東京高等裁判所 平成8年(行ケ)152号 判決 1998年3月19日
大阪府大阪市北区中之島3丁目4番18号
原告
東レエンジニアリング株式会社
代表者代表取締役
高口典之
訴訟代理人弁理士
小川信一
同
斎下和彦
大阪府大阪市西区江戸堀1丁目9番1号
被告
帝人製機株式会社
代表者代表取締役
戸張幸孝
大阪府大阪市中央区南本町1丁目6番7号
被告
帝人株式会社
代表者代表取締役
板垣宏
被告ら訴訟代理人弁理士
三中英治
同
三中菊枝
主文
1 原告の請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第1 当事者が求める裁判
1 原告
「特許庁が平成7年審判第5620号事件について平成8年6月12日にした審決を取り消す。訴訟費用は被告らの負担とする。」との判決
2 被告ら
主文と同旨の判決
第2 請求の原因
1 特許庁における手続の経緯
被告(審判被請求人)らは、名称を「糸条巻取装置への糸掛装置」とする登録第1940861号実用新案(以下、「本件考案」といい、本件考案の実用新案登録を「本件登録」という。)の実用新案権者である。なお、本件考案は、昭和55年9月26日出願の昭和55年特許願第134736号が、昭和63年6月16日に実用新案登録出願(昭和63年実用新案登録願第80185号)に変更され、平成4年12月10日に本件登録がされたものである。
原告(審判請求人)は、平成7年3月16日、本件登録を無効にすることについて審判を請求し、平成7年審判第5620号事件として審理された結果、平成8年6月12日、「本件審判の請求は、成り立たない。」との審決がなされ、その謄本は同年7月1日原告に送達された。なお、被告らは、審判手続において、平成7年8月12日、願書に添付した図面を訂正(以下、「本件訂正」という。)することについて審判を請求した。
2 本件考案の要旨(別紙図面A参照)
3個以上の糸掛けガイドが並設されており、かつ、少なくとも糸条巻取装置の奥側に位置する糸掛けガイドを手前側へ移動可能とした糸分け装置を、該糸条巻取装置における綾振り装置の上流側と下流側とに配設したことを特徴とする糸条巻取装置への糸掛け装置
3 審決の理由の要点
(1)本件考案の要旨は、その実用新案登録請求の範囲1及び本件訂正に係る図面の記載からみて、前項のとおりと認める。
なお、本件訂正は、願書添付の第1図である別紙Dを別紙図面Aのように訂正するものであって、要するに、符号12の引出線を延長して、フリクションローラ支持用フレームの下に示されている円柱の一部をフリクションローラとして示すように訂正するものである。そして、フリクションローラを有する糸条巻取装置は従来周知であり、この種の糸条巻取装置のフリクションローラあるいはその機能を考え合わせると、本件訂正前の符号12の引出線が示す四角い箱型のものがフリクションローラとは到底認められず、この四角い箱型のものはフリクションローラ支持用フレームであって、上記円柱の一部がフリクションローラであると解するのが妥当である。すなわち、本件訂正前の符号12の引出線の位置は明らかに誤記と認められる。したがって、本件訂正は単なる誤記の訂正に該当するものと認められるから、本件訂正は、平成5年法律第26号附則4条1項の規定によりなおその効力を有し、かつ、同条2項の規定によって読み替えられる旧実用新案法40条2項の規定によってこれを認めることができる。
(2)原告は、概ね、次のように主張する。
<1> 本件考案は、昭和52年特許出願公開第155236号公報(以下、「引用例1」という。)及び昭和47年特許出願公告第39290号公報(以下、「引用例2」という。)記載の発明に基づいて当業者がきわめて容易に考案をすることができたものであって、実用新案法(以下、単に「法」という。)3条2項の規定により実用新案登録を受けることができないから、本件登録は法37条1項1号の規定(昭和62年法律第27号による改正前。以下、同じ。)により無効とすべきである(以下、「無効事由<1>」という。)。
<2> 本件登録の願書に添付された明細書(以下、「本件明細書」という。)の記載は法5条3項及び4項の規定(平成2年法律第30号による改正前。以下、同じ)に違反しているから、本件登録は法37条1項3号の規定(昭和62年法律第27号による改正前。以下、同じ。)により無効とすべきである(以下、「無効事由<2>」という。)。
<3> 本件訂正は認められるべきではない(以下、「無効事由<3>」という。)。
(3)引用例1(別紙図面B参照)には、「摩擦ローラ2より表面駆動する4個のスプール6a~6dに、それぞれ4本の糸45a~45dを綾振装置を介して巻き上げるようにした巻取装置1」が記載されており、その巻取装置1への糸挿入装置として、「糸掛けガイドをして4個のフック23a~23dをビーム22上に、かつスプール6a~6dの軸方向に沿って移動可能に設けており、これら糸掛けフック23a~23dを、糸掛け時に作業側端部に移動させ、そのフック23a~23dに糸45a~45dを掛けたのち、フック23a~23dをビーム22に沿って所定の間隔になるように移動させるようにしており、また、フック23a~23dを設けたビーム22は揺動アーム25に支持され、その揺動によってフック23a~23dが案内する糸45a~45dを、スプール6a~6d上方の位置からスプール6a~6dの表面に接触するように移動するようにしている」ことが記載されている。そして、上記糸掛けガイドは、糸45a~45dの巻上げ方向からみて、綾振装置の下流側に配設されていると解されるから、引用例1には、「4個の糸掛けガイドが並設されており、かつ、糸掛けガイドを所定の間隔から巻取装置1の作業側端部へ移動可能とし、該巻取装置1における綾振装置の下流側に配設した巻取装置への糸掛け装置」
が記載されているといえる。
また、引用例2(別紙図面C参照)には、複錘取り(2錘以上)の引取装置への糸掛け方法が記載されており、糸掛け装置として、4錘取りの引取装置において糸をトラバースガイド12に導くために、糸の引取り方向からみて、トラバースガイド12の上流側に4つのガイド1を個々にスライドできるようにし、ガイド1を一箇所に集めて糸掛けを行い、糸掛け終了後、元の位置にスライドして戻すようなものが記載されている。
(4)判断
<1> 無効事由<1>について
引用例1記載の「4個の糸掛けガイド、糸掛けガイドを所定の間隔から巻取装置1の作業側端部へ移動可能としたもの」は、その記載内容からみて、本件考案の「3個以上の糸掛けガイド、糸条巻取装置の奥側に位置する糸掛けガイドを手前側へ移動可能とした糸分け装置」に対応するから、引用例1には、本件考案の「3個以上の糸掛けガイドが並設されており、かつ、糸掛けガイドを手前側へ移動可能とした糸分け装置を、該糸条巻取装置における綾振り装置の下流側に配設した糸条巻取装置への糸掛け装置」が記載されている。
一方、引用例2記載の「4つのガイド、引取装置」は、その記載からみて、本件考案の「3個以上の糸掛けガイド、糸条巻取装置」に対応し、また、引用例2記載の「4つのガイドを個々にスライドできるようにし、ガイド1一箇所に集めて糸掛けを行い、糸掛け終了後、元の位置にスライドして戻すような構成の糸掛け装置」は、その記載内容からみて、本件考案の「糸条巻取装置の糸掛けガイドを手前側へ移動可能とした糸分け装置の構成」に対応するから、引用例2には、本件考案の「3個以上の糸掛けガイドが並設されており、かつ、糸掛けガイドを手前側へ移動可能とした糸分け装置を、該糸条巻取装置における綾振り装置の上流側に配設した糸条巻取装置への糸掛け装置」が記載されている。
以上のように、本件考案が要旨とする糸分け装置の配置に関する構成について、引用例1には糸分け装置を綾振り装置の下流側だけに配設した構成が記載され、引用例2には糸分け装置を綾振り装置の上流側だけに配設した構成が記載されているが、引用例1及び2には、本件考案のように、糸分け装置を綾振り装置の上流側と下流側の両方に配設する構成は記載されておらず、示唆もされていない。したがって、本件考案は、引用例1及び2記載の発明に基づいて当業者がきわめて容易に考案をすることができたとはいえず、法3条2項の規定に該当しないので、無効事由<1>は採用できない。
<2> 無効事由<2>について
本件明細書の記載不備について原告の主張するところは、概ね次のとおりである。
a 本件明細書の従来技術に関する記載(出願公告公報2欄19行ないし3欄19行)には虚偽がある。
b 第1図において「フリクションローラ12」は四角い箱型のものとして示されており、糸が巻き付く回転体とは理解し得ない。
c 本件考案は、フリクションローラを設けること、糸をフリクションローラに接触させながら糸掛けガイドを移動させること、及び、糸がフリクションローラの軸方向に直角になるように同時移動させる機構を設けることを必須要件とするものであるが、その登録請求の範囲にはこれらの要件が限定されていない。
そこで、順次検討すると、
a 引用例1記載の糸掛け装置は、糸掛けガイド23a~23dを移動させるとき、別紙図面BのFIG.4に図示されているように、糸をフリクションローラ(摩擦ローラ2)に全く接触させないようにして糸掛けを行うものであることは明らかである。そして、本件明細書が従来技術として引用例1に言及している以上、これを踏まえて本件明細書における従来技術及びその問題点をみる必要がある。しかるに、本件明細書における従来技術の記載(出願公告公報(以下、「本件公報」という。)2欄19行ないし3欄19行)は、結果として、フリクションローラに糸条が接触するところからなされており、糸条がフリクションローラに接触するまでの具体的原因は不明のまま説明されているので、本件明細書における従来技術及びその問題点の開示は完全でないともいえる。
しかしながら、この種の糸条巻取装置において、高速回転している回転部材の近傍で糸通しをする場合に糸の張力が何らかの理由により低下した場合には、糸条が高速回転体に巻き付く傾向があることは本出願前においてよく知られていること(例えば、昭和51年特許出願公開第60745号公報、昭和55年特許出願公開第70664号公報、昭和55年特許出願公開第106965号公報を参照)を考え合わせると、このようによく知られた原因等により結果としてフリクションローラに糸条が接触するものと解することができるから、本件明細書における従来技術及びその問題点についての開示が完全でないとしても、その記載に虚偽があるとはいえず、また、そのことによって本件考案の技術内容の解釈に影響を与える程度のものでもない。
b 願書添付の第1図は本件訂正によって訂正され、同訂正が採用されたことによって、原告主張の点は理由のないものになった。
c フリクションローラ、糸掛けガイド等を備えた糸条巻取装置は従来周知のものであり、そのような糸条巻取装置に糸掛けを行う糸掛け装置自体は独立した発明の対象となるものである。一方、本件考案は、従来周知の糸条巻取装置の糸掛け装置自体の問題点を解決すべく、従来の糸条巻取装置への糸掛け装置に換えて、3個以上の糸掛けガイドが並設されており、かつ、少なくとも糸条巻取装置の奥側に位置する糸掛けガイドを手前側へ移動可能とした糸分け装置を、該糸条巻取装置における綾振り装置の上流側と下流側とに配設したことを特徴とするものと解されるから、糸掛け装置自体に含まれていないフリクションローラを必須要件としてさらに限定する必要はない。また、「糸をフリクションローラに接触させながら糸掛けガイドを移動させる糸掛けガイドであること」は、前記aにおいて判断したように本件明細書において言及されておらず、本件考案の構成要件ではないので、この点を必須要件としてさらに限定する必要もない。
ところで、本件明細書の記載内容からみて、本件考案においても、糸掛けガイドを奥側に移動させるとき、従来技術と同じように糸の張力が何らかの理由によって低下する場合があり得ることを前提とする必要がある。そして、まず上流側の糸掛けガイドだけを定常位置に移動させようとすると、本件考案においても、前記のように何らかの理由によって糸の張力が低下する場合があり、その結果、糸条が糸条巻取装置のフリクションローラ表面の周方向に対して斜めに接触する可能性があることになるから、本件考案の課題及び作用効果からみて、糸掛けガイドを奥側へ移動させるときは、厳密に同期させるように同時移動させる必要はないが、実施される場合は、上流側と下流側の糸掛けガイドはほぼ平行(糸条がフリクションローラの軸方向に直角)に走行されることになるものと解される。
しかし、本件考案は、この点について限定したものではなく、糸条巻取装置の奥側に位置する糸掛けガイド、言い換えると、定常位置にあるであろう綾振り装置の上流側と下流側とに配設した糸掛けガイドについて、その糸掛けガイドをその定常位置から手前側へ移動可能とした構成を限定しているものであって、本件考案はそのような糸条巻取装置への糸掛け装置についてのものであるから、「糸がフリクションローラの軸方向に直角になるように同時移動させる機構を設けること」が必須要件としてさらに限定される必要もない。
したがって、無効事由<2>は採用することができない。
<3> 無効事由<3>について
前記のように本件訂正は認あることができるものであるから、無効事由<3>も採用することができない。
(5)以上のとおりであるから、原告主張の理由及び証拠方法によっては、本件登録を無効にすることはできない。
4 審決の取消事由
各引用例に審決認定の技術的事項が記載されていることは認める。しかしながら、審決は、無効事由<1>及び<2>cの判断を誤った結果、本件考案の進歩性を肯定したものであって、違法であるから、取り消されるべきである。
(1)無効事由<1>の判断の誤り
審決は、各引用例には本件考案の「糸分け装置を綾振り装置の上流側と下流側とに配設した」構成が記載されておらず、示唆もされていない旨説示して、無効事由<1>を排斥している。
しかしながら、「糸分け装置を綾振り装置の上流側と下流側とに配設した」構成のみでは、本件考案が目的とする「糸掛け成功率を著しく向上する」ことは不可能である。すなわち、「糸掛け成功率を著しく向上する」との効果を得るためには、本件公報6欄42行ないし7欄2行に記載されているように、「上流側糸分け装置と下流側糸分け装置の糸掛けガイドを糸条を通した後、糸掛けガイドを奥側へ移動させると、糸条が糸条巻取装置のフリクションローラ表面方向にほぼ平行(フリクションローラの軸方向に直角)に走行する」ことが必要である。そして、「糸条が糸条巻取装置のフリクションローラ表面方向にほぼ平行(フリクションローラの軸方向に直角)に走行する」ためには、糸掛け作業を終了した後、上下の糸掛けガイドを同時に移動しなければならないことは明らかである。
しかるに、本件考案は上下の糸掛けガイドを同時に移動することを要件としていないから、「糸分け装置を綾振り装置の上流側と下流側とに配設した」構成は技術的に無意味であって、本件考案は、「3個以上の糸掛けガイドが並設されており、かつ、少なくとも糸条巻取装置の奥側に位置する糸掛けガイドを手前側へ移動可能とした糸分け装置を配設した糸条巻取装置への糸掛け装置」であることを要旨とするものにすぎないことになる。そして、そのような構成の糸掛け装置は引用例1あるいは2に記載されており、本件考案は法3条1項3号あるいは2項の規定に該当するから、無効事由<1>に関する審決の判断は誤りである。この点について、被告らは、「糸掛け成功率を著しく向上する」との効果は、手前側に移動した上下の糸掛けガイドを所定の位置へ戻す際、糸条が上下の糸掛けガイドによって規定される面内で移動し、かつ、張力の変動もほとんど生じないことによって得られる旨主張するが、本件明細書にはそのような事項は記載されていないから、被告らの上記主張は失当である。
また、仮に本願考案における「糸分け装置を綾振り装置の上流側と下流側とに配設した」構成が技術的に無意味でないとしても、そのような構成は、引用例1記載の技術的事項と引用例2記載の技術的事項とを組み合わせることによってきわめて容易に到達し得るものにすぎない。しかるに、審決は、各引用例には本件考案の「糸分け装置を綾振り装置の上流側と下流側とに配設した」構成が記載も示唆もされていない旨説示するに止まり、引用例1記載の技術的事項と引用例2記載の技術的事項とを組み合わせることの容易性について全く判断していないから、この点においても審決は誤っているというべきである。
なお、本件公報の6欄42行ないし7欄9行には、上下の糸掛けガイドを糸条が平行に走行するように移動することによって糸掛け成功率を向上することが記載されているが、そのような記載は原特許出願の願書添付の明細書あるいは図面には記載も示唆もされておらず、本件登録出願は原特許出願との同一性を失っているから、本件登録出願日は原特許出願日に遡及せず、昭和63年6月16日である。しかるに、原特許出願は昭和57年4月15日に出願公開されており、同公報には本件考案の構成が記載されているから、本件考案が法法3条1項3号の規定に該当することは明らかである。この点について、被告らは、本件登録出願は原特許出願との同一性を失っているとの主張は審判手続においてなされておらず、したがって審決もこの点を判断していない旨主張するが、審決は、本件考案の進歩性の判断に先立って、当然に変更出願の適否を検討しているものと解すべきであるから、被告らの上記主張は当たらない。
(2)無効事由<2>cの判断の誤り
本件考案は「上下の糸掛けガイドを同時に移動する機構を備える」ことが必須要件であるのに、登録請求の範囲にはこの要件が記載されていない旨の原告の主張に対し、審決は、本件考案において「糸掛けガイドを奥側へ移動させるときは、厳密に同期させるように同時移動させる必要はないが、実施される場合は、上流側と下流側の糸掛けガイドはほぼ平行(糸条がフリクションローラの軸方向に直角)に走行されることになると解される。しかし、本件考案は、この点について限定したものではなく、糸条巻取装置の奥側に位置する糸掛けガイド、言い換えると、定常位置にあるであろう綾振り装置の上流側と下流側とに配設した糸掛けガイドについて、その糸掛けガイドをその定常位置から手前側へ移動可能とした構成を限定しているものであり、(中略)「糸がフリクションローラの軸方向に直角になるように同時移動させる機構を設けること」が必須要件としてさらに限定される必要もない」旨説示して、無効事由<2>cを排斥している。
しかしながら、本件考案が目的とする「糸掛け成功率を著しく向上する」効果を得るためには、糸掛け作業を終了した後、上下の糸掛けガイドを糸条が平行に走行するように同時に移動しなければならないことは前記のとおりである。本件考案の登録請求の範囲に糸分け装置を上下に配設すると記載しているのは、糸掛け後に糸掛けガイドを奥側へ移動させるためのものであるから、登録請求の範囲にはこのことの限定記載があることになる。したがって、「上下の糸掛けガイドを同時に移動させる機構を備えること」は、本件考案の構成に欠くことができない事項として登録請求の範囲に記載されねばならないことは当然であって、無効事由<2>cに関する審決の判断は明らかに誤りである。
第3 請求原因の認否及び被告らの主張
請求原因1(特許庁における手続の経緯)、2(本件考案の要旨)及び3(審決の理由の要点)は認めるが、4(審決の取消事由)は争う。審決の認定判断は正当であって、これを取り消すべき理由はない。
1 無効事由<1>の判断について
原告は、本件考案において「糸掛け成功率を著しく向上する」との効果を得るためには、糸掛け作業を終了した後、上下の糸掛けガイドを同時に移動しなければならないところ、本件考案は上下の糸分け装置の各糸掛けガイドを同時に移動することを要件としていないから、「糸分け装置を綾振り装置の上流側と下流側とに配設した」構成は技術的に無意味であって、本件考案は、「糸分け装置を、綾振り装置の上流側または下流側に配設した糸条巻取装置への糸掛け装置」であることを要旨とするものにすぎないことになる旨主張する。
しかしながら、「糸掛け成功率を著しく向上する」との効果は、糸掛け作業を終了した後、手前側に移動した上下の糸掛けガイドを所定の位置へ戻す際、糸条が上下の糸掛けガイドによって規定される面内で移動し、かつ、張力の変動もほとんど生じないことによって得られるのであるから、原告の上記主張は当たらない。のみならず、本件明細書の考案の詳細な説明には、「上流側糸分け装置と下流側糸分け装置の糸掛けガイドを糸条を通した後、糸掛けガイドを奥側へ移動させると、糸条が糸条巻取装置のフリクションローラ表面方向にほぼ平行(フリクションローラの軸方向に直角)に走行する」(本件公報6欄42行ないし7欄2行)と記載され、上下の糸掛けガイドは「糸条が糸条巻取装置のフリクションローラ表面方向にほぼ平行(フリクションローラの軸方向に直角)に走行する」ように移動すべきことが明らかにされているから、本件考案における「糸分け装置を綾振り装置の上流側と下流側とに配設した」構成は技術的に無意味である旨の原告の主張は誤りである。
また、原告は、審決は引用例1記載の技術的事項と引用例2記載の技術的事項とを組み合わせることの容易性について判断していない旨主張する。
しかしながら、引用例1あるいは引用例2には、それらに記載されている技術的事項を組み合わせる動機付けとなるべき事項は全く記載されていないから、「本件考案は引用例1及び引用例2記載の発明に基づいて当業者がきわめて容易に考案をすることができたとはいえない」とした審決の判断に誤りはない。
なお、原告は、本件登録出願は原特許出願との同一性を失っているから本件登録出願日は原特許出願日に遡及しない旨主張するが、そのような主張は審判手続においてなされておらず、したがって審決もこの点を判断していないのであるから、原告の上記主張は失当である。
2 無効事由<2>cの判断について
原告は、本件考案が目的とする「糸掛け成功率を著しく向上する」ためには、糸掛け作業が終了した後、上下の糸掛けガイドを糸条が平行に走行するように同時に移動しなければならないから、「上下の糸掛けガイドを同時に移動させる機構を設けること」は、本件考案の構成に欠くことができない事項として登録請求の範囲に記載されねばならない旨主張する。
しかしながら、本件考案の「糸掛け成功率が著しく向上する」との作用効果は、前記のように、糸分け装置を綾振り装置の上流側と下流側とに配設する構成によって、糸掛け作業を終了した後、手前側に移動した上下の糸掛けガイドを所定の位置へ戻す際、糸条が上下の糸掛けガイドによって規定される面上を移動し、かつ、張力の変動もほとんど生じないことによって奏されるのであるから、「糸がフリクションローラの軸方向に直角になるように同時移動させる機構を設けること」が必須要件として限定される必要はないとした審決の判断に誤りは存しない。
第4 証拠関係
証拠関係は、本件訴訟記録中の書証目録記載のとおりであるから、これをここに引用する。
理由
第1 請求の原因1(特許庁における手続の経緯)、2(本件考案の要旨)、3(審決の理由の要点)、及び、各引用例に審決認定の技術的事項が記載されていることは、当事者間に争いがない。
第2 そこで、原告主張の審決取消事由の当否を検討する。
1 成立に争いのない甲第2号証(本件公報)によれば、本件明細書には本件考案の技術的課題(目的)、構成及び作用効果が次のように記載されていることが認められる(別紙図面A参照)。
(1)技術的課題(目的)
本件考案は、糸条巻取装置への糸掛け装置に関するものである(2欄8行、9行)。
糸条巻取装置においては巻取装置の奥寄りの糸の糸掛けが非常に困難であるので、例えば引用例1記載の発明のように、巻取装置の奥側の糸掛けガイドを移動可能にした糸分け装置が提案されている。しかしながら、同発明における糸分け装置は、綾振り装置の下流側に1個配設されているのみである。したがって、下方の吸引装置によって糸条を吸引しながら糸条を糸掛けガイドに通すとき、あるいは、糸掛けが終了した後に糸掛けガイドを奥側へ戻すとき、糸条が糸条巻取装置のフリクションローラ表面の周方向に対して斜めに接触するため、糸条が揺れやすく、更には、吸引速度のフリクションローラ周方向の分速度が小さくなる結果、糸条がフリクションローラに巻き付いてしまい、糸掛け成功率が低くなる(2欄15行ないし3欄9行)。
本件考案の目的は、糸掛け作業性及び糸掛け成功率を向上し得る糸条巻取装置への糸掛け装置を提供することである(2欄12行ないし14行)。
(2)構成
上記の目的を達成するため、本件考案は、その要旨とする構成を採用したものである(1欄2行ないし7行)。
本件考案においては、糸条巻取装置の綾振り装置の上流側と下流側の両方に糸分け装置を配設することが必要である。すなわち、糸分け装置が綾振り装置の上流側あるいは下流側のどちらか一方にのみ配設されている場合は、糸条を糸掛けガイドに通すとき、あるいは、糸掛け作業が終了した後に糸掛けガイドを所定位置へ戻すとき、糸条が糸条巻取装置のフリクションローラに対して斜めに接触したり巻き付いたりして、前記のような不都合を避けられないのである(4欄18行ないし31行)。
(3)作用効果
本件考案によれば、糸掛け作業が極めて容易になる。また、糸掛け作業が終了した後、上下の糸掛けがイドを奥側へ移動させると、糸条が糸条巻取装置のフリクションローラの表面方向にほぼ平行(フリクションローラの軸方向に直角)に走行するため、糸条がフリクションローラに巻き付くことがなく、糸掛け成功率が著しく向上する(6欄37行ないし7欄4行)。
2 無効事由<1>の判断について
原告は、本件考案において「糸掛け成功率を著しく向上する」との効果を得るためには、糸掛け作業を終了した後、上下の糸掛けガイドを同時に移動しなければならないところ、本件考案は上下の糸分け装置の各糸掛けガイドを同時に移動することを要件としていないから、「糸分け装置を綾振り装置の上流側と下流側とに配設した」構成は技術的に無意味である旨主張する。
本件明細書には、前項において認定したように、本件考案は「少なくとも糸条巻取装置の奥側に位置する糸掛けガイドを手前側へ移動可能」とする構成によって「糸掛け作業性」を向上するとともに、「糸分け装置を、(中略)綾振り装置の上流側と下流側とに配設」する構成によって「糸掛け成功率」の向上することを企図したものであるが、後者の「糸掛け成功率」の向上は、糸掛け作業が終了した後、「糸掛けガイドを奥側へ移動させると、糸条が糸条巻取装置のフリクションローラの表面方向にほぼ平行(フリクションローラの軸方向に直角)に走行するため、フリクションローラに糸条が巻き付くことがない」(本件公報6欄43行ないし7欄3行)ことにより得られるものと説明されている。
そこで検討すると、糸条巻取装置による巻取りは糸条が垂直(フリクションローラの軸方向に直角)に走行する状態で行われるべきことは当然であり、また、糸掛け作業のため上下の糸掛けガイドを手前側に移動する場合、上下の対応する糸掛けガイドは、特別の理由がない限り作業者から等距離に移動する(したがって、糸条はフリクションローラの軸方向に直角になる)ことも当然と考えられる。そうすると、糸掛け作業が終了した後に上下の糸掛けガイドを所定の位置に戻す工程も、糸条がフリクションローラの軸方向に直角に走行する状熊で行うのが自然であるということができ、現に、前掲甲第2号証によれば、本件明細書にも、実施例の説明として「糸分け装置A、Bのそれぞれ対応する糸掛けガイド、即ち、糸分け装置Aの糸掛けガイド3と糸分け装置Bの糸掛けガイド3、糸分け装置Aの糸掛けガイド4と糸分け装置Bの糸掛けガイド4をそれぞれ同時にもとの位置に戻す。」(本件公報5欄1行ないし5行)と記載されていることが認められる。しかしながら、本件考案の登録請求の範囲においては、手前側に移動した上下の糸掛けガイドを所定の位置に戻す構成については何ら規定されていないのであるから、本件考案による糸掛け成功率の向上は、糸条が常にフリクションローラの軸方向に直角に走行するように構成されていることによってもたらされると解することはできず、したがって、「糸掛けガイドを奥側へ移動させると、糸条が糸条巻取装置のフリクションローラの表面方向にほぼ平行(フリクションローラの軸方向に直角)に走行する」という本件明細書の前記記載は、本件考案の要旨に副わないものであって、不適切といわざるを得ない。
しかしながら、前記のとおり、本件明細書に従来技術の問題点として指摘されている「糸条が糸条巻取装置のフリクションローラの表面周方向に対して斜めに接触するため、糸条が揺れ易く、更には、吸引速度のフリクションローラ周方向の分速度が小さくなる結果、糸条がフリクションローラに巻き付いてしまい、糸掛け成功率が低くなる。」(本件公報3欄3行ないし9行)との記載に照らせば、糸条巻取装置において糸掛け成功率を向上するためには、糸条の揺れを防止すること、及び、サクションガンによる吸引力が安定して糸条に働くようにすることが必要であること(糸掛け作業が、紡糸口金から紡出される糸条をサクションガン(吸引装置)で吸引しながら糸条を糸掛けガイドに通して行われることは、本件明細書にも記載されているとおり、周知の事項である。)が明らかである。そして、本件考案の構成によれば、少なくとも奥側に位置する上下の糸掛けガイドを手前側に移動させた状熊で糸掛け作業を行うことができるから、糸掛け作業が確実に行えるとともに、糸条がフリクションローラの表面周方向に対して斜めに走行して接触し揺れることはなく、サクションガンによる吸引力も安定して糸条に働くと考えられ、また、糸掛け作業が終了した後に上下の糸掛けガイドを所定の位置に戻す際は、糸条は上下の糸掛けガイドによって規定される面内で移動することになるから、その移動面がフリクツョンローラに対して前後に移動することがないので、糸条の揺れは少なく、糸条に大きな張力変動が生ぜず、糸条がフリクションローラに巻き付かない結果、糸掛け成功率が向上すると考えることができる。そうすると、本件考案は、糸分け装置を「綾振り装置の上流側と下流側とに配設した」構成によって、「糸掛け成功率を著しく向上する」との格別な効果を奏するものであって、このような効果を得るためには糸掛け作業を終了した後に上下の糸掛けガイドを同時に移動しなければならない旨の原告の主張は理由がない。
この点について、原告は、手前側に移動した上下の糸掛けガイドを所定の位置へ戻す際に糸条が上下の糸掛けガイドによって規定される面上を移動することは本件明細書に記載されていない旨主張する。しかしながら、本件考案が奏するそのような作用効果は、本件出願当時の技術水準を踏まえて本件明細書をみれば自明の事項として理解することができるから、原告の上記主張は当たらない。
したがって、本件考案の「糸分け装置を綾振り装置の上流側と下流側とに配設した」構成は技術的に無意味であることを前提として、本件考案は法3条1項3号あるいは2項の規定に該当する旨の原告の主張は採用することができない。
また、原告は、本件考案は引用例1記載の技術的事項と引用例2記載の技術的事項とを組み合わせることによってきわめて容易に到達し得るものにすぎないが、審決は引用例1記載の技術的事項と引用例2記載の技術的事項とを組み合わせることの容易性について全く判断していない旨主張する。
しかしながら、前記審決の理由の要点によれば、審決は(4)<1>において、引用例1及び2記載の技術的事項を組み合わせることの想到容易性を判断していることは明らかである。そして、成立に争いのない甲第3、第4号証によれば、引用例1及び引用例2記載の発明は「糸繰装置への糸挿入方法及び糸挿入装置」あるいは「複錘取り引取装置の糸掛け方法」としてそれぞれ完結したものであって、各引用例にはそれらに記載されている技術的事項を組み合わせる動機付けとなるべき事項は全く記載されていないことが認められるから、「本件考案は引用例1及び引用例2記載の発明に基づいて当業者がきわめて容易に考案をすることができたとはいえない」とした審決の判断を誤りとすることはできない。
なお、原告は、本件登録出願は原特許出願との同一性を失っているから本件登録出願日は原特許出願日に遡及しない旨主張する。しかしながら、前記審決の理由の要点から明らかなように、そのような主張は審判手続においてなされておらず、したがって審判官による審理判断を経ていないのであるから、訴訟手続においてこれを審決の違法事由として主張し、裁判所の判断を求めることは許されないといわざるを得ない。
以上のとおりであるから、無効事由<1>に係る審決の判断に誤りは存しない。
3 無効事由<2>cの判断について
原告は、本件考案が目的とする「糸掛け成功率を著しく向上する」ためには、「上下の糸掛けガイドを同時に移動させる機構を設けること」が本件考案の構成に欠くことができない事項として登録請求の範囲に記載されねばならない旨主張する。
しかしながら、本件考案が、「上下の糸掛けガイドを同時に移動させる機構を備えること」を要件としなくとも、その実用新案登録請求の範囲の記載に基づき「糸条巻取装置への糸掛け装置」に係る考案として整合した技術的思想の創作と捉え得ることは、前項の説示から明らかであるから、本件考案において「糸がフリクションローラの軸方向に直角になるように同時移動させる機構を誤けること」が必須要件として限定される必要はないとした審決の判断は正当である。
以上のとおりであるから、無効事由<2>cに係る審決の判断にも誤りは存しない。
第3 よって、審決の違法を理由にその取消しを求める原告の本訴請求は失当であるからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担について行政事件訴訟法7条、民事訴訟法61条、65条1項の各規定を適用して、主文のとおり判決する(平成10年3月10日口頭弁論終結)。
(裁判長裁判官 竹田稔 裁判官 春日民雄 裁判官 山田知司)
別紙図面A
「1、2、3、4は、それぞれ糸掛けガイド」
<省略>
別紙図面B
<省略>
別紙図面C
<省略>
別紙図面D
<省略>