「約250℃でH2アニールが行われている」ことのみから、その非晶質シリコンが水素化されていると認定するのは誤りである旨主張する。
検討すると、前掲甲第4号証によれば、引用例1には、「シランのグロー放電分解によってつくられた非晶質シリコン(a-Si)」(左欄1行、2行)と記載されていることが認められる。そして、前掲甲第2号証によれば、本願明細書にも「補償された非晶賓シリコンの形成には、水素(中略)とシリコンとの化合物を徒用し所謂グロー放電分解法に従って行われる。」(公告公報4欄32行ないし34行)と記載されていることが認められるから、シラン、すなわち「SiH4」をグロー放電し分解することによって基板上に形成される薄膜状のアモルファスシリコンは、当然に水素を取り込んでいるもの(a-Si:H)と考えるのが相当である。したがって、引用例1記載のa-Siも水素化されているとみることができるとした審決の認定に誤りはない。
(3)以上のとおりであるから、審決の一致点の認定に誤りがあるということはできない。
3 相違点<1>の判断について
原告は、本願発明は「半導体層が(中略)ゲート電極幅にわたって設けられている」ことによって半導体層に発生するチャネル領域が「ゲート電極幅」に対応して自ずと制限されるため、半導体層のパターニングが不要であり、したがって、半導体層の表面はクリーンサーフェスとなって、その上に形成される電極との間に十分なオーミックコンタクトを形成することができ、また、1つの基板上に複数のチャネル領域を形成して、アクティブマトリクス用トランジスタを得ることも可能であるのに対し、引用例2記載の非晶質シリコン薄膜トランジスタはそもそもn+層を有しておらず、かつ、引用例2には1つの基板上に複数のチャネル領域を形成してアクティブマトリクス用トランジスタを得ることは記載されていないから、引用例2の記載のみを論拠とする相違点<1>の判断は失当である旨主張する。
成立に争いのない甲第5号証によれば、引用例2には、半導体層と電極との間に十分なオーミックコンタクトを形成することについても、半導体層の表面をクリーンサーフェスにすることについても何ら記載されていないのに対し、本願発明は、非晶質シリコン薄膜トランジスタにおいて、好ましいトランジスタ特性が得られないのは半導体層と電極との間に十分なオーミックコンタクトが形成されていないことに起因するとの知見に基づいてその要旨とする構成を採用したものであることは、前記1認定のとおりである。
しかしながら、成立に争いのない乙第1号証(「半導体ハンドブック(第2版)」株式会社オーム昭和52年11月30日発行)、同第2号証(「Applied physics Letters」Vol.34, No.3 a publication of the American Institute of physics 1979年2月1日発行)及び同第3号証(「昭和55年度電子通信学会総合全国大会 講演論文集[分冊2]」昭和55年3月発行)によれば、非晶質シリコン薄膜トランジスタにおいて、好ましいトランジスタ特性を得るために、半導体層と電極との間のオーミックコンタクト特性を改善する必要があることは、本出願当時、当業者に周知の技術的課題であったことが認められるから、本願発明の技術的課題それ自体は格別新規なものではない。しかも、本願発明において半導体層の表面がクリーンサーフェスであり、その上に形成される電極との間に十分なオーミックコンタクトが形成されているとする限定が、発明の要旨に基づかないものであることは前記のとおりであり、また、本願発明が対象とする非晶質シリコン薄膜トランジスタが、1つの基板上に複数のチャネル領域を形成したアクティブマトリクス用トランジスタに限定されないことも、その特許請求の範囲から明らかである。
そうであれば、引用例1記載の非晶質シリコン薄膜トランジスタにおいて、ゲート電極をソース・ドレインとなるべきn+層の持つ幅と重なりを持つように形成する引用例2記載の構成に置換して相違点<1>に係る本願発明の構成を得ることは、当業者であれば、所望するトランジスタの特性を考慮して容易になし得た程度のことということができる。
よって、引用例2の記載を論拠としてなされた相違点<1>に係る審決の判断を誤りとする理由は存しない。
4 本願発明が奏する作用効果について
原告は、本願発明は半導体層と電極との間に十分なオーミックコンタクトを形成することによってゲートオン時のオーミックコンタクト特性を得るとともに、半導体層をゲート電極幅にわたって設けることによってゲートオフ時の高抵抗特性を得るという作用効果を奏するが、審決はこれについて何ら認定判断していない旨主張する。
前掲甲第2号証によれば、本願の公告公報には、本願明細書の発明の詳細に記載された実施例1及び2におけるVD-ID曲線の結果を示す別紙図面Aの第4図及び第5図が示され、このうち、<1>A、A-2曲線は、同第1図の構造においてn+層のない試料A、A-2の、<2>B、B-2曲線は、同第1図の構造において半導体層を形成した後大気に晒し、その後その表面上にn+層を形成した試料B、B-2の、<3>C、C-2曲線は、同第1図の構造において、半導体層を形成した後大気に晒さないが、グロー放電を一旦止め、その後にその表面上にn+層を形成した試料C、C-2の、<4>D、D-2曲線は、同第1図の構造において、グロー放電を止めることなく、半導体層とn+層とを連続的に形成した試料D、D-D2の、それぞれのオーミック特性を示すものであるが、本願明細書には、このうち、オーミック特性が十分に取れているのは試料D及びD-2だけであって(公報12欄1行ないし19行、13欄33行ないし36行)、それ以外のオーミック特性はC、B、Aの順に良好でないと記載されていることが認められる。
しかしながら、本願発明において半導体層の表面をクリーンサーフェスとすること、及び、その上に形成される電極との間に十分なオーミックコンタクトを形成することが発明の要旨とされていないことは前記のとおりであるから、本願発明の奏する作用効果は、前記試料B、B-2をも含むものであって、試料D、D-2に限定することはできない。そうすると、本願発明は、オーミック特性が十分にとれていないものも含むことになり、オーミック特性について本願明細書に記載された前記1(3)の作用効果を奏するものと認めることはできない。また、前記当事者間に争いのない審決認定の引用例2記載の技術内容によれば、引用例2記載の非晶質シリコン薄膜トランジスタは、n+層のない試料A、A-2に相当するものであるが、試料B、B-2と試料A、A-2とを対比すると、両者はオーミック特性において格別顕著な差異があるとまではいえない。
また、本願明細書に、本願発明によれば「水素化又は/及び弗素化非晶質シリコン半導体層を用いてダングリグボンド(不飽和電子対)を補償し、且つ、半導体層をドーピング材料でドーピングされていないノンドープ層としたことにより」(公報14欄11行ないし15行)、ゲートオフ時のリーク電流を最小限度に抑えることができる旨が記載されていることは前記のとおりである。しかしながら、「水素化(中略)非晶質シリコン半導体層を用いてダングリグボンド(不飽和電子対)を補償し、且つ、半導体層をドーピング材料でドーピングされていないノンドープ層と」する構成は、引用例1あるいは引用例2に記載されている構成に他ならないから、本願発明に係る非晶質シリコン薄膜トランジスタがゲートォフ時に奏する作用効果も、本願発明に特有のものとはいえない。この点について、原告が、本願発明に係る非晶質シリコン薄膜トランジスタの高抵抗特性は「半導体層をゲート電極幅にわたって設けることによって」奏されると主張していることは前記のとおりであるが、仮にそうであるとしても、引用例2に「a-Si膜がゲート電極幅を越えて存在している」、あるいは「a-Si膜がゲート電極幅より大きく形成されている」構成が記載されていることは審決認定のとおりであるから(この認定は、原告も争っていない。)、本願発明に係る非晶質シリコン薄膜トランジスタがゲートオフ時に奏する作用効果が本願発明に特有のものではないとの結論が左右されることはない。
以上のとおりであるから、審決が本願発明が奏する作用効果は格別顕著なものではなく、審決がこの点について認定判断しなかったからといって、審決に作用効果の顕著性を看過した違法があるとはいえない。
第3 よって、審決の取消しを求める原告の本訴請求は失当であるからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担について行政事件訴訟法7条、民事訴訟法61条の各規定を適用して、主文のとおり判決する(平成10年3月17日口頭弁論終結)。
(裁判長裁判官 竹田稔 裁判官 春日民雄 裁判官 山田知司)
別紙図面A
101…ゲート電極 102…ソース電極 103…ドレイン電極
104…絶縁層 105…半導体層 106…基板
107…n+層 108…クリーンサーフエス
<省略>
<省略>
別紙図面B
<省略>
別紙図面C
<省略>